長岡市医師会たより No.422 2015.5


もくじ

 表紙絵 「シャンゼリゼ通り」 木村清治(いまい皮膚科医院)
 「老いては益々壮なるべし、老年医学の目指すところ〜その1」田村康二(老人保健施設ぶんすい)
 「救命処置を学ぶ半日コースを受講して」 八百枝潔(やおえだ眼科)
 「救命処置を学ぶ半日コースを受講して」 戸谷真紀(石川内科医院)
 「蛍の瓦版〜その12」 理事 児玉伸子(こしじ医院)
 「巻末エッセイ〜クマが出たの回覧板」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「シャンゼリゼ通り」 木村清治(いまい皮膚科医院)


老いては益々壮なるべし、老年医学の目指すところ〜その1  田村康二(老人保健施設ぶんすい)

 「おい田村、お互い元気で現役だよな」「俺は毎日7.5時間勤務している。齋藤(元長岡市医師会長)も盛業のようだね」「同級生で元気な奴は元気で現役だな。しかしそうでない奴も増えている。ところで、田村、新潟県じゃ医師の定年退職者は毎年多いようだし、そのうちのかなりは医業を続けていないようだ。こういう高齢者を活用する方策がもっとあって良いんじゃないか?」「もっともだ」「この問題を医師会雑誌にでも提起してくれないか?」
 79歳過ぎて平均寿命を超えてくると、年寄の暮らし方、日頃の健康法、健康寿命の伸延、生涯現役そうして疾患などを気にするようになる。それらを纏めて世に問えば、高齢者の診療にいささかお役にたつだろうと思い筆をとった。
 年寄りは小児と同じく、加齢とともに成人とは異なった病態を示す。だから例え老人科がなくとも老人科的な考え方を持つことは必要であろう。現在高齢者の夢の老後の実現に立ちふさがる問題は多い。(1)年金減額、インフレでの預貯金の目減り。(2)土地神話の崩壊。(3)国民皆保険の崩壊。(4)介護負担のコスト増。(5)無職の子供、高齢化するニート。(6)定年制の廃止、遠のく隠居、迫られる生涯現役などである。
 石川啄木は、「働けど、働けど、なお、わが生活楽にならざり、ぢっと手を見る」と歌った。ところで働けば必ず金持ちになるなら、簡単だろう。だがそうならないのが、浮き世の仕組みなのだ。生活に不安のない老後には、暮らし方の知恵と時間の有効活用が必要なのである。しかし日本の内閣府の分析によれば、05年の労働生産性は米国を100とすると、日本は71で主要国中最低の水準である。生産性を上げて楽になる秘訣を学べば学ぶほど成功して楽になるのだが、実践している人はわずかしかいないようだ。
 老年学の目的は高齢者を老いてますます壮にして生産性を高め、他への依存性を減ずることである。集団免疫(Herdimmunity)という新しい考えがある。
 Herdimmunity とは?ある集団を構成する人が一定の割合で免疫を持っていると、集団の中に感染患者が出ても流行が阻止され、その結果、集団の中の免疫を持たない人への感染を防げることを意味する。転じて免疫力の強い人が多いと、免疫を持てない/持たない人々を集団内に抱えて行ける。そのように集団の力が個々人を守れることとなる。
 そこで高齢者問題の解決には、まず第一に、老いてなお世の中の役に立ちたいと願う志があり、それが可能になる人々を支持し支えてゆく必要がある。これらの人々が増えれば、志があっても実行できない或いは志の希薄な人々を高齢社会に包み込んでゆけるのだ。そういう目的で高齢者の医療・福祉の先端に立つ医学が老年医学である。

