長岡市医師会たより No.505 2022.4


もくじ

 表紙 「八方尾根・春」 丸岡稔(丸岡医院)
 「「彼方への挑戦」松山英樹著を読んで」 皆川昌広(長岡赤十字病院)
 「メダカを眺めながら」 板野武司(長岡西病院)
 「ヒップホップのススメ」 鈴木一也(長岡赤十字病院)
 「巻末エッセイ〜生物の“悟り”」 福本一朗(長岡保養園)



「八方尾根・春」  丸岡 稔(丸岡医院)


「彼方への挑戦」 松山英樹著を読んで 皆川昌広(長岡赤十字病院)

 コロナ禍もようやく一息つきはじめたこの頃ですが(医療者はまだまだ油断できない状況ですが)、事務局より会員として何か投稿を、とのことでしたので、読書感想をひとつ投稿させていただきます。
 「人の失敗をみて、驕る者は笑い、満たされない者は怒り、賢い者は学ぶ」―他のことに気をとられてよく凡ミスをする私自身の銘にしている先人達の言葉をまとめたものですが、この本を読んでさらにもう一文―「挑戦者は楽しむ」―を加えることになりました。
 この本は、プロゴルファーの松山英樹選手の幼少期から世界最高峰のゴルフ大会であるマスターズ2021年大会優勝までの自伝です。ゴルフに興味のない先生方にとってはあまり食手が伸びないジャンルだとは思いますが、数時間でよめてしまう活字量の中で、プロとしての一般人には見えない苦悩やチームとして取り組む舞台裏、トラブル時のリスクマネジメントなど、とても印象深い内容を含んだ本だと思いました。
 本の前半では、彼がどのようにゴルフキャリアをつんでいったかが走馬灯のように語られていきます。彼のゴルフキャリアは小学生からはじまり、ゴルフ界のレジェンドの青木功プロ、中嶋常幸プロとの邂逅、来日したタイガー・ウッズ選手の圧倒的なスイングの観戦、中学生時の石川遼選手との戦い(松山選手と同年なのは知っていましたが、すでに中学生から戦っているんですね)とつながっていき、東日本大震災をきっかけにプロへ転向していく、実はすべての出逢いはマスターズ大会参加への伏線としてつながっていく、ちょっとした英雄譚となっています。本の中には、違和感、フィーリング、予感という、彼が天才だと思われる表現が多数でてきます(本人はそうは思っていないようですが)。一直線にマスターズ出場へ思いを馳せ、目標を一点にしぼって常に近づくという、どの分野でも一流といわれる限られた人々がみせる不動の姿勢を彼も違わずもっていたことがわかります。
 後半はマスターズ2021年大会における松山選手のラウンド解説章です。私もテレビをみながら松山選手を応援していましたが、観戦していてドキドキするような緊張したシーンがいくつもありました。この本の中では、マスターズという緊張感ある戦いの最中、あまり表情を顔にださない松山選手が頭の中で考えていたことを解説してくれます。『最高のショットだ!』(頭の中)→結果、飛びすぎてピンチに。グリーン上のパットのシーンで、『強く打ちすぎた!まずい!』(頭の中)→結果、ピンにあたってカップイン。『違和感がとれないなぁ』(頭の中)→「緊張するシーンでも、表情をかえず頼もしいです」(テレビ解説者)。テレビ画面では全くわからなかった彼の思考と緊張感が、本を通じて伝わってくる気がしました。
 また、松山選手だけでなく、キャディー、メンタルケア、フィジカルケアを担う裏方のチームメンバー一人ひとりも大会前、最中で苦しんでいる様子が描かれています。松山選手がマスターズ優勝を決めたあとに、キャディーを務めた後輩の早藤選手が、最後のグリーンで一礼した姿がありましたが(写真はインスタグラムから)、その理由がわかります。
 最後の章で、松山選手は「うまく行かないことを楽しもう」と読者に語りかけてきます。ゴルフというスポーツは思い通りにならないのが普通で、プロですら、毎回フラストレーションだらけになる。物事の精度・成果を極めていくとほとんどが失敗・ミスになる。高い目標に挑戦をつづけるには、自分・他人の失敗を楽しむぐらいでないといけないと。うまく行かないことを突きつめて解決していくことが楽しめるようになれば、ゴルフも人生もうまくいくかもしれないと教えてくれます。命に関わる医療のリスクマネジメントに対するアドバイスとしては表現が微妙ですが、アプローチ法は同じことだと感じました。趣味を超えてストイックにゴルフ練習をがんばっている先生方は少し目頭が熱くなり、物事にいきづまってうまく行かないと嘆いている先生には何かしらの光明を与えてくれそうな、そんな気がする1冊なので、御一読を。
 いちアベレージゴルファーとして松山選手に感謝を。そして、松山選手、マスターズ制覇おめでとうございます。

