長岡市医師会たより No.492 2021.3


もくじ

 表紙絵 「アカプルコの海岸」 木村清治
 「突然、花火の揚がる街〜「新潟人」がみた長岡」 大和 靖(長岡赤十字病院)
 「外科系休日急患診療所のはじめ」 伊藤本男(伊藤皮膚科クリニック)
 「第13回中越臨床研修医研究会
 「新潟県医師会研修医奨励賞」 理事 児玉伸子(こしじ医院)
 「巻末エッセイ〜新型コロナの贈り物」 福本一朗(長岡保養園)



「アカプルコの海岸」 木村清治


突然、花火の揚がる街〜「新潟人」がみた長岡 大和 靖(長岡赤十字病院)

 私は、生粋の「新潟人」で、半年や1年の短期出張はありましたが、還暦近くまで、ほぼ新潟で生活していました。ところが、諸般の事情により、2012年4月に、50代後半で長岡赤十字病院呼吸器外科に赴任しました。はじめは、数年で新潟に帰る予定でしたが、ずるずると経過し、長岡生活も9年になりました。今や長岡は第二の故郷ですが、今回、「新潟人」の眼からみた長岡について、述べてみたいと思います。
 私の高校時代、長岡出身の体育の先生が「長岡は、武士の町だ。戊辰戦争の時、獲られた城を奪還したんだぞ。それに比べて、新潟は町人の町だ。漢(おとこ)は育たない」と豪語していました。確かに、長岡出身の偉人は、河井継之助、小林虎三郎、山本五十六、外山脩造(アサヒビール、阪神電鉄等の創業者)、中川清兵衛(日本のビール醸造の父)など、漢を感じさせる「硬派」ですが、新潟市出身はというと、軍人、政治家はおらず、作家の坂口安吾、新井 満、藤沢 周、漫画家の水島新司、高橋留美子、魔夜峰史、歌手の小林幸子などで、いわゆる「軟派」です。硬派では、ラグビー日本代表の稲垣啓太くらいでしょうか。尤も、彼は旧新津市の出身です。
 長岡にきて驚いたのは、予告なしに、いきなりドーンと花火が揚がることでした。音が聞こえてから、すぐに外を見ても、間に合わないこともあるし、連発打ち上げで続きを見られることもあります。ときには、尺玉やスターマイン級の花火が揚がり、びっくりすることもあります。
 生活の面では、長岡はとても住みやすい街ですが、やはり雪の量は、「新潟人」にとっては、驚異です。2018年の冬は大雪で、車道の脇に高い雪の壁ができて、車は駐車場から出られず、徒歩しか移動手段がないこともありました。しかし、積雪量は年によって大きく違うことも、実感しました。2019年と2020年の冬は少雪で、除雪もほとんど必要とせず、とても楽でしたが、2021年はまた大雪になりました。そして、雪が降った時、消雪パイプのありがたさが良くわかりました。これを発明した「浪花屋製菓」の創業者、今井與三郎は素晴らしいアイデアマンだと思います。また、水びたしの道にはゴム長靴が最強と“身に(足に)しみて”わかりました。
 長岡赤十字病院の上階病棟から見える、信濃川と河川敷、東山連峰とその上に頭だけ見える守門岳は、四季折々の変化を見せてくれて、まさに絶景でした。2019年10月には大雨のため、信濃川が氾濫し、上から見ると、もう少しで水が土手を越えそうになって、ひやひやしました。土手の上はランニングやウォーキングに最適な場所です。惜しむらくは、街灯がないので、夜は真っ暗になることです。何とか一部でも街灯が設置できないでしょうか。そうすれば、市民の健康増進に大いに役立つと思います。
 そして、長岡といえば、日本一いや世界一の大花火大会です。毎年8月2日と3日は長岡に住んでいる幸せをかみしめる瞬間でした。2012年、はじめて長岡の花火を生で見たとき、その、迫力、華麗さ、スケールの大きさに圧倒されました。特に、フェニックスを見た時は、「なんだこれは!!」と、しばらく茫然としていました。また、長岡花火は、単なる競技大会ではなく、「慰霊、復興、平和」への思いを込めて、打ち上げられることを学び、さらにはまっていきました。翌年からは、有料席を購入し、2日は右岸、3日は左岸と、両岸から見て楽しんでいます。長岡の人は、いつも同じ場所で、見ることが多いようですが、一度対岸から見ることをお薦めします。見え方が全然違います。全体がきれいに見えるのが右岸、迫力で圧倒されるのが左岸でしょうか。花火の後、数日は「打ち上げ開始でございます。」のアナウンスが、耳から離れません。その大好きな長岡花火が、2020年はコロナ禍で、戦後初めて中止となりました。花火のない長岡の夏が、こんなに寂しいとは思いませんでした。2021年は、何とか復活してほしいと、切望しています。
 放浪の天才画家「山下清」が描いた、貼り絵の「長岡の花火」は、彼の最高傑作と言われています。彼が、亡くなる時の最後の言葉は「今年は、どこの花火を見に行こうかな」だったそうです。きっと、頭のなかには、長岡の花火が浮かんでいたのではないでしょうか。そんな、長岡花火に魅了された「新潟人」も、第一の故郷へ帰ることになりました。長岡花火の「復活の日」には、万難を排して参上するつもりです。必ずその日が来ることを信じています。9年間、大変ありがとうございました。

