長岡市医師会たより No.472 2019.7


もくじ

 表紙絵 「いろいろ」 渡辺玲(長岡中央綜合病院)
 「開業から一年経過して」 奥村仁(おくむら耳鼻科クリニック)
 「良寛の世界〜良寛短歌を俳句に〜その二」 江部達夫(江部医院)
 「蛍の瓦版〜その52」 理事 児玉伸子(こしじ医院)
 「巻末エッセイ〜冷蔵庫は嫁のスカート」磯部賢諭



「いろいろ」 渡辺玲(長岡中央綜合病院)


開業から一年経過して  奥村仁(おくむら耳鼻科クリニック)

 花園南で2018年5月に耳鼻咽喉科医院を開院してから1年が経過しました。今回、この様な機会をいただきましたので、自己紹介とこの1年の感想を書かせていただきます。
 私の生まれは県北の村上市と新発田市の間にある胎内市です。高校は新潟明訓高校で、大学も新潟大学、卒業後もまた新潟の医局に入局して、勤務医時代も新潟県内の病院に勤務していましたので、新潟県から出たことがないという珍しい経歴です。一度ぐらい別のところで生活してみたかったと後悔しています。生まれ育った胎内市は海と山があるのどかな田舎町であり、春のチューリップフェスティバルと冬の胎内スキー場は耳にされたことがあるかもしれません。大学時代は準硬式野球部に所属し、6年間は野球中心の生活を送っておりました。医局では専門を鼻領域に決め、16年間、副鼻腔手術を中心に仕事をしてまいりました。全国の研修会に参加して技術の向上を図り、手術操作のできる範囲がどんどん広がっていくことが実感される日々は、非常に楽しいものでした。
 開業後のこの1年間は慣れないことばかりでとにかく必死で過ごしてきたといった感じでした。諸先輩方には外来をやるのは勤務医時代と変わりないよと言われておりましたが、季節や天気によって患者さんの増減が激しく、1年経った今でも自分のペースをつかめずにおり、バタバタしている状況です。
 この1年で印象に残っていることは、9月にぎっくり腰になってしまったことです。風呂に入るのもやっとな状況でしたが、開業して間もないこともあり、NSAIDsを大量内服して冷や汗をかきながらなんとか診療を行いました。土曜日の夕方に発症したのですが、月曜日に診察をできるかどうか直前まで悩んでいたことが思い出されます。勤務医の頃も骨折したとき以外は休んだことはなかったのですが、これからは経営の問題もあるので、さらに簡単に休める状況ではなく、少し不安になった出来事でした。本厄である年に開業し、嫌な予感はしていましたが、この程度で済んだので厄払いに行った甲斐がありました。開院後の自分のイメージとしては、もう少しマイペースで診療できると考えていましたが、そのようなゆとりはなく、2年目は早く慣れて落ち着いて診療を行っていきたいです。
 勤務医のころから外来診療に関しては、患者さんが何だかわからないがこちらから処方された薬をただ飲んでいればいいといった診療は避けたいと考えておりました。耳鼻科領域は耳、鼻、ノドといった穴の中の普段見えないところの疾患を扱いますが、私の理想としては、電子内視鏡で患者さんにも現在の状況を見ていただきながら説明し、実際の状態をなるべく理解してもらった上で、積極的に治療を行っていただけるように診療を行っていきたいです。患者さんに満足してもらう診療をしていくことで信頼されているなと感じられるときは大きな喜びを実感できます。そのような診療を出来るように日々精進してまいりますので、今後ともよろしくお願い致します。

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良寛の世界〜良寛短歌を俳句に〜その二  江部達夫(江部医院)

