長岡市医師会たより No.320 2006.11

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もくじ

 表紙絵 「能登の漁港(富来)」 丸岡 稔(丸岡医院)
 「会員旅行記」 小林 徹(小林医院)
 「糖尿病を知るつどいを開催して」 八幡和明(長岡中央綜合病院)
 「山と温泉48〜その48」 古田島昭五(こたじま皮膚科診療所)
 「柿八年」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



能登の漁港(富来)   丸岡 稔(丸岡医院)


福島“母畑温泉”医師会会員旅行記  小林 徹(小林医院)

 初めての長岡市医師会会員旅行。不安と期待が入りまじり、前夜は翌日の旅行を考えながら寝入りました。メンバーは大貫啓三会長をはじめとする総勢十二名の豪華メンバー。
 参加者は荒井栄二、大貫啓三、春谷重孝、杉本邦雄、中村敬彦、太田裕、大塚武司、高木正人、小林眞紀子、鈴木しのぶ、事務局星(敬称略・順不同)そして小林徹。

 コース
 1日目:10月21日(土)午後2時30分医師会館出発。午後6時母畑温泉「八幡館」(宿泊地着)
 2日目:午前9時「八幡館」出発 → 塔のへつり(会津下柳町)観光 → 大内宿、昼食観光 → 新鶴PA → 阿賀野川SA → 医師会館午後5時着。

 10月21日(土)午後2時30分マイクロサロンカーにて12名で出発、途中で大貫会長と合流。会員がそろった所で長岡ICから母畑温泉に向けゴーサイン。高速に入った頃より宴会開始。ここで車内飲料リストを紹介しておきます。「ビール」(1)エチゴビールピルスナー、(2)モルツザプレミアム。「日本酒」(1)久保田(萬寿)−中村先生より寄附−、(2)得月(純米大吟醸)、(3)ふぐひれ酒、いか酒(爛のできるもの)。「カクテル」(1)ソルティドッグ(グレープフルーツ&ウオツカ)、(2)ジントトニック(ライム&トニックウォーター&ジン)、(3)カシスオレンジ(オレンジ&カシス)。「その他」(1)コーヒー、(2)お茶、(3)紅茶、(4)ウ一口ン茶、(5)ジュース、特筆すべきは鈴木しのぶ先生特製「梅酒」、なにかお酒のコマーシャルみたいになりましたがこれ以上ないリストです。
 途中阿賀野川SAに着く頃にはほろ酔い気分。SAであゆの塩焼きを買い、皆で少しずつ食べあいながらまた宴会開始。酔いがピークになりかかった頃、目的地母畑温泉「八幡館」に無事到着。ホテルは山の中で回りは何も無し。あっと驚くような8階だて450名収容の豪華ホテル(プールもあるんですよ)。到着後三部屋にわかれた後入浴タイム。大浴場(小さなプールみたい)露天風呂などを満喫し、待ちに待った宴会が午後7時より開始。いわき市からのコンパニオン2名参加の頃よりピークとなりカラオケも盛り上がりました。大貫会長をはじめ自慢の歌を披露。二次会ではコンパニオンも4名となり太田、大塚、高木各先生のコンパニオンとのデュエット。中村先生のめったに聞けない歌も聞け、1日日が終了となる予定が、三次会でホテル内のラーメン屋で夜食。40分以上も待たされ筆者憤慨。(中村先生気をつかいビールで機嫌とり)その頃女医さん2人は足うらマッサージでリフレッシュ。
 2日目は起床時より部屋にてビールで気付け。7時からの朝食はビール、爛酒で話もはずみ、部屋にもどる頃中村先生がトレーニング姿で汗をかきながら朝食場所に到着。(すごいですね!あれほど前日はアルコールが入っているのに、また旅先なのに。60才近いのにグッドボディー特にしまったけつをみて唖然。)
 9時、目的地「塔のへつり」「大内宿」「斉藤清美術館」に向け出発。10時30分頃塔のへつりに到着。ここで塔のへつりとは? 凝灰岩質の地層が、長い年月にわたる浸食風化により塔状の奇観を示す天然の彫刻、おそらく100万年の時を要したといわれています。この景観は眼と心を魅了します。各々観光。景観を感激した後もっと驚いたのは天然会津産のまつたけです。一本4、5千円〜9千円の高級品です、だれか買うかなあと思いましたがさすが超高級品、バスにはかおりが少しだけ持ち込まれましたが現物は0。バスは次の目的地大内宿に向け出発、ところが途中大渋滞。2キロ弱をのこし誰ともなく“歩こう”との発声に荒井、杉本両先生は無理をせずバスに残り10人で快晴の下柳をハイク。(気分よかったですよ。)
 十人が大内宿に到着、遅れてバスも到着合流。まるで時代の流れに取り残されたかのように山あいにひつそりとたたずむ大内宿。この村は江戸時代の宿駅制度で作られた宿場の形態を残す町並みとして昭和56年国の重要伝統建造物保存地区として選定されたとの事。江戸時代に夕イムスリップしてしまったかのような錯覚さえ感じさせる町並み。現代人が忘れかかった何かを教えてくれている様なやさしさが息づいています。40〜50軒の食事所。みやげ屋の中の「こめや」での昼食タイム。手打ちそば、いわなの塩焼きをビール、日本酒で堪能。「こめや」では普通の食べ方でそばを食しましたが、4、5人の先生方は長ねぎをはしがわりで食べる店で追加食事もしたとの事。「究極のそば」を食べ大満足。次の目的地である斉藤清美術館行きを中止。大内宿でゆっくりしました。さすがに帰路の車中ではお疲れの様子で昼寝タイム。目が覚めた頃、阿賀野川PAでの休憩。医師会館に向け最後の行程。またバスで宴会開始。いろいろ楽しい会話もはずみ、医師会館無事到着。今回は12名と人数も少なかったですが、皆さんたいへん良い先生ばかりで、仕事からも日常の雑用からも離れた有意義な一泊二日でした。大変楽しかったですよ!! おもしろかったですよ!!寝ている時以外はアルコール漬けでしたが(筆者は)後日中村先生曰く「小林先生のための旅行でしたね。」と言われ、そんなにはしゃいでいたのかなあと反省しております。堅苦しい旅行と思っておられる先生、とても気楽で楽しめる旅行です。マイクロバスではなく大型になるくらいの先生方の参加も期待して、来年を待ち遠しく思いながら原稿を書いております。
 とにかく楽しかったです。
 皆様ありがとうございました。

