長岡市医師会たより No.217 98.4

このページは、実際の会報紙面をOCRで読み込んで作成しています。 たまに、誤読み込みの見落としがあることと思いますが、おゆるしください。
もくじ
 表紙絵「悠久山のしだれ桜」     丸岡  稔(丸岡医院)
 「二期目を迎えて」      会長 高橋 剛一(高橋内科医院)
 「開業一年目の感想=反省?」    吉田 正弘(吉田医院)
 「性格と血液型」          渡辺 正雄(渡辺医院)
 「犬にまつわるエッセイその19」   郡司 哲己(長岡中央綜合病院)
 「長岡市の福祉の現況について 5」  児玉 伸子(長岡中央綜合病院)
 「第4回病診委員会報告」   委員 長尾政之助(長尾医院)
 「耳鳴りの音なんか聞こえない」   郡司 哲己(長岡中央綜合病院)

悠久山のしだれ桜   丸岡 稔
2期目を迎えて 会長 高橋剛一(高橋内科医院)

 本年1月の役員選挙で再選され、2期目の会長職を勤めることになりました。この2年間、自分としては精一杯努めてきた積もりですが、ふり返ってみますといろいろ反省すべき点もあったように思います。しかし何とか大過なく今日までこれたことは、役員および会員の皆様のご支援、ご協力のお陰と深く感謝申し上げます。

 さて現在の医療情勢をみますと、ますます厳しい状況になっております。昨年9月の健保法改定のダメージから立ち直らないうちに、この4月からの診療報酬改定です。昭和59年以来のマイナス改定とのことですが、実際には薬剤使用の多寡、院外処方などの事情により、それぞれの医療機関において多少影響が異なります。しかし改定の都度その内容が複雑になり、理解するのに頭が痛くなります。今回の改定で、厚生省は在宅医療を重視し、老人医療の適正化を行ったとしていますが、外総診を採用している医療機関にとって老人外来管理加算のとれなくなったことは大きな痛手です。それでも思いがけず、一昨年4月から発足している医師会の在宅ケアネットワークに参加している医療機関では、今回新設された24時間連携体制加算()を算定できることになりました。ただ残念なことは在総診を選択している機関に限られることですが、この機会にネットワークに参加する機関が少しでも増加して欲しいと思っております。

 これからの在宅医療を考える時、診々連携は勿論ですが、病診連携も大変重要なものになってきます。すでに長岡中央線合病院で病診連携室を、立川綜合病院では医療連携情報室を設置しております。医師会においても病診委員会が2年目を迎え、その活動が期待されますし、いよいよ少しずつでも実行の段階にきているところです。

 次に介護保険の問題ですが、最近出席した行政の会議には必ずといってよいほど、この問題がとりあげられています。この7月頃までに要介護認定基準が確立し、ケアマネージャーの養成も始まり、来年6月には認定審査会の設置、10月には要介護認定事業が開始されます。いろいろ問題点はありますが、医師会としても無関係でいられる筈はなく、在宅医療と関連し重大な影響があるものと考えられます。また認定審査には多数の会員の協力が必要になります。

 そのほか医療情報システム、地域産業保健センターも引き続き重要な課題です。

 ここで准看譲学校の実状を少し述べておきます。昼周の学校になって初めての卒業生22名全員が無事資格試験に合格しました。8名進学、1名が就未定です。本年度の入学試後は23名募集のところ、27名が応募し、当日25名が受験、23名を合格としましたが、辞退が4名あり、止むを得ず2次募集を行いましたが、たった2名の応募で内1名を合格させました。したがって1年生は留年2名を含めて22名となり、1、2年あわせて44名で、定員より4名の減になっております。このような状態では当然経済的に赤字となり、引き続いて市に補助をお願いしてありますし、一般会計からの線入れも年々増加しております。当校では実習施設の不足から1学年24名が限度となっているので、定員一杯でも赤字となります。また今年の入試状況からみて、この不景気の中でも応募者が少ないことから、次年度も果たして応募者があるのか大変不安です。この傾向は長岡だけでなく、近隣の准看護学校に共通な現象で、特に柏崎では本年の入学者が僅か8名とのことでした。このように応募者の減少した理由として、准着制度をとりあげるマスコミの姿勢、高校の進路指導のあり方、また地域性も大きな影響を与えていること、昼間の学校になり生徒を雇用するメリットが少なくなったことなどがあげられます。

