長岡市医師会たより No.389 2012.8


もくじ

 表紙絵 「河川公園(越路町)」 丸岡 稔(丸岡医院)
 「エマルゴを使ったシミュレーションについて」 江部克也(長岡赤十字病院)
 「エマルゴによる震災対応シミュレーションに参加しました」 草間昭夫(草間医院)
 「継続は力なり〜長岡メディカルボウリング40周年」 窪田 久(窪田医院)
 「研修医症例プレゼン」 幸田陽次郎(立川綜合病院)
 「ふれあい農園の暑い夏」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「河川公園(越路町)」 丸岡 稔(丸岡医院)


エマルゴを使ったシミュレーションについて  江部克也(長岡赤十字病院)

 これをお読みの先生方は、ご自身の医院・診療所で仕事中に、「想定外」で済ましてはおけないような、地震や火災などの災害に遭遇したらどうするか、すでに検討しておられますか?
 災害時における職員の動線だけでなく、患者さんの誘導・施設の安全確認など、あらかじめ考えておくべきことはいろいろあります。まずは机上で検討するとしても、最終的には模擬訓練をしてみないと、検討不足があっても気づかないことが多いです。本当は、模擬患者さんを使って診察室や待合室での動きなども検証してみる必要があるのですが、大がかりになってしまいます。これが病院での災害訓練ともなると、模擬患者さんもたくさん必要となり、くりかえし検証することはなかなか困難です。
 そこで、今までの机上訓練と、模擬患者さんを使うような大規模な訓練の中間とでも位置づけられる、エマルゴを使った新たなシミュレーションをご紹介します。
 日本では簡単にエマルゴと呼ばれることが多いですが、正式には Emargo Train System(ETS)と言います。1980年代にスウェーデンのリンショピン大学で、災害医学についてのシミュレーション手法として開発されました。人間や医療資源に見立てたシンボルを使って、わかりやすく動かすように考えてありますが、最初は、そのへんの学校にもあるような、単純なマグネットをホワイトボード上に並べていたのだそうです。その後徐々に洗練?され、役割がわかりやすいような人形を使うようになりました。
 災害などの現場や医療機関などの場面をホワイトボード上に作り、その上で人や物に見立てた人形を、実際に即して参加者が動かすことで、シミュレーションを進めていきます。一つのボード上だけでの動きだけでなく、たとえば、現場のボード、病院のボードなどを複数設定し、実際と同じように情報や患者のやり取りを各ボードの間でも行ったりもできます。シミュレーションに対して煩雑となる因子は思い切って省いてあり、検証したい場面・時間・資源については、逆にきちんと決めてあります。そうすることにより、問題点や研修したい事柄が明確になります。
 事象を単純化することで、災害におけるごく一部分の場面や時間を、自由に切り出して訓練をすることもできます。病院であれば、「外来を利用した中等症の診療部門を立ち上げ、傷病者30人を処理する」など、各部門ごとの訓練を切り出し、繰り返し訓練を行い検証していくこともできます。また、ボードの上で行うことで、机上より全体が俯瞰しやすく、周囲から見ていて検証がしやすいという利点もあります。
 訓練の目的・対象・目標達成の指標などを明確に設定すると、できあがったシミュレーションは、かなり単純化されたものになります。それを見て「ただの人形遊びだ」と揶揄する人もいますが、楽しく訓練できることも、ひとつの利点なので、あながち間違いではありません。ただの人形遊びを、現実に模した訓練に昇華させるところが、エマルゴの「キモ」と言えます。
 エマルゴにはセット・概念ともに知的所有権がきびしく設定されており、エマルゴを用いた研修を行うためには、正規のエマルゴのキットを使わなければならない、という制限の他に、シニア・インストラクターとベーシック・インストラクターという資格が設定されています。シニア・インストラクターは、計画を立ちあげて訓練を作り上げるトレーニングを受けたもので、日本に200人ほどいます。講習の質を担保するために、公的・多施設で開催するエマルゴ講習に対しては、シニア・インストラクターが行うことが求められおり、ここで初めて「エマルゴによる」講習を行うことができます。ベーシック・インストラクターは、エマルゴを十分理解し、シニア・インストラクターとともにエマルゴを動かしていく訓練を終えているものを言います。施設内などのクローズの環境でのエマルゴ研修は、ベーシック・インストラクターだけでの開催は許可されています。
 こう述べると、腰が引けてしまう方々も多いのですが、ただ動かすだけでは、さきほど述べた「ただの人形遊び」に堕してしまうというわけです。関東地区のある医師会では、担当者が「何か役立ちそうだ」とエマルゴのキットを購入したものの、使い手がおらず1年以上放置したままになっていた、ということもお聞きしたことがあります。
 私は、昨年春にシニア・インストラクターの資格をとり、その後北海道・東京・埼玉・鳥取などの講習会にインストラクターとして参加してきました。鳥取県はエマルゴの先進地で、鳥取大学医学部の災害医学の実習にも用いられていますし、鳥取県災害従事者研修でも、かなりの規模でエマルゴを使った演習がおこなわれました。昭和大学では災害研修の公募コースとして、エマルゴを使った訓練が定期的に開催されており、こちらにもインストラクターとして参加しています。
 当院でも、シニア・インストラクターがもう一名増え、経験も徐々につんできたので、いよいよエマルゴを使ったシミュレーション研修を開催していこうという動きになってきました。まずは、わかりやすい、という利点を生かした基礎的な研修を開催するという計画で、「災害に対して、それほど詳しくなくても、このように人・物・情報が流れている」ということを体験でき、災害現場・病院・医師・医師会・保健所などがどうやって連携していくかを学んでいけるようなものを考えました。
 ファシリテーターには、院内だけでなく上越・下越地区から、興味をもっている関係者に集まってもらいました。さらに事前の練習というか、シミュレーションをシミュレートするために、院内の看護師さんたちには受講者役として参加してもらい練習を重ねました。うまくいけば受講者とスタッフのおかげ、うまくいかなかったら立案者のせい、を合言葉に進めました。
 7月8日に無事、新潟県医療コーディネーター・災害従事者研修会として開催することができました。参加した皆様のご意見はいかがでしたでしょうか?
 今後は、医師会や三病院、コーディネーターとしての保健所などの連携を学ぶ、エマルゴを用いた研修を計画しております。エマルゴについての説明が理屈っぽくなってしまいましたが、実際にはけっこう楽しいものです。いままで災害訓練は億劫だ、と思われていた方々も是非参加していただきたいと思います。また、こうしたらもっとわかりやすくなる。こんな訓練にエマルゴを使えるだろうか、などのご意見ご要望がございましたら、お教えいただけたら嬉しいです。
 最後になりましたが、エマルゴ研修の導入にあたり、長岡市医師会をはじめ、新潟県・新潟県医師会から格段のご配慮をいただきましたことを、紙面をお借りして御礼申し上げます。

