長岡市医師会たより No.428 2015.11


もくじ

 表紙絵 「パリの灯」 木村清治(いまい皮膚科医院)
 「臨床医学は純粋実学?」 福本一朗(長岡市小国診療所)
 「老いては益々壮なるべし、老年医学の目指すところ〜その4」田村康二(老人保健施設ぶんすい)
 「会員旅行記〜群馬老神温泉」加辺純雄(田宮病院)
 「英語はおもしろい〜その40」須藤寛人(長岡西病院)
 「蛍の瓦版~その17」 理事 児玉伸子(こしじ医院)
 「巻末エッセイ~鐘が鳴るなり東大寺」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「パリの灯」 木村清治(いまい皮膚科医院)


臨床医学は純粋実学?  福本一朗(長岡市小国診療所)

 2015年6月8日、文部科学大臣は国立大学法人の第3期中期目標・中期計画の作成に際して、法科大学院の見直し・教員養成系学部大学院と人文社会科学系学部大学院の廃止・社会的要請の高い分野への転換取組み・グローバル化推進などの要請について通知した。
  これは平成28〜33年度の第3期中期目標期間には、持続的な競争力を持ち、高い付加価値を生み出す国立大学に発展するため、より戦略性が高く意欲的な目標・計画を積極的に設定し、国立大学法人の組織や業務全般を見直すことを求めたものであるが、これは「いわゆる“虚学”の実学化」を目指したものと考えられる。筆者はこの春長岡技術科学大学を定年となり、四半世紀の大学教員生活に終止符を打った機会に、遅まきながら「虚学と実学、そしてそもそも学問とは何か」を考え始めた矢先のことであった。
  明治以来我が国が規範としている欧米の大学は、もともとは神父(神学部)・弁護士(法学部)・医師(医学部)など専門的職業人を養成する高等教育機関から始まった。このうち神学部はルネッサンス以後学問としての重要性を失い、神学から分かれた哲学・文学・物理学等が発展して行き、かわりに産業革命以後の技術教育の要請が高まって工学部が生まれた。そのためか旧帝大の組織機構図上では東大のように、法学部→医学部→工学部→文学部→理学部の順で学部の“格付け”が行われ、入学式や卒業式においてもこの序列に従って式次第が実施されている。それは福沢諭吉が『学問のすゝめ』(初篇1872)の中で、“人間普通日用に近き実学こそ新しい学問”と主張したように、理論より実用性や技術を重んじて、実際生活に役立つ「実学」を理想主義的にして非実用的な「虚学」の上に置いた従来の伝統に従ったものと考えられる。しかし「実学」の代表である医学が“人間個人”を、法学が人の集まりである“人間社会”を、工学が科学技術を通じての“人間の幸福”を目的としていることは自明のことであり、これに対して「虚学」の代表とされている文学や哲学は、それらの大本である“人間理解”をその主目標としていることを思えば、「虚学なくして実学なし」、この両者は密接に関連し相補的であるといえよう。ただそもそも“実生活に役に立つ”という定義自体が、老子の「無用の用」の思想を持ち出すまでもなく不明瞭で、時と場合に依存しており、さらに近年の原発問題に象徴されるように、本当に“人の役に立つ”ということはどういうことなのか、深い人間理解なくしてはその答えを得ることは不可能であろう。
 人としてこの世に生を受けたからには、少しでも世の中のためになろうと、実学を追い求めて工学部→医学部→法学部を卒業してきたが、浅学非才すべて中途半端に終わってしまった。見果てぬ“実学”への夢を諦めず“虚学”にも目を向けつつ、残された余生を患者さん達の幸せを願って、僻地診療所の臨床に捧げたいと決意する今日この頃である。

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老いては益々壮なるべし、老年医学の目指すところ〜その4 田村康二(老人保健施設ぶんすい)

