長岡市医師会たより No.417 2014.12


もくじ

 表紙絵 「越後川口にて」 丸岡稔(丸岡医院)
 「長岡赤十字病院リウマチセンターについて」 羽生忠正(長岡赤十字病院)
 「大自然の中で」 柳村尚寛(長岡赤十字病院)
 「蛍の瓦版〜その7」 理事 児玉伸子(こしじ医院)
 「巻末エッセイ〜マドリッド」 富樫賢一(長岡赤十字病院)



「越後川口にて」 丸岡稔(丸岡医院)


長岡赤十字病院リウマチセンターについて 羽生忠正(長岡赤十字病院)

 平成26年2月26日(水)から入院棟の10階(元10−B棟)にリウマチセンターが新設されました(当分の間は水曜と木曜のみ開設)。病診連携室を通して予約された新患の方はまっすぐ、再来予約の方で診察前の検査があれば、検査部の採血室やX線受付へ寄ってから、時間までに入院棟のエレベーターで10階のセンターへおいでください。エレベーターを降りたら左方向へお進みいただくとリウマチセンター受付があります(図1)。なお、残りの部分は外来化学療法室(20床)などとなっております。
 センター内には、リウマチ診察室が3つとそれぞれの診察室には専用の待合室が用意されていて、そこにはパンフレットが置かれており、また映像でリウマチを学ぶことができます。さらにリウマチ指導室(図2)が個室を利用して設置されています。ここでは、薬剤師による生物学的製剤の自己注射導入指導やリウマチケア看護師による療養相談(“リウマチとは”から“治療選択”まで理解できなかった点はなかったか、さらに医師に直接話しにくいことはなかったか)などが行われています。さらに、4床室を一つリウマチ化学療法加算対象の清潔で静かな専用の外来点滴室に充てることができました(図3)。レミケード、アクテムラ、オレンシアといった商品名の生物学的製剤による点滴治療や皮下注射が、ここで行なわれています。外来処置室は、装具の型どりや術後患者の処置に使われています。このようにセンター化により清潔エリアと汚染エリアとをわけることができました。リウマチセンター受付にはクラークが2名配置されており、ここで会計処理され、患者さんはエレベーターで1階の会計へまっすぐ行けば支払いができます。導線としてはエレベーター分が長くなったのですが、10階からの眺めは素晴らしいし、窓の付いた明るい診察室で、評判は上々です。
 整形外科・内科系リウマチ専門医が同じフロアで別表のように診察に当たっています(表1)。リウマチの新患は紹介状が必要です。リウマチセンターでは木曜午前に根津が新患を担当しています。病診連携室を通じて予約を入れてください。内科系を希望するリウマチの新患の場合は、1階内科外来の総合診療(総診)で火曜午前は佐伯または水曜午前は伊藤が担当しています。こちらも紹介状があれば、病診連携室を通じて予約が取れます。
 今までも水・木曜の同じ曜日に整形外科・内科外来でリウマチの診療を行ってきましたが、センター化により医師同士の連携が容易かつ密となりました。また、メトトレキサート(MTX)や生物学的製剤の導入時の教育、副作用の早期発見のための教育、ステロイド薬の注意点などもパンフレットで繰返し啓蒙できるようになりました。
 関節リウマチの治療においては、発症からできるだけ早く疾患修飾抗リウマチ薬(DMARDs)の使用が必須です。DMARDsの中でもMTXが使える場合には、これを最大16mg/Wまでの範囲で2ないし4mgずつ増量していきます。3カ月ごとに治療方法の見直しをし、疾患活動性を総合的指数で評価して臨床的寛解を目指します。効果不十分の場合はさらに強力な生物学的製剤を積極的に取り入れていきます。すなわち、早期から関節破壊の防止を目的とした治療が行われているわけです。一方、病歴の長い患者さんでは寛解を目標とするのは困難な場合もあり、その場合は低疾患活動性が当面の目標となります。
 “目標に向けた治療”においては、疾患活動性(病気の勢い)を算出することが必須で、そのためには、医師による関節評価(圧痛関節数・腫脹関節数)、赤沈やCRPといった血液検査値のほかに、患者さんご自身による全般改善度評価が必要です。具体的な数値目標を患者さんとリウマチ医が共に決めて治療を進めることで、質の高いチーム医療を受けることができます。
 人工関節置換術などのリウマチ外科手術も整形外科専門医の協力を得て多数行っており、リハビリについては院内のリハビリセンターで急性期リハビリを行った後、必要に応じて外来リハビリや回復期リハビリをお願いしております。
 関節リウマチ診療には今までの治療や検査結果が非常に重要です。更に“かかりつけ医”をもって定期的にセンターへ通う、いわゆる二人主治医制が良いと考えております。ご紹介いただいた患者さんは、治療方針を決めてお返ししますので、緊密に連携をとって二人主治医制で治療させてください。よろしくお願いいたします。

