長岡市医師会たより No.275 2003.2

このページは、実際の会報紙面をOCRで読み込んで作成しています。 誤読み込みの見落としがあるかも知れませんが、ご了承ください。

もくじ
 表紙絵 「二月末の八海山」   丸岡  稔(丸岡医院)
 「「先生」雑話」        渡辺 正雄(渡辺医院)
 「無趣味で特技のない老骨」   窪澤  東(長岡療育園)
 「私インドア派です」      米山 健志(長岡赤十字病院)
 「新年ボウリング大会優勝記」  窪田  久(窪田医院)
 「新年麻雀大会優勝記」     高橋 剛一(高橋内科医院)
 「新年囲碁大会の報告」     斎藤 古志(さいとう医院)
 「新会館事業の動向〜その9」  会館建設資金運営小委員会委員長 佐々木公一
 「開放型病床(オープン病床)について」 理事 富所 隆(長岡中央綜合病院)
 「「剣客商売」の新シリーズ」     郡司 哲己(長岡中央綜合病院)

二月末の八海山   丸岡 稔(丸岡医院)

「先生」雑話  渡辺 正雄(渡辺医院)

 「先生」とは

 先生と呼ばれる人達は数多い。教師、弁護士、代議士、芸事の師匠などなど。我々医師も古来先生と呼び慣わされて来たが、一体「先生」とは何なのか改めて考え直してみた。辞書で「先生」を引くと次のように出て来る。

1.先に生まれた人。年長者。(年嵩(としかさ)だけでも先生なのだ。)

2.学芸に長じた人。学者。師匠。

3.医師などその道の専門家。指導的な立場の人を敬って言う語。

4.師として教える人。教師。

 先生というのは偉い人なのだ。

 辞典に出て来る先生

 いろいろな辞典に半ば成語のように出て来る先生を挙げてみる。

1.甘藷先生 青木昆陽。江戸中期の蘭学者。さつまいも栽培で有名。

2.古学先生 伊藤仁斎。江戸初期儒学者。古義学派の祖。

3.駿台(すんだい)先生 室鳩巣。江戸中期栄子学派の儒者。住所が駿河台。

4.五柳先生 陶淵明。晋の詩人。家に五本の柳の木あり。

5.銅脈先生 畠中観斎。江戸中期狂詩作者。片屈道人とも。讃岐の人。銅脈=にせがね、にせもの。銅脈者=ならずもの。

6.寝惚(ねぼけ)先生 大田南畝。江戸後期狂歌師。

7.袴(ちょ)先生  「紙」のこと。韓愈が擬人化して称した。

8.烏有(うゆう)先生 架空の人物のこと。漠の司馬相如が「子虚賦」 の中で仮設した人物。烏有=「いずくんぞ有らんや」 の意。

9.道学先生 道理道徳を重んじるあまり、世事や人情に暗い学者と軽蔑したりからかったりして言う語。

10.閉戸(へいこ)先生 楚の孫敬のことだが、この人は大変な人なので項を改めて。

 

 閉戸先生のこと

 この奇妙な語感の先生のことを私は最近まで知らなかったが、先日パズル誌の問題で見たので調べてみた。

 孫敬は三国時代の楚の学者だが、常に家に閉じこもって読書にふけり、眠くなると首に縄を巻きつけ、これを梁(はり)にかけて眠らないようにしたという。だからこの先生がたまに市(まち)へ出かけると、人々は珍しがって閉戸先生が来たと大騒ぎしたという。何故人々が騒いだかは文献には書いてないが、物珍しさや尊敬の意味だけではないような気がする。前出9の道学先生と同じく世事に暗いことを蔑り、からかう気持があったのではないかと私には思えてならない。あまりにも一途(いちず)でプライドが高いので一たん誤りがあると大変である。

「閉戸先生、間違うと首くくり」(雑俳柳多留)

 話は少し変るが、私の恩師の教授(医学部ではない)が、退官を前にして「これからは私の専門分野の本が思いきり読めるのでとても嬉しい」と言っておられた。そして事実、退官後は書斎に引きこもりで読書に没頭された。閉戸先生になられたのだ。先生はまたかねがね「あのアルツ何とかというドイツ人にはなりたくないもんだね」と言っておられたが、一年余りで見事にそのドイツ人になってしまわれた。どうも一つのことのみに熱中して他事をかえりみないことはよくないようである。ふだん脳のごく一部しか使わないので、脳の他の部位との交流機能が衰え、廃用萎縮してしまう。ものにならなくてもよいから何にでも首をつっこんでおいた方が良いらしい。

