長岡市医師会たより No.463 2018.10


もくじ

 表紙絵 「栃尾軽井沢にて」 丸岡稔(丸岡医院)
 「ミニミニJOY会旅行」 小林眞紀子(小林真紀子レディース・クリニック)
 「香港澳門聞書」 福本一朗(長岡保養園)
 「蛍のかわら版〜その45」 理事:児玉伸子(こしじ医院)
 「巻末エッセイ〜よたか」 江部佑輔(江部医院)



「栃尾軽井沢にて」  丸岡稔(丸岡医院)


ミニミニJOY会旅行〜越後湯沢展望閣湯居間蔵 小林眞紀子(小林真紀子レディース・クリニック)

 日本で一番肩こりが少ない県が新潟県であるという事をご存知ですか?
 実は私もつい最近「テレビのクイズ番組」で知りました。そのわけは温泉が多いからとの事でした。確かに日帰り温泉も含めると数限りありません。
 私は診療が終わると毎日のように「日帰り温泉」に通っております。湯の質、温度、自宅からの距離、営業時間、コスト、春夏秋冬の景色など、その日の気分で決めております。
 以前は「趣味宴会?」と思っておりましたが、最近では「趣味温泉?」に変わったかも?と思うほどです。
 このたびこの2つの趣味を一挙に経験できる最高に楽しい旅行を経験致しましたので紹介させていただきます。
メンバー:森下美知子(皮膚科)・湯野川淑子(精神科)・本田利栄子(内科)・野神麗子(眼科)・高野由美子(耳鼻咽喉科)・村上千夏(心療内科)・渡辺玲(形成外科)・小林眞紀子(産婦人科)・(以上8名)
目的地:越後湯沢眺望閣湯居間蔵
日時:平成30年7月7日土・8日日
 当日はまさに西日本豪雨の日です。幸いなことに新潟県は小雨でした。しかし旅館の裏山が断崖である事などを考慮すると、とりやめた方が良いのではないか?と迷い旅館に電話で問い合わせたところ、まったく心配ないとの返事。予定通り決行する事に致しました。
 午後4時半に越後湯沢駅西口に集合。旅館の送迎バスで目的地に向かいました。一足早めに到着されたJOY会の名付け親である湯野川淑子先生はすでに一風呂浴びられ、ゆったりした姿でまるで旅館の人のようないでたちで私たちを迎えて下さいました。自家用車で来られた村上千夏先生、風邪気味の渡辺玲先生は一足遅れでしたが、夕食には無事8人そろいワイワイと楽しい会の開始となりました。普段は貸し切りにはできない宿ですが、キャンセルがあったためか我々だけの貸し切り状態となりました。年齢、診療科、開業医、勤務医、既婚、未婚、などなど各々異なる条件の女性医師の集まった情景を想像してみてください。開業医の悩み、勤務医の苦労、女医であるからこその悩み、喜びなどなど話の尽きる事はありませんでした。野神麗子先生が職員の資質向上のために定期的に試験をしていられると聞いたときは、目が点になってしまいました。夕食は旬の味覚たっぷり、量も多すぎず少なすぎず、最高でした。先日のJOY会の幹事できめ細やかなおもてなしをして下さった高野由美子先生からの差し入れのサクランボも絶品でした。
 部屋を個室に変えて二次会開始です。ここで今回の宿「湯居間蔵」を少し紹介させていただきます。越後湯沢駅から車で5分ほどの所に位置し、メゾネットタイプの5室と食事処のみのとても風情豊かな宿です。もちろん各部屋にかけ流しの「湯」が付いており、部屋の名前も「天々」「暖々」「悠々」「楽々」「空々」と、とても粋な響きです。「湯居間蔵」という名前の由来は、源泉かけ流しの湯があり、風情のある居間があり、宿の象徴として、また談話の場所として蔵がある、そうした空間で自分の大切な時間を見つけて欲しいとの店主の思いが込められているとの事です。二次会は「楽々」で開始です。さすがチイママと言われる本田利栄子先生の気配りで、個室があっという間にスナックに早変わり。アルコール、ソフトドリンクを飲みながらさらに会話が弾み、気が付くと深夜になっておりました。
 森下美知子先生はさすが大物。まるで無影灯のように明るいライトの下でもすやすや。アルビレックスの夢でも見ていられたのでしょうか?この会での若くて人気者の渡辺玲先生が風邪気味で二次会に参加されなかった事が心残りでした。翌日は雨も止み、爽やかな天気に恵まれました。朝食もとにかく美味しく、1時間以上もかけゆったりと堪能させていただきました。スタッフの接遇も堅苦しくもなく、踏み込んでくることもなく、居心地の良い空間を味あわせてもらい、午前10時過ぎに湯居間蔵を後に致しました。JOY旅行初参加の村上千夏先生から「楽しかったので次回も参加したい」との言葉を聞いた時には幹事冥利に尽きると感じました。
 蛇足ですが私がはまっている温泉を紹介させていただきます。我が家から車で「寺宝温泉」8分、「喜芳」10分、「麻生の湯」15分、「蓬平温泉」30分、「桜の湯」35分、「越後川口温泉」40分、「大露の湯」・「いい湯らてい」45分、「カーブ・ドッチ」1時間です。
 全ての産婦人科医がそうであるように、ゆったりと湯船に浸かる事が長年の夢でした。分娩という重責から解放され、温泉の味を占めてからは生活も一変致しました。おかげで肩こりもほとんどありません。しかし残念ながらこれらの温泉には一人で行くので私の大好きな宴会はできません。それゆえこの度の宴会付きの温泉旅行は最高でした。次回は箱根旅行も計画しております。是非参加なさいませんか? ただし女性に限ります。

