長岡市医師会たより No.501 2021.12


もくじ

 表紙絵 「暮れる海」 丸岡 稔(丸岡医院)
 「移転開業・承継のご挨拶」 三間 渉(みつまクリニック)
 「退職後の夢」 小林代喜夫(立川綜合病院)
 「蛍の瓦版〜その68」 理事 児玉伸子(こしじ医院)
 「巻末エッセイ〜エーゲ海の島々」 富樫賢一



「暮れる海」 丸岡 稔(丸岡医院)


移転開業・承継のご挨拶  三間 渉(みつまクリニック)

 医師会の皆様、こんにちは。三間渉(みつま・わたる)と申します。2020年10月に父 三間孝雄を引き継ぎ表町に移転をしてから、1年が経過いたしました。医師になってから長岡で勤務するご縁がなかったため、知り合いの先生も決して多くはない状況での承継でしたが、さらにコロナ禍が重なったため、まだ多くの方にお会いしてご挨拶ができておらず、申し訳ない気持ちでおります。今回はこのような機会をいただきましたので自己紹介とクリニックの紹介をさせていただこうと思います。
 私は昭和49年の新潟市生まれで父 三間孝雄が三間内科医院を開業する際(昭和62年5月)に父の地元であった長岡に移り住み長岡東中学校、長岡高校、島根医科大学(今は島根大学になってしまいました)を経て新潟大学内科研修後に第一内科に入局しました。幼い頃から「医師=聴診器を使う」というイメージがずっとあったこと、学生時代に急性心筋梗塞のダイナミックな治療で、苦しんでいた患者さんが元気に歩いて帰るのをみて循環器内科を目指そうと思い、研修中もその思いは変わらず入局となりました。循環器内科はボロ雑巾のように働かされるとよく言われていましたが、まさにその通りのような数年を過ごし、お世話になった先輩に引っ張られるように本来私がやりたかった虚血性心疾患ではなく心不全のグループに入り、大学院で研究もさせていただき、紆余曲折ありましたがその後は救命救急に行くことになりました。命にとことん向き合う救命救急はとても勉強になりましたが、外傷などの治療よりもやはり自分は内科、循環器内科をやりたいという気持ちを改めてもち東日本大震災直後の2011年4月に前任の信楽園病院循環器内科に赴任となりました。信楽園病院では急性期から慢性期まで幅広い循環器疾患の診療をさせていただきました。しばらく腰を据えて診療を行う見込みであったため、心臓リハビリテーションの立ち上げや心不全の入院診療のシステム作りに尽力しました。いつかは長岡に戻るだろうと漠然と思ってはいましたが、数年前に父から承継の要請がありました。当時、高齢心不全患者が年々増加してきており、地域の診療所の先生方とどう連携していくか、介護の面で地域の多職種とどう連携していくかが自分の中の課題でした。病院勤務からその課題を考えるより、思い切ってその中に飛び込んでみようという気になり承継を決断しました。そしてCOVID-19で最初の緊急事態宣言が発出される直前の2020年4月に長岡に帰りました。医局を出るときも長岡に帰るときも送別会はほとんどないような世の中で、友人には「お前が動くときは必ず何かが起こる」と散々いわれました(笑)。その後半年かけて父から引き継ぎを行い2020年10月8日表町に移転リニューアルさせていただきました(旧医院は中島で徒歩3分です)。開院して1年、患者さんを引き継がせていただいたこともあり毎日忙しくさせていただいています。多くの方に支えられて日々診療をできていることに感謝しかありません。少しずつですが、循環器の患者さんも受診していただいております。心不全は今後も高齢の患者さんが増え、在宅医療も重要になっていきます。経験を積みながら病院の先生方や地域の多職種の方々との連携にも力をいれていけるようになれたらと思っています。今は、病院で勤務していると血液検査は至急で結果がでますしCT、MRIなどの画像検査もすぐにとれる時代です。診療所にはそれらの設備は決して多くはありません。ちゃんと話をきいて、患者さんの診察をすることの大事さ、それこそ聴診器を使う大事さを再認識させられながら日々診療を行っております。医師会の諸先生方には今後ともお世話になるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

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退職後の夢  小林代喜夫(立川綜合病院)

