長岡市医師会たより No.453 2017.12


もくじ

 表紙絵 「冬至の頃」 丸岡稔(丸岡医院)
 「英語はおもしろい〜その43」 須藤寛人(長岡西病院)
 「対話と圧力 そして第三の道」 福本一朗(長岡市小国診療所)
 「会員旅行初参加〜野沢温泉の旅」 内藤万砂文(長岡赤十字病院)
 「蛍の瓦版〜その38」 理事 児玉伸子(こしじ医院)
 「巻末エッセイ〜千葉時代」郡司哲己(長岡中央綜合病院)



「冬至の頃」 丸岡 稔(丸岡医院)


英語はおもしろい〜その43  須藤寛人(長岡西病院)

 childbearing 出産、出産可能な

  "childbearing" は研究社新英和中辞典では(形)「出産の」、「出産可能な」で、ライフサイエンス辞典では(名)「出産」、北里大学医療衛生学部医療情報学研究室編集医学用語集でも(名)「妊娠、出産」である。日本医学会医学用語辞典には "childbearing age population"「妊娠可能年齢人口」として載っているが、不思議なことに改訂されたばかりの日本婦人科学会発行の「用語集」には全く記載がされていない。
  私は、長い間「母性看護学」の講義を看護学生に行ってきているが、毎年、第1時間目は「女性の一生」と題して話をすることとしてきた。そのなかで、「アメリカには、思春期とか更年期の如く、女性の身体的特徴を年齢からみた "childbearin gage" というきちんとした概念のもとでの言葉がある。しかし、残念ながら日本にはこれに対応する言葉がないようだ。〔結婚適齢期〕という言い方はあっても〔妊娠適齢期〕という言い方はしてこなかった。〔妊娠可能年齢〕、〔妊娠最適年齢〕あるいは〔生殖可能年齢〕など、どれも表現が直接的すぎて日本人には受け入れがたいようである。また、不妊症学の専門分野で〔妊孕性(にんようせい)〕という言葉があるが、これは〔妊娠のしやすさ〕を意味してきたし、〔孕〕は訓読みで〔はらむ〕であり、何となくしっくりしないようだ。」というような切り口での講義内容であった。「少産少子」や「高齢妊娠」に直面して久しい日本人にとって "childbearing age" の持つ意味は現在でも計り知れなく重いと思われる。
  数年前、NHKの一般人多数をまじえた長時間討論会のなかで、日本産科婦人科学会の当時の会長が参加されており、「私は、学校で一般的な女性の〔妊娠適正年齢〕を教わったという人を知らない。このように極端に晩婚化や妊娠の高齢化進んだのは専門家である私たち産婦人科医にも責任の一端がある」と話をされていた。最近、NHKのニュースキャスターがコメントの中で「出産適齢期」という言葉を使っていたが、「適齢」の語感には、「いつでも良いが最も良い時期」という弱いニュアンスで聞こえるが、英語の "childbearing age" のもつ語感はそれより強く「出産可能な」という意味になっていることを強調したい。
 Childbearing を共起表現で調べてみると、110の例文が出ている。このうち最も多い68例が childbearing age である。childbearing-age とも書かれるが、childbearing years、c. women、c. potential などと使われる事が多く、名詞での使用は12例にとどまっていた。childbearing を child-bearing としないのは、childhood とか childbirth などと同じく、使われて久しくなってハイフォンが取れたためである。
 それでは、childbearing age とは何歳くらいを言うのだろうか? childbearing age は "woman in reproductive years" という意味と解すると、20〜40歳と見なして良さそうである。十代妊娠はやはり特別な出来事であり、一方、40歳を越えれば何時閉経が生じても不思議でなく "premenopausal age" と呼称されるからである。もっとも、年齢を厳密に確定せず、大ざっぱにしておくことこそがアメリカ人らしい言い方のように感じる。
 Childbearing は child と bearing の合成語で、bearing は bear(動詞)(1)「になう」、bear in mind「心にとめる」、(2)支える、(3)圧す、(4)生ずる、産む、の bear であった。この単語の注意点は不規則動詞変化 bear-bore-born(またはborne)であることで、受動的使用において、産まれた事実を示すときは "a son born to her"、"He was born in the city."、また期間の状態を示す形容詞的使用において "new-born kittens" のごとく born を使用する。しかし、能動的使用においては、"She has borne several children."、また受身形でも by を伴うとき "several children borne by her" などのごとく borne を用いることとあった(M-W大辞典)。
 アメリカでは「無痛分娩+鉗子分娩」が普通であると言われているが、しかしそれは、まず本人達が希望し、麻酔科医の費用も負担できる夫婦においてであるという条件が付こう。自然分娩希望者や短時間分娩になりそうな人などには、児娩出直前はやはり日本式の「力め」、「もっと力め、力め」で力づけるのが普通である。この時の英語は "push down"、"push down hard" あるいは "bear down" である。bear down には研究社新英和中辞典には5つの意味があり、〔自動詞〕+〔副詞〕として最後の5番目の意味で「(お産の時に)力む」と明快に書かれてある。日本語の「力め」は英語で「プッシュ」、スペイン語は「プハ」、フランス語は「プセ」であり、この辺のところは世界中同じといえよう。洋画「マイティ・ハート(a mighty heart)」の中でアンジェリーナ・ジョリーがお産をする場面があるが、「プス」、「プス」と声かけられている。懐かしのニューヨークの分娩室—各国語で大きな声が飛び交っていることであろう。
 少し前、日本の女性の大臣経験者が50才で出産したニュースが流れた。ごく最近のアメリカ産科婦人科学会誌に載った論文のタイトルは "Pregnancy Outcome at Extremely Advanced Age" とあり、その著者の判断では45歳以上を「超高齢?妊娠」と定義していた。「生殖補助医療(Assisted Reproductive Technology)がさらに進歩し、いずれの日か "childbearing age" は死語になる日が来るのであろうか? (続く)

