長岡市医師会たより No.419 2015.2


もくじ

 表紙絵 「待春駒ヶ岳」 丸岡 稔(丸岡医院)
 「新年ボウリング大会優勝記」 窪田久(窪田医院)
 「新年麻雀大会優勝記」 新国恵也(長岡中央綜合病院)
 「新年囲碁大会優勝記」 吉田正弘(吉田医院)
 「第7回中越臨床研修医研究会抄録」 
 「蛍の瓦版〜その9」 理事 児玉伸子(こしじ医院)
 「巻末エッセイ〜自家製ハチミツを味わうには」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「待春駒ヶ岳」 丸岡 稔(丸岡医院)


新年ボウリング大会優勝記〜春まだ遠し  窪田 久(窪田医院)

 平成27年1月19日、ポップボウル長岡で長岡市医師会の新年ボウリング大会が11人の参加で行われました。この大会は昭和45年から毎年行われておりますが、最近は参加者が徐々に減っており、少し寂しいところでありましたが、一昨年は永井恒雄先生、今年は江部佑輔先生が新規加入され、うれしい限りです。是非今後も引き続き、ご参加頂きたいと思います。
 さて、私はここ8年くらいずっとスランプが続いていましたが、これだけ長くなるとスランプというより、下手になったといった方が当たっているかと思います。以前はアベ200以上が続いていたのですが、ここ2年は続けてアベ189と低迷しています。実は平成21年の私のボウリング優勝記のサブタイトルが「復調の兆し」だったのですが、あれからもうすでに6年の月日がたってしまい、いまだ復調しておらず、「春まだ遠し」というのが実感です。さて、今年の大会の結果ですが、私の1ゲーム目はダブルスタート、しかし、3フレでスプリットがとれず、「ああ、やはりここまでか」とも思いましたが、その後ラッキーなストライクもでて、10フレの2投目まで8連続ストライク。263点という久しぶりの高得点がでました。2ゲーム目はノーミスの225点と好調を維持。しかし、3ゲーム目は7番ピンを2回もミスッてしまい、203点でした。こんなふうに、調子のよい時に一番やってはいけないのが、イージーなスペアミスです。案の定、せっかくのつきを落としてしまい、最後のゲームはストライクが4ケしかでず、スプリットとスペアミスもあり、173点と不満なゲームとなりました。しかし、最初のビッグゲームがきいて、スクラッチで864点、ハンディ込み896点で、久しぶりの優勝を飾ることができました。2位は850点で、私と同じレーンで投げておられた明石明夫先生、3位は1点差の849点で隣のレーンで投げておられた福本一朗先生でした。
 私の優勝は6年ぶり5回目となりますが、過去最多優勝は茨木政毅先生の8回、次が野村権衛先生の優勝5回で、ようやく野村先生と肩を並べることができました。
 最近の長岡市医師会ボウリングクラブでは三上理先生の実力向上が目立っていて、残念ながら、なかなかスクラッチでも勝てない状態となっています。しかし、これは実力もさることながら、2年前にドリームボウルが閉鎖となり、会場がポップボウル長岡に変わったことも大きな原因のひとつだと思います。ボウリングはレーン上に引かれたオイルの状態によって、どこに投げたらよいかが変わってきます。ポップボウルはオイルの引いてある長さが短めのため、ボールが大きく曲がってしまいます。そのため、曲がるボールを投げる場合はレーンの左側に立って、右のガーターに向かって投げないと、ボールはポケットにはなかなかいきません。そのような投球は結構難しく、かなりのテクニックが必要となります。このような曲がるレーンで点を出しやすいのはスピードがあって、あまりボールの曲りが大きくない三上先生のようなタイプです。ではボールが曲りすぎる私のようなタイプはどうしたらよいのでしょうか。ボールのスピードを上げるのか? ボールの回転を変えて、曲がらないようにするのか? しかし、力を入れたり、投げ方を変えることは再現性のスポーツであるボウリングでは、失敗してしまうことが多いと思います。
 今回の大会で私のとった作戦は「曲がらないボールを使う」でした。スペア専用のボールではないのですが、ドライレーン専用の一番曲がらないボールを使用したのです。今まで40個ぐらいボールを購入したと思いますが、今回使用したボールは10年ほど前に購入し、あまりに曲がらないため、今まで一度も大会で使用したことのないボールでした。しかし、今回のレーンのオイル状況とうまくマッチしたため、良い結果がでたのだと思います。
 ボウリングは再現性とボールの強さ(ボールのスピードと回転)が関係するスポーツです。ボールが強ければ倒れるピンは多くなりますが、どんなに強い球でも同じところに、同じような回転で投げなければ、ボールは狙い通りのところには行きません。ですから、無理に力を入れたりすれば、再現性が低下して、結果としていいゲームはできないと思います。
 ボウリングは振り子スイングで、というのはよく言われる言葉ですが、ボールの動きを妨げないように、力をぬいて投げることが、まさに一番大切なことだと思います。それにより、ボールのスピードと回転が一定になりコントロールが正確になって再現性が高くなります。
 振り子スイング重視の無理のない投球を心掛け、まだ遠そうな春をゆっくり待ちたいと思っています。