「彼方への挑戦」

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メダカを眺めながら 板野武司(長岡西病院)

 毎年、長岡中央綜合病院研修2年目の先生方が1週間病棟実習をしてくれます。必ずする質問があります。
 「趣味はなんですか?医療の仕事は職場の人間関係、患者・家族との人との関係で非常にストレスを感じます。趣味を楽しんで息抜きをしてください。」と伝えています。
 先生方は、無難なジム、テニスで汗を流す、料理を作る、映画を観る、カラオケ、中にはスマホで撮った鉄道写真を見せてくれたりします。今までの所ディープな趣味は聞いていません。私はボーッとメダカを眺めることが趣味のひとつです。最近ホームセンターなどで色取り取りのメダカが売られています。
 長岡市内の小川から採ってきた野生のクロメダカを眺めています。メダカはすぐに増えるので、増えたら元の場所へ返すことができるので。メダカは螢と同じで山を越えることができないのでその川、池の固有種になります。約3坪程の庭に縦80p×横70p×高さ18pのプラスチックの水槽で飼っています。16匹を採ってきたのがあっという間に増えて、水槽がもうひとつ増えました。草刈用の低い椅子に座ってメダカを眺めていると、あっという間に時間が過ぎていきます。メダカは素早く動きます。動きを眺めていると、色々な悩みや考えなくてもいいことが頭に次から次へと浮かんできても、メダカの動きを追っていると1つの思いに固執することなく次々忘れていきます。考えるなと言われれば言われる程、その事を考え続けてしまいがちになります。
 メダカの動きを眺めることが気分転換になります。犬の散歩中の方や通りすがりの人、お隣の小三と年少さんの男の子が声を掛けてくれます。
 「なにがいるんですか?」
 「メダカです。」
 一番多い質問は、メダカって今もいるの?今もまだまだ長岡市内、小千谷、栃尾の池や流れの緩い小川に元気に泳いでいます。
 お隣の男の子ふたりは、公園の行き帰りには、家内と私に声を掛けてくれます。コロナ禍で県外の子供たちはこの2年帰ってきません。家内とふたりっきりなので、小さなお子さんとあれこれ話をしていると、私たち2人がとても癒されます。メダカよりも効果があるかもと家内と話しています。
 メダカを眺めていると、時には、枝豆ができすぎたのでどうぞとご近所の方から頂くこともあります。風呂上がりに、冷たいビールを飲みながら枝豆をつまみ、阪神タイガースを応援するのもこれまた楽しい。
 こんな楽しいことばかりではなく、招かれざるお客さんが来ます。脚長バチです。水槽の水を飲みに、3、4匹とやって来ます。その時はこちらが退散します。1時間程でいなくなります。殺虫剤でシューっとしたいのですが、妻は雑草という草はないという自然派なので言い出せません。土の庭なのである程度の草刈りはしてくれますが、よその庭と比べると草茫茫です。自然の香りや土のにおいはあります。
 親のメダカはやはり野生の習性が残っているのか、メダカのごはんをあげても、しばらく様子を窺ってから食べにきますが、庭で生まれた子供のメダカは、ごはんをあげようと水槽に近づくとすぐに水面へ上がってきて催促をしてくれます。これを見るとまたまた楽しくなります。親の方もごはんを食べだすと水面に上がってきて忙しく動き回り、その姿を眺めていることができます。
 初詣で毎年お参りをする神社へ行った帰り、いつも立ち寄るメダカの池に寄ったら、家内が突然大声で「そこ、そこ、ここ、ここ、メダカが泳いでいる」「どこ、どこ」「そこよ、そこ、みえない?」「あ、泳いでいる。いた、いた」冬の池で生まれてはじめてメダカが泳いでいるのを見て、腰が抜けるほど驚きました。人生何が起こるかわからない。中吉のおみくじよりずっと嬉しかった。感激しました。
 今年はもっともっと嬉しいことがある予感を強く感じました。
 メダカともども今年もよろしくお願い致します。

