長岡市医師会たより No.247 2000.10
このページは、実際の会報紙面をOCRで読み込んで作成しています。 誤読み込みの見落としがあるかも知れませんが、ご了承ください。
表紙絵 「妙高 いもり池にて」 丸岡 稔(丸岡医院) 「長岡市内ラーメンの出る店」 若桑 隆二(長岡赤十字病院) 「山と温泉〜47 その28」 古田島昭五(こたじま皮膚科診療所) 「本会が市長表彰を受賞〜長岡市消防本部・消防署開設50周年記念式典」 「カラスの行水」 郡司 哲己(長岡中央綜合病院)
妙高 いもり池にて 丸岡 稔(丸岡医院)
長岡市内ラーメンの出る店 若桑 隆二(長岡赤十字病院)
今年の新年の抱負に長岡の「ラーメンの出る店」全制覇!などと書いたら、原稿依頼が来てしまった。現在「まる家」で128軒目となるが、この間にも「味の横綱」や「ちいさなラーメンやさん」などが消滅したり、うどんの 「も○八」 がラーメンの看板を出すようになったり、「ラーメンし○ず」が分店を出したり、六日町の「龍○」が長岡にも進出して来たりで、長岡のラーメン事情にもかなりの動きがあった。
時は昭和40年代後半、大塚北口駅前のラーメン屋のカウンターで昼飯にラーメンを啜っていると、頭上のテレビが中華料理店症候群(CRS)について解説していた。「ラーメンを食べた後気分が悪くなり、口や舌が麻痺したり、目眩、かすみ目、頭痛などの諸症状が起こることがある。L−グルタミン酸ナトリウムの摂りすぎによるものらしい」と。目の前を見ると、店の主人がカウンターの上のボールに入った白い粉を玉杓子ですくっていた。一瞬、目と目が合い、沈黙の時が流れ、苦笑い。私の食べているのはラーメン・ライス。当時の定番。これでポッキリ500円。消費税無し。ラーメンが主食かライスが主食か不心議な組み合わせ。しかし、貧乏学生の腹は一杯となり幸福の時を迎える。この頃から私とラーメンの本格的つきあいが始まったと記憶している。
世は平成。ラーメンは進化を遂げ、醤油、塩、味噌、トンコツ、中国麺に油麺と分化し、ご当地ラーメンや激辛の時代を経て、昔のラーメンがLamenなら今はファッション化、スナック化されたRAMENに変身。主人の経営方針を前面に出したご当人ラーメンが主流となっている。醤油ラーメンは基本的には、ドンブリに濃縮醤油タレを入れ、スープを張り、茹でた麺を入れ、トッピングして出来上がり。なんと単純な行程。屋台のオヤジにも出来る。この単純作業の中に作る側のこだわりと食べる側の蘊蓄が渾然一体、曖昧模糊。さらにマスコミ、口コミに踊らされ、一杯のドンブリの中に魑魅魍魎の世界を再現しているのが現在のラーメン。うまい店の寸胴の底には成仏出来ない沢山の骨が眠っているのだ。しかし、花らグルタミン酸世代の支那そば愛好家は豚骨スープだろうが、鶏がらスープだろうが、チャーシュウの枚数がどうの、メンマの歯触りがどうの、海苔が有ろうが無かろうが、何にも文句は言わず、ただひたすら食べ (飲みも加わる)、旨いか不味いかのみ。大体がラーメン評論家なんて輩は、自称グルメの似非評論家が日本料理やフランス料理の奥深さに付いていけず、身近なB級食材「ラーメン」に蘊蓄たれるようになっただけ。ワインと違って、ラーメンに蘊蓄たれても誰も褒めてはくれんのよ。だから私もラーメンは食べても蘊蓄はたれない。
長岡はラーメンの激戦区と言われて久しい様だ。特に醤油系の競い合いに凄みがある。私がこの地に足を踏み人れて10余年、長岡ラーメンの基本は「スープはやや濃いめの醤油味」、「コシのある中太縮麺」、「チャーシュウは肩肉のスライス」と悟った。「あ○き○」、「青○食○」の両巨頭に「み○さ○」、「と○ち○んラーメン」、「栄○ラーメン」、「又○屋」などが追従し「拉○家」、「ラーメンし○ず」「ラーメンみ○み」、「じ○ん○ゃ○亭」などが殆ど同じ系列で並び、味が濃いとか薄いとか、生姜が多いとか煮干し臭いとか、チャーシュウが厚いとか薄いとか、肩ロースだとかバラ肉だとか、メンマが柔らかいとか堅いとかの差で競っている。細麺で薄塩醤油味の支那そばは「上○屋」、「栄○楼」、「与○楼」、「王○和」などに生き残り、最近主流のギトギト背油入り濃厚豚骨醤油系は皆太麺で 「安○亭」、「ら−めん処・○」、「め○き○」、「ラーメンげ○き」。これは体調の良いときに食べるとしよう。