目次に戻る


新年麻雀大会優勝記  新国恵也(長岡中央綜合病院)

 長岡市医師会恒例の新春麻雀大会が、1月17日に坂之上町の雀荘トップで開催されました。参加者は14名でMRさん2名に加わってもらって4卓で行われ、なんと予想外の私が優勝してしまいました。
 私は、当日の面子が足りないので是非参加してくれと、富所隆先生に頼まれての初参加でしたが、とても楽しみにして参加しました。麻雀は学生の時はそれなりに、長岡中央綜合病院に赴任して初期の頃は付き合い程度にはしていました。20年ほど前になると思いますが、加藤英雄先生や現在手術室師長の江口和江さんや手術室助手であった保科徹士さんと雀荘トップでも2回ほど徹マンをしたことがあります。麻雀参加は、それ以来となります。
 実は私、アガリ役は解りますが符が数えられず正式の得点計算ができません。参加者の誰かが必ずしてくれるので覚えたことがないのです。私は、これまでスポーツや趣味など様々してはみたものの、根がずぼらで飽きやすい性格なので、のめり込んだこともなく長続きしたものは何もありません。麻雀も然りで、いまだ無趣味のままです。
 ここまで麻雀から遠ざかっていると、マナーとルールが守れるのか、チョンボなどして進行を妨げたりしないかと気を遣いました。実際、麻雀の手の運びがうまくできなくなっていて、配牌をきれいに早く並べられなかったり牌山を崩してしまいそうになったりで、冷や汗ものでした。常連の先生方はビールを飲みながら冗談を言い合い、賑やかに楽しそうでした。本来そうやって楽しむゲームなのですが、私は、早い進行について行くのがやっとで緊張しビールも1杯飲んだきり、元々寡黙なのが益々寡黙になり、アガルことより振り込まないことに気をつけて手堅く姑息な、つまらない麻雀をしてしまいました。対戦してくださった先生方にはご迷惑をおかけいたしました。
 そんな状況で、1回戦、2回戦、3回戦がどのように経過していったのか、殆ど記憶に残っていませんが、3回戦で親のハネ満(リーピンサンショクドラドラハイテイ)を春谷重孝先生から振り込んで頂いたのが今回の勝因となりました。
 優勝は嬉しいことですが、もしかしたら今年の運気はこれでつきたかもしれません。
 帰り際に、小林徹先生から「まさか先生がねえ……人生何があるかわからない。こんなことがあるから面白いんだよなあ。今まで他に良いことがなかったようだし、普段自慢できるようなこともないようだけど、今日帰ったら早速奥さんに自慢できるじゃねえか。」と言い当てられてしまいました。
 大変楽しい大会でしたが、思いもかけず優勝してしまったがために、駄文を“ぼん・じゅ〜る”に載せることとなってしまいました。
 高橋暁先生は長く幹事をされてきたので、今回の優勝者に幹事を交代して欲しかったようですが、初参加で麻雀のルールもよく知らず信頼度が低い私が優勝したために、来年も引き続き幹事をされることになりました。皆様お疲れ様でした。ありがとうございました。

 目次に戻る


新年囲碁大会優勝記   吉田正弘(吉田医院)