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ヒップホップのススメ 鈴木一也(長岡赤十字病院)

 この2年にわたるコロナ禍で、1人の時間が増えておしゃべりがしづらくなったこともあって、若かりし頃並みに音楽を聴く機会が増えたように思います。Bluetoothに加えてApple Car Playのようなアプリもあることで、車内や公共交通機関でも簡単に音楽が耳に入るようになってきたのとともに、音楽配信アプリSpotifyの影響もあります。これは定額で懐メロから最新の楽曲まで聴くことができるもので(他にも同様のものが多数ありますが)、最近では定額配信を拒否してきた大御所の曲も徐々に解禁され、インディーズのまだ知られていないアーティストもあり、ジャンルもなんでもありで、幅広い楽曲をカバーしています。ついこの間までTSUTAYAでCDを借りていたのが遠い昔のようです。
 これを機に自分の音楽遍歴を辿ってみますが……小学生時の日本の歌謡曲から始まり(ちなみに好きなアイドルはキョンキョンでした)、中学生になるとLike a VirginやThrillerから始まって洋楽ポップスにハマり、日々エアチェック(完全に死語です)をして、小遣いが貯まるたびレンタルレコード店に通いました。加えて高校生の頃には日本ではイカ天を始めとしたバンドブームが到来(ご出身の秋田では放送されていませんでしたが)、海外のロックにも格好良い曲が山ほどありましたし(Guns N' Rosesは一番聴いたかも)、70〜80年代のビートルズから始まる洋楽定番も抑えました。大学生になると、カラオケ対策に今どきの邦楽で売れ線テープを作りつつ、洋楽ではバンドをやっている先輩から今どきのロックやレゲエを、スノーボードに連れ出してくれる仲間達からはパンクやメロコアを仕入れました。そうやってどんどん聴くジャンルも増え、バイト代で高価なコンポも購入し、いつでも音楽は側にあった気がします。ところが社会に出るとあっという間に日々に忙殺され、気がつけばタワレコなどの視聴可能なCDショップが世の中から減っていき、お気に入りだったコンポは時代と共に家からなくなり、ここ最近では流行りの邦楽を年数回の病棟カラオケ対策として聴くだけで、音楽の世界からは遠く離れていました。
 そこで、ヒップホップの登場です。今思えばきっかけは、コロナ禍初期に家族が聞いていた星野源feat.PANPEE「さらしもの」だったでしょうか?音楽に微妙にあっていない歌の違和感が、なんとなく心地よい?という程度でした。80年代からラップも聴いていたのですが、思い浮かぶのはスチャダラパーやリップスライムぐらい??PANPEEって誰?元受験戦士の探究心が騒ぎ出し?ネットで調べてみることに。今の自分の理解では、ヒップホップとは既存曲のサンプリングや打ち込みも多用しながら作られた曲(ビート)に、ラッパー(MC)がラップ(リリック)を乗せた音楽とのこと。海外では最近チャートインしているのはヒップホップばかりということもわかり、Spotifyで流行りの曲をdigって(いい音楽やアーティストを掘り出すというslang)聴いていきました。ジャンルとしてはフリースタイルバトルという即興でラップをぶつけあって優劣を競うものもあるようでしたが、自分が好きなのは丁寧に作り上げた音楽性が高い楽曲で、リリックの意味が(比較的)わかる日本人ラッパーです。AメロBメロサビといった展開は元来の楽曲よりは少ない中、MCは繰り返されるフレーズのビートをバックにリリックを自分のメロディーラインで歌っていきます。仲間たち(クルー)で協力して曲を作ったりもするようで、よくfeaturing(客演)されています。ポップスやロックのように曲と歌が同じ音である必要はないので、同じビートに乗せてもできる音楽はラッパーの個性で全く別ものになります。ポップスに近い明確な歌詞のメロディアスなものから、韻を踏んだ意味のよくわからないフレーズの羅列もあり、テンポのやたらと早いものから、語りのような楽曲まで、なんでもありです。要は、自分がかっこいいと思えればそれでいいのですが、よく聴かれている(売れている)楽曲はビートもお洒落だし、リリックも個性的でなるほど感があることが多いです。ここでおすすめラッパーについて語り出すと長くなるのでやめておきます笑。こうやって素人が偉そうに蘊蓄を語れるのも含めて、ヒップホップという自由な文化なのでしょうか。
 ヒップホップの起源はストリートギャングにあるとも言われているそうで、なんとなくドラックと関わりもありそうなダーティーなイメージですし、10代20代で流行りの文化です。おっさんには似つかわしくないのはわかっています、がしかし。アラフィフになってせっかく芽生えてきた知らなかったものに対する興味を、もう少し暖めていきたいなと今は思っています。
 このオタクな文章を最後まで読めてしまった先生方、試しにヒップホップ聴いてみますか?