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対話と圧力 そして第三の道 福本一朗(長岡市小国診療所)

 北朝鮮は友好国である中国やロシアを含む全世界の強い非難をものともせず、日本の領空を飛び越えて既に4発の弾道ミサイルを発射しており、今や核兵器搭載も可能にしようと血道を上げている。これら北朝鮮保有の4〜5発の核爆弾と1000発のミサイルのうち、その1発でも核爆弾が日本に着弾すれば、推定死者数42万人、全体被害者159万人の犠牲者が生じると計算されているのみならず、美しい国土はその放射能により東日本大震災以上の汚染に永くさらされることは必定である。
 それに対して日本・韓国・米国は「対話」と「圧力」で対応しようとしているが、その実効性に疑問を持つ人も少なくない。歴史的にもナポレオンの仏ロ不可侵条約破棄・ヒトラーの独ソ不可侵条約破棄・スターリンの日ソ中立条約破棄などを例に持ち出すまでもなく、独裁政権が国際的な約束を遵守することは全く期待できない上、国民の命を犠牲にしてまでも現政権のみを守ろうとするため、権力に対する「対話」と「圧力」のみで恒久的解決を得ることは困難であると思われる。
 かのトランプ大統領は米国に危害を与える危険性を有するに至った北朝鮮には軍事的圧力も辞さない構えでいるが、戦争となった場合に朝鮮戦争の250万人をはるかに越えると試算される人的被害のほとんどは、米国本土を遠く離れた韓国・日本などのアジアの国々に集中することは火を見るより明らかである。さらにベトナム戦争・アフガン戦争・イラク戦争が「武力で物事は解決しない」と教えているように、米国のB1爆撃機と巡航ミサイルという物理的な外部圧力で金政権を倒した後に、かの国に恒久の平和が訪れる保証は全くない。まして “怨(ハン)”を民族理念として、豊臣秀吉の500年前の朝鮮出兵や、旧日本軍の80年前の悪行とされる “慰安婦問題” などもいまだに忘れない韓国・朝鮮の人々は誇り高い民族である。他国の干渉による解決は、それがどのようなものであっても決して歓迎されることはないであろう。
 「対話」も「圧力」もそれだけでは不十分ならば、それらに加えて第三の道はないのであろうか? 思うに国際平和に根本的に重要なことは「各国の国民による国民のための自治」が保たれることであり、一滴の血も流さずベルリンの壁を打壊したドイツ国民や、ペレストロイカとグラスノスチで東西冷戦を完全に終結させたロシア国民の熱意・叡智・忍耐力に学ぶべきではないだろうか。そう考えると、いつの日か北朝鮮の人々が自ら目覚めて、平和を愛する国民自身の政府を樹立することが最終的かつ永続的にして最善の解決法である。そのためには、「圧力と対話」は、あてにならない独裁政府などを相手にするのではなく、物心両面からの両国国民の個人的交流を大規模に推進するとともに、全世界の人々がラジオ・テレビ放送・インターネット配信・スマートフォン配布・洋画空中映写・風船ビラ散布を含むあらゆるプロパガンダシステムを総動員して粘り強く北朝鮮人民に直接語りかけ、「平和を望んでいるという全人類的意志」と「われわれの価値観と生活」を知らしめ、北朝鮮の人々の手による公正な選挙に基づく自治政府の樹立と国際社会への復帰を促すほかはない。人の耳に戸は立てられず、人の本性として凡ての国民は国家による強制を憎み、家族を愛し、自由・平等・平和・安全で豊かな生活を求めるものである。 “極東のベルリンの壁” もまた、朝鮮人民自身の力で打ち砕かれることを願うものである。