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エマルゴによる震災対応シミュレーションに参加しました  草間昭夫(草間医院)

 7月8日、日曜日の朝8時45分から長岡赤十字看護専門学校の講堂で行われました災害対応シミュレーションに参加しました。
 エマルゴ・トレインシステム:Emergo Train System(E.T.S)は、スウェーデン・リンショーピング大学病院に隣接されたCentrefor Teaching and Reserach in Disaster Medicine & Traumatology(災害医療・外傷学教育研究センター)にて20年以上前から所在地であるエステルイェータランド県とともに研究開発されてきた救急・災害医療の机上シミュレーション研修法です。
 災害、大事故のシミュレーション用教材キットを用い、災害現場などを想定したホワイトボードに貼ったシンボルを操作することで、消防、医療スタッフ、傷病者、情報の流れなどのシミュレーションを行うというものです。詳しくは http://www.jcso.jp/etsj/index.html をご覧ください。
 医師会からは太田会長、大塚副会長、草間、そして事務局の広田が参加しました。事務局、星も飛び入りで報道記者として参加してくれました。午前の部だけで県内の病院から約30人、病院外の行政、医師会などから約人が参加しました。午後も同様の規模で行われました。
 最初に長岡赤十字病院:内藤先生の講義があり、過去の災害医療の経験から「災害医療コーディネーター」の重要性と、その任を行政のトップとして保健所長がにない、各所に連絡網を構築する新潟モデルができたという話がありました。また、大規模事故、災害の体系的な対応に必要な項目として「CSCATTT」が重要という話でした。
  C:Command & Control(指揮命令系の確立と連絡調整統制)
  S:Safety(自分と現場と生存者の安全)
  C:Communication(情報伝達)
  A:Assessment(経時的な再評価)
  T:Triage
  T:Treatment
  T:Transport
 以上のことを念頭に置いて行動するということなのですが、中でも情報伝達は伝えるべき情報を整理しておくことが重要で、災害対応の宣言、正確な位置、災害の種類、危険な状況(危険物)、進入経路、現有部隊と応援要請、患者数(重傷者数)を順序だって伝える必要があるということでした。トレーニングの中で、実際に情報伝達する段になると、いくつかの伝えるべき項目が抜け落ちていたりしました。
 今回は医療関係者が災害医療の基礎、トリアージの概念、各組織間での連携の重要性を知るというものでした。比較的小さな規模(市、郡)での災害を想定し、参加者は以下の部署に割り当てられプレーヤーとして役割を果たすことになります。
 災害現場、病院前ER、病院(OP、ICU、災害対策本部)、医師会、避難所、救護所、保健所の各部署です。
 想定した発災と同時に経時的に進んで行き、通信網が十分でない中(電話連絡ができる想定でしたがPHSが通じずに実際の災害時を思わせることとなりました)次々と搬送される患者に対してトリアージをします。一人一人に時間をかけて診察する余裕は無くトリアージの重要性を認識しました。赤いタグをつけて救急搬送していただいた方が病院入り口で待たされてお亡くなりになったと聞いたときには本当に残念な気持ちになりました。
 初めての参加でしたが、たくさんのファシリテーターが適切な助言をしてくれて、トラブルなく進めることができました。仮想訓練とはいえ中越地震や中越沖地震のことが思い出され、当時のことを回想しながら、反省しながらのトレーニングでした。当時はどうだったのか確認することもできました。
 さて、災害時における医師会としての役割ですが、長岡市医師会災害時の暫定マニュアルによると、避難所に救護所を開設することになっておりますが、最初に会員の安全を確認、各種情報収集、会員への情報のフィードバックが重要であることは言うまでもありません。次に避難所、救護所への医師の派遣が重要になります。
 実際にシミュレーションすると、これもあれもとやるべきことが出てきて、前もって想定したマニュアルの必要性を感じました。
 *医師会員の安否確認:連絡網(電話、無線、直接確認)の確立、医療協力への意思確認。
 *救護チームの編成(前もって編成、看護協会、薬剤師会との連携が必要です)。
 *行政との連絡窓口(医療コーディネーター=保健所長)との通信訓練。
 *医師会館の停電時の対策として蓄電池等。
 *通信確保のための無線の活用等、インターネット回線の確保、衛星電話のシミュレーション。
 *医療コーディネーターを支えるには、どのような情報をもらい活用するのか。
 *県医師会、郡市医師会との連絡、
 等々準備することはたくさんあります。ほかで起こった災害に対するJMATの編成と援助についてもあらかじめ準備をしておく必要があると思います。
 災害医療においては、第一線で患者に携わるものとして、専門領域に関係なく災害に備える知識が標準化されていなくてはなりません。その意味で医師会としては、積極的に会員にこのプログラムに参加していただくことも必要と考えます。

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長岡メディカルボウリング40周年記念
− 斉藤志乃ぶプロによるボウリングレッスン会 −

 継続は力なり 窪田 久(窪田医院)

