長岡市医師会たより No.504 2022.3


もくじ

 表紙絵 「慶会楼(ソウル)」 木村清治
 「卒後50年、開業30年、そして人生百年」 大貫啓三(大貫内科医院)
 「「俳句のある人生」を考える」 江部達夫(江部医院)
 「第14回中越臨床研修医研究会
 「巻末エッセイ〜断捨離とMOTTAINAI」 福本一朗(長岡保養園)



「慶会楼(ソウル)」 木村清治


卒後50年、開業30年、そして人生百年 大貫啓三(大貫内科医院)

 本当に長く経ったものだと思います。私は新潟大学を卒業したのが1970年ですから、卒後50年、また、大島新町に内科医院を開業したのが1992年6月ですから、もうすぐ開業30年になります。2020年に卒後50年の同級会を計画していましたが、その年はコロナ禍で、2021年もコロナ禍で開催することが出来ず、延び延びになっています。2022年にめでたく卒後50年を祝うことが出来るかどうかも分かりません。
 私は、卒業して直ぐに半年間ずつ、第一内科、第三内科、神経内科、第二内科と2年間ローテートをし、本来ならここで入局を決めるべきなのですが、我が儘を言って1年間、放射線科で余計に研修させていただきました。(今から見ると、随分勝手なことが出来たものだと思います。)この間、多くのオーベンの先生に迷惑をかけ、また、学生時代は余り付き合いのなかった多くの同級生、先輩の先生とも出会いました。最後に1年間居座り続けた放射線科では、アメリカ留学から帰国されたばかりで、現在、師と仰ぐ原敬治先生にも巡り会うことが出来、今も弟子の末席にいさせてもらってお付き合いいただいております。
 1973年、消化器内科を専門とする第三内科(主任教授:市田文弘先生)に入局させていただき、大学の医局での生活が始まりました。研究テーマを決めかねていたとき、ウルソを製造販売していた東京田辺製薬が刊行していた雑誌に載った胆汁酸の特集が目に止まりました。その頃、血中胆汁酸の測定は、ガスクロマトグラフィーを使っての測定が主流で大変手間がかかるものでしたが、この特集号の多くの著者の中で、唯一ご自分の測定データを基に論文を書いておられたのが、北海道大学第二内科の牧野勲先生でした。そこで、東京の国立教育会館で開催された日本肝臓学会に出席した折り、胆汁酸のセクションで直接牧野先生に、胆汁酸測定方法を先生の元に習いに伺っても良いかとお聞きしたところ、二つ返事で「どうぞ、いらしてください」と快諾してくださいました。後日、北海道大学に胆汁酸測定法を習いに伺ったときも、カラムから胆汁酸が溶出するのに結構時間がかかるのですが、牧野先生は、その待っている時間に私を藻岩山に連れてってくださったり、羊ヶ丘でジンギスカンをご馳走してくださったりと歓待してくださいました。もちろん、ガスクロによる測定の秘訣もふんだんにお教えいただきました。
 その後、血中胆汁酸と各種肝疾患についての仕事をしておりましたが、胆汁酸の研究を岩下貞厚先生、畠山重秋先生が引き継いでくださり、私は、市田教授から医局長に任命されました。その後は4年間ほどもっぱら医局長業務に専念し、市田教授よりいろいろと薫陶を受けました。1986年7月に立川綜合病院赴任を命ぜられ、村山久夫先生の後任の内科医長として赴任しました。
 立川綜合病院でも、同門の渡辺裕先生や片桐次郎先生、小島豊雄先生に助けられ、富山医科薬科大学の佐々木博教授の研究室から派遣された医局員や、東京医大からの医局員と共に本当に楽しく仕事をすることが出来ました。
 年齢も40の半ばを過ぎた1992年6月19日に、現在の大島新町4丁目に開業いたしました。開業以来一緒に仕事をしてくれた看護師の相田さんと白井さんの2人は今でもお勤めいただいていますし、もう1人の看護師島宗さんは、長岡市医師会准看護学校の最後の卒業生で21年勤続で、また、事務の2人の内、池田さんは勤続27年で、もう1人の山澤さんは、子育てのためにお辞めになった方の後任として6年お勤めです。
 この様な恵まれたスタッフに囲まれ、毎日楽しく診療をしておりますが、医院に出入りしている卸やMRの人たちも素晴らしい人たちで、この人たちも参加して開業以来毎年、春の悠久山でのお花見、夏の長岡大花火大会の見物、冬の忘年会を恒例行事としてやってきました。特に、忘年会には、長岡中央綜合病院の吉川明前院長や富所隆現院長、放射線科の佐藤敏輝先生、日本赤十字病院の小池正前副院長などのお歴々をお招きし、ニューオータニ長岡で卸やMRの方も加わって毎年開催いたしました。出席いただいた先生方には心より御礼申し上げます。会が終わった後、行きつけのスナック「ヒロ」で、吉川前院長のプロ顔負けのカラオケを聞くのも楽しみの一つでした。今は、それもコロナ禍でかなわなくなりました。
 開業後の約30年の間に、1996年から長岡市医師会の理事、2000年から副会長、2006年から会長を2期4年間務めさせていただきました。このことについては、「長岡市医師会 創立100周年記念誌」に載っておりますので省略します。
 さて、人生100年時代になったと言われています。私は現在76歳ですので100歳まではあと24年あります。あと何年生きられるかは神のみぞ知るですが、私の母は101歳まで生きました。一番末っ子の私の自宅で、約3年間妻の介護を受けながら、平成14年5月、眠るように亡くなりました。自分も母の血を継いでいるのだからと期待していますが……。
 いろいろ取り止めのない話を書きました。ご容赦ください。