1.老いては益々壮なるべし
 「先生、お幾つになられましたか?」「歳は忘れました。ただあなたよりは先輩であることは確かです」「確か80歳でしょう。やはり毎日働いておられますか?」「週休2日で1日7.5時間働いています」
 年老いても元気が衰えず、ますます盛んな意気がなければならないという戒めがある(後漢書、馬援伝)。一方正反対の意味で、「老いては麒麟も駑馬に劣る」(戦国策)というネガティブな格言もある。あなたがポジティブ志向なら、間違いなく前者の立場にたつだろう。
 1000人以上の日本人の脳動脈硬化の程度を調べた九州大学の病理解剖の報告がある。動脈硬化が0点(なし)の人の頻度は10歳代では92%あるが、加齢とともに0点の人が減り始め、60歳代では7.2%になってしまう。しかし70歳代で5.8%、80歳代でもなお2.4%の方がいる。加齢とともに脳動脈硬化は進行するが、その個人差が加齢とともに極めて大きくなることに注目すべきである。
 多くの老年医学者の経験上からは、高齢者の心身の機能は60歳±10歳、70歳±15歳。80歳±20歳と高齢になるにつれて機能は大きくばらついてくるとされている。つまり50歳を過ぎれば、歳の数字は単なる無単位の数字でしかなくなるのだ。今や人の年齢は実年齢や機能年齢で評価されるべきである。
 進化論に従えば、「老いては益々壮になる」ことは非科学的であろう。一方、老害という言葉がある。これが敢えて古諺となり、多くの人を諭してきた理由は、精神面の意味の外、「権力」運や「金銭」運などのような、若健老衰の肉体法則と正反対の摂理があったのではないかと思う。つまり、老いて肉体が衰えるが、逆に権力、地位、金銭の面で、ますます壮んになる現象が古来からあったため、この言葉が古諺として成立したのだろう。
 もはや先進工業国では存在しないこの国での年齢で差別する定年制は、人々を心身の衰退だけでなく、権力や経済力の頂点からの一気転落を引き起こす。しっかりした職業があれば、人並みの余生を送ることは難しくないようだが、ごく少数の例外を除いて、今の日本の社会では通用しない。だがしかし冷静な自己理解と求める仕事への十分な理解がある人は、老いて益々壮となり有償の生涯現役も可能になるのだ。そうすると老いてますます壮となれるだろう。

2.遺伝と環境が高齢者の健康や健康寿命を決める
 日本の医療では不思議なことに、生活習慣病という官制用語が無批判に横行している。老いても健康であるには、遺伝子と生い立ちかたと日頃の暮らし方つまり生活習慣しだいであろう。じゃ、どのような生活習慣が望ましいかについては、厚労省はもちろん医学界も殆ど具体的に示せないでいることが問題だ。
 北大 岸玲子・公衆衛生学教授らの成績では、1996年度の北海道大学医学部男子卒業生(平均年齢25.19±1.77歳)の平均余命は52.88年、1995年の25歳男性の平均余命は52.35年であり、全体で見ると男性医師と日本の一般男性との間に有意の寿命の格差はない。なおこれ以上の医師の寿命について日本の全体を代表するデータはないようだ。つまり日本の医師は、一般人の期待に反して短命という傾向も、長寿の傾向も認められないようだ。この論文内ではアメリカの医師は一般人よりも、長生きだという成績を紹介している。
 医師が本当に有能で人の命を延ばせる力量があれば、医師こそ長生きできるはずである。人生の勝負を決める最も重要な要素は健康であることを、最も理解しているのが医師だろう。だから医師の健康寿命の短命は医師にとっては実に不名誉なことになる。
 では、何故日本の医師の寿命は長くないのだろうか? 労働環境が厳しすぎるため、医師には応招義務という大きな威嚇効果がある、労基法違反の超長時間の労働、不安定な休日、世間から思われている程高くはない勤務医の給与等々、客観的に見ても医師の労働環境は、医師の健康にとって良くない要素が多い。
 「医者の不養生」と自認している医師が、少なくないのに驚かされる。また昨今の健康番組や科学番組における情報には供科学的な論証僑に対し、(1)適切な対照群の設定、(2)統計的な有意差を得るために必要な実験例数の設定、(3)実験データの検証と解釈などの点で科学研究の基礎的な要件を必ずしも満たしていないものが見受けられる。だから科学的無知、思考停止ほど、危険なものはない。医師ともあろう者は、真実を伝えないマスメディアの非科学性に無批判に騙されることなく患者の指導を行うことが求められている。
 健康で日々を過ごすには、医師自らの科学的に総合的な健康法の会得とその実践が必要だ。日本の健康法で明治末までに登場しているものは、貝原益軒(伝統的養生法)、白隠禅師(神仙術系)、浜口熊獄(気合術)、井上仲子(筋骨矯正術)、石塚左玄(食養生)などである。更に新しい健康法は明治末から大正時代に始まり、昭和初期からは加速され今に受け継がれている。出ては消える健康法が世界中で少なくない。これを後ろから押してきたのはお金目的のマスメディアである。ただ現在ではさまざまな健康法があり、それぞれの利点に対して信奉者がいる。その是非についての全貌はここに書ききれない。
 私は長年「生体リズム健康法」という日本で唯一の統合された健康法を唱え世間に広く受け入れられている。健康法の真実性や妥当性は主唱者が、少なくとも平均寿命より長い健康寿命を生きてこそ認められるのであろうと考えている。(続く)