 からかわれる先生

 辞書の「先生」の項を引くと最後の方に、「近世後期になって、なれ親しむ気持や、少し軽蔑の気持をこめて相手を呼ぶ時に用いる」と書いてある。「やっこさん」とか「大将」とかと同じ意味である。人を無闇に先生と呼ぶ風潮や、呼ばれて得意になっている人をからかっているのである。落語では「先生」とは「先ず生きている」(どうにかこうにか、やっとこすっとこ生きている)とあざける。まあそこまで落ちることは無いとして、辞書の前の方に出て来る偉い人の意味で「先生」と呼んでもらいたいものである。最後に先生をからかった川柳でしめくくる。

「先生と言われる程の馬鹿でなし」

「先生と言われ手前の虚仮(こけ)を知り」 ※虚仮=おろか

「先生と呼んで灰吹き捨てさせる」

 

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無趣味で特技のない老骨  窪澤 東(長岡療育園)  

 このたび、長岡市医師会に加えていただきました窪澤でございます。田辺先生から自己紹介を書くように指示されたのですが、元来作文が苦手な上に、標題のような男でございますので、駄文で紙面を汚すことになってしまいましたが、どうぞお許し下さい。

 外国に行ったことがなく、車の運転をしないことを誇りとしている男で、趣味は、少々の晩酌、盆栽の世話、我流の囲碁を少々やるくらいなもので、至って無粋な人間でございます。

 寺泊の寺院で生まれ育ち、旧制巻中学校を経て、戦争末期に旧制岩手医専に入学。卒後インターンを長岡赤十字病院で修了しました。

 国立療養所に勤務し結核外科を学ぶと共に、新潟大学病理学教室で、故伊藤教授、故藤巻教授の御指導で病理学を学ばさせていただきました。

 県内国立療養所の13年余の勤務の後、上京して定年まで一般病院に勤務しました。現在は、さいたま市に住んでおりますが、長岡の街は子供の頃から、かつての長岡鉄道を利用して買物や親戚の家に来たことなど、戦災の前の街並みが思い出され、懐かしい思い出が多々ございます。

 3年前に親戚でもある田宮さんに「うちの施設を手伝ってくれ」と言われ、断ることもできずに 「長岡医療と施設の里」で仕事をしております。

 この度、重症心身障害児施設長岡療育園と田宮病院とを兼務で手伝うことになりました。

 長岡療育園は、医療法に基づく病院でもあり、重度の知的障害と重度の肢体不自由を併せもつ児童や成人を対象とし、具体的にはその大半が脳性麻痔の患者さんですが、常時呼吸管理を必要とする患児も少なくなく、このような人達の生命保全をはかること、その人問性を守ることを目指して、小児神経内科の専門医である小西園長以下6名の常勤医と数名のパート医が入所者と外来通園者の診療に当たっております。

 入所等の手続きは、児童相談所で行われますが、この12月から入所定員が6名増えて140名になりました。

 私など、小児神経疾患診療経験のない老骨の出るような幕ではございませんが「枯木も山の賑わい」 の役でも果たせればと思っております。

 

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私インドア派です  米山 健志(長岡赤十字病院)

 小池宏先生の後任として新潟大学より参りました。私、もともとは小国町の出身でして、「よねやま たけし」ではなくて「こめやま たけし」と読みます。これは小国地区独特の読み方のようで、旧3区で名前をいうとすぐお里がしれてしまいます。今までに出張した病院は竹田綜合病院(会津)、長岡中央、佐渡総合、県立中央(高田)など。大学では小児の先天性水腎症、膀胱尿管逆流症、二分脊椎症、その他神経困性勝胱をやっておりました。また個人的に漢方医学にも興味があり、自学自習している最中です。