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「第20回糖尿病を知るつどい」を開催して

実行委員長 八幡和明(長岡中央綜合病院)

 秋晴れの10月14日長岡リリックホールにて「第20回糖尿病を知るつどい」を開催いたしました。このつどいは糖尿病の患者さんや家族、あるいは一般市民の方に糖尿病のことをわかりやすく説明し、予防や治療に役立てていただこうと考え、今から20年前にはじめた活動です
 当時の長岡市医師会長 鳥羽嘉雄先生にご相談したところ医師会が中心となって長岡市、保健所、看護協会、栄養士会、臨床衛生検査技師会など多くの団体に呼びかけ、協力して事業を行うことにしました。
 昭和62年11月に「第1回糖尿病のつどい」を開催しました。当時はこのように地域全体で糖尿病克服にむけて活動していく会は全国的にもあまり例がなく一体どのくらいの人が集まるものかと心配しましたが、当日は650人の方が詰めかけ会場に入りきれない程の大盛況となりました。この反響に勇気づけられ以後毎年1回秋に開催を続けてきましたが、気づけば今年で20年目となり人間でいえば成人式をむかえたことになります。毎年のように参加していただいている患者さんにはもちろんですが、この間多くの先生方はじめ関係諸団体の皆様のご指導ご協力をいただいてのおかげと感謝申し上げる次第です。
 さて今回のつどいは《楽しく、明るく、元気に》を合い言葉に350人を超える人たちが参加して会場は満員、立ち見がでるほどの大盛況となりました。今回のつどいは患者さんにわかりやすいプレゼンの方法は何かを考えるために二つのことをテーマに据えました。一つは聴衆と語り合いながら講演を進めていくことによって皆が参加できる講演会を企画しました。講師には全国でも人気の高い京都医療センターの坂根直樹先生をお呼びしました。《楽しくて絶対得する糖尿病教室》というタイトルで軽妙な話術を取り入れた楽しい講演をお聞きしました。会場内では参加者の意見が飛び交い和気諸々のうちに楽しく勉強できました。
 もう一つの試みは寸劇を通して考えるとしました。もともと糖尿病の合併症はバーチャル(仮想体験)なので実感が伴わないのですが、だったらいっそ劇にしてしまえばわかりやすいのではないかと考えました。以前にも看護協会の方から寸劇をしていただいたことはあるのですが、そのとき「先生方はやっばり劇なんかでてくれないんですね」といわれたことが気になっていました。そこで今回は私が悪い患者役で出演することにしました。案の定主治医が舞台に登場したことだけで大いに盛り上がり、熱心に劇を見てくれました。多くの患者さんが陥る間違いを再現し、注意をよびかけることができました。二つのねらいは見事大成功を納めることができたと思います。その他例年と同じく体操、血糖測定、栄養説明、質問の時間など内容は盛りだくさんとなりました。この勉強の成果が一人一人の療養生活にきっと参考になるだろうと思います。
 来年はまた違った試みのもとにさらに進化した「糖尿病を知るつどい」を開催できるように計画していきたいと考えています。これからも諸先生のご指導をいただければ幸いです。よろしくお願い致します。

