長岡市医師会たより No.324 2007.3

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もくじ

 表紙絵 「惑星誕生」 福居憲和(福居皮フ科医院)
 「熟女六人の旅」 小林眞紀子(小林真紀子レディース・クリニック)
 「ACLS講習会参加体験記」 荒井義彦(荒井医院)
 「ACLS講習会に参加して」 窪田久(窪田医院)
 「名古屋お土産グルメ」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「惑星誕生」 福居憲和(福居皮フ科医院)

必要があって 生まれてきて

あふれころがり 宙をゆき

やがて ひとつの円を成し

光の役割を 遂げてゆく


熟女六人の旅  小林眞紀子(小林真紀子レディース・クリニック)

 私は昔から旅行好き、特に温泉は大好きです。北は北海道から南は鹿児島まで、いろいろなところを旅し、さまざまな温泉に行きました。しかし産婦人科を開院してからは、なかなか思うように時間もとれず、めっきり外出も減っておりました。分娩取扱いをやめた今、再び、出かけたい病が疼(うず)き始めました。
 このたび最高に楽しい旅を経験いたしましたので紹介したいと思います。
 長岡市にはJOY会(女医会)という、とても楽しい会があります。発足してすでに10数年経ったでしょうか? 最初は、ほんの数人であった会が、現在では、20名以上にもなります。1年に2〜3回集まっては、おしゃべりをしたり、美味しい物を食べたりして過ごします。気が付いてみたら、いつのまにかこの会がとても待ち遠しくなっているから不思議です。
 このたびの旅のメンバーは、その元祖!?(ミニJOY会とでも名付けましょうか!?)ともいえる熟女6名(敬称略)

 発案:児玉伸子
 企画:鈴木しのぶ
 メンバー:大関忍・木村嶺子・児玉伸子・鈴木しのぶ・森下美知子・そして小林眞紀子の六名(五十音順)
 目的地:信州須坂市にある「仙仁温泉・岩の湯」
 コース:
  9月23日(土)
   午前9時20分 長岡駅改札口集合
     9時42分 出発・新幹線高崎で乗替えて長野へ
   午前11時44分 長野着・長野駅→善光寺→城山公園の散策
   午後5時頃 長野駅→電車で須坂駅
   午後6時頃 仙仁温泉岩の湯着
  9月24日?
   午前10時頃 出発→須坂動物園
(今話題のオジンカンガルー「ハッチ」に会う)→蔵の町の散策
   午後2時10分 長野駅発・高崎経
由で午後4時18分長岡着

