長岡市医師会たより No.430 2016.1


もくじ

 表紙絵 「小国法末にて」 丸岡 稔(丸岡医院)
 「新年を迎えて」 会長 太田 裕(太田こどもクリニック)
 「新春を詠む
 「老いては益々壮なるべし、老年医学の目指すところ〜その6」 田村康二(老人保健施設ぶんすい)
 「巻末エッセイ〜学会場は能舞台」 郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「小国法末にて」 丸岡 稔(丸岡医院)


新年を迎えて  会長 太田 裕(太田こどもクリニック)

 明けましておめでとうございます。会員の皆様には健やかに新春を迎えられたこととお慶び申し上げます。
 昨年、長寿世界一を誇る日本が、健康寿命においても世界一であることが認められました。これは平和で豊かな日本、医療レベルの高さそしてそれを裏付ける国民皆保険制度によるところが大きいと思われます。現在日本の人口は2008年を境に減少に転じ、少子高齢化においても世界の最先端です。この人口構造の劇的な変化に如何に対応していくかが国の大きな課題であります。つまり団塊の世代が75歳以上となる所謂2025年問題の人口動態の変化にどのように対応するかによって今後の日本の将来が決まっていくものと考えられます。このため国は、医療に関しては、医療介護総合確保推進法に基づき新たに地域医療構想を立ち上げ、地域ごとの人口動態を予測し、実態も勘案し4つの病床区分の割合を決め、それに沿った病床の転換を推し進めようとしています。またその土台となる在宅医療を充実させ、入院を減らそうとしています。そして在宅医療の構築を各郡市医師会に委ねてきました。そのため、郡市医師会では知恵を絞ってシステムの構築に取り組んでいます。
 長岡市医師会では長岡市と共同し地域包括ケア推進協議会を2013年に立ち上げ、在宅医療の検討を行ってきました。その結果、昨年2月にはおおまかな構想が出来上がり、10月より「長岡在宅フェニックスネット」として試験運用を開始しました。このシステムの特徴は、(1)医師、訪問看護師、患者のトライアングルを基本とするが、医師の関与が希薄でも、存続が可能なシステムとする。その為には、ICT(コンピュータネットワークを使った情報通信)を使い訪問看護師の業務を省力化、効率化し、更にレセコンとの連動も可能にする。そして訪問看護ステーションにとってこのシステムが必要不可欠なものとする。また医師は時々自分の患者の情報を確認する程度でもよい。(2)24時間の対応を訪問看護ステーションに担っていただく。(3)後方支援病床の役割を、基本的には救急と同様、三病院の輪番で行っていただく。(4)登録された全ての人の情報を救急隊と二次救急病院でも閲覧できる。
 因みに試験運用が始まってまだ2か月ですが、現在の参加機関の状況は、診療所18、訪問看護ステーション12(看護師80名)です。そして患者の登録数は診療所から208例、訪問看護ステーションからは2099例、介護サービスを含めた全体では3995例が登録されています(一部重複があります)。このネットは今後さらに連携の輪を広げ、参加が予想されているのは、診療所50、病院11、訪問看護ステーション13、包括支援センター11、歯科、薬局10、居宅介護支援事業所50、介護事業所20、消防隊5です。つまり長岡市に巨大な医療ネットワークが出現し、在宅医療と救急の患者データベースが築かれようとしています。このようなシステムが構築できるのは、診診連携、病診連携、病病連携そして行政との連携が非常にうまく回ってきた賜物と思っております。これからも皆様の協力、参加よろしくお願いします。
 次に一昨年より始まりました胃がんのABC検診も順調に推移しており、市民の皆様の受診も倍に増え、胃がんの患者さんも22人見つかっております。また内外の評価も高く、十日町など他の医師会でも採用するところが出てきました。懸案でありました中学生に対するピロリ菌検査と除菌の取り組みが今年度より行われることとなりました。これで長岡市は胃がん撲滅都市を目指すこととなります。
 最後に、伝統ある長岡市医師会をこれまで以上に発展させ、社会に貢献する医師会としていく所存でございますので、会員の皆様のご支援、ご協力よろしくお願いいたします。
 皆様にとりまして飛躍の申年になりますよう祈念して新年の挨拶とさせていただきます。

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新春を詠む

めでたさを 少しはひとに 老の春  荒井紫江(奥弘)

子や孫が 集いて楽し 屠蘇の膳  鳥羽嘉雄

冬の雷 くわらんと天地をとよもせり  十見定雄

しんしんと 降る雪震わす 鐘の音  江部達夫

目の合うて 泣く子笑ふ子 医務始  郡司哲己 (※三日が救急当番)