28.永き日にみ園の林心なぎ

 むらぎもの心はなぎぬ永き日に これのみ園の林をみれば

 春になり日は永くなって来た。このお宅に来てお庭の木を眺めていると、心がおだやかになってゆくよ。
 分水町の阿部定珍のお庭での歌。

29.鶯の声なき春はいかにせん

 鶯のたえてこの世になかりせば 春の心はいかにあらまし

 鶯が絶えてこの世からいなくなったら、春を迎える心はどうしようもなく淋しいだろう。
 梅、鶯を愛でた良寛、自然を愛する良寛の心情がよく分かる歌。

30.桃の里花くれないを映し流る

 この里の桃の盛りに来て見れば 流れに映る花のくれなゐ

 有願和尚が住んでいた里(現新潟市白根)に桃の盛りに来てみると、一面に桃が咲いており、川は花のくれないを映し流れている。

31.山川に心移さす春がすみ

 春がすみ立ちにし日より山川に 心は遠くなりにけるかな

 春になり霞がたな引いて、のどかな日になると、山や川に心を持ってゆかれてしまうよ。

32.桜花散ると見まがう春の雪

 桜花降るかとばかり見るまでに 降れどたまらぬ春の淡雪

 桜の花が散っているものとばかり見ていたら、降っても地には残らない春の淡雪だった。

33.いかにして同じ咲く花色分かれ

 いかなれば同じ一つに咲く花の 濃くも薄くも色を分くらむ

 どうして同じ所で一緒に咲くのに、桜や梅に濃いものや薄いものが生じるのだろうか。
 梅や桜の花の僅かな濃淡の違いを風情と感じながらも、不思議に思った良寛。

34.我が宿に春は来たりて心野に

 わが宿の軒端に春のたちしより 心は野べにありにけるかな

 私の家の軒端に春がやって来たその時から、私の心はもう野辺にあるようだ。
 心が解放される春がやって来たことを実感している良寛。

35.春らしき野辺の若草萌え出づる

 あづさゆみ春はそれとも わかぬまに 野辺の若草染め出づるなり

 春がやって来たのかどうかよく分からないうちに、野原の若草は萌え始めているよ。
 大自然の営み、良寛は春の訪れを喜んでいるのだ。

36.菫摘み鉢の子忘るもなくならず

 道の辺に菫摘みつつ鉢の子を 我が忘るれど取る人もなし

 道端に咲く菫を摘んでいて、つい鉢の子(托鉢の僧が持って歩く鉄鉢)を忘れて来ても、誰も取ることはないのだ。
 良寛は大切な鉢の子を時に置き忘れてくることがあったという。

37.春野咲く菫に故郷思い寄す

 春の野に咲ける菫を手に摘みて 吾が故郷を思ほゆるかな

 春がやって来て野原一面に咲いている菫を手で摘みとっていると、幼い頃に故郷で草花を摘んだことを思い出しなつかしく思うよ。
 良寛の歌に春は菫が多く、小さな草花も愛でていた。

38.樒(しきみ)摘み古寺(こじ)に今日もひとり居り

 古寺(ふるてら)にひとりしおれば術(すべ)をなみ 樒摘みつつ今日も暮らしぬ

 古寺にひとりでいると何もすることがなく、樒を摘んで今日も過ごしているよ。
 なみ−無み ないままにの意、万葉集に用いられている語
 樒は常緑小高木。山地に自生し、墓地などに植え、春、黄白色の花をつける。葉と木皮は線香の材料に。