 今回、久しぶりに“ぼん・じゅ〜る”の原稿依頼がありました。25年前の立川綜合病院赴任時の自己紹介と10数年前のサッカーアルビレックスが県内で大きな話題になっていた頃のサポーターの話と2回寄稿させて頂きました。今回、私は年明け早々に立川綜合病院を定年退職するので退職後の夢について書きたいと思います。
 私は随分前から退職後に自由な時間が出来たら、まだ行ったことのない日本各地を車でのんびりと回ってみたいと思っていました。そして、そろそろ自由な時間を持てる歳になって来ました。そこでその夢の実現のために、そして車本来の魅力に引かれて現在アウトランダーPHEVというSUV車に乗っています。ブレーキによる減速の運動エネルギーを無駄にせず電気として回収してバッテリーに蓄電し、その電気でモーターを動かしエンジンを補助する車がハイブリッド車の始まりです。そして、ハイブリッド車は進歩して最近ではブレーキによる回生電力とエンジンを動かして発電した電力をバッテリーに蓄えて普段はモーターの動力のみで動いています。そしてハイブリッド車のバッテリー容量を大きくして家庭の電源コンセントから充電出来るようにした車がPHEV(Plug-in Hybrid Electric Vehicle)車です。我が家のPHEV車は家で充電すると4時間で満充電され1回の充電で約40q走れます。充電にかかる電気料金は深夜電力で160円程度なのでレギュラーガソリン1リッターの値段です。つまり燃費は車両重量2tの車にもかかわらずリッター40qになります。近距離走行のみならばガソリンスタンドに行く必要はありません。そしてPHEV車と違ってエンジンによる発電を行わず更に大容量のバッテリーの電力のみで走る車が電気自動車(EV車)です。PHEV車やEV車はモーター駆動によるストレスのない直線的な素晴らしい加速性能やエンジン音のしない走行時の静粛性が車としての大きな魅力です。低ランニングコストでありながら優れた運動・走行性能を持つPHEV車の良さを体感した私はエンジン車や普通のハイブリッド車に戻ることはないと思います。近年このPHEV車とEV車は車としてではなく災害などの停電時に大容量のバッテリーが電力インフラとして大変有用であると注目されています。停電時に満充電のPHEV車やEV車が有れば何百台ものスマホの充電が可能であり電化製品も普通に使えます。更にPHEV車はガソリンが満タンならエンジンで発電して一般家庭の10日間程度の使用電力を賄えます。その為に新車購入時には国や地方自治体から数十万円の補助金が支給されます。残念ながら新潟県には補助金制度はありません。しかしPHEV車は突然の停電時のみならず、電源コンセントのないキャンプ場や道の駅の駐車場などのどんな場所でも電化製品が普通に使えるのです。ようやく退職後の夢の話に繋がりました。
 最近はキャンプ・ブームと言われています。新型コロナウイルス感染の影響もあり若者を中心にキャンプが流行しているようです。薪で火を起こして煮炊きをし、灯りは焚き火やランタンなどの癒し効果のある揺らめく灯りで。自然の中でテントを張るキャンプは大好きで、子供が小さい頃は家族でよくキャンプに行っていました。しかし子供が家を離れた今、夫婦でホテルや旅館の予約を気にせずにのんびりと勝手気ままに観光に行ったり、美味しいもの巡りをしたり、スポーツ観戦の遠征に出かけたりする時に車で宿泊するオートキャンプをやってみたいと思っていました。その時にPHEV車がとても便利な宿泊環境を提供するアイテムとなるのです。若者ならば車中泊も良いかもしれませんが、私も良い歳なのでここでもう一つ夢の実現のために重要なアイテムが必要となります。それはキャンピングトレーラーです。キャンピングカーと違って動力を持たずに自動車(ヘッド車)で牽引して移動します。大小様々なサイズがありますが重量が750s以下の小型トレーラーは牽引免許の必要はなく普通免許で牽引できます。キャンピングカーと比べて一番の利点は旅行に出かける時以外はトレーラーを駐車場に置き、ヘッド車は自家用車として普通に使えます。また旅先でも同様に観光や買い物で出かける時は、連結を外してトレーラーを宿泊場所に置いてヘッド車のみで気軽に動けることです。更に動力がないのでキャンピングカーに比べて価格も維持費も安い。また同じ車体サイズなら居住スペースが広くなります。小型キャンピングトレーラーの幅は約2mで長さは5m位です。断熱材がしっかりと使われています。大人4人が寝られるベッドと食卓テーブルと椅子、小さな流し台、ガスコンロ、冷蔵庫、シャワーも可能なトイレ室が有り、オプションでエアコンやテレビなどが装備可能です。新車だと高い軽自動車位の値段で買えます。小さなバッテリーが付いていてソーラーパネルも設置出来ますが、ヘッド車がPHEV車であれば電源ケーブルで繋げばバッテリー残量を気にすることなく安心して電化製品が使えます。エアコンを設置すれば夏冬に関係なく快適にすごせます。オートキャンプ界においてキャンピングカーと並んでPHEV車とキャンピングトレーラーは定番のアイテムであり、そして最強のペアなのです。旅先で地元の美味しい旬な食材を調達して料理し、それを肴に各地の日替わりの景色を眺めながら地酒を呑む。翌日の行き先は天候や地元で得た情報などを参考にして臨機応変に決める事が出来る。とても楽しみです。
 実はバッテリー容量が増強されモデルチェンジした新型車に買い替えて現在納車待ちです。後はキャンピングトレーラーの選定と購入、そして駐車場の確保が残る課題です。1月に立川綜合病院を退職しますが悠遊健康村病院に再雇用して頂き、暫くは仕事を続けるのでゆっくりと楽しみながら準備を進めようと思っています。

