長岡市医師会たより No.407 2014.2


もくじ

 表紙絵 「栃尾・山葵谷」 丸岡 稔(丸岡医院)
 「英語はおもしろい〜その35」 須藤寛人(長岡西病院)
 「新年ボウリング大会優勝記」 三上理(三上医院)
 「新年麻雀大会優勝記」 小林徹(小林医院)
 「新年囲碁大会優勝記」 斎藤古志(さいとう医院)
 「長岡市医師会史の補遺」 星榮一
 「巻末エッセイ〜天に昇るソチ五輪」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「栃尾・山葵谷」 丸岡 稔(丸岡医院)


英語はおもしろい〜その35  須藤寛人(長岡西病院)

Board 委員会、理事会
 病院の秘書嬢が出先より私に「先生、〔病院長〕は英語で何というのですか?〔理事〕、〔常務理事〕は?」というFAXをよこした。至急ということで私は電話で、〔病院長〕は "Director of the Hospital" で、〔理事〕は "Member of the Board" で良いと伝えた。ところが彼女にとって "board" の意味するところがいま一つ不可解のようであった。今日は幅広い意味を持つ "board" について書いてみたい。
 私たちは、中学生になったばかりで、「黒板」を black board と習い、board は「板」と覚え込んだ。"floor board"「床板」、"cutting board"「まな板」、"notice board"「掲示板」、また、厚くて固くて四角い、厚紙・板紙・ボール紙も board と呼ばれる。高校生くらいになって "Boarding School" は「寄宿舎付き学校」と訳す事を教わり、"board" は元々「テーブル」であるが、「食事の用意がしてある食卓」から「食事付き」と言う意味になったことを後で知った。
 私は26歳で、新婚旅行の時、初めて飛行機に乗ったが、その時「搭乗時刻」は "boarding time" であることを知り、引き続いて客船 President Wilson 号で横浜港大桟橋からハワイまで7日間の船旅をしたが、「乗船券」は "boarding ticket" であった。辞書的には船、飛行機だけでなく、列車、バスなどに「乗り込む」ことも boardと 言ってよいようだ。
 Merriam-Webster 大辞典には、board の項目(1)は(古語)で boder、side、edge〔ヘリ、縁〕で、(2)は "the side of a ship" で、Weblio 辞典では「舷側」と書かれてある。
 board は、また、「テーブル」から「会議の卓」となり「会議」という意味に転じ、それは「委員会」、「重役会」、「評議員会」を意味するようになっていった。editorial board「編集委員会」、advisory board「諮問委員会」、university examining board(大学試験委員会)、board of directors「理事会」などがあげられる。
 ニューヨーク医科大学で毎週行われていた関連科スタッフの集まった「婦人科腫瘍検討会」は "Tumor Board" と呼ばれていたが、日本では考えも及ばないような、侃々諤々の意見の出る極めて活発な検討会であった。アメリカの多くの病院では "Tumor Board Review"「腫瘍症例検討会」と呼称されているようであるが(PDQがん用語辞典英語版)、日本の某がんセンター病院では「キャンサーボード」と名付けられている。また、Board には「専門医認定委員会」というような意味もあり、American College of Obstetricians and Gynecologists(ACOG)はその上の別機構である American Board of Obstetricians and Gynecologists(ABOG)から「専門医」として認定される。
 American Board には American Board of Internal Medicine、A. B. of Surgery、A. B. of Psychiatry、A. B. of Radiology …… など、24の Board が存在する。アメリカの賢明なところは、専門医コースの数をこれ以上増やさず、かつ、これらを医師の最高の称号として扱っていることであると思う。ちなみに、日本では、日本専門医認定制機構加盟学会は52に及び、それ以外に71学会が専門医制度を持っている。
 Board はさらに、"board-certified Radiologist" は「専門医資格を有する放射線科医」、また、"licensing board" は「開業資格」、"State board" は「州の資格」の如く、「資格」という意味合いをもって使われる。Weblio 辞典には Board は「(官庁の)庁、院、局、部」を指すとあり、"Board of Health" で(米)「衛生局」、"School Board"「教育庁」など大きな組織を示すこともあるようだ。各州の Medical Board は「医事局」にあたり、医師免許の授与、苦情の調査、医師法違反者の懲罰、医師の評価などを行う機関であり、North Carolina Medical Board、State of Ohio M. B. 、M. B. of California、Arkansas state M. B. などと呼ばれている(Wikipedia)。