「東京ラーメンは明治43年、広東料理・来々軒で尾崎貫一さんが支那蕎麦として出したのが始まり、味噌ラーメンは大宮守人さんが味の三平で味噌味めんとして出したのが始まり」などと教えると決まって 「長岡ではどこのラーメン屋が美味しいですか?」と簡単に聞く人がいる。
「オイオイ。絶対味覚をもった私と並の味党を持ったあんたとじゃ、うま味感覚受容体の数も脳内アミンの量も違うんだから、そんな質問は野暮というもの。いいとこだけつまみ食いはいけないよ」とは言うけれど、相手の風体を観察し、大飯喰いには「ラーメンげ○き」「ど○ん○」、「金○屋」などのチェーン店を、肉体労働を主とする人には味が濃く量の多い「ラーメン松○郎」、「安○亭」、「ら−めん処・○」。若い女性には店の椅麗な「桂○・あ○き○」、「龍○」、「ポ○ル」など。おばちゃん達には主人に癖のない「栄○楼」、「ら−めんハ○ス勘○郎」「吉○や」を。ラーメン通にはやっぱり「ラーメンし○ず」、 「い○井」「高○屋」。酒飲みには「中○大○」、「兼○紗」、「長○亭」など夜の営業店を教えることにしている。
今ではラーメンはラーメン屋だけでなく、レストランでも大衆食堂でも蕎麦屋でも出てくる。長岡のちょっと変わった所で味わえるラーメンと言えば、焼き肉屋では「ス○ミ○苑」。トンカツ屋では「馬○」。居酒屋では「よ○う○」。寿司屋では「米○寿○」などがある。酒に「幻の酒」があるのだからラーメンにも「幻のラーメン」が有っても不思議ではない。長岡の「幻のラーメン」と言えば、スナック「馬○骨」のマスターが提供するラーメン。アッサリ支那そば系で飲んだ後には最高との噂を聞くが、私はまだ未経験。他にも幻のラーメンがあるか探索中である。
最後に長岡ラーメングルメ・クイズを一つ。
1.横浜地区から門外不出の 「サンマーメン」を出す店は?
2.塩ラーメンにみじん切りの長ネギを多量に入れる店は?
3.ラーメンの麺の替玉ができるは?
4.ラーメン党の木久蔵師匠の写真を貼ってある店は?
5.チャーシュウ麺が二階建てとなったダブルチャーシュウを出すは?
この店が全て判る人は既に長岡ラーメン通。判らなかった人はあちこち食べ回って探し出して欲しい。全てこの原稿に登場したお店だ。
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山と温泉〜47 その28 古田島昭五(こたじま皮膚科診療所)
二:小赤沢・日陰沢・坪場道
この登路は、苗場山頂西端に出ます。近年多くの登山者が入るようになりました。それは、車で3合目(1310米)迄入り、9合目(2000米)、坪場(2036米)、平頂部取付き、上ノ原からの登路合流点(2060米)迄比高約800米、上ノ原道に次ぐ最短距離、登高時間4〜5時間、平頂部で1時間と、苗場山登路の内、最短時間、楽に日帰りが可能である事。もう一つは、昭和59年開削、開湯の小赤沢温泉・楽養館 (長野県栄村振興公社経営)がある事。酸化鉄の赤い湯で小赤沢沿いにあり、登路が川の対岸にあって、下山後一浴に都合が良い事、などが入山者を多くしたものと思われます。小赤沢温泉楽養館浴室の壁に苗場山登山案内が貼ってあります。それを書き写します。
「小赤沢より四時間の行程」
各合目と標高
1合目:940米 2合目:1120米 3合目:1310米(水場・駐車場) 4合目:1470米(水場) 5合目:1580米 6合目:1750米(水場) 7合目:1880米 8合目:1940米 9合目:2000米 10合目:2145米 山頂ヒュッテ(苗場山自然交流センター:栄村振興公社)
一部解りにくい箇所は書き加えました。尚、古くから在る山頂小屋の遊仙閣は、現在、高波菊男氏経営と聞いています。
大赤沢集落から国道405号線を行くと、間もなく硫黄川を渡る。橋までの道が狭い。橋を渡ると長野県。道は広くなる。暫く行くと、凡そ60世帯の小赤沢集落に入ります。小赤沢集落の地籍は長野県下水内郡栄村小赤沢。秋山郷では最大の集落。栄村役場の出張所、統合された学校がある。バスは、南越後観光バスが、津南町との間に6往復運行しています。運行数、時間は季節により変わりますので利用の際は津南町のバス営業所で確かめて下さい。
