長岡市医師会たより No.374 2011.5


もくじ

 表紙絵 「あじさい」 藤島暢(長岡西病院)
 「東日本大震災の被災地におもむいて」 内藤万砂文(長岡赤十字病院)
 「原発が爆発しますよ!」 江部克也(長岡赤十字病院)
 「英語はおもしろい〜その17」 須藤寛人(長岡西病院)
 「休日は鉄道博物館へ」 岸 裕(岸内科・消化器科医院)



「あじさい」 藤島暢(長岡西病院)


東日本大震災の被災地におもむいて  内藤万砂文(長岡赤十字病院)

 言葉を失います。まるで空爆の跡です。中越、中越沖地震の比ではありません。被災された皆様には心よりお見舞い申し上げます。
 発災直後から5回の出動の機会を得ました。計15日間を石巻赤十字病院で、5日間を釜石市で過ごし被災地の現状に触れました。石巻市街地だけでも1万人超の命が奪われたと地元では言われています。岩手県大槌町は焦土と化していました。実情は報道よりもはるかに深刻です。悲惨です。私たちが知っている地震災害とは様相を異にしています。家屋倒壊や道路損壊が少なく、被害のほとんどが津波によるものです。すなわち、命を落としたか、軽症ですんだかのいずれかです。地震災害にありがちな重症外傷は少なく、低体温症が多くみられました。すべてを奪われた状況であるにもかかわらず、行政機能が失われたため情報発信も支援要請も出せませんでした。結果的に避難所の孤立が長引き、物的支援も大幅に遅れました。発災後2か月が経過しましたが、いまだに避難所の数は減らず、衛生環境も決して良好とはいえません。とくに下水設備が復旧しないためトイレの問題は深刻です。救護所では被災者は問わず語りに、実に淡々と話されました。家族や家を失った方がほとんどです。津波に巻き込まれながらもかろうじて逃げた、目の前で家族をさらわれた、命があるだけ幸せだ……、あのとき死んだほうがよかったかも……。被災地の惨状はまだまだ想定を超えています。
 当院は赤十字病院ですが、新潟県の基幹災害医療センターにも指定されています。災害時に頑張らなければ存在意義のない病院です。これまで、石巻市、釜石市、福島市などに10班の救護班を派遣しました。また、その他にも被災地の病院支援要員や業務調整要員として多数の職員を派遣しています。看護学校の教員や学生も参加しました。今後も職員全員で被災地を支援していきます。今回の災害では、全国から多くの医療支援が被災地に入り大活躍をしてくれました。長岡からも医師会JMATや長岡中央綜合病院、立川綜合病院が支援に駆けつけて下さいました。この場を借りて御礼申し上げます。
 未曾有の大災害であるため、今後も長期間にわたり息の長い支援が必要となります。被災地の医療者は被災者でありながらも懸命に地域医療を支えようと不眠不休で働いてきました。もはや限界です。全国からの支援医療班もそろそろ息切れし撤退を表明する救護班が目立ってきました。6月以後も必要な医療支援が集まるかどうか不安な状況となってきています。中越地震、中越沖地震において被災地となった新潟県は全国から多くの支援をいただきました。今、恩返しをしなければ返す機会はありません。会員の皆様には今後ともご支援のほど、宜しくお願い申し上げます。

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原発が爆発しますよ!  江部克也(長岡赤十字病院)