 各種学会の会員である私たちは学会雑誌の "Bulletin Board"「会報」を見落とさないようにしなければならない。そのほか、board はコンピューター用語では、「配線盤」、「基板」と訳されるとのこと。cupboard「食器棚」、sideboard「(壁の前に置く)飾り棚」、dashboard「(自動車前部の)ダッシュボード」、boardには本当にたくさんの意味がある。また、onboard は「理事をしている」ex. "I was brought on board to end my expertise." という意味もあり、aboard には「船などに乗って」の他「グループ内にある」(Weblio 辞典)という意味もある合成語もできている。
 熟語で見てみると、"aboveboard" は "under the table" の反対語で「公明正大に」になり、"across the board" は競馬場の勝ち馬表示版からきた英語で「全面的に」という意味になるそうだ。
 ここでライフサイエンス辞書の共起表現例を調べたところ、医学論文上の300例文中、243例(81%)が "in stitutional review board"、通称 IRB であった。これは、日本では「機関審査委員会」とか「施設内審査委員会」と訳され、大きな病院では設置が義務づけられている。長岡赤十字病院では IRB を「院内治験審査委員会」と呼び「倫理委員会= Hospital Ethics Committee)」を兼ねる形で機能していた。"The study was approved(あるいは authorized )by the institutional review board."、"under an Institutional review board-approval protocol ……"、"Institutional review board of the National Cancer Institute ……"などが共起表現より引用できる。
 さて、秘書と電話した後、私は、即座に答えたことが正しいかどうかいささか自信がなかったので、帰宅後、河野圭子著「病院の外側から見たアメリカ医療システム」と「病院の内側から見たアメリカの医療システム」の2冊の本を見直してみた。加えて研究社の和英辞典をまとめてみると。「病院長」は現在President of th eHospital の方がより一般的のようで、Director of the Hospital はどちらかというと営利医療施設での呼び方のようであるとのことであった。ちなみに、インターネット上、Beth Israel Medical Center の "President" は誰々と表示されていた。医療法人 "Medical Corporation" の「理事会」は "Board of Trustees" と言われ、「理事」は "(a)member of the Board" とか "Board Member" と呼ばれる。営利組織では「理事会」は取締役会」となるので "Board of Directors"、「取締役」はやはり "Board Member" だそうだ。「理事長」はかつて "administrator" と言われていたが、次第に "The chairman of the board of directors" と言われるようになり、さらに今日的には Chief Executive Officer = CEO「最高経営責任者」が良いとのことである。「専務」は組織の第二の責任者であるが、「専務取締役」を "Executive Director" というと研究社の辞典にはでているが、今日的には医療関係では Chief Operating Officer:COO「最高執行責任者」にあたるようである(河野圭子著)。質問された「常務理事」は一般の会社では第三位の責任者であろうが、研究社の辞典では "Managing Director" と書かれていた。
 横道にそれるが、古代ローマ時代の「ディレクトール」director は「独裁官」と訳されるが、平和時の2人合議制の「執政官」に代わって、国家の緊急時に任命される最高役職で、任期は6ヶ月、一人で何事も決定できる特権が与えられていた(塩野七生著「ローマは一日にして成らず」)。ローマの時代より経ること2000年、現在の病院には有り余るほどの director がいる!それらは、病院管理職としての診療部長 Medical Director、看護部長 Director of Nursing、薬局長 Director of Pharmacy、臨床検査部長 Director of Clinical Laboratory、医療記録部長 Director of Medical Record Office、総務部長Director of Administration Office、そして病院医師の各科の部長(Department Head)や科長(Section Head)も Director とか Chief と呼ばれる(中川次郎著「臨床医学英語」)。
 アメリカの病院機構は日本のものとかなり違うので、当院の姉妹病院である田宮病院に勤務している、私と医学部同級生の加辺純雄先生に伺ってみた。先生は自衛隊横須賀病院の院長をされたが、その時は "Director of the Hospital" であったとのこと。「須藤君間違わないでネ、"Hospital Director" と言うと単に「部長」になりますからね!」、「〔理事会〕は"Board of Directors"、そして「評議員会」は"board of trustees" が良いと思う」ということであった。さらに、「アメリカの海軍の将校達と会合を持つとき、自己紹介の時 "I am a member of the Board."と言うと、インパクト感をもってもらえた」そうである。彼は、最終的には海上幕僚監部首席衛生官になったが、これは医師として海上自衛隊組織の最高の位で、かつての軍医総監と同じなので、森鴎外並ということになり、私たち新大43年卒の出世頭の一人といえよう。(続く)

