長岡市医師会たより No.475 2019.10


もくじ

 表紙絵 「時雨れるいもり池」 丸岡稔(丸岡医院)
 「国境なき医師団への道〜国境なき医師団1」 鈴木美奈(魚沼基幹病院)
 「「真相深入り!虎の門ニュース」見ていますか?」 河路洋一(かわじ整形外科)
 「令和元年になっての初代チャンピオン誕生!」 田島健三(長岡保養園)
 「巻末エッセイ〜長岡野菜 神楽南蛮(その1)江部達夫



「時雨れるいもり池」 丸岡稔(丸岡医院)


国境なき医師団への道〜国境なき医師団1  鈴木美奈(魚沼基幹病院)

 国境なき医師団って、ご存じですか?1971年にフランスで設立された、非営利で国際的な民間の医療・人道援助団体です。フランス語でMEDECINS SANS FRONTIERESといい、略してMSFというのが一般的です。命の危機に瀕した人々の医療援助を主な目的とし、医師、看護師をはじめとする海外派遣スタッフと現地スタッフの合計約4万5000人が、世界70カ国以上で活動しています。日本人は、その中のたった100人です。活動資金はすべて寄付金です。日本からは2018年89億円の寄付をいただきました。私は、2016年からMSFの一員になりました。今回の原稿の主旨は、私のMSFの活動についてです。しかし、その話を語るにあたっては、私の産婦人科医としての軌跡の説明がどうしても必要です。というわけで、私の人生を簡単に説明させてください。
 私は、物心ついた時から産婦人科医になることが夢でした。小学校六年の卒業アルバムに、将来の夢「産婦人科の医者になる!」と明記していました。理由は全くわかりません。インスピレーションそのものです。特別な宗教はもっていませんが、神が私に与えてくださった天職だと思っています。そのため、自分の中に核があり、進路に迷うことなく、ぶれることなく生きてこられました。
 群馬大学医学部に入学しましたが、心は常に新潟の産婦人科を向いていた様に思います。医学生時代、人並みに彼氏もでき相方は結婚まで考えてくれましたが、私にとっては新潟で産婦人科医として働く方が何十倍、何百倍も魅力的でした。医学部六年生の夏、周囲が「行きたい医局があるなら、選抜試験や制限があるかもしれないから早くアプローチした方がいいよ」と諭してくれました。焦った私は、直ちに新潟大学産婦人科の医局に電話しました。“来年度、入局希望です”と説明し、最終的に回されたのが医局長のお部屋です。当時の医局長は吉谷徳夫先生でした。全く面識もない学生からの入局宣言に、大変驚かれたことと思います。かくして、無事平成5年に新潟大学産婦人科医局に入局させていただけました。
 そんなこんなで、幼稚園年長の頃から医療に興味があった私ですが、小学校二年生頃だったと思います、テレビで国境なき医師団のプロモーションビデオが流れました。そこに写し出されたガリガリに痩せた子供たち、たくさんの負傷者の治療にあたる医師の真剣な眼差し、そして“医療に国境があってはならない”というナレーションが電光石火のごとく私の体を貫きました。将来はここで仕事がしたい、困った人を救いたいと子供心に誓っていたような気がします。多分、その経験がサブリミナルの如く私に潜み、効果を与え続けていたのだと思います。
 入局後は、たくさんの先生方、恵まれた環境のもとで研修、鍛錬させていただきました。
 手術好きにはたまらない婦人科領域、予想不能の連続の産科領域、心理的駆け引きを要する不妊領域、たくさんの症例を先輩方のご指導のもと経験できました。まともな医療資源のないところで、いずれ重症の患者さんに対応しなくてはいけないことになると、無意識に思っていたのでしょうか。重症な症例がくると、図々しく率先して関わりました。そして、あらゆるトラブルシューティングを学び、教科書に書いていない先輩達の秘技を盗もうとしていた様に思います。症例の多い病院に勤務させていただいたこと、指導力の高い上司に恵まれたことを心から感謝しています。
 お世話になった田中憲一教授の退官を契機に、MSFへの思いが湧いてきました。問題は英語力でした。44歳になるまで海外に行ったことがなかった箱入りの私です。全く英語ができません。試しに受けてみたTOEICで460点位でした。MSFに必要な英語力は700点以上です。自分の実力の低さに驚愕でした。そこで、一念発起し、英会話の個人レッスンに通い始めました。また2カ月休職し、浦佐にある国際大学の夏期英語集中講座に120万円出資し通いました。そして、MSFに英語の履歴書を提出しましたが、5回のダメ出しを受け、6回目にやっと受理されました。その後、1時間30分の英語でのインタビューを受け、ようやく2015年11月MSFに採用、登録されました。
 登録されてから3週間後に、最初の派遣の話がきました。行先はアフガニスタン。丁度、その年の10月にMSF外傷センターが米軍により誤爆を受け死傷者をだす事件があった地です。自分では身の危険を全く感じず、行くことを決めていましたが、家族をどう説得するかなーと、悩みました。しかし、私の性格を知る家族は止めても無駄をよくわかっていました。こうして、2016年1月からのアフガニスタンでの任務が決まりました!
 ファーストミッション前に、東京のMSF事務所で2泊3日の事前トレーニングがありました。日本人、韓国人の医師、看護師、助産師、会計士などが、すべて英語で講義を受け、討論し、課題を解決して行きます。正直、3割位しか言われている内容はわかりませんし、自分の言いたいことも半分も伝えられません。こんなで、本当に働けるかなー???と不安を通り越して、陽気な気分になっていました。
 また、MSFの本社がパリにあるのですが、そこでも3日間の事前講習がありました。てっきり誰かが連れて回ってくれると思っていましたが、行き先、スケジュール表を渡され、行ってらっしゃいと送り出されました。初めての一人海外旅行で、英語がわからない、飛行機の乗り換えもままならない状態なのにです。もう、なるようにしかならない!と開き直り、出発しました。あらゆる場所で、あらゆる人に拙い英語と身振り手振りで質問し、何とかパリの宿泊先に着きました。そして、事前講習を受けたのですが、相手が話す英語が全くわからず、“お前はフランス語が話せるのか?”と呆れられてしまいました。派遣前にくびになるかと思いましたが、産婦人科としての豊富な経験と類まれな度胸が認められ、予定通りアフガニスタンには行けることになりました。事前講習といっても、1日2時間〜3時間しかないので時間を持て余し、エッフェル塔、凱旋門、ルーブル美術館に記念写真を撮りに行き、そしてパストゥール研究所で予防接種を受けてきました。
 さあ、いよいよアフガニスタンへ出発です!!

