長岡市医師会たより No.445 2017.4


もくじ

 表紙絵 「妙高早春(杉野沢)」 丸岡稔(丸岡医院)
 「ウルトラマラソン〜初挑戦、60km完走記」 大和靖(長岡赤十字病院)
 「相互的地域支援を前進させる“ちょっとヘルプシステム”の提案」 直井孝二(悠遊健康村病院)
 「救命処置を学ぶ半日コースに参加して」 草間昭夫(草間医院)
 「BSL講習に参加して」 大関康志(黒条内科・消化器科クリニック)
 「研修に参加して」 佐藤祐子(こしじ医院:デイサービス看護師)
 「性暴力・性犯罪被害者ワンストップ支援センターをご存じですか?」 小林眞紀子(小林真紀子レディースクリニック)
 「蛍の瓦版〜その31」 理事 児玉伸子(こしじ医院)
 「巻末エッセイ〜温暖化」江部達夫(江部医院)



「妙高早春(杉野沢)」 丸岡 稔(丸岡医院)


ウルトラマラソン〜初挑戦、60km完走記  大和 靖(長岡赤十字病院)

 ウルトラマラソンとは、フルマラソンを超える距離を走るマラソンのことで、主に50〜100kmの距離で行われます。昨年、10月9日に上越市で開催された「えちご・くびき野100kmマラソン」の60kmの部にウルトラ初挑戦してきました。この大会は2年に1度開催され、そのホスピタリティの素晴らしさから、全国的にも評価の高い大会です。
 前日の10月8日に直江津へ移動し、翌朝3時半頃起床すると、土砂降りの雨です。雨は強弱を繰り返しながら降り続き、結局1日中雨でした。上越リージョンプラザに行き、午前5時30分に100kmの部のスタートを見送りました。これから半日に亘る辛い走りが待っているのに、みんな笑顔でスタートしていきます。100kmと60kmは全く異なったコース設定で、ゴールのみ同じ場所です。60kmの部参加者は、ここからシャトルバスでスタート地点の「うみてらす名立」へ移動します 。雨が降り続くなか、午前8時に60kmの部がスタートしました。名立の集落では、応援の人たちが各自小旗を持って応援し、そこにランナーの名前が1人ずつ書いてあります。ランナー達は、自分の名前を探してキョロキョロしながら走っています。私の旗は残念ながら発見できませんでしたが、幸運にも自分の名前を発見し、旗をもらって走る人もいました。
 その後は、海に沿って東へ進みます。幸い追い風で、自分の設定ペースである1キロ6分よりやや早いペースとなりました。16kmほどで海から離れ、直江津の街に入ります。直江津の人達の応援は熱狂的で、給水はもちろん、笛や太鼓の演奏、祭り用の大きな屋台も繰り出し、ランナーを鼓舞してくれます。完走祈願の八坂神社のお札ももらいました。直江津を抜け、春日山の途中まで登って下り、次は最大の難関、金谷山スキー場への登りです。高度差は余りありませんが、勾配が急で歩いているランナーもいます。登りきると30kmのレストエイドで、給水のほか、おにぎり、笹団子、名物スキー汁などが頂けます。その後、高田の繁華街を抜け、高田公園に入り、三重櫓を見ながら堀にかかる橋を渡ります。高田の街を抜けると、田園地帯です。前島記念館が40km、雪中梅の丸山酒造が49km地点で、ここでは美味しい甘酒を頂きました。最後の10kmになるとランナーは完全にばらけた状態となり、前後にランナーが全く見えず、コースを間違えたのかと一時不安になりました。残り5kmからは少しペースを上げ、あと1kmになるとゴールのアナウンスが聞こえてきました。ゴール前には中学生達が並んで出迎え、ハイタッチをしてゴールしました。記録は5時間56分36秒で、目標の6時間切りは達成しました。
 さて、ここからが「くびき野マラソン」の真骨頂です。ゴールすると立派な完走メダルを首に掛けてくれて、中学生2〜3人が担当となり、空いている席に案内してくれます。席に座ると、毛布を掛けてくれ、タイム計測用のチップを外してくれて、ゼッケンを渡すと完走証を持ってきてくれます。さらに、注文を聞いて、トン汁やお粥、飲み物を持ってきてくれます。この間、自分は席に座ったままで、まるでVIP待遇です。こんな「おもてなし」をしてくれる大会は他にありません。中学生にお礼を言って、預けた荷物の受け取り場所へ近づくと、係の中学生がゼッケンを確認し、受け取り場所に着くとすでに自分の荷物が出ていました。素晴らしい連携プレーです。着替えてから再びゴール地点へ向かいます。この時間ですと、100kmは10時間前後のタイムで完走する実力のあるランナーですので、ゴール後も淡々とした感じで、涙を流したり、ゴール後倒れ込んだりする人はいません。これが、制限時間ぎりぎりの13時間当たりになると、感動・感激のゴールシーンが見られるのでしょう。
 さて、今回初めてのウルトラマラソンで無事に60kmを走破したわけですが、やはり次は100kmを走ってみたいという気持ちが湧いてきます。100kmを走るならこの「くびき野100km」と決めていますが、この大会は1年おきの開催です。次回は2018年10月、当然自分も齢をとるわけで、64歳での100km初挑戦となります。2年後にまだ100kmを走る力があるのか不安はありますが、地道に日々の鍛錬を続けていくしかありません。60kmのさらに先にある遠いゴールを目指して、すでにレースは始まっているのです