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「俳句のある人生」を考える 江部達夫(江部医院)

 私が俳句を詠み始めたのは古希の頃からです。詠み始めたと言っても句帳を作り、記録し始めたのが古希の頃からです。俳句は少年期から口にしていたが、記録に留めておくことはなかったのです。
 俳句との出会いは小学六年生の国語の授業であろう。芭蕉の句「閑さや岩にしみ入る蝉の声」、「山路来て何やらゆかしすみれ草」が教科書に載っていた。
 先生が黒板に大きく書き、句の説明とこの句を詠んだ人が松尾芭蕉と云う江戸時代の人だと。また俳句は五・七・五の十七文字からなる短い詩であると教わった。この授業で俳句が宿題となり、なん句か作ったが覚えていない。芭蕉のこの句はこの時以来、頭にこびりついて何かにつけて口に出て来る句になりました。
 昭和二十四年中学生になった時、小学生の頃から始めていた蝶の蒐集が本格的となり、春から毎日曜日には長岡郊外の里山に出かけていた。
 夏休みには高校生に付いて高山蝶を求め白馬岳に登った。山頂で日の出を迎えた。この時口に出てきた一句、今でも時々口に出て来る。
   戦ひの傷跡もなき御来光
   七十年も経った今日、この句を思い出すと、白馬岳山頂で見た荘厳な日の出が思い出されるのである。
 七十歳の頃から書き留めてきた俳句、読み直すと詠んだ時の情景が思い出される。句帳は日記帳代わりでもあり、記憶の貯蔵庫でもある。
 俳句のある人生は、過ぎ去ったことを思い出させてくれ、人生を豊かにしてくれるようだ。
 十数年間詠み続けてきた俳句、二年前から、大学時代の親友で俳人でもある神村務君に私の未熟な句をすっかり手直ししてもらえることになった。
 季語の持つ意味とその重要性、言葉の配列、切れ字の使い方など詳しく指導を受けた。直された句を読み返すと句が呼吸してくるように思えた。今まで自己満足で「長岡医師会誌」などに発表してきたことが恥ずかしく覚えた。
 俳句は自分自身のものであり、自分のためにあるものと思います。そんなわけで風物や情景を的確に思い出すことが出来る句がよい句だと思います。そんな句が他人にも共感を覚えてもらえたら有り難いものです。
 もう年のせいですか、野山などを歩いていて、良い句が出来たと思い、何回も口ずさんで、家に戻って記録しようと、紙と鉛筆を手に取った時にはもう句が出てこないことが度々ありました。
 句を作ろうと思ったら、お出かけの時には筆記用具を必ず持参することです。年を取るにつれ、記憶は頼りになりません。
 日本には上代から和歌がありました。和歌の中で短歌は五・七・五・七・七と五・七の言葉で作られています。五・七のリズムは日本の言葉に合っているのでしょう。
 ちょっとした手紙を書く時にも季節の挨拶を入れますね。例えば春には、「庭の木々囲いも取れて生き生きとして来ました。」と書き出したとすれば、また初秋の侯には、「朝の庭いつのまにやら爽やかになっております。」と書き出したとすれば、書き出しの十七文字は五・七・五のリズムになっており、季語も含まれ、立派な俳句になっているのです。日本人は俳句の中で生活しているようなものですね。
 芭蕉は俳句を「夏炉冬扇」と、役に立たないものだとも言っています。ある意味では文学は全て実生活には役だちません。しかし人生の肥やしになるのです。良い俳句は少量でも良く効く肥やしである。

