長岡市医師会たより No.279 2003.6

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もくじ
 表紙絵 「梅雨の晴れ間(悠久山)」 丸岡  稔(丸岡医院)
 「写真愛好会の旅行」        吉田 鐵郎(吉田病院)
 「」               渡辺 正雄(渡辺医院)
 「喜びも悲しみも」         明石冨士子(明石医院)
 「新会館事業の動向〜その13」
 「妖怪天国」            岸   裕(岸内科・消化器科医院)

梅雨の晴れ間(悠久山)   丸岡 稔(丸岡医院)

写真愛好会の旅行  吉田 鐵郎(吉田病院)

 5月17日(土)朝8時、6入乗りの車が迎えに来て、私と家内を乗せて福島県三春へ向って出発。昨日迄の雨は晴れて爽快な日和である。

 実は私の無趣味、仕事しか出来ないのを見かねて、中学時代の友人S君が何か趣味がないと仕事が出来なくなると困るよ。何か楽しめるものを持たなくては。と云う事でカメラ(ミノルタのAF)を買わせ、花でも風景でも撮っているうちに段々面白くなるとの事で、本年3月写真愛好会というのに入れてくれた。

 これも父兄同伴で家内も一緒である。会員は14〜15名で40歳〜80歳位迄の方々である。

 最初、作品批評会というのがあって夜7時に集って、皆様方の写真を見せてもらった。

 そこで私はこれは大変な会に入会してしまったと思った。雀が鷹の集団の中へ入ったような感じで、中には鳶位の人もいたが、皆それぞれ素晴らしい作品を持って来ている。

 プロに近い人もいてお互いに批評し、撮影法を検討し合い、最後はプロ級の人が総括している。

 真冬の雪原の彼方の山から太陽がまさに出現せんとする、その日の出の瞬間をとらえているものもあり、これは予め場所を選んで、日の出の時間のはるか前に来て三脚を立てて光芒の一瞬を狙うので、少なくとも1時間近くかかって撮った写真である。又、山林の雪の晴れ間に点々と残っている兎の走り去った足跡、まさに芸術であってこんなのを探して山へなど行ってはいられない。俺にはこの会は無理だ。やめようと思っている処へ、かの有名な福島県三春のしだれ桜を撮りに行こうという話がもち上ったが、結局皆さんの都合で5月中旬の若葉桜を撮る会になってしまった。総勢9名、うち女は家内1人。

 さて車は新緑の中を新潟から会津へ、三条辺りから道の両側に白い花の木が立ち並んでいる。新潟をすぎたら急に高い樹になつてアカシヤの木とわかった。ピンクの「山うつぎ」の木が延々と続き緑に映えて美しい。又紫色の花をつけた大木が並んでいるので、よくロ見ると桐と藤で、藤が杉の樹の梢迄届いて杉全体が紫色になっているのもある。阿賀の川を渡るといよいよ会津である。今年は田植が遅くて、今一生懸命やっている処、植えられたばかりの細くて小さい苗が風にそよいでいる田も多い。

 会津へ入ればまず鶴ヶ城、この城は大きくて広い。古さびた高い城壁、広くて深いお堀の底で釣をしている人達がおり、大きな鯉が泳いでいる。

 城壁、天守閣を撮り、外堀の周囲の広い草地に出ると、タンポポが今を盛りと咲き誇っている。大輪の花が沢山ついている。唯一輪のもあり、その先へ行くと花が白いねぎ坊主のように種をつけて、今にも風で飛んで行ってしまいそうなものの群生である。腹這になって接写を試みるが良い構図の場所が無い、更に行くと董の花の群落を発見。名も知らぬ美しい野草が咲いている。この可憐な花をどう撮ろうか?と夢中になって思案しているうちに周囲に友人達が1人も居なくなっているのに気付いた。東へ西へと走り廻ったが誰にも会わない。こういう時は探される人は動いたら駄目と考え、佐川官兵衛の大きな石碑の下に立っていたら、発見された。皆で手分けして20分も探し廻ったのだと云う。鶴ヶ城がこんなに広いと思わなかったのは大失敗で、皆さんに迷惑をかけてしまった。