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新年ボウリング大会優勝記「おかえり、トロフィー!」  三上 理(三上医院)

 昨年、新年ボウリング大会優勝のトロフィーを当院の受付脇に置き、来院患者様から、「これはなんのトロフィー?」、「○○先生のお名前が」等、なかなか好評でした。そのトロフィーを平成26年1月19日に巨大な箱にしまい、1月20日の夕方、愛車の後部座席に乗せ、長岡駅東口、旧ダイエー地下のポップボウルへ向かいました。5階の駐車場から大きなトロフィーを抱え、エレベータで地下に降り、受付で市川先生、廣田さんにご挨拶。その際、廣田さんからピンクの封筒(“ぼん・じゅ〜る”原稿依頼)を渡されそうになり固辞(笑)。レーンの抽選を終えました。
 昨年3月に柏町のドリームボウルが潰れ、記憶の中では川西の旧専売公社、現在の医師会館近くに100レーン以上の巨大なボウリング場や、駅前長崎屋、そして柏町のボウリング場など、学校帰りにも寄れる手軽な娯楽でしたが、現在では喜多町の遊ボウル、ポップボウルの2ヵ所のみとなりました。そのため、昨年3月以降、月例会はポップボウルに移りました。旧ダイエー、いまのeプラザの地下にあるポップボウルはレーン数16レーンとこぢんまりとしたボウリング場です。専用の建物ではありませんし、以前の建物をそのまま利用している関係で、他のボウリング場と作りがかなり違います。一番戸惑ったのはレーンとレーンの間に太い柱が2本あり、場所によってレーンの間隔が異なり、隣で投げている姿が見えないところがあります。また、構造の関係か、ピンまでの距離がいままでより近く感じ、アプローチへの段差もなく、投球に入るリズムがかなり異なりました。また、レーンの材質も代わり、オイルの具合で曲がり方がかなり変化するようになりました。そんな会場に変わり、月例会での成績も当初は不安定で、200を超えることもあれば120になったり、170平均になったりで、かなり不安定でしたが、諸先生方も同じようで、幸運にも最終的に平成25年の年間ポイント1位を頂きました。そんな状況で今年の新年会を平成26年1月20日に迎えました。20
 今年は3−3−2−3、計11名で大会スタートです。
 メジカルボウリングに参加後、初めて購入したボールをそれまでスペアボールに当てていたのですが、古くなり欠けてきて、新たにスペアボウルをショップにお願いしたのですが、今回受付後、早速計測してもらい穴を開けました。それが本番までに間に合うかどうか不安なまま練習から本番へ。この日、レーンのコンディションは速めで、あまり曲がりません。それでも7番ピン、10番ピンのあたりはオイルがありませんからかなり曲がってしまいます。1投目に使用しているボールは曲がるボールですし、ポケットへの入り具合により7番、10番が残るケースはよくあり、スペアが拾えないとスコアにもかなり影響が出ます。練習中、やはり10番ピンがとれず、スペアボールが届かないとちょっと大変になりそうな予感でした。今年は同じレーンに高野先生、窪田先生と、優勝を狙える方々と開始です。
 1ゲーム目、さい先良くストライクでスタート。2フレーム目に懸念していた10番ピンが残りましたがなんとかスペア。そこで調子が乗ってきました。あまり曲がらないので、しっかりとフォローに気をつけて同じリズムでアプローチし、同じリズムで腕を振り、8フレームまでノーミス。大切な9フレームで3番、10番が残り、残念ながらオープンとなってしまいましたが、10フレームにストライク2個続け、221で終了。2ゲーム目はターキーでスタート。その頃に待望のスペアボールが届き、懸念材料がなくなりました。結局このゲームも225とスコアアップして終了。いい流れでしたが、何となくアプローチや腕の振りがしっくりいかず、ボールが真ん中、真ん中へ集まってきて、少し不安を感じました。案の定、3ゲーム目はストライクが続かず、174まで。この時点でハンディもあり、高野先生とほとんど変わりません。そして最後の4ゲーム目へ。アプローチと腕をまっすぐ振り抜くことを考え、ラッキーもありましたが、1フレームからなんと7フレームまで、ストライクが続きました。オイルの感じも変わらずで、こういう時はどこに入ってもストライクが出ることがあり、もしや、と、色気が出てしまい、その後は9ピンが続き、結局256で終了。それでも満足の締めでした。途中からはピンクの封筒もちらつきましたが、こうなったら逆にしっかり勝ち越そうと決め、素直に優勝を喜びました。4ゲームトータル876ピン。ハンディ48ピンでグロス924ピンでした。
 歴史あるドリームボウル、その最後の新年会で優勝し、今年、新たなポップボウルでの初めての新年会優勝と、節目での勝利を語ることとなり、大変光栄なことです。今年も秋の新潟シティマラソンに向けてトレーニングをする予定ですが、なんとかボウリングも県大会は日程的にも出られそうです。以前県大会に出場した際は完全にあがってしまい、全くスコアが伸びず悔しい思いをしました。何とかそのリベンジを、と目論んでおります。
 今年も駄文におつきあいいただき、まことにありがとうございました。

