長岡市医師会たより No.294 2004.9
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表紙絵 「樽口峠にて(飯豊)」 丸岡 稔(丸岡医院)
「神谷複先生を偲んで」 関根 光雄(関根整形外科医院)
「第1回ACLSコースを開催して」 内藤万砂文(長岡赤十字病院)
「ACLSコースを受講して」 大貫 啓三(大貫内科医院)
「ACLSコースに参加して」 森下美知子(森下皮膚科医院)
「オタリア・ショーとペンギン・ショー」 郡司 哲己(長岡中央綜合病院)
兎に角温厚で育ちの良さを思わせる上品、かつロマンのある先生であった。
私が神谷病院にお世話になったのは昭和51年で当院の入院扱いを止め外来診療のみに切りかえたが、当時は重症患者を病院に紹介しようとしても満床だからという理由で断られることが多く、いつもその患者の処理には悩まされていた。たまたまそんな或る日故市川豊樹先生から電話で神谷病院に相談してみたらというアドバイスを受け、神谷退蔵先生にお願いしてベッドをお借りできるようになったのがきっかけである。
昭和52年の春から1名ないし2名ほどの患者を入院させて頂き、毎日外来の合間をみて回診に日参した。
その数年前より退蔵先生は体調を崩され、51年に院長職を復先生にゆずっておられたが52年6月大動脈癌の破裂で一晩で亡くなられたのは劇的であったという印象が残っている。そのあとそれまで退蔵先生の蔭で黙々と仕事をされていた復先生が理事長も兼務されて、いろいろと接触させて頂く機会が生じたのである。
復先生は昭和20年9月に北大医学部を卒業、同年11月に御結婚なさっている。終戦のゴタゴタやらで卒業証書は21年9月、新大病院でインターン後24年12月国家試験を受けて25年医師免許交付、同年神谷病院に入られ、現在に至っている。
私の入院患者も漸次増員、一時は10名ほどに達したこともあった。私は病院に着くと2階の病室回診を行なってそのまま帰って来るので毎日お逢いしていたわけではないが、外来診療中の先生のお声はよく聞こえていた。然しなにかと患者のこと、病院のこと、そして先生の左中指の長期治療を要した骨折のこと等で御相談やら話し合いやらで終始お逢いはしていたが、いつも先生は低姿勢で丁重な話し方をなされていた。
夏のビールパーティ、冬の新年会はいつもお招き頂き、いろいろお話を伺ったが目頭に述べたようになかなかロマンを愛する先生で、宴たけなわになると先生の歌われるのは母校北大の「都ぞやよいの」か「ラビアンローズ」であった。それに対し私はド演歌ばかり。先生の御趣味は登山、スキーそしてサイクリング等で、絵も描かれていたとか。
或る時宴会のあとで先生をむりやり二次会にお誘いしたらそんなのは始めてとのことであったが、後日その二次会の店でママが数日前に神谷先生がお独りで来られたとのことで何か好ましくないことをお教えしたかと反省したが、とても楽しそうでいられたそうで安心もしたしその後は
そんな詰も耳に入らず、それ一回きりのようであった。
7〜8年前の或る日、外傷もないのに左胸部の疼痛で見えられ、それが悪性リンパ腫の発症のきっかけであったことは後で知った。然し抗癌剤や放射線療法で最近までは非常に元気でおられ、うまくコントロールされていると安心していた。
10年ほどはお一人で診療されていたが、63年末に岳太郎先生が戻られてからはずいぶんと楽になられたようにお見かけした。
平成8年5月岳太郎先生の決断で神谷病院を医院に切りかえ、それをもって当然私の入院ベッド借用も終りになったが、その縁からか以後同院の監事を依頼され会計の監査と年に一回の理事会への出席が仕事になっている。復先生も毎度出席され、今年の5月24日の理事会には以前と同じく元気なお姿を見せられた。耳が遠くなって最近はほとんど患者を診なくなったとのお話であった。結局お姿をお見かけした最後となった。
昨年9月転倒して左鎖骨骨折を受傷され、今年5月まで治癒が遷延したのも原病の関係があったのかなと思われる。
