長岡市医師会たより No.371 2011.2


もくじ

 表紙絵 「巻機山遠望(塩沢から)」 丸岡稔(丸岡医院)
 「板倉亨通先生を偲んで」 田辺一雄(田辺医院)
 「板倉亨通先生を偲ぶ」 西村義孝
 「英語はおもしろい〜その14」 須藤寛人(長岡西病院)
 「新春ボウリング大会優勝記〜ボウリングのススメ」 福本一朗(長岡技術科学大学)
 「新年囲碁大会」 増村幹夫(長岡西病院)
 「新春麻雀大会優勝記〜地域医療研修?」 臼井賢司(長岡中央綜合病院)
 「恋するだけじゃない 日本語」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「巻機山遠望(塩沢から)」 丸岡稔(丸岡医院)


板倉亨通先生を偲んで  田辺一雄(田辺医院)

 板倉先生とはじめてお会いしたのは昭和25〜26年頃の新潟医科大学内寮でした。先生は戦時中、国の危急に応じて陸軍士官学校に入学され、敗戦により高校に転じ、昭和23年に新潟医大に入学されたのです。当時の内寮は敗戦後の食糧不足、物価高騰で困窮する学生を救済するべく大学が病院の病棟一棟を学生に提供されたのです。学生は40〜50名位自炊して生活していました。
 配給される物資も少なく、当然外食食堂もない時代で、与えられた食材も各人適宜に調理して食べて授業を受けていたのです。そんな時代でしたが全国を風靡したダンス熱は内寮をも席巻し、毎週木曜日の夜に木曜会と称して、内寮生のダンス熱に凝った数人が指導してくれ、池原記念館で看護婦養成所の生徒さん達を相手にスロー、スロー、クイック、クイックと軽快なリズムにのって足を踏んだり、踏みつけられたりしながら、今では誰も信じてくれませんが、板倉先生、西村義孝先生、私達が踊っていた青春の一頁があったのです。
 27年春に卒業したらインターンを何処でするか迷っていた時、富山の或る厚生病院でインターン生に当直をさせ、そのお手当で生活が出来るというので満州国陸軍軍医学校より来た同級生と2人で行くことにしましたら、板倉先生が聞きつけて一緒に連れて行ってということになり、新潟より3人、金沢大より2人、岩手医大より1人の6名でインターンをはじめました。一人づつ各科に配属され耳管通気や耳処置、今では行われなくなった洗眼、トラコーマにテラマイ軟膏点入、外科では鉤持ち、当直では分娩につきっきりで、内科では結核の全盛期でもあり肺のレントゲン透視を教わったり、各疾患の処方箋の書き方を学び、先生方の病室廻診に随行して診察の仕方や病状の説明について学び、年寄りの高血圧症の患者さん宅に往診したり、附属の診療所に一週間交替で代診に出掛けたり、近くの開業医の先生が病気で休まれる間の代診を頼まれたり、小児科ではネブライザー係でてんてこ舞いをしながら、生活はなんとか出来る様になり、皆で国家試験に向けて勉強していましたが、板倉先生は東大の沖中教授の自律神経の本を買い求めて熱中していました。インターンも無事終えて国家試験に合格し、当時精神科の上村教授が学士会の幹事長をされておられ、新潟の出先き機関である北陸荘でも医師不足で悩んでおり、勤めて貰えば精神科で学位が取れる様に指導するという事で板倉先生は北陸荘に勤められ、肺結核患者の精神身体医学的研究で34年9月に学位を授与されました。
 同月県立悠久荘の内科医長に転じ、40年4月立川病院黒條診療所長に転じ、41年6月、現在の北長岡診療所を開設されております。開業後も第一内科の小黒助教授の許を訪れ胃カメラを習い、放射線科にも通われ、また漢方も学び、寝たきり老人に良導絡低周波治療も試みられて今迄に経験したこともない麻痺などの治り方を患者さんが示したと喜んでおられました。
 温厚で律義で学究的な先生の診療態度は地区住民を引き付け門前市をなしたのは申すまでもありません。何かの趣味に没頭する訳でもなく医学の勉強そのものを趣味とし、中華料理を食する楽しみを味わいながら誠実に生きられた先生の生涯は残された私達に学ぶべき多くの教訓を残されました。
 長い間本当に御苦労様でした。
 安らかにお休み下さい。