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第14回中越臨床研修医研究会

経肛門的直腸異物(人参)の1例  立川綜合病院 近藤裕太

経肛門的直腸異物は精神障害や性的嗜好、事故などが原因で肛門から挿入された異物が、抜去困難となったものであり医療現場でまれに遭遇する。摘出方法としては侵襲の程度から経肛門的に摘出されることが望ましいが、開腹手術で摘出せざるを得ないことも少なくない。当院で経験した症例について検討する。
 症例は33歳男性で、自慰行為のため人参を肛門に挿入したが抜去できなくなり当院救急外来を受診した。直腸診では肛門縁から約5cmの位置に人参の下端を触知し、腹部CTでは直腸RaからS状結腸にかけて直径5cm、長さ16cmの円柱状の高吸収な異物を認めた。人参はコンドームに包まれていたが、ヘタを肛門側として挿入されており仙骨前面と尾骨により固定されていたことから内視鏡的な摘出が困難であったため開腹手術の方針とした。全身麻酔下で開腹するとS状結腸に人参の下端を認め、肛門側へ人参を圧出し経肛門的に摘出しようと試みたが仙骨、尾骨での固定が強く腸管損傷の危険性があると判断し、腸管に約4cm大の切開を加えて人参を摘出した。術後経過は良好であり5病日目に退院した。
 過去に本邦で報告された症例と自験例と併せて摘出方法に関して検討した。内視鏡で摘出された例は比較的若年層に多く、把持鉗子で把持が可能な小さいくびれのある異物が多い。穿孔例では経腹的に摘出となる。
 本症例では穿孔はきたしていなかったが充実性、硬度のある異物であり、仙骨前面の彎曲部で異物が固定されていたことから経肛門的に摘出することが困難であり、開腹下で腸管切開を加え異物を除去した。