 三春の宿へ帰る途中アサヒビール園を発見、立ち寄った。広大な工場の施設を見学、説明が長かったが係のお嬢さんが美人だったので我慢した。出来たての壜入り黒ビールのうまかったこと。他の店で買おうとしたが鑵入りばかりで全然まずい。

 三春に一泊し翌朝8時出発。須賀川のつつじ園に行く。これは又すごい花の山である。つつじ、さつき、薔薇、しやくなげ、大手鞠(小てまりの巨大なもの)その他赤、自、ピンク、黄、紫と色彩の洪水であり、こんな大きな手入れの行き届いた巨大な花の山は見た事がない。

 花は真正面から撮ったのでは植物学の教科書の写真になってしまうと反省し、大きな花の山の向うの茶店で串団子をたべている子供とおばばを発見し、両人が同時に頬ばるのを花半分入れて撮ったが、どうも一緒に食べてくれない。

 続いて裏磐梯、猪苗代湖畔、五色沼へ、福島の中通りの南側の山は越後の山の緑と色が違う。新潟県は麓に杉の黒縁、あとは明るい新緑と濃い緑の三色だが、福島の山々はその他に黄色い褐色に近い森がまじって4色で、複雑な色彩の森が盛り上るように山を掩っている。山全体が盛り上って実に美しい。こう云うのを俳句で「山笑う。」と云うのだなと思って車窓からシャッターを切ったがうまくゆかない。

 五色沼、紺碧の湖、白樺の林、流れ出る小川のせせらぎ、遥かに山頂に雪を頂いた磐梯山、この山を裏と表から狙ったが望遠にしても遠く霞んできれいに撮れない。

 最後にこの旅行の目玉である三春のしだれ桜を見に行く。樹齢1000年と云うこの大木はすごい貢禄があり、枝を大きく四方に伸ばして、葉はびっしりと繁り、まだまだ育つぞと精気に満ちている。尤も大枝を支える太い支柱が3本程つけられていたが。

 これが四月の花の盛りには三春の宿は超満一員で宿泊不能になると云う。

 大樹の下に小さい祠があり古色蒼然として雰囲気があり、それを撮ったつもりだったが、少しも神々しく写らなかった。

 日が西に傾き始めたので喜多方ラーメンを食べて帰る。

 5時に出て長岡についたのは7時すぎであった。

 さて作品批評会で何と云われるか?  (完)

 

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  渡辺 正雄(渡辺医院)  

 我が家に先日、初めての内孫が生まれた。演歌「孫」を引合いに出すまでもなく、古来孫は可愛いものと言われるが、家の孫はまだ小さすぎて実感が湧いてこない。今回は孫にまつわる話題をいろいろと。

I.語源

 孫は子と系。系は金文によれば頭部に糸飾りをつけている形。従ってひとすじにつながる糸の意で、「続」「系統」「子に従う」などを表している。(平凡社・字通) 語源説にはその他、マタコ(又子)の訳、継子(ままこ)でないマノコの義、間子(まこ)の義、味兒(うまこ)の義、我子の産みたる子の意などがある。

II.孫を使った人名、事柄

 孫(そん)のつく人名は数多い。

 孫堅(後漠の武将)、孫権(呉の皇帝)、孫康(晋の学者)、孫武(呉の兵法家)、孫文(中国の革命家)、はては孫悟空(西遊記の怪猿)などなど。

 孫のつく事物も多い。

1.公孫樹(いちょう) 老木でないと実らず、孫の代に実る樹の意。

2.狐の孫 原野に自生する一年草、若葉は食用。

3.胡孫(こそん) 猿の異称。胡孫眼(こそんがん)はサルノコシカケ(木質の茸)