目次に戻る


香港澳門聞書   福本一朗(長岡保養園)

 韓国・香港・澳門(マカオ)、シンガポールなど統合型リゾートを設置した外国都市が国際的な観光拠点として多数の観光客を集めているのを見て、我が国でも日本国内への統合型リゾート設置が目論まれている。ただ現行の日本の法制度ではカジノが違法とされているため、この統合型リゾートの推進にあたってカジノ法成立が大前提とされていたところ、2016年12月15日の衆議院本会議で「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律」(IR推進法)が成立し、カジノの法制度化への道が開かれることになった。しかし「遊技」という欺瞞的な扱いでパチンコ・パチスロという賭博場が庶民の生活圏である駅前など何処にでもある先進国は日本だけであり、他の先進国の10倍のギャンブル依存症がいる現状では、カジノ解禁によるギャンブル依存症がますます増えるのでないかと危惧されている。例えばスロットマシンでは1ドルコインが当たれば、一瞬にして50億ドルの現金を手に入れることができることからも、本来人間の欲には限りが無く、労せずして大金を手にすることができる誘惑は、人生を緻密に計画し額に汗して真面目に働く意欲を著しく低下させること必定である。
 香港ガイド達から聞いた話。香港は人口750万人で1997年の香港返還以後も50年間は一国二制度として現状維持であり、香港の富豪50人の資産は3070億ドルと、多くの富を保有している。90歳を越えた李嘉誠さんは香港のビルの殆どとマカオのカジノの大部分からあがる資金で、一等地のビクトリアパークに150億円という自宅と妻妾4人に4軒の豪邸、多くのロールス・ロイスを所有し、その一台のナンバープレートは吉兆数字の8888で10億円するが絶対に手放さないという。自宅のある香港とマカオのカジノの間は、高速艇で1時間かかるため、今年開通の港珠澳大橋を海上55qに掛けて30分で行き来できるようにしたという。流石、人類最大の建造物である万里の長城を建設した民族と感心した。
 しかし一般市民の住宅は、ボロボロの2DK中古マンションでさえ1〜2億円するため、孫の代までのローンを組んで住まいを用意しなければ、お嫁さんの来手がない。公営医療保険もないので市民は高額な私費医療保険に加入しなければならず、大学の授業料も金持ちでなければ支払えないほど高額であるため、一般家庭は海外の大学に留学させたいと願っているという。マカオガイドの独身女性Omiさんは沖縄に語学留学した。また、東京に2年間留学した香港ガイドの林さんの娘も東京の経済大学を卒業して日本で就職していた。香港は土地がせまく人口密度も東京の2.5倍なので、お寺もビルの中にあって墓地を有しないため、故郷を持たない香港人は遺骨を海に捨てざるを得ないという。
 これに対して香港人所有のマカオのカジノの売上は、ラスベガスの7倍に及び世界最大。その豊富な税収入でマカオ政府には100兆円の余剰資金が余って使い切れず、マカオ市民75万人はほとんど無税で公共医療も無料。失業率はゼロに近く、採用試験なしの公務員の月給は新任警察官でも70万円以上だが、より高収入を求めてカジノで働くことを望んでいる。
 広東語とポルトガル語が公用語のマカオでは、市民の9割以上が福建省人なので自分たちは中国人と自覚しており、いずれ中華人民共和国に吸収されるのも仕方ないと諦めている。しかし香港人はマカオ人とは異なり、100年のイギリス植民地支配で西洋化され、自らを供中国人ではない香港人僑と思い、返還後の一国二制度も“こんな筈ではなかった”と後悔して、独立運動も密かに始まっているという。108階建ての鉛筆のように細い摩天楼が何本も聳える香港も、東シナ海の浅瀬を埋め立てて人工島を作りカジノ宮殿を林立させているマカオも、東日本大震災のような自然災害に対しては脆弱この上ない危険な都市であると思われる。これという一次二次産業がなく、カジノ観光・国際投資・海上貿易でのみ成り立っている両国の現在のバブル景気は、いつまで続くのであろうか。
 ただ、今は同じ中華人民共和国の国民でも、世界の獲を支配していた英国領であった香港人と、落目のポルトガル領であったマカオ人の考え方や気質は、必ずしも同じではない。香港人は供人生の幸せはカネ儲け僑と考えてひたすら投資と蓄財に励み、自らは供守銭奴僑と誹られることを一向に気にせず、一方ではマカオ人を“なまけ者”と軽蔑している。マカオの人々は南欧気質のためか、人生をリスク無しに幸せに暮らすことが第一で、香港人所有のカジノ租税収入と高賃金で潤いながら、毎日を供ケ・セラ・セラ=なるようになるさ僑と楽しく生きている。
 ギャンブルで潤うのは資本家・政治家とほんの一握りの幸運な人々だけであり、不労所得は人間の生き方を変える。投機と射幸の非生産的産業は世界の悲惨を増すことこそあれ、良い方に導くとは思えない。今回のIR推進法(カジノ法)の成立で、世界に誇る日本人の国民性であった供勤勉と誠実僑がどのように変わっていくのか、危惧するのは一人筆者のみであろうか。