切除不能MSI-H大腸癌に対し免疫チェックポイント阻害剤が奏効し外科切除し得た1例  長岡中央綜合病院 廣井 颯

切除不能高頻度マイクロサテライト不安定性(Microsatellite instability ? high frequency, 以下MSI-H)大腸癌に免疫チェックポイント阻害剤(immune checkpoint inhibitor, 以下ICI)が投与され著効した例は報告されているが、切除に至るのは稀である。二次治療でPembrolizumabを使用後切除し、病理学的完全奏効(pathological complete response, 以下pCR)を得た1例を報告する。
 症例は70代男性。便潜血陽性のため下部消化管内視鏡検査を行い、横行結腸に亜全周性2型進行癌と早期癌の同時性多発癌を認め、生検で2カ所ともtub1≧tub2, porと診断された。遺伝子解析はRAS野生型、BRAF V600E変異型、UGT1A1複合ヘテロ接合体だった。CTでは横行結腸肝弯曲よりに肝臓と腹壁へ浸潤を伴う77mm大の腫瘍を認め、リンパ節は上腸間膜動脈周囲から大動脈周囲に連なるように多数腫大していた。cT4b(肝、腹壁)N3M1a(LYM)cStage Waで切除不能と診断し、FOLFOXIRI+BEV療法を開始した。4コース後に部分奏効(partial response, 以下PR)が得られたが、15コース後に増悪した。経過中に進行癌がMSI-Hと判明し、Pembrolizumab療法へ変更した。3コース後に原発巣、リンパ節の著明な縮小を認めPRとなった。19コース経過後も有害事象はなくPRを維持した。下部消化管内視鏡検査で進行癌は瘢痕化し、早期癌は不明瞭化していたが、PET-CTで原発巣のみ弱い集積を認め、治療開始1年10ヶ月後に腹腔鏡補助下拡大結腸右半切除術D3郭清を施行した。手術時間5時間36分、出血量253mlだった。他臓器浸潤は無かったが癒着が高度で、原発巣と所属リンパ節のみ切除した。切除標本で腫瘍は瘢痕化し、病理組織学的効果判定は進行癌、早期癌、リンパ節ともにGrade 3、ypT0N0、pCRだった。術後2週間で退院し、1ヶ月後にPembrolizumab療法を再開した。34コースで治療終了し術後1年8ヶ月再発なく経過している。
 大腸癌の薬物療法著効例に対する手術は利点、欠点を考慮し最大奏効時に行うのが最も良いと思われるがICI著効中の手術介入例はほとんど報告が無く、そのタイミングや術後治療については症例を重ねて検討する必要がある。本症例は外科的切除によりpCRを確認でき、切除しなかった大動脈周囲リンパ節もpCRの可能性が高いと考え、ICIを術前と合わせて2年投与し治療終了した。

ラクナ梗塞で発症し血管内大細胞型B細胞リンパ腫と診断した1例  長岡赤十字病院 横田一樹

【症例】79歳、男性
【主訴】左手足が動かしにくい
【現病歴】9月某日左手足の違和感を自覚した。翌日前医を受診し脳梗塞を指摘され当院へ搬送入院された。高血圧はなく、意識清明で、左上下肢失調性不全片麻痺を認めた。血液検査では耐糖能異常や脂質異常症はなく、D-dimerやBNPの上昇もなかった。ホルター心電図と頸動脈エコーでは異常はなかった。一方、LDH高値、CRP軽度上昇、軽度貧血、血小板減少を認めた。頭部MRIでは、右内包後脚にDWIで高信号、ADCで低信号、FLAIR画像で高信号の病変を認めた。MRAでは主幹動脈に狭窄や閉塞はなかった。ラクナ梗塞と診断し入院した。翌日から間欠的に38度前後の発熱を認め、sIL-2Rが上昇していた。悪性リンパ腫を疑い、全身造影CTと全身MR DWIBSを行ったが、病変を検出できなかったため老人性血管腫から3か所皮膚生検を行った。2検体から血管内にCD20陽性の大型異型B細胞の集簇を認め、血管内大細胞型B細胞リンパ腫(IVLBCL)と確定診断した。化学療法を開始したところ頭部MRI FLAIR画像で右内包後脚の高信号病変は、1コース目終了後で軽度増大し、3コース目施行中には縮小傾向となった。一方、1コース目終了後同画像で橋正中に高信号病変が出現した。
【考察】IVLBCLの頭部MRI画像所見は多様であるが、1)梗塞性病変、2)非特異的白質病変、3)髄膜増強効果、4)腫瘤様病変、5)T2強調画像での橋の高信号病変、の5つの特徴的パターンがある。本症例の経過中に出現した橋病変はIVLBCLの中枢神経病変として頻度が高いが、毛細血管の閉塞によるうっ血や慢性虚血を反映したものと考えられている。本症例の右内包後脚病変は、脳梗塞の危険因子がないこと、治療とともに縮小したこと、経過中に出現した橋病変からIVLBCLの病変であったと考えた。IVLBCLは皮膚の血管への浸潤率が高く、ランダム皮膚生検が有用とされるが、老人性血管腫を認める場合はそこからの生検でさらに診断感度が高くなる。皮膚生検は低侵襲で診断率が高いため、IVLBCLを疑った際はまず行う検査と考える。

