長岡市医師会たより No.322 2007.1

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もくじ

 表紙絵 「1月3日の富士(忍野にて)」 丸岡 稔(丸岡医院)
 「新年のご挨拶」 会長 大貫啓三(大貫内科医院)
 「新春を詠む
 「山と温泉48〜その50」 古田島昭五(こたじま皮膚科診療所)
 「大きいことはいいことだ」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



1月3日の富士(忍野にて)   丸岡稔(丸岡医院)


新年のご挨拶  会長 大貫啓三(大貫内科医院)

 新年あけましておめでとうございます。諸先生におかれましてはいかが新年をお迎えになられたでしょうか。
 長岡市医師会は、昨年4月に旧栃尾市古志郡医師会ならびに旧三島郡医師会と合併し、会員も400名に届く勢いです。広域になり会員数も増え仕事量も増えますので、定款を改正し理事の定数を次回の選挙より2名ほど増員することを考えております。
 また、新潟市は本年4月から政令指定都市となり、独立した行政機構となりますので、県と直結した医師会としては、長岡市医師会が最大の医師会となります。このことからもイニシアチブの取れる医師会になるよう頑張って参りたいと存じます。
 さて昨年は、3.16%の診療報酬大幅引き下げに代表されます財政主導型の政府の施策に、病院・診療所ともに振り回された年でもありました。その影響は私達の診療に濃く影を落としておりますが、国民の健康を預かる医療者としては、財政主導型の施策には今後も強く抵抗して参りたいと考えております。
 長岡市医師会会員の2/3を占める勤務医にとっても、昨今の医療情勢は受難の時代といえます。今始まったことではありませんが、過酷な労働環境や市民の医療に対する過剰な期待や不信等によって、勤務医の疲弊がさらに増しております。これに追い打ちを掛けるように、異常分娩に関連した福島県立大野病院事件に見られるような医療への司法の介入などで、勤務医ひいては医師全体の医療の萎縮を来す結果となっております。またこの事件をきっかけに産婦人科の医師が出産を扱わなくなる事態も続出してきております。このことに対し行政は、医師が不足している病院の産婦人科や小児科の集約化を検討し始めましたが、医療面での集約化のメリットはあるものの、集約化により周辺地域住民がさらに不便になることも予想され、この問題は慎重な検討を要すると考えます。
 以上のような勤務医についての問題についても、医師会としても積極的に取り組み、また勤務医を取り込む形での医師会活動を行いたいと考えておりますので、勤務医の先生方の積極的な参加を期待しております。
 昨年3月から始動した長岡市中越こども急患センター診療事業が、中越地域の小児科医の全面的なご協力を得て順調に稼動しておりますことは喜ばしい限りです。これも偏に小児科の先生方のご協力の賜と感謝いたしております。
 卒後研修では、若い医師の都会での研修志向は如何ともしがたく、そのしわ寄せが新潟大学附属病院での研修医の激減となって現れています。確かに関東の有名病院での卒後研修は、研修カリキュラムや症例数、指導スタッフなど若い医師にとって魅力のあることは間違いないと思います。しかし、前期研修を終えた彼の身の処し方を考えるとき、必ずしも関東の有名病院での研修が良いとは限らないと考えます。このような状況のもと長岡市においては、三病院のご努力によってどの病院も定員を超える研修希望があり卒後研修がスムーズに行われており、敬意を表します。
 また文部科学省は、平成14年度から高等学校にスーパーサイエンスハイスクール(SSH)研究開発校を指定し理数系の教育に力を入れてきていましたが、平成19年度からはメディカルコースを設置して、将来医療に貢献する人材の育成を目指すことになりました。新潟県では県立新潟高等学校と県立長岡高等学校の2校が指定を受け、平成19年度からメディカルコースに35人程度を募集することになりました。メディカルコースを選択した生徒は、在学中に病院や介護施設での実習や、医師の講演を聞いたりして、医療に対するモチベーションを高めることになっております。長岡における若い医師の育成につながる事業ですので、病院の先生方や講演依頼を受けた先生方には、よろしくご協力の程お願い申し上げます。
 休日急患診療所に今年の夏頃から、医師が本来の業務に専念できることと事務の効率化、カルテの保存を容易にする目的で、電子カルテとレセコンを導入すべく現在着々と準備を進めております。この電子カルテは現在長岡市中越こども急患センターに設置されているものと同じもので、手書き感覚で診療所見を記載できる優れものです。よろしくご協力の程お願い申し上げます。
 平成20年度から老人基本健診など
の健診・保健指導が、保険者が主体となって行うことが厚生労働省から明示されました。かかりつけ医がどのような形で関わるのか今ひとつ不明な点があり、また健診業務を行う保険者がそのデータと個人のレセプトと突き合わせることで管理医療につながらないかなどが危惧されています。具体的な実施方法等不透明な部分は数多くありますが、注意深く見守りたいと思います。
 現在、長岡市医師会館の大ホールはたくさんの医師会共催の講演会会場として、また会議室は看護協会や薬剤師会の皆さんからもご利用いただき高い評価を受けておりますが、一般市民の利用は今ひとつ活発ではありません。昨年は唯一大島中学校の吹奏楽部が、県大会出場前のゲネプロの練習の場として大ホールを利用され、見事銀賞に輝きました。市民にも開放された医師会を目指しておりますので、お気軽にご利用いただけたらと思っております。
 最後となりましたが、今年一年、太田・富所両副会長ならびに長尾庶務担当理事を初めとする理事の諸先生方の協力を得て、長岡市医師会をさらにより良いものにして参りたいと存じますので、会員各位のなお一層の御指導、御鞭撻をお願いして新年のご挨拶といたします。