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板倉亨通先生を偲ぶ  西村義孝

 私は先生の訃報を聞いた時驚きとともに、昔新潟医科大学の学生寮(内寮)でともに生活した時のことが頭の中を駆け巡りました。その頃のことは田辺一雄先生が追悼文に詳しく書いてくださいました。私は内寮のことは、それに少しだけ板倉先生の横顔を加えさせていただき、板倉先生から頂いた大きな遺産ともいえる「X線画像研究会」について感謝の気持ちを込めて述べ追悼の言葉にしたいと思います。
 板倉先生は私の1年上の昭和23年の入学で2年後の25年に入寮、都会的な学生という印象でありました。名門の東京府立7中、成蹊高校出身とのこと、さすがと思いました。豊かな黒髪をオールバックに纏め、何時も笑顔を絶やさず、また端正な学生服姿、あるいは当時珍しかったVネックのセーターと白いカッターシャツ姿は今も忘れません。この度、当時のことを、高校も大学も同級の新発田の樋口義健先生から「在学中、前の2年間は同じ下宿で同室でした。後の2年間は大学の寮でこれも同室でした。板倉先生は勤勉で謹厳実直、本当に努力家だし優秀でした。よい意味のライバルでした。」などとお聞きしました。私はここで多くの優れた学生と交わることができ、内寮を提供してくれた大学に感謝しております。
 話を変えて、板倉先生との「X線画像研究会」のかかわりに移りますが、板倉先生は昭和34年学位論文終了後第一内科で胃カメラを、放射線科で胃のX線診断の修練を始めておられます。当時放射線科には高校同級の樋口義健先生、力石務先生(後の助教授)が在籍していて好都合であったと思います。当時私も同級の表町の小川信次先生とともに放射線科に属しており、第一内科の胃カメラの研修にも参加し、板倉先生など多くの人々とともに早期胃癌の研修を行った経緯があります。
 その後私は放射線科助手を経て昭和40年に長岡赤十字に赴任し、板倉先生と個人的に胃のX線所見などの検討を行っていましたが、暫くして板倉先生の発案により、病院内で院外の医師を交えてのX線診断学の勉強会が始まりました。この会は特に名前などはなく、病院で確定診断のついた症例を提示、また会員が診療中の症例を提示して皆で検討をするという形のものでありました。胃カメラ像の投影などは手作りの装置で行い、月1回、とにかく始めました。その後厚生連中央の佐藤實先生も参加されました。開催の連絡などは全て板倉先生に委ねられました。
 しかし佐藤實先生が、続いて私が新潟大学へ転出し中断のおそれもありましたが、板倉先生のご尽力で継続して現在に至りました。日赤の佐藤敏郎先生、厚生連中央の原敬治先生、佐藤敏輝先生が次々と症例のまとめを担当され、開催場所も日赤病院から中央病院と変わり、症例の検討範囲も拡大し内容も濃くなり、メンバーも増えたと聞きました。
 その後私は長岡に里帰りして仲間に入れていただきましたが昔からの藤井正宣先生(地蔵堂)、会田恵先生(柏崎)なども残っておられ、金井朋行先生(見附)、高橋剛先生、大貫啓三先生など多勢の会員が増えておりました。担当された放射線科部長、お世話役の板倉先生のご努力に敬服しました。会の内容は症例検討にとどまらず、放射線医学や医政の最新情報の伝達もあり集会の開催が待ち遠しいほどであります。
 このような検討会の存在は長岡の他の診療科にも少なからず存在すると思いますが、40年以上にわたりお一人で昔は名も無かった会を自己よりもむしろ他人のためにお世話を続けて下さった板倉先生の献身的努力に心から感謝申し上げます。特に昨年は体調の優れないなか、11月の東京ドームホテルでの第38回日本頭痛学会の良導絡低周波治療についての講演を控えてご負担もおおかったと思われます。
 今後は大貫先生が世話人を引き継いで頂けるとのことで、この2月21日にはじめて板倉先生不在の会が開かれます。板倉先生には遠いところから我々を見守って頂きたいと思います。板倉先生有難うございました。
 ご冥福をお祈り申し上げます。合掌

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英語はおもしろい〜その14  須藤寛人(長岡西病院)

