長岡市医師会たより No.510 2022.9


もくじ

 表紙絵 「南京路(上海)」 木村清治
 「蝶と鳥と人と」 渡部和成(田宮病院)
 「最近になって叶った夢〜ビーシュリンプの飼育と繁殖」 小林代喜夫(悠遊健康村病院)
 「趣味と少しだけ仕事の話」 金子広睦(長岡赤十字病院)
 「トム・クルーズと酸っぱい葡萄〜トム・クルーズに生まれなくて良かった」 磯部賢諭(キャッツこどもクリニック)
 「合成音声、音声読み上げソフトの体験記」 福居和人(長岡西病院)
 「巻末エッセイ〜長岡花火と祇園祭〜永遠の一瞬(その1)」 福本一朗(長岡保養園)



「南京路(上海)」 木村清治


蝶と鳥と人と 渡部和成(田宮病院)

 ある日の午後、私は、暖かな陽光を浴びながら庭に立ち、一段と緑を増した木々や植木鉢のカラフルな花々をのんびり見渡していました。その時、一匹(馴染みは薄いが、正式には一頭というらしい)のアゲハチョウが、蜜を探しているのでしょう、花の周りをゆらゆらと飛んでいるのを見つけました。その姿を目で追っていたら、蝶はゆらゆらしつつ、じっと立っている私の方へ次第に近づいてきました。私の目の前をゆらゆら通り過ぎたり、私にとまるのかと思えるほど近づいてきたり離れたり、私の後ろへ回りまた前に戻ってきたりと、まるで私にじゃれつくかのようにゆらゆらし続けていました。このような動きを何度かゆっくり繰り返したのち、蝶は私から離れ庭の外へと消えていきました。実時間にすれば30秒ぐらいのほんの短い時間の出来事でしたが、のんびりしたホッとする時間が流れていました。このような経験は初めてです。信じられないことでしたが、この蝶は、私には危害を加えられることはないと判断したのでしょうか、手を伸ばせば容易に捕まえられそうなほどにまで私に近づき、胸の高さで私の周り半径50センチメートルぐらいの円軌道を、安心し切ったように美しい黒線の入った白い背中と黒地に黄白の斑紋のある翅を見せながら、ゆらゆらゆっくり飛び回っているのでした。まるで標本にした蝶を眺めるときのように、しっかり広げた2対の翅を後部の突起までくっきり見せていました。この蝶の様子は、飼い犬が安心してご主人の前で仰向けになり無防備に腹を出しているのと同じではないかと思えるぐらいでした。私は心が平和的で静まっていると蝶に認められたように思え嬉しくなりました。蝶がいなくなった後、庭では、パセリの上を黒と黄に塗り分けた細長い体のイモムシがゆっくり移動していたり、庭石の上を大小のアリたちがすばしっこく動いていたり、土の上で真っ黒で小さなダンゴムシがひっくり返って7対の歩脚をバタつかせていたりしていました。
 何とものどかな、素晴らしいひとときの体験であったことか。
 蝶も木も花も人間も、今ここに生き、時間を共有する同じ生き物だという思いが湧き上がってきました。このような時間が地球上のどこでもいつでも体験できるような平和の継続を願う。ウクライナの人々を想う。
 またある日のことです。黄色い長いくちばしとグレイのしなやかな翼を持った美しい大きな鳥が一羽庭に舞い降りて来て、翼をゆっくり羽ばたかせ明るい日の光をはね返しながら、鳴き声は出さず木へ植木鉢へと静かに跳び移っていました。木肌や鉢土に住む餌となる虫を探していたのでしょう。私は、見かけない鳥だが何という鳥だろうかと思案しながら、部屋の中から、ガラス戸の向こうで動いている鳥の姿を目で追っていました。そのとき、何羽かが揃ってかまびすしくさえずる若い鳥の鳴き声が、突然庭の方からガラス戸を介して耳に入ってきました。目を凝らして庭木を眺めると、数羽の子スズメが、木の枝に並んで止まり、数メートル離れたところにある植木鉢(庭では百五十を超える鉢が所狭しと連なっている。私と家内が、毎週のように園芸店に赴き、争うかのように、新しく珍しいものはないかと探し求める習慣がついてしまっているので、庭の鉢は自然と増えていく)を渡り歩くその大きな鳥に向かって、「ここは自分たちの縄張りだ。早く出ていけ」とばかりに鳴きつのっているように見えました。しかし、大きな鳥は、動じることなくそれを無視するかのように、しばらく同じ動きを続けていましたが、面倒臭くなったのでしょうか、ついに飛び立って行きました。その後、子スズメたちも、納得したのか鳴き終わり一斉に飛び立ちました。鳥たちは互いに攻め合うことはありませんでした。大きな鳥にとって子スズメなどは敵にもならないのでしょうが、大きな鳥は大人なのでしょう、無用ないさかいは避けたかったのだろうと思えました。これも数十秒の短い出来事でしたが、命の輝きが感じられるとともに、命の営みが交錯するのが感じられました。
 動物にとって縄張りの確保は死活問題になるのでしょうが、鳥たちの争いの解決法を見習って、人同士も平和な時間と空間を共に過ごせるように工夫し続けられることを願う。ウクライナの人々を想う。
 地球上のどこでもいつでも、自然とゆっくり語り合えるような心静かな時間を持てることを願う。