 1月24日、例年通り魚籐で新年囲碁大会が行われました。参加者は太田裕先生、大塚武司先生、小林矩明先生、斎藤古志先生、斎藤良司先生、新保俊光先生、関根光雄先生、三間孝雄先生、柳京三先生、山本和男先生と私、吉田正弘の11名でした。昨年とほぼ同じ顔ぶれで、何だか同窓会に出たような懐かしい気分で、参加させて頂きました。
  対戦相手を、あみだくじで決めて大会が始まりました。私はまず山本先生と対戦することになりました。以前より強くなられており、苦しい碁となってしまいましたが、最後は遠慮がちに打ってくれて、僅差で勝たせてもらいました。2回戦は1回戦で勝利された小林先生と対戦となりました。、私の負け碁を小林先生のうっかりミスで逆転勝ちさせていただきました。3回戦は柳先生との対戦でした。大塚先生が1回戦で柳先生に負かされ、堅実で強い碁を打たれるとの事前情報を得て、実利優先の方針で臨みました。結果、柳先生に大模様を作られ、負けを覚悟しましたが、ダメもとで大模様の中でもがいて辛勝させてもらいました。
 例年、何も準備しないで参加しておりましたが、今回は、思うところがあって、数か月前から、布石定石の勉強にかなり時間を割いてきました。少しは強くなったつもりでいましたが、実践ではやはり思うようには打たせてもらえず、強くなることの大変さを再認識させられました。
 初めて新年会に参加してから、すでに十数回になりますが、三番とも勝たせてもらったのは初めてです。太田先生も3勝されており、太田先生も優勝とするべきと思いましたが、優勝記を書くのが面倒で辞退されたと勝手に解釈しました。私も辞退したいと思っていましたが、懇親会で酒が進むにつれ気が大きくなって、つい、ピンクの封筒を受け取ってしまいました。
 書くべき事もないので、詰まらない話ですが、私の碁の師匠である3歳上の兄を紹介させていただいて、優勝記としたいと思います。
 私は小学生の頃、兄から教わって碁を覚えました。私が大学を卒業するまで、暇を見つけては相手をしてもらいました。その頃の兄の棋力は初段位だったと思います。
 兄は日本大学で数学を教えていましたが、碁キチで、学部内では敵なしと豪語していました(6段の免状を持っていました)。また無類の酒好きで、以前は2人で飲みながら政治・経済・文学等、様々な事を延々と話しをするのを楽しみに年に2〜3回帰省していました。碁も毎回数番は教えてもらい最終的には2〜3子で勝負になるようになりました。
 その兄が8年前、突然、脳出血で左半身麻痺となり、碁を打てなくなりました。最近になってリハビリを兼ねネット碁を始めたと聞き、実家に帰らなくても兄と打てるように、私もネット碁を始めました。さすがに下手になっていて、3子置かせて丁度位でした。弟としては、以前のように強くなって欲しいと思い、今度は私が教えられるようにと、今更ながらですが、碁の勉強を始めた次第です。
 3月になると碁会所が駅裏に移って来るそうなので、今年は通ってみようと密かに思っています。来年こそ強くなって、新年会に臨めればと思います。
  駄文で申し訳ありませんでした。

 目次に戻る


第7回中越臨床研修医研究会

「ステロイド減量中に心機能低下と心室頻拍発作を認め治療に難渋した心サルコイドーシスの一例」 井上千裕(長岡中央綜合病院)

 症例は71歳、女性。平成18年より眼ブドウ膜炎と肺サルコイドーシスで当院通院中であった。平成23年の心電図で新たに右脚ブロックの出現を認め当科受診。心臓超音波検査(UCG)で左室中隔〜下壁にかけて局所的な壁の菲薄化と壁運動低下を認めた(EF44%)。心臓カテーテル検査で、心サルコイドーシスが考えられたが、当初治療に同意が得られなかった。しかし、平成25年にUCGで新たに前壁〜前壁中隔、側壁〜後壁の壁運動低下も認め、ステロイド治療を開始した。水溶性プレドニンの内服を30mg/日で開始し、1ヶ月の内服後に心機能の改善を認め(EF49%)、2週間ごとに5mg/日ずつ20mg/日まで減量後、1ヶ月ごとに2.5mg/日ずつ15mg/日まで慎重に減量した。しかし、同年10月動悸発作を認め当科に入院した。入院後、多源性の非持続性心室頻拍(NSVT)を連日認めた。UCGで前壁〜側壁と下壁〜後壁の壁運動の再低下を認めた(EF38%)。心臓MRIでは壁運動低下部位に一致して遅延造影を認めた。Ga心筋シンチグラムで心臓への集積はなかったが、心サルコイドーシスの再増悪が疑われた。水溶性プレドニン30mg/日に再増量後に心機能の改善を認めた(EF49%)。一方NSVTは依然散発しており、植え込み型除細動器(ICD)を検討するとともに、甲状腺癌術後でありソタロールを20mg/日から開始し、慎重に増量し、NSVTは著しく減少した。しかし、その後約1分の持続性心室頻拍(VT)を認め、ICDを植え込んだ。ただし、後日施行した心臓電気生理検査(EPS)でVTは誘発されず、ソタロールの内服(60mg/日)は有効と考えられた。現在、慎重にステロイドを減量中(1ヶ月で5mg/日ずつ20mg/日まで減量後に維持)である。本例はサルコイドーシスの長期経過観察中に、心サルコイドーシスの診断・治療を要した症例である。更にステロイド治療中にVTを認めたが、ステロイド減量に伴う心機能の再増悪が考えられ、再増量で心機能は改善した。しかし、ステロイド治療のみではVTを抑制できず、ICD植え込みとともに適切な抗不整脈薬の併用が有効であった。


「保存的療法により軽快を認めた孤立性上腸間膜動脈解離の一例」 佐藤公俊(立川綜合病院)

