長岡市医師会たより No.406 2014.1


もくじ

 表紙絵 「1月3日の富士(忍野村にて)」 丸岡 稔(丸岡医院)
 「新年を迎えて」 会長 太田 裕(太田こどもクリニック)
 「新春を詠む
 「自由・平等・友愛と“ベルサイユのばら”〜その4」 福本一朗(長岡技術科学大学)
 「巻末エッセイ〜お寒い夫婦の会話も」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「1月3日の富士(忍野村にて)」 丸岡 稔(丸岡医院)


新年を迎えて  会長 太田 裕(太田こどもクリニック)

 明けましておめでとうございます。会員の皆様には健やかに新春を迎えられたこととお慶び申し上げます。
 一昨年の12月、第二次安倍政権が誕生しました。これまで長期低迷してきた日本経済の再生を願い「三本の矢」が放たれました。皆様が感じている通り、株価上昇、円安で日本経済が上向き、全体の雰囲気が非常に明るくなってきました。今後もこの勢いのある日本を維持、発展させて行くためには乗り越えなければならない問題があります。その一つは膨大な予算を必要とする年金、医療、介護の社会福祉制度の維持をいかにしていくか、そしてその財源をどう賄うかという点です。2025年、団塊の世代が後期高齢者となり、日本の高齢化のピークを迎えます。もう11年しかありませんがこの時期をいかに乗り越え日本が軟着陸できるかが重要となります。
 これに対し昨年、社会制度改革国民会議がこれからの社会保障のあり方に対する方向性を示しました。今後具体的な方策が論議され実行されていくものと思います。この中で新しい医療制度をどのように作っていくかという討論がなされ、報告書がまとめられております。日本医師会、4病院団体協議会でも医療提供体制の今後のあり方について、合同提言を出しました。それは急性期病床を減らし在宅医療へとシフトしていくことを認めた内容でした。先ほど述べた2025年に迫る超高齢化時期の社会福祉制度をどう維持し、またその財源をどう確保していくかに対する医療側の答えです。この難題を乗り越えるため医療側も大きく歩み寄った形になりました。今後はますます在宅医療が高齢者医療の中心に据えられていくものと思われます。
 次に、今年4月に診療報酬の改定が行われます。診療報酬全体で0.1%増となるようです。この数字をどうみるかはいろいろと意見が分かれるところかと思います。特に控除対象外消費税の問題が解決していない点は病院関係者には頭の痛い問題と思われます。しかし、この厳しい国家財政の中、曲がりなりにもプラス改定に漕ぎ着けた事は評価しなければならないと思います。
 その他にも、医師不足と医療崩壊、TPP、混合診療の全面解禁、民間医療保険の拡大、医療ツーリズムなどの医療の産業化など多くの難題が山積しておりますが、国民皆保険を維持し、国民の皆様により安全で安心な医療を提供することを医師会は目指していかなければならないと思います。
 さて、長岡市医師会の昨年の状況についてですが、4月に長谷川泰先生の銅像除幕式が、森市長を初め各界の名士の多数の参加を得、盛大に執り行われました。また6月1日には造形大学の中に建てられた丸山正三先生の「MaRoùの杜」絵画館のオープン式典が行われ、長岡にまた一つ文化の輝きを放つことになりました。これまでのご援助、ご寄付誠にありがとうございました。
 新しい事業としては、胃がんのリスク検診(ABC検診)を行うべく議会、行政と協議し、4月より、40歳から70歳の5年ごとの節目検診で実施することとなりました。この検診はピロリ菌の除菌へと繋げ、胃がんの予防撲滅を視野に入れた全く新しい検診システムです。住民への啓蒙よろしくお願いします。もう一つは冒頭でも触れましたが、在宅医療への取り組みです。在宅医療は国が推し進めている地域包括ケアシステムの根幹に関わる事業です。幸いにも長岡市もこのシステムの構築に本腰を入れておりますので、数年をかけてこの地域で機能できる在宅医療のネットワークを作っていきたいと考えております。皆様のご協力よろしくお願いいたします。また今年は、4月に医師会の一般法人への移行、5月には休日・夜間急患診療所並びにこども急患センターの「さいわいプラザ」への移転が控えています。
 次に、長岡市と長岡医療圏を取り巻く状況についてですが、平成28年秋、立川綜合病院が上条地区へ移転予定です。また平成27年6月には、魚沼基幹病院がオープン予定、平成28年10月、小千谷総合病院と魚沼病院の合併移転そして県央地区でも燕労災と厚生連三条病院が合併し500床の病院を作るプロジェクトが動き出しています。近隣では病院間の合従連合が進んでおりますが、状況を充分に把握し、うまく調和がとれるよう準備対応していかなければと考えております。
 最後に、伝統ある長岡市医師会をこれまで以上に発展させ、社会により一層貢献する医師会としていく所存でございますので、会員の皆様のご支援、ご協力よろしくお願いいたします。
 皆様にとりまして千里駆ける午年になりますことを祈念し、新年の挨拶とさせていただきます。