 次にこれまで大変苦労させられた教員の件ですが、10年勤めた杉本教務主任が退職し、後任として専任1名、パート1名の補充がつきほっとしております。

 ところで准看制度についてはまだはっきりした結論は出ておりません。厚生省はこの3月に「准看護婦の資質の向上に関する検討会」と「准看護婦の移行教育に関する検討会」を発足させましたが、日本看護協会は看護婦の一本化統合の前提として検討会を受けいれ、日医は准着制度存続の方向で対応しております。また全国准看護婦(士)看護研究会は准着制度廃止、看護婦養成制度統合の要望書を厚生省に提出しています。いずれ国家試験への移行、カリキュラムの充実、高校卒の受験資格など、現在の正看に限りなく近付いていくように思われます。

 次に震災対策計画検討委員会が3月でその責を果たし解散いたしました。すでにお手元に大規模地震発生時初動マニュアルとポケット版が届いていると思いますが、斉藤委員長はじめ委員の先生方に心からお礼を申し上げます。いざという時にはぜひ活用していただきたいと思います。

 最後に人事のことになりますが、県医で3期理事を務めた杉本邦雄先生、僅か1期でしたがいつも活発に意見を述べていた佐々木公一先生が引退され、新理事に立川厚太郎先生が選ばれました。A会員からもう1名をと、何人かの現役のバリバリの先生にお願いしたのですが、県医の理事の多忙さにとてもついていけないとのことですべて断られました。このあたりの所は県医のためにも一考も二考も要する点であると思われます。

 市医師会では亀山議長、鳥羽監事、八百枝、三間、太田理事が引退され、新役員には小林矩明議長、杉本邦雄副議長、杉山一教監事のほか岡吉郎、立川厚太郎、小林真紀子先生が新理事になります。引退される先生方、長い間本当に有難うございました。これからも医師会のため、外野からのご指導、ご鞭撻をお願いいたします。また新しい役員の先生方にはこれからの活躍を大いに期待しております。なお会員の皆様にも今後も引き続いて医師会活動への参加、ご協力をお願いいたします。

 

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開業一年月の感想=反省? 吉田正弘(吉田医院)

 遠くに見える山々は水墨画から洋画の世界に変貌し、遥かに広がる田圃からはさわやかな風に土と緑の香りが運ばれ、ようやく春を感じる季節になりました。閑散としていた待合室もインフルエンザの流行がやや長期化した影響もあってか、わずかながらも賑わうようになってきました。

 開業して1年たち小児科から整形外科的疾患まで、来るもの拒めずの診療体制にも少しずつ慣れ、精神的にも経済的にも抑圧された、不安と焦燥の日々からようやく解放され、自分にも春が……と思おうとした、ちょうどその時、確定申告でした。

 つい先日、初年度の決算を税理士から報告されました。当然ながらのマイナス所得ではありますが、その絶対値の大きさに驚かされました。子どもたちも私の扶養からはずされ、まるで禁治産者の如くの無納税者で国民の権利まで失うのではないかと思う体たらくでした。やっと前向き思考で「開業1年目の感想」を書けると思いましたが、この確定申告で気分は冬に戻ってしまい、感想=反省となりました。

 まず第一に反省したことは、家賃を払ったつもりで……と安易に自宅を建ててしまったことです。資金的余裕がないことがこれほど精神的に思いものとは開業前には考えもしませんでした。勤務医時代に欲しかった「暇」は充分過ぎるほどありますが、迂閥にも「暇」を楽しむためにはある程度の「余裕の金」が必要であったことに今気付かされました。子どもたちに対するサービスも激減し、「うちにはお金がないの?」と言われるようでは情け無くて涙も出ません。学生時代は「金がないけど遊べた」のに、どうもそういう遊び方を忘れたようで、「暇」がストレスになっています。幸い学生時代に「囲碁」を少しかじったので、当面はこれで暇をつぶそうと考えています。

