長岡市医師会たより No.379 2011.10


もくじ

 表紙絵 「ベニス」 丸山正三
 「男と女はややこしい」 廣田雅行(長岡赤十字病院)
 「英語はおもしろい〜その21」 須藤寛人(長岡西病院)
 「会員ゴルフ大会優勝記」 田島健三(長岡赤十字病院)
 「メダカの稚魚越冬隊」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「ベニス」 丸山正三

 今時ベニスなどという人は居ないことだろう。然し私は昔からの癖でベニスと言う方が身近に感じる。「ベニスの舟歌」とか「ベニスの商人」とかいうほうが何かぴったりする。今はみんなヴェネツィアである。昔北イタリアのほうのベネト族が蛮族に追われ、得意の航海術で海に逃れ、浅瀬のラグーナに杭を打ちつけて家を造り、次第に人口が増えるとともに交易によって冨を増やし水上に絢爛たる都市国家を作った。
 今、観光旅行をする人たちはベニスだけは違うねと異口同音である。まだ昔を偲ばせる豪華さが残って、水の都として数多の水路は水を湛えて縦横に走る。
 私はなるべくベニスらしくない絵を描きたいと考えていたので、かなり水を避けるようにしてスケッチを重ねたが、随所に出会うグランカナール(大運河)はそれに沿った建築の美しさと共に、やっぱり絵にしないではいられなかった。
 大運河はきれいな緑に洋々と拡がり特有の飾り窓を持った建物は黄にオレンジに美しく連なっている。水に接する辺りゴンドラが泊まっていて、これが程よいアクセントを作る。ゴンドラは凡て黒に統一されていると聞くが、色彩の変化を求めて、私はいろいろな色に置き換えた。黒いゴンドラも特別の祭りや儀式の時には多彩に変わるということで、そのような写真もよく見かける。
 早く行かないとベニスは沈んでしまうよ、と私は再三催促されて漸く60歳を過ぎてベニスを見ることになり、外国旅行などの少ない私にその後三回もベニスを訪れる機会を与えてもらった。何回行ってもベニスは良い所である。しかし至る所老朽の感は免れない。この先、今も沈下を続けているというベニスはどうなるのだろう。


男と女はややこしい  廣田雅行(長岡赤十字病院)

 「男と女の間には、深くて暗い川がある……」でしたっけ、昭和の時代に野坂昭如、長谷川きよし等が唄っていた「黒の舟歌」の出だしの一節です。私位の年齢の先生方は、良くご存知の事と思います。しかし、最近のテレビの番組では、「男と女の間には、オカマのあの子が居るでしょう」と言いたくなる位に、その「深くて暗い川」を越えてしまっていると言って良さそうなタレントが出て来ている様に思うのですが、如何でしょうか?。
 皆様良くご存知の様に、有性生殖の生物では、性のタイプは、(1) 雌雄同体、(2) 性転換可能型、(3) 雌雄異体に大きく分けられている様です。(1) に属する者ではカタツムリが、(2) は魚類で成長度合いや周囲の環境で変わる者が有る様です。人間は (3) に入る訳ですが、「性同一性障害」等の概念で最近認知されている様なケースも有る様です。尤も、同じ脊椎動物でも、爬虫類の中には、孵化時までの温度で雌雄が決定される者が有り、「雌雄異体」と言っても、奥深い物が有る様です。
 昆虫も雌雄異体ですが、昔から「モザイク体」、と言う者が知られていて、体の半分とか、一部が反対の性の特徴を示す者が有る事が知られています。そこまで行って、そう言えばと思い当たったのは、大分古いのですが、四年程前の毎日新聞のコラムの記事で、沖縄本島と種子島の「キチョウ」では、オスの性染色体を持っていても、特定の系統の共生細菌に感染していると、全てメスになるグループが有る。しかもこれらに対して、抗生剤を成長の四段階に分けて投与すると、早期の二段階迄は全てオスに、三段階では四分の一が、四段階では半数がメスになり、抗生剤の投与をしなかった者は全てメスに成ったと言う事でしたが、どの段階でも雌雄両方の特徴を示す者(モザイク体)がいたと言う物が有りました。
 さて、前置きが長過ぎて、本題を忘れてしまいそうでした。「え、これからかい?」と、仰るのもご尤も。申し訳ございません、もう少しお付き合いの程を。写真1は「モンキチョウ」の「雄」、良く見かける「黄色い」蝶です。写真2はその「雌」で、一寸ピンボケですが(申し訳ございません)、色が「白い」のです。さて、そうなりますと、その交尾と言うのは、写真3の様になります。さて、お立会い。写真4ですが、何か変な事にお気付きでしょうか?。そうなのです、「雄」の羽で覆われている「雌」の羽の色が「白」で無い事にお気付きでしょうか。「雄」型の「雌」なのです。三十年以上前、まだ大学生に成りたての頃、一度、湯沢のスキー場で夏にこのタイプの交尾を写真に撮った事が有り、その時色々調べた所、表現型が「雄」タイプの「雌」がいると言う事を知ったのです。偶々、二年程前の秋、隣の空き地に「モンキチョウ」が沢山いたので、もしかして……、と探してみたらなんと!いたのです、このカップルが。尤も、人間の目にはこのように見えますが、昆虫の可視範囲では通常に見えているのかも知れません。
 人間の性決定はXYの性染色体で為される訳ですが、最近、そのY染色体が小さくなって来ているとか。対になってトラブルになった部分を補修し合う事が出来ない為だそうですが、何時かは人間の男は「X0」タイプに成ってしまうのかしら?。あらいやだ、もうなんか変わっちゃってるみたい、ゴメンアソバセ。なあ〜んて事に……。

