長岡市医師会たより No.225 98.12

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もくじ 
 表紙絵「岩室辺り」         丸岡  稔(丸岡医院)
 「老年者と疾患との関係」      入澤 敬夫(たちかわ総合健診センター)
 「後医は名医」           渡辺 正雄(渡辺医院)
 「これで良いのか 介護保険」    大貫 啓三(大貫内科医院)
 「ナチスの強制収容所からのユダヤ人女性達を
  助けたスウェーデン人女医の回想」 福本 一朗(長岡技術科学大学)
 「平成10年度病診協議会」      石川紀一郎(石川内科医院)
 「金魚の昼寝」           郡司 哲己(長岡中央綜合病院)

岩室辺り   丸岡 稔
老年者と疾患の関係 入澤 敬夫(たちかわ総合健診センター)

 わが国は経済の発展と医療の進歩、さらに勤勉な国民性に支えられ、御存知のように世界一の長寿国になりました。平均寿命は男では76.4歳、女では82.9歳でありますので、男の48%、女の70%の人々が80歳まで生存することになります。まさに高齢化社会の到来であります。社会への貢献度が年々減少しています私でも50%の確率で15年以上も生き長らえることになります。

 加齢に伴い、すべての臓器に老化現象が進行しますので、50歳以降では虚血性心疾患、脳血管障害、糖尿病、癌などの成人病が増加します。さらに高齢になりますと、肺気腫、骨粗しょう症、前立腺肥大、萎縮腎などが加わり、老年者では多数の疾患を併存する場合が多くなります。この事実は老年者の受療率が若年者の約4倍であることからも裏付けられ、臨床医の皆様が日常の診療において実感しておられるところであります。

 さて、外科系医師の多くは死亡数のピークが何歳であるかを知らないと予想していますが、男では83歳、女では88歳で意外に高齢であります。その死因は上位から悪性新生物28.5%、脳血管疾患15.9%、心疾患15.1%の順であります。

 なお、80歳以上では心疾患が第1位となります。我が国では癌対策は「がん克服新10カ年戦略」に基づき、積極的に実施されています。胃癌と子宮癌は減少し、肺癌、乳癌、大腸癌、肝癌は増加しております。この個々の癌に対する治療成績は向上しているにもかかわらず、現在でも癌死亡は増加し続けています。

 人間は血管と共に老化するといわれており、脳動脈と冠動脈の動脈硬化の程度は加齢に伴い増加します。このため、脳血管障害の3分の2を占める脳梗塞は増加すると推測されます。虚血性脳障害を惹き起こす頚動脈閉塞、出血性脳障害の原因となる脳動脈痛破裂には積極的に手術が行われています。加齢に伴う心疾患の増加は日常の診療において特に実感するところでありますが、東京都老人医療センターの加齢と循環器系疾患の成績はこれを如実に示しています。心筋梗塞の発生は20%以上と増加しており、高齢になりますと、その初発症状は呼吸困難、ショック、意識障害などの非定型発作が多くなりますので注意を要します。老年者では健常でも弁の逆流が証明されますが、弁疾患は弁の変性、石灰化による大動脈弁疾患、乳頭筋不全症候群を主要な成因とする僧帽弁閉鎖不全が重要なもので、加齢による増加が認められます。これらの疾患は手術の対象であります。

 ここで、私の専門であります心臓・大血管手術の現況を10年前と比較しながらみますと、平成7年の本邦の手術総数は31470で1.8倍に増加しました。その内訳を疾患別に百分率で示しますと、先天性疾患は26.9%で1.1倍、弁膜症は21.8%で1.6倍と軽度の増加に留まりました。一方、虚皿性心疾患は38.9%で4倍、胸部大動脈癌は10.1%で3.8倍と著明に増加し、高齢化社会における心臓・大血管手術の動向を明示しています。