 目次に戻る


蛍の瓦版〜その45   理事 児玉伸子(こしじ医院)

死亡診断1
 死亡診断書の作成は、医師だけに認められた重要な業務であり、臨床研修の到達目標にも挙げられており、医師免許書があれば、専門や経験にかかわらず記載することが可能です。今回と次回の瓦版で供死因究明等推進計画僑を中心に、死亡診断に関する話題をいくつか紹介します。

1.死因究明等推進計画
 将来の高齢化進展に伴う死亡数増加へ備え供死因究明等の推進に関する法律僑が、平成24年に制定されました。これは死亡診断に関することを広く包括した法律で、死因究明に係る検死制度等の体制の充実のみならず、ご遺体の身元確認に関するデータベースの整備も目指しています。
 有識者による2年間の検討会議を経て、平成26年に閣議決定された“死因究明等推進計画”に沿って関係各省や機関が動いています。推進計画では、当面の重点施策として、(1)法医学に関する知見を活用して死因究明を行う専門的な機関の全国的な整備、(2)法医学に係る教育研究の拠点の整備、(3)死因究明等に係る警察等の職員、医師、歯科医師等の人材の育成・資質の向上、(4)警察等における死因究明等の実施体制の充実、(5)死体の検案・解剖の実施体制の充実、(6)薬物・毒物検査、死亡時画像診断等死因究明のための科学的な調査の活用、(7)遺伝子構造検査、歯牙調査等の身元確認のための科学的な調査の充実、データベースの整備、(8)死因究明により得られた情報の活用、遺族等に対する説明の促進、以上の8項目が挙げられています。

2.背景
 日本における死亡数は、昭和30年以降70万人程度でほぼ横ばいでしたが、人口の高齢化を反映して平成2年に80万人を越えその後徐々に増加しています。昨年一年間では134万人の方が亡くなり、平成36年には150万人の方が亡くなると推定されています。現在は80%弱(約100万人)の方が医療機関で亡くなっていますが、今後病床削減が進めば医療機関での見取り数の増加は見込めません。厚労省では、死亡数の増加分については介護保険施設や在宅での見取りを目指していますが、その対応は途上です。
 予期されることなく突然に死の転帰を迎えられた方のうち、約半数の方は心肺停止前後に気付かれ救急搬送され、搬送先で死亡診断書または検案書が作成されています。救急車は明らかに死亡されている方については搬送できず、これらのご遺体は警察が取り扱い、警察医等によって死体検案がなされています。その数は平成22年から年間約17万体(全国)で推移し、昨年度は全死亡数の13%でしたが、今後総死亡数の増加に伴って増えていくと思われます。
 さらに、わが国の死因究明制度は諸外国に比べ不十分な点が多々あり、現在監察医制度が充分機能しているのは東京23区と大阪市と神戸市だけです。東京23区と大阪市ではそれぞれ全死亡数の19%と17%が、監察医務院の取り扱い対象となっています。この他の地区では、パロマ給湯器事件の表面化の遅れや時津風部屋力士暴行死事件のような、事件や犯罪の見逃しが危惧されています。これからは全国一律に質の高い検案に基づいた、正確な死体検案書の作成が望まれます。
 また東日本大震災のような大規模災害では、身元の確認作業に困難を極めました。平時でも全国では年間一千体近い身元不明のご遺体が見つかることから、身元確認のための体制を整備する重要性が認識されています。