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新年麻雀大会優勝記「やっちゃいました」  小林徹(小林医院)

 昨年12月上旬より右母指の痛みとペンを持つと力が入らない状態が続いていました。1月に入り特に朝痛み増強、“CM関節症”だろうと楽観していましたが、心配になり長岡中央綜合病院にお願いして、17日MRI施行。(仰臥位・右上腕伸展位で45分つらかったです)結果“老化現象”と診断され少し安心。
 大会当日、女房「おはよう! 体調は? 指の具合は?」
 私「碑はペンとちがって力を入れないでいいから、2位をねらって、ハッハッハ」
 1月25日(土)午後2時前、いつもの会場「麻雀クラブトップ」に到着。
 私「暁先生、ごくろう様です。今日は何卓?」
 暁先生「メーカーさん3人に入ってもらって3卓です」
 私「2連覇の明石先生は?」
 暁先生「仕事で参加できないそうです」

 いつもながらわくわくする瞬間です。今年初参加の三島病院 田中晋先生、長岡中央綜合病院 渡辺庄治先生、西村義孝先生、春谷重孝先生、田中政春先生、丸山直樹先生、高橋暁先生、紅一点の児玉伸子先生、私でスタートです。一回戦同じ卓で打っている高橋暁先生にケイタイがなり、話している最中“少碑”となりチョンボ。それ以降ジリ貧となる運命が待っていました。となりの卓で“流し満貫”という威勢の声が聞こえる中、田中政春先生が+30500点でトップ。二回戦も順調に田中政春先生が+3300点でトップ。途中“国士無双”をテンパッていた田中政春先生のすごく残念そうな顔が印象的でした。
 二回戦を終わり一位田中政春先生+53800点、私+33700点で二位。ここで児玉先生「田中先生の原稿楽しみだわ」
 麻雀の打ち方も個性がでる様で、もの静かに打つ人、にぎやかでワイワイがやがや打つ人色々です。
 私はにぎやか麻雀です。ビールも手伝っていますが。
 2万点も差があるから予定通り二位だシメシメと思いながら、一位の田中政春先生と同じ卓で最終戦。テンパイすると田中先生なぜか私に振り込み2万点の差が逆に4万6200点差で麻雀荘の名前と同じトップになってしまいました。
 今一番うまい人は? と聞かれたら、三年連続二位の田中政春先生と断言できます。楽しい麻雀ありがとうございました。暁先生、来年も幹事ですね。ヨロシク。
 その後、渡辺先生、暁先生、私、3人が飲みながら反省会。
 渡辺先生が私の事を富所先生に聞いたそうです。一言“ヤクザ”との事、お誉めの言葉、ありがとうございました。渡辺先生とは初対面でしたが、いろいろの話でもりあがり、楽しい半日が終わりました。
 家に帰り、女房「あれまあ、優勝したの? 指は?」私「ワッハッハ」
 それからです、原稿がストレスになり、期限を10日もすぎた2月11日、参加賞でいただいたコーヒーを飲みながら書いています。
 また指の痛みが……。