目次に戻る


相互的地域支援を前進させる「ちょっとヘルプシステム」の提案   直井孝二(悠遊健康村病院)

 本誌第441号(平成28年12月)において、認知症者が住み慣れた地域で安心して暮らすための「ちょっとヘルプシステム」を提案しましたが、抽象的で分かりにくいというご意見をいくつかいただきました。実は私自身ももどかしくてその後も頭を絞っていたのですが、ようやく“溜飲を下げていただける”アイデアがまとまりましたので、再度投稿いたします。尚、認知症に限定した内容となっていますが、他の要支援者や精神・知的障害者にまで対象を広げることを前提にしております。以下、本文です。

 認知症サポーター養成等の人材育成は順調に進み認知症カフェなど多様な支援を提供する場も増えているが、地域において認知症者の日常生活に寄り添って適確な支援を提供するシステムは未だ整備されておらず、800万人のサポーターの多くが力を発揮できずにいる。一方過疎地域では、認知症者が行く商店に家族があらかじめ事情を説明して協力を仰ぐ(つまり口頭で支援関係を結ぶ)方法で、互助的な支援は以前からごく普通に行われている。筆者は、この「口頭(人力)による手続き」の難しさこそ地域支援の“実践”を停滞させている最大要因であり、その打開が2025年に向けた課題であると強く感じている。
 ところで、ビーコンは Bluetooth 機能を用いた情報通信システムであり、現在、膨大な数の企業が様々な製品を開発・販売している。例えば商店では小型発信器が付近の受信機(スマートフォン)にキャンペーン情報を流して集客し、会社では社員の所在や製品の管理・動線分析、ほか遭難者や徘徊者、盗難・紛失物の捜索にも利用されている。地域支援に関しては、現在箕面市が1万人規模で児童見守りシステムを検証(高齢者は順次実施)しているように、効果を実証する段階に入っている。
 そこで筆者は思いついた。「受信機としてスマートフォンを使うなら、いっそビーコンとケータイ機能をウンッ!と合体させてしまえばよい。」そうすれば、
(1)支援を承諾した者がビーコンを持ち(コイン大なので靴への挿入も可能)、登録済受信機を持つ支援者以外に知られることなく、匿名で支援を受けることができる。
(2)支援者は商店などの屋内や交通機関内において、対象者の位置を把握して、その場で即、支援を実施できる(ビーコンの電波が届く10〜20mの範囲内に受信機が3個以上あれば、位置を特定できます)。
(3)支援者は家族に対し音声やメールで支援状況を送信して情報を共有し、家族はそれに応え「計算が苦手なので小銭を数えて下さい。」「○○○と話しかけると理解しやすいです。」など、対象者の支援ポイントを支援者の受信機に随時更新して表示する。支援の実際は“ちょっとした声掛けや手助け”に過ぎないが、この双方向システムによって初めて、支援者は安心して積極的に適確な支援を提供することができ、対象者はパターン化された分かりやすくて安心な支援を受けることができるようになる。また当事者同士の話し合いも活発化して、結果 BPSD(行動・心理症状)の多くが防止される。
(4)必要時には、家族や支援者は対象者の居場所をリアルタイムに把握することができる(この部分が従来の徘徊検知システムである。余談になるが、ビーコンは通信距離が短いため屋外では膨大な数の受信機を要し、GPSはその大きさゆえ外されがちなのであるから、徘徊者に対しては携帯電話等の緊急情報システムで広報を行い、住民全員で一斉捜索するのが基本であろう)。
(5)Wi-Fi環境では受信機として、不用になったスマートフォンを利用できるので支援者の経済的負担は軽く、設置も置くか持ち歩くだけなので容易である。
という、極めて有効かつ安価な地域支援システムを構成できる。
 本システムの特徴は、(1)〜(4)に示したように「口頭(人力)による手続き」を、機器が理想的な形で仲介している点にある。この段階が円滑に進むことで地域支援は飛躍的に前進し、連帯意識は自ずと拡大してやがて互助支援体制を確立する、と筆者は考える。そして日々現場から持ち上がる(それは予防や早期発見といった内容を自ずと含むであろう)様々な課題への対応と教育は、認知症指導者にとって新たで確かな手応えのある任務となる。