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新春を詠む

去年今年 再生医療 進みをり  荒井紫江(奥弘)

八十路坂 越えて五年(いつとせ) 初日の出  鳥羽嘉雄

初明り 鋸山の 左肩に  十見定雄

初雪を かぶり山茶花 なお紅く  江部達夫

祓ひたる 厄の行きがた 初霞  郡司哲己

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自由・平等・友愛と“ベルサイユのばら”〜その4   福本一朗(長岡技術科学大学)

 革命によりフランスの王政と旧体制が崩壊する過程で、封建的諸特権が撤廃され、基本的人権と近代的所有権が確立された。フランス革命が掲げた自由・平等・友愛の近代市民主義の諸原理は、その後世界中の市民社会や民主主義の土台となった。その反面、理性を絶対視して、理性に基づけばあらゆる社会の改造や暴力も正当化しうるとした点で、その後の共産主義・社会主義・全体主義の母体ともなった。また教会への略奪や破壊などのキリスト教の弾圧・迫害と「理性の神」の信仰や「最高存在の祭典」などから、宗教戦争としての側面もあったといえる。フランス革命の遺産としての「ナポレオン法典」が御雇い法学者ボアソナードが起草した明治民法にも大きな影響を与えたように、時間・距離・重さの世界標準となったメートル法の制定など、フランス革命が生み出した制度や思想で世界史上に大きな影響を残したものは数多い。
 今日では日本を含む世界中の多くの国家がフランス革命時に掲げられた理念を取り入れている。特に「人は法に背かなければどこに住んでも,何を職業としても、何を考えても許される」という「自由」の概念、「人として生まれた者は、全ての者が等しい権利と義務をもっている」という「平等」の思想、そして「皆が他者を自分の本当の兄弟のように愛する社会秩序」が、近代文明の目標となっている。またジャック・アタリ(Jacques Attali 1943〜)が、その著書「Fraternités Une Nouvelle Utopie」の中で述べた「友愛」の考えは、日本国憲法に底流する根本原理となっている。ただこのうち「自由 Liberté」と「平等 Égalité」はフランス革命当初から掲げられていた標語であるが、最後の「友愛 Fraternité」は1789年革命当初にはなく、替わりに「所有 Propriété」が入っていた。1848年フランス共和国憲法において初めて「自由・平等・友愛」の三位一体のスローガンが登場している。我が国においても、明治初期に中江兆民や幸徳秋水がフランス思想を翻訳した時に、「自由・平等・博愛」と訳しており、「友愛」の言葉はなかった。「友を愛する」という「友愛(Fraternité)」と、「敵をも愛する」と言う「博愛 Philanthropie」とは明らかに異なる概念であるが、なぜ我が国では「自由・平等・博愛」として紹介されたのか、その理由は明らかではない。ただ教育勅語にも「博愛衆ニ及ホシ」の文字が見える他、教育勅語に賛同していなかった福沢諭吉も「博愛」の語を用いていた事から、明治時代においては「友愛」という言葉は「博愛」に包含されていたのかもしれない。「友愛」の言葉を始めて使ったのはユニテリアンの鈴木文治が1912年に設立した我が国最初の労働組合である「友愛会」であり、全国的に広めたのは友愛団体フリーメイソン会員であった鳩山一郎元首相の翻訳書「自由と人生(1952)」であると考えられている。
 しかし思うに、仏教において「友愛とは自他の隔たりのない心(広説佛教語大辞典(2001)」とし、旧約聖書レビ記19章18節に「おまえが自分自身を愛するのと同じ様におまえの隣人を愛せよ」とされ、イスラム教聖典クルアーン49章9節に「信仰する者たちは兄弟姉妹なのである」とあることから考えると、「友愛」と「博愛」の違いは、その対象の範囲をいかに考えるかだけの違いではないかと思われる。つまり「友」を「味方」だけに限らずに、新約聖書にいう「汝の敵を愛せよ」「良きサマリア人」を実践して、「見知らぬ他人」や「敵」までも「友=同輩」と考えると、「友愛」と「博愛」は同じ事を指していると言えよう。これは奇しくも、汎ヨーロッパ運動主催者で「欧州連合EUの父」と呼ばれるオーストリアの政治家リヒャルト・クーデンホーフ・カレルギー伯爵 1894〜1972)が「友愛(Brüderlichkeit)という心の革命による全人類の融和」を説いていることに対応している。
 考えてみれば、人は皆「愛している人」を「友」と呼ぶのであって、「友を愛する」ということは当然の事であり、今更標語としていうことは単なる“確認”でしかない。これに対して「見知らぬ隣人」や「汝の敵」を愛することはとても難しい。しかしまさにその「友愛」こそが、「基本的人権」「国際協調」「戦争放棄」を三大原理とする日本国憲法が目指す、国や民族を越えた平和な世界を、地上にもたらす唯一の方法であると思われる。
 2011年3月11日の東日本大震災復興では、海外から様々の災害緊急支援グループが駆けつけ、大学生は休暇の全てを捧げて救援ボランティアに汗を流し、会社員は休暇を取って被災地復興に何度も赴き、主婦は隣接県のボランティアセンターで支援物資整理と発送に通い、医師は避難所巡回医療と被災地緊急医療に自分の車で走り回り、公務員は給与の7.8%と退職金400万円を東北復興に捧げた。これはまさに世界の友人達と日本国民による「友愛」の発露の一つであろう。原発問題などの内政問題、尖閣諸島・竹島・北方領土・TPPなどの外交問題に加えて、隣国の核実験・ミサイル発射・拉致問題など、ややもすれば拙速で過激な実力行使に走りかねない危機的状況が続いている我が国であるが、このような時にこそ「戦争は物事を解決しない」「平和こそすべての文化と経済発展の基礎」との決意を新たにするとともに、フランス革命時だけで4万人を越える犠牲者の尊い命によって購われた「自由・平等・友愛」の人間の権利と義務について、しばらくの間立ち止まって熟考すべきと思うのは筆者だけであろうか。(完)