 さて大学生時代はラグビーなどをやってはおりましたが、本来は出不精で面倒くさがり屋なので、スポーツやキャンプ・釣りなどのアウトドアはほとんどたしなみません。一番好きなのはお酒を飲みながらつまみを食べつつ本を読むという極めてお行儀が悪い行動でして、いつも妻にしかられながらも言うことを開かずに続けています。家には中学生時代から買い始めた海外SF小説をはじめとして、ミステリ、歴史小説、ノンフィクションなどおそらくは二千冊位はあり、加えてコミックも数百冊はあるかと思います。元々記憶力があまり良い方ではなく(酒の飲み過ぎでさらに悪化しているようですが)、内容をよく覚えていない本も多いので老後の楽しみにとひそかに思っていました。しかしよく考えてみると、そのときまでもそれ以降も本は買い続けるわけなので、いまある本を読む暇は永遠にないかもしれないと気づいてしまいました。しようがないので息子への遺産というふうに今は思っています。

 平成14年の11月に赴任して3ケ月間がたち、すでに沢山の会員先生方にお世話になっております。もともと乱筆乱文なのですが、忙しさのせいにしてさらに判別しがたいような文字でお手紙を書いてしまい、ご立腹された先生もおられるかもしれません。この場をお借りしまして謝罪させて頂きます。

 それでは皆様よろしくお願いいたします。

 

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新年ボウリング大会優勝記  窪田 久(窪田医院)

 1月16日に、アルピコボウル長岡で医師会の新年ボウリング大会が20人ほどの参加人数で行われまし

た。この大会には普段の月例会にない豪華な賞品がついており、優勝者は立派なトロフィーを手にすることができるため、いつになく気合が入ります。昨年の大会では気合が入りすぎ、スプリットとスペアミスの連発で、しよつぱなから126点と出遅れ、その後も調子が上がらず、150点平均しかだせず、大変落ち込んだものでした。今年も出だしは不調で、スペアミスを1ゲーム目の前半で2回もしてしまい前半5フレで66点と出遅れてしまい、昨年の二の舞かと思っていました。しかし、ここから怒涛のストライクラッシュがはじまり、最初のゲームを195点とうまくまとめることが出来ました。その後もスペアミスは多少あるものの4ゲームで27個のストライクがでて、合計785点で5回目の参加にして初めて優勝を飾ることができました。今年で34年目となる大きく立派なトロフィーは、部品がとれていたり、ネジがゆるんでガタガタしたりで、さすがに年輪が感じられるものでした。トロフィーを家に持ち帰って修理したあとに、たくさんついているペナントから優勝回数を調べてみました。最多優勝は茨木政毅先生の7回、次いで野村権衡先生の4回で、この両先生はメディカルボウリングクラブ発足時以来30年以上ずっと上位で頑張っておられ、本当にすばらしいことだと感心しています。ついで優勝3回は亡くなられた鈴木宗先生、OBの鳥羽嘉雄先生、現役の中村敏彦先生、優勝2回はOBの三上英夫先生、笛田孝雄先生と現役の田村隆美先生でした。優勝1回は宇野晃先生、内山聖先生、杉本伸彦先生、明石明夫先生、小林司先生、福本一朗先生、高木正人先生でした。長年メディカルボウリングに参加していた父のペナントがなく残念でしたが、これからは私のペナントをもっとこのトロフィーにつけられるように頑張りたいと思います。

 私がマイボールを買って一生懸命練習するようになってから約2年になりますが、一昨年と昨年との全ゲームのデータを比較してみると、アベレージは178から186、1ゲームあたりのストライクは3.8から4.4と向上していました。そして年間ゲーム数は809から1565に増え、よくぞここまでボウリング場に貢いだものだと我ながら感心してしまいました。

 長岡のどこの本屋にも置いていない月刊ボウリングマガジンを年間購読し、インターネットでのボウリング用品の通信販売のホームページをチェックするのが私の日課のようになっています。「電光石火のレスポンスを誇る」とか「ミッドレーン専用の凄いやつ」などのセンセイショナルな宣伝文句に踊らされ、ついついボールが欲しくなり、昨年はボールを7個も買ってしまいました。まさに「ボウリングおたく」となっています。しかし、よいボールをもち、大切にメインテナンスすることでスコアが上がるのも事実で、私の昨年のパーフェクトゲーム達成も練習や精神力や運だけでなく、自分にあったボールに助けられたものと思っています。

 ストライクを多く出すためにはボールが曲がることが大きな要素のひとつです。それはボールが曲がることによって、ストライクのでるコースが格段に広がり、多少のコントロールミスをしてもストライクになる確率が高くなるからです。多少なりとも曲がるボールが投げられる人は今はやりのハイテクボールを買えばかなり曲がるようになります。ボウリング場にあるハウスボールや初心者用のセットのボールはあまり曲がらないボールがほとんどなのです。