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大自然の中で 柳村尚寛(長岡赤十字病院)

 はじめまして、今年度より長岡赤十字病院で初期臨床研修をさせていただいています柳村尚寛と申します。3月に新潟大学を卒業し、6年ぶりに地元の長岡市に戻ってまいりました。リバーサイド千秋をはじめ、病院周辺の景観の変化には大変驚きました。学生時代の日々のキャンパスライフや、見慣れた実家周辺の光景の中では見出せない、時の流れの重みを感じた瞬間でもありました。
 長岡日赤でスタートした初期研修医としての生活も、早くも6か月が経ちました。この半年間は、指導医の先生方から温かい御指導を頂きながら、病棟や救急外来における業務に専念する日々でした。今後は、自分が研修を通じてどこまで成長したのか、自分のこの手で何を差し伸べられるようになったのかを常に顧みて、それに伴い背負うようになった責任の重さを落ち着いて見出だす時間も、日々の研修の中で大切にしたいと思います。そして、自分自身の成長が、少しでも中越地区の医療への貢献につながれば幸いです。
 さて、忙しい日常の中でも、学生時代から続けている趣味がいくつかあります。夏場の寺泊沖での海釣りと、冬場に湯沢へスキーに行くことが、時間を作ってここ数年続けている習慣です。
 海釣りは、主に夏から秋がベストシーズンとなります。余裕のある週末に寺泊沖まで船釣りに出掛けます。新潟県寺泊のイメージとして、通称『魚のアメ横』と呼ばれる魚市場が、観光地として県内外の皆様にも有名だと思いますが、操業している遊漁船(釣り船)の数も県内屈指の規模を誇る漁港でもあります。寺泊の沖合では、明治時代から、魚の住みかとなる人工漁礁の整備事業が進み、まるで万里の長城と化した南北に延びる人工漁礁帯が、四季折々の魚種を育んでいるとされています。冬場のヤリイカや真鱈、春先のメバル、初夏のスルメイカ、秋のアジやサバと魚種は大変豊富ですが、私自身は、最もシーズンの長いマダイ(真鯛)をメインのターゲットとしています。釣りを最初に始めたのは、小学1年生の頃です。父や兄と近くの小川でミミズを餌に鮒を釣り始めたのがきっかけでした。その後、寺泊港や新潟東港、直江津港など県内各地の防波堤に小アジやサヨリを釣りに行くようになり、その面白さに引き込まれていきました。そして、中学1年の頃に本格的に船釣りに転向しました。現在では、自己ベストの更新と毎年のマダイ釣り大会での優勝を目指し、日々技術を up date する毎日です。因みに現在の最高記録は大学2年の時に釣り上げたマダイの4キロです。記録を伸ばすことももちろん大切なモチベーションの一つですが、何より大海原における自然との対話を通じて生まれる心のゆとりをこれからも大切にしたいものです。寺泊港を出船し、弥彦山や角田山を背にし、遥か西に佐渡を見つつ釣りをする気分は爽快です。釣った魚については、とりわけ忙しくない時は自分で捌くこともあります。
 釣りに行けない冬場は、一シーズン10回程度、南魚沼〜湯沢方面へスキーに出かけることが多いです。長岡市出身なので、小中高校とスキー授業もあり、キャリアとしては10年以上となりますが、今までは比較的自己流の滑り方でした。大学に入り本格的にターンの技術を本から学び、滑る爽快さに加えて、技術向上に対する飽くなき探求心が宿るようになりました。冬のスポーツを覚えたことで、新潟の冬の厳しさの中に楽しみと待ち遠しさも加わりました。今後も事故や怪我のないように続けたいと思います。
 ここまで、趣味の内容が中心になりましたが、如何にして心の豊かさを生かした広い視野を保つかと考えたとき、趣味も大切にしたいと思うようになりました。研修医生活も半年経ち、患者さんの心に寄り添いながら客観的に自分を顧みる時間を通じて、自分自身の成長へとつなげていきたいと思います。