 以上如何でしょうか。互助的地域支援体制の構築にあたり、少しでもお役に立てれば幸いです。

【編集部注】本稿の著者である直井孝二先生は、悠遊健康村病院のスタッフで構成する「認知症初期集中支援チーム」の一員です。これは、2年前に始まった地域医療介護総合確保基金から予算化された事業で、昨年度は15件の実績がありました。多岐にわたる様々な問題が顕在化した認知症患者さんに対し、医療・介護・福祉の専門家がチームとして活動し、本人や家族を支えてゆく道筋を付けてゆく事業です。認知症患者さんで対応に難渋するケースがあれば、是非その旨を地域包括支援センター御相談下さい。(児玉記)

目次に戻る


救命処置を学ぶ半日コースに参加して   草間昭夫(草間医院)

 3月5日(日)、長岡赤十字病院看護専門学校講堂にて長岡市医師会BLS(Basic LifeS upport)講習会に参加いたしました。
 当日の受講者数は午前23名、午後17名の計40名でした。うち医師は私を含めて4名でした。日赤職員の他、指導資格を持つ県内のボランティアの方々が、会場準備から一日をかけての指導とに携わって頂いたことに感謝申し上げます。
 救急科の小林和紀先生から「CPRとAEDの基礎知識」についてご講義を頂いた後4人ずつに分かれ、それぞれにCPR人形を使い実践練習をしました、町の中で遭遇した救急救命処置が必要な人に対して、一人で、または複数人での対応の仕方をご指導いただきました。交代とはいえ数分にわたる有効な心臓マッサージをすることは、かなりの身体的負担でした。翌日か2日後に筋肉痛が必発と思われました。
 当院の職員も3人が出席しましたので、私が診療中に倒れても協力して助けてくれそうです。チームについてくださったインストラクターの方も「無理をしないで」と優しく接してくださり、「このような機会は初めてですか?」と声をかけられた時、「人形では初めてです」と答えてしまいました。心臓マッサージ、マスクでの送気に「お上手ですね」と声をかけていただき恐縮しました。
 JRC蘇生ガイドライン2015では胸骨圧迫の深さが約5cmで6cmを超えない。回数は毎分100〜120回と決められました。どれが正しいかは体感してみないとわからないかもしれません。
 「医院の外来部門で気づいた不安定な患者への対応」について、初期ABCD(バイタルを確認する方法)を用い観察ののち、必要ならO(酸素)、M(モニター)、I(ライン確保)を準備し、応援要請をするという対応を学びました。伝わりやすい報告の方法としてS(状況)、B(背景)、A(評価)、R(提案)をわかりやすく伝えるようにとご指示がありました。
 患者情報の収集では S:Sympton, A:Allergies, M:Medications, P:PastHistory, Pregnancy, L:LastOralIntake, E:EventsPrior ≫ SAMPLE を意識して集めることが重要とのことでした。異物による気道閉塞に対する対処法も教えていただきました。成人の場合は背後に回ってハイムリッヒ法をすることはわかっていましたが、具体的にどのように不安を与えずに対応するかということを実際の模擬対応をもって学ぶことができました。乳児の場合は思いの外、強く背中を殴打するのでびっくりしましたが、取れなければ死に直結する緊急処置なのだと実感いたしました。
 短い時間でしたがよく構成されたわかりやすい、かつ内容の濃い講習会でした。多くの会員の皆様の2度目3度目の受講が、救急医療への意識を高めることに有効かと思いました。
 余談ですが、小生、筋肉痛が全く起きなかったのですが。心臓マッサージの体位と力の加える方向が、そば打ちに似ているからではないかと思いました。つい先日も大量にそば打ちをいたしましたので準備が整っていたのかもしれません。