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蛍の瓦版〜その68   理事 児玉伸子(こしじ医院)

1.入院待機ステーション

 ニュース報道に驚かれた方も多いと存じますが、新潟県が設置主体となった入院待機ステーションが旧長岡市内に準備される事が決定されました。これは新型コロナウイルスの感染拡大により入院病床が逼迫した際に臨時的に開設し、入院待機者に対し入院先が決まるまでの間に酸素投与等の生命維持に必要な処置を実施する施設です。
 先の流行時には都市部の医療資源が逼迫し、入院先が決まらない入院待機者が多数となり大きな社会問題となりました。現在はコロナ禍の第5波は収束し小康状態ですが、新しい変異株が出現する等まだまだ予断を許さない状況です。そこで今後の感染拡大に備えて、入院待機ステーションの設置準備を各都道府県で開始しています。幸い本県では、県内全ての医療機関のご尽力と新潟県医療調整本部が上手く機能したお陰で、現状では医療崩壊には至らずに経過しております。しかし、最悪の事態を想定して準備することが、危機管理の鉄則です。
 入院待機ステーションを、旧長岡市内に設置することの適不適や運営主体の選定については様々なご意見があると存じますし、実際に県との話し合いの中で決定までには紆余曲折がありました。しかしながら最悪の事態となって長岡市内の入院待機ステーションが実際に稼働した場合を考えたとき、新潟県医療調整本部や長岡市行政および市内外の基幹病院等と連携して責任を持った運営を行える組織は長岡市医師会しかないものと考えるに至りました。よろしくご了承くださるようお願い致します。

2.自宅療養者のオンライン診療

 令和3年8月号の瓦版でもお願いしましたが、自宅療養者のオンライン診療へのご協力もお願いします。皆様はオンライン診療とコロナ感染者への対応という2点に関して敷居が高く感じられているのではないでしょうか。そこで、私、児玉伸子(こしじ医院)の経験をご紹介させて頂きます。
 6月と9月の一週間を担当しましたが、初回は丁度端境期に当たり毎日ドキドキしただけで終了しました。9月は県内に100名近い自宅待機者がいられましたが、半数以上が新潟市在住者で残りの40余名を担当しました。住所は上越から県北までと広範で、期間中は待機者の保険情報から既往歴や身体状況まで全ての情報が、当方のパソコンへメールの添付ファイルとして連日送られてきました。現況に関しては非常に丁重な内容で連日更新されており、県の担当者の仕事内容には感服しました。
 期間中に診察を希望された方は2名あり、それぞれ指定された電話番号に昼休みに電話をかけ、オンライン診療!を行いました。1名は発熱がありご本人が強く不安を訴えられたため、新潟県医療調整本部へ電話連絡し入院を手配していただきました。もう1名は軽い頭痛がありカロナールの処方を希望されたので、こちらも医療調整本部へ連絡し、指定された薬局へ処方箋をファックスと郵送して終了しました。県内各地に予め契約した調剤薬局があり、そこへ連絡すると薬剤を配達してくれるシステムです。
 最後に添付されていた保険情報を基にオンライン診療に係るレセプト請求を行い、県へオンライン診療を2件行った旨の届けを出し、新潟県医療調整本部から待機料を頂戴して全て終了です。
 自宅療養者に関するオンライン診療は当面は電話だけで行われる予定で、県へホームページへの掲載も不要です。また、コロナ感染者でも自宅療養者の大半は、無症状者や単なる風邪症状の軽症者です。その中から中等症以上で入院医療を必要とされる方や抗体療法の対象者を放置しない事が、オンライン診療の目的です。いずれもマニュアルが完備しており、感染症の専門家である必要はありません。