4.孫外(そんはず)れ 血統を引かないこと。才能や性格を引き継がないこと。

5.孫太郎虫(まごたろうむし) アミメカゲロウ目(もく)の昆虫「ヘビトンボ」 の幼虫。川底に住み体長4〜5cm、赤褐色で疳(かん)の妙薬。

6.孫子(そんし) 呉の孫武の兵法書。一巻十三編。戦略、戦術を総合的に説き、思想性を持つ有名な書。

7.孫の手 幼児が老人の背中を掻くほほえましい姿が想像されるが、この表記は近世からのもので、実際の起源は「麻姑(まこ)の手」。

 麻姑は中国の伝説上の仙女で、姑余山で仙道を修め、その爪は長く鳥の爪に似ていた。後漠の蔡経という人が、その爪で痒い所を掻いてもらえば愉快この上ないだろうと言ったところ、麻姑に不謹慎だと厳しく叱責され、爪で打ちすえられた。それがまた何とも柔らかくて気持ちがよかったのだそうである。

 「麻姑を債(やと)うて痒さを掻く。」は、物事が思いのままになること、よくゆきとどくことを言う。(麻姑掻痺)。

8.孫山外(そんざんがい) 試験に落第することを言う。

 宋の孫山がある試験で末位で及第した。朋侑と言う人が及第してどんな気持かと聞いたところ「余人は更に孫山の外にあり。」と答えたことから。

9.孫辞(そんじ) 逃げ言葉又は謙遜した言葉づかい。

10.孫弟(そんてい) 素直で目上の人に従うこと(論語)

11.孫六(まごろく) 美濃の刀工関孫六(せきのまごろく)兼元の作った刀。業物(わざもの)として有名。

  八丈島では馬鹿者、まぬけのことを孫六という。

12.孫右衛門(まごえもん) 煙草のこと。(江戸遊人(あそびにん)の語)

13.孫三(まござ) 他人の物をただでもらったり使ったりすること。無料。(芝居仲間の言葉)

14.孫兵衛(まごへえ) ア.餅のこと。「孫兵衛ちらし」は、上棟式や祭礼での餅撒きのこと。イ.鰻のこと。(江戸呉服屋仲間の言葉)

15.孫兵衛場(まごべえば) 警察署のこと (盗人仲間の隠語、理由は不明)

16.孫四郎(まごしろう) 横槌(よこづち)(わらを打つのに使う)を人名に擬していう。

  江戸時代、節分の夜は男女共に独り寝を忌む迷信あり。横槌を抱いて寝る風習あり。孫次郎とも。

17.その他 孫引き、孫弟子、孫作など枚挙にいとまがない。

III.褒められる孫

 冒頭にも書いた通り、孫は可愛いものと相場が決まっている。実に多くの言い伝えが辞書に載っている。

(1) 孫は子よりも可愛い。祖父母が孫をかわいがることのはなはだしいのをいう。

(2) 孫は目に入れても痛くない。

(3) 孫の可愛いのと向う脛(すね)の痛いのは堪えられぬ。孫のかわいさが格別であるとのたとえ。

IV.貶(けな)される孫

 孫讃歌は上記のように数多いが、一方で孫を悪くいう諺も以外と多い

(1) 孫育(か)わんより犬ころ飼え。

 いくら可愛がっても孫から孝養を受ける望みは少ないし、それ迄自分が生きていられるかどうかわからないから、三日飼ったら一生恩を忘れないという犬の子を飼う方がましであるということ。(孫を持たぬ身のひがみだという説もある。)

(2) 孫二十日(はつか)

 孫も生れて二十日位は珍しくてあれこれ世話をやくがそれ以後は飽きてわずらわしく感ずるようになるということ。

 類似の語はいろいろある。兄弟二十日孫二十日。女房百日馬二十日。嫁の三日誉め。牛馬一月嬶(かか)二十日。

(3) 孫、孫ならず但し他に似ず。

 孫ともなると自分の形質を全く受け継いでないように思われるが、それでも他人と比べてみるとやはり少しは受け継いでいる所もあるということ。多少の取柄はあるが父祖ほどの器量は無いということ。

(4) 祖父(じじ)は辛労(しんろう)、子は楽(らく)、孫は乞食(こじき)

 祖父は苦しんで富を作り、子はそのおかげで安楽に過し、孫になって無為に遊び暮し家を滅ぼすに至る。長者も三代は続かない意。

(5) 児孫(ごそん)のために美田を買わず(西郷隆盛の詩)

