長岡市医師会たより No.302 2005.5
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表紙絵 「初夏の河川敷」 丸岡 稔(丸岡医院)
「スキー・思い出すままに」 渡辺 修作(渡辺医院)
「お遍路スキー」 伊藤 本男(伊藤皮膚泌尿器科医院)
「オフピステのスキーを楽しむ」 神谷岳太郎(神谷医院)
「犬だってボケ予防」 郡司 哲己(長岡中央綜合病院)
「タケノコに見る愚かな人間の性」 岸 裕(岸内科・消化器科医院)
2 大笹台
旧制高校の生徒だった頃、3月初めの仙の倉山、万太郎山のスキー登山を計画した。手始めの仙の倉山は、天候に恵まれ、気分よく頂を踏むことが出来た。万太郎山は天候が崩れて中止した。
その時同行したガイドの高井嘉吉さんが、雪焼けの顔を酒で火照らせて語ってくれた話の中に、くり返し出て来た言葉が「大笹台」だった。語感と地図から、万太郎山頂より西北の山腹に在る、陣竹の密叢でおおわれたゆるやかな大斜面を想像した。冬は西風に研がれて、エビの尻尾をまとった固い爽快な斜面になるだろう。一度見参したいと考えていた。その後忘れるともなく意識から消えていた。
40才の頃、谷川岳、万太郎と歩いて吾作新道を降りた時は大笹台を思い出しもしなかった。大笹台をしきりに思い浮かべるようになったのは、80才台も半ばを過ぎ、脊柱管狭窄症で歩行がままならなくなってからだ。
晴れている日は、リフトで魚沼スカイラインの頂稜付近まで運んでもらって、滑る時間より山を眺める時間が多くなった。仙の倉や万太郎を眺めていると、在った。大笹台とおぼしきスロープが。
ヘーズのうすくかかった午後の斜陽の中に、白く、高く、なだらかな斜面が微光を放ってこちらを見ている。滑ることも、登ることもままならぬ老人に、若者だった日と同じように話しかけているように思えた。
先日父の遺品を整理していた母が、「こんなものが出てきたよ。」と渡してくれたのが、44年前に父と2人で出掛けた谷川連峰芝倉沢でのスキーの写真でした。6×9センチの小さな白黒の写真が30枚。それには40才頃の若々しい父と、中学3年生の私が写っていました。子供の頃、ゴールデンウィークになると父は家族を連れてマチガ沢の雪渓スキーに行きました。この写真の年には、中学生になった私のスキー技術と体力の向上を認めて、この難しいコースに連れて行ってくれたものと思います。当時のことを思い出しながら写真を見ているうちに、無性にまた行ってみたくなり、妻とマウンテンスキークラブの?さんを誘って5月8日に出掛けたのでした。
芝倉沢は谷川連峰東面に並ぶ4つの沢、即ちマチガ沢、一ノ倉沢、幽ノ沢、芝倉沢の中で土合方面から見て一番奥にあります。天神平に上がるゴンドラの駅から歩いて2時間で旧清水街道と芝倉沢の出合に到り、ここから一ノ倉岳と茂倉岳の間の稜線まで四時間の苦しいスキー登山となります。延々と急な登りが続きます。最上部は氷河によるカール状の地形で、大きな括鉢を半分に割ったような形から、片口の注ぎ口のような狭い山峡を抜けて下の沢へ出て来ます。4月5月の沢筋は底雪崩の危険が一杯で、この日も沢の入り口は泥だらけのデブリで塞がれており、コースの所々には周囲の支沢から落下した岩が散らばっていました。最上部では、目の前で笹の急斜面から轟音を立てて雪崩が発生し、山峡を塞ぎかけました。しかし今まで何回か登った時に比べれば、コースの状態、ザラメ雪の締り具合などは最上で、下りの滑降を楽しみに登り続けたのでした。馬力のある?さんに引きずられるようにして、3時間45分で稜線に到達、周囲の景色はと見廻すと関東方面から大量の雲が押し寄せ、あっという間に何も見えなくなってしまいました。折角の下りが台無しになると、腹拵えもそこそこに、ガスの中、クラックの入った急斜面を慎重に滑りはじめました。山スキーでは転倒は禁忌。急斜面で滑落が始まると自分では止められなくなるのです。少し下るとガスが切れて視界が開けようやく思いきって滑ることができました。地形を見極めて、時々止まっては同行の2人の写真を撮り、先程の雪崩の先端を掠めて片口の注ぎ口から下の沢へ滑り込んで行きます。