 目次に戻る


BSL講習に参加して   大関康志(黒条内科・消化器科クリニック)

 去る3月5日、長岡市医師会主催のBLS半日コースを受講して参りました。
 今回が長岡市医師会報への初投稿であり、この場を借りてまずはご挨拶させて下さい。
 私は昨年3月末までの6年間勤務した立川綜合病院消化器内科を退職し、5月より父の黒条内科診療所を継承いたしました。名称は父の地域医療への熱い思いがこもった“黒条内科”は残しつつ、少しでも専門性を生かせればとの願いから、“黒条内科・消化器クリニック”としました。やや長い名称になってしまい恐縮ですが今後ともよろしくお願いします。
 さて、本題に移ります。
 当日は当院の看護師2名と共に受講予定でしたが、その両名ともインフルエンザ疑いにて欠席となるハプニングから始まりました。ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした。BLS講習は新潟市民病院研修医時代に受講した事があったので、数名のグループで行うことは知っていました。一人で人形相手に心マッサージをする事になるのかと不安がよぎりましたが、幸い講習会スタッフの方々のご配慮で山古志診療所の安達さん、星野さんとご一緒させていただくことができました。
 講習会は長岡赤十字病院救急科小林先生の講義から始まりました。私が研修医時代に習ったのは2000年ですが、改めて歳をとったものだと実感します。
 その時はアメリカ心臓協会(AHA)に基づき、胸骨圧迫15回+人工呼吸2回と記憶しています。確かその数年後にガイドラインが改訂され循環確保に重きをおき、胸骨圧迫30回+人工呼吸2回へ変更されました。AEDについては記憶が曖昧ですが、当時はまだ医療現場でも一般的では無かった気がします。他のアルゴリズムは大きな変更はなく小林先生の分かりやすい講義のおかげもあり比較的スムースに理解できました。
 講義終了後、実践です。我らのグループは佐伯先生の指導の下、訓練に入りました。今回の講習では携帯用フェイスシールドを使った人工呼吸からポケットマスク、バッグバルブマスクを使用した幅広い方法を実践できました。正しい心マッサージの方法も佐伯先生のご指導をいただき再確認できました。AEDはあまり使用経験が無く大変勉強になりました。
 勤務医時代は救急外来などの医療機械、スタッフの整った場所での心停止患者に遭遇する機会は数多くありましたが、日常生活で遭遇する機会は通常それ程多くは無いと思います。私の場合、今まで3回ほど経験があります。1回目は医学部学生時代でしたが、その頃は到底CPRを実践する知識も度胸も無く何の役にも立ちませんでした。
 2回目は初めてのBLS講習を受けて数年後でした。数名の先輩医師と六日町の温泉旅館に宿泊していた時の事です。前日にしこたま飲んだ明け方、宿の方からの内線電話で起こされました。
『朝早く申し訳ありません。お客様方、医療関係者の方ですよね?』
 嫌な予感がしました。
 『ハイ……何かありましたか?』
 『実は、他の宿泊中のお客様で具合が悪い方がいるのですが診ていただけませんか?』
 予感的中。
 先輩と共に宿のスタッフに案内されその部屋に伺うと、80歳くらいの女性が仰向けに横たわっていました。明らかに顔色も悪く、微動だにしておらず、見た瞬間に心肺停止患者と察しられました。女性に触れると、すでに冷たくなっており救命は困難であると感じましたが、BLS講習会で習ったことを思い出しCPRを直ちに開始。今回も頂きましたが、人工呼吸用の携帯用フェイスシールドをキーホルダーにつけておいたのでここぞとばかりに使用しました。確か、数セットCPRを先輩医師と共に行いましたが全く反応せず。残念ながら救命はできませんでしたが、訓練のおかげで何とか恥ずかしくない一通りの処置は行えました。
 3回目は数年前の親戚の葬儀での事です。参列していた60代の男性でしたが、焼香をすませて私の数列後ろの自席に戻った後、しばらくしてから大イビキをかき始めました。静まりかえった会場にお坊様の御経以上に響き渡る大音量のイビキで異様さを感じていました。
 しばらくすると、そのイビキもとまったのですが様子がおかしい。駆け寄ると座位のまま眼球は上転し呼吸もしていない。呼びかけにも反応無く、直ちに救急車を手配し、別室でCPRを開始しました。AEDは残念ながらその会場にはありませんでした。まさかこのような事態に再び遭遇するとも思ってなく、フェイスシールドは持っておらず。遠い親戚でしたがさすがに“マウストゥーマウス”は抵抗があったので、ハンカチ一枚を挟み人工呼吸を行いました。親戚の中に救命士もおり、2人で比較的有効なCPRが行えたと思いますが、脈拍は微弱ながら戻ったものの自発呼吸は再開せず。その後、救急病院に搬送されましたが残念ながらこの方も救命できませんでした。後に聞くと急性大動脈解離だったようです。
 今回の講習を受けて改めて一刻を争って、正しいCPRを開始することの大切さを学びました。
 私は残念ながら医療機関外での救命経験はありませんが、またいつ何時心肺停止患者に出会うか分かりません。一医師として一市民として目の前の人が倒れたら今回の経験を実践し今度こそは救命したいと思います。
 一緒に勉強した山古志診療所安達さん、星野さん、また休日にもかかわらずご指導いただいたグループインストラクターの佐伯先生、日赤スタッフの方、救急隊員、長岡市医師会の皆様に感謝いたします。