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老いては益々壮なるべし、老年医学の目指すところ〜その6   田村康二(老人保健施設ぶんすい)

6部「健康寿命を延ばす秘訣」の続き

「奇人変人異人は長生きする」
 奇人は私同様めったに医者に掛からないし、医者は医者で自分のことを必要としない人々に関心を示さない。ついでに言えば人類の大半を占める健常者についての医学的研究は極めて乏しいのだ。
 H医師:先生、教授になられたそうですね。おめでとうございます。
 私:ありがとうございます。
 H医師:先生は入局時から、かわってる異人でいなったからね。変わっていねば、内科教授にはなれんこてね。
 私:医師には割合としては一般社会人より非常識人・変人・奇人・異人が多いと思っています。イスラエルのベン・グリオン大学はWHOの医学教育の実験校です。そこでは高校の内申書がオール5満点の異常に成績の良い受験生は一次予選で落第させるのです。なぜなら医師にはオール5という異常な頭の持ち主は向かないからだというのです。所でH先生、あなたも高校では成績はオール5だったという噂ですよ。
 イギリス人は奇人変人が多い国民として、世界的な定評がある。そこでイギリスで世界最初の奇人の医学研究が行われた(D.ウイークス、J.ジエイムス著、忠平美幸訳、「変わった人たちの気になる日常」、草思社)。この研究では我と思う奇人789人以上を公募して集め、一般の社会的規範に従わないなどの14の定められた基準に合格した人々を研究対象とした。その結果奇人達は平均して8年に1回の割合で医師の診療を受けていたが、これは一般のイギリス人の受診回数よりもはるかに少ない。一般の人々は1年に2回以上は医者の診療をうけているからだ。その理由としては、奇人は幸福だから健康なのである。健康だからこそ長生きするのだろう。
 奇人は周りに同調する必要性を認めないから、ストレスが少ないのだ。免疫系がより効率的に働き、成長ホルモンの分泌を促している。だから老化に関係する病気にかかりにくいだろうと推測されている。この研究では寿命の追跡調査はできていないが、他の研究で奇人は長命であるという証拠はある。
 奇人変人の性格やそれに伴う奇妙な行動は恐らく遺伝であろう。学習で容易に奇人変人になれることはないだろうと思う。だが一般の人々はある程度奇人に見習うことはできるだろう。それが健康長寿の秘訣だと知れば、可能だ。実際問題としては、奇人変人に対して社会が寛容であり格差社会を受け入れるならば、この手の奇人変人は生き生きとして健康長寿を保てるのだ。しかし日本の社会では奇人変人は排除される可能性が多い。(ヨーゼフ・キルシュナー著、野上司訳「人に振り回されずに生きる13の法則」、主婦の友社)
 世界に例をみない医師社会を含めての悪平等の日本の社会では、奇人変人への理解が乏しく彼らにとっては住み心地は良くないのだ。自由・平等・博愛はフランス革命の成果であるが、あのフランス人でさえそれをまともに建前として信奉しているのはせいぜい人口の6割に過ぎない。不自由・不平等・不博愛こそが本音の現実の社会だとする人々が多いのだ。この矛盾が先だってのパリでのイスラム・テロとして現れているのだと理解している。アメリカは実は医師社会でも厳然たる階層社会でありながら、そこに触れるのはタブーとされているのだ。
 だが何でもアメリカを模範としようとするグローバリズムは、今後変わって行くのではないか。(ニューズ・ウィーク日本版編集部著、「アメリカ人異人・変人・奇人」)まあこういう疎外感をすら感じないのが、奇人変人異人なのである。それが健康長寿への1つの道であろう。

()「和して同ぜず」が健康長寿の秘訣だ
 「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」(論語、孔子)とは、すぐれた人物は協調こそはするが、あくまでも主体性を失わず、むやみに同調したりしない。つまらない人物はたやすく同調するが、心から親しくなることはないということである。孔子が生きていたときの平均寿命は定かではないが、日本では縄文時代は35歳程度、1000年以上下った近世の桃山時代ですら「人生五十年」と謡われているほどだから、おそらく平均寿命は40〜50歳ほど、あるいはさらに短かったと考えられる。孔子が73歳の生涯を全うしたというのは、当時では非常に長寿であったと考えられる。現在でも、70歳のことを「古希」と云うが、これは文字通り「古来、まれなり」のことである。しかし儒教的な思いが色濃く残って日本の社会では、未だに規範に従順である協調性を人々に求めているようだ。
 百寿者の研究は多い。そのうちの代表であるのは、田内久名古屋大学名誉教授らの長年にわたる優れた研究成果である。その研究成果によると百寿者の性格の特徴としては(田内久、「百寿者の秘密」、裳華房)、意志が強く頑固、我慢強い、真面目で好奇心がある、会話を楽しむ、くよくよせず自分のことは懸命に自分で行い、働くことが楽しみであるという者が多いとしている。つまり一般的に云う協調性が無い人といえるだろう。すると孔子の思想「和して……」は健康長寿の無難な生き方であり誰もが実行できる生活習慣だろう。
 アンチエイジングを目指す学術団体がある。不老不死を目指しての日本抗加齢医学会が日本でも2010年以来盛んである。老年医学では今の年寄の問題を解決することを目指している。この点が日本抗加齢医学会とは異なる点である。いずれにせよ不老不死は次第に夢では無くなりつつあるのだ。

