長岡市医師会たより No.387 2012.6


もくじ

 表紙絵 「梅雨の晴れ間(悠久山)」 丸岡 稔(丸岡医院)
 「英語はおもしろい〜その27」 須藤寛人(長岡西病院)
 「越後の静御前」 福本一朗(長岡技術科学大学)
 「夢のコーラ」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「梅雨の晴れ間(悠久山)」 丸岡 稔(丸岡医院)


英語はおもしろい〜その27  須藤寛人(長岡西病院)

 

fascinoma 大変興味ある症例
 とある忘年会で、長岡赤十字病院の病理部の江村巌先生と隣りあった。元同僚で、かねてより私の尊敬する医師の一人である。彼より開口一番「見たこともない、変な卵巣腫瘍があるんですよ!」そして「手術をするときは、先生方はさぞワクワクするんでしょうネ」と声をかけてきた。私の返事は「そのとおりです。時には手術前からお腹の中は実際どのようになっているか、興味津々のこともあるのです」、そして「ところで、その腫瘍は "fascinoma"というのですヨ」と付け加えた。もちろん彼の頭のなかは「??」であった。
 日本人の医師でも知っている人はほとんどいないこの英単語は、臨床医療スラングともみなされる範疇のものである。通常の英英辞典の成書には載っていないが、Wikipedia 英語版にはきちんと記載されている。="fascinating"+"oma"の合成語で「an unusual or interesting case or diagnosis」の意味である。fascinating は、読者もご存知のとおりで、「魅惑的な」、「うっとりさせる」、「とてもすばらしい」(福武英和辞典)である。Weblio 辞典では「妖艶な」、「魅力のある」、「ほれぼれするような」、「あでやかな」などと訳しており、私たちもやや軟らかい意味合いのある語として、attractive、captivating、charming、bewitching、enchanting と換語できるように感じている。しかし、研究社新英和中辞典には「すごくおもしろい」という訳がのっているが、こちらの方が語源に近い意味をもっているようである。
 Merriam-Webster 大辞典には fascinating を "holding the interest as if by a spell"「あたかも魔力にかかって興味を抱くこと」=「extremely interesting」とだけ説明している。例文は "India is an astounding and fascinating country." である。「大変興味がある」と言うことはニュアンスの上からは「心が踊るような」、「ワクワクするような」という感じを含むことになると私には感じられる。
 fascinating を共起表現検索をかけたところ、186例文が載っていた。f. aspect(s)、f. insight(s)、f. question(s)、f. topic などがそれぞれ6〜8例くらい使用されていた。一流医学論文に、かなり主観的な語と思われる fascinating という言葉がそれなりに使用されていることに気が止まった。これから英語の論文を書く人がいたら、"interesting" と書くところを "fascinating" としてみることを一考してみてもよいのではないかと思われる。
 さて、fascinoma の "oma" は「腫瘍」であるので、fascinoma の直訳は「大変興味がある腫瘍」ということになり、転じて「極めて珍しい症例や診断」ということになる。この点、日本語の口演や論文のタイトルにしばしば「……の興味ある1例」や「……希有な一症例」などという言い方がなされるが、それと似ているといえようか。
 レジデントを初めとする若い医師は、やたらと「初めての経験、症例」と口にする。たとえばの話であるが、若い医師が、卵巣腫瘍の診断で開腹したところ、両側卵巣は正常で、腫瘍は小腸由来の極めて珍しいものであったとする。この時、若者に誤診を責めるのではなく、"That's a fascinoma." と、逆に鼓舞するように言えば、若者は必死に勉強して症例発表までこぎ着けるかも知れない。
 卵巣の腫瘍について話をさせていただくと、卵巣腫瘍は他の臓器の腫瘍に比べ際だった特徴を持つ。その一つは腫瘍の大きさで、2〜3kgは希ならず、時には5kg、10kgと巨大になりうることである。そして二つ目は、病理組織学的に分類すると、胚細胞腫瘍(germ cell tumor)や性索・性腺間質腫瘍(sex cord - gonadal stromal tumor)を含め、かつ境界悪性腫瘍を独立して数えると、60種類を越えその種類は極めて多いということである。私など "fascinoma" に魅せられ続けてとうとう勤務医で定年にまで至ってしまったということになろうか。