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最近になって叶った夢〜ビーシュリンプの飼育と繁殖 小林代喜夫(悠遊健康村病院)

 前回は退職後の夢について寄稿させてもらいました。今回は最近になって叶った夢について書きたいと思います。夢と呼ぶには大げさと言われそうですが、何年もの歳月と数々の失敗とチャレンジを経て漸く少し前に達成しました。苦戦していた当時は本当に出来るのかと思えた長年の悲願は「ビーシュリンプの飼育と繁殖」です。
 ビーシュリンプと言われても分からない人がほとんどだと思います。そこで簡単にビーシュリンプについてお話しします。まずその歴史は1980年代に香港から淡水の熱帯魚水槽の苔取り目的に、透明なボディに茶色のバンド模様(横縞模様)の地味なエビが輸入されました。そして1991年に突然変異で赤い縞模様のエビが誕生してその姿がハチに似ていることから、レッドビーシュリンプ(Red Bee Shrimp)と命名されました。これが観賞用のエビであるビーシュリンプの始まりです。熱帯魚の姿は思い浮かぶと思いますがビーシュリンプをイメージ出来る人はまずいないと思います。透明なボディは純白に改良され、鮮やかな紅色の縞模様が映えてとてもきれいなエビです(ネット検索してみて下さい)。現在は更に繁殖と選別による改良が行われ白地に黒の縞模様や、同じ赤や黒でも陰影の濃い赤や黒のレッド(ブラック)シャドウシュリンプ。濃紺のターコイズシュリンプ。また縞模様でなく虎模様のタイガーシュリンプなど様々な色や柄のビーシュリンプが作られています。
 熱帯魚を飼育したことのある人は少なからずいると思います。私も熱帯魚からスタートして途中から水草に魅力を感じるようになり、水草がジャングルのように生い茂るなかを綺麗な熱帯魚が優雅に泳ぎ回る水槽を眺めて癒されていました。しかし更にその後興味は熱帯魚からビーシュリンプへ移行して、ビーシュリンプの育成に成功した現在では熱帯魚は一匹も居らず、全てがビーシュリンプと水草水槽になってしまいました。適切な水温、定期的な水替え、濾過装置の管理、適量の餌やりなどをしていれば特別に難しいことなく熱帯魚は元気に泳いでくれます。グッピーやプラティーなどはいつの間にか数が増えて?殖も容易です。低床土の追加、二酸化炭素やカリウムの添加と照明の増設などで水草もきれいに繁茂してくれます。
 しかし、ビーシュリンプは熱帯魚と同じような管理では繁殖はおろか個体の維持もなかなか難しいのです。ビーシュリンプの飼育にはゴールドスタンダードと言われるようなマニュアルもなく、多くの入門したてのマニアがそれぞれ工夫をして試行錯誤しながら飼育している頃でした。私も頻繁に水替えをしたり、スポンジフィルターの他に底面濾過装置を追加したり、エアレーションを増やしたり、良いと言われている添加剤を使用したりと色々と行いましたがポツリポツリと死んで結局全滅する事の繰り返しでした。こんな時期が何年か続きました。失敗のたびに熱帯魚に比べると周囲の環境つまり水質に極めて敏感で弱い生き物であると痛感させられました。