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外科系休日急患診療所のはじめ 伊藤本男(伊藤皮膚科クリニック)

 長岡市に、外科系の休日診療所がスタートして丁度40年になった。
 私の所に、その時、即ち1981年(昭和56年)9月7日の毎日新聞が残っている。その新潟版の紙上に「休日のケガ まかせて」と、県内初の外科系休日急患診療所が、市と医師会が協力してスタートした旨の記事がのった。場所は、長岡市柳原町の市役所柳原分庁1階にてであった。舎内には、既に内科、小児科、歯科の休日急患診療所が開設されていたが、産婦人科と共に外科系は、それまで在宅当番制をとって来たが、毎週診療先が変わるのは不便であり、治療も遅れがちであった。そこで市は医師会の協力で、外科系開業医20人が交代で診療所に詰めてもらうことにし、市が770万円の補正予算をくんで、実現にこぎつけたのである。
 このオープン初日のトップバッターに当たったのが私であった。様々な患者が30名来られた。新聞には、私共の診療中の様子を撮った写真が添えてあった。
 診療所は、その後西千手の市健康センターを経て、現在は、幸町の元市役所庁内さいわいプラザに移転したが、40年経った今日も立派に運営されている。今後も変わりなく、市民のために継続されてゆくことであろう。休日を返上して勤務される先生方の労を多としたい。

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第13回中越臨床研修医研究会

 令和3年2月2日(火)18時45分〜 長岡市医師会館

腎機能正常で酸化マグネシウムによる高マグネシウム血症で意識障害をきたした1例  長岡赤十字病院 岸 諒太

酸化マグネシウムは安全性が高い便秘薬として頻用されているが、腎機能障害患者では高マグネシウム血症のリスクがあり注意を要する。今回腎機能正常にもかかわらず常用量の酸化マグネシウム内服で高マグネシウム血症をきたした1例を経験した。症例は71歳女性。腎機能障害の既往はなく、慢性便秘で酸化マグネシウム1000〜2000 mg/日を長期に服用しており、進行する意識障害を主訴に救急搬送された。Cre 0.71 mg/dlと正常範囲だったが血清Mg 21.3 mg/dlと著しい高値を認めた。CTでは腸管内に多量の宿便と腸管の浮腫性変化を認めた。入院後カルチコール投与、大量補液の上4時間血液透析を施行したところ、血清Mg 8.2 mg/dlまで減少し意識状態の回復も認めた。翌日血清Mg 11.2 mg/dlと再上昇傾向だったため再度2時間の血液透析を行った。その後尿量は増加したため透析は同日で離脱した。血清Mgは徐々に低下し、第4病日に正常化した。経過中腸炎が疑われたため、下部内視鏡検査をしたところ、宿便性直腸潰瘍と閉塞性腸炎の診断となり、第6病日に消化器内科に転科した。
マグネシウムは生体内でナトリウム、カリウム、カルシウムに次いで多い陽イオンであり、その代謝は腸管と腎臓で行われている。腎機能が正常であれば尿中への排泄力が高い(250 mmol/day)ため高マグネシウム血症をきたすことは稀である。しかし腎機能正常でも高マグネシウム血症をきたした症例は複数報告されている。機序としてはマグネシウムの経口摂取量の増加、糞便からの排泄低下による腸管へのマグネシウムの長期停留、潰瘍・出血・炎症などの消化管病変で吸収率の上昇、腎血流の低下が挙げられる。腸管からの吸収は能動的輸送と受動的輸送による経路があり、受動的経路が80 %の吸収を担うとされる。本症例では高度便秘による糞便からの排泄低下と閉塞性腸炎による吸収率上昇が直接的な発症因子となり、経口摂取の低下による脱水が促進因子として考えられた。腎機能正常であっても高マグネシウム血症を起こすリスクがあり、経口摂取不良な場合や酸化マグネシウム内服下でも高度便秘が持続する場合は血清Mgをフォローし必要に応じて休薬を検討するべきである。