39.宿植えし一本の菫咲き初めぬ

 我が宿に一本(ひともと)植ゑし菫草 今は春べと咲き初(そ)めぬらむ

 わたしの庵に一株の菫を植えたものが、今は春になったと咲き初めていることよ。

40.春のどか柳に集い語り合う

 春風の柳のもとに円居(まどい)して 遊ぶ今日しは心のでけき

 春のそよ風が吹く柳の下に円座して集まり、楽しく語り合う今日一日は心が安らぐことよ。
 今日しは 「し」は語調を整え、強意を表す。

41.峯に立つ松や柏に春がすみ

 あしひきの峯の上(おのえ)に立てる松柏 今は春べとうちかすみけり

 峯の上に立っている松や柏の木は、いつも同じだが、今は春になったと、かすんで見えているよ。

42.春楽し友と語りて酒に酔う

 さすたけの君と語りてうま酒に あくまで酔へる春ぞ楽しき

 長い冬も終り春がやって来て、友と語らいながらおいしいお酒を、心おきなく飲んで酔うのは楽しいことよ。
 良寛の友定珍の阿部家は代々の造り酒屋である。

43.雪解水(ゆきげすい)濡れて摘み来る春めぐみ

 久方の雪解の水に濡れにつつ 春のものとて摘みて来にけりく

 冷たい雪解け水に濡れながら、春の山菜を摘んで出かけて来たよ。
 弟の由之(ゆうし)が雪残る塩入峠を越えて島崎の良寛の庵にやって来た。雪解けの山川で採れるのは百合山葵(わさび)と蕗の薹であろうか。

44.宮の森子と遊ぶ春日暮れるな

 この宮の森の木下(こした)に子供らと 遊ぶ春日は暮れずともよし

 鎮守の森に子供達が集まって来て、うららかな春の一日を楽しんでいるので、日は暮れないでほしい。
 子供好きの良寛の心情です。

45.佐渡の山かすみたなびき日は海に

 佐渡が島山はかすみの眉ひきて 夕日まばゆき春のうなばら

 佐渡の山を望むと、眉のようにかすみがたなびき、春の海原を夕日が染めている。

46.山桜散りて咲きこせ山吹よ

 あしびきの山の桜はうつろひぬ 次ぎて咲きこせ山吹の花

 山桜の花は散ってしまった。山吹の花よ、続いて咲いて欲しいものだ。
 咲きこせ…「こせ」は「こす」(…てほしい)の命令形。

47.山吹の一重の花の美しさ

 山吹の千重(ちえ)を八千重に重ぬとも 此(この)ひと花の一重にしかず

 幾重にも花びらを重ねた花よりも、山吹はそそとした一重の花ほど美しい。
 八重の山吹は園芸品種で、山野に自生するものは一重のもの。

48.世棄て人なりて月花の余生かな

 世を棄て身を棄て閑者となりて 初めて月と花とに余生を送る

 浮き世を捨て、この身を捨てて閑者となって、初めて月花を楽しむ余生が送られるよ。
 世捨て人となり初めて自然を友とすることができた良寛。次の句にもその心情が表れている。

49.月も花もある草庵は満ちたりし

 こと足らぬ身とは思はじ柴の戸に 月も有りけり花もありけり

 住んでいる庵が柴の戸で粗末なものであっても、生活が満ち足らぬとは思わない。月や花があるのだから。

50.草庵のその日暮しに心澄み

 詫びぬれど心は澄めり草の庵 その日その日を送るばかりに

 草の庵での質素な暮し、わびしさを覚えるも、心は澄み、その日その日を送っているのだよ。
 貧しさのなかにも、心は澄みきっている良寛の心境だ。

51.衣替え深山まだ春鶯鳴く

 夏衣たちてきぬれど深(み)山べは いまだ春かも鶯の鳴く

 国上の山中を越えて来ると、山ほととぎすがあちこちで鳴いている。

52.国上山越え来る山路子規(しき)が鳴く

 あしびきの国上の山を越えくれば 山時鳥をちこちに鳴く

 国上の山中を越えて来ると、山ほととぎすがあちこちで鳴いている。
 子規はほととぎすの異名。

53.山路来て鳴く時鳥(ほととぎす)木の間飛ぶ

 み山辺をたどりつつ来し郭公(ほととぎす) 木の間たちくき 鳴き羽振る見ゆ

 夏草の茂る山路を歩いていると、郭公が木の間をわき立つように、鳴きながら羽ばたいて飛んでいるのが見れるよ。
 「たちくき」は立ち潜き、くぐり抜けることの意。

54.国上山鳴く時鳥今さかり

 あしびきの国上の山のほととぎす 今は盛りとふりはへて鳴く

 国上山のほととぎすは今が盛り(繁殖)の時季とことをさらに鳴いているよ。

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蛍の瓦版〜その52 理事 児玉伸子(こしじ医院)