 老年者は多くの併存疾患を持ち、意識障害や精神症状及び術後に合併症を発生しやすいとの特徴があります。これらは手術後の経過に悪影響を与えます。心臓・大血管手術では体外循環などの補助手段を必要としますので、80歳以上の超高齢の場合では、活動的で自覚症状があり、治りたいと思っている人を手術適応とすべきとされています。しかし、現実には不安定狭心症、急性心筋梗塞、胸部大動脈癖破裂、心不全を伴った弁膜症などに対しては救命的見地から手術適応の拡大が図られています。許容しうる手術成績が報告されていますが、立川綜合病院においても積極的に対応しており、85歳の冠動脈バイパス術、83歳の大動脈弁置換術、79歳の弓部大動脈置換術に成功しています。

 私は胸部外科、特に心臓血管外科領域の診療に37年間携わってきました。その間、対象疾患の主流は高齢化社会を反映して先天性疾患から老年者の心臓・大血管疾患へ大きく変遷し、私に幾多の課題を提供し続けました。〃少年老い易く学成り難し〃 の格言はまさに私の心境を示しています。

 最後になりますが、竹田綜合病院(会津若松市)と勤務中の立川綜合病院での13年間の臨床経験を検討し、〃地域中核病院における血管外科の臨床的研究〃としてまとめました。この研究が幸運にも新潟県医師会の平成10年度学術奨励賞に選ばれました。地域医療の面から日頃ご支援いただいています皆様にご恩返しができましたことを感謝しております。この機会に今まで見過ごしてきました老年者と病気との関わりについて拙文を書きましたので、ご一読いただければ幸甚であります。なお、文献は割愛させていただきます。

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後医は名医 渡辺 正雄(渡辺医院)

 題意は、後で診療した医師の方が、前医より病気を直し易いという昔からの言い慣わしであるが、これにはいくつかの理由があろう。

*経過が長いので症状の推移がよくわかる。

*前医の治療方法の長所、欠点が読みとれる。

*病気そのものが、極期を過ぎてそろそろ快方に向かっている幸運な例もある。

*クランケの心理状態からみて、複数の医師の診断を受けたという安心感がある。

*薬剤による副作用が病状を悪化させている例もあるので、前医の処方が参考になる。

 等々。

 近頃は後医の診療をセカンドオピニオンというそうである。いかにも自分の権威が失墜するように思えて、そう簡単にセカンドオピニオンを聞く気にはなれないというのが現実であろう。

 ここはしかし医療の原点に立ち戻り、クランケの病状回復を第一と考える謙虚な広い心が必要であろう。

 いつもいつも後医になって、タナボタ式に甘い汁を吸えるとは限らず、その逆だって沢山ある筈である。しかし、自分が「迷医」になってしまっている例はなかなかつかみにくい。

 専門医に紹介して返事がきたものなら問題はないが、多くの場合は、クランケが一方的に逃げ出してしまっているわけだから、フォローできない。自らの誤りもわからないし、反省も不可能である。恐いことである。意を決してクランケに連絡をとってみるのが最良なのであろうが、なかなか勇気の要ることである。

 防止策はただ一つ、経過が気に入らない時には、ためらわずセカンドオピニオンを乞うことである。遅れてしまえば、医療訴訟にもなりかねないのだから、心すべきである。「病診」あるいは「診診」連携はまさにこのためにあるのでなかろうか。「迷医」から「名医」になるためには、ある程度年をくう必要はあろう。しかし、それ以上に、多くの苦い経験を積んで、人より一歩でも早く「迷医」を脱することでもある。

 医学的に多方面にわたる広い知識の摂取とたゆまない努力、そして高ぶらない柔軟な姿勢を持つことが要求される。口でいってしまえば簡単なことだが、実際にはなかなか難しいことではある。

 医師の理想は「前医」で「名医」であることである。

 

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これで良いのか 介護認定審査 大貫 啓三(大貫内科医院) 