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英語はおもしろい〜その21  須藤寛人(長岡西病院)

Hospitalist 病院専属医師
 Hospitalist という言葉は比較的新しい語で、日本医学会医学用語辞典第2版(2001年)には載っておらず、第3版(2007年)に「病院医師」として記載されている。ここでは「病院専属医師」と訳してみたが、通常の英和辞典に未だ載っていない、なんの変哲もないと思われるこの英単語の周辺を、今回探ってみよう。「アメリカの大病院に行っても医者はいません」と、私は日本とアメリカの医療の違いについて、極端な言い方で時折話をしてきた。しかし、アメリカの病院を訪れたことのない人たちは、そんなばかな!とその現実がなかなか分かってもらえなかったようであった。アメリカ医療の根本は、外来は office で、入院・手術・分娩になれば病院に、そして医師が診察・手術・お産に病院に向かう、"attend" する、システムである。"Attending Doctor" は、自身がアメリカで内科臨床に携われた中野次郎医師の「臨床医学英語」には「訪問医」と訳されているが、日本では一般的には「指導医」と訳されているようである。あまり知られていないことかも知れないが、attending doctor にも格があり、assistant attending、junior a.、senior a. などと呼ばれる。呼称はどうであれ、attending doctor は言い換えれば日本の開業(privatepractice)医にあたる。大学病院や教育病院にこそレジデントは常駐するが、中小病院には常時いるわけでない。すなわち、大学病院の教授をはじめとする faculty member など、特殊な仕事に従事する医師以外は、アメリカの医師は大方が開業医であるということができよう。
 1970年代始め、アメリカでは各種専門医の人数に制限を決めるべきことに気づき、逆に「家庭医 family physician」の重要性を認識し、「家庭医レジデントコース」を遅ればせながら創設した。その結果、今ではアメリカの家庭医は地域の総合診療医として、その数と活躍において確固たるものとなっている。最近の若い日本人医師でアメリカの臨床医学に進む人達の半数以上はカリキュラムの確立した家庭医コース志望のようである。家庭医は日本の内科の generalist と重なるところがあるが、小児科や老年医学、リハビリテーション診療から産婦人科診療にも携わる、幅広い、地域に密着した診療を担っている。
 伝統ある上記したアメリカの医療形態のなかで、わずかこの10年くらいで、hospitalist の出現というかなり大きな変化が生じていたことを、New York の旧友のメールを通して知った。1996年 Dr. Bob Wachter という人が New England Journal of Medicine に "The Emerging Role of "Hospitalist" in the American Health Care System" という論文を発表したことに端を発して hospitalist という英語が使われるようになった。入院を要するような一般内科疾患の患者さんの治療は病院専属医師が担当し、「入院患者に最善の治療を与えることを最終ゴールとする」ことに目標をおく。またその医師は、病院の「教育、研究のリーダーとなる任務を負う」という位置づけであるそうだ。
 同年、「Association of Inpatient Physician」という会が組織され、第1回目の会合がもたれた。2003年、この会は「Society of Hospital Medicine」に発展し、現在の学会のホームページによれば、学会会員(hospitalist)は10,000人にいたっているとのことである。若い会員が多く、現在アメリカで最も成長している学会であるとのことであった(Wikipedia)。この隆盛の理由は、そこに患者のニーズがあり、医師側の旧体制の限界からの脱却があり、また保険会社の意向が叶えられるという時代的要請が合致したためと考えられる。