 当日は天候にも恵まれ、最高の旅行日和でした。長岡駅には全員定刻よりも早めに軽快なスタイルで集合。今回の旅への心意気が感じられます。新幹線に乗る前から、わいわいとおしゃべりが始まり、文字通り(姦×2)の旅がスタートいたしました。新幹線の中では3人掛の椅子を向かい合わせにしてしゃべり続け。今、思い出してみても、どこからその話題が出てくるのか不思議なくらいです。
 長野駅に着いてからは、鈴木しのぶ先生の道案内で城山公園、善光寺の戒壇めぐり、東山魁夷美術館と、とにかく歩き続け!! 途中で食べた「信州そば」も絶品。立ち寄った喫茶店のコーヒーも抜群。高校時代を長野市で過ごされたという先生にとってはまるで庭のようなもの。時のたつのも忘れ、しやべり続け、歩き続けて、気が付いてみたら万歩計で1万8000歩にもなっておりました。
 目的地信州須坂の仙仁温泉岩の湯に到着したのは午後6時過ぎ。信州須坂から菅平高原へと続く道の脇の林の中にひつそりと建つ「岩の湯」。温泉の歴史は古く、仙人伝説が残っている他、武田信玄、上杉謙信の隠し湯であったともいわれているとのこと。門をくぐると驚いたことにそこはまさに日常とは別世界。気持ちの良い出迎え、そしてステキなテラスへ通されて自家製の菓子と抹茶のサービス。この気持ち良いもてなしが、到着してから帰るまで続くとは、この時には思いもよりませんでした。建物から家具調度品に至るまで、和風と大正ロマンとがみごとに組み合わされており、それが自然と見事に融け合っており、何とも言えぬくつつろぎの空間をつくりあげているのです。夕食前に名物の「洞窟風呂」へ。岩盤をくりぬいて作られたという奥行30メートルの「洞窟風呂」は、岩壁から温水が滝のように流れ出しており、美肌になるとの評判も!! 児玉伸子先生と、木村嶺子先生は、さすが好奇心と冒険心のかたまり。温泉の滝のかなり上方まで探検。
 全員、お肌スベスベになった後、待ちに待った夕食へ。夕食は個室の食事処で、できたての料理が一品づつ運ばれ、温かいものは温かく、冷たいものは冷たく、量も多すぎず、少なすぎず、旬の味覚たっぷりの最高の料理。そして食事の時間制限さえまったくなしという心配り。デザートのバニラアイスクリームも最高。仲居さん(?)のお料理の説明も完壁、素材から作り方までの質問にもすらすら対応する。これには驚いてしまいました。さらに食事はこれで終わりではなく、食後も部屋に夜食の「巻き寿司、漬け物、果物」が届く。直接対応してくれる係の人はもちろんのこと、どのスタッフも廊下ですれ違うと立ち止まりにこやかに挨拶をするのです。それら、すべてが押し付けがましくなく、ごく自然な感じなのです。
 夜は、その夜食を食べながら真夜中までおしゃべり。家庭の話、趣味の話、仕事の話とつきることはありませんでした。こうして旅の第1日日は満足感いっぱいに終わりました。
 2日日は、朝の散策から始まりました。部屋を一歩出ると、館内はいたるところにパブリックスペースがあり、湯上がりにくつろげるラウンジや書斎風の図書室など部屋にとじこもっているのがもったいないほどのゆとりの空間がいっぱい。
 朝食には源泉で炊いたという蕎麦粥。とにかくおいしい。みんなでおかわりもしてしまいました。いつも控目な大関忍先生が、「パンと和風のおかずで」と希望されたのにはビックリ。ところが、食事処での、私達の係の若い男性、それも今はやりのイケメンの彼が嫌な顔ひとつせず、すばやく対応してくれたのにはほんとうに驚いてしまいました。
 約2時間以上もかけ、ゆったりとした朝食を堪能した後、午前10時過ぎ、仙仁温泉岩の湯をあとに致しました。
 帰路の途中、須坂動物園で今話題のオジンカンガルー「ハッチ」に会い、蔵の町で「幻の銘酒」を購入、そして果樹園でリンゴ・ぶどう・ネクタリンなど、それぞれが家庭へのおみやげを手にし、一路長岡へと向かいました。帰りの新幹線の中での話題は、もっぱら今回の旅の楽しかったこと。そして、風呂良し、食事良し、雰囲気良しの「仙仁温泉・岩の湯」で最も感激したのが、スタッフの接遇の好さであったと。わざとらしくもなく、堅苦しくもなく、それでいて必要以上に踏み込んでくることもなく、結局「おかみ」はどの人だったのだろうか!? どの人がおかみかわからぬほど、スタッフ一人一人の接客がすばらしかった、との話でもちきりでした。年間客室稼働率98%、日本で最も予約の取りづらい宿と言われているのも納得出来ました。このような思い出に残る族を発案して下さった児玉伸子先生、企画して下さった鈴木しのぶ先生に感謝の気持ちでいっぱいです。そのままアルビレックスの応援に新潟まで行かれるというパワーいっぱいの森下美知子先生を新幹線に残し、私達は午後4時18分長岡駅に到着。楽しかった思い出を胸に、それぞれの帰路につきました。

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ACLS講習会参加体験記  荒井義彦(荒井医院)