第4部 健康寿命を延ばす秘訣の続き

ⅱ)IQが高いと、長生きする。逆にのろまは早く死ぬ
A:お前は何で歳にもなって他の80同級生よりも元気で働けるんだ?何が秘訣なんだ?
B:いや、秘訣など別にないね。寝るだけ寝て食べるだけ何でも食べているんだ。そうして働けるから働いているんだ
A:遺伝で恵まれているんだろうな。だから早晩俺のようになるんだろうな
B:俺のIQが高いと云うことが健康寿命が長くなる秘訣なんだろうね
A:好き勝手なことを云うもんだね医師は皆IQが高いと自認している。だから医師相手ではこの話が成立するだろう。長生きに関係する遺伝子の多くは、知能に関係しているという研究成績は多い。統計的にも、IQが高い人ほど長生きする傾向がある。つまり長生きと頭のよさは遺伝子的に関係しているのであろう。なおIQの遺伝性は80%とされている。孫の知能検査で祖父母の寿命が分かるという研究報告もある。普通IQテストをうける孫の11歳のIQが高い祖父母は、長寿の遺伝子を持つ可能性が高いと推定されるのだ。ちなみにIQが高いとは、学校での勉強の良し悪しではなく、勘が鋭い、頭の回転が速い、反応が良いなどのことである。だから学校秀才ではない人だ。特別にねじり鉢巻きで努力をしなくても、成績の良い人のことだ。
 知能指数が高い人は、頭の回転がよい。情報処理の効率が良く身体的なまとまりも良く素早い、そこで長生きする、一方、トロい人は頭が悪い上に早く死ぬ。被験者は1988年にスコットランド在住の1042人、年齢は1988年の調査当時およそ56歳。72歳まで追跡した。男性で反応時間の短い人は1.2倍、知能が低い方が1.4倍、反応時間が長い方が1.4倍死亡率が高かった。(Deary, I. J. & Der, G.(2005). Reaction time explains IQ's association with death. Psychological Science, 16, 64-69)
 なぜ、IQが高いと長生きなのだろうか? 例えば、IQの高い人は良い教育を受けているのかもしれない。実際、教育の程度が高いほどIQも高くなる。あるいは、IQの高い人はよい家庭環境で育っているかもしれない。例えば、社会階級が高いと知能も高くなることが分かっている。
 著者の Deary たちは、IQは脳の機能も含めた身体的な全体のまとまり、即ち生体リズムの調和を適切にできると考えている。身体的に全体に良くまとまっていれば、身体の一部である脳の活動もより優れたものになる。こうして脳の情報処理が優れたものになるのである。例えば、何か単純な作業を素速くこなす事が出来るようになる。この単純な作業の積み重ねの結果として、複雑な知的な処理の効率が増し、ひいてはIQが高くなると考えられる。この身体的なまとまりの良さは当然脳だけでなく、体のあらゆる部分に良い影響を与えるので健康寿命が延びるというわけである。
 病気の約7割は自己の健康管理の不十分さで生じるとされている。ガンでさえもその殆どは、自分で造りだしていることが最近に証明されている。だから賢くなければ、長命はおぼつかないのである。ヒトの進化は進化論で説明されている。その原則は適者生存である。変動する環境に上手く適応できたヒトが生き残り、サルから現代人に進化してきたのだ。つまり人間はのろまでは長生きしないのは、進化の原則に適うことであろう。のろまな人はどうしたら良いか?! IQの高い人を見習い指示に従って暮らすことであろう。

