長岡市医師会たより No.349 2009.4


もくじ

 表紙絵 「悠久山公園」 丸岡稔(丸岡医院)
 「武道半生記」 福本一朗(長岡技術科学大学)
 「南アフリカにルーツを求めて〜その12」 田村康二(悠遊健康村病院)
 「南部班近況」 藤田繁(藤田皮膚科クリニック)
 「医師の研修」 田辺一雄(田辺医院)
 「たくさんの感動・WBC」 岸裕(岸内科・消化器科医院)



「悠久山公園」 丸岡稔(丸岡医院)


武道半生記〜落ちこぼれ稽古人の武宗雑感 その1  福本一朗(長岡技術科学大学)

 小学生の冬、友達に勧められて通い出した姫路城内の柔道道場で生まれて初めて道着を着てから来年で半世紀となろうとしている。生来の運動音痴で、18年続いているメジカルボウリングは別としてどんな球技も全くできず、選手にも選ばれたことなどがないのに、一人で黙々と修行できる武道だけは続けることができた。強くなりたいと願った少年の日以来、柔道・ボクシング・空手・剣道・少林寺拳法・合気道・杖道・居合道・太極拳、気がついてみれば「下手の横好き」でひたすら稽古したお蔭か実力など全くないのに、少林寺拳法四段正拳士をはじめとして様々の武道団体から合計11段を允可していただいた。生まれつき虚弱で医者の顔を見ない月はなく、とても成人できないと思われて来た小生がこれまで過ごせたのは、「馬鹿の一つ覚え」で細く永く続けて来た武道のお蔭かもしれない。還暦を前にして、いまだに薄い道着を着て、豪雪の冬も酷暑の夏も毎朝の稽古を続けている自分に、半ばあきれ半ば諦めつつ雑感を述べて諸先生方のご批判に耐えたいと思う今日この頃である。

1.武道部のOBとして
 サリン事件以来、宗教集団を隠れ蓑とした殺人集団が世間を騒がせている。アメリカ同時多発テロ事件(2001年9月11日)も宗教とは無縁ではない。犠牲となった人々の無念と遺族の方々の哀しみを思いやるにつれ、「本来、人の幸せだけを願うべき宗教者が何故?」という疑問が新たな憎しみと共に沸き上がってくる。二度とこのような惨劇が起きないように、報復ではなく正規の裁判の中でこれらの事件の解明が徹底的になされなければならない。しかしより重要なことはこのような集団を産み出したのは現在の社会であり、現代のサタンを育てたのはほかならぬ我々自身であることを自覚することだと思う。オーム真理教教団幹部も一般信者達も我々の周りにいた人達であり、決して特別な人達ではない。教団の学者幹部の一人で地下鉄サリン実行犯として死刑判決を受けた豊田亨被告は、筆者の所属していた東大少林寺拳法部の後輩であった。20期近く離れているので顔を知っている程度で直接話した覚えは全くないが、部員によれば後輩の面倒をよくみる真面目な天才青年だったという。東大少林寺拳法OB会では豊田亨被告の処分について激しい意見のやり取りがあったようで、「OB会は会員のみならず社会的にも責務を負っている。即刻除籍すべし」という強硬派と「かりにも同じ釜の飯を食って、一度は一緒に修業した仲間ではないか。少なくとも判決がでるまで処分は待つべきだ」という良識派が半々であった。そのうちでも筆者を含む少数派は「日本はいつもそうなのだが、犠牲の小羊を血祭りにあげて御祓をおこなって自分は清められたと考える。それではいつまでたっても事態は改善されない。少林寺拳法も日本の宗教の一翼を担っているというのなら、あの人々を救えなかったことに責任を感じるべきだと思う。確かに豊田亨被告の行為は人間として決して許せないことである。また今なお健康被害・心理的トラウマに責め苛まれている被害者の方々の苦しみは決して忘れてはならないことである。しかし我々自身の反省ということについては、裁判所の判決や社会的正義を叫ぶマスコミの断罪とはまた別個に考えねばならない。OB会も安易に処罰のみを考えるのではなく、昔の仲間の社会復帰をまず考えて欲しい。そのためには、事件以前から人間的な直接交流がある我々一同の献身的な協力が必要欠くべからざることを認識すべきだ」と積極的救済を訴えて、ある程度の支持を得た。
 ただ医師の一人としては一般信者のリハビリテーションと事件の再発予防が一番大事と考えるが、そのためには「宗教とは何か?」という人類の文化創成以来の大問題を避けて通るわけにはゆかない。しかしその議論はプロの宗教学者達に任せて、ここでは素人の武道家として武道と宗教の係わり合いについて考察してみたい。