 子孫のために財産を残すとかえってよい結果にならないから自分はそうしない。

(6) 孫より身は愛(かな)し

 孫は可愛いものであるが、やはり我身はそれ以上に大切である。(愛(かな)し=いとしい)

(7) 孫よりまどりめごがれ(青森)

 孫にかまっているより仕事をするがよい。(まどり=まどり棒、豆、麦などを脱穀するための棒。めごがる=かわいがる)

V.終りに

 英語で孫の手の事をbackscratcherと言い、味も素っ気も無いが、今迄の記述のように、日本語の表現力の豊かさには今更ながら感嘆させられる。

 「子は鎹(かすがい)」という諺があり、子供は家族内の険悪な空気を柔らげてくれるものであるが、孫にも同じ働きがあるようで、古川柳に「憎い嫁 可愛い孫を やたら産み」というのがある。古来言い伝えられる嫁姑の確執が、孫を仲立として見事に表現されている。意地悪な姑も孫の可愛さは又別のようである。「やたら」も効いていて名句である。孫も立派に鎹の働きをしているようである。

 さて我が家の孫は一体どんな娘に成長するのだろうか。楽しみでもあり怖い気もする。「犬ころ飼え」と言われる身にだけはなりたくないと思っている。(以上)

 

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喜びも悲しみも  明石 冨士子(明石医院)

 「ぽん・じゅ〜る」 このタイトルも響きも大好きです。これは確か亡夫と大学同期の工藤辰夫先生が名付け親だと記憶しています。年と共に根気がなくなり、「ぼん・じゅ〜る」への寄稿にお別れしたのですが、田辺先生のお葉書で、亦拙いペンを執りました。田辺先生の御学友で、福岡に在住されている渡部先生が、シベリヤ抑留時に亡夫と御一緒だったと、以前からお話は伺っており、福岡へ行かれたら是非お会いしてくるようと、おっしゃって下さいました。3月、孫娘が福大医学部卒業で、卒業式に出席すると孫と約束していました。福岡は新潟空港から直行便で1時間半です。早速渡部先生のお宅を訪問しました。北緯56度のエラブカでは、トルストイの「復活」に出てくる陰惨な刑場のような獄舎が収容所で、飢えと寒さと労働と、極限の苛酷な捕虜生活を共に過ごされたお話に、平和こそが人類最大の幸せだと痛感しました。3月24日の卒業式には、女子学生は振袖を着て出席する仕来りとのことで、晴れ姿を見てやらねばと、孫馬鹿で出掛けたのです。

 太宰府天満宮にお参りしたり、名物の博多ラーメンやもつ鍋も食べてみました。福岡ドームの近くにある、福岡タワーに上り、市内を一望することが出来ました。福岡大学は郊外の静かな住宅地にあり、図書館も完備し、6年生になると各自机が与えられ、夜でも何時でもここで勉強出来るそうです。

 今は卒業証書ではなく、「学位記」を載いて帰岡して一ケ月後、春を満喫させてもらった桜の花も散った4月24日に、医師国家試験の発表がありました。今年から期日も3日になり難しくなったときいていましたので、合格の通知を受けた時は、本当に良かったと安堵しました。思い起こせば6年前、新潟清心女子高枚から、福大医学部に推薦入学出来たと聞かされた時は、びっくりしてしまいました。面接試験にも、単身で福大迄行ってきたそうで、これにも驚かされました。

 孫達の教育方針と進路には、一切口出しはしませんが、この娘は幼い時から「大きくなったらおばあちゃんの後を継ぐ」と口癖のように言ってました。決して「お父さんの後を継ぐ」とは言わないのです。女医が格好よく見えたのか、それとも毎年外国の珍しいお土産を貰ったのが子供心に印象深かったのか、よくわかりませんが、長年描いていた夢を叶えたようです。然し喜びに浸っていたのもわずか4日。4月28日には、娘の長男が急逝しました。私の胸に顔を埋めて、号泣する娘を抱きかかえ、「思いっきり泣きなさい」と言うばかりで、慰めの言葉も、励ましの言葉も出てきません。あまりにも突然のことで、今でも信じられない位です。納棺された可愛いい孫の顔を見た時は、「おばあちゃん」と今にも起き出してくるような錯覚におそわれ、涙が溢れ出るのを、どうすることも出来ませんでした。禍福はあざなえる縄の如しとか、天国と地獄は隣り合わせです。