メモ:賢い人は癌にならない
 イギリス、マンチェスター大学生物医学エジプト学KNHセンターの A. Rosalie David, Michael R. Zimmerman 両教授は「ガンは汚染や食事などの環境因子によって引き起こされる現代病で、ヒトによって造り出された可能性が高い」とする研究結果を Nature Reviews Cancer(2010; 10: 728〜733)に発表した。
 数百体のエジプトミイラを調査した結果、1体からしかガンが見つからなかったことや、文献でもガンについての記述がほとんど見つからなかったことから、「古代においてガンはとてもめずらしい病気」と結論した。エジプトミイラで初めて行われた組織学的な診断結果が含まれている。この診断を行ったのはKNHセンターの Zimmerman 教授で古代には手術という治療法がなかったため、古代のミイラがガンになれば必ずその痕跡が残るはずである。ミイラにガンの組織が見つからないということは、古代においてガンはまれな病気だったということを意味しているとしている。古代人は現代人より短命であったためガンが発生しなかった。古代人はガンにかかる前に死んでしまったとする説がある。この説は統計学的には正しいものの、古代エジプトや古代ギリシャの人たちは、動脈硬化や骨粗鬆症などを発症する年齢まで長生きしていた。ガンは産業革命以降劇的に増加し、特に小児ガンで目立つことから、ガンの増加は単に寿命が延びたためだけではないことが考えられる。
 最近加工肉の発がん性がWHOで発表されて、話題になっている。WHOでは既に何百という発癌物質を報告している(IARC Monographs Programme on the Evaluation of Carcinogenic Risksto Humans)それらを知って賢く避けていれば、間違いなくガンで悩む確率は少なくなるだろう。

ⅲ)動脈硬化や高血圧は感染症で生じる
A:同級生の多くが難聴や耳鳴りを訴えているのには、驚いたね。
B:80歳になればそんなものかな。でも老人性難聴は脳動脈硬化症や認知症の初期症状でもあるんだな。
A:脳動脈硬化の予防に良い方法はないものか。
アテローム動脈硬化の発生は複雑だが、さまざまな機序で動脈壁に何度も生じる小さな損傷が主な要因であると考えられている。そうした機序には、血流の乱れ(特に高血圧の人における動脈の分岐部分で起こるものなど)による物理的なストレスや免疫系、特定の感染症、血流の化学的異常(高コレステロール値や糖尿病など)にかかわる炎症性ストレスなどがある。感染症には、細菌(肺炎クラミジアまたはヘリコバクターピロリ)によるものやウイルス(サイトメガロウイルスなど)によるものがある。サイトメガロウイルスの感染は母子感染が基本とされていう。抗体検査では CMV-IgG:既感染者で陽性を示す。日本では成人の90%以上が陽性を示す。感染経路は母乳感染、尿や唾液による水平感染が主経路であり、産道感染、輸血による感染、性行為による感染なども認められている。初感染を受けた乳幼児はほとんどが不顕性感染の形で、その後数年にわたって尿あるいは唾液中にウイルスを排泄する。このことから、保育園などで子供同士の密接な接触によって感染を受けたり、ウイルスを含む尿との接触により感染が成立し高血圧や動脈硬化巣の形成や急性冠症候群の発症には炎症が関与し、その過程においては Interleukin-6(IL-6)や monocyte chemoattractant protein-1(MCP-1)などのサイトカインの発現が重要な働きをしている。動脈硬化性疾患においては、これらサイトカインの発現亢進が認められる。高血圧の発症機序としては、同様に感染症が考えられて居る。
 高血圧や動脈硬化はどうも遺伝ではないようだ。生育期の健康管理が健康長寿の決め手となるらしい。いずれワクチンが開発されてこれらの業病から人は解放され長生きできるようになるだろう。