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「救命処置を学ぶ半日コース」を受講して 八百枝潔(やおえだ眼科)

 この度、長岡赤十字看護学校に於いて行われた長岡市医師会主催の「救命処置を学ぶ半日コース」に参加させて頂きました。私は救急外来と言えば、研修医だった時に1年だけ長岡赤十字病院の外科系当直をさせて頂いた以外、自院を継承開業するまでの間、ずっと新潟大学医歯学総合病院に勤務していましたので、専門外来である眼科救急以外ほとんど未経験でした。ましてや救命救急については、20年以上前の学生時代の知識(例えば救急のABC)がうろ覚えであるくらいで、恥ずかしながら素人と言えるくらいのレベルでした。私がそのような状態でしたので、医師会事務局や自院看護師さんからの BLS(Basic Life Support)講習会参加のお誘いがあった時には、自分をスキルアップさせたい気持ちもありましたが、あまりの知識の無さに、講習会のスタッフに呆れられてしまうのではないかと不安でいっぱいでした。
 講習会は佐伯牧彦先生の講義から始まりました。ガイドライン2010に基づく一次救命処置アルゴリズムは世界共通で、様々な人が関われるよう、極めてシンプルであることが分かりました。続いて3人毎のグループに分かれて(当院は私を含めて3人での出席の予定が、1人欠席のため、当院看護師1人とのペアでした)、CPR(Cardio Pulmonary Resuscitation)をメインとした実技を研修しました。人形を用いた胸骨圧迫のシミュレーションにおいては、100回/分のペースで30回圧迫を行い、遅滞なく2回の人工呼吸を行うのですが、リズム音痴な私にとって、適したペースで圧迫を行うのがうまくいきませんでした。そこでインストラクターの指導により、「アンパンマンのマーチ」に合わせて圧迫するといいことがわかりました。実技を行いながら気づいたのですが、「なんのためにうまれて」をスタートとすると、サビに至る直前の「だから君は行くんだ微笑んで」までがリズムとして31回に該当することがわかり、コツを掴んだ気がしました。気道確保と人工呼吸では、頭部後屈を片手で、下顎挙上とフェイスマスクのフィッティングをもう片手で行いながら胸郭の挙上を視認するという動作を習得するのに手間がかかりました。個人的には、胸骨圧迫よりもマウストゥーマウスでの人工呼吸の方が、疲労を感じてしまい、激しい低血糖発作に襲われたため、休憩時間には会場後ろに用意されていたジュースを一気に飲み干してしまいました。2人法によるCPRでは、体力を消耗しないように胸骨圧迫と人工呼吸とを、中断を最小限に交代して行い、CPR法に間違っているところがないかをお互いに確認し合いながらAED(Automated External Defibrillator)によるCPRに移行する方法を習得しました。この時のコツは、お互いを褒めて励ますこと、と思いました。「胸郭がきちんと下がっているよ」とか、「いいリズムで(胸骨)圧迫できているよ」などと言われると、体力を使うCPRにも、力が戻ってくるように思えました。
 CPRの実技のあとは、色々なシチュエーションによるシナリオ練習、その後窒息の解除の実技が行われました。最後にJPTEC(Japan Prehospital Trauma Evaluationand Care)に基づくデモがインストラクターによって行われました。システマティックで統率がとれていて、無駄がない動作にいたく感心しました。以上の如く、3時間の濃密なコースは非常に有意義なものでした。最後に受講証が頂けたのは、結構嬉しいものでした。
 自院でCPRが必要な場面に遭遇したケースは幸いなことにありませんが、患者さんとして高齢者が多い実情もあり、このような講習を受講できたことを幸いに思いました。また、休日にも関わらず講習会をセッティングして頂いた関係各位には、この場をお借りして、深謝申し上げます。