Diagnose 診断する
 前回 "tentative" の見出しで "diagnosis" について書いた。診断は医師にとって最も重要な医療行為であるので、続きを書かせてもらう。
 「診断」diagnosis の語源は G. diagignoskein to distinguish, from dia- + gignoskein to know であり(Merriam-Webster 大辞典)、「区別して知る」、「識別」という意味から発したようである。「診断する」は多くは "make a diagnosis" とか "establish a d." になり、他動詞では "diagnose" になる。しかし、diagnose は diagnosis に比べ実際はそれほど使われないようで、またその使用にあたって注意すべき点があるようだ。今回は "diagnose" に関する事柄を書き留めたい。
 研究社の新英和中辞典および M-W 大辞典に、diagnose は diagnosis からの「逆成(back-formation)語」と書かれており、英語語源辞典(寺沢芳雄著)には、「diagnostic は1625年、diagnose は1861年に最古用例をみる」とあったので、diagnose は比較的新しい英単語であるといえよう。
 注意の第一点は、「……と診断する」に diagnose を使うとき、「人を目的語としない」とされ、研究社の辞典例文は "The doctor diagnosed his illness as malaria." とあった。diagnose を共起表現検索で調べてみると、300例が載っていたが、そのうち58例の diagnoses は実はdiagnosis の複数形であった。diagnose の三人称単数形も diagnoses となるので、その区別が難しく、一流のコンピュータも未だこの区別ができないようである。
 残り242例の diagnose の実例を調べてみると、気づくことは、人称代名詞を主語にして用いられている例はなく、研究社の辞典に載っている "He diagnoses malaria." などというような文章用例は一流医学雑誌には実際には使われないようである。また、diagnose を「……と診断する」という能動態に使用される例は数例に過ぎなかった。
 比較的多い使用法は "This detection was able to accurately diagnose MRSA."、"to detect and diagnose breast cancer"、"ability to diagnose these disease"、"Fasting glucose is the standard measure used to diagnose diabetes."、"difficult to d."、などと「不定詞」"to diagnose" として使用される例が30例に見られた。
 diagnose の圧倒的に多い使用例は be diagnosed「診断された」の受動態であった(98例)。"Recurrence was clinically diagnosed."、"Tuberculosis was diagnosed in one of 109 subjects."、"Neurological disease was diagnosed before the onset of symptoms."、"Most tumors are diagnosed at the last stage."、"Intraventricular hemorrhage was diagnosed by head ultrasound." などであった。とりわけ多かったのが "be diagnosed with"「……と診断された」であった。基本文型用例 "He was diagnosed with AID." のように、"1000 women were diagnosed with breast cancer."、"Epithelial ovarian cancer will be diagnosed with advanced stage disease."、"Most patients are diagnosed with metastatic disease." などと多数であった。
 過去分詞 diagnosed を形容詞として「診断された」として使用される文章も多い。"patient with newly diagnosed cancer."、"20 new cases diagnosed yearly."、"Patient diagnosed with HCV were ……" などであった。diagnosed with は総計すると85例と極めて多く使用されていた。
 まとめてみると、diagnose を論文上に使うときは、「不定詞」、「受動態」あるいは「be diagnosed with」として使うと良いと言えよう。
 次に、diagnose の関連英単語を見てみると、"diagnostic":(形)「診断上の」、「診断の」ex. diagnostic method 診断法、d. procedure 診断手順、d. workup 診断検査、d. sign、d. criteria など多数、"diagnostically":(副)「診断上で」ex. diagnostically useful、"diagnosable":「診断可能な」ex. diagnosable depression、beyond diagnosable disorders、clinically diagnosable「臨床的に診断可能の」、"diagnostician":「診断医」、"diagnostics":(名)「診断法」、"diagnosing":(名)「診断」、(動)「診断すること」ex. The CEA test is not reliable for diagnosing cancer."、"A promising method of diagnosing prostate cancer is ……"、"undiagnosed":(形)「診断されない」(ex. u. fracture、u. malignancy)など。"misdiagnose"「誤診する」はライフサイエンス辞書を含めた多くの辞典には載っておらず、わずか Wiktionry にのみ見つけられた。misdiagnosis あるいは missed diagnosis は米国で広く使われている。(続く)

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越後の静御前  福本一朗(長岡技術科学大学)