2.“戦う”宗教?
 最後の人食い種族と言われたポリネシア原住民の例を引き合いにだすまでもなく、祭祀をつかさどる司祭などから武運長久を祈られ神憑かり状態の興奮の中で出陣してゆくことが慣習となっていた部族は多い。世界3大宗教を見ても、俗に「剣かコーランか」といわれるように教勢拡大のためには聖戦(ジハド)を宣言するイスラム教、鎮護国家の旗頭のもと蝦夷征伐をおこなった坂上田村麻呂の信じた奈良仏教、結局は現世利益の欲に支配された西欧の十字軍を産み出した中世キリスト教など宗教団体が武装化し戦闘集団となった例は枚挙に暇ない。また逆に今世紀初頭の義和団の乱の様に、当初純粋な武術集団であったものが宗教化した例も多い。特に単なる戦う技術であった「武術」が洗練され、特有の美学を持つ哲学へと昇華された「武道」においてはこの「武宗合一」の傾向は特に激しい。現在の日本の5大武道を見ても、金剛禅という仏教の一宗派である少林寺拳法は例外としても、柔道・剣道・空手道・合気道などほとんどの武道が日本古来の宗教である神道を奉じ道場に神棚を祭っている。1994年ブラジルに学会のため渡航したおり、独特の武術「カポエイラ」を見学した。両手を鎖で縛られた黒人奴隷達が護身のため編み出した倒立位からの回し蹴りを特徴とするこの武術は、テンポの早いサンバのリズムに乗って飛鳥の様に舞う。説明によるとこのカポエイラさえ、虐げられた黒人達がアフリカから伝えたブーズー教と深く結び付いているという。戦いは命のやり取りであり、戦いに臨む人は「死」に対する恐れを克服するのみならず、ともすれば逃避に走る肉体と精神を鼓舞し、鍛え抜いてきた己の体と戦う技術を100%発揮するためには、「平常心」を得ることが必要とされる。心の平安を保証し戦いを正当化してくれる宗教は、武術が欠いている精神的なバックボーンを与えてくれるものとして武道の良きパートナーとなってきたことは疑いないと思える。奈良時代の僧兵を考えればすぐにわかるように、宗教にとっても他宗教や異端からの物理的迫害から教団を守るために武道は必要なものであったに違いない。しかし武道と宗教のつながりはこのような現世利益的なものだけなのだろうか。
(続く)

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南アフリカにルーツを求めて〜その12  田村康二(悠遊健康村病院)

 第6章 ボツワナへ行く 10月14日(土) 晴れ

1.個人主義はアフリカ生まれだ
 朝早く目覚めたのでベットの中で、ジョルジュ・パラント著渡邊淳也訳『個人と社会の対立関係』三恵社を読んだ。そこに記載されていたのは「ヴィクトリア女王がアフリカの海岸を旅した時に、黒人である王に質問し、王は臣下を服従させることができているかとたずねた。王は女王につぎのようにこたえた。供わたしは臣下たちによく服従しています。なぜかれらがわたしを服従させないことがあるでしょうか?僑」だった。アフリカでは、伝統的に王の権威と人民の個人主義とは共生関係にあるのだ。だから「神のごとき王なし」というのが人々の間で共通した認識である。これがアフリカ式個人主義だろう。
 日本では西欧式個人主義を崇拝している。西欧では伝統的に王(権力者)は人民を服従させてきたので、王(支配者)と人民は未だに共生はしていない。等々を思っているうちに世が明けて辺りがあかるくなってきた。旅の利点は、色んなことを考える時間が生まれることだ。