当初筋萎縮性側索硬化症が疑われたACTH単独欠損症による代謝性ミオパチーの一例  長岡赤十字病院 土井智裕

【症例】57歳女性
【主訴】体重減少、右手に力が入らない
【既往・内服】特記なし
【現病歴】X?1年1月は体重が60kgであった。6月、右手の筋力低下、体重減少を自覚し近医を受診、悪性腫瘍精査で異常は無かった。体重減少が進行し、10月には44kgとなった。X年2月、筋萎縮性側索硬化症(ALS)が疑われ当科を紹介受診し、3月入院した。
【所見・経過】身長159cm、体重43.3kg、BMI16.9、頭部脱毛があった。血液検査では白血球好酸球分画の上昇、軽度の低ナトリウム血症があった。神経学的所見では、全身の筋萎縮があったが母指球筋、背側骨間筋は保たれていた。徒手筋力試験では明らかな筋力低下はなかったが、両手の握力低下があった。脳神経に異常所見はなく、腱反射は正常、病的反射は陰性であった。針筋電図で神経原性変化はなかった。腫瘍検索(便潜血、上部消化管内視鏡検査、体幹部造影CT)では異常はなかった。ここでホルモン検査を追加し、早朝コルチゾール値1.0mg/dl以下と低値を認め副腎皮質機能低下症の疑いとなった。迅速ACTH負荷試験は低反応であり4者負荷試験ではACTHのみ低反応を示しその他の下垂体前葉ホルモンは正常反応を示した。CT、MRIでは間脳下垂体に異常は認めなかった。以上より特発性ACTH単独欠損症と診断した。ヒドロコルチゾンの内服を開始し、速やかに易疲労性は改善した。また、体重の増加と握力の改善を認めた。筋量は筋CTで評価し改善を認めた。
【考察】当初ALSや悪性腫瘍が疑われたが、内分泌学的検査を追加し、ACTH単独欠損症による代謝性ミオパチーと診断した一例を経験した。本疾患は一般に全身倦怠感など症状が非特異的で診断までに時間を要する例が多い。本症例のように初発症状が筋症状の例も散見されるが、どの例も短期間で著明な体重減少を認めている。体重減少や筋量低下が、本疾患を疑う端緒となる。治療可能な疾患であり、ALSや悪性腫瘍の鑑別としてACTH単独欠損症のような副腎不全を鑑別に挙げることが重要である。