 反省の第二は医院の名称を、「吉田医院」にしたことです。電話で「今具合が思いのですぐ伺いますのでよろしく。」と言われても、待ちぼうけとなったことが何回もありました。初めはひどい嫌がらせだと思いましたが、結局「吉田病院」と間違えられていると判明しました。それ以降は、その都度電話で説明するのですが、あわてて切られた場合は待機すべきかどうか迷ってしまいます。患者にも吉田病院にも迷惑をかけるので、「吉田クリニック」にでも名称を変えたいのですが、資金に余裕がないのでしばらく我慢を強いられそうです。

 第三は運動不足になったことです。半年もしないうちに肥満が増悪し、今までのズボンがきつくなってしまいました。刈羽郡病院勤務の時は知らないうちにカロリーを消費していたようです。このままではこれからの長い開業医生活もままならないと一念発起し、昨年11月よりスポーツジムに通い始めました。これはストレスの発散と暇つぶしにもなり、一石三鳥の効果がありました。

 まだまだ反省、後悔したことはたくさんありますが、これ以上は見苦しくなるので止めることにします。けれどもこの一年でプライマリーケアの重要性と面白さもある程度理解できた気がしますし、「経営的にも三年後には楽になる」の先輩方の言葉を信じ、慎ましく頑張りたいと思っています。

 

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性格と血液型 渡辺正雄(渡辺医院)

今も静かなブーム

 何年か前、血液型と性格に関する話題が大いに流行したことがある。私も何冊かの本を読み漁った覚えがある。今はやや下火ではあるが、まだ書店の棚には血液型に関する本のコーナーがあり、次々と新刊が出版されていて、静かなブームは続いているようである。

かなり昔から

 昭和12年頃、血液型と気質との関連を唱えた古川竹二氏が、「積極的で意志強固、自分の所信を断行する勇気のあるO型は指導者に適し、軍人や外交官に向いている」という記事を東京日日新聞に掲載、実際にO型兵士を軸とした部隊も編成されたという。

 最近でも能見正比古、能美俊賢、鈴木芳正等諸氏をはじめ多くの書籍があり、大企業で血液型に応じて社員の配置を決めたという話も聞いた。

 果たして、科学的に根拠のあることなのだろうか。

医学的根拠はあるか

 そもそも血液型は、ABO式のみならずRh式など400種以上あるといわれ、赤血球だけでなく、白血球にも血液型があり、身体中くまなく分布する。血液型は遺伝子で決まる。遺伝子は2個で一対で、父と母から1個ずつ受けとる。血球表面の蛋白質に糖がついたものが型物質(抗原)であり、結合する糖の種類によって型が決まる。

 O型にも抗原はありH抗原(蛋白質、フコース、ガラクトース、N-アセチルグルコサミンから成る)というものを持っている。A抗原は、H抗原にもう1個のN-アセチルグルコサミンという糖がついたもの、B抗原は、H抗原にもう1個のガラクトースがついたものである。

 要するに、血球の表面にうぶ毛のようなものがついていて、その毛の先の構造がほんの少し違っているにすぎないのである。こんなものが、複雑な人の性格を決めるなどとは考えにくいし、第一、血液型物質はBBB(血液脳関門)を通過し得ず、中枢神経系には入りこめないといわれている。

なぜ 血液型信仰があるのか

 ではなぜ、A型は完全主義、B型は楽天的、O型は自己主張強く、AB型は批判好きなどという判断基準(別表参照)が信じられているのだろうか。

 科学雑誌「ニュートン」(高田明和博士等)によると、血液型信仰は思いこみがそうさせるのだという。「これがあなたの特徴だ」といわれると本当にそう思いこんでしまうのだと。これは、ラベリング効果とかインブリンティング(刷りこみ)効果といわれている。こういう信仰を打破する多くの実験や実証があり、結局、科学的には、血液型で性格を決めることはできないのだということは云える。