 1.認知症初期集中支援事業

 先月の蛍の瓦版51号で取り上げた認知症初期集中支援事業について、追加です。現在長岡市の支援チームの一員として活動されている悠遊健康村病院精神科の直井孝二先生は以下のようにまとめられています。
 『新オレンジでは、「認知症になっても自分らしく暮らし続けることができる社会の実現」を基本理念に掲げています。その中で本事業は、未診断の方や診断を受けながらも適切な医療・サービスにうまく繋がらない方を対象に、訪問による短期集中的な介入によって解決を図る施策です。
 支援拒否や暴言といった処遇困難例が多くを占め、その背景には、家庭内外の要因があるため、自分らしく暮らし続けるためには、これらの早期解決がポイントの一つです。地域生活上の不安や疑問を感じる事例がございましたら、地域包括支援センター宛に情報をご提供下さい。』

 2.長岡市認知症初期集中支援チーム介入事例から

 平成27年8月から29年7月までに悠遊健康村病院チームが関わった28例について、直井孝二先生が検討され“長岡市認知症初期集中支援チーム介入事例から”にまとめられています。その資料を基に、長岡市の現況を以下に私が簡単にまとめました。

 28例のうち2/3が80歳以上と高齢で、2/3は女性です。家族構成は独居および夫婦2人暮らしがそれぞれ4割を占めていました。介護保険で用いられている自立度に当てはめると、日常生活自立度は8割の例が一人で外出可能なJ以上でした。認知症自立度は時々BPSD(認知症の周辺症状、行動心理症状)を認めるVが8割あり、いわゆる歩ける認知症の方が大半でした。28例中22例では何らかの通院歴がありましたが、介入時には11例で中断されていました。
 チームが介入した経過を見ると、支援拒否や暴言等の共通点に加え、独居者では周囲との摩擦や危険行為の繰り返しによって、地域生活に支障をきたしたことが契機となっていました。夫婦二人暮らしでは、介護をしていた配偶者の不調から急速に生活機能が破綻し事例化するケースが目立っていました。配偶者以外の家族との同居例では、その他の構成員の耐性の低さや無関心が問題となっているようです。
 これらの状況を鑑みると、認知症治療においては本人の治療に留まらず、生活そのものをケアとして組み立てる作業が必須となります。問題解決のポイントとして本人へのアプローチでは、身体的な問題を逆に好機と捉え、そこから通院の再開継続を図りサービスを導入していきます。家族調整は同居非同居に関わらず、認知症への理解を促して家族自身のストレスを軽減することで、家庭全体のQOL(生活の質)を高めることを目指しています。また訪問系のサービスは受け入れ拒否が比較的少ないため、訪問看護が問題解決の突破口となりえます。さらに訪問看護は家庭全体を医療的視点から評価支援し、地域適応力向上も図ることで、本人家族と地域の要(かなめ)となります。
 認知症患者さんの地域生活を支えるためには、医療介護の地域連携を深めることが重要です。かかりつけ医の積極的な参加と、家族の理解と自主性は不可欠で、医療連携の隙をすり抜ける患者を見逃さない配慮も必要です。ごく早期からBPSDに対応し、地域適応力を高める支援を行うことが今後の課題です。なお長岡市では平成29年度から、全ての包括支援センターに認知症地域支援推進員を配置し、迅速な対応と円滑な連携を目指しています。

 3.かかりつけ医認知症対応力向上研修

 10月5日(土)に、中越地区の認知症疾患医療センターである三島病院と長岡市医師会の共催による表記の研修会を予定しています。講義中心ではなく、参加者の日常診療に基づいた意見交換を目指しており、皆さまのご参加をお待ちしております。