急斜面のため周囲の景色がどんどん変わって30分もかからずに下ってしまいました。滑ってきたコースを振り返って緊張と興奮の余韻を味わう至福の一時。山スキーの楽しみを知らない人にこの話をすると、たった30分の為に2時間プラス4時間も汗をかくなんて馬鹿げていると言われてしまいます。しかし青い空、白い雪、岩肌の黒、春を待ち俺びていた木々の芽吹きの色、山々を渡る風の昔、雲のにおい、風が止まると周囲に広がる静寂の世界を味わうことは何物にも代えがたい気分です。また全身をつかった有酸素運動も心地よい疲労感をもたらしてくれます。そしてその後に味わうことの出来る、スリルと緊張の短いけれど無上の一時。混雑したゲレンデでは味わえないスキーの楽しみがここにあります。
父とは初めてスキーをはいた時から、随分多くスキーに同行し、たくさんのことを学びましたが、技術的なことよりも、こうした大自然の中で雪と遊ぶことの楽しさを味わせてもらったことに感謝しています。
私のスキー歴も53年になりました。祖父が雪国の冬のスポーツとして始め、家族にやらせ、父も夢中になっていました。こうした環境で育った私は、他の人に比べてスキーには贅沢をさせてもらったと思います。スキーに行くたびに風邪をひいていた小学生時代。ミズノのヒッコリーパックを買ってもらって、トニーザイラーの真似をしていた中学校時代。ラングリーメンのビンディングが誇らしかった高校時代。大学時代は滑降競技に出てみたくてスキー部に入りました。外科の医局員時代は忙しい病棟勤務の合間に、クロスカントリースキーで新潟市内を滑っていました。日赤外科勤務の後、神谷病院に戻ってからは、ステンマルクのカービングスキー術に憧れています。スキーの魅力はスピードであるというのが私の持論です。速いものが美しいという考えでスピードのあるターンを追求してきました。しかし最近では体力的にも限界が見えている状況の中で、私の趣味は次第に、オフピステのスキーに向けられるようになりました。今まで自分が習得したスキー術を、大自然の中で試してみたくなったのです。5年前から長岡マウンテンスキークラブに入会して、オフピステスキーを楽しんでいます。この会は、今年75回を数える長岡市民苗場山スキー登山に参加して、山スキーにはまってしまった人達が集まって、10年前に結成した会です。メンバーは60才を過ぎてなお元気でスキーを楽しんでいる人がほとんどで、夫婦で参加している人も多いのです。メインの行事は神楽峰スキー登山ですが、他に有志が集まって各地の山へ遠征しています。私も今シーズンは、東北の秀峰鳥海山、立山室堂から剣岳と奥大日岳の間の立山川、守門はかま岳の奥の秘密の山スキー天国黒姫を楽しむことが出来ました。雪のあるうちにもう2〜3カ所は行ってみたいところです。海外へのスキー旅行も大きな魅力で、オフピステのスキーとして、カナディアンヘリスキーによるパウダースノーの世界や、ヨーロッパアルプスのオートルート(何日もかけて、スキーをはいて山の中を旅するコース)に元気なうちにチャレンジしてみたいと思っています。
今後の自分のスキー人生を考えた時に、何歳までスキーが出来るかというのが大きな課題です。百歳を超えて滑っている三浦敬三さんは有名ですが、当医師会でも88歳で現役の渡辺修作先生がいらっしやいます。山スキーのトレーニングに、早朝の市営スキー場でスキー登山をしていますが、ここで先生と交す「シーハイル」の挨拶に、年齢を超えて、同好の士と認め合える悦びを噛み締めながら、自分もあの歳まで滑り続けたいものだという思いを強くしています。
「また“ゆめ”ちゃん、あなたが入れてくれたネコごはん残しているわ。」と家人が笑いました。“ゆめ”の食事用の茶碗をのぞくと先ほど入れたエサの大部分がたしかに残っています。献立はこうです。乾燥ドッグフードの7歳以上のシニア用小粒 − これは「ヒルンズ」なる輸入品で、かかりつけ獣医さんもご推奨のブランド品です。その上にのっているのは、テレビでよく宣伝している「カルニヤン」のマグロのレトルト入り猫用です。苦笑いしたわたしは、鳥ささみジャーキーをキッチンはさみでこま切れにして、この上にさらにふりかけ、ざっとかきまぜ直しました。愛犬がさきほどネコまたぎしたエサへの再挑戦です。