 平成24年6月16日に長岡メディカルボウリングクラブの40周年記念イベントとして、斉藤志乃ぶプロによるボウリングレッスン会が行われました。
 長岡メディカルボウリングクラブは1972年発足。今年で40年となりますが、当時は、今の立川綜合病院の場所にあったミナミボウルで行われていました。その第1回から参加されている野村権衛、茨木政毅両先生は永年幹事をおつとめ頂き、現在でも月例会に参加し、時々優勝されています。
 今回ボウリングレッスン会にお招きした斉藤志乃ぶプロを皆さんはご存知でしょうか。斉藤プロは、まさに、日本女子プロボウリング界のレジェンドといってもよい存在です。第一次ボウリングブームの真只中、1971年(3期)にプロ入り後、数々のトーナメントに優勝され、タイトル獲得数74回は、世界一で、ギネスブックにのっています。そのうち2勝は本場アメリカでのもので、価値ある1勝はアメリカのメジャータイトルです。差し詰めゴルフ界でいえば、樋口久子といったところかと思います。ちなみに皆さんご存知の須田開代子プロは43勝(2位)、並木恵美子プロは36勝(3位)、中山律子プロは33勝(4位)で、斉藤プロのすごさがおわかりいただけるかと思います。しかし、斉藤プロのもっとすごいところは、現在でも第一線のプロとしてトーナメントで活躍しているところです。関節リウマチのため、投げられない時期もあったそうですが、その後復活され、今でも若いプロたちの中にまざって立派な成績を収められています。今年のポイントランキングは7月末現在なんと9位につけているのですから、まさに驚きです。
 斉藤プロによるレッスン会はドリームボウル長岡で土曜日の午後3時より、新潟からおいでいただいた先生方を加え、14名で行われました。まずは、斉藤プロに実際に投球していただきながら、投球の重要なポイントを教えていただき、その後に、個人レッスンにはいりました。各々に、身振り手振りを加えながらの熱血指導が行われ、1時間半という時間はまたたく間に過ぎてしまいました。その後にレッスンの成果を発揮していただくために、2ゲームのプロチャレンジマッチを行いました。
 各々実力に応じたハンディキャップを設定していたので、4、5人は勝てるのではないかと思っていましたが、斉藤プロはその実力を遺憾なく発揮され、1ゲーム目は234点、2ゲーム目は213点とすばらしいスコアを叩きだしました。そのため、勝利者賞を手にしたのは新潟の実力者の滝沢慎一郎先生ただ一人でした。ハンディキャップなしで、218点、246点はお見事の一言につきます。滝沢先生は新潟医師会のボウリングクラブで永年幹事をされているとともに、全国大会でも立派な成績を残していますが、還暦をすぎてなお、アベを伸ばしている偉大な先輩です。
 レッスン会終了後には長岡グランドホテルに場所を移し、懇親会が行われました。その際に斉藤プロにも一言お話をいただきました。斉藤プロはボウリングを始める前には、日体大でやり投げの選手として活躍されていたのですが、当時爆発的ブームのボウリングと出会い、まさに自分にぴったりのスポーツだと直感し、練習に没頭されたとのことでした。プロとしての実力をつけるのには、さほど時間はかからなかったようです。
 また、ボウリングの投球フォームに関しては、力をいれずに、ボールの重さを利用して投げることが重要だと強調されていました。
 斉藤プロの座右の銘は「継続は力なり」という言葉で、色紙やタオルにもその言葉が書かれていますが、まさに永年日本の女子ボウリング界をリードしてきた斉藤プロにぴったりの言葉だと思います。