日常の軽い話題として

 しかし、まあそう目鯨をたてて血液型信仰を排斥することもなかろうと思う。例えば、長嶋はB型で、チャンスに滅法強かったし、王、張本、落合らはO型で、本来、案外に緊張場面に弱く、猛練習でこの欠点を克服して来たのだなどといわれると成程そうかと思う。イチローや松井はどうなんだろうと想像するとまた楽しみが増す。(別表参照)結婚の相性、生徒のクラス分け、企業の配属までに利用するのは行き過ぎと思うが、日常の軽い話題としてお遊びしてみるのも楽しいものではないか。

 

 

 

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犬だって良い子のふりをする

 犬にまつわるエッセイ その19 郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 暦の上では立春も過ぎた頃、まだ里山や雑木林には大雪が残り、自然界でのえさ採りが困難なためか、庭先に設けてある小鳥の給餌台にお客さんが増えた。雀に混じってツグミが姿を見せるようになったのである。ヒヨドリやムクドリの常連の牽制の合間をぬうように来訪して、家人の補給するエゴマや麻の実を腹一杯に詰め込んでは去って行く。

 さてそんな春の待ち遠しいある日、家人がお友達の0さん宅へ遊びに行った。息子のたかや君が東京から戻っていた。大学受験の合間に久しぶりに帰宅したらしい。

 0家でも木々の植わった庭に突き出たベランダの一隅で、奥さんが小鳥に餌をあげているのだそうだ。家人が訪問した際も、小鳥が群れてにぎやかにさえずっていた。そのなかに家人を驚かせた一羽がいた。

「あれえ、こんな市街のまん中なのにツグミがきているじやないですか。」

「ええ、そうなの。」とうなずく奥さん。

「かあさん、ええそうなのじゃないだろう。いつも雀より大きいの、とか言ってたくせに。・・・いいかげんなんだから。」とつっこむたかや君。

「それにひきかえ、Gさんはさすがだな。花とか野鳥の名前とかよく知っているもんね。」

「……。ところでGさん、じんべえったらおかしいのよ、聞いてくれる?」とすかさず話題を転ずる0さんである。

 〃じんべえ〃とは0家の飼い犬の名前である。0家では二匹の柴犬を飼っている。雄犬は六歳で 〃じんべえ〃、雌犬は四歳で〃あき〃と言う名前である。ちなみに 〃じんべえ〃はわが家の飼い犬夫婦の息子である。生まれてまもなく0家に貰われて完全に室内生活をしている幸せものである。すっかり犬好き党になった0先生夫妻とふたりの息子たちは 〃じんべえ〃に嫁さんまで貰ってきた。まあ実際はペットショップで雌の柴犬の子犬を予約購入したのであるがこの〃じんべえ〃 の嫁さんこそ〃あき〃なのである。

 犬の世界のゴシップ風の話になるので恐縮であるが、実はこの二匹ふだん仲良く暮らしているのだが、実質的「夫婦生活」にはいまだセイコウしていないらしい。

 犬は年に二回春秋頃に繁殖=発情期をむかえる。これはもっぱら雌犬の方で、生理周期が体内時計に定まっているようである。つい最近人間女性も性周期に応じて微量なフェロモンを分泌していることが実証されたと科学ニュース記事で報じられていたが、雌犬のそれの威力はすごいものらしい。

 たとえば一匹の雌犬が発情期になりフェロモンを分泌すると、二キロ四方位の町内中のどんな「堅物の雄犬」でも血を騒がせるらしい。連中はもともとがまた格別に嗅覚にすぐれているのである。

 しかしいっしょに暮らしている犬同士からは子犬がとれないとこの道の専門家(?)では言われているらしい。

 ところで〃じんべえ〃はもともと優しい性格の犬で、ちいちゃな子犬時代の〃あき〃の良き遊び相手となってあげていた。やんちゃな〃あき〃に較べると、おっとりした〃じんべえ〃 は自分のごはんも食いしん坊の〃あき〃 にゆずってあげていた。