2.ボツワナのチョベ国立公園
 7時過ぎからの朝食後に、ジンバブエの内陸を車で2時間位走った。左右に広がる広大な土地を登り、緩やかな台地の幾つかを通りぬけた。やがてボツワナの国境に到達した。そこで、まずジンバブエを出国した。そこから100m位あるいてボツワナの入国事務所に行くのだ。まず口蹄病予防のために車から降りる。50mほど進むと、ボツワナ共和国に入国前の儀式がある。「道の中央付近の水分を含んだスポンジを両足で踏んでから入国してください」と言われる。大きさは野球のベース程度の汚らしいスポンジだ。「これは、おまじないではなくて入国者の靴などを通してボツワナ国へ「口蹄疫」の浸入を防止するためのものです」と現地ガイドからの説明があった。車は消毒液の中を通って車輪を消毒した。
 パスポートを片手に入国の手続きで待っていると、突然機関車の様な巨大な車が到着した。みるとドイツのナンバープレートを付けている。降りてきた乗客に「この車はどこへ行くのですか?」と聞くと「ドイツから約2ヶ月かけてアフリカを回る旅をするための旅行者専用車です」と答えて呉れた。「実は車の後ろ半分に寝台があるんです」とも説明された。30人位は乗っているようだ。流石にドイツ人はこのような素敵な車で安上がりに長期休暇を楽しんでいるのだ。
 さてボツワナで乗り込んできた現地の男性ガイド、アベさんは、実にひょうきんだった。「どこかで見たような人ね」って家内が言う。そういえばアメリカの人気喜劇俳優エディ・マーフィに似ていて、言うことも身振りもそっくりだ。「あなたはエディ・マーフィの親戚ですか?」と聞いたら「いや、実は秘密なんだけど、私は彼の息子なんです」といって笑わせた。
 ボツワナに入ったら道路脇の景色は一変した。ジンバブエでの風景は殆んどが赤茶けた低木の荒地であったが、ここでは区画整理された畑があり、青々とした植物、よく見るとそれは生育中のトウモロコシやパイナップル、あるいは名を知らない青野菜などである。時折、スプリンクラーで散水中の畑も見えた。
 目指すチョベ国立公園は、“ゾウの楽園”と呼ばれているほどアフリカ象が多い。広大で平坦な土地にチョベ川が流れているために豊富な餌となる草木に恵まれているからとのことだ。その他、カバやキリンなどの哺乳動物たちが大自然の中で悠々と群れていると聞いたので楽しみだった。

3.ボツワナの国債は、日本の国債よりも有利かもしれない
 「あなたはボツワナの国債に投資していますか?」2008年外債で誰もが拠り所にしているMoodys investers serviceが日本政府の円建て国内債券(日本国債)の格付けをA1からAa3に引き上げてボツワナより少しよくなったと伝えている。少し前までは日本の国債の評価は、このボツワナ以下だったことを知る医師会員は相当な外債投資専門家だろう。日本人が知らない日本の恐るべき経済の実態は、アフリカへ行ってみるとよく分かる。
 「ボツワナの人々の経済状態はどうなっていますか?」と聞いた。ガイドのアベさんは「ボツワナ人は借金も無ければ、貯金も無いのです」と答えてくれた。「日本人はどうですか?」と聞かれたので「日本人は多くの人が借金を抱えながら、貯金しています」と答えた。アベさんは「どちらが幸せなんですかね」と惚けてみせた。何処の国でも、ガイドの知的な教養は非常に高いのだ。
 このボツワナは貧困だと日本では言うが、実は日本と同じ位に貧しいか金持ちなのだ。
 ボツワナは、南アフリカ地域の中央部に位置する内陸の国で、西から北西にかけてはナミビア、北はザンビア、北東はジンバブエと東から南にかけては南アフリカ共和国とそれぞれ国境を接している。国土の約半分は熱帯に入る。国土の大きさはケニアやフランスとほぼ同じで、国土の80パーセントはカラハリ砂漠の砂と低木のみの大草原に覆われている。英国保護領だったが、1966年に独立した。
 サハラ以南のアフリカでは数少ない多政党の民主主義国家として成功をおさめている。英語が公用語だが、多民族国家である。この国は独立以来めざましい経済成長を享受し、最貧国から世界で最も経済成長の速い国へと転換している。特に、ダイヤモンド鉱脈が1967年に発見されたのに続き、1970年代に多数の鉱脈が相次いで発見された。ダイヤモンドの採鉱事業は、ボツワナ経済の中心となっている。