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会員旅行初参加「野沢温泉の旅」 内藤万砂文(長岡赤十字病院)

 「すごい酒が飲めるぞ!」との話につられ11月11日(土)、12日(日)の会員旅行に初参加してきましたので報告します。
 参加者は五十音順に、荒井義彦先生、太田裕先生、大塚武司先生、加辺純雄先生、神谷岳太郎先生、川嶋禎之先生、草間昭夫先生、小林徹先生、高木正人先生、高橋暁先生、田中晋先生、長尾政之助先生、新国恵也先生、丸山直樹先生、事務局星さんそして内藤の男ばかり16名。
 出発は医師会館午後2時30分。余裕をもっての15分前に到着したら15番目とのこと。バス後方のサロンスペースではすでに宴たけなわですぐに出発となる。たっぷりのつまみと、クーラーボックス脇に陣取る会長の手でシャンパン、ワインのボトルが15分ごとに次々と開けられリレーされては空に。さらに前方のボックスからは日本酒が。「これは4合瓶でも1万円超」、「この一升瓶は2万5千円のレアもの」など聞いたこともない銘酒がある。高尚あるいは下品な話題に酒宴は盛り上がっていく。そっと前の座席に逃れたころにはすでに酔っ払い。雨に濡れた紅葉の高速道路をバスは一路野沢温泉に。
 宿泊ホテルは老舗「さかや」。さっそく浴衣で温泉に。内湯は2つ。心地よい湯加減だが、手を付けるのもやっとの「温湯(あつゆ)」にどっぷりつかる強者も。外には露天風呂とサウナ。普通の湯、露天に続きサウナで砂時計1回分頑張る。その勢いのまま「温湯」にトライしたら肩まで入れた。普通の湯で最後心地よく仕上げたつもりが、様子がおかしい。頭から血が引く感じがする。倒れそうだ。血管が開いた「起立性低血圧」、「血管迷走神経反射」などの診断名が頭をよぎる。椅子に座ってみるが良くならない。長椅子に横になる。事務局の星さんが水をもってきてくれた。少し楽になり、ゆっくり起き上がりそろりそろりと部屋に帰り着く。落ち着く間もなくビールが注がれる。何杯か飲んで宴会場へ。
 コの字型の宴席に地元のコンパニオンが3名。私たちの担当者はハズレ。最初の場所に根をはやし動く気配なし。手酌でビールを飲む。話題の超高級日本酒がふるまわれる。興味津々で味わうが違いがわかるはずもなし。上品な食事に舌鼓をうち、心地よく酔っぱらったところで中締めの万歳三唱。雨の中、二次会会場へと外にでる。皆で大騒ぎのあと、ラーメンを求め4人でさまよい歩くが結局餃子で手を打つ。風呂場での記憶はすっかり消し飛んでいた。
 翌朝は6時過ぎに外湯巡りにでるが吐き気がする。外湯はいずれもこじんまりした造りでドアを開くとすぐ脱衣場で5〜6名でいっぱいな小さな湯舟が1つか2つ。熱くて有名な「大湯」は手の先だけですぐにギブアップ。ぬるい湯でも十分熱い。肩までつかり飛び出る。その他2か所とホテルの内湯に入り朝食会場へ。まだ7時30分なので半数くらいかと思いきや全員揃っており黙々と食事中。ビールを飲む人も。酔いの勢いで自分も頑張って完食。外湯にいく先生にお供し急な坂道を上り下りしさらに2か所の湯めぐり。熊本黒川温泉の湯めぐりと同じと思っていた自分は近くのホテルの温泉にも入ってみたが、野沢は外湯のみとのこと。危うくお縄になるところだと大いに呆れられる。部屋に戻ると「動けない!」と顔色なく苦しんでいる先生がいる。バスでのシャンパンが過ぎたとのこと。無情にも予定通りの10時にバスは出発。
 まずは全国展開のワイナリー「サンクゼール」へ。解説付きの工場見学のあと試飲コーナーでワインが気前よくふるまわれる。ワイン、ジャム、乳製品など美味そうなものがふんだんにあり、大量購入の先生も。
 昼食は戸隠中社近くの神社直営のそば処「ひさやま」。最初にビール10本と2合徳利の日本酒が10本。続いて豪華なコース料理が運ばれ最後にそば。たっぷり1時間あったため飲みあげる。動けなくなった先生は具合ますます悪く何一つ箸をつけずにじっと我慢の時間。自分にも二日酔いが始まり必死に食事に立ち向かう。
 最後に道の駅「しなの」に立ち寄りバスは帰路に。しばらくは静かであったが、すぐに酒宴が始まった。8時間眠り本来の元気が戻った某先生は、奥さんとのなれそめなど話題は尽きず。長岡に近づくほどに昨日出発時の喧騒が戻ってきた。16時に医師会館で解散となったが、さてさて皆さんまっすぐ帰れたのだろうか?
 諸先生方の普段みられない素の姿に触れ楽しい時間を過ごせる会員旅行でした。皆さま、来年は参加してみませんか?

