長岡市医師会たより No.483 2020.6


もくじ

 表紙絵 「塩沢初夏」 丸岡稔(丸岡医院)
 「会長就任の挨拶」 会長 草間昭夫(草間医院)
 「こころのクリニックウィズ:概要とコンセプト」 後藤雅博(こころのクリニックウィズ)
 「良寛名歌百選を俳句に「注釈付き」〜その三」 江部達夫(江部医院)
 「蛍の瓦版〜その58」 理事 児玉伸子(こしじ医院)
 「巻末エッセイ〜長岡野菜 神楽南蛮(その2)」 江部達夫(江部医院)



「塩沢初夏」  丸岡 稔(丸岡医院)


会長就任の挨拶  会長 草間昭夫(草間医院)

 このたび長尾政之助前会長の後を受けまして、会長を務めさせていただきます草間です。どうぞ宜しくお願い申し上げます。前々会長の太田裕先生には広い人脈、特に県医師会、行政との顔の見える関係を通して、地域包括ケア、胃癌リスク検診を進めていただきました。長尾先生には豊富なITの知識を駆使され、フェニックスネットの構築、病院とのICTを介した連携を進めていただきました。また新型コロナウイルス感染の中で、保健所、3病院との連携をとりPCRセンターの開設、運用にご尽力いただきました。まだまだ、始まったばかりの新型コロナ戦争ですが、これからも3病院の負担を軽減し市民の安全のため努力して参りたいと考えております。今後の長岡市医師会の体制は、引き続き荒井義彦副会長と新たに高橋暁副会長を軸に新しい先生方を加え新体制で進めて参ります。皆様のご支援、ご指導よろしくお願い申し上げます。
 大正9年に長岡市医師会が開設され今年が記念すべき100年目となります。この歴史を記念誌に刻むべく準備を進めて参りますとともに、記念式典の準備も行います。ご協力をお願い申し上げます。
 今年は県医師会の会長はじめとする執行部も新しくなりました。県医師会の理事の先生方の中には外科医としてのご指導をいただいた先輩方が名を連ねられているのを見て大変心強く思っております。研修医時代には故和田寛治先生、佐々木公一先生が長岡市医師会の業務に熱心に参加されていたのを思い出します。先輩方の教えを請いながら長岡市医師会の歴史を引き継いで参りたいと思います。
 今後の医師会活動についてです。地域包括ケアシステムを進める中で、医師、看護、介護、行政を始め多職種の顔の見える関係ができました。この関係を継続しながら長岡市民の医療、介護を発展させることができればと思っています。一方でICT(情報通信技術)、AI(人工知能)、クラウド上に個人カルテを保管するPHR(個人健康情報管理)、キャッシュレス、遠隔診療など新しい診療の形が示されてきており会員の先生方に体験、勉強する機会をもうけていきたいと考えております。フェニックスネットは障害者を囲む多職種連携ツールから、救急隊が参加し、長岡市民のあんしん手帳機能を加え、災害時の貴重な患者情報を入手できるツールへとなりました。小千谷市にもサービスが拡張され、魚沼のシステムとも連携して行く予定です。医療圏が拡大しても効率のよい安価な情報共有システムを継続的に運用していきたいと思います。魚沼基幹病院が開設され、ドクターヘリが中越から新潟全域に飛び、そして県央基幹病院の建築が着工されました。新たな医療連携システムが長岡にとどまることなく新潟県全域に広がっていくように願っています。
 長岡の医療システムは3病院を中心とする救急輪番制は世界に誇る救急システムです。恵まれた医療資質を維持することは町に若い世代を招き入れることができる可能性があります。医師会の休日・夜間急患、こども急患センターを長岡市とともに維持して参りたいと思います。
 地域包括システムの医師の役割は、かかりつけ医としての訪問診療と後方支援病院との連携です。これは、緩和ケア、施設の嘱託医、警察医にとっても大切になってきます。医師数の減少、働き方改革、住民の少子高齢化、そして病院機能集約を求められる中で、日本全国一律の施策にとらわれることなく、長岡独特の作戦を構築する必要もあろうかと思います。有限の医療介護資産を効率よく使用するとともに、自助、公助、共助という医療介護保険システムに頼らない福祉の構築にも協力していきたいと思います。長岡市の産業界、商工会からも魅力あるアイデアを出し合いながら、改善できる具体的な問題点と解決策を会員の皆様と考えていきたいと思います。
 災害時に対してです。他の地域の災害と自分たちの災害に、それぞれの医療体制をどうコラボするか前もってそなえておくことが大切と考えます。災害医療の専門家に指導を仰ぎ、「長岡の災害医療」を準備していきたいと考えております。
 伝統ある長岡市医師会をさらに発展させ、社会に貢献する医師会として進めて参ります。会員各位のご支援ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。