ⅳ)金持ちは貧乏人よりも長生きする
 金持ちは、貧乏な人よりも長生きするということが科学的に証明された。金持ちは貧乏人よりも長生きするという医学的な証拠がでてきたのだ。幸せで活動的な金持ちが、貧乏というストレスにさいなまれ、非活動的な貧乏人よりも健康寿命が長いのは当然のことだろう。だがそれを医学的に証明したのは、最近のことだ。
 厚労省は、生活保護受給者ほど生活習慣病が重症化するリスクが高いことを明らかにした。収入が低い世帯ほど、野菜を食べず、運動不足の傾向で、肥満率が高い。そして、健康感は、就労にも影響を及ぼすという。こうした生活習慣は、当然、子供にも「負の財産」として相続され、悪循環は続く。そこで貧困は健康格差を広げる負の要因にも当てはまる。
 ロンドン大学の研究グループが50歳以上の成人を対象に実験をした結果、リッチな人々は体内のデヒドロエピアンドロステロンサルフェート(以下DHEA-S)指数が相対的に高いということが判明した。DHEA-Sはホルモンの一種。不足すると肥満、肌荒れ、脱毛、不眠、うつ、免疫力の低下などの症状が出る。逆にDHEA-Sの数値が高いと、気力マンマンで元気モリモリ。趣味も思い切り楽しめて、友人や家族とのコミュニケーションも完璧!となる。経済的にも優位な金持ちは、寿命の面でも優位であると解釈できる。結局、世の中カネなのか?金持ちとは金をもっていることではなくて、持てる金を有効に生かして使える人だろう。金持ちが多いとされている医師が一般人と寿命が同じと云う成績は、俗にいう医者の不養生を実証している。
 貧困は寿命を確実に縮める。年寄の貧困は罪となろう。「貧困は罪なり」とする考えは、宗教的な背景もあり、西欧人の一般的な考えのようだ。しかし日本ではこの肝心の点を、歴史的に常にあいまいにしてきた。
 日本は神代の昔から、神々ですら稲作の肉体労働を余儀なくされてきた貧しい国なのだ。だから死ぬまで働くのが日本人の宿命だろう。そこで生活水準を維持するために、就業している年寄が多いのである。男性の場合60代前半で70.3%、60代後半で46.7%となっており、女性では60代前半40.1%、後半24.0%と、どちらも60代後半になると就業率は低下してはいる。また老いとともに就業意欲が減退するする人々も居ることは、気の毒である。
 藤田孝典氏はその著『下流老人』の中で高齢者が貧困に陥るパターンを五つに大別している。(1)本人の病気や事故により高額な医療費がかかる、(2)高齢者介護施設に入居できない、(3)子どもがワーキングプアや引きこもりで親に寄りかかる、(4)熟年離婚、(5)認知症でも周りに頼れる家族がいない。老後の貧困化を回避するためには、(1)資産の絶えざる自己管理、(2)健康の保持と向上、(3)日々の暮らしの向上、(4)良好な人間関係の維持、(5)医療・福祉制度への知識と理解の少なくとも5つが重要となろう。日頃入所してくる人々と面接していると、人生には思わぬ落とし穴が多いものだと痛感する。そこで様々なパターンを想定して若い時から備えていくことが必要だと思う。(つづく)

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会員旅行記〜群馬老神温泉 加辺純雄(長岡西病院)