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蛍の瓦版〜その7 理事 児玉伸子(こしじ医院)

1.休日・夜間急患診療事業および二次病院の当番
 先月の医師会からの定期便で、平成27年度休日急患診療事業の執務表と二次病院担当表をお送りしました。御協力宜しくお願い申し上げます。
 平成27年4月から、二次病院の当番は、曜日に関係なく三病院が交代で務めて頂くこととなりました。“長岡祭り”は交通事情より一部変則となりますが、それ以外は日赤・中央・立川の順番の繰り返しとなります。三病院では土曜日が休診となるため、土曜の当番病院の負担が大きく、病床の確保が困難となっています。この負担を均一化するための変更です。
 昭和49年に始まった休日・夜間急患診療事業も、平成26年5月からは「さいわいプラザ」に移転し、皆様の御協力のおかげで、順調に運用されています。執務は68歳以下の診療所勤務の会員の方々にお願いしておりますが、6名の先生方にはそれ以降も御協力を頂いております。その他小児科はこども急患センターの診療に従事して頂き、産科・耳鼻科・眼科の先生方にはそれぞれ在宅輪番を務めて頂いています。休日診療の執務をお願いしている方は、内科は49名(平均1.4回/年)あり、外科系は27名(平均2.6回)です。また、内科や外科を標榜されている先生方53名には、平日準夜の執務も年間平均4.6回お願いしております。平成27年度に執務頂ける方の人数は昨年度に比べ、ほとんど変化しておりません。しかし、いずれも執務者の年齢の中央値は60歳前後となっています。

2.介護認定審査会
 休日・夜間急患診療事業とともに、会員の皆様に御協力いただいている医師会の活動として、介護保険の介護認定審査会の委員があります。
 来期は平成27年4月から29年3月までの2年で、該当する方には別個に御連絡を差し上げました。合議体の数は長岡市全体で54あり、診療所は40合議体を担当しています。
 委員の対象は70歳以下の診療所の先生方で、医師会の三役や自立支援法に係る委員および健康上等特段の理由がある方は除外されています。来期は委員の対象となる方は85名あり、そこから40名の方にお願いしております。しかし現行の状況では新規増がない限り、2年後の対象者数は10名減の75名となる予定です。それ以降は、2期連続して委員をお願いする方がでてきます。このような事態を避けるべく工夫する所存ですが、御理解御協力をお願いします。

3.在宅医療連携協議会
 先回お知らせした、在宅医療連携システムを構築するための委員会が長岡市医師会内に正式に発足し、名称も“在宅医療連携協議会”に決まりました。診療所側の委員7名と病院からの7名から構成され、委員長には長尾政之助副会長(長尾医院)と副委員長は草間昭夫理事(草間医院)が選ばれました。
 12月15日に第1回の会合が開催され、今後の活動方針等について話し合われ、長岡市がバックアップする“地域包括ケア推進協議会”と協調していくことが確認されました。現状と問題点については各委員から様々な意見が出され、診診連携(主治医・副主治医制)や病診連携についても話されました。訪問看護ステーションとの連携の重要性も強調され、12月18日には訪問看護ステーションと当委員会に長岡市が加わり、在宅医療連携に関する懇談会が開催されました。
 先日の在宅医療に関するアンケートでは全員から回答を頂いております。ご協力ありがとうございます。それぞれの地域や医療機関や患者さんによって抱える事情は様々あり、幅広く柔軟に対応できるシステムの必要性が認識されたようです。