その後まもなく下血吐血をくり返し8月11日の役員会の席で岳太郎先生より今月中であろうとの見通しを承り、一日でも長くと願っていたにも拘らずそれから十日ほどで亡くなられたとの御連絡で暗然とした思いであった。
この原稿を書いている間も先生のお姿が目に浮び、お声まで耳に聞こえてくるような気持である。
改めて心より先生の御冥福を祈り乍らこの追悼文を先生に捧げる。 合掌
8月8日に第1回長岡市医師会ACLSコースを開催させていただきました。応募開始から数日で定員に達するという盛況ぶりでした。齋藤会長、大貫副会長をはじめとする医師会の重鎮の先生方に多数ご参加いただきました。コースの内容を時間経過でご紹介させていただきます。
【概要】
長岡赤十字看護専門学校を会場といたしました。6名1組で各ブースを回ります。各組に1名の救急救命士に参加してもらいました。これは彼らのBLS(一次救命処置)の技術がすばらしく質の高いコースになるからです。受講者23名に対して、医師、看護師、救急隊がインストラクター、アシスタントとして31名参加して下さいました。またメーカーさんにAEDの展示をお願いいたしました。
【9:00 ACLS概論】
齋藤会長の開会のご挨拶に引き続き、スライドを使ってのACLS概論です。事前勉強の知識の確認で、座学はこの30分で終了です。次に監視カメラがとらえたアメリカのカジノにおける警備員によるAED除細動成功例のビデオを供覧いたしました。
【9:40 デモンストレーション】
心室細動で倒れた方に対する救急救命処置の一連の流れをご覧いただきました。本日の到達目標のデモです。当院1年目の研修医の倉部君が見事にデモンストレ一夕ーを務めてくれました。
【10:00 スキルステーション】
技術習得のブースです。「BLS・体位変換」、「心電図・薬剤」、「除細動・AED」、「気道確保」の4ブースを30分ずつ回っていただきます。蘇生人形を使っての気管内挿管練習あり、心電図診断のポイント解説あり、異物除去の実習ありと盛りだくさんのメニューです。今回はAEDのブースで質問が殺到しました。本年7月より「一般人に開放されたAED」への関心の高さがうか
がわれました。
【12:00 昼食】
昼食後にAEDの展示に人が集まっていました。
【12:40 ケーススタディ】
心電図の変化する蘇生人形を使って、3人1チームで心肺蘇生を行っていただきます。患者さんへの声かけに始まり、蘇生に成功し、ICUに収容するまでの一連の流れをシナリオにそって繰り返し練習していただきます。徐脈系と頻脈系の2ブースを各1時間ずつ回ります。
【15:00 0SCE&外傷の初期対応】
受講者はOSCEと「外傷の初期対応」に半分ずつ分かれます。OSCEは客観的臨床能力試験と訳されますが、最近の医学教育で盛んにとりいれられているものです。一日勉強した救命処置を実際にやっていただきます。実際に人工呼吸や心マッサージや除細動ができるか、リーダー役として適切な指示がだせるかをテストします。ACLSコースの目標は「分かっている」ことではなくて 「できること」ですので、確実な手技の習得が要求されます。
「外傷の初期対応」では外傷患者に対する現場での対応方法の国際標準をスライドによる解説と救急隊によるデモンストレーションでお示ししました。「外傷患者に対する脊椎固定の重要性がわかった」とか「救急隊の活動をはじめて知った」とかのご意見をいただきました。
【16:45 終了式】
まずプレテスト成績優秀者、OSCE優秀者の発表です。プレテストでは事前勉強を完壁にやられた先生がおられる一方、50点に満たない先生もおられました。それでもOSCEでは全員が標準以上の評価を得ておられました。修了書と記念品のキーホルダー付きフェイスシールドを受け取ります。最後に大貫副会長に講評をいただき、解散となりました。
今回のコースは受講者の平均年齢が高く、心肺停止に遭遇する機会の少ない先生方も多く受講されました。正直なところ従来のコースよりは少し手加減が必要かと心配しての開催でした。結果的には本来のコースと全く同じスケジュールと内容で終了することができました。皆様の意欲