すなわち、入院内科患者を診る専門医(hospitalist)が診察に当たると、臨床実績が向上し、かつ低費用で行え、患者にとって十分な満足が得られる結果の為と思われる。ホームページによれば、今年よりレジデント制度に入るようで、診療範囲に、一般内科、リハビリ、ホスピス、保存的治療、コンサルテーションなどを含むとのことであった。「米国臨床学ガイド Dr .Blog」によれば、hospitalist は通常10〜12時間働く。週5〜7日間働き、次の週は5〜7日休みで、全く病院から解放される。extrashift を望めば可能である。収入は年$175,000〜250,000。もしその病院の hospitalist の medical director になればさらに10%の報酬が加算される。年間20週以上の休みがあるのでそこに惹かれる医師もいるとのこと。
 日本での Hospitalist に関する認知度はどうであろうか。国保旭中央病院には以前よりカリフォルニア大LA校よりアメリカの指導医が定期的に臨床指導に来ているが、平成16年12月には Dr. Samuel Burstein という医師が "hospitalist" の肩書きで来ていたことが Blog に書かれている。また、ある〔総合診療科〕を解説する説明文の中で、「家庭医マインドをもった hospitalist」とか「hospitalist の技能を持った家庭医」などと書かれていた。日本では、大学によっては総合診療科(部)があり、「総合臨床医」(総合診療医)の養成を目標としている。その母体は日本総合診療医学会であるが、ホームページには、昔の「かかりつけ医」であり「家庭医」であり、はたまた「大病院で働く総合診療医(ホスピタリストと呼ばれる)」であり、「診療の場は異なっても患者さんと共に歩む総合的な姿勢を持った医師(generalist)を代表する団体です」と、私には少し理解しがたい広大な理念が述べられている。
 アメリカやカナダでは hospitalist という言葉はさらに広く使われ始めている。内科医に限らず、救急外来を担当する医師も hospitalist、アメリカでは麻酔科医も private practice の人が多いが病院勤務医型の麻酔科医もおり hospitalist と呼ばれ、surgical hospitalist、surgicalist や neurohospitalist(病院神経医)という語も定着しつつある。これまでのアメリカの開業医オンリーの医療体制にも明らかに変化が生じてきているといえよう。(続く)

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会員ゴルフ大会優勝記    田島健三(長岡赤十字病院)

 9月18日(日) 長岡カントリー倶楽部東コーススタートで、4組13名が参加し曇天、蒸し暑い日でしたが滞りなく行われました。小生、記憶は定かではありませんが5年ぶりくらいの参加と思われます。
 当日夜は所用があり懇親会及び表彰式には出席できませんでしたが、翌々日の20日、医師会より成績表とともに大きな荷物が病院に届いておりました。何と一番上に名前が載っているではありませんか。伝統ある医師会ゴルフ大会での“はからずも”の初優勝です! 長岡市医師会員となって25年目の快挙(?)でしたが、その分年も取り、65才と定年を迎え“高齢者”の仲間入りとなってしまいましたので、苦節25年と言った方が良いかもしれません。でも同伴プレーヤーの田淵先生は何と御年78才とお聞きし、しかもシングルプレーヤーであったとのことで、先生からみればまだ小生は若造であると思い直し、2年前椎間板ヘルニアを患い未だ完治せずの状態ですが、何とか18ホール完走できました。もう一人の同伴者の吉田先生も腰痛持ちで同病相哀れむ仲でしたが、後半は調子を上げてきて小生を引っ張っていただきました。お二人に感謝、感謝です。
 成績表から如何にハンディに恵まれたかがわかります。シングルハンディであった太田会長には申し訳なく思っており、紙面をお借りし「ゴメンナサイ」とお詫び致します。最終ホールでトリプルを叩き、そこが「隠しホール」にはまったことが幸運でした。大会参加の皆さんと、医師会事務局の方々に感謝致します。有り難うございました。