 また、現在主流となっている曲がるボールはオイルを吸う性質をもっており、たくさん投げることにより、レーン上のオイルを吸って性能が落ちてきます。そこで、投球のたびにオイルをよく拭きとること、一日投げ終えたら専用の液体をつけてボールをきれいに拭くことが大切です。そして、一般的には30ゲームくらい投げたらオイル抜きという作業をした方がよいといわれています。オイル抜きの方法はいろいろとありますが、私のお勧めは、ボールを70度ぐらいのお湯に10分くらいつけておき、オイルがでてきたら中性洗剤で洗ってから拭いておく方法です。せっかくよいボールを買ってもメインテナンスが悪いとボールの性能もすぐに落ちてしまいます。

 ボールの曲がりが大きくなることでボウリングはより楽しくなり、ストライクも多くでて、スコアも格段にアップすることと思います。

 

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新年麻雀大会優勝記  高橋 剛一(高橋内科医院)

 平成15年医師会恒例の新年麻雀大会が1月25日、雀荘「しらかば」 で行われました。一時期参加者が少なく、数年間大会が成立しなかったことがありましたが、前幹事鈴木丈吉先生の尽力でここ「しらかば」で開かれるようになってから、毎年何とか続いているようです。平成13年に鈴木先生がめでたく優勝し、幹事が富所隆先生に代わりました。優勝したら幹事を辞めてもよいという不文律はなかったのですが、前々幹事の私がうっかり優勝したら幹事を交替してもいいですよと無理やり鈴木先生に押しっけて、これで当分大丈夫と安心していたのに僅か数年しかもちませんでした。(私は10数年務めました)そして昨年から現在の富所先生に代わったのですが、優勝にこだわらず、どうぞ末長く幹事を引き受けて下さいますようお願いいたします。さて毎年幹事が一番頭を悩ますことはメンバー集めでしょう。今年は17人もエントリーしており助人なしで4卓になると張切っていたのですが、結局3卓になってしまいました。しかし参加された先生方は紅一点の児玉先生をはじめ、ここ数年間の優勝者がすべて揃い、なかなかの強力メンバーで激戦が予想されました。

 ところで何故か「しらかば」は私にとって大変ゲンの良い所で連続2年間続けて役満をあがったことがあり、3年連続を目指して欲をだしたら残念ながら駄目だったのですが、毎年そこそこの成績をあげておりました。大会の目標として、できることなら原稿用紙がつかず、なおかつ自尊心を満足させる程度の上位を狙っております。しかし現実はそんなに思うようにはいきません。

 今年の一回戟、昨年は体調の関係でほとんど麻雀をしなかったので、少しばかり張切ったせいでもないと思いますが、一回戦の途中から一年分のツキが一遍にきたようで、面白いようにドラが集まり、リーチであがると、裏ドラがまとまってついたり、挙句のはてにハイテイで2回もあがり、そんなに一人であがって面白いかねーなどのぼやきを聞きながらひたすらあがり、結果、半チャンでプラス7万5千点ほどのバカヅキでした。メンツの田辺、下田、鈴木先生には1局目から大変がっかりさせて申し訳ありませんでした。

 2回戦は郡司、富所の両強豪とベテランの田辺先生がお相手でしたが、ゆっくり手を楽しむゆとりがあり、役満のテンパイをくずしただの満貫であがるなど、キザなことをしました。これにより幹事の特別の計らいで「印象の深かったあがり」賞をいただいてしまいました。結果は僅かの沈みでした。

 3回戦は例によってつぶし合いで相手は西村・郡司・吉川先生で、2位の郡司先生には前回私の優勝した時、猛烈に追いあげられたことがありました。今回は5〜6万の差があったので、原稿用紙を覚悟しましたが、あまりみっともない打ち方をしてツキをおとすと、今後の麻雀に影響がありますので、慎重にかつ余裕をもって、TVの相撲を観戦しながら、霜鳥の勝ち越しを確認、気分よく打ち、プラス8万5千点あまりで優勝してしまいました。2位は郡司先生。途中、隅の方で富所先生が、大会でブービーなんて初めての経験だなと、ぶつぶつとくどいているのを耳にしましたが、終わってみれば3位とは恐れ入りました。