 

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こころのクリニックウィズ:概要とコンセプト  後藤雅博(こころのクリニックウィズ)

 はじめに

 「こころのクリニックウィズ」は医療法人崇徳会(理事長田宮崇)が、長岡駅前城内町に40年前から開設していた「田宮神経科内科診療所」に、2階に精神科デイケアを付設し、アウトリーチサービス(訪問看護、訪問診療)も提供する中越地区唯一の多機能型精神科クリニックとして、2019年1月からリニューアル・オープンしたものです。単なるサテライトクリニックは県内でも多くは閉院の方向にあり、その理由は端的には医師不足ですが、入院者の減少、現代的なうつ病、発達障害の増加、という疾病構造の変化がその背景にあります。田宮病院開設当時から地域精神医療を意識してサテライトクリニックとして維持されてきた歴史を継承しながら、現在のニーズに対応するために多機能クリニックとして再出発しました。

 こころのクリニックウィズの概要と特長

 「ウィズ」の提供するサービスは、思春期・青年期から高齢者までの精神科外来診療全般の他、デイケア、アウトリーチ、オンライン診療、各種心理テスト、カウンセリング、家族相談などですが、運営上の特長を紹介します。

 1.多職種チーム医療

 「ウィズ」のスタッフは常勤医師1(筆者)、非常勤医師4、看護師4(常勤)、精神保健福祉士2(非常勤1)、作業療法士1、臨床心理士4(非常勤)、事務2(非常勤1)で、非常勤は田宮病院と兼務です。多職種チームとして関わるために、初診インテークはすべての職種が取り、原則インテークしたスタッフが担当となる個別担当制を採用しています。毎日事務職員も含めた朝のミーテイングを行い、週1回は全体ミーテイングを1時間行うことで職種を問わず情報を共有し、クリニック全体で治療、支援を進めようと考えています。

 2.アウトリーチ

 訪問看護、訪問診療ができる体制を整えており、必要あるときは担当スタッフが即訪問を行うことができますし、多職種での訪問も可能です。昨年度から県のアウトリーチ事業の委託を受け、未受診者、治療中断者、ひきこもりなどへのアウトリーチ支援を積極的に行っています。またオンライン診療をできる体制も整えています。

 3.リワーク(復職支援)とカウンセリング

 デイケアは大規模で開設していますが、その中でリワークプログラムも行っています。現在デイケア登録者はうつ病や気分障害圏がほとんどで、従来のデイケアとは様相が違い、疾病構造の変化を実感しています。また発達障害や思春期の問題も多く、臨床心理士のカウンセリングもニーズが多くなっています。

 こころのクリニックウィズのコンセプト

 「ウィズ」はwithであり、患者さん、家族と「共に」という意味ですが、そのほかに、多職種のスタッフと「一緒に」の意味もあり、さらに、地域の人たちや行政、関連する団体と「共に」ということも含んでいます。
 一方、wizと綴ると、魔法使いwizardの意味になります。名作ミュージカル映画「オズの魔法使」は、竜巻で飛ばされたドロシーという少女が、有名な魔法使いのオズに、家に帰してもらおうと旅に出る話です。その途中で、「心」のないブリキのロボット、「勇気」のないライオン、「知恵」のないカカシと会い、彼らも自分に欠けているものをオズに与えてもらおうと旅をします。けれども旅の途中で、彼らは欠けていると思っていたものを十分発揮していくのです。「オズの魔法使」は自分の中に元からある力を発見する物語です。「こころのクリニック・ウィズ」では、それぞれの人が持っている能力や強さに気づき、それを発揮できるような治療・支援を目指しています。

 おわりに

 私は昭和42年に長岡高校を卒業、精神科医は40年以上で、民間精神病院、国立精神科病院、県精神保健福祉センター、新潟大学医学部保健学科、新潟市内の精神科病院長を経て来ています。その間、主たる関心は一貫して地域精神医療にありました。今後精神科医療は「精神疾患も含めた包括的地域ケアシステム」の方向に進んでいくと思われます。「ウィズ」がその重要な担い手として、この長岡の地で役割を果たしていけるよう努力したいと思っています。よろしくお願いします。