 このあたりから逆に群れの動物としての犬の立場からは、彼のリーダーとしての権威がゆらぐ遠因があったのかもしれない。

 なにはともあれ0家の二匹も一部の熱い期待を受けながらいまだに、子犬誕生の気配がないのである。

 0さんは続けた。

「じんちやんは最近はめっきりふつうの乾燥ドッグフードだけでは食べなくなっていて、必ずお肉かなんかを上に乗せてあげていたのよ。それがね、たかや君が帰って来た晩に夕ごはん食べようとしていたら、大きな音がボリボリするなあとびっくりしたのね。見たらじんちやんがまだ他になにもごちそう入れてあげていないのに、ドッグフードだけをたべているのよ。」

「じんべえったら、すごくまじめな顔をしていたよね、かあさん。」と相づちを打ったたかや君。

「どういうことなのかしら?」と話の理解できない家人。

 ご主人の0先生を中心に0家の家族で検討会議をした結論は次のようなものだった。

 〃じんべえ〃は、たかや君を最大の主人と思って育ってきた。そのたかや君が大学受験のための家を離れて予備校に行ったこの一年間、〃じんべえ〃 は他の家族とお留守番をしているような感じでいた。お母さんは甘えられると弱いので、わがままを言って毎日通用していた。

 そこへ御主人のたかや君が帰ってきた。

 さあ、たいへんだ!--ぼくは「良い子」でいたところをたかや兄ちゃんに見せなきゃいけない。よーし、ふつうのごはんだけだって、ちゃんと食べていたのを見てもらおうっと。

 ボリボリ、ボリボリ。

 そんな話を0家で聞き込んで笑いながら帰宅した家人であった。その夜、わが家の食卓は 〃じんべえ〃 のうわさ話で盛り上がったのである。

「じんちゃんはふだんおなかがすくと、お母さんの0さんのところに来て、脇の下に顔を埋めたりして、おしゃべりするみたいに声をだすんだよね。おいしいものをちょうだいよ、みたいに甘え声を出すの。かわいいんだなあ、これが。」

「それでもお茶碗に乾燥ドッグフードだけ入れてあげたら、どうするんだろう?」

「なんか一瞥だけして、お二階に去ったりするらしいわよ。もっとも、ごちそうをもらっても、あきちゃんに狙われてたいへんらしいわ。」

 登場人物のひとりたかや君はその後、めでたく医大に合格し、さらに長い期間、家を離れて生活することになった。

 〃じんべえ〃 はふたたび「良い子」をやめて、お気ままだけどお兄ちやんにたまにしか会えないという、どこかさびしい生活を続けることになったのであった。

 

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ポランテイア活動の紹介

長岡市の福祉の現況について〜その5 児玉伸子(長岡中央線合病院)

1 はじめに

 本シリーズでは、長岡市における福祉関連サービス(在宅支援センター・機能訓練事業・訪問着護ステーション等)について紹介してきました。最終回である今回は、長岡市の民間ボランティア活動をいくつか紹介します。

 ボランティア活動は、震災や重油流出事故によって急に脚光を浴びた感がありますが、活動自体は決して新しいものではありません。昔からの、村社会における助け合いの延長線上にあるもので、社会のために自分のできることを無償ですることです。

2 ボランティア講座

 長岡市の社会福祉協議会では、ボランティア活動のすそ野を広げるために、ボランティア大学やサマースクール、また各種の介護福祉関連の講座を主催しています。これらの講座の卒業生のうち、活動的なボランティアに変身するのは1割程度です。しかし、介護や福祉に関心をもつ〃チョイボラ〃 市民が一人でも増えることは、これからの高齢化社会にとって有意義なことです。また、正しい知識を得ることは、自分自身や家族が介助を必要とするとき、大きな助けとなります。