 なお児玉先生や比較的若手の先生方ともお手合わせしたかったのですが、僅か3回戦のためお相手ができず残念でした。ともあれ新年早々私にとって大変楽しいひとときでした。来年もまたぜひ参加したいと思います。できれば息子と一緒に。

 最後に幹事ならびにお相手された先生方、本当に有難うございました。

 

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新年囲碁大会の報告  斎藤 古志(さいとう医院)

 恒例の新年囲碁大会は2月1日に魚藤で開催されました。参加された先生は太田裕、大塚武司、金沢信三、黒川和泉、小林矩明、杉本邦雄、高須達郎、増村幹夫、吉田正弘、それに私の10名です。(敬称略五十音順)

 辛か不幸か、決定戦で辛勝した私が今年も筆を執る役目をいただいてしまいした。先月の「ぼん・じゆ〜る」で優勝の原稿を書きたいとおっしゃっていたS先生、すみませんね。

 私達の仲間の近況につきましてはS先生が紹介して下さいましたので私としては別な話題を見つけるのに苦労しました。その挙句、ある偉い方の作品を引用してお茶を濁すという定石はずれに思い至りました。どうかお許し下さい。

 プロ棋士に、中山典之という六段の先生がおられます。棋士名簿によりますと現在70才でおられます。

 私は全く面識がないのですが、本職の棋戦における活躍よりも文士としての才能が高く評価されていますのでご存知の方も多いことでしょう。

 著書は伝記物、囲碁史、解説物など多岐にわたり何百冊もあるとのことです。また囲碁誌には必ずと言って良いほど中山氏のエッセイなどが載っていますが、控え目でいて機知に溢れ軽妙な文章で私は大好きです。

 その中山氏の類(たぐい)まれな才能のひとつに「いろは歌」の製作というものがあります。蛇足ながらいろは歌とはいろは四十七文字(または四十人文字)を一度ずつ全部使って作る歌のことです。中山氏は囲碁を詠みこんだいろは歌を驚くなかれ千首以上作ったというのです。これを天才と言わずに何と言うべきでしょうか。

 かなり前に私もいろは歌を作ってみようと試みたことがありますが文学的感性とボキャブラリーの貧困のために、一首もできずに諦めざるを得ませんでした。

 何年か前に中山氏が熊本県の植木という町に講演に招かれた時のエッセイを読みました。中山氏は知識豊かな上に話術にも長(た)けておられますので全国のあちこちから講演を依頼される機会が多いとのことです。

 植木という町は西南戦争の戦場として有名な「田原坂」(たばるざか)のある所だそうです。中山氏は植木訪問の道すがら(たぶん飛行機の中)いろは歌を作り、現地で披露して大喝采を浴びたそうです。その歌があまりに素晴らしかったので記憶していました。

 中山先生、勝手な引用すみません。

   維新に滅び我を得ず  ゐしんにほろひわれをえす

   望み繋げて兵練らむ  のそみつなけてへいねらむ

   植木行く稚児お供せよ  うゑきゆくちこおともせよ

   雨降り止まぬ田原坂  あめふりやまぬたはるさか

 いかがです? 美しい歌でしょう。あの有名な「越すに越されぬ田原坂」という哀れな敗残兵の歌のイメージから、眉をあげて再起と復興を誓う心を見事に詠みあげていると思います。植木の人々の感動も頷けます。

 中山氏は50才の頃から毎年のようにヨーロッパに渡り囲碁普及に尽力されていて、その弟子は星の数ほどいると聞いています。いつまでもお元気で活躍していただきたいものです。そしてできれば私も一度中山氏の魅力あふれるお話しを拝聴する機会に恵まれたいと思います。

 中山氏はフアンが多く「テンコレ」さんというニックネームで敬愛されているそうです。典之というお名前をそう読むのでしょう。アマチュアの指導もきっとわかりやすく痒い所に手が届くのでしょう。その人の棋力に応じて親切で適確な解答を与えてくれる指導者なのだと思います。私もご指導を仰いで目の中の厚々とした鱗を一枚でも二枚でも落としていただく機会に恵まれたらと思います。

 

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新会館事業の動向〜その9  会館建設資金運営小委員会委員長 佐々木公一