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メダカの稚魚越冬隊  郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 秋も深まりましたが、今夏から住人となったモリアオガエルの姿をたまに庭先で見かけます。よく似たアマガエルより手足も体幹も細長型の体型で判別されます。我が家のミニ・ビオトープの池の周辺で暮らしているようです。今年は春にもうひとつプラスチックの瓢箪池を埋め込み、水場を拡張しておりました。
 それらの池の水蓮が夏に白や黄の花を美しく咲かせました。また隣家より頂戴して、泳がせたメダカが今年はよく繁殖しました。ホテイアオイが産卵床用に入れてあります。
 水草の根に産卵後は数日で孵化、目玉にしっぽがついたような二頭身の3ミリの赤ちゃんメダカが泳ぎ始めます。この卵や幼魚をメダカが餌として食べることも多いそうです。そこで池や睡蓮鉢の産卵後の水草を移動させ、一時分離してみました。いくつか用意したバケツの水に、水草だけ移動して、親メダカから隔離しました。無事な孵化がたくさん成功しました。
 稚魚には専用の微粒子の餌を与えました。十分大きくなってからもとの池や水鉢に戻しました。メダカは熱い夏が好きで、餌も十分ある環境では数回以上産卵します。この夏、我が家では星の数ほどもメダカの稚魚が誕生したのでした。

「もう水澄む秋だけど、まだチビのままの成長不足のメダカがいっぱいいるんだなあ。」とわたし。
「夏の終わりまで、あなたったら助産師のようにメダカの孵化の援助してらしたもの。」と家人。
「池の雪囲だけでは、小さい子たちは冬越し無理かしら?」
「たぶん無理だね、まだ3ミリくらいのままのもいるから。本来はここで自然淘汰なんだろうね。でもなんとか小さな命は助けたいよね。」

 “こどものお医者さん”というわたしの仕事とも関連するかもしれません。家人と相談し、越冬のため、小さな一群だけは室内に水槽を設置して収容保護することにしました。
 ここ数日、朝は窓硝子に水滴が付き、散歩でも息が白く見えるようになりました。
 まずは休日にホームセンターへ、新しい水槽の購入に出かけました。照明ライト、濾過ポンプがセットの小型の水槽(容量15L)を選びました。粒状の麦飯石も購入して、底砂に敷きました。市販の塩素中和剤と濾過バクテリアを混ぜた水を入れ、睡蓮鉢から抜いた数本の金魚藻を植えました。
 水槽の用意の出来た翌日、メダカの稚魚を細かい金属網で池からそっと掬いました。全長1センチ未満を選別基準に、それより成長しているものは池に戻しました。数ミリの稚魚のみをいったんバケツへ入れ、その後室内の水槽へ移動させました。30分の手作業で、数ミリの稚魚百匹余りを新水槽に収容しました。

「まあきれいな水槽ができたわね。もう寒くなったのに、まだ赤ちゃんみたいなメダカがいっぱいいたのねえ。」と家人。
「ところで緑藻がついても放っておいて平気よね。」
「そうだね、熱帯魚の水草水槽でないしね。メダカの水槽だもんね。」

 毎日のように水槽掃除が必要だった熱帯魚飼育の経験から、そんな夫婦の会話がありました。一週間で硝子や底砂に緑藻が繁殖。硝子を擦り、底砂を洗い、水を入れ替える作業を始めました。掃除なくして水槽飼育なしと数年ぶりの実感。メダカの稚魚の越冬部隊は温水環境で盛んに餌をぱくつき、元気いっぱいです。

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