長岡市医師会たより No.359 2010.2


もくじ

 表紙絵 「太田川(今井町)」 丸岡稔(丸岡医院)
 「JOY会でお茶の会 の記」 永井博子(新潟市:押木内科神経内科医院)

 「英語はおもしろい〜その5」 須藤寛人(長岡西病院)
 「十日町地区(古志十日町)雪まつり」 岸 裕(岸内科・消化器科医院)



「太田川(今井町)」 丸岡 稔(丸岡医院)


JOY会でお茶の会 の記  永井博子(新潟市:押木内科神経内科医院)

 今年の秋のJOY会はいつなのかなあと、時々思ったりしていましたら、ある日家に帰ったら夫から長岡の木村先生から電話があったよ、と言われました。何のお話かしらと思っておりましたら、「今度の会は木村先生のご自宅のお茶室でお茶会をやることにしました。」ひいては、私にお茶を点ててくださいとのこと。木村家には嶺子先生のお父様がお建てになった立派なお茶室があるのです。以前にも、一度皆でお邪魔して、とても楽しいお茶会をやらせていただきました。あのときは、お茶室に入ると、木村先生がお庭から摘んでこられたお花がさりげなく活けてあり、風炉の季節のお茶を、大いに楽しんだのでしたっけ。あのお茶室をつかわせていただけるのなら、と二つ返事でお引き受けしました。
 当日はだれの精進が悪かったのか、突風が吹き、雨が降る悪天候でしたが、(この日は市医師会の旅行の日でもありましたから、そちらのメンバーのどなたかのせいかも?)木村家に到着したら、お茶室の炉にはすでに炭火がおきていて、床には椿の花が楚楚と活けてありました。
 お茶を漉したりして準備をしているうちに眼科の武田さち江先生がお菓子を持参して登場。武田先生選りすぐりの、日本各地のお菓子がお菓子器に盛られたころになると、三々五々メンバーが集まっていらっしゃいました。
 いよいよ席をお茶室に移してお茶をいただくことになりました。JOY会メンバーに加えて、木村先生のご主人と息子さん御夫婦、お孫さんも特別参加してくださいました。
 木村先生のお宅へ伺うまでは、薄茶を点てれば……と思っていましたが、お宅へついてから、木村先生にお濃茶はどうでしょう?と相談したら、じゃあそれも、ということになりました。じゃあ、こんなお道具はありますか?とお聞きすると、ちゃんとお道具がでてくるのですからすごいですね。あちこちで行われている市民茶会といった、不特定多数が参加するお茶会では、薄茶席しかありませんが、一般にお茶事というと、まずお濃茶をいただいて、そのあとに薄茶をいただきます。ただ、お濃茶はその名のとおりとても濃いお茶なので、慣れない方には、ただただ苦いお茶ということにもなりかねません。ただし、甘いお菓子をいただいて、その甘さがほんのりと口の中に残っている間にお濃茶をいただくと、とてもお茶がおいしくなるのです。それなので、皆様にお菓子をめしあがっていただいた後すぐにお濃茶を飲んでいただくようお勧めしました。そのあとは、薄茶です。お濃茶の時は少し緊張してしまいますが、ちょっとリラックスして、おしゃべりもでてきます。
 途中からは、子供の頃、このお茶室でお茶を習っておられたという木村先生の息子さん(長岡赤十字病院内科勤務)に選手交代して、お茶を点てていただきました。若い時に学んだことは、忘れないのですよね。長い間のブランクがあるにもかかわらず、しっかりと点ててくださいました。各地の銘菓を味わいながら楽しいお茶事が終わったら、楽しいおしゃべりタイムです。JOY会が楽しいのは、前回お会いしてからこれまでの間にあったエピソードを皆様がかわるがわるお話をしてくださることです。
 大変苦労したことだったり、悲しかったことだったりもするのですが、皆様がとても深みのある、示唆に富んだお話をしてくださいます。今回は9月に大病をされた、角暁美先生も参加してくださいました。まだ本調子ではないとのことでした。どうか、焦らず徐々にお仕事に復帰されてください。歳を過ぎてもいつも80若々しくおしゃれをしていらっしゃる、ピカピカの現役の小国の横田先生は私たちみんなのあこがれです。
 私は長岡を離れて今年で6年となりますが今でも忘れずにお声をかけていただき、長岡で病院勤務生活を過ごしたおかげでこのようなすばらしい方々とお会いできたことを非常にうれしく思います。私の話といったら、どこのレースを走ってきたなんてことばかりですが、これからもよろしくお願いいたします。