− 夢 買 人 募 集 中 −

 何? 市医師会新会館建設記念事業「タイムカプセル埋設事業」 について書いてみようと思います。

 満を持しての新会館建設もいよいよ3月1日の起工式を迎えることとなり、9月末竣工への期待が益々膨らんできました。それと平行して「タイムカプセル埋設事業」も動き始めました。

 既に御承知の通り新会館の理念の一つには広く一般市民にも親しまれる、開かれた会館でありたいという願いが込められています。タイムカプセル事業の展開も、新会館が単なる箱もの建築にとどまらず、これからも末永くその意義を後世に伝え、ひいては医師会活動への幅広い理解と支援をいただけるように、と企画されたものです。

 賛同が得られた御高資は、設計段階から懸案であった壁面防熱ガラスや大ホールの椅子など、会館設備のグレードアップのほか、先端をいく風力発電、太陽電池パネルを備えたエコエネルギーシステムや常設のグランドピアノの購入にも充当させていただく予定です。

 さて、会員の皆様には「タイムカプセル」について、どんなイメージをお持ちでしょうか。また、初めて応募への勧誘を受けた相手が、どんな反応を示すか考えてみたことはありませんか。小生の経験を書いてみましょう。

 「どうですか、参加してみませんか」と声をかけますと、ほとんどの人は瞬間的にキョトンとした表情を浮かべます。続けて25年、50年の埋設期間に説明が及ぶと、「その頃に俺は生きているかなあ」と自嘲的に答えるか、「その頃の日本はどうなっているのか」といった大仰な返事が返ってきます。十中八九、回答はこの二つに大別されるものです。次に「一万円は高すぎる」という声。そこでひるまずに 「夢」の話へ何とか引き込めば半ば勧誘に成功したようなものです。さながらインチキマルチ商法の手引きのようですが、肝要なことは、趣意を相手に理解していただこうとする強い熱意にあります。

 タイムカプセルに収納していただくものは何でも構いません。近々結婚するカップルには、誓いの言葉、二人を往復したラブレター、抱負など。出産を控えた御夫妻には誕生する子供さんの足型、生ぶ声を収録したCDロム、将来の成長を願う夢など。回復に向かう患者さんには闘病の思い出、感謝の言葉など。中、高年の人には子孫への伝言、記念写真、家族の寄せ書き、金、銀婚式の贈りもの……。

 「あの医師会館の正面玄関脇に貴重な思い出や密かな夢が埋まっている」と思い続けていただけるなら、素晴らしいことではないでしょうか。一万円の御負担については、タイムカプセル本体と埋設工事のほか、25年、50年のカプセル開封までの期間、10年毎に応募された方々の消息や宛先住所の追跡調査を継続するための必要経費であることを説明し、御理解を求めます。

 先般には読売新聞地方版や長岡ケーブルテレビにも事業の概要が報道され、長岡市外からの応募も届くようになってきました。森市長さんからも賛同をいただける予定で、今後、多方面にわたり輪が広がっていくものと確信しています。

 本年末までの募集期間、会員一人当たり三名以上の「夢買い人」を募っていただければ、事業目標は達成されます。会員各位の一層の御尽力を重ねてお願い申し上げる次第です。

 

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開放型病床(オープン病床)について  理事 富所 隆

 開放型病床は、限りある医療資源をより有効に活用し、より質の高い医療を地域の住民に対して提供することを目的とした制度で、究極の病診連携の形態といっても過言ではありません。これは、高額医療機器の共同利用は元より、病院の病床を診療所の医師に開放し、診療や入院にまつわるいろんな意味での無駄を省き、よりスムーズで質の高い医療を提供しようとの発想で始められました。保険点数の上乗せなど政策誘導の後押しもあり、全国的にかなり広がってきています。

 この制度の歴史は古く、当県では新潟市医師会が昭和61年から検討を始め、昭和62年6月に発足させたのが最初です。当初、あまり活用されておりませんでしたが、平成12年、済生会第二病院で始められたオープンシステムには、多くの診療所の先生方が参加し、それなりの成果を上げていると聞き及んでいます。

 患者さんは、かかりつけ医から気軽に高額医療機器を用いた検査を受けることができます。入院する場合には、顔なじみのかかりつけ医からの訪問診療を受けることで、安心して入院診療を受けることができます。更に退院した後も入院時から一貫した診療を継続することができます。まさに、診療所と病院との垣根を取り払ってしまう制度が、この開放型病床と言うことができます。