 3年前から精神保健ボランティア講座が開始され、受講者のなかには、精神障害者のための地域交流会に定期的に参加する人もでています。精神障害は無知から生じる偏見を持たれ易い障害ですが、講座の受講者を通じて、精神障害についての正しい知識が広まることも、講座の大切な効果です。

3 長岡市の現況

 表1は、国県市が3年に一度行っている調査の結果で、ボランティアの人数を活動の場によって示したものです。今年の10月に再調査される予定ですが、平成4年からの3年間でも人数は倍増しており、活発な活動となってきています。

 ボランティア講座以外でも、長岡市や社会福祉協議会では、公民館やプール等の市の施設を無償で供与したり、ボランティア連絡協議会等を通じて積極的に支援しています。この連絡協議会は、長岡周辺のボランティアグループによって構成され、グループ間の交流を図り活動を活性化するために、定期的に懇談会や研修旅行を主催しています。

 また長岡市では、地域に密着したボランティア活動を目指して、小学校の学区に対応した30の地区に公民館を拠点とした地区福祉協議会を設置しています。ここでは、市の委託職員である福祉コーディネーターを中心に、地域住民による地域住民を対象とした活動を行っています。

 それぞれの活動について、もう少し詳しく紹介します。

4 地区福祉協議会を通した活動

 (表1の社協個人ボランティア)

 地区福祉協議会は、ボランティア活動によって支えられており、「ボランティア銀行」「給食サービス」「小地域ネットワーク」 を三本柱としています。平成7年度の社協個人のボランティアは268人に過ぎませんが、平成9年12月には、ボランティア銀行の登録者だけでも1580人に増加しています。

ボランティア銀行

 この制度は、図1に示したように、地域の助け合い活動の延長で、地域の住民からなる会員方式で運用されます。協力会員は、介護を必要とする利用会員に対しサービスを提供し、将来に備えボランティア銀行に点数として積み立てる制度です。介護サービスの内容は、通院介肋や軽易な雪かき、留守番や買い物等特別な技能を必要としないものが中心です。

 

給食サービス

 昭和63年に関原地区の婦人会によって始められ、近年では多くの地区で実施されています。調理や会食の会場には公民館を利用し、材料費として1食300円の実費を徴収し、週に1回程度の頻度で会食やお弁当の配食を行っています。献立の作成や調理配食等全てボランティアによって運営されています。

 需要の伸びに対し、公民館の施設が不充分なことや配食のための運転ボランティアの不足が問題となっています。

小地域ネットワーク

 ほん・じゅ〜る7月号でも紹介したように、地域の人々が地域の高齢者を見守ってゆくシステムです。

5 ボランティア活動を目的とした団体(表1のAグループ)

 平成7年度の調査でも、ボランティア活動を目的に結成されたグループは102あり、視覚・聴覚・身体・精神障害者や高齢者のための様々な活動を行っています。グループの母体は、地域の老人クラブや婦人会、養護学校の卒業生や親の会、講習会の受講者等様々あります。

 職業別組合を母体としたものでは、理・美容師有志による頭髪カットサービスや、自転車商組合有志による車椅子点検また電力会社有志による電気配線の点検等あり、職業上の特技を生かしています。

 その他いわゆる趣味のグループを母体に、ボランティア活動を行っているグループもあります。図書館の〃おはなしボランティア〃 や、水泳という趣味を生かし、知的障害児等と水泳をたのしんでいるグループもあります。

 他人と上手にコミュニケーションできない精神障害者のために、共同作業所や、いこいの家を利用し、地域との交流を目指したボランティア活動も、近年盛んになっています。

6 本来の活動の他にボランティア活動を行っているグループ(表1のBグループ)

 企業としての活動も増えており、簡単にできる使用済み切手やプリべイドカードの収集から、施設訪問や信濃川土手の清掃まで行っています。また学校でも、幼稚園や小学校から専門学校や大学までと幅広い活動が、定着してきています。