 平成12年4月からの介護保険法施行に向けてのいわばリハーサルともいえる介護認定審査モデル事業が、10月下旬から5回にわたって行われました。

 今回の審査は、医師、歯科医師、社会福祉士、生活指導員、保健婦、看護婦の計6名が審査委員となり行われました。

 今回の審査では、先ず、調査員が訪問して作成した「基本調査」の内容をもとにコンピュータがはじき出した一次判定結果に対して、調査員が記載したその患者の「特記事項」と「かかりつけ医の意見書」を参考にして、審査委員会が、「基本調査」の内容の補足修正を行います(表1、表2)。「基本調査」と「特記事項」は同一調査員が記載するものであり、同一人が記載した「特記事項」で「基本調査」を修正することには違和感があり、さらにここでも厚生省の「かかりつけ医の意見書」をより重く評価する構図が見え隠れして、調査員に対して礼を欠き心地良いものではありません。その後、それを再び厚生省から配備されたコンピュータにかけて、一次判定の修正が必要かどうかをコンピュータが判定します。ここまでの判定はすべてコンピュータが行うことになっており、審査委員会の入り込む余地はありません。

 昨年と違い、本年のモデル事業では、コンピュータの一次判定は、〃絶対〃 で、基本調査項目の内容を見て、コンピュータがはじき出した一次判定を、審査委員会が 〃判定は妥当でない〃と直接変更することは禁止されており(表3-1-1)、すべて上記のような煩わしい手続きを踏まなければなりません。また、最終的に要介護度を変更する際も、変更適当事例に該当するか否かなどの同様の煩わしい手続きを踏む必要があります(表3、表4)。しかしながら、コンピュータが基本調査の内容から適正な要介護度をはじき出しているとは言えず、現実に本年度のコンピュータと審査委員会の一致率は、昨年の70%を大幅に下回る55%でした。

 コンピュータの信頼性を最も失わせた事例としては、基本調査に2〜3の異常行動と嚥下障害等を追加修正したにもかかわらず、コンピュータは逆に要介護度を低くした例も数例あり、これには審査委員一同驚かされました。

 このように、本年度のモデル事業では、修正および変更手続きの煩雑さや、コンピュータソフトの不備に翻弄され疲労困憊し、また、審査委員会にコンピュータの判定そのものを変え得る自由な裁量権はまったくなく、何のための審査委員会かと無力感に襲われました。さらに今回は、基本調査の修正作業等に追われる時間が多く、フリーな討論の時間をとれないのが実情でした。

 厚生省の介護認定審査に対する考え方、コンピュータソフトの不完全なこと、小規模自治体での審査委員確保の問題、十分なケアマネージャーの確保の問題、エンドレスとなる審査委員会業務に対する心理的肉体的な負担等々、様々な問題が山積しています。

 平成11年10月から始まる本番の介護認定審査を前にして、不安を募らせているのは私一人でしょうか。

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ナチスの強制収容所からのユダヤ人女性達を 助けたスウェーデン人女医の回想 福本 一朗(長岡技術科学大学)

 1945年の7月、ナチスの強制収容所を逃れたユダヤ人女性達がスウェーデンに送られてきた。当時22歳の医学生であったダールストレーム女医はノルチェピン市にある二つの国民学校を改造した戦時予備病院に招集された。病院船プリンス・カール号で送られてきた第1次の106名の患者達は例外なく痩せ果てていて中には30Kgしかない乙女もいた。大半は北ドイツのベルゲン・ベルセン収容所にいて、発疹チフスやバラチフスなどの致死性感染症にかかっていた。女性患者のうち若い娘達のほとんどは無月経症となり、収容所では性的な暴力だけでなく、身体的にも心理的にも甚だしい虐待を受けていた。そのうちの何人かは病院で満足な食事が取れるようになると、飢餓の時の反作用か際限なく食べ始めて、すぐに甚だしい肥満になってしまったほどである。大半はハンガリー・ルーマニア・ポーランドからのユダヤ人女性であったが、中には非ユダヤ系のポーランド人女性も混じっていた。彼女達は少なくとも肉体的にはみるみるうちに回復してきたが、心の病は長く続いていた。ある日、始めて病院の外を散歩させたとき、最初はおずおずと不安そうに街路を歩いていたがそのうち命が助かって自由になったことを実感して、信じられないほどの喜びを表現するようになった。