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新年囲碁大会優勝記「新年囲碁大会の報告」  斎藤古志(さいとう医院)

 今回は例年になく多くの先生方が参加され、総勢12名でした。参加された先生は次のとおりです。(五十音順・敬称略)
 太田裕 太田こどもクリニック
 大塚武司 大塚こども医院
 小林矩明 喜多町診療所
 斎藤古志 さいとう医院
 斎藤良司 斎藤皮膚泌尿器科医院
 新保俊光 新保内科医院
 関根光雄 関根整形外科医院
 増村幹夫 長岡西病院
 三間孝雄 三間内科医院
 柳京三
 山本和男 立川綜合病院
 吉田正弘 吉田医院
 太田先生との2勝者同士の対戦に勝利した私が優勝と決まりました。
 他に新保先生も2勝だったのですが、時間がなくて対局できず残念でした。柳先生は二十年ぶりに石を持ったと言っておられました。
 私はプロの棋譜をみるのが好きなのですが、近年は古碁もよく並べています。最近繰り返し読んだ本を紹介したいと思います。日本棋院刊行、文人棋士中山典之氏執筆の『囲碁の母・喜多文子』です。平成2年、喜多文子歿後五十年祭を機に出版されたものです。
 文子は明治8年生まれ、父は佐渡出身の医師、司馬凌海。語学者としても有名で、広辞苑にも名前が載っています。著書に「和洋独逸辞典」があるそうです。40才の若さで死去、文子3才でした。母春江は生活に困窮し、文子を女流棋士の林さのに養女として預けて故郷の佐渡に帰ってしまいました。文子9才の頃、養母のもとに囲碁を習いに来る客人達の対局を眺めているうちに、いつの間にか覚えたそうです。養母林さのは大喜びで文子をプロに仕立て上げることにしました。
 15才で晴れて初段を許されるまで、丸坊主頭、絣の着物に朴歯の下かすり駄に素足という今の世なら虐待と非難されかねない修行生活でした。
 20才の時、能楽の家元、喜多六平太と結婚、囲碁から遠ざかっていましたが33才の時復帰、多くの女流棋士を育てあげました。弟子殆ど全員が囲碁を知らない少女だったそうです。最後の愛弟子杉内寿子八段は現役で活躍しています。
 昭和25年歿、享年76才。中山典之氏の軽妙で平明な文章は、何回読んでも涙と感動です。巻末には喜多文子が新聞碁勝ち抜き戦で、五人抜き二回という快挙を為し遂げた全棋譜が載っています。全局が力戦に次ぐ力戦の逆転の碁で、並べていて実に痛快です。是非一度目を通していただきたいものです。私の読み古しで良ければお貸しします。
 古碁を並べることは私の棋力に大きく影響したように思います。最近は年齢のせいか単純ミスや根気不足で苦杯を喫することが多くなりましたが、これからも囲碁を楽しんで行きたいと思います。年令、職業を問わず多くの碁敵ができたのも大切な宝です。

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長岡市医師会史の補遺  星 榮一

 平成2年に発行された「長岡市医師会史」(以下医師会史)で、不明とされていた数か所について判明したので、次回の医師会史編纂の参考のために記録を残しておきたいと思う。
 医師会史204頁の長岡脳病院については、開院と閉院の時期が明確でなかった。昭和53年、栖吉郷土誌刊行会発行の栖吉民俗誌(3)「すよしの里」259頁の年表に、開院は昭和17年6月で、閉鎖は昭和20年8月となっている。跡地には昭和24年1月に国立新潟少年学園ができているので、長岡脳病院は法務省関連の施設だったのかもしれない。
 医師会史216頁に恩賜臨時診療所が市内に三か所開設され、長町の中央病院以外は不明であった。新潟日報・昭和20年12月1日号・2面に「戦災者に光明、無料で入院診療」の見出しで記載がある。そこでは、日本赤十字長岡病院、県農業会中央病院(長町仮病院)、日本医療団長岡診療所の三か所が指定されている。日本医療団診療所は医師会史215頁によると、台町の社会保険事務所(現・ホテルニューオータニ向いの長岡年金事務所の所)の2階に設置されていたようである。
 医師会史187頁の中越医療組合病院の期日の記載には誤謬が多い。開院は昭和10年7月9日(北越新報・昭和10年7月9日号)で、一時閉院は昭和13年10月末(北越新報・昭和13年10月29日号)である。また、丸新連合会長岡中央病院として再開したのは昭和16年7月1日(新潟中央新聞・昭和16年6月29日号)である。これ等の中越医療組合病院の歴史は、平成27年に発行予定の「中央綜合病院八十年史」で訂正しておく。
 歴史の記録は最初から完全無欠というわけには行かない。少しずつ補いながら完成してゆくことだろう。