 今回我々は突然の腹痛で発症し、腹部造影CT検査にて孤立性上腸間膜動脈解離と診断し保存的療法にて軽快を認めた症例を経験した。大動脈解離を伴わない上腸間膜動脈(SMA)の解離は比較的まれな疾患であるが、腸管虚血を起こすと致命的ともなりうる疾患である。
 症例は56歳男性であり、夕食後の突然の上腹部から左側腹部痛を主訴に当院救急外来を受診した。心電図・採血検査・腹部エコー検査では明らかな異常所見は認められなかったが、来院時血圧179/114mmHgと高値であり、心筋梗塞や脂質異常症の既往もあったことから大動脈解離を含めて鑑別を行うため造影CT検査を行った。その結果、孤立性の上腸間膜動脈解離を認めた(図1)。偽腔は一部血栓化しており、腸管壁の虚血も認めなかったことから、血圧管理、抗凝固療法にて保存的に治療を行った。その後、解離腔の拡大なく腹痛も消失したため退院となった。
 孤立性上腸間膜動脈解離の原因としては動脈硬化、中膜変性、繊維筋異形成などが考えられているがはっきりとした原因のわからない特発性とされることも多いと報告されている。特に中高年の男性に多く、食後の突然の腹痛で発症することがいくつかの文献で報告されており、大動脈分岐から1〜6cmの部分に好発するとされている。本症例も中高年男性であり食後の腹痛で発症し、大動脈分岐から約3cmの部位に解離腔を認めるといった典型的な症例であった。腸管虚血を認める場合は緊急手術となるが、本症例のように保存的に治療できる場合も少なくない。保存的治療としては、血圧管理と抗凝固療法が主体であるが、症例数の少なさから明確なエビデンスは確立されていない。今回の症例から、まれな疾患も念頭に置き主訴・身体所見・各種検査所見を総合し、診断に結び付けることの重要さを改めて認識した。


「胆道出血を契機に見つかった胆嚢癌の一例」 榎本貴士(立川綜合病院)

 症例は83歳の女性で、息苦しさをうったえて近医を受診し、貧血を認めたため精査目的に当院を紹介受診した。血液検査では貧血と肝胆道系逸脱酵素の軽度上昇を認めた。腹部造影CT検査で胆嚢の腫大と胆嚢底部に結石を認めた。胆嚢管〜胆嚢頸部は拡張し胆嚢頸部は造影効果を示す結節性病変を認め、MRIで胆嚢頸部病変は拡散強調像で高信号を認め、胆嚢癌が疑われた。腫大した胆嚢内腔はT2強調像で軽度低信号、T1強調像で高信号を呈し、胆嚢内は血液により充満していると考えられた。ERCPでは、十二指腸乳頭部の開口部は開大し凝血塊の流出を認め、胆管内はミミズ様の血腫を認めた。胆嚢管は凝血塊のため描出されなかった。胆汁の細胞診はclass III であった。以上より、胆道出血を合併した胆嚢癌が疑われた。入院後は貧血改善のため輸血を行ったが、貧血の進行を認めたため、出血コントロール目的に手術を行うこととした。手術は胆嚢摘出術+肝床切除術を行った。胆嚢内は血性胆汁が充満しており、胆嚢頸部に隆起性病変とその周辺に70×45mmの平坦な病変を認めた。病理組織学的診断では、乳頭浸潤型の中分化型管状腺癌Stage II (乳頭浸潤型,tub1>pap,ss,ly0,v0,pn0)であった。病理所見では一部低分化癌成分も認め、腫瘍の一部は脱落し癌性潰瘍を形成しており、その底部からの出血が見られた。これらの所見より胆道出血の原因は腫瘍からが示唆された。本症例は貧血を契機に発見された胆道出血を伴った胆嚢癌であり、まれな症例と考えられた1例である。若干の文献的考察を加え報告する。


「中心静脈栄養管理を要する重症クーロン病に合併した慢性腎不全に対して血液透析療法を導入した一例」 太田智慶(長岡中央綜合病院)

【症例】63歳女性
【現病歴】1988年回腸穿孔による腹膜炎で回腸を部分切除し、病理組織学的診断で小腸クローン病と診断。2002年小腸・S状結腸瘻に対してS状結腸、回腸を部分切除、人工肛門が造設され、以降中心静脈栄養管理となった。2011年にCr1.54mg/dlと腎機能低下があり、当科を初診。蛋白尿はなく、腹部CTで両腎結石を認めた。腹部CTでは経時的に両腎結石の増大を認めた。2013年、慢性腎臓病Stage5に進行したため、内シャント造設術を施行。2014年、全身倦怠感、食欲不振が出現し、腎機能の悪化がみられたため血液透析導入目的に当科に入院した。
【入院後の経過】血液透析療法を開始し、尿毒症症状は軽快。退院後、現在に至るまで中心静脈栄養(PN)、adalimumabによる治療を継続している。PNからは1日800kcalが供給された。体重、Albは横ばいであるが、腎機能の低下を認めた。
【考察】腎機能低下は炎症性腸疾患、短腸症候群による脂肪吸収の低下、シュウ酸吸収の亢進による腎結石形成が原因の一つとして考えられた。栄養状態については、本症例における必要エネルギーは1450kcal以上と計算され、実際PNからは800kcalを供給されている。残存腸管から吸収されるエネルギー量は不明。本例では経過中に体重、アルブミン値に大きな変化はなかったが、腎機能の悪化を来たしたことから、腎不全の栄養療法として十分なエネルギー量とたんぱく摂取量であったかは評価困難であった。炎症性腸疾患により長期間にわたって(total)PNを要する透析患者のマネジメントについて記載した文献はなかった。個々の症例に応じて設定されており、定型的なものはないため、本症例においても体重や残存腎機能、各種検査データに応じて対応していく必要があると考える。今後の治療としては小腸・腎同時移植も選択肢として考えられる。
【結語】中心静脈栄養管理を要する重症クローン病に合併した慢性腎不全に対し、血液透析療法を導入した1症例を経験した。体重、血清アルブミン、筋力や骨密度、体水分も参考に、PN内容の変更や薬物療法、透析量の調整を行う必要があると考える。