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「救命処置を学ぶ半日コース」を受講して 戸谷真紀(石川内科医院)

 去る3月8日に、かねてよりの懸案事項でありました「救命処置を学ぶ半日コース」を受講させていただきました。以前にBLS、ACLSを受講したことはあったものの、5年以上前でしたのでそろそろ再受講をするタイミングでした。しかし、なかなか重い腰があがらず、今回は医師会から受講のお誘い?が何度かあったので、開催ぎりぎりに申し込みました。するとキャンセルがあったとのことで、ようやく参加の覚悟が決まりました。
当日は午前のコースでしたので、目覚めの悪い寝ぼけた体をひきずり会場に行くと、多くの参加者とスタッフの熱気が溢れており、とても驚きました。また、参加された方達の中にはクリニックの皆さんで来られていたところもあり、意識の高さにまた驚きました。
 講習は最初にスライドでの説明がありました。その後はすぐに実践!本気で心臓マッサージと呼吸法!という感じで、何度も繰り返し実践することで、体で覚えるカリキュラムになっていました。私は今回、他院のスタッフの方2名と一緒のチームでしたが、お二人のやる気とインストラクターのお陰で何とかテンションをあげて講習に臨めました。一人での救助法はインストラクターの方に心臓マッサージを「もっと速く!もっと深く!」と言われ、たった3クールやっただけで疲れてしまいました。また人工呼吸もなかなか胸郭が上がらず、コツをつかむのに苦労しました。実際の場面では3クールで済むはずもないわけで、救急車もしくは他の救助者の到着までかと思うと、本当に大変だと思いました。しかし、体を動かしたことで、ようやく寝ぼけていた頭と体が起きだし、以前に受けた講習の内容も思い出してきました。なので複数人での救助のシチュエーションでは、最初よりは使える救助者になれたような気がします。インストラクターの励ましや、「いいですよ!」などのおだてに乗せられながら、何とか頑張ることができました。いろいろな場面想定で何回も実践したことで、心臓マッサージの基本、人工呼吸の基本、AEDの使い方の基本、他の救助者との連携の取り方などを数年ぶりにしっかりと確認できたと思います。
 このあと、小児と成人の窒息の解除を学んだり、救急隊の日頃の救助活動のデモンストレーションなどがあり、あっという間の半日講習でした。
 この講習を通じて思うことは、救急や救助の場面では、ゆっくり考えるよりまずは手順に沿った救助方法をすぐに開始することが大切であり、時間との勝負だということでした。そのためには本を読んで知識を習得するだけではなく、何度も実践と同じように体を動かしてみることが大事なのだと思いました。そしてまた、救急隊員のように日々の訓練は出来なくても、私達も時々講習などの形で体を動かし、再認識する必要があると感じました。
 AEDは今広く普及しており、人の多く集まるところなら大抵設置してあります。しかし、せっかくのAEDも有効に使われなければ意味がありません。一般の方による一次救命処置が広まっている中で、医療関係者が怠慢ではいけないなと反省させられた講習でもありました。今回の講習は半日ではありましたが非常に有意義なものでした。
 最後になりましたが、講習の開催にあたり朝早くからの準備や指導など、関係者の方々には大変お世話になりました。私達は半日でしたが、皆様には休日の一日仕事だったと思うと頭が下がります。本当に有り難うございました。

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蛍の瓦版〜その12 理事 児玉伸子(こしじ医院)

長岡市の介護保険事情について、市の介護保険課より提供して頂いた資料を中心に御紹介します。

1.長岡市の将来推計人口(図1)
 図1は国立社会保障・人口問題研究所が2013年に発表したものです。一番下の段が19歳以下の未成年者で、次が主たる就労年齢である20〜64歳の成人です。その上は65〜74歳の前期高齢者ですが、この年齢層はまだ元気な方が多く、家庭内労働等に就労されている方も多数います。最上段は75歳以上の後期高齢者で、一人当たりの医療費と介護費用は前期高齢者に比べ、数倍に増加します。
 予測では、長岡市の後期高齢者の増加のピークは2030年で、地域によってかなり差があります。山古志・小国・寺泊地区ではすでにピークを過ぎていますが、その他の大半の地区は2028年から2031年にピークを迎えます。