 目次に戻る


研修に参加して   佐藤祐子(こしじ医院:デイサービス看護師)

 今回「救命処置を学ぶ半日コース」を受講した。
 救命処置の研修は久しぶりで、AEDは「初めまして……」であった。
 AEDは2004年から一般市民の使用が許可され、2006年から普及し始めた。今では、スーパーや学校、駅などあちこちにAEDの表示を見かける。それを考えると前回の研修は年以上前……救命処置の研修はホントに久しぶりだ。
 講義はガイドライン2015から成人のBLSアルゴリズムを学んだ。様子のおかしい人を発見、正常な呼吸がないなら、心停止と判断し応援要請しCPRを開始。人工呼吸を躊躇する場合は胸骨圧迫だけも有効。胸骨圧迫時のポイントは、強く(胸骨の戻りを確認)速く(100〜120回/分)絶え間なく……知らないことが多かった。
 実技では、受講者3〜4人に指導者1人。聞きづらい事も直ぐ聞く事ができ良かった。指導者からCPR時の確認や指導、AEDの使用手順を行うが、見るのと実施するのはおお違い。私は、幸いにも現在の職場である介護保険施設での救命処置を行ったことはないが、今後も絶対ないと言えない。職種関係なくみんなが知識、技術を習得すれば心強い。
 この研修後に思ったことは、蘇生してほしくない人はどうするのかということ。そもそも蘇生意思表示なんてあるのか?それこそ余計な心配かもしれないが……。とりあえず家族に蘇生の希望を聞き、個人の意向を家族で共有できた。
 この研修に参加したからこそ、色々考えることができた。ありがとうございました。

 目次に戻る


「性暴力・性犯罪被害者ワンストップ支援センター」をご存知ですか?   小林眞紀子(小林真紀子レディースクリニック)

