長岡市医師会たより No.337 2008.4

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もくじ

 表紙写真 「咲き誇れ、今!」(福島江の桜) 広田雅行(長岡赤十字病院)
 「医師会長(二期目)就任のご挨拶」 会長 大貫啓三(大貫内科医院)
 「最近料理をしています宣言」 戸枝路子(長岡中央綜合病院)
 「南アフリカにルーツを求めて〜その8」 田村康二(悠遊健康村病院)
 「無限軌道」 岸 裕(岸内科・消化器科医院)



「咲き誇れ、今!」(福島江の桜) 広田雅行(長岡赤十字病院)


医師会長(二期目)就任のご挨拶  会長 大貫啓三(大貫内科医院)

 この度、二期目の医師会長を務めさせていただくことになりました。もとより浅学非才の身ではありますが、会員の諸先生方のご協力をいただきながらこの二年間を努めて参りたいと思いますのでよろしくお願い申し上げます。
 さて、医療の崩壊や勤務医の疲弊が叫ばれて久しくなりますが、この度、森民夫長岡市長のご英断で、平日夜間、大人の急患診療事業に市の予算を付けていただくことになりました。昨年の7月26日の臨時総会で、会員の先生方からこの急患診療事業を満場一致でお認めいただいてから8ケ月余りたちましたが、ようやく開設にこぎ着けることが出来ました。ボランティア精神を発揮され、急患診療事業に快く協力を申し出てくださいました先生方には心より感謝申し上げます。
 また、一般市民への啓発のため、病院・診療所だけでなく、市民が多く集まる場所にも医師会から急患診療事業のポスターとチラシを大量に配布することにしました。このパンフレットには、(1)慢性疾患の増悪時はかかりつけ医に、(2)夜間の軽症の疾患は急患診療所に、(3)病院は二次・三次の救急を診るところ、(4)やむを得ず直接病院を受診する場合は、必ず事前に電話をすること、(5)軽症の方が病院を受診することは、病院本来の二次救急の妨げになる、この5点について書いてあります。(なお(4)は、患者さんが病院に来院された後では急患診療所に誘導しにくいと言う、病院側の意見を取り入れたものです。)
 平日夜間大人の急患診療事業によって、病院の先生方が本来の二次・三次救急診療に専念できるようになることを祈っております。
 話は変わりますが、平成20年度から二つの制度が大きく変わります。一つは住民健診制度であり、もう一つは高齢者の医療制度です。私に言わせてもらえば、この二つの制度とも医療現場の実情を無視したものであります。
 基本健診は、特定健診・特定保健指導と名を変えて登場しましたが、腹囲を重視した学問的に根拠のはっきりしない診断基準はさて置き、その考え方は糖尿病等の生活習慣病を重視した、決して問違ったものではないと思います。しかし如何せんその方法論が医療現場をまったく無視したものになっております。
 肥満のないほとんどの高齢者が心電図検査や眼底検査の対象から外れ、また高齢者は一ランク下の保健指導しか受けられないなどのおかしなことになっています。また、フリーソフトを使用してのデータの中央への報告や、診療の合間を縫っての6ケ月間にもおよぶ一定時間以上の面接や電話やメールを使っての保健指導、また、健診の最終責任を持つのが多数の保険者であり、そのために医院からの請求事務が繁雑になること等々、問題は数え上げれば切りがありません。
 また、支払基金に登録をしなければ健診も保健指導もまかり成らんと言うのも、今まで医師が行ってきた健診・保健指導とは異質のもので、空恐ろしい限りです。何故、この制度が示されたときに日本医師会が強く反対し、この制度を一時凍結して、我々医師会員が納得の出来る日本医師会独自の対案を出さなかったのでしょうか。
 次にもう一つの後期高齢者医療制度について述べたいと思います。高齢者を前期と後期に分けなければならない理由もはつきりしませんし、年金制度がやり玉に挙がっているときに、今まで子供の扶養家族として子供が支払っていてくれた保険料を、高齢者が楽しみにしている年金から天引きするという、まさに高齢者いじめとも言えるのが後期高齢者医療制度です。
 更に、たくさんの病気を持つ高齢者に主病は一つと限定し、数多くの指導料・管理料の算定を一医療機関にしか請求できないようにすることは、医療の実態、医療現場を無視したものであり断じて許すことが出来ないものであると考えます。また、後期高齢者診療科という医療費抑制策の一つである包括性を導入させることで、必要でないときは余分な検査等をせずに、高齢者が本当に必要なときに十分な診療をするために検査をするという出来高払いの制度の良いところを崩そうとするものです。
 もう一つ、外来管理加算についても述べたいと思います。私は外来管理加算に時間要件が盛り込まれたことに驚き、と同時にあきれてしまいました。これは一人の患者さんに5分以上の時間をかけて診療しなければ外来管理加算が算定できないというものです。これは内科であろうが小児科であろうが同じです。小児を5分以上診察室に留めて診察・指導をすることはまず無理でしょう。ある人がこのように言っていました。「1分で診ることが出来る人がいるから、ある人を20分かけてじっくり診ることが出来る」その通りです。この外来管理加算もすぐにでも撤廃すべきものの一つです。
 次に長岡高等学校で行われているメディカル・サイエンスコースについて述べます。昨年一年間で、このコースの最初の一年生70人に、6人の医師会員から計6回講義を行っていただきましたが、生徒さんからはすこぶる好評で、二年生への進級時の希望では、なんと70人中49人がメディカルコースを選択したとのことです。これでは片方のサイエンスコースが成り立たないとのことで、学校の方でなんとか調整してメディカルコースを41人まで減らしたとのことです。この講義はこれからも長く続けられるものと思います。遠い将来、新潟県の医師不足の解消に必ずや繋がるものと期待しております。
 ここで、これからの2年間に長岡市医師会として取り組みたい事柄について述べてみます。
 まず一つは「認知症診療の連携作り」 です。これは病診ならびに看護・介護の人をも巻き込んだ連携作りです。私自身、認知症の診療はまったくの素人で、何から手を付けたらよいのか分からないのが本当のところです。しかしながらこれからは高齢者が益々増え、それに伴い認知症の患者さんの増加も予想されます。家族だけで認知症の人を見るのは大変です。しつかりとした知識を持った医師を養成し、看護・介護の人との連携を十分に保って認知症の診療に当たらねばなりません。長尾理事を中心に高木理事、丸山理事とこの事業を進めて参りたいと考えております。
 もう二つは、「緩和ケア」の推進です。ご承知のように、がんによる死亡は約3分の1を占めます。末期がんの人は、痺痛や全身管理のコントロールが上手くいけば、十分自宅で診ることが出来、家族に囲まれた暖かい環境の中で余生を過ごすことが十分に可能です。この分野も私の苦手としていることの一つですが、富所副会長の強力な指導力の元、なんとか長岡の地に根付かせたいと思っています。
 もう一つは、様々な疾患の「地域連携クリティカルパス」の導入です。既に大腿骨頚部骨折等で実際に行われておりますが、これを出来る限り多くの疾患で実践して行けたらと思います。このことが病院と診療所の有機的な役割分担にも繋がると考えます。病院の先生の指導をいただきながらクリティカルパスを実践することで、開業医の診療の幅も広がると考えます。三病院の富所副会長、森下理事、上原理事を中心に事業を展開して参りたいと考えています。
 最後になりましたが、会員各位の更なるご支援ご鞭撻をお願い申し上げ、ご挨拶とさせていただきます。