4.チョベ国立公園へ行く
 Moana Safari Lodgeに着いて、昼食を食べた。その後チョベ国立公園へ向かった。車はオープン・カーで、タンザニアの時の様な天井や横の覆いが全くなかった。これでライオンが襲ってきても、大丈夫なのかな?と案じた。
 ホテルを出て30分位後に、チョベ国立公園に入ると、幅3mほどの道が公園の奥に向かって伸びている。舗装はされていない凸凹道である。道の両脇は、高さ1〜3mの青い葉の草木が大地に疎らに生えている。車の激しい揺れを手頃な握り棒で支えながら、眼と耳は周囲の草むらを注意深く探る。4輪駆動車は、悪路をゆっくりと進む。ガイド兼運転手が「あれを見て下さい」と最初に指差したのは、クドーというアフリカ鹿。日本鹿よりひと回り大きな体でオス鹿は立派な角が誇らしげだ。我々が、危害を与えないと知っているのだろうか、悠然として逃げ出す様子はない。更に前方にアフリカ草原では馴染みのインパラの群れだ。十数頭が固まっている。前方10m先の行く手の道を横切る動物がいた。ホロ鳥だという。車に揺られていると、待望の象の大群に遭遇した。
 やがてチョベ川の岸辺にきた。「今は川の中央付近に流れがあり、その他には溜まり水が散在するだけですが、雨季ともなると向こう岸までは数kmもあろうかという川が溢れんばかりになるのです」と説明された。川岸で車から降りてトイレ休憩をした。川向こうの森林地帯は隣国ナミビアだという。
 チョベ国立公園内にライオンを見かけた。暑い昼間のせいか木陰の涼しい場所に休んでいて動かなかった。タンザニアの自然に比べると、動物の種類が少ないという印象をももった。約3時間ぐらいで夕方になり、帰路についた。ホテルで夕食を摂り、早々と明日に備えて眠りに着いた。(続く)

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南部班近況  藤田 繁(藤田皮膚科クリニック)

 南部班の範囲は、東はJR線、西は信濃川、北は柿川、山田町通り、南は長岡市の南端です。会員は36名、医療機関は22です。メンバーは多士済々で、医療機関の連携も円滑におこなわれています。筆者には近況報告は荷が重いので、忘年会の集合写真(※省略)と今回の近況報告のために行ったアンケート結果をそのまま転載させていただきます。

A座右の銘、Bモットー、C好きな言葉、D最近感じること、E最近のマイブーム(趣味など何でも)、F特に力を入れていること、専門、Gライフワーク、Hその他

荒川育子(長岡保養園)内科、老人科
 E園芸(バラ、種まきなど) Hケアについて考えています。

荒川太郎(長岡保養園)リハビリテーション科
 H微力ではありますが、社会から信頼される施設を目指して、多くの方々のご協力をいただきながら日々頑張ります。今後ともよろしくお願いします。

石川忍(石川内科クリニック)内科
 D還暦になりますので、何かひとつくらい新しいことを始められたらいいと思っているのですが……。

今井春雄(今井整形外科クリニック)整形外科
 
D年には勝てない。F高齢者運動器障害と手の外科医療

角田典穗(長岡保養園)精神神経科
 D以前から、月1回程度は上京してジャズライブを聞いたり美術館を見たりしていたが、それが段々オックウになってきてしまった。朝寝坊ができなくなってきてしまった。