 10月17日から週末を利用して1泊2日の医師会旅行に参加してまいりました。最初の参加の年は他の記事を書いたため、レポートをまぬがれましたが、何回も旅行に参加しているのに書いていなかった事から、今回報告する事になりました。
 参加メンバーは太田裕会長以下、明石明夫、大先輩の荒井栄二、大塚武司、川嶋禎之、高橋暁、長尾政之助、中村敬彦、丸山直樹の各先生方と事務局の星さん、そして私の総勢11名でした。参加予定だった草間昭夫、小林徹先生は急な事情で欠席となりました。
 14時半に医師会館を出発したサロンバスは好天の中、快適なツアー(と書きたい所ですが、天気が良かろうが悪かろうが、出発と当時に車内宴会が始まりますので、ほとんど天候とは無関係に進みます。)が始まりました。例年のごとく多数の飲物、ビール6種、お酒9種(下戸の私にはわかりませんが、めったに飲めないような酒が多いとの事)、スパークリングワイン1種、その他8種と合計25種類もが用意されており、これを11人で飲むのですから、どんな状態になるか御想像下さい。
 17時の予定が30分早い16時30分に群馬県老神温泉の仙郷に到着しました。夕食まで時間があるので、全員温泉に入りました。アルカリ単純温泉でさっぱりしていて、今までの会員旅行の中で一度もなかった明るい時間帯での露天風呂の景色も楽しめました。太田会長のあいさつで宴会が始まり、食べきれない程の料理を食べながら各自会話がはずみました。毎年のごとく真面目な話が多く、酒が入るとさらに真面目になる先生もおり、コンパニオンがいても……。カラオケは例年のごとくA先生の独壇場に近く、マイウェイを始め若者の歌までコンパニオンとデュエットで聞かせてくれました。
 コンパニオンにねだられるといやとは言えない会長の許可で、多くの先生方は二次会に向かわれましたが、酒の苦手な私は不参加でしたので、二次会の内容は不明です。私は宴会後にも2回目の温泉に入り、到着時の明るさと異なる暗い露天を楽しみ、早々と眠りました。深夜-早朝3時に目がさめ3回目の温泉に入りましたが、A先生も深夜の温泉に入られ、驚いた事に、山中の真っ暗な中をランニングに行かれました。よく迷子にもならず、怪我もせず戻ったと、皆で感心し(あきれ)たものでした。
 9時に「仙郷」を出発し、『関東好きな道の駅』5年連続1位の「道の駅川場田園プラザ」で試食や買い物を楽しみ、四季折々の花の寺として有名な青龍山吉祥寺に見学に行きました。境内に人工の3つの滝と臥龍庭、真田家の資料を有する宝物殿等見ごたえのある寺でした。次に訪れたのは観光酒蔵「誉国光」です。それほどの大きな酒蔵でもないのに歴代総理大臣の色紙がずらりとかざってありました。ここでは4種類+αの試飲がありましたが、すぐ終わり40分の予定が15分位ですんでしまいました。
 お昼は川場温泉かやぶきの源泉湯宿「悠湯里庵」でいただきました。昼食にしてはかなり多く、全部食べれらた人はだれもいない様子でした。温泉の朝食でお代わりした人も多く、その後試食・試飲さらに昼食の時間が早まった事もあり、むりもありません。
 リンゴ狩りで訪れた原田農園は四季を通じリンゴ、ブドウ、キノコ等多種類のもぎ取りを行っており、多数の観光バスがきていました。もぎ取り食べ放題と言っても朝から食べ続けている腹には一きれ二きれしか入りませんでした。もぎとりのリンゴは一籠に入れられるだけが持ち帰りで、私は5個でしたが、がんばって7個入れた人もおりました。
 長岡への帰途、もりだくさんのスケジュール、食べすぎ満腹、飲み疲れ、楽しかった心地よさもあり、帰りのバスはお休みになっている方が多かったようです。行きと異なり帰りは宴会にならず休息の時間になりました。予定より一時間早く帰着したのですが、手回し良くタクシーが呼んであり(私は家内の車でしたが)、皆さん無事に自宅に帰られたようで、楽しかった医師会旅行も無事終了しました。

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英語はおもしろい〜その40 須藤寛人(長岡西病院)