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「最近料理をしています」宣言  戸枝路子(長岡中央綜合病院)

 最近料理を作っています(ただし週末に限ります)。主婦の方なら、料理なんて日常茶飯事であり、この場で改めて宣言する程のことではないに違いありません。しかし、私にとっては恥ずかしいことながら、画期的な出来事なのです。
 料理を作り始めた理由は、悲しいことに、誰かに手料理を食べさせてあげたいという献身的な気持ちによるものではなく、まさしく自分の胃袋のためでした。大学生の頃は、実家から通っていたので、ご飯に困ることもなかった私。日が暮れるまでテニスをして、部活で疲れて帰ってきても、温かいご飯が待っていました。しかし、研修医になって同時に一人暮らしを始めてからは、正直仕事で一杯一杯の毎日で、先輩や研修医同士でご飯や飲みにいく機会も多く、料理を作る時間や余裕がありませんでした。研修2年間の間にローソン、セブンイレブンといったコンビニからホカ弁に至るまで各種お弁当を網羅しました。そしてついに気がついたのは、コンビニ弁当は初めはおいしく感じても、昧が全く同じで飽きがきてしまうという事だったのです。
 3年日になって長岡に来てからは原信を見つけました。24時間営業で、お惣菜もコンビニより数も多いし、味も濃くありません。当初は満足していましたが、やはり味が常に同じだという点はコンビニと同様だと思うようになりました。コンビニやスーパーを愛用していた私も、カップラーメンだけはあまり好きではありません。去年の病院の忘年会でカップラーメン一箱分が抽選で当たってしまったのですが、「カップラーメンを食べるたびに、着実に不幸になっていくよ(おそらく、女性として人として?)」とか「不幸にならなくても確実に不健康になる」といった色々な事を言われ、いまだに手をつけていない現状です。コンビニやスーパーに希望が見い出せなくなった今、背水の陣ということで、ついに料理をする決心をしたのです。
 そんなわけで料理の本をまず一冊購入しました。「NHK今日の料理、これからの料理人門」です。この本は初心者向けに下ごしらえ百科まで付録としてついてくる優れた本です。素材の扱い方、調味料に至るまで、詳しく書かれています。そして初心者向けに比較的短時間に出来る料理を紹介してあります。私と同様に料理初心者の方の心強い味方となることでしょう。お勧めの一冊です。
 最近はトリュフを作りました。いわば溶かして固めただけなのですが、トリュフの表面にナッツや小刻みのチョコやパウダーをまぶしてトッピングし、満足の一品となりました。しかし、結果としてチョコレートがあちこちに飛び散り、台所がチョコレートまみれになるという大惨事となりました。よく病院で内視鏡検査の時にインジゴカルミン液を内視鏡室に飛び散らかしていますが、あとで掃除をして下さる内視鏡室の看護師さんの大変さもよく分かったように思います。
 また、自分が料理をするようになって感じるのは、料理を作る時間に比べ、食べる時間があっという間であることです。作ってくれる側の気持ちが分かるようになってきました。毎日欠かさず食事を作ってくれた母に今になって感謝しています。
 まだまだ料理に関しては、発展途上の私ですが、今後も頑張る予定であります
。1年後(28歳)には基本料理一通りを、そして3年後(30歳)には男性のハートを鷲掴み心できる?料理を目標にして、27歳独身女医、仕事に料理に精進して参りたいと思います。皆様どうぞ温かい目で見守って下さい。

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南アフリカにルーツを求めて〜その8  田村康二(悠遊健康村病院)