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蛍の瓦版〜その38 理事 児玉伸子(こしじ医院)

 休日・夜間急患診療所の電子カルテ

 平成18年に中越こども急患センターへ導入され、翌年からは休日・夜間急患診療所でも使用されてきた電子カルテが、11月12日と13日から新しい仕様になりました。今までの後継機種である Future Clinic 21 ワープで、基本的には大きな変化はなく、使い勝手を良くするために字を大きくしたり、定型文をセットしたりしています。更なるご要望ご提案等ありましたら、何なりと職員へお申し付け下さい。

 水銀製品の回収〜水銀に関する水俣条約

 水銀は古代中国では神仙の妙薬として珍重され、その後も金の採掘現場や化学工場での触媒等世界中で広く使用されてきました。しかし有機水銀は生物に蓄積しやすく人の神経系への毒性が強いことから、地球規模で水銀汚染の防止を目指す条約が平成25年に締結されました。これは日本政府が主導したもので、水俣病の教訓や経験を世界に伝えるために“水銀に関する水俣条約” と名づけられ、水俣市で最後の調印が行われました。
 本条約の発効に伴い平成31年からは、水銀を使用した機器の製造ならびに輸出入が原則として全面的に禁止される見通しです。環境省では、将来的に不適正処理のリスクを低減するために、短期間の集中的な回収処分を目指しています。
 日本医師会も環境省の方針に沿って、血圧計等の水銀医療廃棄物の回収事業を推進しています。現在の日本では水銀の処理能力が限られていることから、各県の医師会別に順次収集しています。新潟県でも郡市医師会単位で水銀医療廃棄物の回収を行い、それらをまとめて処理業者に引き渡す予定です。長岡市医師会では平成30年の1月と3月の二回に限り、医師会館へ各自から水銀医療廃棄物を持参していただき、それらをまとめて搬送します。今回の機会を逃すと、水銀医療廃棄物の処理は今後大変面倒になると思われます。失念なきようご注意ください。