()恋・セックスすれば健康寿命はのびる。
 「恋や性生活の健康寿命への重要性」を挙げる研究者が、世界中に数多くいることをご存知でしょう。いくつになっても恋愛やセックスができるから元気でいられるのか、それとも元気だからそういうことができるのか……タマゴと鶏のような問題だが、心身の健康のためにも良いことは言うまでもないだろう。

1.老いらくの恋は健康寿命を延ばす
 「墓場に近き老いらくの、恋は怖るる何ものもなし」と、歌人・川田順が詠んだ。この歌から生まれた名言が「おいらくの恋」だ。昭和19年、川田は、京都大学経済学部教授・中川与之助夫人である歌人・鈴鹿俊子と出会い恋をする。短歌を通しての出会いであった。そのなかで家庭環境に問題をもつ俊子は次第に、思いを強めていく。まだ姦通罪が存在していた時期(廃止になったのは昭和22年10月)である。配偶者のある者が、配偶者以外の者と性的関係に陥る罪。昭和22年の刑法一部改正以前はこの183条によって、有夫の婦女が夫以外の男性と性的に関係をもったとき、夫の告訴をまって本罪で処罰された。しかし敗戦という価値観の変動のなかで、恋はさらに高まったのであろう。
 川田は妻を亡くした63歳、一方の俊子は3人の子を持つ36歳だった。その後、川田の自殺未遂や俊子の離婚を経てふたりはついに結婚する。時に川田は68歳、俊子41歳であった。川田や中川は世に知られた存在であったため、巷では羨望と軽蔑とでずいぶんと騒がれた。しかし道徳観や貞操感がもともと希薄な日本では、不貞は広く受け入れられた話だったようだ。そうして川田は84歳、俊子は長寿の99歳まで生きた。
 News Cafe のアリナシコーナーでは「老いらくの恋……アリかナシか」という調査が実施された。結果の67.5%はアリだった、「いいと思う。恋愛に年齢制限なんかないよ」「生きる意欲が湧いてくるなら素敵ではないですか」「茶飲み友達でも寄り添ってくれる人がいれば生きがいになるよ」「自分もそうありたいね。人生が楽しくなれば、それで良し」と答えた。これが当世風の思いであろう。今では不貞、婚外性交、浮気などはすでに珍しいできごとではないようだ。
 米国の高齢者は自由かつオープンに性生活を楽しんでいるように思える。私が師と仰ぐ米国の医師の一人が、Franz Halberg ミネソタ大学教授である。彼は75歳で妻を失ったが、4年後に4歳年下の寡婦の小児科医と再婚した。その後92歳まで元気に研究活動して過ごしたのである。こういう高齢者同士の再婚例は日本ではまだ少ないようだ。日本ではこれまで高齢者の性を否定的に見る風潮があったが、超高齢社会を迎える中で人々の意識も既に変わってきているようだ。
  これに対しておいらくの恋をナシとする人々は32.5%である。「老いたら恋愛をするよりも終活を考える」「やっぱり世間体を考えると有り得ない事です。みっともない」「お年寄りの恋愛沙汰ってドロドロになりやすいから……ナシ」「老いての結婚は介護ですよ」等と言う声もある。両派に共通して寄せられていたのが「何歳から供老いらくの恋僑なのか?」という疑問。川田順が俊子と結婚したのは昭和24年、68歳の時だったそうだが……当時の平均寿命は男性56.20歳、女性59.80歳とある(厚生労働省「簡易生命表」より)。今の歳に換算してみると90歳あたりからが“老いらく”と云えるのかもしれない。
 人を始めとして何事にも捕らわれない自然な暮らし方を良しとするならば、老いらくの恋についてはそれはそれで健康寿命をのばす現代風な行為なのではないか。