 ヒトは常に高エネルギーで栄養豊富なご馳走を求めてきた。しかしそれは同時に日本人でもエネルギー収支から逸脱してしまっている。そこに生活習慣病を起こす食生活の問題点がある。新石器時代まではヒトはとにかく肉食もして生き延びて来たらしい。しかしそれ以後になると人口密度が増してきて、ご馳走としての肉食を楽しむ人々を養えなくなってきた。そこで食用植物の栽培の促進か飼育動物数を増やすかの選択がせまられた。その結果として作物の栽培に一層精を出すことになった。なぜなら作物栽培のほうが家畜を増やすよりも容易だったかららしい。
 為政者は何時の世にも人々が望む食料を供給するという責任を負うている。それが出来なくなったとき、為政者が巧みに利用してきたのが宗教だ。「菜食が肉食よりも崇高だ。生き物を殺してはならない。生き物を食べてはいけない」というように宗教の戒律を作り出して普通の人々(大衆)を肉食から菜食へと巧みに誘導したのだ。こうして世界各地で大衆をご馳走である肉食から粗食の菜食へと目を向けさせることに成功してきている。
 日本では未だに農業保護と称してそれにまつわる利益集団は自分たちの権益を保護するために、「米食がいい!肉食は危険ですぞ!」はては「粗食がいい」などと普通の人々を洞喝している。その代表が米国牛の輸入阻止だ。狂牛病のウシの報告は米国では2,700万頭中2頭である。それもカナダからの輸入牛だという。さらに狂牛病患者の米国内での発症はゼロである。毎日、毎日ですぞ、釣5,000人の旅行者が日本からハワイへ行く。ハワイではその殆どの人は米国牛を三食食べるだろう。だがそれが原因で狂牛病になった患者を私は知らない。これに対して日本では約1万頭中何と20頭以上が狂牛病である。狂牛病患者の国内での発生も少なくとも1例ある。事実は2桁の患者が発生していると神経内科医は話している。何しろ都合の悪いことは全て隠蔽するお国柄だから、輸入牛こそ安心して食べられるのではないか?
 未だに多くの宗教には、肉食を制限・制約するという食のタブーがある。ユダヤ教、キリスト教やイスラム教等のアブラハム系の宗教の場合は、特にはっきりしている。日本の場合は、『日本書紀』天武5年(675年)4月17日のいわゆる肉食禁止令で、4月1日から9月30日までの問、稚魚の保護と五畜(ウシ・ウマ・イヌ・ニホンザル・ニワトリ)の肉食を禁止するというものであった。その後には仏教の影響もあり、たびたび肉食の禁止については改正がなされ、明治時代まで続いた。ただし、山で狩猟された肉は除外されていたらしい。
 1871年(明治4年)になって、初めて肉食は解禁された。今じゃ米栽培農家の保護のために、菜食が肉食に勝ると盛んに説く人々がいる。政治家たちは票田の農家のために、アメリカの牛肉輸入阻止にきゅうきゅうとしている。しかし今では肉食の美味さを知ってしまった庶民に対して、肉食を避けるように政治的に誘導することはもはやできまい。出来ることは幻の狂牛病で庶民を洞喝するしかないのだ。医学的にみて健康と知力や体力のためには、肉食が菜食よりも遥かに効率的である。肉食を少なくとも1日75グラム以上食べている老人の寿命が長いことは日本の老人研の成績が証明している。
 「なんたって、肉づくしですね」と互いに言いながら、一同は肉食のバーベキューを腹一杯楽しんだ。アメリカで今流行っているアトキンス・ダイエットの基本の「高タンパク質・低炭水化物食」の肉食の思想は原産地では特に納得できた。アメリカ合衆国ではトウモロコシの缶詰1個、270キロカロリー、を生産出荷するのに現在2,790カロリーのエネルギーが使われている。これに対して100グラムの牛肉、270キロカロリー、の生産には、22,000カロリーを必要とする。このアメリカでのエネルギー比率を世界中が採用したら、全ての石油埋蔵量はほぼ11年間で使い尽くされてしまうと試算されている。つまり金持ちだけが、肉食を楽しめるのだ。そこに肉食の抱える別の問題点がある。