 

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良寛名歌百選を俳句に「注釈付き」〜その三  江部達夫(江部医院)

51 今よりはつぎて白雪積もるらし

 道踏みわけて誰(たれ)か訪(と)ふべき

 「つぎて」…「継ぐ」は続ける、継続する

積もり行く雪踏み分けて誰か訪ふ

52 飯(いひこ)乞ふと里にも出(い)でず

 なりにけり

 昨日も今日も雪の降れれば

 「昨日も今日も」は「ひと日ひと日」の詠みもあり

飯乞ひに里にも出れず雪の日々

53 山陰の槙(まき)の板屋に音はせねども

 久方の雪の降る夜は

 著(しる)くぞありける

 「槙」は杉の古名

 「板屋」は板で葺いた屋根

雪の夜か杉屋根の庵音せねど

54 何となく心さやぎて寝(い)ねられず

 明日は春の初めと思へば

 「さやぎて」…「さやぐ」はそよぐ、ざわめくの意

 「明日は元旦という夜」の詞書あり

明日初春心ざわめき眠られず

55 いづくより夜の夢路を

 たどり来し

 み山はいまだ雪の深きに

 「由之(弟)を夢に見てさめて」の詞書あり

雪深き山路を夢路たどり越し

56 我も思ふ君もしか言ふこの庭に

 立てる槻(つき)の木まこと古りけり

 「君」は阿部定珍

 「槻」はケヤキの古名

我君も庭の槻の木まこと古り

57 夏草は心のままに茂りけり

 われ庵(いほり)せむこれのいほりに

夏草の茂れる庵(いほり)我が庵(いほ)に

58 乙宮(おとみや)の森の下やの静けさに

 しばしとてわが杖移しけり

 「しばし」…ちょっとの間

 「乙宮」は旧分水町国上の乙子(おとこ)神社

 「下や」は「下屋、下家」、母屋に付属する小さな家

 しばしの宿に移る支度をする良寛

乙宮の下屋は静か杖移し

59 あしびきの岩間を伝ふ苔水(こけみず)の

 かすかに我はすみ渡るかも

 「かすか」…ひっそりとしてもの寂しいさま

 「すみ」は「住み」と「澄み」の掛詞

 ひっそりとした庵に住んでいる良寛、岩を伝う苔水の澄んだ清らかさを重ねている

岩間伝ふ苔水すみし我もまた

60 大丈夫(ますらを)や伴(とも)泣きせじと思へども

 煙見る時むせかへりつつ

 「大丈夫」…勇ましく強くりっぱな男子

大丈夫(ますらを)は泣けじ煙(けむ)見てむせび泣き

61 夏山を越えて鳴くなる時鳥

 声のはるけきこの夕べかな

 「光枝大人(うし)の身まかりし頃ほととぎすをききて」の詞書あり

 大村光枝は京都の人、後に江戸へ。国学者で歌人、良寛と友好あり

夏山越え鳴く時鳥この夕べ

62 たまきはる命死なねばこの園の

 花咲く春に逢ひにけらしも

 「たまきはる」…「命」の枕詞

 「この園」は阿部定珍のお庭

 「けらしも」は「来たことよ」

永らへて花咲く春にこの園へ

63 この園の梅(むめ)の盛りとなりにけり

 わが老いらくの時にあたりて

 「この園」は不明、阿部定珍のお庭か

我は老ゆこの園梅の盛りなり

64 この宮の森の木下(こした)に子供らと

 遊ぶ春日は暮れずともよし

 暗くなるまで子供たちと遊んでいたい良寛

宮の森子と遊ぶ春日暮れるな

65 あしびきの山田の小父(をぢ)が

 ひめもすに

 い行きかへらひ水運ぶ見ゆ

 「小父(をぢ)」…老人、爺

 「ひめもす」は「ひねもす」

 「い行きかへらひ」…「い」は接頭語、「行きかへらひ」は「行き返る」行って帰る、往復する

山田の小父(をじ)ひねもす行き来の水運び

66 水や汲まむ薪(たきぎ)や伐(こ)らむ

 菜や摘まむ

 秋の時雨の降らぬその間に

時雨る間に水汲み薪伐(まきこ)り菜摘みせむ

67 あわ雪の中に立ちたる

 三千大千世界(みちおほち)