2.長岡市の世帯状況(表1)
 長岡市の世帯状況を表1に示しました。全国的な傾向ですが、人口減少にもかかわらず世帯数は増加しています。特に高齢者の単身や夫婦だけの世帯が増加しています。

3.長岡市の介護認定者数(表2)
 2007年の数値には川口町は含まれていません。認定率は認定者数を高齢者の人口で除した値です。7年間で重症度には大きな変化はありません。

4.長岡市の介護保険特別会計算出額(表3)
 昨年8月号でも紹介しましたように、後期高齢者の増加に伴い、毎年5%近く増額しています。

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巻末エッセイ〜「クマが出た」の回覧板 郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 風薫る季節の5月日の日曜日の17ことです。勤務に出かけ、午後に帰宅すると、家人がニコニコしながら「ビッグニュースよ。」と言いました。「さっき至急の回覧板で、クマに注意ですって。」「えっ、なんのこと?」「今朝がた、旭岡中学への坂道の通学路、あの途中のお地蔵さんのそばで、クマを見た人がいて、大騒ぎなの。」
 わたしたちが住む町は、長岡の東山の裾野の四百世帯の新興住宅地。常日頃から、冬場の大雪、吹雪も含めて、自然に恵まれています。リスやキジなどは定住し、ときにタヌキやウサギも見かけます。だが、しかし、ですよ、長岡の住宅地で、なんとクマの登場ですぞ!
 翌朝の新潟日報にも『長岡と阿賀でクマ目撃』の記事が掲載されました。……17日午前8時前、長岡市高町の市道にクマ1頭がいるのを、同所の男性が発見した。長岡署によると、クマは体長約1メートル。目撃された場所から最寄りの民家まで約50メートル、……。同署や市は看板を設置するとともにパトロールをするなどして住民に注意を呼び掛けている。……
 今春はそのブナ林で若葉やドングリが例年よりも少なくて、エサ不足で人里に下りてきているものと解説されています。
 ところで、クマは本州以南ではツキノワグマがふつう。かのムツゴロウこと畑正憲さんが飼育したのは北海道の大きいヒグマでした。なんとなく、テレビの動物番組などの刷り込み映像のせいか、クマはいつでも川で鮭をとって食べているイメージがあります。ほんとうのところは、ツキノワグマは、雑食性で植物が主食。そこで現在の主なツキノワグマの生息分布は、中部・東北地方の日本海側では、実はブナ科の落葉広葉樹林の分布域と一致しているんだそうです。これは彼らの食料がこの樹林に主に依存するためです。つまりドングリがクマの重要な食物らしいのです。
 冬眠から覚めた早春には、新芽や若葉、前年のブナやナラ類の実(つまりドングリですな)を食べます。
 今回目撃されたクマが1メートルなら、ほぼ成体でしょう。平均的に体重はオスが80キロ、メスが50キロくらいになるそうです。こんな野生動物に出会えば、恐いですよ。
 なんでもツキノワグマは固定したなわばりをもたないものの、行動圏はほぼ決まった地域なのが原則。ただし高い移動能力があり、ドングリなど食物が不足するとエサを求めて行動圏を広げ、オス個体の行動範囲はなんと100キロ四方(メスはその半分位)と推定されるそうです。食のためにすごい行動力ですね。
 さて新たな目撃情報がないまま、数日が無事に経過し、町内にまた回覧板が回りました。「クマ出没注意」の標題で、(1)クマに出会わないためには?、(2)遭遇してしまったときには? の2ポイントで、呼びかけと解説がありました。ちなみに発信元は今回は『長岡市危機管理防災本部』でした。答の要点は(1)は音を立てての行動と薄暗い時間の外出の回避。(2)では「慌てず、騒がず、そっと下がりましょう! クマは臆病なので立ち去ります。」どこかほほえましい内容でした。
 毎朝のウオーキングに、かの『くま除け鈴』を身に付けるべきでしょうか?ネット通販では洒落た小型鈴「カノン」が四千円前後でしたが、未注文なのであります。

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