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巻末エッセイ〜生物の“悟り” 福本一朗(長岡保養園)

 日本で最初の人工心臓やレーザーメスを発明された元東大医用電子研究施設の渥美和彦教授は2019年大晦日に永眠されましたが、ありし日の研究室では山羊や牛に人工心臓埋込み手術が毎週の様に行われていました(Fig. 1)

 実験動物達が術後の痛みを感じている様子もなく、手術直後から旺盛な食欲をみせていたのには驚かされました。渥美先生は「副交感神経緊張型の草食動物は身体への侵襲に強く、痛みをあまり感じないようだ」と説明されていました。

 また京大霊長類研究所の人工授精で1982年に生まれたチンパンジー、レオは24歳の時に脊髄炎で四肢麻痺となり、人間なら将来を悲観したり、迷惑をかけてしまって悪いと気にしたりするところでしょうが、レオは寝たきりになって落ちこんでいる様子もなく、性格や態度は以前と変わらないままでリハビリにも努め、14年後には歩けるほどに回復しました(Fig. 2)。

 このように自分が置かれた状況を素直に受け入れ、死に対しても恐怖を感じないようにみえる動物達の“悟り”はどのようにして得られるのでしょうか?

 ドイツの生物哲学者ウユクスキュル(Uexk?ll)は、動物はその生物固有の環世界(Umwelt:環境世界)を作り上げ、独自の「主観的な」時間と空間を持っていて、過去や未来はその環世界に影響をあたえないからと考えました(Fig. 3)。

 それは哲学者カントの「時間・空間は外界に存在するものではなく、それらが私たち人間の主観的な感性の形式である」との考え方を、動物にまで拡張したものといえるでしょう。ペットの最期を看取った方は誰でもお気づきでしょうが、この潔さは、尋常の勝負に破れれば人を恨まず、従容として死につく武士道精神にも劣りません。

 選挙での敗北を認めず見苦しく悪あがきをしていたどこかの大統領に煎じて飲ませてあげたいものです。

Fig. 1 渥美和彦先生(1928〜2019)と人工心臓山羊

Fig. 2 レオ(1982〜)

Fig. 3 Jakob Uexk?ll(1864〜1944)

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