急性小脳性失調  立川綜合病院 田中愛実

【症例】79歳男性
【主訴】飲酒後のふらつき、手足のしびれ感
【家族歴】特記なし
【既往歴】高血圧、糖尿病、認知症、虫垂炎術後、胃癌術後
【内服薬】降圧薬、血糖降下薬
【現病歴】夕食で焼酎をコップ2杯ほど飲んだ2時間後より震え、嘔気、両手指先のしびれ感が出現し、起立や歩行困難となったため救急要請し救急外来受診した。
【所見】神経学的所見:体幹四肢に小脳性運動失調あり、血液生化学・頭部MRIに明らかな異常なし
【入院経過】小脳性失調の原因は不明だったが、補液のみで経過観察したところ、症状は徐々に軽快した。妻と娘が同様の症状で受診し、救急外来受診前に家族でフグを食べていたことが判明したためフグ毒による中毒と診断した。
【考察】フグの毒tetrodotoxin(TTX)は末梢神経や筋細胞の表面にある電位依存性Naチャネルを選択的に塞ぎ活動電位の伝導を阻害する。TTXとNaチャネルの結合は可逆的で後遺症は残らない。癌の疼痛緩和目的にテトロドトキシンを皮下注射した研究では77人のうち、1人に失調の副作用が認められた。フグ中毒で運動失調が見られた例では末梢神経伝導速度検査で速度低下がありこれが失調の原因と考えられていた。今回の症例では神経伝導速度検査を行ったのが症状が改善し始めたころで明らかな変化は見られなかった。
 急性の小脳性失調ではフグ毒を考慮すること、問診の重要性を改めて実感させられた。

心室頻拍の治療に苦慮した心臓サルコイドーシスの一例  長岡中央綜合病院 末森理美

 【症例】61歳、男性
【主訴】意識消失
【現病歴】Holter心電図で非持続性心室頻拍(NSVT)と、心エコーで心室中隔の一部で壁の菲薄化と壁運動低下を認め入院した。入院後もNSVT?持続性心室頻拍(VT)が頻発し、アミオダロン100mg/日の内服を開始し、VTは減少した。頸部のリンパ節生検で類上皮細胞肉芽種を、心臓MRIでびまん性に左室壁の遅延造影を認めた。心臓カテーテル検査で冠動脈に有意狭窄なく、左室流出路(LVOT)と後壁で壁運動低下を認めた(EF=35.0%)。FDP-PETで心臓への異常集積を認め、心臓サルコイドーシスの診断でプレドニン30mg/日を4週間継続後、5mg/2週間で10mg/日まで減量した。壁運動低下の増悪はなく、NSVTは著減した。しかし、心臓電気生理検査(EPS)で以前頻発したVTと近似した2種類のVTが誘発された。VT波形から起源は右室流出路(RVOT)中隔側で、同部で低電位領域と遅延電位を認め同部位と対側のLVOTからの通電で、以後VTは誘発されなくなった。後日、ICD植え込みを行ったが、一度VTを認めburst pacingで停止した。
【考察】アミオダロン内服とステロイド治療によりVTの頻度は減少したが、壁運動低下を認め不整脈基質を有する心臓サルコイドーシスではEPSによるVTの評価・治療とICD植え込みが必要と考えられた。

アレルギー性気管支肺真菌症ABPAについて  立川綜合病院 浅見大輔

【症例】72歳女性
【主訴】発熱・咳嗽
【既往歴】成人発症のアレルギー性鼻炎、気管支喘息
【現病歴】受診2か月まえから咳嗽が増強していたが様子をみていた。受診1週間前から発熱と湿性咳嗽増強のためクリニックを受診し、胸部Xpにて左肺野異常陰影を指摘され当院紹介となる。
【身体所見】ひだり上肺野水泡音聴取するが他特記事項なし
【血液検査】WBC12000 好酸球15.2% IgE15583
【胸部Xp】両肺多発性に浸潤影あり
【胸部CT】典型的なHAM(High Attenuation Mucus)気管支内粘液栓あり、中枢性気管支拡張
【喀痰病理検査】喀痰中にAspergillusを確認
【入院経過】以上の検査よりアレルギー性気管支肺真菌症の診断基準を満たしPSL0.5mg/kg/dayにて治療開始し、経過良好にて自宅退院となった。
【アレルギー性気管支肺真菌症ABPMとは】胞子として吸入された真菌が気道内で発芽してアレルギーを誘発して発症する疾患である。原因真菌としてA.fumigatus・スエヒロダケがみられる。その中で特にA.fumigatusによるものをアレルギー性気管支肺アスペルギルス症ABPAと呼ぶ。診断基準は2019年に新しく発表される以前はA.fumigatusによるもののみ診断可能で、素因・必要基準・他基準の3要素から構成されていた。
【以前の診断基準の問題点】A.fumigatusによるABPAに特化したものでそのほかの真菌によるABPMの診断は難しかった。また日本での原因真菌はスエヒロダケが多く日本での現状に対応できていなかった。また素因(喘息・嚢胞繊維症)を合併しない症例が20%存在していた。
【新しい診断基準】2019年に新しく提唱され、10項目からなり6項目以上で診断確定となった。必須項目は削除されアスペルギルスに特化していないものに変更された。また新しい診断基準では感度96.2%特異度90.0%であり過去の診断基準に比べていづれも改善されている。
【今後の展望】今回の診断基準は日本のどこの医療機関でも実施可能なものでありABPMの診断の遅れが減少することが予測される。診断の遅れが減ることで病状が進行する前に適切な医療が提供されることが期待される。