7 障害者のスポーツ

 リハビリや体力増進の一環として、水泳のようにたのしんで行えるスポーツは、大変有効な手段となります。ボランティアグループによる、泳げない高齢者を対象とした

〃グッピーの会〃や、老人クラブ連合会の一組織である〃朗泳会〃があります。また、ハンディスポーツ・レクリエーション講習会では、ダンスやテニス等の講習を行っており、受講者で結成した 〃グリーンの会〃 では、各種のスポーツ行事や施設での活動に参加しています。

 パラリンピックのようなエリートスポーツ以外にも、身障者にとって、趣味としてのスポーツ競技は重要です。まだスポーツをたのしむ身陣者は少数ですが、車椅子マラソンやチェアスキー、水泳や車椅子バスケットがあります。

 水泳関連のボランティアグループである〃長岡アクティブ〃 では、競技としての水泳も勧めています。車椅子バスケットは、昭和61年にクラブが発足してから、身障者の趣味のクラブとして活動し、現在も12名が練習や遠征試合を楽しんでいます。

 

 

8 今後の今後の課題

 ボランティア銀行の登録者を比べると、活動の盛んな四郎丸地区や関原地区と不活発な地区では10倍近い地域差があります。近年市街地では、定年退職後の男性の参加が目立ってきましたが、女性に比べまだまだ少数です。地域差と男女差の解消が、今後地域のボランティア活動が成功するか否かのカギとなります。

 また、人間関係を土台とするボランティア活動では、利用者と協力者が適当な距離を保つことが長続きするための基本となります。近すぎる関係は、過剰な期待と干渉を招き、早々に破綻してしまいます。福祉コーディネーターを活動の仲介とし、活動範囲を事前に明らかにすることも、ボランティア活動を続けるなかで大切なことです。

9 最後に

 ボランティアの活用を、行政の安価な穴埋めと捉える向きもありますが、利用会員、協力会員双方にとっての利点があります。

 利用会員にとっては、画一的な行政と異なり個別な対応が期待でき、それ以上に協力会員にとっては、精神面でのプラスの効果が期待できます。

 ボランティア活動では、誰もができる簡単な行為でも、場所と相手によっては、喜ばれる行為となり得ます。言い換えると、どんな人でも、ボランティア活動を通じて、社会の一員として社会の役に立っている実感を得ることができます。

 つまりボランティア活動が活発になることは、地域活動が活性化し、誰にとっても住み易い地域作りに繋がります。

ボランティア活動についての問い合わせ

 長岡市ボランティアセンター(長岡市社会福祉センター内)

  長岡市水道町3ー5ー30 TEL 33-6000 32-1442 FAX 33-6004

 5回にわたり、長岡市の福祉関連の現況を紹介してきました。今回の取材を通じて、様々な現場の方々のお話を伺うことができ、有り難く思っています。

 取材に協力いただいた方々や編集部の皆様に感謝し、本シリーズが医療と福祉双方の助けとなることを希望し、終了とします。

 

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第4回病診委員会報告 委員 長 尾 政之助(長尾医院)

 会員の先生方におかれましては、日常診療で患者さんの高齢化が進み、在宅医療、介護、福祉サービスの必要なケースが増加し、また緊急時の対処など、対応に不安を感じる事も出てきているのではないかと思われます。

 今までの病診委員会会議報告や、在宅介護支援センター事業に関する特集、新聞・雑誌の記事などで、この分野のおおよその現状と方向は把握済みと存じますが、この際、長岡地域の病院・診療所・訪問着護ステーション、在宅介護支援センターなどが、お互いの情報を交換し、病診連携を充実させ、福祉サービスを有効に活用し、在宅医療をより良くする一助に、医療機関、看護・介護関連機関の情報をまとめたハンドブックを企画しているところであります。

 高槻市医師会の「かかりつけ医・在宅ケア支援システムハンドブック」にある在宅医療機能マップを参考に、会員の先生方から図の様な内容について情報をいただいて、まとめることを検討しており、医師会会員と訪問着護・介護関連機関に配布することを想定しています。