と能力のたまものと敬服申しあげます。また、コース運営にご協力下さいました多数の医師、看護師、救急隊の方々にはこの場を借りて御礼申しあげます。
8月8日(日)、長岡赤十字病院看護専門学校に於いて、「第1回長岡市医師会ACLSコース」が開講されました。ACLSとは、皆さんご存じと思いますが Advanced Cardiovascular Life Support の略で日本語では二次救命処置と訳されています。
今回のACLSでは、事前学習を前提に受講内容のテキストが前もって配布され、さらにプレテストに解答し、当日講義を受ける前に提出しなければならないという否が応でも事前勉強をしなければならない厳しいものでありました。プレテストの内容を見ると、とても勉強をせずに答えられるような問題でなく配布されたテキストに日本医師会から出された「救急蘇生の指針(医師用)」が参考書として載っておりましたので、積んであった私の本の山から頭を横にして必死に探してみましたが、どうしても見つからず、仕方なく高木正人先生にお願いしてお借り致しました。その冊子は、厚い特集本とばかり思っておりましたが、70ページほどの薄い本で、本の山をもう一度見直したところ、見つけだすことができました。高木先生にはご迷惑をお掛け致しました。
前置きが長くなりましたが、ACLSの講習会は朝9時から夕方5時近くまで、中に45分間の昼食時間をはさんだだけのハードなものでした。出席者は、齋藤会長をはじめ、医師18名、そのほか救急隊等の方々が5名の計23名でした。最初に日赤の内藤先生からACLSの概略についてとこれからの講習についての説明があり、その後3人一組の計8班に分かれて午前の講習が始まりました。
私の班は、日赤の金子院長と救急隊の長谷川さんと私の3人で、最初の30分問は「一次救命処置や患者さんの体位管理の技術」などを学びました。講習が30分近くになると時間を見ている人から、「あと5分です」と合図があり次のコースに移動するという時間にも厳しいものでした。次は「気道確保」のコースでバッグバルブマスクを用いた人工呼吸法や、人形を使って肺の膨らみを確認しながら実際に気管挿管の技術を習得しました。次に急を要する心電図の読み方とその際に使用すべき薬剤について30分問学び、次の30分で実際にACLS訓練用人形(コンピュータで心室細動等の心電図を出したり、頚動脈の脈拍が触れることが出来る)を使って除細動器の使い方を学びました。
昼食のため45分問休憩を取った後、人形を実際の患者さんに見立ててのケーススタディが2時間行われました。この時は、3人で1チームを作り、1人をチームリーダーにしてそのリーダーの指示に従って残りの2人が動くという訓練(必ずリーダーが回ってきます)で、心室細動(ventricular fibrillation:VF)と無脈性心室頻拍(pulseless ventricular tachycardia:pulse:ess VT)、無脈性電気活動(pulseless electrical activity:PEA)と心静止(asystole)についてそれぞれ1時間ずつかけて除細動や薬剤の使用法についてトレーニングを受けました。リーダーは、患者さん(人形)に「大丈夫ですか」と声を掛けて反応がない場合は、「みんな集まって下さい(救急車を呼んで下さい)」「除細動器を持ってきて下さい」から始まり心肺停止のための一次ABCDすなわちA:Airway、B:Breathing、C:Circulation、D:Defibrillationと、その後に二次ABCD (D:Differential diagnosis)の順でチェックをし適切な対処をするわけですが、私などはリーダーになると頭の中が真っ白になりその順番すら分からなくなりました。