3.死因究明教育センター
 重点施策でも法医学に係る機関と人材の育成を掲げていますが、現在法医学を専攻する医師の方は、大学院生を含めても全国で200名程度に過ぎません。文部科学省では従来から人材養成を支援していた東北大学・東京医科歯科大学・長崎大学に加え、大阪大学等全国の大学にも支援を拡大しています。
 新潟大学も日本海側の拠点として、平成29年7月にそれまで法医学教室内に設置されていた供死因究明センター僑を改組し、広く大学院医歯学総合研究科内に供死因究明教育センター僑を開設しています。センターでは解剖検査のみならず、薬毒物生科学検査や画像診断および法歯科学等の充実によって、日本海側の死因究明に係るコアセンターを目指しています。さらに教育センターとして、法医学専門医だけでなく死因究明に係る専門職(検案医・死後画像診断医・法歯科医・放射線技師・検査技師・薬剤師)を養成します。
 死因究明教育センター内では、平成28年12月からご遺体専用のCTが稼動し、月20件程度の実績があり、死後画像診断に精通した放射線医によって診断されています。一般病院での撮影が困難な事例では、センターにご相談されてはいかがでしょうか。(続く)

 目次に戻る


巻末エッセイ〜よたか 江部佑輔(江部医院)

 私は大学6年間を福岡で暮らしました。福岡は黒田藩の城下町でしたが、武家の住む福岡と、福岡城築城以前からある博多と、政治と商業のすみ分けがされていました。福岡と博多を分かつ那珂川の川洲に橋を架けてできた町が、現在西日本最大の歓楽街中洲です。学生が飲みに行くことはあっても、中洲で飲むことはありませんでした。ただ、私は母方の従弟が中洲で仏料理店を経営していたため、時々ワイングラスを洗うアルバイトと称し中洲に足を運んでいました。夜遅くの仕事で下宿からも遠いため、数か月で辞めることになりましたが、いろいろな経験や出会いを得ることができました。中洲近くに住吉・春吉という地区がありますが、今でこそ若者が集うエリアになりましたが、当時は夜の街、昔の遊郭などの名残がある街でした。博多出身の同級生から「あの辺、夜はあぶなか」と聞いていました。ただ、中洲の夜にも慣れたころ、ためしにいってみたことがあります。ネオン街からすこし離れたところは薄暗く、ほとんど人気がなく、異様な薄気味悪さを感じました。それ以上踏み込んではいけないと察し、すぐに踵を返し街の方にひき返そうとしたときです。「お兄さん」とどこからともなく現れた、少々派手目の年齢のいった女性が立っていました。突然のことに驚いた私は、気がつくと一目散に町に引き返していました。
 「夜鷹(よたか)」は夏に東南アジアから日本近辺に渡って繁殖をする渡り鳥です。名前の通り、夜行性の鳥で、大きな口を広げて飛行し、羽虫などを捕食しています。ただ、鷹とはつきますが、実際はハチドリなどのアメツバメ目との近縁種で、くちばしも爪も小さく、昆虫以外の生き物を捕食することはまずありません。夜鷹はお世辞にも決して見栄えのする鳥ではありません。
 宮沢賢治作の「よだかの星」では、夜鷹がその容姿の醜さから、鳥の中で嫌われ者として描かれています。名前に鷹が付くため、鷹からは「まだお前は名前をかえないのか。ずいぶんお前も恥知らずだな。お前とおれでは、よっぽど人格がちがうんだよ。」とよだかは無理やり名前を変えるように強要され、変えなければ命を奪うとまで言われる始末です。失意のよだかは弟分のカワセミに別れを告げ、音もなく空へと飛び立ちます(賢治の時代にはカワセミなどのブッポウソウ目とも近縁と考えられてたようです)。そして、お日様に自分を焼き尽くしてくれるようお願いをしますが「星にたのんでごらん。お前は昼の鳥ではないのだから」と断られます。よだかは夜空の星々に自分の転生を願いますが、容易には受け入れてもらえません。悲しみに打ちひしがれたよだかは、ひたすら空を登り続け、遂にオリオン座の近くで燃え尽き、星となりました。「よだかの星」は偏見や差別することを戒める話として広く知られていますが、賢治が自身をよだかに例え、自らの存在への罪悪感を表現したのだと考えることができるのかもしれません。
 「夜鷹」(よたか)は、夜の江戸の町の辻に立ち、男を誘惑する立ちんぼの呼び名でもあります。片脇に巻いたむしろを抱え、静かに男を連れ込む姿が夜鷹に似ていることからつけられたのでしょうか。私があの夜出合った女性は昭和の夜鷹だったのかもしれません。ただ、私は幸いなことに捕食されることなく、無事に闇夜から生還できました。

 目次に戻る