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新春を詠む

極月の 別れの酒や 酌み交わす  渡辺修作

めでたさは 傘寿を祝ふ 淑氣かな  荒井紫江

あくがれし 兵学校の 山眠る  十見定雄

獅子舞の 喉が見上げる 弥彦山  伊藤 洸

地吹雪の 真上の空の 青さかな  石川 忍

捨てがたき 書き込みありぬ 古暦  郡司哲己

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山と温泉48〜その50  古田島昭五(こたじま皮膚科診療所)

 登路:古い「菱ケ岳信仰」の山頂薬師堂(奥社)と、里宮「菱神社」(本社・薬師社)を繋ぐ参詣道は、現在も登山道として利用されています。キューピットバレースキー場が1990年(平成2年)12月22日開場、更にR403が新須川峠まで舗装されて完成した事で山麓須川からの登路はさびれました。スキー場ゴンドラで終点山頂駅まで登れば、山頂まで40分、R403から直登で一時間、登頂だけならばこの登路でよいのですが、須川からの参詣道は別です。風情があります。

(1)山に慣れない方、子供達れの方は、夏季間運転のゴンドラ利用を勧めます。ゴンドラはスキー場ロッジから一挙に終点山頂駅・標高960m、スキー場の最高点迄運んでくれます。山頂駅の周囲は立ち木のない、かなり広い草付の広場になっています。ここで須川集落からの登山道と合流する。広場からの展望は頚城平野が一望です。一方、菱ケ岳は西側が崩落のため削ぎ落ち、木々で固められた巨大な塔が眼前に立ちはだかる。古くはこの崩落の下に参詣道があったと言います。木々の隙間に垂直の岩壁が見える所に「頂上まで40分」の標識板(看板)がある。標識板に従って東側の須川峰と、菱ケ岳とを繋ぐ屋根に向かう狭い谷間の路に入る。この路は旧須川峠への旧道の一部で、廃道となっている。湧き水のため湿った路をゆっくりと登ると、間もなく路は草薮に被われて消え、僅かに獣道を思わせる細道が辿れるのみ。路の消えた地点から右折、潅木や喬木の混じった暗い雑木林の中の急斜面を急登、小さい江溝を越えて登る。雑木林が切れると菱ケ岳西側稜線に出る。平坦な登路からさらに登ると、間もなく小広いテーブル状の菱ケ岳頂上に立つ。頂上広場は東向きに薬師堂(菱神社奥の院)、南端に一等三角点を示す石標があり、休息には展望の良さを加えて充分すぎる位。展望は頚城平野、米山、妙高連山、更に苗場山と、立って一回りすればすべて眺められます。展望抜群です。

(2)須川集落からR403を「ゆきだるま温泉」とスキー場ロッジの間を抜け、スキーコースを左に観ながらジグザグに登る。所々でコースー吋に入る道になるので注意。登るのに従い、道はスキーコースから離れる。展望の開けた南端カーブは菱ケ岳南尾根の末端で、伏野川上流の不動沢に落ち込む突端。ここの眺めは戦場の跡の様。喬木、潅木はない。到るところに穴、在った筈の棚田はなく、谷川の斜面地は荒地となった。伏野川を中心に菱ケ岳南麓一帯には広大な地域の地滑りの爪痕、膨大な費用を要した土木工事で漸く回復に向かっています。その一助もあって、R403は立派な舗装道路となった。このカーブを回り暫く登ると、不動沢源流の小沢の手前左に「登山口」の標示がある。右の深い不動沢に不動滝があるが、ここからでは見えない。近くに奇妙な石がある。これが火炎石でなんの変哲もない。
 登山口は標高860m、頂上1129m標高差約300mの登りになる。路は広く近くに駐車可能な広い空き地がある。路肩から掬の喬木林の急斜面を登る。雑木が少ないので歩きやすい。間もなく平坦な路になり、広場に出る。岩の問を抜け直登、なかなかキッイ。喬木帯を抜けると薮となり、いきなり頂上の南端に飛び出す。この登路を下山路とすると、膝が笑う。
 この路は、古くは伏野よりの参詣道らしい。またこの路を不動沢に下り、不動滝での参籠に利用したものか、急須川道が解らないので言いようがない。調べてみたい。
 小黒川・伏野川・不動沢・不動滝・菱ケ岳の道は、どうであった
ろう。
 須川峠・伏野峠と峠に至る道は、峠を含めてすべて廃道となっている。(11月現在)