岸裕(岸内科消化器科医院)内科、消化器科
 A特になし。ですが、「ダイハード」にしましょうか。 B楽しく生きてゆくことができれば最高。 C裕(ゆたか)……自分の名前だから。 D仕事上、やたらに書類が増えた。 E鉄道模型をこつこつと作っています。 F野菜作りHひたすら、子供達が、さっさと大きくなってくれて代変わりしてくれる事を願っている。

窪田久(窪田医院)内科、消化器科
 B最後まであきらめない。Dパーフェクトゲームを出したい。この3年間パーフェクトゲームなしです。 Eボーリングと将棋が趣味です。 H将棋の羽生先生にもう一度7冠をとってもらいたいと思います。

古田島昭五(こたじま皮膚科診療所)皮膚科
 D山に行けなくて淋しい限り。歩行障碍が恨めしい。 F何でカブレルのでしょうか。外用剤使用の功罪。

小林司(こばやし眼科医院)眼科
 Bゆっくりと、ていねいな診察を心懸けること。 E架空戦記小説を読む。

齋藤聰郎(斎藤外科内科医院)外科、内科
 B時の過ぎゆくままに自然体で。

鈴木丈吉(鈴木内科医院)内科
 D「少しでも楽しく仕事ができれば……」と思いながら、雑多な用事に流されて毎日が過ぎている状態です。

佐藤良司(山古志診療所)内科
 B常に感謝の気持で。 F心の病に細心の注意。

杉本伸彦(杉本医院)内科
 A天網恢恢、疎ニシテ漏ラサズ。 B健康第一 Eゴルフ、テニス、スキー F大腸

野村裕治(野村クリニック)小児科
 Eデイトレ。メル友との文通(?)。20世紀の音楽(アルボ・ペルト)。

藤田繁(藤田皮膚科クリニック)皮膚科
 B無理せず、自分らしく、ゆっくりと。 F皮膚真菌症(水虫、爪水虫、たむし等)

丸岡稔(丸岡医院)内科、婦人科
 A日々新面目あるべし(会津八一「学規」)。 C人生は決して短くない、自分が短くしているのだ(セネカ)。 D今の世相もやりきれないが、わが国の首相の品性の低い言動には、それ以上のやり切れなさを感じる。

三上理(三上医院)内科、呼吸器内科
 E落語、生でもCD、DVDでも、特に古典落語(三遊亭圓生、古今亭志ん生など) F慢性閉塞性肺疾患の早期診断、禁煙治療。禁煙のお手伝いをさせていただきます。 H今年1月より継承しました。よろしくお願い申し上げます。

三上英夫(三上医院)内科
 A誠実 B細やかな力ではあるが地域社会に還元を。 E漸くできた余暇を利用して旅行をしたい。

吉田正弘(吉田医院)一般外科、内科
 D診療に関しては「良い家庭医」になれるように頑張りたいと思っています。趣味に関しては、体が動かせる間は何でもやりたいとおもいます。

渡辺正雄(渡辺医院)脳神経外科
 A「一以貫之」額に入れて居間に飾ってあります。解剖学者平沢興先生の書です。 E(1)夕方小一時間のウォーキング。(2)パズル雑誌への投稿、めったに当たりませんが。(3)週一回のマージャンは欠かしません。(2)、(3)は頭の鍛錬になると自分では信じています。 F最近はストレスに関連した頭、頚部痛が増えています(物価高の影響?)。

 御氏名の敬称を略して、五十音順に転載させていただきました。筆者は生まれも育ちも南部班です。最後になりますが、住民を代表して地域医療への先生方の御尽力に深謝致します。

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医師の研修  田辺一雄(田辺医院)

 長い間厚生労働省の描く図式は医師を増やせば医療費が増える。医療費が増えてくれば国が亡ぶ。そのため医師養成数を抑え、医療費を抑制することでした。医師の絶対数の不足を来し、医師の過重労働により、病院よりの勤務医離れに至った。更に拍車をかけたのが、平成十六年四月よりの新臨床研修医制度でした。
 やっと厚生労働省も医師不足を認め、医師養成数を増やす決断をしましたが、問題の多い研修制度の改善や必要医療費の増額などまだ解決しなければならない問題が多い様です。
 そんな中、嘉永六年から安政五年までの五年十ヵ月の間、長岡藩梅浦脩介に従って研修をして才津村で開業をした水沢信夫氏の県令に提出した届書を与板町の長谷川一夫先生(元千手小学校長)より頂きました。
 この研修はどの様なものであったのか、色々と想像を逞しくしているところです。
 資料は市医師会に保管して頂き、将来医師会史の追補が出る時の参考資料の一つにして戴きたいと存じます。資料を御提供して頂いた長谷川一夫先生に厚く御礼を申し上げます。