 またその中にあわ雪ぞ降る

 「三千大千世界」はわれわれが住む世界の全体、三千世界と同じ。「みちおほち」は良寛の造語か

あわ雪降る三千世界はまた雪ぞ

68 いにしへを思へば夢(いめ)か

 うつつかも

 夜は時雨の雨を聞きつつ

過ぎしこと夢かうつつか時雨るる夜

69 いかにして誠(まこと)の道にかなひなむ

 千歳のうちにひと日なりとも

 「誠の道」…仏の道。人としての真実の道

法(のり)の道千年一日かなへたし

70 世の中にまじらぬとには

 あらねども

 ひとり遊びぞ我は勝れる

 「ひとり遊び」は良寛にとっては、読書する、詩歌をつくる、書をかくなどの楽しみ

世を捨てて一人になりて遊ぶよし

71 老いの身のあはれを誰に

 語らまし

 杖を忘れて帰る夕暮れ

 「語らまし」の「まし」は「…たらよいだろう」の不決断の意

杖忘れ帰る夕暮れ老い哀れ

72 鉢の子にすみれたむぽぽ

 こき混ぜて

 三世(みよ)のほとけに奉りてな

 「三世のほとけ」は過去、現在、未来の三世の仏

鉢の子にすみれたんぽぽ三世仏(みよぶつ)に

73 飯乞ふとわが来(こ)しかども

 春の野に

 すみれ摘みつつ時を経(へ)にけり

 「来しかども」…「ども」は「けれども」で、出かけてきたものの

托鉢も野にすみれ摘み時忘れ

74 来てみればわが故郷(ふるさと)は

 荒れにけり

 庭も籬(まがき)も落葉のみして

 「籬」は竹や柴を粗く編ん造った垣

故郷の庭荒れはてり落葉覆ふ

75 越の海野積の浦の海苔を得ば

 わけて賜はれ今ならずとも

 「野積」は長岡市寺泊野積

 冬から春にかけて岩場に育つ岩海苔を所望している良寛

今ならず野積の浦の海苔賜へ

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蛍の瓦版〜その58   理事 児玉伸子(こしじ医院)

 長岡市医師会の役員改選

 令和2年6月1日に開催された今年度の定時総会の終了後改めて会員の承認を得て新役員が就任しました。新しい執行部における新会長は前副会長の草間昭夫先生で、副会長は留任の荒井義彦先生と新たに就任された高橋暁先生です。
 2期4年間会長を務められた長尾政之助前会長は監事に就任され、引き続き医師会のために御尽力いただけることとなりました。長尾先生は任期中の様々な通常の職務に加え、その他にもいくつかの特記すべき業績があります。

 フェニックスネット

 そのひとつは、“長岡在宅フェニックスネット”を“フェニックスネット”へ発展的に移行されたことです。5年前から本格運用を開始した長岡版ICT(Information and Communication Technology)である“長岡在宅フェニックスネット”は、多職種間の連携を円滑にする目的で当初は主に医療(医師と訪問看護ステーション等)において活用されていました。
 平成29年度には、総務省が募集した“クラウド型EHR(Electric Health Record個人健康記録)高度化補助事業”に採用され、約6千4百万円の補助金が交付されました。これは“長岡在宅フェニックスネット”に加え、長岡赤十字病院や長岡中央綜合病院等の病院間でもクラウド上で医療情報の共有を行うもので、災害時にも対応しており、“長岡フェニックスネット”と名称を変更しています。
 また小千谷市魚沼市医師会のうち小千谷地区が、今年の4月1日より正式に参加されることとなり、名称も長岡を外し単に“フェニックスネット”と改称しています。4年前は2千余件であった登録数も、現在は1万7千件を超え参加機関も多職種となり、救急現場でも活用されています。

 長岡市医師会百周年記念事業

 今年は長岡市医師会が設立されてから百年の節目となるため、百周年記念事業として講演会と祝賀会及び記念誌の発行を準備しておりました。しかし現在のCOVID-19の流行による社会情勢を鑑み、来年に延期することとなりました。