(3)須川道
 この道は、須川集落バス停留所からはいる。集落のはずれにある菱神社から登るのも良いでしょう。
 標示がたくさんあり、途中の安塚町の「ゆきだるま物産館」、須川の「ゆきだるま温泉」、「スキー場ロッジ」で聞いてください。
 スキー場の見える須川集落東端から、水田の中の道を行く。道は次第に登りとなり、棚田の端を行く。道は次第に雑木の道となり、標高670mで隣の菖蒲高原越えの道を分岐する。さらに緩登、杉と松のある地蔵尊「赤禿ノ地蔵様」に至る。この地は標高750m。道は急斜面急登となり、菖蒲高原に供給される用水の源流「ドンドン清水」に着く。登山の水場休息場で標高830m。この上部に、ゴンドラ終点山頂駅舎・標高960m(スキー場の最高点)があり建物が見える。旧道は急斜面をジグザグに登る。この道は須川峰を絡んで旧須川峠に向かいますが、途中から終点山頂駅からの登山道と合流する。旧須川峠とこの旧道は、一部を残し廃道となりました。(続く)

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大きいことは いいことだ  郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 新年おめでとうございます。

 関東在住の友人Kくんからの賀状に「映画館のようなテレビ画面を楽しんでますか?」と奥さんの一文がありました。
 昨夏のお盆頃です。実家の越路町(いまや長岡市内)に帰ったKくん一家が、我が家にお土産を置き、ついでに顔を見せてくれました。「上がってお茶でも…」と家人。「これから高速道で帰るから、また今度ゆっくりね。」とKくん。「そうか、残念。じやこれだけ見ていってー。」と玄関から居間へ引き入れます。わずか三歩の距離、麻のれんをかき上げると…。「わあ大きい。」「すごーい。」とこども達の目はまん丸。どーんと大きな画面のプラズマテレビです。半月ほど前に購入の新入りホヤホヤ。湯気こそ立たないが、実際に画面前を歩くと熱気が感じられる放熱体の五十八インチの大型。「これなら映画館に行かなくても楽しめるねえ。」「うらやましい。」とにぎやかにKくん一家が車に乗り込んで帰るのを見送りました。
 食料品以外のすべてに物持ちのよい我が家ですが、ついに昨夏に十五年使用したテレビが故障。一部放送の映像が不鮮明でリモコン作動も不良。デジタル放送へ切り替えの世の中の事情も考慮して、一大決心をして、大画面のデジタル受信用プラズマテレビを購入したのでした。
 数年前に、人生の先達と仰ぐE部先生がご購入された大型のプラズマテレビでのスポーツ番組鑑賞の魅力を書かれたことがあったかに記憶しています。以来、自分もテレビを買い換えるなら絶対に大型画面をと思っておりました。
 ところで「大きいことはいいことだ」のフレーズは山本直純のチョコのCMで有名でした。ネット検索では四十年前の昭和四十二年のこと。富士を背景に気球から身を乗り出した山本直純が、オーバーにタクトを振り、1500人の出演者の大合唱。
 大きいことはいいことだ。
 おいしいことはいいことだ。
 ナイーブな価値観が受容されていた好景気の頃だったようです。
 このたびは、テレビ画面は絶対に大きいことがいいと実感しました。わたしも家人も五十代。それなりの老化で視力が衰えつつあります。新聞の細かい字のみならず、離れた距離のテレビ映像も遠近調節の障害で見づらい。そこでテレビの画面の大きさと鮮明さはありがたいです。またBS等ですてきな音楽番組もあります。装置には凝らぬ無精なクラシック音楽好きですが、ついでにアンプと脇スピーカー付のオーディオ・タイプのテレビを選びました。これで音楽も演奏シーンとともに(ときに超細部までアップで)さらに愉しめるようになりました。自宅のソファで紅茶など飲みつつの鑑賞は快適。それに比較して、会場の椅子に窮屈に座り(…わたしの大きい体のせい?)また途中で飲食もできない(…おいおい!)また決められた時間、場所へ出かける必要のある演奏会なんて。
 海外の紀行番組などの風景も映像が美しく臨場感あふれ、感動です。
「うーん、コッツウオルド地方の風が香るような気がする。テレビは楽な旅で良いねえ。」とわたし。だが家人はテレビ鑑賞ベスト論に異論があるようであります。
「そうかしら、やっぱり現地ならではの良さってあるわ。あなた、まさか海外旅行に連れてくのに、予防線張ってるわけではないわよね?」
 長年連れ添った勘は鋭いです。

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