「“ゆーめ”おいでー、ごはんがすごくおいしくなったぞー。」
13歳になった柴犬の“ゆめ”はすこし耳が遠くなっているので、そばに近寄ってから大きな声で呼びかけます。“ゆめ”は寝そべっていたガスストーブの前からおもむろに立ち上がり、しっぼを振りながらやってきました。今度はふんふんとお茶碗のエサの匂いをかぐと、むしゃむしゃ、ぼりぼりと食べ始め、最後まで残さず完食しました。
まず健康食の出だしはつまづきながらもなんとか成功でした。実はこれは老犬のボケ防止の食事療法のつもりなのです。
我が家ではここ数年で二匹の家族であった柴犬“コロ太”と“はな”を看取りました。とくに一昨年に18歳の天寿を全うした“はな”の最後の一年間のボケぶりはたいへんなものでした。すごく負担の大きな介護でありました。
そこで残された娘犬“ゆめ”だけはボケずに晩年を送ってもらいたいという親心なのです。
ところで身近なペットの両巨頭ですが、犬と猫ではボケ症状がたいへん対照的なんだそうです。猫はボケるとひたすら眠りつづける。手間はかからないらしいです。ところが犬は徘徊や夜鳴きが激しく、当然そのケアがむずかしいわけです。
インターネットで調べてみると、動物エムイーリサーチセンターの調査研究した135例のボケ犬の症例のうち、なんと柴犬系の日本犬が85%だそうです。柴犬がボケやすいのかと言うと、実際には日本でたくさん長生きしている犬種が柴犬なのだということ。
その治療に魚介類に多い不飽和脂肪酸(かの有名なEPA、DHA)を与えると、夜鳴きの症状の改善があり、認知能力も若干高まったとのことです。
海に囲まれ魚介類で動物性蛋白質を摂取してきた日本人。いっしょに何千年にもわたり生活してきた日本犬は、EPAやDHAを活用する脳神経細胞の代謝システムを作り上げてきたのかもしれません。それが最近では牛、鶏の動物性蛋白質のドッグフードを常食して、こういう不飽和脂肪酸が欠乏して、老化に伴い、脳の代謝性疾患が起こるようになったのかもしれません。
大の寿命は10歳から20歳とされます。ただし大型犬ほど短命であり、雑種のほうが長生きです。なかには20歳を超える長寿犬もいます。
現代の日本の犬の長寿化が進む理由はヒトと同様に、医療の発達、食生活の向上、住環境の改善が三大要因とされます。
たとえば医療面では、狂犬病、ジステンパー、パルボウイルス等の予防接種、犬フィラリア症に対しては夏場の予防内服は飼い犬の健康管理のルチーンとなつております。
それでもヒトと同じで老化は避けられず、その結果は痴呆症またはボケです。この痴呆症も 『認知症』なんて医学用語に改悪されつつあるようです。成人病を生活習慣病に、精神分裂病を統合失調症に、用語を一変させた「お上」です。
昨今の日本人の心性(つまり新語好きかつ「お上」に従順)から考えますと、この「認知症」の定着と痴呆症という用語の社会からの追放は時間の問題かもしれません。でもボケと言う言葉のほうは、すでに日本文化に根付いているので、このまま残って使用されてゆくんじゃないでしょうか。言葉の響きも癒し系の印象ですし。
そのボケですが、脳神経細胞の老化によって起きます。犬なら13歳を過ぎるとボケ症状がめだってくる。飼い主が名前を呼んでも無反応になる。昼寝ては夜中に起きる。夜にむやみに鳴く。とぼとぼ歩きとなる。そのうちひたすら一方向に前進しつづける。部屋の角やテーブルの下につかえて動けなくなり吠える。いくら食べても満足せず、食べまくる。
そして飼い主の家族はボケ犬ちゃんの世話に疲れはてます。獣医さんに相談しても、当然妙策はあるはずもなく、鎮静剤投与などの対症療法くらいなんです。
唯一有効な実用的アドバイスは、一方向歩きに対して、お風呂マット3枚を丸くつなぎ「エンドレスケージ」を設置してあげることでした。それだけ大のボケでは必発の有名な症状なのかも? また床に使い捨て「おねしょマット」を敷き、大小便の後始末をきちんと行うことも大事。これはボケていても、犬は自分の体が排泄物で汚れたままなのを極端にいやがるからです。