3.ご協力をお願いします

 入院待機ステーションの運営がどのような形になって、皆様にどのようなご協力をお願いするかはまだ不透明です。しかし、長岡市医師会では近日中に入院待機ステーションの運営にご協力いただける方を対象とした研修会を予定しております。ご無理のない範囲で結構ですので、最悪の事態に備えての取り敢えずのご参加をお願いいたします。
 また約10名程度の会員に自宅療養者のオンライン診療担当医として従事して頂いておりますが、その中には多忙な医師会の執行部役員も含まれております。こちらもまだまだ需要は続きそうです。少しでも興味のある方は是非医師会事務局までご連絡ください。なおオンライン診療を実施する為には厚労省のホームページ内のオンライン診療研修e-learningの受講が義務付けられています。2時間半程度のものなので一度覗いて見て下さい。

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巻末エッセイ〜エーゲ海の島々  富樫賢一

 目の前のエーゲ海は西と北をバルカン半島、東をアナトリア半島に囲まれ、入り江状になっていて、多島海とも呼ばれるほど島が多い。そして島の大部分はギリシャ領。
 7月24日(木)はキクラデス諸島のサントリーニ(ティラ)島とミコノス島に上陸予定。まずはサントリーニ島。イア村めぐりのエクスカーションに参加。テンダーボートで離船しアティニオス港桟橋に上陸。そこで指定された英語ガイドのバスを捜す。イタリア語、フランス語、ドイツ語のバスはダメ。日本語のバスはなし。
 火山が大爆発で没しカルデラが海になって残った外輪山の一部がこの島。港から断崖絶壁の海岸道路を北へ進み島の北端イア村へ。崖に白い壁青い屋根の教会と民家が段々状に並んでいる。その建物間の細い路地を2人で上へ上へと上がっていった。
 ここが目的地?人だかりがしている所が展望所らしい。うーん絶景!エメラルドグリーンに浮かぶ島々。外輪山の一つティラシア島はすぐ目の前。ここは日没の名所だというがそれまで待てない。
 バスで港まで戻ると、崖を降りるテレフェリック(ゴンドラリフト)の乗車駅前は長蛇の列。そして暑い日差しの中、列は遅遅として進まない。と、脇から入り込もうとするグループ。すかさず大ブーイング。ロバにでも乗れ!そう、崖をロバに乗って降りている人もいるのだ。今にもつぶれそうなロバに。
 なんとか午後1時の最終テンダーボートに間に合う。帰船30分後にはもうミコノス島に向かって出発。
 ミコノス島では島一周観光に参加。この島はエーゲ海に浮かぶ白い宝石として大人気の観光地。午後5時テンダーボートで離船、トゥーロス港桟橋に上陸。案内に従い英語ガイドのバスに乗る。
 バスは海岸線を南に向う。ミコノス・タウンを抜け、最高に美しく世界的に有名なオルノス・ビーチへ。下々には縁遠い贅沢なホテルやレストラン、そして豪華なヨット。その向こうには島のほとんどを世界遺産登録遺跡が占めるデロス島。
 さあ着いた。島の中心に在る伝統的な村、アノ・メラだ。そこで1542年に建てられたパナギア・ツリアニ教会を見学。400もある教会の中でも特にユニークとのこと。庭の美しい曲線を描く大理石の噴水に感激。
 ミコノス・タウンに戻る。港を取り囲む眩いばかりに白く輝く家々、何故ここまで白いのか。小ベニスとも呼ばれている。アノ・ミリ地区には有名な風車もあるらしい。だが疲労困憊、桟橋近くのお土産店めぐりで終わり。ペリカンを見ながらしばし休息。
 7月25日(金)はドデカニサ諸島のロドス島。リンドス市内観光に参加。ここではロドス・シティのマンドラキ港に直接接岸。パスポート・コスタカード・ツアーチケットを持って下船。茶色の城壁に囲まれた旧市街が見える。中世にイスラムと対峙した聖ヨハネ騎士団がいた城塞都市だ。
 東海岸を港からリンドスに向かう。古代3都市中最も美しいと言われている。そこでは古い家並みの間、くねくね道の石段を2人でアクロポリスへと上がっていった。入口からすぐの所にガレー船(奴隷船)のレリーフ。そして上り詰めると眼下には真っ白な家々とモザイク状の道。遺跡の中をあてもなく歩き回った。ガイドもなく。
 早めに帰船、部屋に戻る。何と言っても言葉のギャップは大きい。今日は疲れた。ん、あの葉書、もしかしてポストではなく民家の郵便受けに投函したのでは。最悪!(しかし無事届きました)

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