これが終わると10分問の休憩を挟んでOSCE(オスキー)と呼ばれる個別の試験(内藤先生によると資格試験でないから楽しんで受けるようにとのこと)が行われました。この時も1人をリーダーに3人1組で代わる代わる試験を受けるのですが、私の場合は、「大丈夫ですか。」と人形の肩を叩いたところ、今まで一度も口をきいたことのない人形が「ウーン、苦しい」とうめき声を出すではありませんか。こうなると一次のABCDも二次のABCDも頭の中ではめちゃくちゃです。その内吐血をしました(消化器医の私はここで少し安心しました)。しかしそれもつかの間、VF(それはないよ!)を起こしたのではありませんか。頭の中が真っ白になりながらも、金子先生、長谷川さんの助けを借りて何とか命を助けることが出来ました。心電図が正常に戻った頃は、口はからからでどっと疲れが出てきました。
その後、頚部損傷の可能性のある患者さんの搬送法を、事故現場と救急車の中を想定しての救急隊の方々によるきびきびとした実演を見せていただき、4時半過ぎに内藤先生から一人一人終了証を授与され、ACLSの全課程が修了しました。
朝の9時から夕方5時近くまでのびっしりとしたACLSの講習でしたが、非常に役立つ講習で、心肺停止の患者さんを診る際のスキルを学び取ることが出来ました。また、僅かではありますがその自信もつきました。是非多くの先生方がACLSの講習をお受けになることをお勧めいたします。
最後となりましたが、今回、日曜日を返上して私達をご指導下さいました日赤の内藤先生、永井先生、三上先生、立川病院の岡部先生、日赤病院の看護師さん、および長岡市、近隣市町村の救急隊の皆さん、ならびに講習場所を提供して下さいました長岡赤十字病院に心から感謝申し上げます。
とにかく感動の一目でした。長岡赤十字病院内藤先生はじめ長岡ACLSワーキンググループの皆様に心から感謝しております。
今回の講習では事前学習として前もって資料を送っていただき、プレテストを解答して当日提出することになっておりました。いつも通りの泥縄で、前日になって慌てて日本医師会雑誌救急蘇生法の指針を紐解きました。ところがサッカーアジアカップ決勝戦の日にあたり、テレビを見ながらの勉強になってしまっていいかげんな解答になりました。当日はデモンストレーションのあと解説を受け、実習が主で私は竹内茂和先生、岡宏充先生のグループに御一緒させていただきました。心肺停止の疑いのモデルを前にしてどう対応するか、まずまわりの助けを求める。次いで呼吸の確認…見て、聞いて、感じて呼吸停止であればお助け呼吸、次に循環の確認…息、咳、動き、頚動脈は触れるか、なければ心臓マッサージ・人工呼吸開始、次に除細動の適応か確認− ここまでが Primary ABCD survey で次に気管内挿管、薬剤投与を含むSecondary ABCD surveyに進みます。3人グループの中で1人がリーダーになり、実習を受けます。3場面を行いますので全員がリーダーになるわけです。私はつい尻ごみし、竹内、岡先生に先にリーダーになっていただきました。ついに私の番、とにかく声を出し、2人の先生とスタッフに助けていただき終えることができました。本当にありがとうございました。救急の場における対応は、本を読んで勉強していてもなかなか行動に結びつかないことと思います。今回のように実際の場面を想定して練習することで初めて身に付くものと実感しました。
最後のセッションで、救急隊の方々による外傷患者に対する初期対応の実演を見学しましたが、機敏で的確なのでとにかく感激でした。あのように細心の注意を払って患者さんを搬送して下さっていたのに、私が当直の時はどれだけ理解していたのかと反省しました。そして、このように熱心にトレーニングを重ねている方々が気管内挿管を行うのは当然のことと思いました。以前、長岡市医師会は救命救急士が気管内挿管を行うことに真っ先に賛成の表明をしました。現場を知っていれば、当然のことなのですね。