 ビーシュリンプにとって住みやすい水質とはどんなものなのか?どうしたら死なずに更には繁殖する水質を作れるのか?飼育水の原料は水道水です。熱帯魚の場合はカルキ抜きと温度合わせを行うだけです。熱帯魚とほぼ同様の飼育水でビーシュリンプの育成に成功している事例も散見されていました。しかし水道水には多くのミネラル、微量の有機物質、添加された塩素などの消毒物質、極めて微量な土壌由来の汚染物質含有の可能性も考えられます。通常はおよそ45種類の物質について検査が行われ、水道水としての適合基準が決められています。しかし、この基準はヒトの飲料水としての基準であり、決してビーシュリンプの飼育に適した水質を保証するものではないと思われます。そして水道水の水質はその地域の土壌汚染の程度、浄水場の処理能力、上水道の設備、気候、水系地域の地質、取水地周辺の環境などさまざまな要因により地域差は勿論のこと同じ地域でも季節などの条件により変動すると考えられます。
 この水道水に含まれると推定あるいは仮定されるビーシュリンプの育成を阻害する物質Xが何か特定することは困難ですが、その物質Xを含めた全ての含有物質を水道水から取り除くことは可能です。つまり、薬物等の除去のために活性炭浄化後にイオン物質除去のためにイオン交換樹脂によって水道水を純水化するのです。この方法で成功した例が紹介されており試してみる価値があると思いました。純水化の簡易的な目安として?Total Dissolved Solids(TDS)を測定します。測定器も市販されています。TDSは水中に溶け込んでいるミネラルや金属などの溶存イオン物質の総量を示すもので地域や季節により変動します。通常の水道水はTDSが100ppm前後で自宅の水道水は70〜80ppm位でした。活性炭浄化後にイオン交換樹脂装置で処理すると通常TDSは10ppm未満となりますが、私の使用しているイオン交換樹脂装置は硬度を上げるCaとMgを選択的に除去し淡水生物が必要とするその他のミネラルを残す構造となっておりTDSは20ppm迄低下します。そしてこの処理水に自然岩からつくられた高濃度ミネラル水と硝化バクテリア含有水を添加してTDSを50ppm前後まで上げて飼育水として使い始めました。するとビーシュリンプは全く死ななくなったのです。そして間もなくすると小さな子エビの姿が見られるようになりました。しまいには十匹位で始めた水槽に百匹以上のビーシュリンプで溢れてしまいました。マニアの間ではこれを爆殖と言います。
 現在、大小合わせて10本の水槽にレッド、ブラック、レッドシャドウ、ブラックシャドウ、ターコイズなど合わせて数百匹のビーシュリンプが自宅に居ます。日々の管理は水槽の水が少なくなったら足し水をする程度で定期的な水替えもせずにビーシュリンプは元気にしており熱帯魚よりも手がかからない状態です。水槽の立ち上げから時間が経過して初期の爆殖は見られなくなり数は落ち着いている状態となりました。将来のことを考えると少しずつ水槽の数を減らしていこうと思っています。もし興味があり生体と設備を貰って頂ける方がいればご連絡下さい。まずは見学だけでも歓迎いたします。

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趣味と少しだけ仕事の話 金子広睦(長岡赤十字病院)