curettage 掻爬、掻爬術

 curette は curet と同じであるが、研究社新英和中辞典やライフサイエンス辞典をはじめ多くの辞典では、この語がフランス語由来であるためか、ほとんどは curette の項目にある。日本医学会医学用語辞典も curette で、訳は「有窓鋭匙」、「擦過鋭匙」、「キュレット」である。少しわかりやすい説明(「日本語 WordNet」など)は、(1)匙(さじ、ひ)、キュレット(穴の内面やその他の表面より発育物やその他を剥離させるための器具)、(2)子宮などより組織を採るスプーン状の外科器具である。語源は F. curer to cleanse。Dorland's Illustrated Medical Dictionary や Merriam-Webster 大辞典でも curette の方に説明を置いており、curet を variant としている。しかし、米論文では sharp curet(鋭匙)、blunt c.(鈍匙)、suction c.(吸引有窓鋭匙)などと curet が使われる方が多いように見える。
 curette は動詞「掻爬する」としても使われる。ex. "The uterus should be curetted carefully."、"The curetted tissue were sent for pathological examination."など。
 curettage は身体の穴の部分を、その表面を綺麗にするためにキュレットではぎ取ったり(scraping)、削ぎ取ったり(scooping)すること、即ち「掻爬」、「掻爬術」である。"diagnostic curettage"は「診断的掻爬」、intrauterine curettage は「子宮内掻爬」、"suction curettage"、"aspirationc urettage"は「吸引掻爬術」、"medical curettage"は「卵胞ホルモンや黄体ホルモン製剤の投与によって消退出血を生じさせ、子宮内膜の脱落をおこなわせること(surgical curettage に対する語)」としてよく使用される。"endocervical curettage"「頚管掻爬」を行う時には、このために専用につくられた、Kevorkian biopsy curet を使用することが勧められる。
 "dilatation andc urettage(D & C)"は子宮口を開大させて子宮内掻爬を行うことから、流産の処置という意味で、「子宮内清掃術」、「子宮内容除去術」を総称するようになった。1970年アメリカの多くの州で人工妊娠中絶が合法化されて以降、その手術操作は流産の処置術とほとんど同じことから、D & Cは「人工流産手術」も意味するようになっている。
 curettage は産婦人科以外では整形外科の骨の手術に用いられ、また皮膚の低リスクの癌の(掻爬)治療という意味に用いられる。希に、腫瘤の縮小の姑息的手術操作という意味に用いられる(Wikipedia)。共起検索には"ultrasonic bactericidal curettage"、"It was managed with curettage, debridement and antibiotics." や "flap curettage" などとあった。
 curetting も「掻爬」、curettings は「キュレットされた物」、「掻爬物」であるので、diagnostic D & C 後の病理標本の提出用紙には curettings と書かれるのが一般的である。curettement は = curettage「掻爬術」(日本医学会医学用語辞典)とあるが、実際はあまり使われていないようである。
 curettage の発音は、〔略〕、〔略〕、〔略〕と3種類もあり(研究社英和辞典)、かつ難しい。二番目の発音は、「キュラージ」とカタカナ書されよう。

 これからが私のこの語にまつわる思い出である。私の留学時、New York Medical College の産科婦人科学教室の准教授は Sandy Sall MDであった。彼は婦人科腫瘍専門医で、子宮体がんの治療にあたっては全米的にも有名であり、今日まで連綿と続いている権威ある Gynecologic Oncology Group(GOG)の当時のプロトコール作成委員長でもあった。彼の体格は、アメフトの選手かバリトン歌手の様にがっしりしていて、喋り方は大声で一語一語はっきり話すタイプであった。curettage の彼の発音は「キュラーージ」と独特であった。本人も多少は意識して発音していたようではあったが、New Yorkは「ヌーヨーク」で良いとしても、semi-は「セミイ」と発音、たとえば semicoma は「セミイコーマ」で、coitus は「コイタス」であった。Sall 教授は、40〜50人いる教官や attending 医師の中で、私のフルネームを一番正しく発音してくれた。
 ある週末、ニューヨーク市郊外の Yonkers にある Sall 教授の別荘でホームパーティが開かれた。「仮装をしてくるように」とのことであったが、まだ若かった私たち夫婦には良いアイデアが湧かず、浴衣にパーティ用の金髪と銀髪の長い wig をかぶって参加した教授の家に入って驚いたことは、要所要所の照明が日本式の提灯(paper lantern)で統一され、洋室の内窓がすべて障子であった。障子には乾燥させた木の葉や小花などが品よくちりばめられていた。教授は日本趣味であったというわけである。教授自身は金色のタキシードを着て顔を真っ黒に化粧し、若い奥さんはバニー姿で、はちきれんばかりの美貌であった。彼女はあるテレビのニュースキャスターをしていた女性で、二人は当時再婚したばかりであったことを後日知った。教授はレジデントの私に手術助手もさせ、多くの事を教えてくれた。私がレジデントを終わって2年後、教授は Albert Einstein Medical College に次期主任教授を見据えて head hunting された。ところが、1年もしないうちに、教授は心筋梗塞で急死してしまった! 私の先輩で友人の Dr. Ted Goldberg が当時手紙に、「彼は身体の欲する以上のことを欲したと自分は思う」という感想を書いて知らせてくれた。今でも私は curettage という英語に出会うたびに、主任教授を目前にして、50歳に至らずに夭逝した快活な Sandy Sall 教授のことを想い出す。(続く)