SGLT2阻害薬を併用中に尿路感染症、敗血症を合併し、エンドトキシン吸着を含む集学的治療で救命された1例  立川綜合病院 植木香奈

【症例】70歳代女性
【主訴】発熱
【既往歴】脳梗塞(右片麻痺)、糖尿病
【現病歴】69歳で脳梗塞を発症時に糖尿病を認め、DPP-4阻害薬、グリニド製剤を開始された。X年5月、イプラグリフロジンを追加された。X年6月、発熱、ショック状態で当院救急外来に搬送された。搬送時尿閉で、また膿尿、水腎症、両側腎腫大を認め急性腎盂腎炎、敗血症と診断され、集中治療室に入院した。
【入院後経過】SOFAスコア9点(院内死亡率33%)、APACHE IIscore 32点(推定死亡率0.88)の敗血症で集中治療を開始するも、集中治療室入室直後に徐脈から心停止に至った。心肺蘇生開始してから5分後に自己心拍再開した。その後十分量の抗菌薬に、昇圧剤を最大カテコラミンインデックス24まで要し、エンドトキシン吸着(以下PMX-DHP)を2日間併用した。第3病日にドパミン、第4病日にノルアドレナリンを終了し、第6病日に抜管、第14病日に一般病棟へ転室した。多発性脳梗塞を合併したが、第59病日に療養病院に転院した。
【考察】SGLT 2阻害薬は、心・腎保護効果が期待される経口血糖降下薬である(NEJM 2015, 2016)。尿糖を増加させるが、尿路生殖器系感染リスクが上昇するか否か議論がある(BMJ open 2019)一方、55例の重篤な尿路生殖器感染の報告もある(Ann Intern Med. 2019)。SGLT 2阻害薬の投与には慎重な検討し、開始後も尿路生殖器感染に十分注意すべきである。また本例を含む重篤な尿路感染症の救命にPMX-DHPは有効である(TAD 2019)。これまでにSGLT 2阻害薬投与に合併した尿路感染、敗血症にPMX-DHPを施行し救命した報告はなく、貴重な症例と考え報告する。

TAVIの早期心筋障害と血行動態変動による経時的な心房の電気的リモデリング  立川綜合病院 本間裕二郎

【序論】経カテーテル大動脈弁置換術(transcatheter aortic valve implantation:TAVI)は左房の伝導障害に対するリバースリモデリングが期待されるが、その詳細はほとんど報告されていない。本研究の目的はTAVI前後の心電図のP波の変動を測定することにより、左房伝導障害の変化を検討した。
【方法】2017年7月26日から2020年1月22日まで大動脈弁狭窄症に対してTAVIを施行した患者29人を対象とし、心電図のU誘導のP波の幅であるP-wave duration(PWD)と、V1の下向き成分の深さであるP-wave terminal force in lead V1(PTFV1)を測定対象とした。これらを白血球数、CRP、トロポニンTと共に経時的に測定した。
【結果】TAVI後1日目のPWDとPTFV1はTAVI前のPWDより増大が認められた(113±9 ms→122±11 ms, P=0.002, 2066±842 μV*ms→2641±1062μV*ms, P=0.043)。2日目以降のPWDとPTFV1は減少したが1−6か月後はTAVI前と比較して有意差があるとは言えなかった。CRP、WBC、トロポニンTはTAVI後一週間以内の増加が認められた。
【結論】TAVI手技は心筋障害を介して左房負荷のリバースリモデリングをもたらしPWDとPTFV1を一過性に増大させるが、以後緩やかなリバースリモデリングが示唆された。