 今回の東日本大震災に際して、赤十字救護班として内藤救命救急センター長が、DMATとして私が、発災約2時間後に当院から出発しました。
 DMAT本部から指示された参集拠点の福島県立医大には、道路事情もあり、夜半に到着しました。しかし、津波被害が主であった今回の震災では、DMATのスキルを生かせる場面はあまりありませんでした。
 翌朝、日赤医療センター、横浜みなと赤十字病院のDMATチームの各リーダーと相談し、DMAT本部の指揮を離れ、日赤救護班として活動することにしました。赤十字福島県支部からの指示は、後続の名古屋赤十字救護班とともに、海岸沿いで宮城県境にある福島県新地町に救護所を立ち上げる、というものでした。
 新地町では、役場周辺は比較的おちついていましたが、そこから約1qある海岸までは、見渡す限り瓦礫の平原でした。
 長岡チームが合同救護班の指揮をとり、町長への到着報告と情報収集、役場内での救護所設営などを行いました。さらに、周辺の避難所に数千人の被災者がいるとの情報があり、仮の本部要員を残し、医療チームを順次派遣することにしました。
 ところが、最後のチームの出発間際になって、町側から「原発が〈爆発〉するかもしれない、という内々の情報が入った」と言われました。
 この時点では、テレビ・ラジオからは、危険性についての報道はなく、赤十字本社も情報をつかんでいませんでした。まもなく後続の名古屋赤十字が到着するとの連絡もあり、先着隊として周辺の情報収集が優先すると判断し、結局全チームを送り出してしまいました。
 しかしその直後に、赤十字本社から「あれこれ探ってみると、〈非常に憂慮すべき状態〉らしい、至急離脱するように!」との指示が入り愕然としました。
 ちょうど到着した名古屋赤十字救護班をすぐに避難させ、ひと安心したものの、その時点では、巡回チームとは、まったく連絡がとれなくなっていました。まだ発災後24時間しかたっておらず、医療ニーズが大きく、大忙しだったそうです。結局連絡がつかないまま、情報が入ってから約2時間後に爆発は起きてしまいました。
 現在では、新地町は原発から30q以上離れていることもわかっていますし、水素爆発だけで被曝もありませんでした。しかし、当時の乏しい情報のなかでは、「原爆にやられるように、爆死するんじゃないか」と思っていた隊員もいたそうです。
 情報が乏しい段階では、人員を分散させない、分散する場合には頻繁に定時連絡を入れさせるなどの配慮が必要であったと、リーダーとして反省しています。
 赤十字の公式見解は、〈被災住民を残し医療班だけ避難するのではない。情報収集のため他の地域に転進である〉、でしたが、現場では当然そんな解釈はしません。こればかりは、他人まかせにはできず、合同医療班を代表して町長に撤収を伝えました。
 その時の町のスタッフの表情は忘れることはできません。整然と後始末をして、きちんとあいさつをして撤収したはずなのですが、現在、町と赤十字の関係は、あまり良好ではないそうです。
 万一の被爆を避けるために撤収の判断は必要でしたが、今でも悔しい気持ちはあります。他の隊員も、「またくるからね」と言ったまま、急いで撤収したまま戻れなかったことを、気に病むことがあるそうです。
 なお、差し迫る状況の中、できるかぎり危険を避けるため、ひとりでも多くのスタッフを、少しでも早い退避を勧めました。しかし、すべてのチームは、所属の隊員がそろうまで残ってくれました。安全面からは感心できませんが、心意気には感謝しています。
 山越えをして宮城県白石市に到着後、翌日は巡回診療を行いました。放射能についての情報がなかったため、安全を期して米沢経由で長岡に戻りました。
 初動は2泊3日の活動で終了しました。医療班としては充分な活動ができたとは言えませんが、リーダーとして得るものが多かった活動でした。

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英語はおもしろい〜その17  須藤寛人(長岡西病院)