 長岡市栃尾の栃堀の小高い丘の中腹に苔むした静御前の墓(Fig.1)があり、そこには源義経を東北に追いかけている途中に23歳で亡くなったとの伝承が残されている。墓の傍には静御前記念碑(Fig.2)が建てられ、刈谷田川から丘に昇る坂道は桜の名所となっている(Fig.3)。しかし静御前の墓と伝えられるものは、有名な埼玉県久喜市栗橋高柳寺のものや、その母である磯野禅師生誕地伝承地のひとつである香川県三木町静薬師(奈良県大和高田市という説もある)をはじめとして、福岡県福津市・山口県山口市・香川県三木市と旧長尾町・兵庫県淡路市・奈良県大和高田市・京都府京丹後市・長野県大町市・福島県郡山市・岩手県宮古市など近畿から奥州平泉まで全国各地に存在している(Fig.4)。越後の山深い栃尾に本当に静御前は足を踏み入れられたのであろうか?
 またこれとは別に越後の義経関連の伝承としては、1186年直江津から奥州に下向する途中、角田山にある義経が身を隠した「判官舟隠し」の洞穴、弁慶が腰掛けたという新潟市石瀬の庚申塔、それに義経の正妻が嫡男亀若丸を出産された産所跡の「亀割坂」と弁慶が金剛杖を突いて湧出させた「弁慶の産清水」、胞衣(えな:胎盤と胎胞)をおさめたと言われる柏崎市「胞姫神社」がある。
 義経は一の谷・屋島・壇ノ浦の戦いの目覚ましい働きで平家を滅ぼしたにもかかわらず、兄頼朝に疎まれ1185年11月3日都を落ち延びる。そのとき6人の女房と5人の白拍子を伴っており、その中には正妻の郷(さと)御前と愛妾静御前も含まれていた。同年12月15日西国に船出した義経一行は悪天候のため大物浦で難破し住吉に漂着したときには、お供は弁慶・伊豆右衛門尉有綱・堀弥太郎の3名と静御前のみであったと言われる。その後、静御前は女人禁制の吉野山で義経一行と別れて京都に戻る途中に、蔵王堂で北条時政の手で捕えられた。頼朝は静御前を磯野禅師と共に鎌倉に呼び寄せ、義経の行き先を厳しく尋ねたが彼女は頑としてそれに応じなかった。1186年4月8日彼女は鶴岡八幡宮において奉納舞を懇請され、頼朝はじめ多くの諸将のいならぶ中で「吉野山峰の白雪踏み分けて入りにし人の跡ぞ恋しき」「しづやしづ賎のおだまき繰り返し昔を今になすよしもがな」と義経を恋い慕う歌を歌って鎌倉武士の度肝を抜いた。この時静御前は懐妊6ヶ月の身で7月29日に男児を産むがその日の内に安達清常の手によって由比ケ浜に沈められた。彼女を哀れんだ北条政子と娘の大姫から沢山の宝をいただいた静御前は、母の磯野禅師とともに京に返された。しかしその後の消息は明らかではなく、「母と共に故郷に帰ってそこで亡くなった」という説と「義経を追って奥州に向かう途中で亡くなった」が並立している。
 人々が何百年にも渡って語り伝えて来た伝承には、何らかの基礎となる事実と存続理由があると考える「民俗学」の立場からは、「全ての伝承を同等に見てそこから歴史的真実を見いだす努力をすること」が必要と思われる。
 栃尾の静御前の墓は後者の説に基づいていると思われるが、それにしてもリアルな伝承を伴った静御前終焉の地が全国各地に存在することは、安易に「判官贔屓」「美人憧憬」として民衆のロマンとして片付けることは困難である。例えば他界の年と場所も、1189.9.15(埼玉県栗橋高柳寺)、1190.4.28(享年23歳、越後栃堀)、1192.3.14(享年24歳、香川県三木町静薬師)と、諸説あるもののそれぞれがきわめて具体的で真実みに富んでいる。
 とはいっても人間は二度死ぬことはできないので、静御前が他界された場所はどこか一ヵ所でなければならない。この矛盾は「静御前は一人」と考えたことから生まれると思われる。背は低かったものの美男子であった、義経は京の都でも相当のプレイボーイであったらしく、一説によれば24名の恋人がいたとされる。都落ちのときにも6人の女房と5人の白拍子を伴って西国落ちを試みている上、終焉の地である平泉には山伏と稚児の姿に身をやつした正妻と子供たちを伴って身を寄せ、1189年4月30日に衣川の戦いの折には、22歳の正妻郷御前と4歳の娘と共に自刃している。ただ奥州への逃避行の途中1186年には羽前国亀割山で妻の一人である久我の姫君が鶴亀御前♂を出産(義経記)しているが、同じ年に柏崎市胞姫神社で北の方(郷御前)が亀若丸♂を出産していることから「妻」は複数いたことが推察される。つまり「妻」が複数(おそらく6人)いるのなら、愛妾の白拍子「静御前」も複数(5人?)いても不思議ではない。
 もちろん磯野禅師の娘にして、13歳で後白河法王から「日本一の踊り手」と賞賛され(1182)、そのお声掛かりで16歳にして義経の室となり、鎌倉で男の子を産んだ「静御前」は同一人物である可能性が高い。しかし1186年9月16日に京に戻されて以後、1189年4月30日に義経が亡くなるまでの消息が全く不明であり、静御前他界伝承の年で最も早いのは1189年9月15日(埼玉県久喜市栗橋高柳寺で他界)というものであることを考えると、その三年間静御前はどこで何をしていたのであろうか?
 鎌倉から十分な生活費をもらって無罪放免となった本物の静御前は、当時奥州の王道楽土・黄金京とされていた平泉に、愛しい人を尋ねて行ったと考えることはできないであろうか? その場合、鎌倉側の厳しい監視の目をかいくぐるために、現代の「モーニング娘」「おニャン子クラブ」「AKB48」「KARA」の様に、「静」と称した白拍子団が協力して一部は故郷に留まり、残りは追っ手をくらますため分散して平泉に向かったのではないであろうか? そのように考えると、磯野禅師の故郷で生涯を終えた静御前、平泉に向かう途中の埼玉県久喜市や長岡市栃尾で客死した静御前、平泉を抜け出して北海道に渡ったとの噂を信じて岩手県宮古市鈴久名にある鈴ガ森で義経の二人目の子供を出産しようとして難産のため母子ともに亡くなったとされる静御前、豊後に落ち延びて宗像氏能に嫁いで実子臼杵太郎を産んだ後京都に義経を探しに上京した静御前のそれぞれが、「妾(わらわ)は静」と名乗っていたとしても不思議はない。
 いずれにせよ、栃尾の静御前の墓には「静」と称した23〜24歳の美しい白拍子が旅の空の下、病に倒れて眠っていることは、十分にあり得ることと思われる。しかし「諸行無情」「寂滅為楽」、静御前の墓碑は千年の時を経ても、ただ黙って東北を向き、桜吹雪の中に静かに眠っているだけである。