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たくさんの感動・WBC  岸 裕(岸内科・消化器科医院)

 今年の桜は固いつぼみが一気にポンポンとはじける様に、開花するとすぐに満開となった。そして桜の前には“”侍ジャパン”がWBCの連覇という大輪の花を咲かせてくれていた。
 3月5日より始った第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本は第一ラウンドを2勝1敗、第二ラウンドを3勝1敗と見事に予選を突破して決勝ラウンドへと進出を決めた。一試合ごとに強い侍ジャパンという良いチームに進化していく様がテレビをとおしても伝わってくる。
 準決勝はアメリカと。決勝進出をかけた絶対負けられないこの一戦、先発は松坂大輔。予選リーグ時での韓国戦、キューバ戦より調子が良くなかったようだが好投した。ずっと不調だったイチローも調子を上げてきて最後はダルビッシュで締めくくって快勝。野球発祥の地、アメリカでアメリカチームを相手に勝利したのだ。しかもアメリカチームの監督・ジョンソン氏から『日本チームのプレイには情熱があった。』とのコメントを頂き胸が熱くなる。
 そしていよいよ3月23日、韓国チームとの決勝戦を迎えた。岸医院でも10時とともにテレビのチャンネルを合わせると、「あ、イチローさん、先頭打者でヒットです。」「先生、診察は日本の攻撃が終ってからで……」「待合室で診(見)ましょうかね。」パチパチの拍手でスタッフ、患者一丸となって皆で応援する。
 先発の岩隅が力投して韓国打線を抑えて小笠原の適時打で先制する。「やったね。」と喜んでいる時にやってきた患者さんが「甲子園やってるねっか。」とチャンネルをNHKに変えてしまった。「あ、今日は日本文理だったのね。」とさすがにスタッフもチャンネルを変えられない。その人のカルテは素早く診察室に回され、あっというまに会計も終えたのに待合室から腰をあげない。「終わるまでいるのかしら。」「あ、お薬渡してなかった。」「それでだ。それじゃあ帰らないよ。」
 日本文理もがんばっていたがチャンネルは再びWBCに。(初戦の対戦相手清峰は春の優勝校となった。テレビの前で応援しなくてすみませんでした。)いや本当にすごい試合だった。韓国がホームランで同点に追いつくや日本も中島のタイムリーで勝ち越し点を入れる。さらに8回にもう1点を追加し3対1となる。ところが9回マウンドに上がったダルビッシュが打たれ、同点に追いつかれてしまった。しかしながら延長10回の表、イチローが2ストライク2ボールからねばってねばって8球目にタイムリーヒットで勝ち越し点を挙げた。(イチローはこの試合、4安打)そしてダルビッシュが10回の裏を抑えてWBC連覇を達成。
 イチローが「(神が)ついてますね。」と言っていたが、私も懸命に努力した人には神様が助けてくれるものと思う。本当にありがとう。日本は侍ジャパンの活躍で元気を頂きました。2009年、感動の春。
 その後も繰り返し流されるWBCのニュースでまた感動していたところ、“天皇皇后両陛下御結婚満年50に際して”のニュースで皇后様の気高いお声が。
 「また、伝統には表に現れる型と、内に秘められた心の部分とがあり、その二つが共に継承されていることも、片方だけで伝わってきていることもあると思います。WBCで活躍した日本の選手たちは鎧も着ず、切腹したり、ゴザルとか言ってはおられなかったけれど、どの選手もやはりどこか『さむらい』的で、美しい強さをもって戦っておりました。」
 そのお言葉に、感服仕りました。

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