 昨年12月1日から“性暴力・性犯12罪被害者ワンストップ支援センター”が稼働を始めました。ワンストップ支援センターではホットライン(専用電話)を設置し、相談員が対応します。相談員は約3か月間の養成講座を受講し、さらに面接試験に合格した30人の女性です。
 性暴力被害者は、被害直後から医療機関、捜査機関、相談機関等に自ら足を運び、その都度、自分が体験した被害について話さなければならず、時には2次被害を受けることもあるなど、深刻な状況が生じる事もあります。「ワンストップ支援センター」は被害直後から被害者の安全を確保し、寄り添いながら被害者のために可能な限り総合的な支援を行います。また、性暴力被害者にとって産婦人科医療が果たす役割も非常に大きく、県内では約70の医療機関が産婦人科医会の指定を受け、協力体制をとっております。
 私たちの命は何億もの戦いの中から選ばれた奇跡のようなものです。そのひとつひとつの命は常に大切にされなくてはなりません。
 性暴力は“魂の殺人”とも呼ばれております。その被害がもたらす衝撃と影響は、はかり知れないものがあります。それは決して遠い所で起こっているわけでもなく、だれもが性暴力の被害者になりえます。
 内閣府の調査によれば、性暴力被害者の67.5%がどこにも相談していません。(平成27年版内閣府男女共同参画白書)
 数年前に私がかかわった“母親による嬰児殺害事件”がありますが、加害者の女性は妊娠していることを誰にも相談できずに悩み続けていたとの事でした。逮捕後「これで嘘をつかなくてもよくなりました。ありがとうございました。」との手紙が私の元に届きました。
 “性暴力・性犯罪被害者ワンストップ支援センター”は性犯罪被害者に寄り添う事はもちろんの事、加害者になることもストップできるかも知れません。

 話してみませんか?あなたのせつない気持ちを!ホットライン(専用電話)025−281−1020(秘密厳守・相談無料)

 目次に戻る


蛍の瓦版〜その31 理事 児玉伸子(長岡中央綜合病院)

 医療情報システム “長岡フェニックスネット(仮称)”

 一昨年から本格運用を開始した長岡版ICT(Information and Communication Technology)である“長岡在宅フェニックスネット”に加え、今春から病院間で医療情報の共有を行う医療情報システム“長岡フェニックスネット(仮称)”構想があります。これは長岡市医師会が、総務省が募集した“クラウド型EHR(Electric Health Record 個人健康記録)高度化補助事業”に応募し、採用されたものです。全国で30件の応募から16件が選ばれ、当医師会には約6千4百万円の補助金が交付される予定です。
 高齢者が増加する’25年問題に備え、政府では限られた医療介護資源を効率よく管理・運用するための手段として、IT(Information Technology)の活用を目指しています。一般にITを活用することで情報の管理活用は容易となりますが、新規の導入には少なからぬコストと労力を必要とし、導入以降もシステムの維持にコストが掛かります。そのため厚労省では、医療情報のIT化に対して診療報酬上の優遇点数を設けたり、算定要項にIT化を加える等の施策で医療機関におけるIT導入を促進してきました。
 更なるITの活用として、多施設間の情報共有があり、“長岡在宅フェニックスネット”もその一つです。面談や郵便・電話のような従来の情報交換に加えてタブレット等のIT機器を活用します。これによって主治医や訪問看護だけでなく、介護の関係者も含めて瞬時に広く容易に情報共有を行うことを目的としています。
 今回総務省が募集した“クラウド型EHR高度化補助事業”も、目的にICTの活用による医療介護の効率化とそれに伴う新たな産業の育成を謳っています。クラウド型EHRシステムとは、サーバーに集約したEHR(個人健康記録)を他の端末からも利用可能として、情報を共有するシステムです 。
 当初は救急の二次病院である長岡赤十字病院・長岡中央綜合病院・立川綜合病院の3病院とサーバーを結び、サーバーを介して予め同意を得た方々のEHR(個人健康記録)を他の病院からも利用可能とする計画です。サーバーに共有するEHRの内容は各病院の方針に沿って限定し、参加する病院を順次増やしてゆく意向です。7対1病棟・200床以上の10対1病棟・地域包括ケア病棟では、その算定要項に診療録の電子的な管理があり、これらの病棟では診療情報の読み込みは容易に行えます。
 現在サーバーの選定作業中ですが、決まり次第御報告する所存です。