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夢のコーラ  郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 この春からのNHK朝の連続ドラマ『梅ちゃん先生』がなかなかの人気なようです。ちょっとドジだが心やさしい主人公の女医としての成長物語が展開中。その医学生時代、お金に困った友人のために、『コーラもどき』を作り闇市で売るという笑えるエピソードがありました。炭酸に甘味料やあれこれ混ぜて、問題はあの黒色をどうするかでした。
 さて梅ちゃんがコーラを初めて飲むシーン、ひと口目は「なにこれ?」から数口飲んでしだいに「うまい」と感じる様子が描写されます。
 よく似た思い出が蘇り、懐かしかったです。コーラを初めて飲んだのは長岡の田舎の中学時代。ちなみにコーラの他に異文化の食体験で記憶に残るのはピザです。初めて食べたのは高校時代に夏休みの講習会に上京した際、やはり友人に教えられてでした。ただしこと食に関わらぬ記憶は不良です。諸事の記憶にすぐれた兄や姉(その分だけ意地悪かも?)には、その記憶力のにぶさにいつも呆れられて成長したわたしなので、誤解なさらぬよう。

 さて中学の友達と部活(軟弱テニス部、もとい、軟式テニス部でした)の帰りに、学校前の雑貨店の冷蔵庫から取り出して、初めて飲んだとき、全然うまいと思わなかったです。がまんするようにつきあって数回飲むと、その後は部活後のコーラは習慣になりました。60年代の「スカッとさわやかコカ・コーラ」の宣伝コピーが出たころでした。
 1886年に販売開始された米国のコカ・コーラ。名称の由来は、コカの葉(俗に言うコカイン)とコーラの実(アフリカ産)を原材料に使っていたからだそうです。法律で禁止されるまで、微量のコカイン成分は実際に入っていたらしいです。現在のコカ・コーラの主成分は、企業秘密のフォーミュラにすっかり変わっているそうです。

 結婚後も夕食メニューによっては、家人とともにコーラはよく飲んでいました。家人も同世代のコーラ好き。やはり油っぽいものがメインの献立で、ラム肉のジンギスカン焼き、鳥の唐揚げ、カルビ焼き肉などですかね。もちろんわたしはコーラとともに、料理とその日の気候なども適当に勘案して、いずれも一杯だけですが、ビールや赤ワイン、冷酒、はたまた焼酎などを飲み分け、そしてフィニッシュはコーラであります。酒が飲めない家人は豚しゃぶでもコーラを飲んでおります。

 中年太り(正確にはもともと肥満なわけだから「中年上乗せ太り」なのですが)が気になるので、数年前にカロリーオフのコーラが発売されたときは夫婦で手を取り合って喜んだものです。スーパーでは必ずこの種のコーラを購入し、常備です。

 キ○ンのメッツコーラが最近(2012年4月)発売されました。食事からの脂肪吸収抑制とは、サン○リーの黒烏龍茶のコーラ版です。黒烏龍茶はウーロン茶重合ポリフェノールが小腸で脂肪の分解吸収を担うリパーゼを阻害し脂肪吸収を抑制するとされております。
 このコーラは食事の際に脂肪の吸収を抑える特定保健用食品で、『難消化性デキストリン』(食物繊維)5グラムをひと瓶に含有。これが摂取した食物からの脂肪吸収の阻害に働く主体とのこと。甘みはアスパルテームその他で熱量は15カロリー以下。

 これさえ飲めば食べても太らない夢のコーラの登場でしょうか?

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