 平成19年2月18日雨、朝8時25分、会場の長岡赤十字病院付属看護専門学校に着いた。初めての場所、初めての講習内容であり、緊張の面持ちで玄関に入った。既に建物内には旧知のS医師、医師会のHさんの顔があり一安心。教室内で待っていると数人の顔見知りも参加していた。いつもの医師会の講演会と違って団塊の世代より上の世代の先生はおられないようだ。オリエンテーション後デモンストレーションが披露された。演者は新米の看護師とのこと、迫真の演技に圧倒された。その後、3名のグループ毎に分かれBLS(一次救命処置)、気道確保、心電図と薬剤、除細動AED(自動体外式除細動器)と決められたテーマのブースをまわった。我がグループは眼科開業医のT医師(女性、推定年齢30代後半)、と現役救急隊隊員Y君 (推定年齢20代後半)の三人であった。
 最初のBLSのブースではY君の日
常業務そのままのほぼ完壁の手技、大声で「どうしましたか、呼吸確認します、見て聞いて感じて、ヨン、ゴ、ロク、シテ、ハチ、ク」(因みに、BLSでは呼吸確認は5秒から10秒以内でと教えている。)ウームできるなー、場違いの講習に来てしまったかと弱気な考えが一瞬頭をよぎった。それでも彼はいつもやっている事だからと自分を叱咤。そんなスタートだったが、繰り返しのプログラムの効果か、各ブースを回っていくうちに徐々に声も出て身体も動くようになった。これが本コースの優れている由縁か、アメリカ式の教育プログラムのせいか、受講医師の多くが中堅開業医で遠慮があるためか、スタッフは質問に答えられれば形容詞をつけて褒めるが誤っても鼻から否定はしない。まるでぬるま湯につかっているような妙な雰囲気。何とかもおだてれば木に登るのだろうか。将来、デイサービスを利用する時はこんな感じで接しられるのかなあとなんとも複雑な気持ちになった。あの違和感はどうしてだとずっと考えていた。そしてやっと結論に達した。卒後数年は、教えられることばかりであった。それが年を経るごとにこちらから聞かなければ何も言われない環境に変わってきた、まして開業した今では、この独自の実践講習のように直接教えられる体験は久しくしてなかった。まだまだ若いつもりでいたが、世間的にはそうでない証だろう。その後、昼休みを挟んで疑似症例に対する処置の講習があり、最後は総括としての実技評価を受け終了となった。正直一日疲れたが天気も回復し駐車場からの信濃川は鷹揚と流れ、その向こうの一部雪のある鋸山はまさにあざやかに青く輝いていた。
 この講習会に参加して、最も新しく有効な心肺蘇生を系統だてて学べたことは、大変有意義であった。振り返ると、研修医時代は癌の末期でも必ず心肺蘇生を行った。心マッサージでは肋骨が折れ、ほとんどのケースは死を迎える儀式となっていた。最後はカテラン針によるボスミン心注で臨終だった。使用する薬剤も指導医の経験と好みによって様々だった。今回の講習のように心電図モニターの波形によりVF(心室細動)ならどうする?、PEA(脈なし電気活動)では?、ボスミン側管注後生食20mlでの後押し、続いて点滴肢挙上をすることは初めての経験であった。新しいエビデンスに基づく手技を実感した。幾つになっても知識のリフレッシュが必要というのが率直な感想だ。
 本講習がもっと広まるために今回の体験を踏まえて我儘な提言をしたい。今後の普及は、医師に限って言えばシニア世代および頻繁に救命に関係する科以外の医師の参加がどれ位あるかにかかっていると考える。私は戦後一桁生まれであるがPEA、AED、BLS、ACLS等横文字略語を覚えることが大変になってきている。この傾向は医学界だけに限らないが昔から使っているNHKやJRには違和感はない。要は慣れの問題だろうが、残念だが年齢を経るに従い頭に入るのに時間がかかるようになってきている。最近カルテや介護意見書は略語を使うなと指導されているのに、何か釈然としない。また講習会の最後の実技の評価で医師以外の妙齢の女性のスタッフに口頭質問されたが、若くても医師ならまだしも、ふた昔も以上前に研修医を終了した私には、医師再教育の場のようで精神的に辛いものがあった。アメリカからの教育プログラムだから、皆対等な関係であると理屈ではわかっているのであるが、シニア世代は同じグループにして、担当の口頭諮問官は医師にするとか、そうでなければ、シニア医のためのコースを別口に設ける等の配慮があるとありがたい。さらに今回学んだことを実践する場はそう多くはないだろう。記憶が風化しないようビデオに記録してあると、定期的に見返せ、記憶を呼びおこせるので大変助かる。この講習の内容は医師である以上は、知らないでは済まされない重要な内容である。5年に一度の見直しがあるようなので、気力が衰えていなければ、5年後また参加しようと考えている。
 最後に、貴重な日曜日を返上して普及に努めてくれたスタッフおよび関係の方々に深謝すると同時に、このコースがより盛況となるよう祈っております。