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蛍の瓦版~その17 理事 児玉伸子(こしじ医院)

フェニックスネット(在宅医療連携システム)
  長岡版のICT(Information and Communication Technology)が、“長岡在宅フェニックスネット”と名付けられ、運用が始まりました。医師会から会員の皆様に10月30日付けで、試験運用への参加をお願いしたものです。ICTは今年の4月号の瓦版でもご紹介しましたが、パソコンやタブレット端末を用いて、多職種間で情報を共有するシステムのことです。
 厚労省は以前よりICTの導入を推奨し、全国200余か所で試用されていますが、未だ汎用されているものはありません。ICTが広く活用されない主な理由は、情報入力の煩雑さと導入維持費用の高さです。今回のフェニックスネットでは、この問題点の解消を図っています。
 今回の試験運用では、医療機関と訪問看護の連携に目的を絞り、訪問看護ステーションをネットワークの主体としています。訪問看護はこのネットワークを利用することによって、長岡市から無償で端末機を貸与され、看護記録や報告書の作成を行っています。医療機関は、フェニックスネットを利用することで、煩雑な手間を掛けることなく、看護情報をチェックし、指示の追加や情報の提供が可能となります。
 現在市内13か所の訪問看護ステーションの内12か所がフェニックスネットに参加し、そこに登録されている患者数は2000人余です。長岡市全体で介護保険の認定を受けている方は約16000人あり、その中で要介護3以上の重度な方は約45%を占めています。訪問看護の利用者は重度の方であると想定され、概算では要介護3以上の方の30%弱がフェニックスネットに登録され、日々看護記録が更新されていることになります。
 今回フェニックスネットが使用しているソフトはアルム社製のTEAMです。当初は介護系用に開発され、故小山剛さんらがこぶし園での試用を繰り返しながら改良を進めたソフトです。平成25年度からは長岡市が引き継いで、栃尾と越路・小国両地区で医療と介護連携のモデル事業を行ってきました。その経験を基礎に今年度から訪問看護用のソフトが実用化し、フェニックスネットではこのソフトを利用しています。
 今まで他の地域で用いられてきたICTは、大手ソフト会社の開発品が多く、価格も高価で現場の実情に副わないものが多かったようです。アルム社のTEAMは、開発当初から長岡地域と関わった経過もあり、使い勝手が良く価格も安価に抑えることが可能となりました。先日長岡まで視察に来られた名古屋市医師会でも、TEAMの導入によるICTの再活用を検討中とのことです。
 また資金面でも当面は、“地域医療介護総合確保基金(注1)”から、基盤整備のための補助制度が見込まれています。
 長岡市医師会は長岡市や訪問看護ステーション連絡会とともに“長岡在宅フェニックスネット協議会”を立ち上げました。協議会では情報共有の在り方や個人情報の保護等について様々な協議を重ねています。現在は、訪問看護ステーションと診療所等の主治医が主体ですが、次は3病院との連携を模索しています。在宅医療に携わっていられる先生方、訪問看護との日々の情報交換の一助として、電話やファックスに加えICTを利用されては如何でしょうか? 当初は一方通行でも全く問題はありません。ご不明な点がありましたら医師会担当者まで遠慮なく御連絡下さい。