「左頸部腫脹を主訴に来院した特発性乳び胸の一例」 高橋茉那(長岡赤十字病院)

患者:36歳女性
主訴:左頸部腫脹
現病歴:X年11月24日朝より誘因なく左頸部から左腋窩にかけての腫脹を自覚し救急外来を受診。
既往歴・服薬歴・生活歴:特記事項なし。
受診時身体所見:左静脈角部に圧痛あり、左頸部から側胸部にかけての広い範囲に腫脹あり。熱感や発赤はなし。その他に異常所見はなし。血液検査:CRP1.23mg/dl,TP5.9g/dl,Alb3.5g/dl,Hb11.0g/dl
画像所見:胸部X線写真は異常所見なし。胸部単純CTで、左頸部から腋窩・胸壁の前と左側・咽頭の後部・椎体前面筋肉周囲・縦隔内に脂肪織濃度の上昇を認めた。入院までの経過:蜂窩織炎と診断され抗生剤を点滴。耳鼻科も受診したが異常なく、抗生剤を処方されて経過観察の方針となった。翌日、頸部の腫脹が消褪し、それに伴って胸部違和感が出現したため、当科を受診。その際の胸部X線写真では、左胸水が貯留しており、左肩から腋下にかけて浮腫を認めた。胸水穿刺で、外観が乳白色の乳糜様胸水を認めた。
胸水検査結果:滲出性。糖正常、ADA陰性。中性脂肪著明高値。
胸水細胞診:ズダンV染色陽性
外傷や手術などの既往がなく、以上の所見から、特発性乳び胸と診断した。
リンパ管シンチグラフィ:73分後像で、左静脈角付近に集積が出現。145分後像で下頸部外側や縦隔から左胸腔への移行あり。
入院後経過:安静と低脂肪食を開始。頸部腫脹は徐々に消失し、浮腫が左の側胸部へ移動した。貯留した左側胸水も経時的に減少した。
考察:乳び胸は、胸水中のTGが110mg/dlより多く、コレステロール値が200mg/dlより低い場合に診断される。胸管から吸収されたリンパ液が、胸管の閉塞やリンパ管の形成不全や破綻により漏出して起こる病態である。成因は、外傷性のうち医原性では食道手術に伴うものが最多と言われる。非外傷性には腫瘍、先天性疾患などがある。本症例では、リンパ管シンチグラフィで左静脈角の位置に集積を認めたことから、その部位でのリンパ液の漏出が発生し、縦隔内を落下したリンパ液は肺門から胸腔内へと入り、乳び胸水として貯留したと考えられる。頸部から側胸部の皮下組織に滲出したものは、頸部腫脹、浮腫として現れ徐々に吸収されていったと考えられる。本症例のように、最初は胸水を認めず、頸部の腫脹から移動するように遅発性に側胸部の腫脹と胸水を認め、それを経時的に追えた症例は極めて珍しい症例と考え、報告した。


「胃癌を合併し、術後も遷延する悪阻に対し中心静脈栄養を併用しつつ分娩に至った双胎妊娠の一例」 明石英彦(立川綜合病院)