disclosure 開示
 アメリカ産科婦人科学会総会(ACOG)に3年ほど前に参加した。clinical seminor は約2時間で40ドルであった。受講料の一部は当然講演者にいくものと思われる。驚いたことは、講演者は講演に先立って、"financial disclosure"(金銭的問題の開示)を述べることが学会より厳しく要請されていたことであった。しかも、「講演に先立って」このことを明らかにするようにと書かれており、かつ、演者が、実際、「正しく disclosure したかどうか」を知るべく、聴講者のアンケート項目に加えられていた。講演者が発表内容にかかわって、多少なりとも製薬会社なりの企業・団体からなんらかの経済的・金銭的関係があるようなら、詳しく開示しなければならない。なければ無いと明言しなければならないというわけである。私が聴講した clinical seminor では、大豆に女性ホルモン類似物質が多く含まれていることに関する講演をした教授は、○○会社より研究費をもらっていると話してから口演を始めた。
 ACOG学会雑誌の全ての論文に、"financial disclosure" が書かれるようになっている。これはごく最近のことで2007年頃からではないかと思う。昔は論文の最後に、研究費の出所が書かれたものであるが、これが今や論文の、欄外ではあるが、第1ページ目に置かれるようになった。
 ACOG学会雑誌を主として、"financial disclosure" の実際の記載内容を見てみた。"The authors did no treport any potential conflicts of interest." は「著者らは何らの潜在的な利害関係はないと報告」と訳されるであろう。何らかの金銭的関係があれば、下記するように、かなり詳しく、具体的に開示しなければならない。"Drs. D. and K. are employees of Merk Co., Inc. and hold stock or stock option.「製薬会社職員」、「株や株式購入券をもっている」。"Dr.C.hasreceivedfeesfromMerkCo.,Inc.「報酬をもらっていた」。"Dr. S. lectured at meeting organized by Shering Plough."「会社主催の会合でレクチャーした」。"Dr. H. has been a payed consultant and lectured for Bayler Shering Pharma."「有給コンサルタントで、講義をした」。"He also belongs to both the international Funnish advisory boards for Bayer Shering Pharma."「国際的関係を含めた会社のアドバイザーについた」。"His department receives funding for conducting clinical trials from Johnson and Johnson."「臨床治研費を受け取った」。B. has received research support.「研究協力を受けた」。"Dr. W .has received a research grant from Pfizer."「研究費をもらった」。"Dr. B. either worked as a conference speaker, being a board of member, or being an investigator for Amgen Inc."「カンファランスで発表者となったり、理事会の役員、研究者として働いた」。Dr. H. has received funding through her institution for reagents and equipments for Roche Molecular System.「研究施設をとおして、試薬や器材の補助金を受け取った」。"Drs.K.andE.haveactedasconsultantsforMedtronic."「コンサルタントとして活動した」。"Dr. D. has accepted speaker's fee from General Electronic Medical Ultrasound."「講演料を受け取った」。そのほか、「謝礼金」(honorarium、複数形honararia)(料金の決まっていない専門職に対して支払う金)と書かれていることも多い。ex. speaker honoraria「講演謝礼金」。
 「研究補助費」に関する英語表現は research grant、grant-in-aid research funding、grant support from …… などいろいろな言い方がなされている。"This work was supported by the NIH(K08NS52232 award to Dr. Lee)and the Mayo Foudation(2008−2010 Research Early Career Development Award for Clinician Scientist Award to Dr. Lee)."などと詳述する必要もある。
 この financial disclosure が他の一流の国際的な医学会雑誌ではどのように扱われているかを調べてみた。American society of clinical oncology の機関誌である Journal of clinical oncology では "DISCUSSION" の後、"REFERNCES" の前に、"AUTHORS' DISCLOSURE OF POTENTIAL CONFLICT OF INTEREST" と、同じ大きさの活字で項目としている。しかしこの部の文章は本文よりやや小さい活字である。この点、American HeartJ ournal では、disclosure の項の活字の大きさは本文と同じに書かれている。これら二つ学会誌は ACOG の機関誌より、disclosure の問題をさらに強く重要と考えていることが推察できると言えようか。他の、disclosure の項目があった雑誌は The Lancet、Gastroenterology、Journal of Neurosurgery などで、いずれも活字は本文より小さい。disclosure の項目の無い雑誌は The New England Journal of Medicine、American Journal of Obstetrics and Gynecology、American Journal of Ophthalmology、AmericanJ ournal of Radiology、American Journal of Kidney diseases、The American Journal of Medicine などいまだたくさんあった。従ってこの問題は現段階では、いまだ移行期にあると考えた方が良いのかもしれない。前記したJ ournal of Clinical Oncology では disclosure のさらなる細項目を、下記のように掲げ、逐一「無いならば none" と書く」ように定められている。Employment or leadership position、Consultant or advisory role、Stock ownership、Honoraria、Research funding、Expert testimony、Other remuneration(報酬)の項目である。
 disclosure は研究社新英和辞典には、「暴露、発覚、発表」とあり、ライフサイエンス辞典では、「公開、開示、発覚」である。Merriam-Webster 大辞典では同義語として exposure、revealation をあげている。disclose の語源は OF disclore < ML disclaudere + open from L. dis − dis + claudere to close。
 "disclosure" を共起検索で調べてみたところ、80例が示され、そのなかで financial d. は4例で、他、"patient d."、"prognostic d."、"public d."、"information d."、"emotional d."、"result d."、"self-disclosure"などと用いられていることがわかった。
 雑誌 Neurology は、American Academy of Neurology の機関誌であり、週刊で発行されている。この雑誌の "financial disclosure" の項目は、"financial" がとれて、単に "disclosure" とあり、その内容はさらに詳しく書かれている。たとえば、主著者がどこかの雑誌の editor である場合はその雑誌名を示し、また、著書がある場合はその名をあげ、著作権収入(royality)があることが書かれている。研究費に至っては旅費の支給(travel expenses)まで書かれている。掲載されている一つの論文でみたところ、図表を除くと、disclosure だけで、驚く無かれ、全体の1/10のボリュームを占めていた。本当に、そこまでしなければならないのだろうか?という感じもする。日本産科婦人科学会は平成23年の学術総会よりこの "financial disclosure" を「利益相反状態の開示」と称して開始する。凡例として、「役員・顧問職、寄付、講演料、研究費、奨学寄付金など」が上げられている。興味深いことは、その「指針」になる運用細則が書かれているが、大まかなところを記すと、「役員・顧問職は100万円以上を一つの企業・団体よりもらったとき、株の利益100万円以上、特許権使用料100万円以上、講演料あるいは原稿料などは一企業からの年間総額が50万円以上、研究費、奨学寄付金は200万円以上、研究とは直接関係ない旅行・贈答品などの報酬が5万円以上のとき」などと書かれている。金額の額はさておき、大変具体的に細かく決められおり、きわめて日本的といえるように感じられる。今後、日本でも、特別講演や研究発表に先立ってこのような financialdis-closure が言明されたり、研究論文においてこのことが詳記されるようになっていくことであろう。(続く)