バセドウ病治療中に二次性甲状腺機能低下により心不全が顕在化した拡張型心筋症の1例  長岡中央綜合病院 植木宏登

【症例】34歳、男性
【主訴】呼吸困難感
【現病歴】X−1年8月、バセドウ病と診断。メルカゾール15 mg/日で治療開始されたが、効果不十分で30 mg/日に増量された。X年9月頃、夜間就寝中の息苦しさを自覚。X年10月呼吸困難感が出現し改善せず当院救急外来を受診。両肺野でラ音を聴取し、起座呼吸となったためNPPVを装着し入院となった。
【入院時検査】ECG:洞調律。胸部Xp:心拡大、肺うっ血あり。心エコー:左室拡大・壁運動低下あり、心嚢液貯留なし。血液検査:BNP 254.40pg/ml、TSH 0.79μIU/ml、FT3 1.34pg/ml、FT4 0.61ng/dl。
【経過】利尿剤・ARBによる治療への反応は良好で、第2病日NPPVから離脱し順調に回復。また、内分泌内科にコンサルトし、心不全治療と並行して甲状腺ホルモンの調整を行った。心カテ:冠動脈に有意な狭窄なし、左室拡大あり左室駆出率30.8 %。心筋生検:胞体の大小不同、核不整、間質線維化あり。バセドウ病治療中の二次性甲状腺機能低下により心不全が顕在化した拡張型心筋症と診断。β遮断薬を導入し第40病日退院した。
【考察】心臓は甲状腺ホルモンの主要な標的臓器であり、ホルモン異常により構造的/機能的異常が生じ心不全が惹起される。甲状腺機能亢進による高拍出性心不全や慢性甲状腺機能低下による心拍出量低下が代表的であるが、甲状腺機能低下単独で心不全を呈することは少なく、末梢での酸素需要の増加に見合うだけの心拍出量が得られない場合や、心膜液貯留がある場合などに心不全を発症することが多いとされる。
本例は拡張型心筋症が基盤に存在していたため、バセドウ病治療中の一過性甲状腺機能低下で心不全が顕在化したと考えられた。

約30cmの直腸脱を発症した若年女性の1例  立川綜合病院 栗山桃奈

直腸脱は一般に高齢女性に多い疾患だが、今回若年女性で約30 cmの腸管が脱出した症例を経験したので報告する。症例は27歳女性。慢性の便秘症であり、手術歴や出産歴は無かった。腹部膨満、腹痛を主訴に前医を受診した。腸閉塞を疑われ、当院消化器内科を紹介受診した。S状結腸軸捻転の診断で入院し、内視鏡的に整復した。病態安定にて退院したが、退院23日目に排便時に肛門から腸管が脱出したため、当院救急外来を受診した。来院時、肛門より腸管の30 cmほどの脱出を認めた。腹部造影CTでS状結腸〜直腸が腸管膜とともに肛門から脱出しており、脱出した腸管および腸管膜の造影効果はやや低下していた(図)。用手還納困難であったため、緊急手術を施行した。開腹し腹腔内から腸管牽引と肛門からの用手還納にて脱出した腸管を整復した後、S状結腸切除術を施行した。病態安定にて術後9日目に自宅退院し、その後症状の再燃なく、酸化マグネシウム内服にて排便コントロールを行っている。S状結腸捻転症は高齢者または長期臥床者に多く、直腸脱も高齢女性に多い疾患である。本症例のような若年女性は少ない。直腸脱の発症機転は直腸が滑脱して肛門外に脱出するヘルニア説と口側直腸の重積に由来する重積説に大別される。直腸脱の病態にはその他にもいくつかの解剖学的構造異常が関わっており、直腸およびS状結腸過長もそれに含まれる。今回のS状結腸の捻転と脱出の原因はS状結腸過長と考えられるが、これほど長く腸が脱出する症例は稀であり、文献的考察を加えて報告する。