「MSFのロゴ」

「多くの外国人、日本の企業戦士と共に学んだ夏期英語集中講座 無事卒業!」

「多国籍、多職種で1つの課題に英語で会話しながら取り組む」

「エッフェル塔、ルーブル美術館、凱旋門で自撮り!」

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「真相深入り!虎の門ニュース」見ていますか?  河路洋一(かわじ整形外科)

 私が、ここ1年ほど嵌っているインターネットニュース番組「真相深入り!虎の門ニュース」(以下「虎の門ニュース」)を紹介したいと思います。最近インターネット上には、時事問題を取り扱う報道番組が多くみられます。その中で、「虎の門ニュース」は私の一番のお気に入りで、月曜〜金曜の朝8時から10時まで放送されています。毎日8時前にはリビングのパソコンを立ち上げ、出勤ぎりぎりまで視聴することが日課になっています。インターネット番組のいいところで、放送後も2週間アップされていますので、いつでも見ることができます。
 この番組は、本来健康食品、化粧品を扱う会社である「株式会社DHC」の子会社「DHCテレビ」が製作しています。毎日日替わりで、1人〜2人のコメンテーターが直近のニュースを解説します。地上波放送にはあまり出演しない、保守系のコメンテーターが中心で、左派メディアからは「ネトウヨ」などと揶揄されることもありますが、内容は素晴らしく通常のテレビ放送・新聞等では全く分からないニュースの本当の意味を伝えてもらうことが、しばしばです。
 最近日韓関係の悪化の問題が、ニュースで取り上げられることが多いです。この前朝7時台の民放のニュースを見ていたら、訪日韓国人観光客の減少が日本の産業に影響が出てきていると言っていました。そこで取り上げられた映像に、「たこ焼き屋」の主人と「ドラッグストア」の店長が、売上が減ったと嘆いているさまが映っていました。「ドラッグストア」では、韓国人に人気の「袋菓子」の売上が減って困っているとのことでした。
 私はこれを見て、テレビ局の記者がおそらくさまざま取材して、撮れた映像が「たこ焼き」と「袋菓子」って「なんかしょぼくないか?」と思っていました。そしたら次の日の「虎の門ニュース」で、ジャーナリストの有本香さんと作家の竹田恒泰さんが出演して韓国問題を取り上げました。有本さんが言うには、「7月の訪日韓国人は7%ちょっと減少しましたが、訪日外国人全体で見るとむしろ増加しています。もともと特に地方への韓国人観光客は距離的近いこともあって、格安航空利用の割合が多くそもそも訪日外国人の中では、もっともお金を使わない方々です。」とのことで、テレビ局ががんばっても「たこ焼き」と「袋菓子」の映像くらいしか取れなかった理由がよくわかりました。
 そもそも従来のテレビ局の作るニュースでは、テレビ局がこういう印象を視聴者に与えたいという意向で作られていたことが、ネット番組を見るようになってよくわかりました。韓国問題では、「日韓関係の悪化は良くないことで、改善しなければならない。」が、NHKをはじめほぼすべてのテレビ局、報道機関に共通した認識です。そのため先ほど挙げたニュースのように「困っている日本人もいるから、関係改善しましょう」一辺倒報道が行われています。しかし隣国との関係が特に問題なければそれに越したことはないですが、重要なのはまず国益です。今までの韓国との関係は、時に日本が国益を害するような妥協を行ってとりつくろわれていた面があります。今政府が行っているように、毅然として言うことは言う、国益に反する安易な妥協はしないのが重要だということを、「虎の門ニュース」は教えてくれます。