実習を終えてつくづく思いました。1つは勤務医の時にこの講習を受けたかったということです。そうすれば、当直の時にもう少し出来る事があったのではと思いました。次に多くの医師会の先生方が講習を受けられたらいいなということです。人が集まる場所に除細動器がおかれ、一般の人がガイドに沿って除細動を行える時代になっています。ACLSコースは、医療に関わる者にとって必要な救急の手技を習得できる貴重な機会と思われます。今後も受講機会があるようですので、会員の皆様は講習のお知らせをご覧になりましたら是非申し込んでください。私はせっかくの実習を忘れないように、またこの場を経験したいなと思っております。幸い実習を終えた人にも見学を認めてくださっているようです。
後日、前腕の内側が痛くなってきました。どうしたのか考えましたが、どうも心臓マッサージの練習のためのようです。肘をしっかり伸ばして一生懸命練習した証拠と理解し、自分で自分を誉めてみました。
修了証書もいただき、大変有意義な一日でした。
この8月下旬に夏休みで家人と北海道に行きました。実際は2日間日程の研究会への出席をかねてのささやかな計画でありました。我が家は昨年まで相継いで老犬2匹の看取り介護に明け暮れました。今回が夫婦そろっては数年ぶりの旅行です。留守番の柴犬の“ゆめ”も13歳でオバサンの年頃です。留守中は近所の友人に大の食事の世話と散歩をお願いしました。これがまた一波乱あったのですが、その件はまたいずれ。
さて長岡を朝イチの新幹線で出発し、新潟駅から新潟空港へ。だいきらいな飛行機で新千歳空港へ到着。ちょうど台風が飛行機の後ろを、西日本から追っかけて北上中でした。さらに快速電車で1時間余りで小樽築港駅到着。小樽Hホテルへのチェックインはお昼過ぎでした。やっぱり北海道は遠いです。
まずは観光に小樽運河の界隈に出かけました。手始めに運河通りで焼きたてのホタテと地ビールを腹に入れました。そして観光人力車の車夫のオニイサンのお勧めのままに、名所を一巡りしました。夕涼みがてら人力車に夫婦で並んで座り、なかなか快適なものでした。名所の解説をしてくれ、あいまに写真を撮ってくれるサービス付きです。料金は30分問で8,000円とけっこう良いお値段でした。恋人同士のような扱いにすっかり気分をよくした家人が、財布から1万円札を出して小声で相談「これでチップにあげようか?」あわててわたしは彼からお釣りを受け取り、一枚だけ差し出しました。
「これ気持ちだけど、どうぞ。ぼくの体重超過追加料金だと思って。」
「ありがとうございまーす。」
翌日午前は台風が到来し小樽港の界隈も暴風雨。マリーナで稽留されたヨットやクルーザーが大揺れしています。予定の外出はあきらめて、ホテルでアテネオリンピックのテレビ観戦。午後からわたしはホテル内の研究会会場へ。一方家人は部屋でもっばらオリンピック観戦の続き。翌日の午後は札幌郊外の羊ケ丘牧場まで足を伸ばし、ジンギスカンを食べました。もうコスモスが花盛りでした。旅行の最終日は小樽水族館に遊びにゆきました。トド、イルカ、アシカ、そしてオタリアのショーをやっていました。
オタリアってご存じですか? 南米に生息するアシカの仲間で、雄はたてがみができるのでシー・ライオンが英語名です。小樽水族館なので地名のオタルにちなんで適当につけた愛称かと思えば、アシカ科オタリア属とかの学名。ギリシア語で「小さい耳」。オトが耳の意味で医学用語にありますね。3匹のオタリアがかわいい芸を見せてくれました。
「あれ、外でペンギン・ショーってのが始まるぞ。行ってみよう。」
屋外の会場は、台風一過の青空で北海道の晩夏でもかなり暑い。いよいよペンギン・ショーのはじまり、はじまり。十数頭のペンギンはてんでに立っていて、なんにも調教者の言うことを聞きません。芸はいっさいできません。愛嬌のある姿で空も飛べないけれどペンギンは鳥類ですから頭が悪いんでしょうね。このショーの笑いの渦はもっばら調教者の話芸によります。かの朴訥な手品師マギー史郎の手品みたいなもの。
「カモメ・ショーなんてのもプログラムに書いてあるぞ。」
「芸なんてできないわよね。」
なんとその時問になるとオニイサンが高台の岩場に上り、餌を空にばらまくとカモメの群れが食べに来て乱舞するだけなのでありました。