後腹膜脱分化型脂肪肉腫の1例  長岡中央綜合病院 中島香凛

 【はじめに】脂肪肉腫は四肢、体幹、後腹膜に好発する腫瘍であるが、組織分類中の亜型である脱分化型脂肪肉腫はその中でも5 %以下と報告されており稀な疾患である。今回、腹膜播種を伴う後腹膜脱分化型脂肪肉腫に対して集学的治療を行った一例を報告する。

【症例】症例は62歳男性で、ドックの超音波検査で巨大な腹部腫瘤を指摘され来院した。CTで下行結腸左側に9.5cm大、辺縁は造影良好、内部は不均一に造影される腫瘤を認めた。左大腰筋にも同様の造影効果を有する2.7cm大の腫瘤を認めた。消化管間葉系腫瘍の術前診断で左半結腸切除、腰方形筋、大腰筋を合併切除し、腫瘍をen-blockに切除した。病理組織学的所見ではHE染色で悪性線維組織球症と診断されたが、免疫染色でMDM2陽性で最終的に脱分化型脂肪肉腫と診断された。また、腰方形筋合併切除部位で組織学的断端陽性であった。術後6か月で8個の腹膜播種結節が出現した。Doxorubicin 6コース後、部分奏功が得られ、Eribulin(以下Eri)療法を継続した。Eri療法15コース後左側腹部の播種結節のみ増大した。他病変は部分奏功を維持していたため、初回手術から2年で左側腹部播種結節のみ切除した。病理組織学的に脱分化型脂肪肉腫の再発と診断された。再切除後もEri療法を継続し、再切除後8か月経過した現在再増大なく経過している。
【考察】脱分化型脂肪肉腫の診断にはMDM2が有用であり、本症を念頭におき免疫染色を行うことで正確な診断が得られる。切除で断端陰性を確保することが重要であるが、本症例のような巨大な腫瘍では難しいことを痛感した。腹膜播種再発に対し化学療法で縮小効果が得られ、その後再増大した腫瘤のみ切除し、同レジメンを継続し、Stable diseaseを維持しており、比較的まれな脱分化型脂肪肉腫の集学的治療を考えるうえで重要な症例と考えられた。

難治性特発性乳び胸の1例  長岡赤十字病院 鈴木紗也佳

【症例】25歳、男性
【主訴】両下腿浮腫、咳嗽、息切れ
【既往歴】小児喘息
【外傷・手術歴】特記事項なし
【現病歴】X年9月上旬から両下腿浮腫が出現した。その後咳嗽、息切れが出現し、前医を受診し、胸部レントゲンで右大量胸水を認め当院へ紹介された。初診時、右呼吸音は聴取されず、胸部CTで右大量胸水を認めた。同日入院し右胸腔ドレーンを挿入し、乳白色の胸水を認め、乳び胸が疑われた。胸水TG:465 mg/dLと高値、CEA、ADAの上昇なく、一般細菌培養、抗酸菌培養、細胞診は異常を認めなかった。血液検査や胸腹部造影CTで原因が指摘されず、特発性乳び胸と診断した。脂肪制限食は、効果がみられず、絶食でIVH管理とし、サンドスタチン、エチホールの投与を行ったが、胸水は減少しなかった。リンパ管シンチグラフィーでは、胸腔内の下位胸椎レベルでの漏出が疑われた。外科的治療の方針となり、開胸下胸管結紮術を行った。術中に漏出部同定はできなかったが、より腹側で胸管をクリッピングした。術後も排液量は減少せず外科に転科し、開腹下経食道裂孔的胸管結紮術を施行した。術前脂肪投与による漏出部特定はできず、ICG蛍光法により胸管を特定し、二重結紮した。術後胸水TGは低下し、経管栄養を開始した。しかし排液量が増加したため、OK-432での胸膜癒着療法を行った。その後排液量が減少し、脂肪制限食を開始したが、胸水が白濁、胸水TGが上昇し乳び胸の再発が疑われた。さらに胸膜癒着療法を行った。胸部CTで被包化した右胸水貯留が認められ、再度胸膜癒着療法を施行した。その後は排液量は減少し、食事再開後も、胸水増加はなく、ドレーンを抜去、退院した。退院後も胸水再貯留は認めなかった。
【考察】本症例は保存的治療で、改善なく、栄養状態が悪化したため、外科的治療の適応と判断した。術前検査で乳び漏出部を確認し、手術したが間もなくして再燃し、胸膜癒着療法を繰り返し行うことにより治癒が得られた。外科的治療で改善しない原因としては腹部のリンパ管から横隔膜上への微小なリンパ管の側副路の形成などが考えられており、本症例も同様の原因が推察された。