 新潟水俣病

 メチル水銀中毒である新潟水俣病の関連訴訟としては、初めてとなる高等裁判所の判断が11月29日に示されました。水俣病の認定を求めた原告全員の主張が認められ、新潟市は控訴を断念しています。平成25年の熊本水俣病に関する最高裁の判断に基づいたもので、今後患者の認定作業にも影響があると思われます。

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巻末エッセイ〜千葉時代 郡司哲己(長岡中央綜合病院)

 今年起きた大きな出来事を振り返る年の瀬になりました。そんな特集のテレビ番組で、山の斜面の画像がクローズアップされました。ゲストは答えられなかったが、我が家では家人が即時に正解していました。

「あれはチバニアンよね。」

「ふーん」と半信半疑のわたし。

「秋に福井の恐竜博物館で、ふたりで見学ツアーに行った、あの白亜紀の恐竜発掘現場かと思った。」

「違うわよ。だって最新の話題だもの。先月国際学会で正式認定され、千葉では大盛り上がりらしいの。」

 わたしは傍らにパソコンを引っ張り寄せ、すぐネット検索します。

 地球の46億年の歴史の中の新生代における「第四紀更新世」の中期。ネアンデルタール人が生きていた頃らしいです。約77万年前からの数十万年間が、「千葉時代」チバニアン(Chibanian)と学術上正式に命名される見通しだそうです。既存の先行時代名ジェラシアン、カラブリアンに次いで「千葉時代」を意味する語であり、日本の研究チームが今回提唱した命名だそうです。

 そもそも国際地質科学連合では、地質年代の境界を最も観察・研究しやすい地層を「国際標準模式地」として、各年代あたり世界に1カ所ずつに限って指定しているのです。

 今回未決定だった地質時代の「模式地」の正式候補に千葉県市原市の地層が決定されたとのこと。

 この千葉の現場は、実は240万から50万年前までの地層が観察できる世界でも希少な場所でした。

 ここでの地層の堆積物から、なんと過去の地球の磁場逆転の痕跡を磁気分析して証明し、結果として地球の最後の磁場逆転が77万年前であることも併せて実証したそうです。

 日本の関係学会はこの時代に地元の千葉の名を付け「チバニアン」とするよう申請。この11月の国際学会専門部会で、対抗候補地のイタリアを破り、千葉が選出されました。まだ内定で、上部機構での正式決定はこれからだそうです。

 新しモノ好きな日本人です。この候補選出の報道以来、千葉県市原市の現地の斜面を訪れる人が毎日激増。現場は足元が悪く、見学者の事故防止のためと、斜面の保護のために、斜面は急遽立ち入り禁止の扱いになったそうです。

 ところで素朴な疑問。えっ、地球の磁場って時代で変化するの?

「地球の磁場の歴史の中では、いつも磁石のN極が北極方面を指していたわけではありませんでした。磁極が入れ替わる地球磁場の逆転が最近360万年の間に11回もあったことがわかっています。最も新しい逆転がおこったのは、78万年前です。」(気象庁地磁気観測所HPより)

 高校(地元のN高校)の地学の授業、担当は「おそ松くん」ってあだ名の若いまじめな先生。受験科目でなかった地学の授業では、みんな内職してました。おもしろい科目だったけど、この地球規模の磁気の移動の話はなかった気がします。地学では今でも「標準化石」の術語だけはよく覚えています。地層の年代推定に役立つ指標になる化石で、たとえばアンモナイトなら中生代とか。

 現在の地球は北極にS極、南極にはN極の強い磁場があり、地球の表面で方位磁石が北を指すのはこのため。でも地球の磁場のメカニズムもわかっていません。一説では地球内部の核の溶けた金属が熱と自転で動くことで生まれるとされます。…「ダイナモ理論」と言う…なんか得心できそうもありませんね。

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