 またアメリカのトランプ大統領についても、既存メディアとは違った視点から見ています。NHKその他の報道しか見ていないと、「ツイッターで気まぐれなことを連発している暴言大統領」といった認識しか生まれないのではないでしょうか。これは既存メディアがアメリカの反トランプ色の強いテレビや新聞の報道を、そのまま垂れ流す傾向にあるためです。今アメリカは中国と貿易面で激しい対立をしています。これは単純な貿易不均衡の問題だけではなく、このまま中国を世界でのさばらせたら大変なことになるとの危機感から本気で中国(中国共産党政権)を、抑え込みにかかっているのです。民主党政権時代の、中国の南シナ海等での横暴な振る舞いを見ればわかります。このことから実はトランプ氏は、歴代アメリカ大統領のなかでも傑出した人物ではないでしょうか。これは、「虎の門ニュース」ではアメリカ人で弁護士のケント・ギルバートさんや、国際政治学者の藤井厳喜さんが解説してくれています。こんな「虎の門ニュース」が今後も続いて、さらに視聴者が増えることが、日本をいい方向に変えていくような気がしています。
 「虎の門ニュース」は生放送で、スタジオの外からの観覧が可能です。平日なので私たちが、観覧に行くことは難しいのですが、さる7月4日(木)東京に行く機会があって思い切って観覧に行ってきました。この時は有本香さんと、作家の石平さんが出演して中国共産党によるウイグル人の弾圧について熱く解説していました。番組終了後、有本さんと石平さんからサインとツーショット写真を撮る機会をいただいて、私の宝物となりました。
 「虎の門ニュース」をまだご覧になっていない方は是非ご覧になることを勧めます。当然人によっては賛同できない部分もあるとは思います。ただ多くの人々のニュースを見る目を変えてくれる番組であると思っています。

「有本香さんと」

「石平さんと」

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令和元年になっての初代チャンピオン誕生!  田島健三(長岡保養園)

 タイトルだけ見ればオッと思う方もいるかもしれませんが(本当は誰も思わないでしょうが)、今年の長岡市医師会会員ゴルフ大会で2年ぶり、3回目の優勝が転がり込んできました。一緒にラウンドしていただいた西脇耳鼻科の西脇智弘先生、長岡赤十字病院の川嶋禎之院長ならびに外科の皆川昌広先生ありがとうございました。
 ダブルペリアで運よく嵌まったようです。HDCP15・6となり、参加者のうち2番目の高齢者に花を持たせていただきました。自分では歳をとったという感じはあまりないのですが、今伸び盛りの若手の辻本先生にはドラコンホールで50ヤード以上も置いていかれ、つくづく老いを突き付けられました。年寄りが若者に対抗するにはアプローチとパットの精度を上げていくしかありませんが、やはり魔法のクラブとどこからパットしても確実にワンパットで入るパターが欲しいです。ゴルフをやっているから健康なのか、健康だからゴルフがやれているのかわかりませんが、これからも痴呆にならないようにまた寝たきりにならず、ゴルフを続け、夢のエージシュート達成を願って精進したいと思います。『来年のチャンピオンはあなたですよ!!』
 最後に幹事の荒井義彦先生並びに事務局の星さんに感謝申し上げます。