治療に難渋した抗Ku抗体陽性の強皮症−筋炎重複症候群の一例  長岡中央綜合病院 及川千尋

【症例】19歳女性
【主訴】筋力低下、手のこわばり
【現病歴】X?1年8月頃から起立困難、階段昇降困難、嚥下困難などの運動機能障害、また手のこわばりを自覚し、9月に近医を受診し経過観察されていた。その後も症状改善なく12月20日に前医を受診し、著明なCK上昇や、筋力低下を認め、筋炎疑いで当院神経内科を紹介受診した。近位筋優位の筋力低下、全身性の皮膚硬化があり、筋炎、強皮症疑いで12月28日に当科紹介となり、抗Ku抗体陽性の強皮症−筋炎重複症候群と診断し、精査・加療目的にX年1月27日当科に入院した。
【入院後経過】入院後採血でトロポニンI上昇が見られ心筋炎の合併が疑われたが、胸痛等の自覚症状はなく、心電図・心エコーでは明らかな異常所見は見られなかった。X年2月8日よりプレドニゾロン40mg/日(1mg/kg/日)で治療開始とするとステロイド抵抗性が見られ、メトトレキサート8mg週1回内服、5日間のIVIg、ステロイドパルス療法に反応が乏しかった。プレドニゾロンのベタメタゾンへの変更、ミコフェノール酸モフェチルの追加、2回目のIVIgを行い、最終的にCK、トロポニンIの低下、筋力の改善が見られ、寛解導入が得られた。経過中胸痛、心電図変化、心エコー上の変化はなかった。ステロイド抵抗性で治療に難渋した抗Ku抗体陽性の強皮症−多発性筋炎症候群の一例を経験したので報告する。