 ボウリングというスポーツはアベ180くらいまでは比較的早く上達するのですが、200アベを超えてから、その力を伸ばすことや、その力を維持するためには、ふだんのたゆまぬ練習を続けていくことが必要だと思っています。私は本格的にボウリングの練習をはじめてから、約2年9か月程度で、200アベになったのですが、その後5年くらいから長いスランプに陥ってしましました。フォーム改造に着手したものの、かえってリズム感のないおかしなフォームになってしまい、ボールの威力も半減してしまい、ストライク率も低下してしまいました。ようやく最近復調してきたかなと思いますが、まだまだ絶好調には程遠い状態です。しかし、継続は力なりという言葉を胸に、今後も練習を続けていきたいと思っています。
 なお、斉藤志乃ぶプロ、ならびに、お忙しい中レッスン会にご参加いただいた皆様には、心から感謝しております。ありがとうございました。

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研修医症例プレゼン  幸田陽次郎(立川綜合病院)

 症例は生来健康な25歳男性、初期研修医2年目。主訴は肩こり及び目のかすみ。既往歴には気管支喘息、口唇ヘルペスがあり、季節の変わり目や疲労がピークに達したときには現在も悩まされている。家族歴は父の薄毛で、これも大きな悩みとなっている。生活歴は喫煙なし、アルコールは本人は機会飲酒であるとの認識。ただ、機会飲酒の回数がやたらと多い。生活リズムはかなり不規則であり、食生活もカップラーメン主体で改善するように周囲から散々言われているが、本人曰く、「仕方ないんだ……食堂すぐ閉まっちゃうし……」と聞く耳を持たない。
 続いて現病歴。本症例は、新潟県燕市吉田生まれ(旧吉田町)、吉田南小学校→吉田中学校→三条高校→島根大学を経て現在、立川綜合病院で初期研修医として勤務。
 勤務後経過。1年目4月〜7月、期待と不安の中で何をしたらいいのか分からず空回りばかり。同期に相談したくても、まだ打ち解けておらず、一人悶々と苦しむ日々が続く。しかし、研修医や指導医とともに長岡丘陵公園のリレーマラソンに参加したりして同期の仲も縮まり、なんとかこの時期を乗り越える。
 8月〜11月、久しぶりの長岡花火が見られると期待していたが、そのときは脳外科研修真っ最中……。まぁ仕方ないかと思っていたら、指導医であるA先生が「おまえ行ってこいよー」と言って下さる。でも、すでに終了5分前。案の定、ママチャリに乗ったまま河原に着く前にフェニックスがドーンと打ちあがる。
 12月〜3月、なぜか酔っぱらった先輩に、お気に入りのママチャリのかごを殴られて凹み、「社会は理不尽だなぁ」と感じる。しかも翌日に「手が痛いんだけど」と怒られた。ただ、それでもその先輩が研修を修了されたときは寂しい思いがしてグッときた。
 2年目4月〜現在、初めて後輩ができ、シャキッとしなければと思いつつも、2年目から本格的に始まった当直で良いところを見せることができず、一年間でちゃんと成長できたのだろうかと自己嫌悪に陥る毎日。また、研修中に終わらせなかった退院時サマリーのツケと学会発表準備に追われ、パソコンの前に座る時間が長くなり、この頃から主訴である肩こりと目のかすみが顕在化し始める。生来裸眼だったが、すでに眼鏡の着用を余儀なくされている。そんな厳しい日々のなか、つい先日、指定日当直もそろそろ終わろうかというときに、一緒に当直だったN先生が、冗談で「長岡の平和を守ったじゃん」と一言。私は根が単純なために、「勘弁してくださいよー」と言いつつも、内心「悪くないな」と少し喜ぶ。
 今後の計画。夏の24時間マラソンに向けて、体と心を引き締める。救急外来でもうちょっと格好よく見えるように努力する。カップラーメンの量を極力減らす。(無くすことは事実上不可能と考えられる)。未熟でも長岡地区の医療の一端を担っているという自覚を持ちながら、日々精進する。