 人類発生以来肉食は進化に役立ってきた。文明時代になっても、ヒトは日本でも世界中どこでも古代に至るまで、ウシを舌なめずりして食べてきた資料にはことかかない。ところが西暦元年以降、様々な宗教が発生して聖典時代に入ると、宗教はことごとく肉食を忌み嫌うように信者に教えるようになった。その実態は宗教や指導者たちが大衆の肉の要求に応じられなくなったからだ。普通の人々が好む肉食をしないでもらうには、宗教的禁忌しかなかったのである。それがインドでは極端で、聖なる牛すら生んでいる。しかしこの様な裏事情に気づいている人は意外と少ないのではないだろうか。
 最近日本では米食の衰退を嘆く農民たちの農民票を恐れる政府が、宗教の権威に頼れなくなつた現在では、牛肉の輸入に反対して米国に無理難題を投げつけている。「当店のステーキは輸入牛なら3,000円、国産牛なら5,000円、頚城牛なら8,000円です」と謳っているステーキ・ハウスが新潟市にある。ところでこれらの肉の差をご存知か?実は成牛を生きたまま輸入すると、安くつくらしい。そこで牛を空輸して成田の土を牛が踏んだら、途端に輸入牛は国産牛になる。さらにその牛を頚城地方の牧場で3ケ月間飼育すると、何と頚城牛と化けるのだ。これじゃ国が国民を詐欺に引っ掛けているようなものだ。日本の農政は、詐欺まがいのことが多すぎる。最近その一部がバレバレになっていることはご存知の通りだ。
 牛肉が本当に自由化されれば、日本食や米食は衰退するのではないか?と恐れている人々がいる。洋食の肉食は素晴らしいので、ようやく予約が取れて早速駆けつけたのがミシュラン一つ星、銀座ラ・トウール(フランス料理)だ。ちなみに一つ星とは、そのカテゴリーで特に美味しい料理をだす店と言う意味である。私の味覚は音痴と自覚しているので、ミシュランを頼りにしている。今の所、ミシュランの星を頂いたレストランに予約はなかなか出来ない。何しろ肉食の美食や飽食に慣れた人々の胃袋を、誰もが騙せなくなっているのだから。
 こういう話をすると 「アメリカじゃSushi-barが盛んで日本食ブームでしょう?」と必ず聞かれる。ニューヨークではダイエットフードが大流行で、あのマクドナルドまでが低カロリーメニューを開発している。その「Real Life Choice」のメニューはローカロリー、ローファット、ローカーブ(低炭水化物食の意味)の3拍子揃ったすぐれものだ。ニューヨーカーの間でもかなり話題になっている。レストランでもローカーブの代表的な素材である豆腐を使ったメニューなどが、改めて注目を集めつつある。さらにフレッシュオレンジジュースまで、特殊製法で低カロリー化を実現。スーパーに行っても、ヨーグルトやハムなどあらゆる食材が低カロリー商品として販売されている。「日本食はヘルシー、寿司ダイスキ!」が自慢のアメリカ人も多かったが、炭水化物が多い寿司の人気は一時ほどではないらしい。最近ニューヨーク・タイムズ紙がマグロに食品医薬品局(FDA)が販売停止にできる基準値1ppmと同等かそれ以上の1〜1.4ppmの水銀が含まれていたと報じて波紋を広げている。早速まず鉄火井はスシバーのメニューから消えたらしい。ニューヨークを代表するセレブが集っていたすしの名店・NOBU(人気俳優ロバート・デニーロが経営する店)、これほど値段と味がつり合わない店は人生初めてと思っていたが、凋落して案の定ミシュランからは星を貰えなくなった。そんなこんなだから、お互い大いに肉食をして健康長寿を楽しみたいものだ。そうそう、忘れてはいけないのが南アフリカの美味いワインだ。これは後で
別に述べるつもりだ。(続く