2.長生きと性の関係
 フィンランドの研究では、1993〜2002年までの間に心臓発作を起こした人について調べた結果、男女とも既婚者のほうが発作のリスクが低いことが分かった。また心臓発作によって28日以内に亡くなる患者が多いのだが、既婚者のほうが確実に死亡リスクは低かったことも証明されている。その理由として、やはり既婚者には結婚生活の幸福感があることや、食生活に気をつけやすいこと、また何か起きた時にパートナーに気づいてもらいやすいこと、などが挙げられる。イギリスの研究では、45歳〜59歳までの男性を対象に10年間追跡調査をおこなったところ、「性的興奮を得る頻度」が高い男性ほど死亡率が低いという結果が出た。興奮することで自然と心臓が強くなる、という理由も考えられるし、何より性欲は生物としての本能だから、そのまま「生きる力」にもつながるものであろう。生涯、性経験のないままご長寿として君臨している人もいるので、すべてに当てはまるわけではないが、生きる活力を得るためにもできる限り性生活や恋愛を忘れないお達者老人でいたいものだ。(つづく)

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巻末エッセイ〜学会場は能舞台 郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 前回は昨秋奈良で学会があり、夜の東大寺の鐘楼で実際に突かれる時の鐘を聞いた話に触れました。今回はその続編です。じつは開催された学会の会場が驚きでした。まずは名前が長いことからすごいです。なんと「奈良春日野国際フォーラム 甍〜I・RA・KA〜」ですって。なんでも一昨年までの旧名はシンプルな「奈良県新公会堂」を昨春に変更したばかりでした。奈良公園の地続きで、春日大社にも隣接した地域にあります。美しい外観はその名に恥じぬ天平風瓦葺きの和風寄せ棟造り。でもホテルからタクシーに乗って、「えーっと、春日野の国際なんちゃら……」などと行き先を告げるのも一苦労でした。「ああ国際フォーラムですね。」さいわいに現地では略称で定着しかけており、やれやれひと安心。

 たしかフォーラムとは古代ローマの集会用広場に由来する会議場をさす片仮名英語。さらに現在は転じて公開討論会そのもの、またはある主張の組織の名称(反戦フォーラムなど)にも使われますね。

 「国際フォーラム」ならわれわれには東京駅そばがおなじみですが、どこの地方でもかまわないわけです。ちなみにライバルのお隣さんは「京都国際会館」と事務的な命名です。

 さてこの奈良の国際フォーラムなる学会の会場が驚きでした。(各分科会は内部の数カ所の会議室に別れて進行でまあふつう。)ところがメインの大講堂の設えがなんと能楽ホールなのでした。

 会場に入ると豊かな木の香りが漂い、見あげると天井が木組み。また全席ソファ仕立ての椅子席もゆったりした雰囲気でした。

 講演の発表者の演台や座長席は能舞台の上に設置。最新の分子レベルの学説のスライド画像の左手に渡り廊下や例の背景の松が見えるという珍光景でした。ちなみに相撲土俵と同様に、能舞台も土足禁止のようでして、各演者はみな靴を脱ぎスリッパで登壇しておられました。

 さすがまほろばの古き都、奈良の学会ですなあ。

 ところでこの学会を機会にもう一つうれしいことがありました。学会の最終日は土曜日で、さいわい午後は早めに終了、急いで家人と待ち合わせの興福寺南円堂へ。道中で携帯電話(もちろん旧型)のメールをチエックします。午前中は御朱印帳片手にひとり、般若寺と大安寺に参拝した家人から二通着信ありです。

 「早めに南円堂に到着、すでに御朱印帳にいただく記帳もすみ、入り口前で待機中。」とのこと。「もうけっこう行列待ち。早く来てね。」

 その前夜のこと。ホテルで観光ガイド本を見ていたら、「年に一度10月17日だけの特別公開」のめったにない記載に気づきました。

 「うん? 明日じゃないの。」

 それがこの興福寺の南円堂の開扉。午後早めで学会日程終了、翌朝には出発し京都経由で帰路の新幹線の日程。ぴたり午後で間に合います。なんという巡りあわせ、まさに観音様のお導きでしょうか?(夫婦ともまったく信心深くはありませんが。)ふだん非公開の御本尊の不空羂索観音像が年に一日だけ拝観できるのです。かの運慶の父である康慶の一門作という巨大な観音像です。

 秋の夕の日差しの中、大きく開扉された南円堂。堂の中央の大きな観音の立像の周囲を行列でぐるり回って拝観できました。旅行者には一期一会の巡り合わせでした。……今年はその御利益があるとよいです。

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