大の痴呆が始まるのは13歳ごろからで、15歳から16歳がピーク。犬の高齢長寿化とともにその実数も増加しつつあるが、現実にボケるのは、数千頭から一頭ぐらいと推定。これはボケるまで長生きできることが前提だからでもあります。
老化した犬は白内障で日が見えにくくなり、耳も遠くなる。飼い主の姿が見えず、声も聞こえず、自分だけの世界に閉じこめられがちになります。でもなぜ夜鳴きをするのか、前進のみで後退できないのか、はっきりとした原因とメカニズムは明らかではないようです。
ボケ対策でたいせつなのは、早く大の異常行動に気づくこと。ボケが始まっているか?どの程度のボケか?を評価し、早く治療することとされます。ボケ症状を示す高齢犬に、不飽和脂肪酸のEPAとDHAをサプリメントとして与えたり、血管拡張剤を投与して、脳神経細胞の代謝の活性化をはかると、二、三週間すれば、夜鳴きがやんだり、飼い主を認知したり、といった症状改善の効果が現れることが多いそうです。
しかしボケは脳の老化の最終段階ですから、症状改善に役立つサプリメントや薬剤の効果もだんだんと薄れ、数か月から半年、長くても数年以内に死亡します。つまりは老愛犬の終末医療をどうするのかが問われる問題でもあります。犬には『老犬施設』はないしホスピスもないし。わたしたちは犬との暮らしに老犬介護と死別までを視野に入れた暮らし方を考えないといけません。
先日テレビ番組で報道していたところによれば、欧米では飼い大のボケでコミュニケーションが保てなくなれば、あるいは犬が歩けなくなった時点で、飼い主は「安楽死」を選択するんだそうです。おそらくペットとのつきあい方と割り切っているんでしょうね。日本においては犬は家族そのものですから、これはどうでしょうか…。
我が家では家人とふたりで協力して、愛犬二頭とも安楽死または尊厳死は選択せず、とことん介護しました。でも激しい徘徊、夜鳴きがあった数ヶ月は、途中からやむをえず獣医さんの指導下に鎮静剤注射も行いました。これは家人とわたし自身が寝不足と疲労から共倒れしないためでした。さらに老化が進むと脳の活動も枯れたのか、ボケ猫さんがそうだというように、いわゆる寝たきり状態に近くなりました。その最後も動物病院でなく、我が家の畳の上(実際はフロアマットの上) で迎え、いわゆる大往生だったと思います。
“コロ太”と“はな”の二匹の愛犬は、H動物霊園で茶毘に付され、今は我が家の桜の木の下になかよく眠っております。
この痴呆すなわちボケが、動脈硬化に起因する脳血管障害および老化を悪化要素とした不飽和脂肪酸不足による脳神経細胞の代謝性疾患であるなら、まだボケていない時期から高齢の愛犬にEPAやDHAを与えれば、その予防効果があるかもしれません。
ヒトには財団法人ぼけ予防協会の提唱する「ぼけ予防10カ条」があります。
高齢にまさに向かう七歳以上(犬種によらず)の愛犬をおもちのかたのご参考に、わたしなりにまとめた注意点を「犬のボケ防止のてびき」として以下にあげておきます。
1.運動と生活刺激を多くする‥規則的な散歩、運動をつづける。しだいに運動量は減らす。他の犬と遊ぶ等の刺激もたいせつ。家族もなるべく遊んであげる。
2.年齢に見合った食事
A 塩分を控える:練り物、干し物、ビーフジャーキー、ハム、スナック菓子などは少なく。
B カロリーを控える:肥満防止に。ドッグフードも老犬用にし、食事量を調整。少なめの量で、より回数を多く。
C これがトライなんですが、EPA、DHAの豊富なフードまたはサプリメントを与える。
そうだ、原点に戻り、イワシやマグロを食べさせればいいんじゃないか? でも実際はオイルサーディンは言うに及ばず、イワシの水煮缶詰など食事にあげてみると、うちの“ゆめ”は下痢をしてしまいました。結局は高齢猫用キャットフードに思い当たり『治験』を開始したところなのです。食品ですから無効でもともとですもの。ちなみに猫用フードのほうが犬用より低価格、ただし当たり前ですが、においが魚臭い!