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ACLS講習会に参加して  窪田 久(窪田医院)

 平成19年2月18日小雨の降る日曜日に長岡市医師会主催のACLS講習会に参加してきました。以前より、医師会の事務の星さんや、日赤の救急部長、ボウリングで顔なじみの内藤先生から直々にACLS参加のお誘いのお電話を何度か頂いており、今回は参加させていただくことにしました。参加前には、医師会から送られた小冊子を読み、その中のプレテストの問題を解き、日本医師会雑誌の「実践救急医療」の関連部分を予習して、当日を迎えました。
 私も10年前までは、長岡中央綜合病院に勤務しており、当直の救急外来を月に2〜3回はこなしていたのですが、開業してからこの十年間というもの、心臓マッサージや人工呼吸の経験などは片手にあまるほどしかなく、気管内挿管にいたっては全くしていない状況で、実際にうまく行えるかどうか不安の中で講習に臨みました。しかし、日赤の内藤先生、中央病院の中村先生、開業された佐伯先生など、顔なじみの先生方がスタッフとしてご指導にあたられており、心強く感じられました。まず、内藤先生によるスライドを使用した講習があり、その後に日赤の研修医をリーダーとするスタッフ3人による救急蘇生のデモが行われました。大きなはっきりした声で協力者に指示し、救命への連携プレイを行っていくさまはあまりにみごとで、あっけにとられてしまいました。その後は6人一組のローテーションで、各部屋を移動しながら、救急医療の基本的手技や手順について指導を受けていきます。除細動とAEDの使用法、簡単な心電図の説明と救急で使用する薬剤の投与法、気道確保とバルブバッグの使用法と気管内挿管の仕方、BLS(basic Life support)と救急時の体位の変換や気道閉塞に対する対処法などを習って午前の部が終了。
 お弁当を食べて、午後からは、いろいろな状況下での救命処置のCaseStudyを3人一組のチームで、1人がリーダーとなり、実施していきます。私は日赤小児科の羽二生先生、柏崎救急隊の濁川さんと組ませてもらいましたが、お二人とも救急においては現役選手で、動きもスムーズ、声も明瞭、それにつられて私も徐々に、大きな声をだせるようになっていきました。救急医療ではチームワークが大切で、自分の行う行動や他人への指示をはっきりすることで、チーム全体がスムーズに動くことができる、このことを六日町病院の丸山先生が強調しておられました。その後は3人一人のチームごとにそれぞれ1回ずつリーダーとなり、今日一日学んだことを試す実地試験が行われました。何度も何度も行ってきたことなので、完壁にこなしたかったのですが、緊張してしまい、小さなミスがでてしまいました。
 さて、午後5時過ぎに修了証をわたされ、ようやく予定を全て終了。朝から夕方まで、なれない実地訓練は、結構疲れましたが、今後もし、救急の場面に遭遇したら、是非この日に学んだ経験を生かして、的確な救急蘇生を行いたいと思います。やはり医者の仕事の一番大切なことは人の命を助けることだから。
 最後にスタッフの方たちへ、当日までのご準備ご苦労様でした。そして暖かいご指導、とくに、われわれ受講者が失敗したときでも、気落ちしないようにと気をつかっていただき、誠にありがとうございました。