脳幹と脊髄に梗塞を呈した神経サルコイドーシスの55歳女性例  長岡中央綜合病院 加藤夏生

【症例】55歳 女性
【主訴】発熱、左手足のしびれ感
【現病歴】X−1年7月右橋ラクナ梗塞で当院脳外科に入院した。同年12月に美容院で頭皮の皮膚病変を指摘された。X年3月から夕方に熱っぽさを自覚していたが検温はしていなかった。6月Y日の朝から左手の指先、その後左手全体と肩、左下肢にしびれ感が広がった。6月Y+2日に当院脳外科を受診し、MRIで頚髄左背側にDWI高信号変化を指摘され同日入院となった。
【既往歴】薬疹(セレコキシブ)、検診異常なし
【入院時現症】体温36.4℃、夕方に38℃台の発熱あり、脈拍61回/分、血圧123/69mmHg、左側頭部に1 cm×2 cmの瘢痕性病変あり。神経学的には左手関節より遠位と左臀部から下肢末梢にかけて異常感覚あり、Romberg徴候陽性。
【入院時検査所見】頭部MRIでC1レベルの脊髄左背側にDWI高信号、ADC低下を認めた。一般検血、生化学には異常なし。
【入院後経過】不明熱の精査のため造影CT、MRIを施行したところ、大脳、小脳、脳幹、脊髄の表面にびまん性の異常造影効果および肺門リンパ節の腫脹を認めた。Gaシンチグラフィーでは左側頭部、右肺門・縦隔・左総腸骨動静脈周囲リンパ節に集積を認めた。BALFではCD4/CD8比7.2と上昇を認めた。血液検査で可溶性IL-2レセプター625U/ml、ADA 24.1U/lと高値を認めたが、ACE、リゾチームは正常であった。脳脊髄液検査で細胞数33/μl(単核球100 %)、蛋白232mg/dlと上昇を認めた。糖は28 mg/dlと軽度低下していた。脳脊髄液の培養、細胞診は陰性であった。頭皮病変の生検で非乾酪性肉芽腫を認め、皮膚、肺、神経サルコイドーシスと診断した。プレドニゾロン55 mgの内服を開始したところ、解熱したが、しびれは残存した。脳と脊髄表面の造影効果は改善した。
【考察】サルコイドーシスの中でも神経症状を合併するものは5 %程度と比較的稀で、その中では脳神経障害が多いとされているが、脳梗塞に至る例は少ない。脳梗塞を起こす機序としては、脳実質内の血管周囲に沿って肉芽腫が波及し、侵入した肉芽腫性病変が血管壁に浸潤することで、中膜や内弾性板の破壊を伴う肉芽腫性血管炎を生じ血管の閉塞に至ると考えられている。
【結語】サルコイドーシスに脳血管障害はまれながら合併する。動脈硬化のリスク因子がない、若年であるなど、脳梗塞の成因に疑問がある場合は、造影MRIまたはCTを撮影すると有用である可能性がある。