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「無限軌道」  岸 裕(岸内科・消化器科医院)

 楽しみにしていたNHKの木曜時代劇「鞍馬天狗」。参上したと思ったらあっという問に消え失せてしまった。はやばやと終了になってしまったので、近頃の夜の楽しみはもっばら鉄道模型。
 グラス片手に、ある程度完成させたジオラマの上で好きな車両を走らせながら細部を作り込んで行く。
 ようやく3年越しの作品が完成。待合室に運び込む。
 患者さんが「ぼっちゃんが作りなしたか。」などと話しているので、「これは私が作りました。」と説明にとんで行く。
 発泡スチロールで大地を作り、背景は戸隠あたりの山と空を描いた。(つもり。)。暮れゆく秋。列車は楕円形のエンドレスの線路上をゆっくりと走り、山のトンネルの中に入っ
てはまた出てくる。渓谷にかかる緑の鉄橋。その脇にひろがる紅葉。線路わきのりんご並木には赤いランドセル、黒いランドセルをしょった子供たちが集団下校している。百年近い歴史を誇る小学校。古ぼけた木造校舎。小さな商店が軒をつらねるこじんまりとした商店街。昭和40年代をイメージして作ってみた。
 「先生、田んぼの畦に小さい人が一服してるんだねえエ」。「よく出来てるでしょ」。最近のフィギュアはよく出来ていて、米粒くらいの人形はちゃんとくわを持っていたり手ぬぐいを首にかけていたり、手の先まで表情があって、本当によく出来ているもんだと感心する。
 「山古志の棚田みたい。」と話している患者さんは懐かしそうです。
 私の住んでいる十日町(古志十日町)の一つさきの町、滝谷地区には震災後、数世帯の山古志の方々が越して来られました。皆さん、大変でしたでしょうがどうぞ宜しく。ようやく少しは落ち着かれたでしょうか。山古志とこちらを行ったり来たりされている方もおいでのようです。
 夕方、薄暗くなつてくるとライトアップします。学校と商店街と駅のホームに灯がともります。交番の戸口に立ったでぶの警官のシルエットが地面に長く伸びます。酒屋の戸口から明かりが漏れます。ひつそりとした町並みの脇を、客車ごとにこうこうと明かりのついたブルートレインが駆け抜けます。駅では大勢の乗客たちと数人の駅員が列車の到着を待っています。
 ……そう、自分は本物の鉄道にいたこともあるのです。もう30年以上も前、医者になる前の話ですが。都内の大手の電鉄会社に勤めていました。
 駅員の仕事は24時間勤務。朝9時開始。出勤ラッシュのピークも一段落し、やっと平静を取り戻したかのようなホームを見守る。昼下がりには閑散としたホームに砂挨と新聞紙が舞い、強い日差しとホームのコンクリートの照り返しが眩しい。電車も熱くなったレールから立ちのぼるかげろうの中をゆらゆらと駆け抜ける。
 夕方、再び帰宅ラッシュが始まる。どこから湧いてきたのかと思う人の波。……あの雑踏のなかでよくもまあ仕事をし続けられたものだ。その雑踏も夜9時頃には少しつつ静かに
なってくる。どこで飲んで来たのか酔っ払いおやじが駅員にからむ。ええ、酔っ払いはきらいじゃ、と思っていたが、あのおやじは定年まじかだったのかな。自分も今そんな歳。
 ラッシュに揉まれて出勤し、ラッシュに揉まれて帰る。その繰り返しさ。もうじき終電。短い仮眠を取り、始発から翌朝のラッシュにそなえる。その後は24時間の休息が待っている。
 そしてその繰り返しの日々。想いはくるくる回るばかりさ。

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