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巻末エッセイ〜冷蔵庫は嫁のスカート  磯部賢諭

 A refrigerator is wife's skirt

 「スカートめくりは好きですか?」と聞かれてボクはこう答えます。「子供の頃、スカートめくりは大好きでした。」また「隣の家の冷蔵庫を開けるのも大好きでした。」とも答えます。さて、またまたふざけてすみません。場違いなエッセイかもしれませんがお許しください。冷蔵庫にまつわる楽しいお話です。つまり、【冷蔵庫は女性のスカートだ。】ということです。

 子供の頃の話をします。

 ボクはよく子供の頃、隣近所の家に遊びに行き、勝手に人の家の冷蔵庫をあけた。何かを食べたかったわけではない。家の両隣はもちろん、裏の家や道を挟んで向かいの家に入り込んでは冷蔵庫を開けて中身を覗いた。クラスの友達の家、全部に遊びに行って冷蔵庫をあける。たった14人の同級生(の家の冷蔵庫)、全員制覇を達成した。決まって「おなか空いているの?何か食べる?」といわれても、フッと逃げて帰る不思議な子だった。

 ある日、とうとう母に怒られた。「勝手に人んちの冷蔵庫を開けてはいけません。」「なんで?」と聞く。「なんでって、失礼でしょ」と母の口はモゴモゴした。

 ボクは知っている。みんな同じだ、ということ。どの家の冷蔵庫もおんなじ白でおんなじ形、中を開けてもおんなじ物が入っている。痩せてしまったマヨネーズ、疲れ果てたソース、年老いた梅干し、行きそびれたチーズ、とうのたったヨーグルト、残業白髪のおでん、などなどたいしたものでない。どの家もおんなじ。おんなじものとわかっていても冷蔵庫のドアをあけてしまう。やめられない。言ってみれば「人の家の冷蔵庫パカパカ開けてしまう病」だったのかも知れません。

 とうとう妄想が極限に達した。大きなイチゴの乗ったデコレーションケーキが入っている。おいしそうにフワフワっと風になびく生クリーム、生まれたばかりのスポンジケーキ、そこに、にこにこチョコレートも笑っている。そんな冷蔵庫を夢見て、ボクは冷蔵庫を開けつづけた。だが、そんな日は決して来なかった。

 いつのまにか数十年の年月が流れ、そんなボクも結婚して家庭を作り、子供ができ、家を建てた。

 そんな我が家にも先日、突然近所の子供が入ってきて我が家の冷蔵庫を勝手に開けた。ボクは異常にびっくりした。二日酔いでノンビリしていた日曜日、ボクは約40年ぶりに覚醒した。そして笑った。気持ちよく心の中で笑った。冷蔵庫は女性のスカートだ。決してやめられない。

 50歳が目の前の今ではこんな感じだ。しみじみボクの冷蔵庫を開ける。嫁のいないときに冷蔵庫を開ける。賞味期限切れの食品を捨てて、怒られる。食品の配置を変えて、怒られる。少し触ったり、いじったりしただけで、怒られる。でもあきらめやしない。2週間ほど過ぎて味の変わった物を敗戦処理する。味が変わっても食べれるものは命からがら、食べてみる(ダメなら捨てる)。そして、妄想だとわかっていてもイチゴのデコレーションケーキを夢見る。ふとした瞬間に冷蔵庫の中に入っているかも知れないじゃないですか。いつかフワフワのデコレーションケーキに巡り合えることを信じて、今日も冷蔵庫のドアを開けます。冷蔵庫のドアっていいですよね。夢があって。

 最後に【気づき】をもう一つ。いつの間にか冷蔵庫は【女性のスカート】から【嫁のスカート】に変わっていることに気づきました。別にいいですよね。はい、いいと思うんだけど……。

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