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名古屋お土産グルメ  郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 今年はめずらしい暖冬でしたが、寒が戻り、春の雪が舞っています。

「ただいま。はい、これ、電話しといた夕食用おみやげ。早くごはんにしよう。」
「お帰りなさい。寒かった
でしょ。…なあに、お弁当?」

 研究会への出張の帰りがけ、名古屋駅前M屋で買った老舗の鰻弁当です。徳川美術館の袋は、前日の午後についでに足をのばした徳川美術館の記念品。特別展示「尾張徳川のひなまつり」のカタログと、毛作り人形の犬のはがき入れ。またNHKで昨年放映した剥落した色彩を平安当時に復元した「よみがえる源氏物語絵巻」(もとの絵巻の大半が徳川美術館収蔵)の図譜集。実際の展示は本家本元でも絵巻の模写作品でした。それも一部のみで、期待して行ったぶん、ややがっかりでしたが。

「こっちの包みはなにかしら? 『どて煮』ってなんだろ、…なあんだ、もつの赤味噌煮込みか。あなたのお酒のおつまみね。」
「うん。きみのお
菓子はあす届くよ。昼休みに名古屋駅のT屋で送っておいた。職場のホワイトデイお返し用のお菓子もいっしょに宅急便で届くから、受け取っておいてね。」
「わかりました。全部
食べちゃわないように、気をつけるわ。」と笑います。

 T屋の名店街では、他にも芝安というお店で、麺類を宅急便で注文。名物の味噌煮込みうどんときしめん、他においしそうに見えた桜そば(花びらを練り込んだという桜色のおそば)と殻付きの蛤が添えられた蛤うどん。
 なかでも味噌煮込みうどんは、わたしの大好物。以前名古屋では有名なので行列に並んだ山○家総本家。太いうどんが固すぎて、過ぎたるは及ばざるごとし、と思いましたね。声をかけてきてくれた芝安の若い女店員さんに訊ねたところ、即座のきっばりした返答。「だいじょうぶです。うちのおうどんは山○屋さんのようには固くありません。」
 うーむ、打てば響くこの話の通じようは、やっぱりあの固さのうどんには好き嫌いがあるのでしょうな。そこでこのお店で注文してみることに決定しました。
 桜そばと蛤うどんの各二人前のセットは、父母にも翌日にお裾分けして、おいしいと好評。もっとも頂き物はなんでもおいしい老夫婦なんですが。わたしたちも届いた麺類をその後数日かけていただきました。上品な満足ゆくおいしさでした。
 さて我が家ではやや上等の煎茶を入れ、お弁当を開けます。名古屋名物のひつまぶし用に、よく焼き上がったあっさりめの味付けの鰻が細切りされて、たっぷりとごはんに載っていました。ふたりでそれぞれの分を小ぶりのお茶碗によそいます。わたしはご飯と鰻をよくかきまぜて、山椒をたっぷりかけ、あとは海苔を散らし、食べ始めました。

「うーん、うまい。今回も名古屋ではきしめんしか、食べる暇がなかったんだ。せめておみやげでもと思って…これは正解だったねえ。」

 家人も口を動かしながら、大きくうなづいております。でもごはんとうなぎだけを、混ぜずにふつうのうな重ふうの食べ方をしています。

「あれ、ひつまぶしだから、よくかきまぜて食べるんだよ。」
「まず、こ
うやって、味わってみたの。十分おいしいわ。あとの半分はまぜて食べてみます。」と半睨み?

 失礼しました。たしかに本場でも山葵入れたり、お茶漬けにしたり、各自のお好みで…というのが、鰻のひつまぶしの食べ方なのでした。

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