病院長はブラーメ上級医でその下には4名の医師が働いていた。ダールストレーム医師が担当した肌名の女性患者達は女医を「Frau Doktor」と呼んで慣れ親しみ、裁縫を許された彼女達は自分達の衣服だけでなく、女性医療職員達の服まで縫ってくれた。やがて回復した患者達は大部分がスウェーデン各地に生活するため送られ、病院には170〜180名の重症患者達だけが残された。退院した患者の一部は米国に移住したが、そのうちある女性達は半世紀を経た今でも感謝を忘れずダールストレーム医師に手紙を出しつづけ、旧交を暖めているとのことである。

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平成10年度病診協議会報告 石川 紀一郎(石川内科医院)
平成10年10月28日(水) 午後6時30分 会館「青善」

1.会長挨拶

 10月1日に実施された長期入院患者に対する入院管理費の削減措置などにより、今後在宅医療の比重は増大してくると考えられ、病診連携も益々その重要性を増してきている。当長岡市において三病院で相次いで病診連携室が開設されたことは誠に意義深いことであり、その活躍が期待される。

2.病診連携について

(1)各病院の病診連携室の現状報告

長岡赤十字病院 平成10年7月31日開設された。受付は8時30分から16時50分までで、それ以降は救急外来に管理が移行する。FAX電話により外部との連携を保ち、「病床の管理、空床数の把握」「紹介患者に対する返信の管理」「MR1、CTなどの検査の外部よりの直接受付」等を行っている。現在までの紹介患者は545例、FAXでの問い合わせは数件である。

長岡中央綜合病院 4月21日に開設。主たる機能として、「紹介患者のカード化による徹底管理、現在返信率は90数%」「MR1、CT検査などの直接外部受注による、高額検査機器のオープン化」。病床のオープン化、入院管理等にはこれから取り組んでゆく。

立川綜合病院 昨年10月開設。病診連携の一つの試みとして医療ソフト研究会を発足させ、一般A会員との交流を図っている。先日の研究会では3例の紹介患者についての検討が行われた。連携室は本年10月から医局の一室に移転しFAX電話を備え、この部屋を開放することで連携を深めてゆきたい。

(2)診療所より病院側への質問、要望事項

*救急患者のお願いは、今まで直接先生方に依頼していたが、今後病診連携室を窓口に依頼したらよいのか?

長岡赤十字病院 症状により科の判断がつく場合は、その科の外来へ依頼して欲しい。しかし、科名の判断がつかない場合は病診連携室に依頼してもらえば、症状により関係する科の先生に伝え対応することになる。

長岡中央綜合病院 現状では、事務員が最初対応にあたるので、直ちに対応できない事もありうるが、依頼があれば、その旨を担当医師に取り次ぐことはできる。

立川綜合病院 病診連携室に依頼して欲しい。

*各診療所から紹介した患者のその後の状況を知るために、病院を訪れたいが、その場合の対応をお願いしたい、またその場合病診連携室を窓口と考えてよいか?

長岡赤十字病院 まだ各主治医との完全なコンセンサスが得られていないが、前向きに対応してゆきたい。

長岡中央綜合病院 病診連携室が窓口となり先生方を案内する事になる。是非訪れて欲しい。

立川綜合病院 病診連携室が窓口となり先生方を案内する事になる。是非訪れて欲しい。

*退院時の病院側から患者への病状、手術内容、治療方針などについての説明内容を診療所側に連絡する際、きめ細かな配慮をお願いしたい。

*退院して、在宅医療に廻り、診療所で診ている患者の管理に病院側も積極的に加わって欲しい。

(3)病院側からの意見、要望事項

*病院側から診療所に患者を紹介する際、特に訪問着護ステーションなどを利用する場合、できれば打ち合わせのため病院まで出向いていただけるとよいと思う。

*病診連携室は、勤務医を病院一辺倒の立場から、より開かれた状況に適応させる意味もある。

*県立療養所悠久荘にアルコール依存症等の患者を扱う病棟が、来年4月にできるので治療にご協力をお願いしたい。患者が来院を拒む場合は、最初は家族だけでも来院して欲しい。