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英語はおもしろい〜その5  須藤寛人(長岡西病院)

caesar salad シーザーサラダ
 
第30代アメリカ産科婦人科学会会長であった M.L.Stone 教授は88才になっていた。今夜もレストランでオーダーした夕食は Caesar Salad と Filet Mignon、それに一杯の Martini(マーティニが英語風の発音とのこと)であった。2日前、私のために、Manhattan の Steak House“Smith & Wallensky”(Third ave. and 49th st.)に集まってくれた時も同じメニューであった。彼が健康にも食事の面においても、細心の注意を払っていることが伺い知れた。
 シーザーサラダは、日本の居酒屋のメニューにもあるので、若者で知らない者はまずいない。Caesar と聞くと、私の職業柄、すぐ帝王切開(Cesarean Section=Caesarean Section)を連想する。気になっていた語であったが、時間があるので調べてみた。
 Caesar Salad の Caesa rはローマ時代の皇帝とは関係なく、メキシコのティファナ(Tijuana、カルフォルニアの San Diego の南方にある町)のイタリア系移民 Chef の Caesar Cardini が作り出した(1924年)サラダの一品とのこと。このサラダがアメリカで爆発的な人気を博したので Caesar's Salad と呼ばれ、それから単に Caesar Salad と書かれるようになったとのこと。本来的にはロメインレタスが使用されるが、これは“ローマのレタス(Romaine Lettuce)”から来ているとのこと。別名はコスレタス(Kos 島は医聖Hippocrates の生まれた島の名前)とか、立ちレタス、学名は Lactuca sativavar. longifolia(Wikipediaより)。クルトン(Croutons)は小さく切って焼いたフランスパン。ゆで卵の黄身があってパルメザンチーズ(砕いた Permesan cheese)でまぶした比較的簡単な素材よりなる。アンチョビ(anchovies)が入っていれば最高であるが、原作では入っていなかったとのこと。サラダの命の Dressing は良質のオリーブオイル+にんにく(garlic)+レモン+塩。食べる直前に加えるグラインドした黒胡椒で完成。なお、日本のスーパーで売っているシーザーサラダドレッシングはどれも味が濃厚すぎてイマイチのよう。
 ステーキは Fillet Mignon(仏、発音はフィレミニオンでオにアクセントをおいて通ずる、「最も美しい、最高の」と言う意味のよう)をもって最上等肉とするようだ。
 “あの教授はどうした?”
 “竹内教授はお亡くなりになりました(He has been expired.)”
 “そうか……”
 二人が二度目に東京で会った時は、Stone 教授がアメリカの、竹内正七教授が日本の産婦人科学会のそれぞれの会長であった。
 “Stone 教授の食後のコーヒーは decafe(カフェイン抜き)でお願い!”と Nancy 奥様。奥様の夫の健康管理は微に入り細にわたっていた。そういえば、Steaven Spilberg 監督の映画「晩秋」にも主人公の老人の飲むコーヒーも“decafe”と言っていた。decaffeinated coffee なんてほんとうに美味しいのだろうか?
 Stone 教授:“もう2年で90才だ!その時、盛大なパーティをするからまたニュ−ヨークに来なさい”と。Southampton は「ニューヨークの王様の住む町」(ネルソン・デミル著・上田公子訳「ゴールド・コースト」に書かれている)。その町の、American grill「75Main」での想い出に残る夕食であった。

unruptured 未破裂の
 新潟大学の臨床講義の準備中、子宮外妊娠の破裂、未破裂の症例が問題になった。私は学生に rupture(破裂)と unrupture(未破裂)を対比してまとめてきなさいと宿題を申しつけた。翌日、まじめな学生がやってきて、unruptured という英語は教科書にも辞典にもありませんと訴えてきた。こんな言葉を教授も使わなかったし、助教授も各論で教えなかったので、新米講師の言うことは正しくはないのではないかと言いたげであった。
 それから時が5〜6年経ち、専門領域で luteinized unruptured follicle:LUF(黄体未破裂卵胞)が不妊症との関連において重要なこととして注目されはじめた。この段にいたってまず、若い産婦人科医の方から unruptured という言葉を使うようになってきた。
 unruptured という語は、確かに、Webster の concised edition には載っていなかった。否定型の un を使った語彙は、unacountableからunwrittenまで11ページに渡って書かれているので、数千語はある。書ききれないようで、さらに1148字が訳なしで単語だけ羅列されている。Doland's Medical Dictionary にも日本医学会医学用語辞典−英和第3版−にも載っていない。最新のことはどうかと、Merriam-Webster 3rd editionで検索してみたがやはり記載はなかった。ところが、インターネットで“unruptured”と入力してポンと押してみると、unruptured cerebral aneurythm を初めとして、たくさんの使用例が出ていた。さすがに小林光尚先生の産婦人科基本用語集には載っていた。言葉が変化し、辞書が遅れてついてくるというのは当たりまえであろうが、複雑な感じをもつ。