mesmerizing 魅了された
 旧友の Dr. Marina Guerrero がこのところ頻回に E-mail を送ってくる。先日のメールは彼女が昨年夏、シアトルへ旅行し、Mt.Rainier(レーニエ山)を訪れた時のものであった。雪を頂いた「タコマ富士」との別称もある美しい山に、この山だけに見られる特殊なレンズ状の雲(lenticular clouds)が数重に登り上がっている幻想的な写真を載せていた。コメントに"What a stunning beauty! It's mesmerizing."と書かれてあった。彼女がこのメールを世界の友250人に同時送信していることを勘案するとよほど感動したものと推察された。
 まずは、彼女のコメントにある英語に関してであるが、"stunning"は、(1)人を呆然と(気絶)させるような、(2)すてきな、とても美しいである。mesmerizing の意味は「魅惑される、唖然とさせられる」である。mesmerize には他に、「催眠術をかける」という意味がある。意訳するなら「息も止まるような絶景、見続けていると頭がぼーっとなるような壮大な光景」でいかがであろうか?
 次に、mesmerize(mesmerise)の語原であるが、オーストリア人医師 F. A. Mesmer(1734−1815)に求められる。派生語に mesmerism「催眠術」、「催眠状態」、mesmeric「催眠の」、mesmerically(副)、mesmerist「催眠術者」、mesmerization、mesmerizer などがある。
 以下Goo辞典、Wikipediaなどを参考にしてまとめてみると、1766年、Dr. Mesmer は「惑星が人体に与える影響」という論文を書き、宇宙、地球、人体、生物の全てに、目に見えない液体が流れており、病気はこの流れのインバランスから来ていると考えた。触ったり、打ったり、催眠的凝視や磁力を送る杖などを使い治療にあたった。磁気治療の提唱者とみなされ、パリで人気を博した。しかし、1784年、Benjamin Franklin らは Mesmer の主張する〔磁力線〕は存在しないと結論づけ、この治療が有効であった人は、もともと催眠にかかりやすい人で、"auto-suggestion"によるものであるとした。現代的に言えば、「暗示による心因性ストレスの解消法」であったといえよう。当時、外科手術に当たっては鎮痛剤はアルコールを飲む以外にはこの"mesmerism"という方法しかなかった時代の話である。
 私たちは「催眠」というと、まず hypnosis という単語を思い出す。この言葉をはっきりと使ったのはスコットランドの外科医James Braid(1795−1860)だそうである。Hypnos はギリシャ神話の「眠の神」である。Braid は Mesmer の行った「紫色の着物を着て、鉄の玉を持って(著者注:少し「いかがわしい」という意味を含む)した fansiful metaphysis とは異なる」と主張した。
 hypnosis「催眠状態」、「催眠現象」;hypnotic「催眠の」、「催眠剤」;hypnotically「催眠的に」;hypnotism「催眠術」、「催眠状態」、「魅力」、「暗示力」;hypnotize「催眠術をかける」;hypnotist「催眠術者」などこちらも多数の関連語がある。
 Mt. Rainier は私にとっても思い出の山である。横須賀米軍病院の時、私は一人の同年代の看護兵(corpsman)、John McNamara と親しくなった。彼は整形外科病棟でギブス(cast)の仕事に携わっていた。彼のベトナム行きが決まったとき、二人で、横浜まで飲みに出かけた。いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」が大ヒットしていた頃であった。彼の父は医者であったが離婚し、幼少時つらい思いをしたことなどを話してくれた。数ヶ月後、ベトナムにいるはずの彼が突然横須賀に、今度は、病人として戻ってきた。本来、襲撃されてはいけない決まりの病院船がベトナム解放軍に狙われ、死者も出た。自分の気持ちが整理できないと私に訴えた。結局彼は除隊し、郷里のシアトルに戻った。しばらくして、私の方は新婚旅行途上での彼との再会となった。彼も婚約者と一緒で元気を取り戻していた。4人でドライブとなった。シアトルの町中から遠くに見えた山は、次第に近くなり、いつの間にか山道に入っていった。それが標高4392mの Mt. Rainier(イギリスの海軍大将の名前)であった。途中で幾度となく鹿に遭遇した。6月初めで、雪で行き止まりのところで引き返したが万年氷河を頂く山は確かに雄大であった。John達は私達の次の出立地の Portland, Oregon までドライブしながら送ってくれた。心優しい若者であった。John との音信は途絶えてしまったが、きっと、良き Dad、いや良き Grandpa でいることであろう。

scaphoid 陥凹した
 腹部の理学的所見をとるとき、まず、仰臥位の視診で、flat「平坦」、distended「膨隆」、scaphoid「陥凹」の別を記した方が良い。「膨隆した」は bloated でも良いが、「太りすぎの〔たるみっ腹〕」も含む素人言葉/スラングである(参考中野次郎箸「臨床医学英語」)。scaphoid はもともと「舟状の」、「ボートのような形の」という意味である。scaphoid abdomen で「舟状腹」(南山堂医学英和大辞典と日本医学会医学用語辞典)と書かれているが、「腹部陥凹状」の訳が良いであろう。陥凹の程度が極めて強ければ、悪液質なり重要な疾患をもっていることが疑えるかもしれない。なお、奥田邦雄、他著「医学英語の書き方」には scaphoid は取り上げられてはいないが、〔医学に関する俗語〕の項に"boatbelly"として書かれている。
 scaphoid の語原は、Merriam-Webster大辞典では L. scaphoides, from G skaphoeid?s, from skaph? through, bowel, light boat, skiff oid?s-oid と書かれているので、もともと、木のお椀や丸太舟を意味したのであろう。私たちは解剖学で手の骨の名前を覚えた時、Os scaphiodeum(舟状骨)は三角骨、豆状骨、月状骨と四つで近位手根骨(carpal bone)であった。整形外科的に、手をついたときに骨折し易い骨で scaphoid fracture の説明文もある。辞書的には scaphoid chest(舟状胸)、scaphoiditis(舟状骨炎)、scaphocephaly(舟状頭)などがある。また、scaphoid fossa(舟状窩)は、耳介(auricle)の耳輪(耳の縁のひだのヘリの部分)(helix)とその前側にある対輪(antihelix)との間にある垂直の溝、=fossa of helix、=fossa navicularis auris を指す(McMinn et al. A Colour Atlas of Human Anatomy)。scaphoid fossa はもう一つ解剖学的用語で、「頭骨の蝶形骨にあるくぼみで、上咽頭収縮筋の起始を示す部位」にあるとステッドマン医学大辞典には書かれてある。
 「舟状の」というと、もうひとつ"navicular"という単語が頭に浮かぶ。fossa navicu