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ふれあい農園の暑い夏  郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 「おはようございます。」「おう、なでしこが負けて銀メダル、残念でしたね。」会話の相手は、顔見知りになったばかりの、市民農園に毎朝通う中年男性(名前など個人情報は知らない)。未明のオリンピック生中継、女子サッカー決勝で日本が米国に敗れた直後の早朝の会話です。
 去年の春から、近所のススキ野原(中越地震前は住宅予定地だった)が農園に整地されました。案内板によると「Y通りふれあい農園」。
 解消は無理でもせめて「メタボ度」減少のためのウオーキング(団地の外周40分)の最後に、この農園に寄るのが毎朝の愉しみになりました。野菜の成長を見るのは、たとえば百花園の散策や昆虫観察などに共通のこころの癒しになる気がします。
 この夏はとにかく暑く、雨が降らない。この市民農園の水源は3カ所に設置された井戸。レトロな手押しポンプで水を汲み上げ、バケツや如雨露で畑へ運んで水やり。毎朝中高年男性諸氏(女性はまず見ない)が車で水やりにきて、野菜の収穫や手入れをして帰って行きます。菜園は男性のこころの癒しの場なのかも。
 ところで観察の結果、栽培作物の人気順はナス、トマト、キュウリ、ゴーヤ、ピーマンが上位5種。だいたい園芸初心者のおきまりです。次いでオクラ、唐辛子、ネギ、カボチャ、ジャガイモ。番外の中級者編はサツマイモ、里芋、スイカ、甘瓜、ニンジン、ゴボウなど。
 ある畑で妙な作物が十数本植わっているのに遭遇しました。見ただけで名前のわかる、すなおな野菜ばかりが育つ中で異色の存在です。まるで南方の熱帯樹林のミニのような樹形。その丈50センチの幹上方の3本の太枝から枝葉が斜め上に茂ります。裏返った傘の柄の部分が中太の幹で、その表面が黄褐色と黒の斑で竹の皮のような模様です。—なんだ、こりゃ?
 水やりで居合わせたすぐその隣の畑の主に訊ねたが「いや、ぼくもわかんないです。お隣はホンモノの農家の方らしいですが。」
 ……うーん、どうも気になってしょうがないな。なにかこの植物の正体がわからないとすっきりしない。
 翌朝はウオーキングをすませ、いったん帰宅。家人は虫除けネット帽をかぶり、庭先でブルーベリーの収穫中でした。「謎の植物があり、その名前の見当がつかないか、見に来てくれないか」と同行を依頼。この農園は徒歩数分で到着のご近所です。さっそく謎の植物の育つ畑に案内しました。家人は即座に、「なーんだ、これってこんにゃくの木だわ。」
 よく一発でわかったね、臨床医学でも「ひと目の診断」はあるがすごいと賞めます。「ふたりで行った群馬の温泉近くで、下仁田葱とこのこんにゃく芋の広い畑を見たわ。」ふーんと曖昧に頷くと「だいたいあなたがうちの畑でも以前に栽培したことがあったわよ。冬で腐っちゃったけど。2、3株だけね……」と笑う家人。驚くべき事実が判明です。
 こんにゃく芋は、たしか秋に掘り上げて春に植え直すという手間をかけ、3、4年がかりで収穫。低温に弱く、保存でその芋は腐りやすい。……つぎつぎと知識の記憶が……。
 十数年前のある小さな失敗から、その記憶は封印されたが、今回記憶の淵からの既視感があり、妙に正体が気になったもののようです。わたしにとっては記憶を巡るミニ・ミステリー。はたまた単なるこの夏の猛烈な暑さぼけなのかもしれません。

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