 目次に戻る


巻末エッセイ〜温暖化  江部達夫(江部医院)

 大寒の氷柱は遠き思い出に

 子供の頃の思い出。一月寒さが厳しくなると、屋根に氷柱ができ、日増しに大きくなっていった。ある日出入りの大工が大きな氷柱を鉄の棒で叩き割ってしまった。どこまで大きくなるか毎日楽しみにしていたので、がっかりしたことがある。

 昭和五十七年春、長岡市内に住宅を建てた。この年の冬は寒く、クリスマスの頃から降り始めた雪で久しぶりの大雪に。五十八年の大寒の頃、屋根に大きな氷柱ができていた。病院勤務で忙しく、氷柱が大きくなって行くさまを見ていなかった。

 ある晩居間の軒先で雷のような大きな音がした。窓を開けて見ると、氷柱が屋根の軒瓦一列と一緒に崩れ落ちていた。大きく重くなった氷柱が凍りついた瓦と雨樋を巻き込んで落ちたのだ。子供の頃大工が大氷柱を叩き割ったことを思い出した。

 長岡は昭和五十七年から三年間、大雪と寒い冬が続いたが、その後は二メートルを越す大雪はなく、平成になると屋根の大氷柱も見ることはなくなった。今年の冬は小さな氷柱さえできなかった。

 この温暖化、暖冬を喜んでばかりはいられない。地球規模で異常気象による災害が起きている。日本列島だけでも豪雨による河川の氾濫、堤防決壊、山崩れが各地で発生、田畑や住宅に被害、多くの死者を出している。台風は大型化、今まで台風被害のなかった北海道で昨年八月には大被害を出している。夏には四十度近い猛暑が農業に悪影響を。

 動物の生態にも変化が起きている。雪の多い新潟にはかってイノシシは棲んでいなかった。十年前から県内にもイノシシが姿を見せるようになり、今では増加の一途、県内各地で農作物に害を与えている。

 私の友人に長岡猟友会の会長がいる。今までは冬の鴨猟が主であったが、四、五年来あちこちの農協からイノシシ駆除の依頼が来ていると。お陰で冬場はぼたん鍋を楽しんでいる。冬のイノシシは脂がのって旨い。

 海水温の上昇は魚にも影響を与えている。高級魚のノドグロ、南方系の魚で昭和には新潟県が北限であったが、今では青森県でも獲れている。

 北海道ではサケの定置網にブリが上り、サケの漁獲量は減少に。新潟県の河川でもサケは年々減っており、春のサクラマスの遡上は殆ど見られなくなった。私は荒川のマス網の漁業権を持っているが、この数年一匹も獲れていない。

 北海道や三陸に押し寄せる秋のサンマも激滅し、この冬はヤリイカも貴重品になってしまった。

 岩波新書に鬼頭昭雄著「異常気象と地球温暖化」がある。“異常が普通になっていく”と云う。人類が作り出す温室効果ガスを削減させない限り、現在の温暖化現象は防げない。

 京都議定書やパリ協定など結んでも大国のエゴで温室効果ガスの削減は困難。米国のトランプ新大統領は車や工場の排気ガスは温暖化に影響していないと云い切っている。中国も自国第一主義、北京に青空はなくても良いというのだろうか。

 多くの生物は地球環境の変化の中で亡び、進化して来た。現存する生物は自然環境の変化や、人間が作り出した放射性物質、汚染物質などの影響を受けて変わってゆくのだろう。

 日本人には四季が必要だ。雪のない越新潟よりも、冬には雪のある新潟であって欲しいもの。厳しい寒さで身が引きしまる冬があってこそ、越長岡は存在感があるのでは。とにかく温暖化を防がなくてはならぬ。

 暖冬に氷柱見ぬまま春迎え

(平成二十九年春)

 目次に戻る