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山と温泉48〜その48  古田島昭五(こたじま皮膚科診療所)

関田山塊の山

 城山 641米
 地籍は十日町市(旧松之山町)
 この辺りには、城山の名称の山が多い。日本全国、至る所で聴き、眼にし、登ったりもするが、いずれも低山で標高千米以下が大部分です。いずれも砦、狼煙台、望楼であったものと言います。この城山の由来は詳しくは分からない。
 R117を長野方面に向かう。十日町市市街を抜け、中里で右折、R353に入り、信濃川を宮中橋で渡る。県道49に入り、まもなく左方の城山への林道がある。林道を登れば頂上真下に出る。頂上真下手前で左折、鰕池峠を経て有倉山に到る。この山の展望は山並み遥か、と。

 有倉山 632.9米
 地籍は十日町市(旧於之山町)
 山名の由来は分からない。色々あるようです。
 R117を十日町市、中里を過ぎ、清津大橋を渡り「松之山温泉方面」の標示に従い県道49に入り、信濃川に向かいくだる。橋を渡り急登しR353に入り右折。まもなく鹿渡集落、左手に有倉山、林道を上る。山頂の展望は城山同様。この周辺に、鹿渡温泉、辰ノロ温泉がある。いずれも冷泉、所謂「鉱泉」で古くから在る湯治宿。
 R353を松之山温泉方面に行くと豊原トンネルがある。このトンネルの真上に旧道の豊原峠があり、この稜線伝いに山頂に行ける。この稜線の展望は面白い。
 城山、有倉山のハイキングは、中山間地展望に最適のようです。

 天水山  1088米

 無名峰  1136米

 三方岳  1138.8米

 深坂峠  1195米

 野々海峠 1080米

 越後、信州の国境上に並ぶ山と峠
 地籍は天水山、無名峰、三方峠、深坂峠、ともに十日町市(旧松之山町)。野々海峠は、上越市 (旧大島村)。この山々、峠は、信州・長野県下水内郡栄村、飯山市と、越後・新潟県十日町市、上越市との国境・県境の山であり、この山々を越えて交易が行われた。古くからの峠であり、峠路である。現在は旧於之山町から舗装された林道が、県境稜線の真下を走り深坂峠を越えるので、簡単に県境稜線の山頂に立てる。峠路を長野県側に下ると国道17号線に出る。
 天水山、無名峰、三方岳は、関田山塊がそうであるように、日本海岸側頚城平野からの壁であり、屏風となっている。又、渋海川の源流であり、下流域の水質源の源でもある。しかし渋海川は、しばし水災害を麗らす。自然の摂理であろう。
 登路は三方面からになります。いずれも車の利用となります。歩行では、古い路は廃道となり残っているとすれば地元の人に教えて貰う事ですが、結局は舗装された林道を歩くしかないようです。旧桧之山町県立自然高原・大巌寺高原、大巌寺牧場より、深坂峠に向かい林道を行く。峠の手前で稜線に出る登路がありますが、標識がはっきりしないので注意。頂上稜線は低い雑木の為歩きづらい。駐車余地は林道路肩しかありません。
 旧大島村より野々海峠へは、安塚町からR405で松之山方面に向かい右折、県道に入り菖蒲高原に向かう。此処から野々海峠に登る。峠から少し行くと「野々海池」、池を過ぎ深坂峠への路が分岐、ここを左折、深坂峠から松之山方面に下る。右の稜線が県境稜線で、三方岳、天水山、それぞれの頂上稜線になります。林道に車を停め、頂上稜線の登山口を見付けて下さい。
 R117で津南町を過ぎ、信濃川に架かる宮野原橋を渡り、長野県栄村に入る。栄村役場、栄大橋、青倉トンネルを出て国道を離れ、国道の左下に下り、右上のトンネル上部に出て急坂を登る。標識「野々海池キャンプ場」を確認して下さい。林道入り口が見つからない場合はもう一つの登路を利用します。R117を更に進み、まもなくJR飯山線「ひらたき」前に出ます。標識を確認したうえ数百米先で右折、飯山線線路敷きを潜り、急坂を登る。千曲川(信濃川)に向かっての急傾斜地の集落を抜けると傾斜は凄くなり、青倉、横倉からの林道と合う。林道は野々海池近くで分岐、左折すれば野々海池沿いにやや下り、野々海峠(1080米)に到る。
 右折すれば、やや登りながら野々海他の端を廻り、左の山毛欅林低地のキャンプ場を見ながら上り詰めると山毛欅の美林が終わり、展望が開ける。標高1195米の探坂峠。