neoteny 幼形成熟、幼態成熟
 最近、県立近代美術館で「neoteny japan 高橋コレクション」なる展覧会が催された。neoteny ってなんだろうと不思議に思いながら、会場に足を向けた。
 neoteny とは、生物学用語で、性的に完全に成熟した個体でありながら非生殖器官に未成熟な、つまり幼生や幼体の性質が残る現象をいうとウィキペディアには書かれている。両生類、有尾目の特殊なイモリが典型であるが、ミノガ類、ホタル類にも雌が幼虫型のまま成熟する例があるという。
 neoteny という言葉が持つ意味合いは「大人になっても引き続き持ち続ける子供の要素」、というような使われ方をしているようである。(Neoteny Blog JP)
 展示物は、入口に、お花、宝石やボタン等々で飾られたコルセットの衣装。千手観音の一本一本の手に機関銃が握られていたり、ショッキングレッドの大きなキャンバスに一匹の小さな黒いミッキーようのマウスが書かれていたり、果ては六本足のガラス張りのオオカミのオブジェであったりの35作家、70余作品であった。若き芸術家が、子ども心を忘れずに美を探求していることがみてとれた。(続く)

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十日町地区(古志十日町)雪まつり  岸 裕(岸内科・消化器科医院)

 今年は気象庁の暖冬の予想をあざ笑うかのように降る。降る降ると降って積もって越後は数年ぶりの大雪となった。
 仕事を終え、窓から表を見ると雪明りでほのかに明るい。仰ぎ見る西の空があやしくうす赤い。こんな夜は大雪になると言う。そしてシベリアからくる寒気が一晩中雪を呼び、休みなくしんしんと雪を降り積もらせる。
 「ああ、明日の朝は早めに起きて駐車場の雪の始末をしないと」と気が急く。毎年、今年こそは除雪機を購入しようとパンフレットを集めるのだが、どれにしようかと迷っているうちに暖冬にすくわれ買いそびれていたのだが、今年の大雪に大いに後悔している。
 しかし有難いことにご近所の方達に駐車場の雪のけを手伝って頂いて助かっています。
 さて昨年は雪の無い中、「第一回長岡市十日町地区(古志十日町)雪まつり」が関係者のご努力で行われたのだが、今年は二月六日に小吹雪の中、沢山の雪に恵まれて、第二回雪まつりが執り行われたのでその模様を…。
 子供たちは小学校のグラウンドで一面の雪の中、築山でそり遊びに興じ、雪灯篭やかまくらの中で遊び雪国ならではの楽しみを満喫していた。夕方、予定より少し早く打ち上げ花火が上がり、続いて場所を小学校の体育館へと変えてショータイムとなる。
 昨年の悠久太鼓同様、今年は風雲太鼓の素晴らしい演奏から始まった。太鼓のリズムにノリノリになったちっちゃい子達が駆け回る。子供達がはしゃぐと若いお母さん達も嬉しそう。
 お次は芸能カラオケ大会。私はNHK大河ドラマ竜馬役の福山雅治の「はつ恋」をカラオケ一番で歌わせて頂いた。十日町、高島、片田の子供達の歌や、歌声サークルのグループの歌や、ボランティアでも歌っていると言う歌自慢の女性などが楽しく会場を盛り上げるうちに、いよいよメインのショータイム。照明が消され真っ暗な中、ディズニーパレードの曲にのってLED電飾を身体に巻きつけた怪しげな山車がするすると滑り踊る。明りがついて、子供たちのグループの歌い踊る供学園天国僑。これは何回かリバイバルされているのでおじさん、おばさん達にもなじみ深い。やっぱり子供達は可愛げ。お次は地元のローカルスターグループ、地元消防団のショボザイルのショータイムとなる。EXILEのメドレーにのって、髪型とサングラスと踊りも完璧にコピーして、見事に歌いステージ狭しと踊る。「さあみんな立ち上がって!」との声に皆もスタンディング、手拍子と歓声の中、第二回雪まつりは大成功の中終わったのでした。
 前々から思ってはいたのですが、この十日町、高島、片田地区のお母さん達はみんな器量良しぞろいである。その越後美人のお母さん方からおにぎり、トン汁、甘酒、焼き芋と、ごちそうしてもらい、楽しく飲んで(甘酒ですよ)皆で集って騒いで、降り積もる雪の圧迫感を吹き飛ばしたのでした。
 トンネルを抜けるとそこは雪国。なんちゃって、そんなにロマンチックなもんじゃないよ。雪もありすぎれば困るんだから。東京に行ったときにあの晴天をみやげに持って帰ってきたいもんだぜ。…と常々思っていたが、この越後の雪もいいものだ。
 屋根の雪降し、道路の除雪など大変なことも多いが、この雪に負けない強い気持ちと暮らしの知恵、暖かい思いやり、助け合う気持ちがきっとこの子供たちに引き継がれていくと思うから。

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