 妊娠中の女性が食欲不振となることは日常よく見られ、多くはつわりあるいは妊娠悪阻といわれる一過性の症状である。
 妊娠悪阻は全妊娠の約7割に発症する。
 妊娠4〜7週から出現し、その後6週間前後の経過で自然に軽快する例が多いが、軽度の悪心が分娩まで遷延することもある。
 一方胃・十二指腸潰瘍等の消化器疾患や甲状腺機能異常等が原因の可能性もある。
 今回我々は胃癌を合併し、術後も遷延する悪阻に対し中心静脈栄養を併用しつつ分娩に至った双胎妊娠の一例を経験したので報告する。
 症例は43歳、平成24年から当院不妊外来通院。
人工授精にて双胎妊娠成立。
 妊娠12週5日より性器出血あり、翌日より切迫流産として入院管理とした。
 臥床安静、止血剤、子宮収縮抑制剤を投与し入院4日目には切迫流産は落ち着いたが、同時期から食欲は低下し、2〜3割程度しか食事摂取できないほど悪化。
 遷延する食思不振に対し精査すると胆嚢炎、胃癌を認めた。
 胆嚢炎は抗生剤で速やかに改善し、胃癌は妊娠19週で幽門側胃切除し、StageTbであった。
 しかし胆嚢炎治療、胃癌術後も食思不振は改善しなかった。
 妊娠中期では2000kcal程の摂取が基準とされるが、本症例では経口摂取カロリーは500kcal未満の日も多く、末梢静脈栄養と合わせて1000kcal前後と必要カロリーが不足したため妊娠24週より中心静脈栄養に変更。
 経口摂取は変化なかったが、合計摂取カロリーは中心静脈栄養に変更して1800kacl程まで増量でき、胎児推定体重は平均より小さかったが正常範囲を逸脱することなく成長曲線に沿った発育がみられた。
 妊娠37週1日に選択的帝王切開術施行し、NICU入院などもなく、産褥13日目母児ともに退院となった。胆嚢炎、胃癌等の偶発合併症を認めたが、疾患の治癒によっても食欲は改善しなかった。
 一方で分娩により妊娠が終了することで食欲は徐々に改善したことから、分娩まで遷延した重症妊娠悪阻であったと考えられた。
 経口摂取が通常の2〜3割程度の状態が続いたが、中心静脈栄養を併用することで双胎妊娠を維持でき2健児を得るに至り、中心静脈栄養による栄養管理の有用性を実感した症例だった。


「卵巣奇形腫摘出術後に発熱・皮疹・意識障害をきたした63歳女性例」 諏訪部達也(長岡赤十字病院)

【症例】症例は63歳女性。卵巣奇形腫の摘出術後3日目に38℃の発熱と軽度の意識障害が出現し、術後4日目に皮疹と肝機能障害が出現した。鑑別として種々の脳炎・脳症を考えたが、経時的な白血球数と血小板数の減少、発症時の季節(5月)からツツガムシ病を疑った。問診により発症の約10日前に山菜取りに山に入っていたことがわかり、全身の詳細な観察により右膝窩部に刺し口と右鼠径部のリンパ節腫脹を認め、ツツガムシ病と診断した。診断直後よりミノマイシンを投与し、翌日には解熱し意識清明となり、寛解した。ツツガムシの血清抗体価は第20病日に陽性となり、痂皮を用いたPCRでKarp型が検出された。
【考察】当院で報告している22例のツツガムシ病症例(2000年〜2014年、本例含む)を検討すると、ツツガムシに刺されたと思われる場所は、山・川・農作業中のいずれかであった。初診時の皮疹、肝障害、血小板減少の出現頻度は、3つ全て揃う症例が過半数であり、2つ以上を含めると8割を超える。DIC、多臓器不全、髄膜脳炎などの重篤な合併症を伴った症例もある。月別累積症例数では、5月と11月に2峰性のピークを示す。全国的には、関東から九州にかけては幼虫が孵化する11月に1峰性のピークを示すが、東北や北陸地方では、幼虫が越冬し雪解けとともに活動し始めるため、春から初夏にかけても発生し、2峰性のピークとなる。ツツガムシ病は全国で400例前後発生しており、都道府県別にみると北海道から沖縄まで全国で発生している。いまや地域を問わず日本中どこでもツツガムシ病が発生しうることを認識する必要がある。
【結語】ツツガムシ病は近年、全国各地で患者が発生しており、病初期に意識障害を来す例も存在する。診断の遅れは致命的となりうるため、原因不明の意識障害の鑑別としてツツガムシ病を考慮し、問診と刺し口を探すことが重要である。


「ギラン・バレー症候群との鑑別を要したドクササコ中毒の1例」 遠藤由香(長岡赤十字病院)

【症例】77歳、男性
【主訴】手足のしびれ感、灼熱感
【現病歴】上気道感染症状の3日後に手足のしびれ感を自覚した。翌日に症状が悪化し、某病院に緊急入院となった。手足のしびれ感に加え灼熱感が強く、徒手筋力テストで2レベルの四肢筋力低下も指摘され、ギラン・バレー症候群(GBS)が疑われて当院に転院した。痛みが強く、筋力低下は正確な評価ができていなかったが、手足の挙上は可能だった。手足に発赤はなかったが、詳しく問診したところ、発症数日前から自宅周辺で採取した大量の「ナラタケ」を食べていたことがわかり、そのキノコを鑑定してドクササコ中毒と診断した。
【経過】痛みとしびれ感に対して、クーリングとメキシレチンやプレガバリンなどで治療した。入院時より軽度の意識障害を認めたが、次第に手足のしびれ感と痛みは消退した。しかしながら廃用性の筋力低下が残存し、40日後に車いす転院となった。
【考察】先行感染があり、手足の激しい痛みのために筋力低下が十分に評価できず、当初GBSが疑われたドクササコ中毒の症例である。ドクササコ中毒では、肢端紅痛症を呈することが多いとされるが、本症例では手足の発赤はなく、問診が診断の決め手となった。ドクササコはナラタケと酷似しているため、誤って摂食することがある。本症例では、前年も同じ場所のドクササコを摂食していたが、ナラタケと確信していた。ドクササコ中毒では、痛みで動けないため廃用症候群や肺塞栓症などを起こすこともあり、リハビリが重要と考えられた。本症例で認められた軽度の意識障害はドクササコ中毒の症状の可能性もあり、今後の検討が必要である。