 幾年も前になってしまったが、初期研修医時代に寄稿依頼をいただき、私が医師となり最初の2年を過ごした長岡赤十字病院の初期研修について書かせていただいた。初期研修は非常に充実しており、同期にも恵まれ、今となっては大変良い思い出である。そこから数年たち、縁あって私は再度長岡赤十字病院の救命救急センターで勤務している。再びこのように執筆する機会をいただいて、嬉しい限りである。
 前回は性格に似合わず真面目な文章を書いたので、今回は仕事に関係無い趣味の話をしようと思う。
 私の趣味は写真撮影である。主な被写体は自然風景で、高校生の頃、自分で貯めたなけなしの〇万円で初めてSONYのデジタルカメラを購入してからというもの、写真の楽しさにどんどんのめりこんでしまった。大学入学後はNikon一筋で、アルバイト代は機材費と移動費にほぼ使用したといっても過言ではない。北海道・福島という被写体に恵まれた地域で過ごした大学時代は、授業もそこそこに夕焼けの撮影に出かけたり、ヒッチハイクや野宿・車中泊をしながら日本一周の写真撮影旅をしたり、夜通し星の撮影をし、締めに朝焼けを撮影した後眠い目をこすりながら授業に向かったり、それはそれは医学生とは思えないような時間の使い方をしたものである。もっとも、現在も車には常にカメラ2台とレンズ4本、三脚2本が積載されているし、夜通し撮影ののち夜勤、などという無理な日程で撮影に出かけているので、人の根本とはほとほと変わらないものだ。気付けば一眼レフ7台、レンズ20本弱、大型三脚4本を抱えるまでに機材が増えてしまった。自宅にはカメラ機材用の巨大な全自動防湿庫が仕事部屋の端に陣取っている。不要な機材を適宜切り売りしているにも関わらずこの有様である。この費用と時間を他の事に費やしていたらどんなに有意義なものだっただろうと思うと、男の趣味というのは怖いものである。
 さて、執筆依頼をいただいた5月中旬、3月末に糸魚川から始まった桜の撮影もひと段落し、新緑の撮影に勤しんでいる今日この頃である。この時期は水田に水が張られ、越後平野はさながら巨大な水鏡となるし、棚田は特徴的な形で空を映してくれる。この時期限定の新潟の風景である。
 また、この時期の新潟県はダイナミックな夕焼けが多いことで知られる。いや、知られてはいないのかもしれないが、少なくとも私はそう思っている。晴れの日が多い一方で、周期的に天候が変化するこの時期は、雨から晴れのダイナミックな天気の変化が夕焼けの時間帯に重なる事が多く、晴れの空を広げようと東に向かう雲を水平線近くからオレンジの太陽光線が赤く染めるのだ(あくまで私個人の意見である)。
 日没の時間が遅い季節であるので、薄明まで山奥や海岸沿いで撮影をし、そこから自宅に帰れば21時を過ぎることもある。夕ご飯を用意してもらう身からすると大変申し訳ない限りなのであるが、撮影欲には勝てないなと日々感じている。
 あまり大きな声では言えないが、ドクターヘリに乗りつつ四季を感じられるのも勤務中の密かな楽しみである。(春の高田公園は上空から見るとさながらピンク色の雲のようである)最近の新潟県は国内有数(要請数は国内で第2位)のドクターヘリ推進県となっており、広大な面積故に2機体制の強みを感じる事が多いのも事実である。あまりの要請数に一日中空を飛び回っている様な日もあり、季節を感じる、なんて余裕が無い事も多々ある。一方で、越後平野の圧倒的な広さや、北アルプスや妙高山、月山、鳥海山などの名峰の眺望など、上空からしか見えない景色があるものまた事実である。緊迫した現場が続くドクターヘリの機内で、ふとした瞬間に風景がクルーの癒しとなっているのだ。
 新潟県は我々に四季折々素晴らしい風景を見せてくれる。仕事では今までと変わらず長岡・中越医療圏の救命救急センターとして役割を果たしつつ、今後も見た人が感動できるような風景を追いかけ、写真に収めていきたいと思う。

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トム・クルーズと酸っぱい葡萄〜トム・クルーズに生まれなくて良かった 磯部賢諭(キャッツこどもクリニック)

 だって、あんなにいい男に生まれたら、映画スターになるでしょ。そして、努力を続けなくてはいけないし。キツイ筋トレを継続してムキムキを維持しなければならない。そして、あんな高い所から飛び降りなきゃいけない。恐怖を克服しなくちゃいけない。
 (もう、好き勝手に突っ込んでいただいていいからね。)
 (お前はトム・クルーズには生まれないだろ!って)
 そうね、わかってはいるけれど、【もし、トム・クルーズに生まれたら】とイマジンして楽しんでいます。飽きたら、【もし、トムハンクスに生まれたら】とか【トムヤンクンに生まれたら】とか、イメージしてみます。【トムアンドジェリーのトムに生まれたら】、ずっとジェリーに騙され続けなければいけない。
 