南越後観光バス津南営業所 0257−65−3647
バス利用の場合は、時間的に日帰りは出来ませんので、泊まることになります。宿泊施設は、旅館1軒・民宿9軒があり、宿泊には不自由はありません。但し、前述の小赤沢温泉・楽養館(栄村振興公社経営) は所謂日帰り入浴温泉施設、入浴、休憩、食事のみで宿泊施設がありません。料金は、500円。宿泊については「秋山観光協会」0257−67−2202、又は、「栄村テレホンサービス」0269−87−3100にお尋ね下さい。情報が得られます。車では、国道を小赤沢バス停の先の橋で小赤沢川を渡り、すぐに左折、家並みの軒先をかすめて山に向い登る。間もなく家並みが端切れると、狭い砂利路の山岳道路となる。小赤沢林道です。急カーブを繰り返し曲がりながら暫く行くと、左側に登山道(歩道)入口の標柱がみられる。更に右に迂回しながら行くと、T字路となり、右からの広い砂利路・上ノ原からの林道と合流し、左折、沢に向ってゆっくり下る。楓沢の上部を廻り、小赤沢本流の日陰沢に入る。此処が3合目、標高1310米、沢は平坦となり、コンクリート橋を渡ると、山腹を削って開き、砂利を敷いた広い駄車場と、木目新しいトイレが出来ている。広い駐車場の出来る前迄は、渓流釣りの人達の車で賑わった事がありますが、最近は登山者の車の方が多いようです。
小赤沢から歩く場合は、前述と同じ登山口から入り、小赤沢左岸を登る。又、温泉楽養館前広場から、草叢の路を川岸に向い歩行者用の挟い橋を渡り、左岸の登路入る。路は、大膳ノ滝近くを捲くようにして林道から離れ、沢路行く。日陰沢の下流部を右岸に渡り急登、暫くして、登りが緩やかになると3合目、広い駐車場に出る。3合目登山口は、駐車場の東側隅に「信州秋山郷苗場山登山口」の標柱と、「入山届けの箱」が置いてあるので分かりやすい。入山届けの箱の脇から少し下り、薄暗い湿った雑木林の登路を登りだす。次の4合目、6合目にも水場はあるが、此処の水場のように水量豊富ではないので、十分な水の補給が必要。此処から急登が始まる。頂上まで一本道。始めは緩やかに登り、派生尾根稜線に一挙に登る。雪崩、豪雨で崩れた山肌を見ながら喬木の樹林帯に入る。登路は6合目、7合目より9合目坪場へ比高約200米、一挙に急登となる。9合目坪場は坪場峰(2036米)の肩で上ノ原登山道二・「上ノ原道」と合流する(2020米)。急坂が緩やかになり、空が晴れ、池糖が見え草原となり、草原の木道を行くと樹林帯に入り、抜けると平頂に出る。間もなく赤倉道(2115米)と合流し、左折、頂上平頂台地を北東に向かい平坦な木道を40〜50分で一等三角点苗場山頂に到る。この登路を降り小赤沢に向おうとして積雪のため降路を見失い、目的を達し得なかったという旧い紀行文があります。昭和6年8月「婦人の友」に掲載されたもので、筆者は木暮理太郎。苗場山登山は昭和4年6月初旬と記載されている。木暮理太郎氏は、友人と二人で現在の上越線が上野・沼田間開通を待っていたかのように列車で沼田に人り、三国街道からは法師温泉に一泊、雨の三国峠を越え、元橋から浅貝川を徒渉し赤湯温泉に入っています。「四時間許りで…赤湯温泉に達する」との記載がある。昭和6年では大変であったのでしょう。木暮氏等二人は、翌日、霧の中を赤倉山経由の「赤倉道」を赤湯温泉で雇った案山人と登る。 大量の残雪のおかげで昼までに頂上龍堂小屋に着いている。「……絶頂の巨岩下に達したのは午後一時である…岩の上には小さい銅像仏が安置され賽銭があげてあった……」山頂の様子が書かれている。このあと、小赤沢に下る目的で案内人と別れ、案内人に教えられた路を降り始めたが、雪が6尺から1丈2、3尺 (約1.8〜4メートル)積もっているので自由に歩けるが、降り口、下山道が判らず、加えて霧で視界全く利かず、崖の上に出て仕舞うなど、彷徨、午後3時頃には、雨が降りだしたため、雪上の踏み跡をたどり赤湯温泉に引き返している。苗場山登行の紀行文に、「秋山郷に降る下山路が判らなかった」、「降り始めたら路が森のなかにきえてしまったので難渋した」の記載を見る事がある。最近ではそのような事は無いと思われるが、積雪期、新雪・残雪期では平頂の山だけに、絶え間なく発生する濃い霧を加えて注意せねばならない。登山好期であっても、終日晴天は望めないと考えてよいので、広大な頂上、平頂の山は先ず下山路の入口を確認しておいてください。