 深坂峠 1195米
 「御坂」・「三坂」とも書くと言う。1995年出版の『信州百峠』には、次のように記載されている。
 「……古代東山道の脇道とみられ、現在は、深坂、野々海の二筋となつているが、両者とも古代の北陸道筋の三島駅家(柏崎)へ通じるもので、両者含めて御坂と呼ばれていたものと考えられる。」
 十七世紀から十人
世紀にかけて、松之山、柏崎から、魚介類、米など、この峠から信州に運ばれ、販売されたものと言います。又、この峠道はしばしば改修が行われ、通行料が徴収されていたようです。明治時代に信越線開通で交易の役目は終わり、山毛欅の美林が残ったのです。

(註1)
 深坂峠・野々海峠へ国道17号線から登路の林道入口は、最近の情報がなく、栄村役場などで確かめて下さい。国道の道路改修、改修工事が盛んなようですから御注意願います。

(註2)
 国道17号線から、探坂峠・野々海峠・野々海池への林道入り口は、三ケ所、詳細は、栄村役場に尋ねて下さい。

長野県下水内郡栄村森 栄村役場 TEL 0269-87-3111

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柿八年  郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 ピンポーン。おう、いつもながらでかいチャイム音だこと。「おはようございまーす。」耳の悪い父が奥からゆっくり玄関に出てきました。

「これ、うちでとれた今年の初物の柿。味を見てもらおうと思って持ってきたんだ。」とわたしは下げていた三個の柿の入ったポリ袋を手渡します。

 …初物を食べるたびに寿命が伸びると言うしね…。

 見回すと父の家ではすこしずつ雪囲いのしたくが始まったようです。

「冬支度をもう始めましたね。」

「ああ『七十五日』という虫が飛ぶようになると、その日数だけたつと初雪が降るんだってね。そろそろそんな時期になった。」

「では出勤途中に寄ったんでー行ってきます。」

「ああ、ありがとう。」

 わたしの場合、秋の果物の中で、もっとも好きなのは柿です。それも渋抜きされ大量に出回るモト渋柿でなく、胡麻が入ったと形容される種のある甘柿が好物です。かの「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」の俳句で名高い正岡子規なぞもたいへんな柿好きであったそうですな。

 『マイ柿』とでも申しましょうか。最近は庭で育てている柿の木があります。まだわずかな数しかとれないが、この柿はたいへんおいしい。

 その柿の木は、数年前に市内の園芸店から小さな苗木を購入。家人とふたりで庭先に深い穴を掘り、あれこれ肥料を入れて植えたものです。まだ高さ三メートルほどですが、順調に育っております。品種名は「次郎柿」という表示でした。まあ園芸店の苗木の表示はいいかげんなことも多いので、本名は違うかもしれません。

 自宅周辺はカラスが多く、トマトなどの畑の作物でも、カラスは天敵です。この秋もいくつかの柿の実には、くちばしで突ついた跡がありました。きっとまだ渋みがぬけてなかったのでありましょう。その味見をしたカラスは、あきらめて飛び去ったものと想像されます。こんな捨てぜりふを残しながら…。

「なんだバカア、この柿、渋いじゃねえカア〜!」

 今年は二十個あまり実がなりました。この柿の食べ頃を待つ日々。柿色の深まりと黒模様の浮かび加減を見ながら、虎視耽々。その朝、数個だけ収穫してみて、まず家人と二個ほど剥いて味見確認をしました。

「おいしい。」「うん。うまい。」

「ちょっと渋みの残る部分もあるかなあ、まあ大丈夫そう。」

 なかでもうまそうな外見の三個を出勤途上に回り道をして実家へ届けたのでした。

 実家と数十メートル離れた父の家庭菜園にも、年数を経た栗や柿の木があります。偵察によって見ると、大きな柿の木はもう一息なのと、食べ頃なのと入り交じり、たわわに実がなっておりました。父は「甘柿と言うんだけど、チョイ渋でいまいちうまくない。」と評しています。

…丈夫な父も夏に胸の手術をして、高いところは無理だし、今度の休みに、マイ高枝切り鋏を持参で一部だけでも柿椀ぎに来てあげようか…。

 その日の夕方、母からお礼の電話があって、笑っていたそうです。

「わたしらも田舎育ちだから、柿は長年食べているが、こんな上品な甘さの柿はないねえ。お父さんたら、この柿の種をとって置いて来春に自分も蒔くってさ。まだまだ長生きするつもりのようだよ…。」

 ちなみに父は大正五年生まれの卒寿なのであります。

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