「緩徐進行で非対称な多発脳神経麻痺を呈した1例」 齋藤奈つみ(長岡中央綜合病院)

【症例】72歳男性
【主訴】食欲不振、るいそう
【現病歴】平成25年5月よりめまい・後頭部痛が出現、7月初めには両側のこめかみにも頭痛が出現し、徐々に食事量が減少し体重が落ち始めたため、近医で消化器疾患を疑われ精査していたが、原因不明で体重減少が続くため、10月当院消化器内科を紹介受診、このとき構音障害と嚥下困難を指摘された。3ヶ月で15kgの体重減少以外は一般理学的には頭頸部、胸腹部とも特記すべき所見なし。神経学的には脳神経学的所見として左V、両側のVI、左VII、右のIXX、左のXIIの麻痺を認めた。四肢の麻痺や反射の異常はなし、歩行は可能だが継足歩行はできず失調を認めた。血液検査では、CRP軽度上昇のみ、頭部CTでは小脳テント、大脳鎌の肥厚をみとめ、追加検査では血清IgG、IgG4、MPO-ANCAはいずれも高値。髄液中のIgGとIgG4も著明に増加していた。頭部MRIでは脂肪抑制T1Gd造影ではび慢性な硬膜造影効果が著明で、これは特に小脳テントと頭蓋底に強かった。胸腹部造影CTでは特記所見なかった。
【経過】11月13日よりステロイドパルス療法を開始、症状の変化はパルス前後で顕著であり、直後より頭痛、複視、顔面のしびれ、嚥下障害は軽快〜消失した。MRI上びまん性に肥厚した硬膜は治療開始後3週間で明らかに改善した。特に頭蓋底や小脳テントの肥厚した硬膜は著明に改善していた。血清中のIgG、IgG4、MPO-ANCAはステロイドパルス後に著明に低下し、後療法に移行した後も経過良好である。【まとめ】MPO-ANCA陽性肥厚性硬膜炎とは、70〜80%が頭痛、多発脳神経障害(特に第[脳神経)、慢性副鼻腔炎・中耳炎を呈する。大部分は中枢神経系限局型で造影MRIが有用、頭蓋窩、円蓋、小脳テント、海綿静脈洞などに硬膜肥厚をみとめる。標準治療はPSL単剤投与だが、長期予後はPSL+シクロホスファミドで有意に良く再発抑制効果がある。
【結語】高齢発症の肥厚性硬膜炎の1例を経験した。消化器疾患を疑われ経過していたが徐々に多発脳神経麻痺を呈し診断に至った。限局型MPO-ANCA関連疾患と考えられるが、経過とともに他の臓器障害をきたす例もあり長期の治療と経過観察が必要である。

目次に戻る


蛍の瓦版〜その9 理事 児玉伸子(こしじ医院)

1.介護現場における医療行為
 医療行為は身体に対し侵害を与えうる行為であるため、法律によって厳しく規制されています。その施行は専門職である医師や医師の指示下における医療職と、または患者本人やその家族に限られていました。しかしこの規制は、医療依存度の高い患者さんが病院から在宅へ移行する際の関門の一つとなっていました。需要の大きかった「痰の吸引(口腔内・鼻腔内・気管カニューレ内部)」と「経管栄養(胃ろう又は腸ろう・経鼻経管栄養)」は、一定の条件下に限り、介護職員が行うことが正式に認められています。平成24年の法律改定までは、実質的違法性阻却(法律上は違法であるが、当面のやむを得ない措置として一定の要件の下に違法性を問わない)として運用されてきました。
 さらに在宅療養を円滑にするために、インシュリン等の自己注射を本人・家族・看護師以外にも介護職員が行えるようにすることを検討されています。日本糖尿病協会でも、医師・ケアマネージャー連携事業「要介護支援症例に携わるスタッフの勉強会」の開催を予定しています。新潟県におけるモデル事業として、長岡市で第1回目の勉強会が予定されています。対象は、糖尿病を専門としない在宅医療を行う医師と、要介護の糖尿病患者を支援するケアマネージャーです。当初の日程が延期され、4月下旬に改めて計画される予定です。皆様のご参加をお待ちしております。