追記
登山道には、エスケープルートがあります。即ち逃げ道で、登山できない場合や事故が起きた場合に利用します。調べておいて下さい。(つづく)
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去る10月8日、長岡市役所において「長岡市消防本部・消防署開設50周年記念式典」が執り行われ、席上、当医師会が永年の救急医療に対する功労により長岡市長表彰を受けました。
斎藤会長(左)と森市長(右)
なお、救急医療功労関係では、毎年救急の日にちなんで厚生大臣表彰も行われており、平成4年に当医師会が、平成11年に長岡赤十字病院が、今年は長岡歯科医師会が受賞しております。
夏のある朝、家人を誘って魚獲りに出かけた。行き先は近所の山里を流れる用水である。狙いは小さな色鯉を数匹というところ。毎朝散歩で歩く道沿いの用水だが、稲刈りの頃であり、数日前から流れる水量がすごく減ったが、そこを色鮮やかな小さな鯉が群れて泳いでいるのであった。どうやら上流で錦鯉の養殖を生業とするひとたちが、選別して見込みの薄い幼魚を池から流れに放してしまうらしい。でも素人の目には、その辺の用水路をハヤやオイカワなどの雑魚に混じって、色鯉が泳いでいるのは感動ものである。だんぜんに美しい。
そこで次の朝、さっそくにこの小鯉を捕獲して来て、我が家の豆ひょうたん池のメダカの仲間に加えようというわけである。掬うための柄付き網と小さなバケツを持ち長靴を履いて、ドタドタと家人と出発。
わずか十分間の到着までの坂道であったが、おりから車で通りかかった御近所さんは、われわれ中年夫婦の「夏休みの少年少女」の風体に微笑んで手を振って行った。
「笑われちゃったね。」 と家人。
「へっちゃらさ。大人であればこその遊び心なのさ。」とわたし。「ほらね、ちいちゃいけどさ、けっこうきれいなのがいっぱい泳いでいるだろう?」
ふたりで川に入ってちゃぷちゃぷと魚を追う。童心に帰れますね、これは。ところでこの小魚ってやつが実にすばしこい。さっと網に入れるのは、なかなかたいへんな技術なんですな。あちこちにいるザリガニを掬うのならしごく簡単なのでありますが。
それならばと人間さまもない知恵を絞り、伝統的挟み撃ち作戦。自分が網で待つ方へ、家人に川下から追い立ててもらった。作戦成功せり、ふふふ。こうして短時間の夏の川遊びであったが、数匹の数センチサイズの色鯉を捕獲した。これを持ち帰り我が家の水替えをすました超ミニ池に放したのであった。
ところが数日して、この小さな池から新参者の色鯉の姿がすべて忽然と消えた。その理由は謎に包まれていたが、近所の猫にでも捕られたのかなあと話し合っていた。
よく日向ぼっこに来たり、餌台に来る小鳥に飛び掛ったりしている白猫がいる。犯人はあいつに違いないということになったのである。
その数週間後のことである。
「あのひょうたん池でカラスが水浴びしてんのよ。驚いちゃった。お昼過ぎにバシャバシャと庭で大きな水音がするんで、びっくりして行って見たら、なんとカラスがあんな小さな池にすっぼり浸かっているの。」
家人は近寄ると大きな声を上げてカラスを追い払った。当のカラスは近くの枝に留まって去ろうとしなかったらしい。しばらくすると再び水浴びの音が聞こえ、行ってはまた追い払ったというのである。
「ほほう、カラスの行水と云うにしては念入りな奴だな。よほどのきれいい好きとみえる。」
「感心している場合じやないわよ。ときどきあの池に水飲みに来るペアのカラスがいるのは知っていたんだけれど。まさかどっぷり水浴びまでしてるなんて。例の鯉を捕って食べちゃったのは、カラスなんいじゃないかしらね?」
それはおおいにありうる話だ。思わぬ展開で、真犯人の目星がついたものである。
犯人は必ず犯行現場に戻る、とか。白猫はいわゆる冤罪だったのかもしれないと反省しきりの夫婦である。