クロイツフェルト・ヤコブ病と鑑別を要した橋本脳症の1例  長岡赤十字病院 高橋恵実

【症例】63歳、女性
【主訴】ふらつき、易転倒性、反応性低下、認知機能低下、痙攣
【現病歴】入院3カ月前から易転倒性、反応性低下が出現、2カ月前から料理などの家事が困難になる等の認知機能低下を来し、2週間前からは歩行困難や箸の持ち方がおかしい等の症状も出現した。入院当日の起床時から喋りづらさがあり、その後強直間代性痙攣を来し当院へ搬送入院した。入院時の一般身体所見では、体温40.4度の発熱以外に特記事項はなかった。神経学的所見では失読、座位保持困難などの失行といった高次脳機能障害、顔面・四肢にミオクローヌスを認めた。入院時検査所見では、尿路感染症のためと考えられる白血球増多とCRPの上昇を認めたほか、TSH 5.16 mmIU/mlと軽度高値、FT3とFT4は正常範囲内で特異的所見はなかった。クロイツフェルト・ヤコブ病(Creuzfeldt Jakob Disease:CJD)を鑑別に各種検査したが、頭部MRI DWIでの異常高信号、脳波での周期性同期性放電、髄液中14−3−3蛋白といったCJDに特徴的な所見はいずれも認めなかった。橋本脳症の可能性を考慮した各種検査で血中TSA b 122 %、抗Tg抗体363 IU/ml、抗TPO抗体2000>IU/ml、髄液中抗TPO抗体 13.2 IU/mlと血液・髄液中の抗甲状腺抗体が陽性であった。その他抗神経抗体、腫瘍マーカーは陰性であった。以上より橋本脳症と診断し免疫治療を開始した。ステロイドパルス療法とPSL内服療法、症候性てんかんに対しての抗てんかん薬の調整を行い、ミオクローヌス、痙攣は改善した。しかし脳症の後遺症と考えられる幻覚・妄想といった精神症状は長期に残存し、入院105日目に精神科病院に転院した。
【考察】本例は亜急性の経過で認知機能低下、痙攣、ミオクローヌスを伴い、臨床的にはCJDに類似した橋本脳症の一例であった。髄液中抗甲状腺抗体が陽性であり診断の一助となった。CJDの鑑別疾患として、治療可能な疾患である橋本脳症を挙げることは極めて重要と考える。

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新潟県医師会研修医奨励賞   理事 児玉伸子(こしじ医院)

 新潟県医師会では昨年度から県内で研修する2年目の研修医を対象に、新潟県の医療が抱える課題や今後の医師会の役割等に関する提言を募集しています。

2回目である今回は、長岡赤十字病院の冨田大祐先生の“新潟県の救急医療のこれから”が最優秀賞を受賞されました。また立川綜合病院の相田涼先生は優秀賞を受賞され、長岡赤十字病院の高橋恵実先生も提言をまとめられました。受賞論文は近々に新潟県医師会の「勤務医ニュース」に紹介されます。新鮮な視点からの興味深い提言を是非御覧下さい。

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巻末エッセイ〜新型コロナの贈り物 福本一朗(長岡保養園)

 世界中を恐怖と混乱に陥れた新型コロナは、1億人を超える感染者と260万人を超える死者を出しただけでなく、都市封鎖・国境閉鎖さらに営業自粛・旅行禁止などの政策的強制処置で世界の人的交流と経済活動を破壊するという大惨事を引き起こしました(Fig. 1)。

 しかし“禍福は糾える縄の如し”、物事には必ず悪い面と良い面があります。新型コロナが再発見させてくれたことには、

 @今まで効率第一であった座席を三密回避の余裕ある配置にできたこと。

 A仮想現実では得られない、実際に会ってお互いに顔を見て肌に触れながら交流することの必要性。

 Bこれまで雀の涙であった生活困窮者への実際的直接経済的支援の見直し。

 Cリモートワークによる都心集中回避通勤形態の実現。

 Dエッセンシャルワーカーへの感謝。

 E決して不要不急の贅沢などではない芸術・文化・学問の大事さ。

 F家族親族と共に過ごす時間の貴重さ。

 G個人の自由を奪う“国家生権力”の残酷さ。

 H“立って半畳寝て一畳起きて食ろうても2合半”の質実生活。

 I人生・幸福・社会に対する自分なりの考察の大切さ。

 J命の危険を顧みず献身的に働く介護・医療従事者・宅配ドライバーへの感謝。

 Kマスク手洗い消毒の大切さ。

 L自らを観察する時間の余裕によるこれまでの生き方の反省。

 などがあげられます。

 しかし最初からパンデミックが長期戦になることを覚悟しながら早期の集団免疫確立を目指して「休校・飲食店営業規制・入国規制移動規制・外出制限・公園閉鎖もなく、美容院ジム映画館も通常営業」と、経済にも社会にも負担をかけない道を選んだスウェーデンでは感染率こそ27%でしたが(日本は0.1%)、致死率はロックダウン組の英・伊・露・仏より低水準でした(Fig.2)。新型コロナが教えてくれることはまだまだ多いように思えます。

Fig. 1 新型コロナ下のベネチア(2020.2.23)

Fig. 2 致死率&感染率比較(2020.11.14)

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