「お母さん、穂先のキンビラ(注1)、弁当用にとっといてね。」と息子。
例年より1か月遅れてようやく我が家のタケノコの初物が夕食にのりました。
ゆでたての甘いタケノコの香り。家では大鍋に米のとぎ汁をはり、赤唐辛子を2本人れてからタケノコを掘りに行きます。少し皮を残したタケノコをクシが刺さる位にゆで、冷めるまでほっておくと丁度よくアクが抜けます。
今年の大雪で竹林の雪が消えたのが4月未でした。雪の重みで竹は折れ曲がり、今までに無いひどいありさまの中から、ちゃんと頭を覗かせて来るとは良くしたもんだ、と感心しつつ箸を出していると、家内から「お父さん、あまり消化に良くないから食べ過ぎないでね。」とストップがかかった。
弁当分が無くなっては、と心配したのか子供達が食卓を片付けてくれている。
「そんなことは無いけど、まあこの時期はタケノコの食べ過ぎで腹の動きが悪くなってくる人が必ず何人かいるからな。」と箸を置く。
……「あー、ひょっとしてタケノコいっぱい食べ過ぎたんじゃないですか。」「え、先生どうしてわかるんですか?」……詳しく聞いてみると、この辺の人はスーパーのパックに換算して見ると5〜10パック以上一度に食べてしまう人も珍しく無いようだ。
しかしながら食べ過ぎてはいけないと言われるとなおさら食べたくなるのは何故か。
鶴の機織り部屋をこっそり覗いたお爺さんとお婆さんのように、見るなと言われればなおさら、いや、イブのりんごの様に食べてはいけないと言われればなおのこと食べたくなるもの……などと考えながら久保田の千寿を飲む。
千年も長生きするつもりもないからもうちょっと食うか。
この千寿ににんにく、赤唐辛子、かつおぶしをからめたタケノコ(注2)ともどし椎茸の中華煮物が良く合う。
つまんではつい飲む。飲んではつまむ。
「すこし飲みすぎじやないの?」とまたまた声がかかった。
「飲むなと言われるとますます飲みたくなるんだよ。お母さん、このまえそう言ったではないか。もうわすれたのかい。」
「忘れないでね、と言われるとますます忘れてしまうの。」
ふん。人間とは愚かな生き物、ならば生きているうちにもっと食わねば。(おわり)
(注1)穂先のキンピラはゆでたタケノコの薄皮で、黄白色の爪の立つくらい柔らかい部分をめんま位の大きさに切って油でいため、醤油と一味唐辛子で味をつけたもの。
(注2)タケノコともどし椎茸の中華煮物 −レシピー 中華鍋を熟し、サラダ油で赤唐辛子の小口切りとにんにくのみじん切りを妙め、次に大きめに乱切りにしたタケノコ(根の部分で良い) ともどし椎茸を妙めてから椎茸のもどし汁とだし汁をヒタヒタに加え、醤油、酒、みりん、砂糖を加えて煮る。煮汁が少なくなったら味の素をふって、鰹節1パックをからめてできあがり。
(注3)子供達によるタケノコ料理の人気ランキング1位は“穂先のキンビラ” − 薄くて柔らかい舌ざわりとちょっと辛味を感じながら噛みしめるとほのかなタケノコのかおりと甘さが口の中に広がる。2位は“タケノコともどし椎茸の中華煮物”。3位は“タケノコのカレーライス” − タケノコの甘さがきわだちます。