 人生には上り坂もあり、下り坂もありますが「まさか」の坂もあったのです。長い人生では、想像もしなかった出来事に遭遇するものだと思い知らされました。

 初七日にお参りした時には、漸く落ち着きをとり戻していました。月日が解決してくれるでしょうが、悲運を立ち切って、子供の分もしっかり生き、仕事に生き甲斐をみつけて、前進してくれるよう、祈るばかりです。私も悲しんでばかりいられませんし、老けこんでもいられません。

 中学3年の末の孫は野球少年です。1年生の新人戦から、ピッチャーで活躍しています。練習も大変でしょうが、よく耐えています。野球大好き人間の私は、6月10日から始まる中学校の対抗試合を楽しみにしています。昨年は市内で優勝しましたが、今年の調子はどうか気になります。

 東邦大学の年一回のクラス会ももうすぐです。目標があるとエネルギーが湧いてきます。

 これからも孫達の応援団長として、元気に明るく過ごして行きたいものと願っています。

 福岡から帰る時、渡部先生自らの歩みを綴られた「ある医学徒の青春」と題された本を頂戴してきました。

 また孫に「おばあちゃんは女医のはしりで宝物ですよ。大切にしてあげて下さい」とおっしゃって下さいました。今も有難く感謝しております。

 

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新会館建設事業の動向〜その13

会館建設委員会委員長 大貫 啓三(大貫内科医院)

  今回は、この紙面を借りまして、設計・監理、施工をお願いしております頼もしいスタッフをご紹介させていただきます。新会館ご見学等でお見かけの際は、お声がけいただければ幸いです。

●アーキセッション 小川 峰夫

 みなさん、こんにちは。チーム・テラの小川です。6月21日に2階のコンクリートを打設し、ようやく新会館の骨格が出来上がりました。私は「建築は構造(骨格)が美しくなければ、どんなに立派にお化粧をしても美しくならない」と考えています。新会館は、特にそのために新しい構造形式を採用しました。みなさん、是非お化粧をする前の新会館の骨格の美しさを見に現場においで下さい。

●サトウクリキ設計事務所 久力 正通

 久力(くりき)です。「珍しい苗字だね。」と言われ、私は「千葉市生まれですが、本家は佐倉市です。」と答えると、「長嶋(元)監督と同じですね。」と言われます。子供は、二男二女と4人おります。年の離れた次男は小学4年生でサッカーに夢中になっています。私も「サッカーパパ」を自称し「おっかけ」を楽しんでいます。

●今井保一設計室 今井 保一

 「うーん、いいねー。よしよし」。1階のコンクリートの型枠をはずした直後、ツルツルピカピカの打放し面を見てニンマリしてしまいました。現場関係者一同は只今「医師会館」という建築を出産中です。健康で良い子が生れるよう、ウンウン唸りながらも楽しく有意義に監理をさせて頂いています。

 医師会員の皆様、現場を覗きに来て下さい。

●和田正則建築環境計画 和田 正則

 建築が形になっていく様子はいつでもワクワクさせられます。

 骨格ができる迄の「ワクワク」、仕上や光・家具・樹木そしてそこに集う人々などで、さらに空間が形づくられる「ワクワク」。

 この貴重な「ワクワク体験」をぜひ皆様も現場に来て味わって下さい。

 ※自己紹介でなくてスイマセン

●鹿島建設現場工事事務所 今川 正博

 現場の所長を担当しております、今川正博です。

 会社に入って30数年、縁あって鹿児島生まれの私が、雪国新潟の「長岡市医師会館」の建設に携わることができましたことを嬉しく思っています。これまでに色々な建物を建てて来ましたが、この建物は難易度の高い部類に入ります。所員一同「よりよい建物」を目指して頑張るつもりです。