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休日は鉄道博物館へ   岸 裕(岸内科・消化器科医院)

 今年のゴールデンウィークの始まりの4月29日、英国ではロイヤル・ウエディングでした。絵本から抜け出したようなハンサムな王子とお姫さま。お伽噺にでてくるような飾り立てた馬車とおもちゃのような兵隊。遠い国のお話ですが、この美しいヤング・カップルに幸多かれ、と祈りました。
 その同じ4月29日とゴールデンウィーク終わりの5月8日に、私ごとで恐縮ですが、姪達二人がめでたく結婚式を挙げることになり、私達夫婦も29日は新潟市のグランドホテルでの人前結婚式(最近の若い人達にははやりのようです。)と披露宴に出席させてもらい、8日は大宮市の氷川神社での神前結婚式(日本古来の伝統に乗っ取った簫・篳篥の鳴り響くなかでの厳かなものでした。)と大宮パレスホテルでの披露宴に出席させてもらった。
 同い年の姪二人、同じ月に生まれて同じ年にそれぞれにふさわしい伴侶と結婚して喜ばしさも2倍、楽しさも2倍でした。どちらの式も若い人たちが自分たちで式の用意をしたとのことで友人、先生、親戚、弟、妹、祖父母、両親に祝ってもらい感謝しあって心のこもった良い式でした。
 実は嬉しかったのは結婚式だけではなく「式が大宮で遠くて申し訳ありませんがよろしくお願いします。」と言われた時に、以前からずっと気にかけていた鉄道博物館に行くチャンスと思い、式前日の7日に『かねてからの念願かなって』行って来たことです。
 大宮までの往復の新幹線と鉄道博物館の入場券とおみやげ、それに鉄道村の宿泊がセットされたお得な切符を長岡駅ビュープラザで購入する。これで大宮までの往復の新幹線代とほぼ同額、お得ではありませんか!(日帰りのプランだと往復の新幹線代より安いとのことで義姉夫婦は日帰りプランを購入したそうです。)
 5月7日、土曜日の午前の診察を終え、いそいそと新幹線に飛び乗っていざ鉄道博物館へ!さすがゴールデンウィーク中だけあって小さな子供連れのファミリー、腕を組んでいる若いカップル、立派なカメラを首から下げている鉄道ファンの外国人や日本人で大賑わい。
 私も最近購入したばかりのポラロイドのデジカメを取り出してまず1階のヒストリーゾーンへ。C形式57蒸気機関車を中心にキハ、クハ、モハ、クモハ、etc、懐かしい車両が展示してあり中に入って座席に座ってカメラを取り出すと同じようにカメラを構えた外人さんと目があって軽く頭を下げ挨拶を交わす。気分良く先に進むとガラス越しに皇室御用達の御料車が展示してある。その内装の素晴らしさはオリエント急行に勝るとも劣らない。
 かつて英皇太子が来日された折、御乗車になった御料車はデッキが付いた窓の大きな展望車、当時の日本国民の歓迎ぶりが目に浮かぶようです。
 2階には国内最大級の模型鉄道ジオラマが。山々を背景に赤い陸橋、トンネル、遊園地のジェットコースター、都会の中を田園を縦横無尽に鉄道模型が走り回る。その周りで子供達が眼を輝かせながらはしゃぎ回る。見ていて飽くことがありません。
 あまり良かったので家内に「また来ようか。」と声をかけると、「いつかオリエント急行列車の旅が良いんじゃない?」とのたもうた。「いいじゃないか、鉄道博物館で。鉄道村ホテルだって寝台車みたいな客室に泊った上、スーパー銭湯もついていてすごく良かったじゃないか!また来よう、なっ!」。「……」。

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