 昨年の4月から長岡市医師会は、病診委員会や理事会で幾度も検討を重ね、この度、長岡中央綜合病院・立川綜合病院と長岡市医師会との間に開放型病床の開設に関する協定書を締結いたしました。実際の利用方法などは、配布されたマニュアルをご覧ください。

 勤務医にとって、病院を開放するためには、大きな意識改革が必要です。診療所の医師にとっても、かかりつけ医としての機能の更なる充実が求められます。情報開示(つまり情報の共有化)が叫ばれる中、この開放型病床が長岡の医療に何か新しい風を送ってくれることを願ってやみません。

  是非、多数の先生方が参加してくださるようお願いいたします。先ず、始めて見て、不都合な点は修正しつつ、長岡市医師会独自の開放型病床を創り上げていきませんか。

 

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「剣客商売」の新シリーズ  郡司 哲己(長岡中央綜合病院)

「あら、今夜は「剣客商売」があるわ。」と朝刊のテレビ欄を見ながら家人がうれしそうです。「やっぱり火曜日の夜八時なのよ。」

 たしか先週はなにやらの特別番組で、この番組放送がなくて夫婦ふたりでがっかりしたのでした。

 藤田まこと主演の「剣客商売」の新シリーズがこの一月から始まりました。勧善懲悪かつハッピーエンドの、安心して愉しめる娯楽時代劇であります。その点ではみなさまおなじみのテレビ番組「水戸黄門」や「大岡越前」に似ています。

 主人公の剣の達人秋山小兵衛を渋い演技が光る藤田まこと、40歳も年の離れた若い女房を小林綾子。(成長したおしんですな。)このふたりはいわゆるはまり役で、もちろん今回も同じキャストです。

 息子の剣士の大治郎役が二枚目俳優の渡部篤郎から、家人いわく「見たことも無い新人」に替わり、この点で家人はおおいに不満です。一方わたしは、今回女剣士の佐々木三冬役が寺島しのぶ(菊五郎・富司純子の娘ですな。)に替わったことをむしろ適役と喜んでおるしだいです。

 原作の小説のほうも池波正太郎らしく、背景の風物や食事風景などが書き込まれていて、読んでいてゆったりした気分にさせてくれます。

 このテレビ番組のほうもワン・シーンずつがたいへんに丁寧に美しく作られており、江戸時代の考証された風物に思わず感心させられます。フジテレビと松竹映画の制作とかで京都松竹で撮影されてるのというのもうなずけます。

 たとえば主人公のひとりお春役の小林綾子が自分で渡し船を漕いで移動するシーン。その川をさりげなくすれ違う別の船頭の漕ぐ船があるのです(時間にしてわずか数秒の背景のためだけの出演)。今の他のテレビ番組ではこの背景のためのエキストラ人物の登場はまずないと思います。また庭に放し飼いされたチャボだの、遊ぶこどもだの、夕焼け、朝もや、水辺などさまざまな自然の映像もたいへん美しく取り入れられております。

 ところで昨秋から新潮文庫のこの」剣客商売」の新装版の刊行も開始されました。この文庫本は単行本よりむしろ大きなサイズの活字で組まれ、とても読みやすいです。

 時代劇、時代小説、いまだそういうジャンルの本を読んだり、テレビ番組を見たりしたことがないかたにもお勧めできます。「剣客商売」をごらんになったり、お読みになる時間は充実した心のゆとりの時間となりましょう。

 読み切りの短編のゆるやかな連続でストーリーがつながるので、一話ずつを愉しんでいただけましょう。さまざまな市井の人生模様が、物語性豊かに展開してゆくのにおそらく共感なさることかと思います。

 もっとも池波正太郎の三大人気作品のひとつですので、先刻御存知の方が多いのかもしれません。他の二つは「鬼平犯科帳」と「仕掛け人梅安」ですが、これらも以前にテレビ化されました。この三作品あわせての本の売上がなんと一千万部と公称されておるようです。

 さて時代劇テレビ鑑賞の際には、用意するものといえば、いわば和風カウチポテト。羊莫の数切れに柿の種などの米菓。飲み物は熱いほうじ茶できまりですな。ときに剥いた蜜柑の皮も山になります。なお隣に同好の志がおればそれにこしたことはありません。

 

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