●鹿島建設現場工事事務所課長 平澤 健

 早いものでこの仕事を始めて15年が経ちました。

 以前担当した物件を、各地の地図で見つける度に懐かしさを感じうれしく思っております。

 当建物も長岡のシンボルとして注目されていく事と思います。

 子供がもう少し大きくなったら「お父さんが、この建物をやったんだよ」と胸を張って言える様、頑張りたいと思います。

 

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妖怪天国 〜ルーナティック・ドーン(月明かりの夜明け)−1−

岸  裕(岸内科・消化器科医院)

 僕の家の庭は広いよ。竹やぶも草むらもあるんだ。今どくだみの花がいっぱい咲いている。白くてちっちゃいかわいい花だよ。あのムッとするちょっと鼻にきついにおい。あの草むらのなかをかき分けて進むのが僕は好きなんだ。

 ここは僕たちの運動公園さ。今この草むらは貴重だよ。ヒトの手が入ってないから。センセイはわざと自然にまかせてるって言ってるんだけど。でもこんなに良いところはもうめったにないよ。あちこちに隠れ場所がある。ヒトが寝静まったころ皆集まって来るんだよ。狸やイタチも来るよ。動物たちも僕達の仲間さ。

 センセイ? センセイは寝ているよ。さっきまでワープロのところで「なんとかに乾杯」とかなんとか書いていたけれどよっばらっちゃって… あーあ、よだれたらして。センセイが寝てるから僕が出てきたのさ。センセイはブショーだから時々僕に代わりに書かせるんだよね。「おい。アルジャーノン。書いといてくれー」なんてね。チユーチエー… って僕はネズミじやないよ。ニンゲンの子… だよ。

 今夜は十三夜。夕暮れまでカラスがいっぱい止まっていた電線も田んぼの水面も、みんな銀青色にきらめいている。でもちょっと竹やぶか草むらの中へ入ればそこは真っ暗さ。あ、向こうに金色の点が二つ動いてるでしょ。ショートサムだ、きょろきょろ目玉の。イタチだよ。おいでよ。元気かい。ンなら良かった。

 あのね、お寺のお御堂の床下にいた狸の親子が、お御堂の建て替えの工事が始まったのでセンセイの家の土蔵の床下に引っ越して来たんだ。センセイは狸屋敷になっても困ると思っていたんだけどね。そしたら近所のヒトが罠を仕掛けてくれたのさ。すごくいいヒトなんだって。

 他の人は、狸は賢いからそんな罠にはかからないだろうって言ったんだけどそのヒトは毎晩電気を消してじっと見ていたんだって。…こわいよね。でもお馬鹿な猫がかかったら放してあげるつもりだったんだって。

 ある晩「かかった」と思って行って見たらイタチだったのでがっかりして「明日の朝にしよう」と思ってそのままにして寝てしまったら、翌朝親指のさきっぼを残して逃げてしまっていたんだって。

 だからこの子の名前はショートサム。親指が短いんだ。…がっかりしないで。また生えてくるよ。

 でも良かったよ。そのヒトの玄関には狸やテンや尾っぽの長い山鳥なんかが給麗に飾ってあるんだよ。狸はとっくりを持って、山鳥は枝の上に止って、テンがそれを狙ってるんだ。今にも動きだしそうなんだよ。

 −−どうしたの? ショートサム。ぶるぶる震えて。寒いの?…あ、逃げてっちゃった。…僕、何か悪いこと言ったかな?ごめんよ。…友達を無くしちゃったかな?どうしよう。…賢くったって失敗することもあるよ、ね。罠にかかっちゃう事だってあるさ。あーあ、いやになっちゃうな。

 でもニンゲンってこわいよね。僕達は何も怖い事なんかしないのに。その人、でもとっても良い人だってセンセイは言うんだけど。・‥え?僕は人間の子供?…だよ。すこし耳がとがっているけど。センセイの子?…あの子たちは僕のライバルさ。

 −−妖怪? 僕はそんなに怖くは無いよ。かわいい? …かわいいなんて言われたくないよ。

 あっ。僕のケイタイが光ってる。誰かがメールくれたんだ。君もメルアド教えてくれる? 友達になってあげてもいいよ。近くへ来たら寄ってよ。僕は草むらの中から闇を透してじっと君を見てるよ。 (続く)

 

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