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巻末エッセイ〜マドリッド  富樫賢一(長岡赤十字病院)

 安いという理由だけで、この7月1日に就航したばかりのフィンランド航空(フィンエア)を使ったツアー。ヘルシンキ経由で、マドリッドに着いた時には日本を離れて16時間も経過していた。午後9時過ぎホテル(ウサ・プリンセサ)着。夕食なし。部屋で備品を確認していると、トミイ(愚妻)が、ボディソープは押しても出ないし石鹸も無いと騒ぎ出した。二人でフロントまで文句を言いに行くと、運よく地元の日本人ガイドの「番長さん」(愛称)が居た。代わりに文句を言ってもらう。顔が怖そうな上に態度も大きいので文句も通り易い。その間、トミイと私は隣のスーパーに、夕食代わりのビールとつまみを買いに出かけた。安いビールとヤギのチーズを買って帰る。部屋の近くで小柄な添乗員さんに出会った。さっきの話をすると、「そんなことはない」と部屋まで入ってきて、備え付けのボディソープ容器をぎゅっと押した。その後ボーイが固形石鹸を2個持ってきてくれたが使わずにすんだ。風呂上りにビールを飲むと発泡酒のようだった。ヤギのチーズはトミイを喜ばせたが、私の好みには合わない。疲れてはいたが時差(マイナス8時間)ぼけで眠れないでいると、トミイの携帯が鳴った。なんと日本からの沐浴指導(通称「風呂入れ」)の仕事依頼。今時の携帯は外国にいると勝手に外国仕様になる。早く切れと目で合図をしたが無視された。
 翌日はマドリッド市内観光。番長さんは若い時、有機農法をやりにスペインに来たまま居ついたのだそうで、甚だスペインびいきだ。プラド美術館は世界最高だと言い張る。他の国の美術館、例えば大英博物館やルーブル美術館は過去に略奪してきたものばかりだが、この美術館にはそういったものがないというのがその理由。その真偽は分らないが、エル・グレコ、ベラスケス、ゴヤのスペイン三大巨匠の絵は、番長さんの説明の妙もあいまって結構楽しめた。中でも、宮廷画家ベラスケスの最高傑作、王女と女官たちを描いて、後にピカソの「ゲルニカ」にも多大な影響を与えたという「ラス・メニーナス」は興味深かった。ただし番長さんがこの絵で気にいっている所は、醜い王妃を醜いままに、ただしそこには目が行かないように描いてある所だそうだ。次に、ピカソの「ゲルニカ」があるソフィア妃芸術センターに行く。「ゲルニカ」は1937年のパリ万博のために依頼を受けて作成したもの。ゲルニカの町をドイツ軍が爆撃した時の様子を描いていて、戦争への怒りと、生命の尊重を訴えているという。ただし、抽象画なので説明してもらわないと何が描かれているのか分らない。
 2時頃昼食(スペインではこれが普通)。その後トレド観光をして、再びマドリッドに戻る。目指すは、ラス・ベンタス闘牛場。闘牛好きの番長さんは年間予約席を毎年購入しているという。開始時間に間に合うように急ぐバスの中で、闘牛に関する番長さんの熱のこもった講釈が始まった。観光客の中には野蛮だとか、残酷だとか、可哀そうだとか言う人もいるが、闘牛は日本の相撲同様(意味不明)、スペイン人にとっては神聖なもの、見ているのが嫌な人は何も言わずに立ち去ってくれと、まず念を押し、それから、闘牛の豆知識や闘牛観戦時のマナーなど詳しく話してくれた。闘牛場には予定より早く着いたが、闘牛場前広場は、すでに大勢の人で賑わっていてお祭り騒ぎだ。いよいよ、闘牛観戦。番長さんの興奮が伝わってくるようだ。(つづく)

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