 COVID-19 PCR検査

 先月の新聞報道でも紹介されましたが、長岡市医師会では新潟県の委託を受け、長岡保健所管内を対象としたCOVID-19のPCR検査センターを5月18日に開設しました。ドライブスルー形式での検体採取に協力いただける方を対象に、会員の方々が検査の必要性を認め、事前予約から結果説明まで対応していただけることが必須です。予約申し込みや詳細についてのご質問は医師会事務局までお願いします。
 また先日検体採取のためのボランティアをお願いしたところ、40名近くの会員からご参加いただけることとなり、皆様には防護服の着脱訓練も受講していただきました。ご協力ありがとうございます。

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巻末エッセイ〜長岡野菜 神楽南蛮(その2) 江部達夫(江部医院)

 前回は神楽南蛮との出会いについて書いたが、その後のエピソードと料理法を述べてみたい。

 平成16年10月23日夕刻、新潟県の中越地区は30分の間に、震度7、6強、6弱の3度の地震に襲われた。2度目の地震の震源地は山古志村であり、村は壊滅的な被害を受けた。美しい棚田は崩れ、棚田の間に点在していた特産品の錦鯉の養殖池も壊れ、大きな損害を出した。

 山崩れにより道路はあちこちで寸断され、ライフラインも壊滅。長岡市郊外の丘陵地に造成されていた住宅団地に仮設住宅が造られ、山古志村の全村民が移住した。平成19年12月には道路やライフラインも復旧、住民は故郷に戻った。尚平成18年4月、山古志村は長岡市に合併。

 震災翌年の春、仮設住宅周辺の宅地を畑に転用、住民共同で自分達用の野菜作りを始めた。神楽南蛮は住民には欠かせない野菜の一つであった。平成17年の夏、神楽南蛮は実ったが、村で作っている物とは違い、小さく辛みも不足した物だった。

 18年の春は山古志村から土を運び、団地の土に混ぜ神楽南蛮の苗を植えた。夏には見事な南蛮が実った。

 このエピソードと神楽南蛮の旨さがマスコミの話題に上り、一部市場に出回った。長岡市民にもファンが次第に増えていった。現在山古志から集荷されたものがスーパーに並ぶがすぐに売れてしまう人気野菜だ。

 10年前から私は関川村の友人に苗を送り、神楽南蛮と十全茄子を作ってもらっている。南蛮は十分に辛く、茄子は猿に食われても、南蛮には手を出さない。学習したようだ。

 神楽南蛮は工夫次第でいろいろな食べ方がある。先ずは焼き南蛮、一個のまま表面が軽く焦げる程度に焼き、醤油を付けてたべる。南蛮の味が最もよくわかる。内部の種をつけるわたが極めて辛く、次いで種で、果肉の辛みは薄い。

 地元では南蛮と茗荷を刻み、十全茄子と胡瓜をなた切りにして塩を加え軽く揉み、即席の漬物に。たたきと称し、酒のつまみ、ご飯の友に。てんぷらは半分に割り、種とわたは好みに応じて残して揚げる。強い辛みも丸くなり食べやすくなる。南蛮を丸ごとお酒で煮込み、醤油と砂糖で煮しめる。佃煮だ。保存食となり、ご飯と一緒に食べるとうまい。

 十全茄子と神楽南蛮の炒め物。茄子と南蛮を四つ割りにして油で炒め、砂糖と味噌で味付けを。ご飯が何杯でも食べられる。極め付きは炒飯。炒飯は各家庭で作っているやり方でよいが、ご飯を炒めている途中で、みじん切りにした南蛮を好みにより入れる。私はたっぷり入れ、火事になった口を冷たいビールで冷やしながら食べるのが好きだ。病みつきになる。神楽南蛮は7月から10月まで実を付ける。山古志では塩漬けにして保存、冬場に辛みを楽しんでいる。

 私の保存方法は冷凍だ。マイナス60度の冷凍庫で保存するので、年中楽しめる。南蛮には時に芋虫が入っている。蛾の幼虫だが、100個の南蛮を二つ割りにしてみると、2、3個に虫が入っているので要注意。割った南蛮はフードプロセッサーにかけて細切りに。フリーズバッグに入れて冷凍庫で保存。使う時は擂粉木で叩きわる。神楽南蛮は素手で扱うのは厳禁。指先に辛みが染みこみ、焼き付くような感になる。口内の辛味はすぐに消えるが、皮膚に染みこんだ辛みは、洗っても取れない。半日はぴりぴりしている。その指で排尿しようものならもっとたいへん。慣れないうちはポリエチレン手袋の着用を。

 神楽南蛮を長岡を代表するような野菜に育ててゆきたいものだ。

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