2.地域産業保健センター
 厚労省では産業医活動を啓蒙推進するために、各県単位に産業保健総合支援センターを設置しています。このセンターは厚労省が所管する独立行政法人労働者健康福祉機構に属しています。新潟県の産業保健総合支援センターは新潟市の礎町に在り、産業医向けの講習会の開催等を通じて事業所の産業保健活動の支援を行っています。
 その下部組織として県内11か所に地域産業保健センターが設置されています。これは労働基準監督署とほぼ同様の配置で、長岡市同様に地域の医師会内に設置されています。地域産業保健センターでは、従業員が50名未満で産業医の選任義務のない事業所を対象として、健康相談や面接指導を行っています。
 平成26年度の長岡地域の利用状況をみると、健康診断後の意見聴取が157事業所と長時間労働者の面接指導が48事業所あり、開設日数は併せて66日でした。この他に事業所へ出向いて指導を行う事業所訪問が3か所あり訪問回数は計6回ありました。長岡地域では、昨年は有志の協力医15名によって実施されました。
 現在は50名未満の事業所の多くは50地域産業保健センターをまだ利用していませんが、厚労省では利用を推進しており、徐々に利用が増えています。健康診断後の意見聴取が主な相談です。短時間でも結構です。産業医の資格をお持ちの先生方の協力をお願いします。

 目次に戻る


巻末エッセイ〜自家製ハチミツを味わうには 郡司哲己(長岡中央綜合病院)

蜜蜂の一生分のハチミツを 朝一枚のパンに塗りをり  朝日栄美子(岐阜県)

 二月の立春過ぎの日曜日、「NHK全国短歌大会」が放映されました。二万首あまりの短歌から数十首の入選作品が発表される恒例の大会です。歌会始の選者で細胞生物学者の永田和宏さんが特選とした冒頭の一首が印象的でした。「明日からおいそれとはハチミツ塗って食べづらくなりますなあ……。」
 ハチミツについては、つい最近の某新聞の土曜版の科学記事にも「一匹のミツバチが一生かかってつくれるハチミツは小さじで半分ほど。」とありました。「ハチミツは腐らない。」をテーマに、Q&Aの形式で解説。理由としては微生物が増えるのに必須の水分がハチミツでは%20(乾燥かんぴょうと同程度)しかない。またミツバチの唾液中の酵素でグルコン酸が産生されて酸性になり、微生物が入り込むと過酸化水素も微量に発生し一過性の消毒効果もあるためだとか。
 たくさんのミツバチが、我が家の庭に春から秋を通じて毎日やってきます。花々から蜜や花粉を集めて飛び回る羽音が賑やかに聞こえます。
 「このミツバチたちはどこに住んでいるのかしら?」と家人。「うちの庭にも巣箱を置いたら、引っ越して来てくれないかしらね。家でハチミツなんか取れたらしあわせね。」
 「いいねえ。巣箱だけならすぐネット注文で買えるようだけどね。」
 ミツバチ飼育に関しては、テレビの「DASH村」での養蜂の成功例を見ているので、家人の希望的観測も理解できます。番組でも、春先に「分蜂」と呼ぶ、新女王の巣立ちに伴う無数の働き蜂集団の新しい巣への移行の解説があったのですが、自分で野山に野生の群れを探すのは不可能に近いのでは?
 古代エジプト時代からあったというミツバチ飼育には興味があり、昨年も文献調査してみました。購入した参考図書は、現代農業特選シリーズ8「飼うぞ増やすぞミツバチ」DVD付(農文協、2014)
 キンリョウヘンなる小型のランの仲間の植物があります。その五月にかけて咲く花には、巣別れ・分蜂したミツバチの群れを誘引する作用があるそうです。ハチの集合フェロモンと同じ作用の匂いとされます。この鉢植えを新しい巣箱の前に置くと移住定着率が飛躍的に高まるんだそうです。
 さらには仮にミツバチの群れが入手できても、大きな問題があることが検討してみてわかりました。
 その1:晩秋から春の長い期間、巣箱も雪の下、ミツバチは自前の食料源(これがそもそもハチミツの役割!)で食いつなぐことができるか。冬眠せずに巣の中で寄り集まり「蜂球」を形成し、暖め合うそうです。養蜂家は砂糖水を補給するのだそうです。冬の長い雪国ほど不自然な作業を続けることになります。
 その2:巣箱を住宅地に設置して蜂の刺傷などの事故の可能性が高まるのではないか。蜜源と花粉源となる花の多い自然に恵まれた地域ですけど、分譲の住宅地だったのです。
 このように解決すべき難問が山積ですが、いつの日にか自分でハチミツを採取して味わってみたいものだと思います。園芸が共通趣味の家人のいとこは白根在住ですが、隣町に養蜂家がいると情報をくれました。長岡とは積雪量が違うが、先達がいるのは希望がもてますね。

 目次に戻る