 ●長岡市医師会ゴルフ大会
 期 日 令和元年9月16日(月・祝)
 場 所 長岡カントリー倶楽部
  優 勝:田島 健三
  準優勝:田辺 一彦
  3 位:大塚 武司
  4 位:辻本 友高
  5 位:渡辺 修一
  6 位:田中 政春
  7 位:西村 紀夫
  8 位:吉田 正弘
  9 位:西脇 智弘
  10位:河路 洋一
  11位:立川  浩
  12位:荒井 義彦
  13位:川嶋 禎之
  14位:皆川 昌広
  15位:野々村直文
  16位:田中  弘

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巻末エッセイ〜長岡野菜 神楽南蛮(その1)  江部達夫

 1492年イタリアの航海者コロンブスは大西洋を西回りでインドに行こうとして新大陸を発見。コロンブスが初航海で発見したのは今の西インド諸島で、その後の3回の航海で中央アメリカや南米北部に到達している。コロンブス以降、多くの欧州の航海者が大陸を目指し、多くの産物を持ち帰った。
 現在広く世界中で食べられている野菜には新大陸から欧州に持ち帰られたものがたくさんある。もし中南米の国々がなかったら、現在の食生活は貧相なものであったに違いない。
 中南米は今でも動植物の宝庫、数千種類の植物があり、それに伴って動物の種類も多い。今でも新種がどんどん見つかっている。
 航海者達は現地人が食べていた植物を欧州に持ち帰った。
 中でもナス科の植物は旧大陸になく、中南米が原産地になるものが多い。ナス、トマト、ジャガイモ、ナンバン、タバコなどである。
 トウモロコシ、ナンキンマメ、サツマイモなどアジアの名前がついているが原産地は中南米。
 欧州に持ち帰られた野菜になる植物は欧州各地や亜細亜に広まって行くうちに、その土地の気象や土質により新しい品種がどんどん生まれていった。人の手によっても新しいものが生まれた。
 今回の話題であるナンバン(南蛮)は南蛮辛子または唐辛子として16世紀には日本に入ってきている。名の通り南蛮経由でポルトガル人によってもたらされたか、朝鮮経由で渡来したかのようだ。
 夏野菜として世界中で食されているピーマン(仏 piment)は唐辛子の変種、日本には明治初期にアメリカから入ってきた。今ではハウス栽培で年中食べられている。肉厚で辛みがなく、甘みがある。NHKの子供の唄「パプリカ」もピーマンだ。
 主題である神楽南蛮、近年山古志産の長岡野菜として知られるようになり、もう食べられた方も多いと思うが、これはピーマンに唐辛子の辛味であるカプサイシンの遺伝子が働き生まれたものである。何時生まれたのかは定かでないが、昭和になってからのようだ。長い間生まれた地元だけで食べられていた野菜だ。
 神楽南蛮の「神楽」は深い皺のあるごつごつした感じが村祭りの神楽の舞いの獅子頭の面に似ているので付けられたと云う。大きく育つと拳大となりずしりと重さを感ずる。熟してくると赤みを帯び、終には真っ赤になる。辛みも増してくる。
 私が神楽南蛮を初めて口にしてからもう50年近くになる。昭和46年4月、長岡赤十字病院に赴任した。その時から20年、長岡保健所の医師も兼務した。その業務の一つとして古志郡山古志村(現長岡市)の住民健診があり、年に10数回山古志村に出かけていた。
 山古志村の住民と親しくなった昭和50年の夏、春の健診の説明会に出かけた折、民宿を経営している方が手打ち蕎麦をご馳走してくれることになった。裏の畑で採れた夏野菜のてんぷらも揚げてくれた。その中の一つ、ピーマンと思って食べたら辛く、独特の風味のある野菜があった。美味いと思って食べた。
 「これは何だね」と尋ねると、「神楽南蛮と言って、この辺だけで作っている南蛮だ」と。名前の由来も聞き、生っている畑も見せてもらった。1メートル程に育った茎に大小様々な実がたくさん生っており、白い花を付けていた。土産に頂いた。山古志村の保健婦さん「種が特に辛いから取って食べるように」と注意してくれた。神楽南蛮との初めての出会いであった。(つづく)

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