(注1)消費税増税時に設定された新たな財政支援に拠るもので、昨年11月号の瓦版でも紹介しました。

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巻末エッセイ~鐘が鳴るなり東大寺 郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 先月、奈良で学会がありました。紅葉の盛りはまだでした。最近の趣味はわたしは仏像鑑賞、家人は御朱印帳。そんな家人を古都への旅行にと誘い、年休も取って前々日に到着して少し観光もして来ました。
 今回の学会、そして奈良旅行の最終日。翌日は京都で東寺をワンポイント観光してから帰宅の予定。夕食が終わる頃合い、「タクシーの運転手さんが教えてくれた東大寺の鐘突きを聞きに行こうよ。」と家人が言い出しました。夜八時とかで、これから出かけてちょうど間に合う。数日前朝早くホテルの移動に乗ったタクシーの若い運転手の話です。
 「毎日夜に一回だけ東大寺の鐘が鳴らされるのはご存じですか?」
 テレビの何某の初耳学みたいな質問です。もちろん初耳学に認定です。「毎夜八時きっかりに東大寺の鐘楼の大鐘が撞かれます。すぐそばで見られますよ。」
 歩き始めた夜の奈良公園では、鹿もあちこちで寝ています。遠くから笛の音(たぶん誰かが練習中)が響く。迷い子になりそうになりつつも大鐘楼へ到着。照明はなく、月明りを頼りに礎石に座り、定刻を待ちました。闇の中にタクシーが到着、他にも見物客が数名は来たようです。「あっ足音がする。来たわ。」と家人の小声。ひたひたとひとりの人影が鐘楼に昇り、暗闇で踏台を出したり撞木に綱をかける気配です。綱が引かれ、撞木が揺れ、しだいに反動は大きくなり、ついに鐘が撞かれました。ぐおーん。ぐおーん。
 指折り数えると、計18回立て続けに鐘は鳴りました。終えると男性は鐘を固定しなおし、踏み台を片づけると、すばやく戻ってゆきました。後で調べてみると、この鐘突役の男性は、明治時代から川邊家が代々その役を勤めているという。またこの大鐘は高さ4メートル、重量26トン。またその撞木でさえ長さ4.5メートル、重さ約200キロです。
 「鐘の大きさから想像したほど大きな音ではなかったね。天平時代からつづく荘厳な響きだもんねえ。」
 「この旅行で、夜に聞きにきてみてよかった。すごく貴重な体験だったわね。」
 東大寺の境内で鐘楼の大鐘が、日常の営みとしての時の鐘を鳴らす。それをこの目で見て、この耳で聞く。この件はどの観光ガイドにも出ていませんでしたが、現地情報が得られてとても幸運でした。
 ところで、その後に調べてわかった関連の蘊蓄です。これは教科書にも載るような有名な俳句です。柿食えば鐘が鳴るなり……と言えば、法隆寺です。作者は正岡子規。この俳句の前書きにも「法隆寺の茶店に憩いて」とあるそうです。
 明治の記録調査から判明したのは、子規が実際に旅館の対山楼で御所柿を食べて俳句を詠んだ夜に聴こえたのは東大寺の鐘。その夜に子規が詠んだ二句です。

  秋暮るる奈良の旅籠や柿の味

  長き夜や初夜の鐘撞く東大寺

 そしてあの俳句は、この翌日訪れた法隆寺で焼き直して詠んだという説が有力と、昨年12月の産経新聞の地方版「なら再発見」の石田一雄さんのエッセイにありました。
 というわけで、明治の頃も現在も毎日、東大寺の大鐘楼では初夜の時を告げる鐘が撞かれているのです。なお初夜とは仏教方面で使用される一日を六分した時刻法のひとつで夜の八時だそうです。勤行の区切りの時刻で、つい連想する結婚初夜とは無関係ですので、念のため。

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