3.在宅医療に関する「医療機関機能マップ」について

 本年4月の会報にマップに多少改変を加えられたものが提示され、8月4日に行われたアンケート結果についての説明が行われた。即ち、96/99医療機関から回答が得られ、原案どおりにて可86、修正が必要5、その他4で、概ねの賛同が得られ、同時に多くの貴重なご意見をいただいた旨報告された。

 これに対して、在宅医療を行う旨の意思表示があれば、細かい機能の表示は不要なのでは?との反対意見も一部見られた。

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金魚の昼寝 郡司 哲己(長岡中央綜合病院)

 外の水鉢で金魚を飼っていても、その可愛らしい姿はよく鑑賞できないので、「長岡水族館」に相談に行った。名前はまるで公的な水族館のようだが、その昔長岡駅の汚い地下道で営業していた歴史のある小さなペット店である。病院の同僚で内科の本業も名医の誉れ高く、趣味の熱帯魚飼育と蘭や盆栽の達人と世評も高いT先生から、信用してよい小母ちやんが半分趣味でやっている熱帯魚専門店として、その存在を教わっていた。

 ガラス金魚鉢で金魚を飼ったら酸欠のようだが、アエレーションのポンプを使うしかないかと事情を話して訊ねた。それがいい、小さい水槽用ポンプは音も静かだと言う。ベテランの小母ちやんが、選んでくれた小さなポンプは音も静かで、値段も安くて、買うことにした。小母ちやんは、細い連結ホースと空気の吹き出し用の部品はただでよいと言った。家人が -たぶんお年寄りの零細企業なのに申し訳ないと考えて- その分も支払うと遠慮した。

「どうせ、今週でこの店閉めるんだがね。」とぽつりと言った。

「えっ、不景気のせいですか?」

「年も取って、体も利かなくなってきたしね。」と笑顔の小母ちやん。

なんだかしんみりしたが、お礼を言って好意を受けた。

 金魚鉢に底砂と水を入れ、部品を繋ぎ、ポンプの電源を入れた。勢いよく空気の泡が湧き上がる。庭の水鉢でメダカと泳いでいた二匹の金魚はすぐに環境の激変にも慣れたようでヒレを動かし始めた。丹頂は頭だけでなく、口元も朱色が挿して口紅を引いたように見え、小紅、オランダ獅子頭は三吉と家人が命名した。つまり雄の三ちやん、雌の紅ちやんのベアと家人は見立てたのである。

 なんでも文献学的研究癖のあるわたしは、ある日、図書館から金魚の飼育手引き書を借りて読んでいた。

「あれ、金魚の外性器による雌雄の見分け方なんてのが載っているよ。」と図解を家人に見せた。

 一分間程、金魚鉢に見入っていた家人は、その後きっぱりと断言した。

「三吉が雌で、小紅が雄だわね。間違いないわ。まるで逆さまだった。」

「じや、実はおさんどんとニューハーフ紅之丞だったということか。」

 その後、おさんが、腹を上にしてひっくり返って浮かんでいるのを、家人がよく見かけるようになった。

「この金魚まるで昼寝しているみたいよ。物音がしたり、餌をあげたりすると、はっと我に返ったようにくるりと普通の向きに戻って泳ぎ出すのよ。」

 そんな馬鹿な!と信じなかったわたしも、まもなくぽっかりと白い腹を浮かべ、のんびり背泳ぎしている金魚を目撃するようになった。

 ある日家人が本を持ってそばに寄ってきて、少し得意そうに言った。

「金魚のさんちやんの昼寝の謎がわかったわ。あれ病気なんだって。浮き袋の不調で起こるんだけど、命には別状ないそうよ。」

「なんて言う病気なんだい?」

「それがね、傑作なの。てんぷくびょう…ですって。」

 転覆病 -原因不明の難病で治療法も確立していないが、30度程度の高温にした1%濃度の食塩水で治ることもあると確かに記載があった。

 試して見たが、効果は一時的であった。それどころか、手違いでヒーターが、加温し過ぎて、元々燈赤色の金魚をあやうく真っ赤にゆであげるところだった。ああ、こわかった。

 てなわけで、金魚の三ちやんは毎日昼寝をしているのだ。

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