 使用頻度の少ない医薬品やカテーテル・チューブ・カニューレ等の資材については、医療器械機具販売会社に備蓄センターに相当する機能を組織していただくよう考えています。また、在宅医療における診々連携や、病診連携をスムーズに行うための在宅医療連絡カード(緊急時の連絡先や診療所・病院の担当医および薬物アレルギー・薬歴・病歴の記載)や診療情報提供書の整備など、状況を見ながら進めて行く予定です。

 今回提示した図の項目の検討や、特記事項に記載する内容など、ご意見をいただかなければなりませんが、登録掲載希望の有無を含め、近々ご意見を伺いたいと存じますので、その節はよろしくお藤い申し上げます。

 

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耳鳴りの音なんか聞こえない 郡司 哲己(長岡中央綜合病院)

 例年より桜の開花も早く、春真っ盛りである。先月、すでに市中では流行の嵐が去った頃、何事ものんびりとした家人が遅ればせながらと風邪にかかった。

 症状は発熱、咽頭痛、鼻汁、咳蕨と進行し、2週間の経過でまだ咳が取れない。発熱時はこの解熱剤、膿性に痰が変化してきたからこの抗生剤を追加と、薬の内服をしていた。

 また朝夕の犬の散歩も通常は夕方は家人の日課なのであるが、わたしが早めに帰宅して夜に散歩するなど幾日か介護につとめた。

 ところがわたしも一週間遅れで感冒に罹患してしまった。さいわいにも自分は軽症で上気道炎症状と全身倦怠感のみが続いた。

 その後二人とも快方に向かい、同時に軽快してきた。「仲良きことは美しきかな。」と、ようやく冗談も出るようになった。

 そんな矢先のある朝起きると、家人が浮かない顔をしている。

「どうしたんだい、また体調が悪いのかい?」

「そうなの。やっと治ったのに。なんだか頭が痛いの。」

 体温を計っても平熱である。鎮痛剤を飲むように言って出勤した。その夜帰宅してたずねると、相変わらず頭が変だという。

「えっ、ほんとは頭が痛いんじゃないの?」

「うん、なんか頭の右半分に霧がかかったみたいな感じなの。」

「そういう時って耳鳴りがすることが多いんだけれど、耳鳴りはしないの?」

「耳鳴りなんか聞こえないよ。」

 急に心配になったわたしは、運動知覚麻輝がないか家人をチェックしたが正常である。

「あのさあ、ひょっとして右耳の聞こえが悪くない?」

 あわててテレビにむかって左右の耳を交互に手で押さえて比較検討していた家人がはっと気が付いた。

「あら、右耳が聞こえが悪いわ。」

「しつこいようだけれど、ほんとに耳鳴りがしていない?」

「しないなあ。ただ右側の頭の中で遠くでモーターがうなっている音がしているだけ。」と家人はまじめな顔で答えた。「おぱかさんだね。それを耳鳴りって言うんじゃないの。

 「えー、ほんと?わたし耳鳴りってキーンって音がするんだとぽっかり思っていたの。」

 やはり翌朝の耳鼻科診察では、右耳の難聴で急性の内耳障害であり、鼻水のかみ過ぎでの圧外傷かもしれないが、突発性難聴であろうとのことであった。早速点滴治療を通院で受け始めた。家人はその夜も不安で眠れないようであった。

 二日目の点滴治療をした夜、薬の副反応で頭痛を訴えていたが、不意に押し黙った後、口を開いた。

 「あれー、わたしの耳ね、すっかり治っちゃったみたい。」

 「ほんとうかい。よかったね。」

 「うん間違いないよ。なにかね、耳の中に詰まっていた栓がボーンと抜けちゃったみたいな感じ。」

 その後、急に笑顔の中で喜びと安心感で涙ぐんだ。

 「ひょっとしてこのまま治らないんじゃないかって、心配だったの。今回はわたしの人生最大のピンチの気がしていたわ。」

 そして翌日の聴力検査も完全回復とのことであった。三日間で治療終了となった。

 我が家を穣がせた耳鳴り騒動もあっけない幕切れで、めでたしめでたしなのでありました。

 

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