猫咬傷に起因する敗血症で致死的経過を辿った1例  長岡赤十字病院 畠山琢磨

77歳女性。主訴は発熱。来院2日前、野良猫に右手を噛まれた。受診当日朝から腹痛・嘔吐・発熱があり、前医に救急搬送された。血液検査で炎症反応、肝障害・腎障害を認め、敗血症による多臓器不全・DICの診断で当院へ転院。既往は2型糖尿病、脂質異常症。アレルギーなし。内服薬は既往に対する薬、睡眠薬。現症は頻脈、呼吸不全を呈し、GCS14点。全身性の紫斑、網状チアノーゼ。右母指球に咬傷があり、線状5mm、深達度は皮下脂肪層。入院時急性期DICスコアは8点。炎症マーカーの上昇、肝胆道系酵素上昇、腎機能障害、乳酸値上昇を認め、敗血症による多臓器不全、著明な代謝性アシドーシスを認めた。SOFAスコア13点。以上の所見、血液検体で好中球内に桿菌様構造物を認め、猫咬傷による敗血症性ショック、DICによる多臓器不全と診断。入院後は人工呼吸管理、広域抗菌薬で治療を開始。第2病日に貪食像が検鏡視でき、血液培養で菌を確認できず、カプノサイトファーガ感染症を疑った。入院後に全身に電撃性紫斑が出現。循環不全に対し輸液、昇圧剤を使用、抗DIC療法、輸血を行った。腎前性腎不全にCHDFを導入。全身状態は一時的に改善傾向であったが、第7病日から呼吸不全・循環不全が増悪し、第9病日に死亡。死亡後に病理解剖を行い、肉眼では多臓器不全の所見を認めた。各種培養で起因菌は検出されず、国立感染症研究所に提出した保存血清検体PCR検査で、C.canimorsus陽性であり、カプノサイトファーガ感染症の確定診断となった。Capnocytophaga属はヒト・イヌ・ネコの口腔内にいるグラム陰性常在菌である。生育が遅い菌であり、分離・同定に長時間要する。潜伏期間は1〜14日、致死率42%に及ぶ。感冒様症状で発症し、急激な転帰をとるケースもある。本症例は敗血症性DICに伴う多臓器不全で死亡したと考えられる。重症敗血症ではDICと血栓性微小血管症(TMA)を合併することがある。本症例ではTMAで特徴的な溶血性貧血を認めず、DICが主病態と考えた。本感染症は重症例の致死率が高く、重症化予防が重要である。多くの場合は開放創とし、創部フォローし、ハイリスク症例では嫌気性菌をカバーした抗菌薬投与が必要である。創部の洗浄・抗菌薬予防投与・慎重な経過観察が重要である。

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巻末エッセイ〜断捨離とMOTTAINAI 福本一朗(長岡保養園)

 「断捨離」はヨガの行法哲学「断行・捨行・離行」で、「MOTTAINAI」として固定概念に凝り固まった心を解放し、「断:欲望を断つ、捨:不要ものを捨てる、離:物への執着から離れる」ことを意味するのだそうで、作家のやましたひでこさんが「新・片付け術断捨離(2009)」で提唱され2010年新語流行語大賞に選ばれました。
 仏教でも「すべて執着しないこと」が悟りへの道として、俗世間の欲望を断ち、衣類三種類と托鉢用の一鉢「三衣一鉢」の所有だけが許されてきました。
 ただそれは家族や子供を持たず、妻帯肉食をせず世俗との交わりを絶ってひたすら修行する修行僧にのみ可能なことです。
 断捨離ブームの中、阪神淡路大震災や東日本大震災に際して食料品や日用品の入手が困難になったため、備蓄を持たない人々が日常生活に窮したことも問題になりましたし、平穏な時でもプレゼントを送り返したり、家族の思い出の品や貴重なコレクションを勝手に捨てたことなどで離婚につながるケースも多発しました。
 断捨離では生存に必要なギリギリの物以外は不要・贅沢とされます。
 しかし太平洋戦争の時に食糧や生価値必需品は統制され「贅沢は敵だ」「欲しがりません!勝つまでは」と窮乏生活を強いられた反動で、「もったいない」と物を大切にして貯め込んで子供を育ててくれた父母世代の生き方を、後世の人は決して批判できません。
 新型コロナ流行時にも「不要不急」の外出・会議・会食・芸術鑑賞・スポーツ・対面講義などを強制的に「自粛」させられましたが、「人はパンのみにて生きるにあらず」、生存に必要な物事はすべての人にとって同じではありません。
 余裕がなければ人に施せないでしょう?人の欲望には際限はありませんが、何事にも「中庸」が大切です。
 断捨離は人に捨てることを決して強要してはならず、むしろ逆に、人生に大事なものを保存することを勧める運動だと思うのですが……。

三衣一鉢の托鉢僧

ケニアのワンガリ・マータイさん提唱のMOTTAINAIキャンペーン

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