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お寒い夫婦の会話も  郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 冬の寒さが本格化しています。あの地球温暖化の件はどうなったんだと愚痴も言いたくなります。

「きょうの夕食は、このあいだ宅急便で届いたすっぽん鍋にしましょうか?」と昼の外食中に家人の質問。
「賛成?。おいしいといいね。」
「かちかちの冷凍状態で届いたからだいじょうぶだと思うわ。」

 昨今問題化の夫婦間の会話の稀少さでは人後に落ちません。先日会話の乏しい朝食時のNHKの朝イチの特集で取り上げていた……。さて寡黙な(?)わたしでも、みずからの食の話題なら、瞬目反射のごとく俊敏に返答できます。ときに回答が困難で、優柔不断に「う〜む」と即答できぬ場合もあるでしょうが。
 今日も来た「ファミレス」等は休日の昼によく利用します。宮内S店は入るや「Gさま、おはようございます。空いたらお席にご案内します。」ときれいなチーフの女性(飛行機ならパーサーのような)が顔を覚えていて、声をかけてくれます。すっかり常連扱いで、微苦笑であります。家人は同じ店での外食を好みません。主婦なのに家で料理もせず外食ばかりと見られたくないのかも。朝夕ときに夜食もしっかり料理して、わたしがいただいて太っているわけだから他人の目なぞ気にしなさんなと言うのですがね。この太りが外食ばかりしているせいなんぞと思われる?
 さてこのB級グルメだが、お気に入りレストラン。この際再評価です。献立内容はおいといて−なんですね。まず自宅からお店が最短距離の車で五分、駐車場が広い、店内がきれいで静か。さらには店内照明が明るい。これが大きなポイントです。
 なぜですって?−わたしには読書しやすいのがうれしい。あれ、食事に来たのに?夫婦で会話が盛り上がるでしょうに? ごもっともな疑問です。読書していると、注文を待つ間の夫婦の会話なし(これは気詰まり)もOK。結婚以来30年余り、生返事で新聞や本を読むわたしに、家人が適応したのでしょうな。席に着くなり会話は少なく、おおむね読書、料理が来ると数品を分け合い、残さずたいらげてはさっと帰ってゆく。傍目にはおかしな夫婦に見えるだろうと自分でも思います。パートナーの究極は空気のようでいいんです。今は便利な時代で、美味しいものをネットで探し、取り寄せできます。これは当初心配していたよりも安心でハズレが少ない。最初から大きな期待を(悲しみの人生経験から?)しないからかもしれませんが。
 失敗は数年前のカニの通販でした。あまりにまずい冷凍溶け商品に業者へ初めて苦情メール。もちろん梨の礫でした。ところが昨秋に驚くべき報道がありました。大手業者のクール宅急便がいいかげんな扱いで、輸送中に冷凍冷蔵食品の品質低下を招いている事実でした。かの「激マズガニ通販事件」の真相は、これだったのかもしれないのです。
 さて、すっぽん鍋もふぐ料理以上に外食の料亭では敷居が高いです。過去数回ネットで取り寄せてみました。これはおいしいねと夫婦の意見一致のお店がありました。浜名湖界隈の養殖店で、商品のこしらえがきれいでした。スープと骨付き肉にあのコラーゲン豊富なエンペラもあり、簡単においしい鍋ができました。今回は迷わずそこから購入しました。冷え込む今夜は熱燗と安上がりな家庭の鍋ですね。家人は下戸ですが。昨今は草食系男子より、男気(客気)のある女性が多いという拙句です。

男より女の客気すつぽん鍋  蒼穹

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