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天に登るソチ五輪  郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 なんとか少雪のまま、春めいて来ました。毎日のソチ冬季オリンピックのテレビ観戦。参加選手でもないのにその疲労もピークです。我が家で熱心なスポーツ観戦ファンであるのは家人です。リアルタイムで衛星中継を見て応援している彼女に、勤務のある亭主としては、深夜放送は半分以下のおつきあいですが。
 第一の応援終了点は、女子カーリングが連日の健闘むなしく、5位で惜しくも予選落ちの時点。第二の終了点が昨日の未明。我が家の最大の応援観戦の重点種目である女子フィギュアが終わりました。
 浅田真央ちゃん、初日SPの失敗での低得点を、2日目は完璧に近い演技で猛烈に追い上げましたが及ばずに6位、……メダル取らしてあげたかったのに残念でした。少女時代から良きライバルであったキム・ヨナもオリンピック二連覇ならず、2位に終わりました。彼女は2回の演技ともミスもなく、優雅なすばらしい出来でした。この判定の再審を訴えるネット上の署名運動で試合後一日で数十万を越えたとか。
 ところで「竜天に登る」という変わった春の季語があります。ご存じのように、竜は中国の古代伝説にある想像上の動物。最古の漢字字典「説文解字」に、竜は…春分にして天に登り、……と記載されているそうです。江戸の歳時記「栞草」に季語で登場。春も半ばを過ぎると、その精気に乗じて竜が昇天するという伝承から。わが俳句の師の句はさすがにひとひねりしてあります。

竜天に逆鱗すでに抜け落ちて  中原道夫

ゆかいな俳句にこんなのも……。

竜天に登り荒川静香かな  中村寿夫

 もちろん荒川静香の顔と名前はテレビでご存じでしょう。2006年トリノオリンピック金メダルを最後に引退、彼女の24歳での優勝が最高齢記録と聞くと驚きです。後方反りポーズのイナバウアーを美しく決め有名でした。この技は流行語大賞でした。今回男子でみごとに金メダルを獲得した羽生結弦君が、これを優雅にやりアピールしていました。
 金メダルを当然と期待され重圧に負けたジャンプの高梨沙羅ちゃん。その次くらいにメダルを期待された浅田真央ちゃんも、初日は固い表情から転倒、まさかの規定の連続ジャンプすら失敗で、なんと16位。
 2日目は、見るからに気持ちを立て直し、冒頭のトリプルアクセルに成功。全部で8回の3回転ジャンプを決める完璧に近い演技でした。プルシェンコら各国の有名スケート選手や引退選手たちからツイッター等で絶賛の声が寄せられたそうです。
 その真央ちゃんのこだわりのスペシャルのトリプルアクセルは3回転半ジャンプ。他のジャンプは後ろ向きから飛ぶのに対して、アクセルは前向きから飛び、後ろ向きで着地なので、半回転多く飛ぶのです。身体能力に優る男子は今や4回転が決め技。たかが半回転の差でも女子では3回転半で十分に難度が高い技、そこで追随女子選手がない現状。ただしその割にトリプルアクセルの技術評価点が低い基準で、割に合わないプレイらしいです。
 優勝した選手もすてきな演技でしたが、誰にもわかるミスもあり、他選手に比較して審判の高評価過ぎの批判があります。キム・ヨナが金、フリーの真央が銀とわたしは思うことにしました。「女子フィギュアで金メダルを獲ったのはロシア」という声が世論に強いようです。

張り合ひて双竜天に登りけり  蒼穹

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