 人生の法則というのがあります。
 必ず死ぬ。
 人生は一度キリで、人生はやり直せない。
 時代と場所を選べない。
 
 ノラ猫だって自分の柄に文句いってませんものね。
 
 皆さんも奥さんがいる人は聞いてみてください。
 当院ではスタッフに問いました。
 Q)「あなたのパートナーがもし、トム・クルーズだったら?」
 アンサーをまとめます。面白いものがたくさんできました。
 A)「考えられない」「?せなきゃ」
 A)ドキドキして眠れない。
 A)寝っ転がって醤油団子とかは食べられない。
 A)スナイパーが狙ってるから、ゴミ出しもできない。
 A)すぐ走って逃げられるように痩せなきゃとか、靴はいて寝なきゃ。
 A)爆破される可能性があるから、油断できない。
 A)のんびり口あけて眠れない。口の中に爆弾をしかけられたら終わりだ。
 A)朝寝坊なんてできない。ましてや昼寝なんかできない。
 
 「考えられない」という意見が多かったので言いました。
 「そもそも、トムは変装が得意だから、長い間、あなたのご主人に変装しているだけかも知れない」
 「でも、トムは日本語しゃべれないでしょ。」
 「実はトムは日本語ペラペラにうまい。わからないふりをしている。彼は20か国語をしゃべることができる」
 「そうかしら」
 「そう。生まれてきた赤ちゃんがトム・クルーズ似だったら、その可能性はある。生まれてみなきゃわからない。」
 
 (トムは個人用の自家用戦闘機があるらしい。でも自家用って何?個人で戦闘するのかな?)
 
 また、多かったのは
 「あんまりトム・クルーズ、好きじゃない」
 といった意見です。
 
 ?ここで、酸っぱい葡萄の原理です。
 イソップ童話の「酸っぱい葡萄」のお話です。簡単にいうと、ぶどうが大好きなキツネがいました。お腹を空かして歩いていると、とても美味しそうな葡萄がたわわに実っている樹を見つけました。食べようとしましたが、大きな樹で葡萄まで、手が届きません。ジャンプしたり、揺らしたりして、なんとか手に入れようとするのですが、どうしても手に入りません。そこで「きっと、酸っぱいし、まずい葡萄だ」と自分に言い聞かせて立ち去るというお話です。
 心理学的にいうと「合理化」とか「認知的不協和」とかいう状態です。
 【合理化】:満たされない欲求や不安不満に対して、合理的な理由をつけて、自分を納得させようとする心の動き。
 【認知的不協和】とも言えます。葡萄がほんとは大好きなのに、いやもともとはそんなに葡萄は好きじゃない、むしろ嫌いだ、という行動と感情の不一致からの不協和な心理状態です。好きだけど諦めるために、自分に言い聞かせる、または自分の好みを変化させるといったものです。
 人類はそのようにして進化し、生き延びてきたのです。前頭前野の発達です。
 
 で、結論。
 【パートナーはトム・クルーズじゃなくてよかったね。】
 トムの人生はトムが生きろ。俺の人生は俺が生きる!ってな具合にまとまりました。いいでしょうか。これで。
 
 さて、実家に帰った際に年老いた母にトムの話をいたしました。すると、年老いた母が言いました。「トムはいないけど、近所にトメはいる」と。ありがとう、ナイスぼけです。
 
 今回の会報エッセイは実際に娘と一緒に映画「トップガン・マーベリック」を見に行ったから作成できたものです。
 (娘よ、ありがとう。)
 映画をみて、娘は感動していました。私も興奮して、帰り際には海軍式の縦長の敬礼なんかして、盛り上がりました。
 帰り際に高校生の娘が言うのです。「パパ、良かったね。娘とデートできて。娘とデートなんてこれが最後かも知れないよ」というのです。だから、言い返しました。
 「大丈夫、次のトップガンは孫娘と見に行くから」と言い返しました。「嫁とトムをみて、娘とトムをみて、孫娘とトムをみる。」
 【ヨメトトム、ムスメトトムと、マゴトトム。】トムだらけの早口言葉ができました。
 
 トムは歳を取らないし、必ず生きて生還するからね。大丈夫でしょう。トムはジジイにはならないと思います。先に自分が死ぬかもしれません。
 
 でも、本当にありがとう。トム!なんとかエッセイが書きあがりました。感謝します!

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合成音声、音声読み上げソフトの体験記 福居和人(長岡西病院)

 多人数が集まる研修会が開けなくなるなんて、数年前までは予想だにしなかったことが現実に起こってしまいました。新しい研修形態として、「ビデオ録画(動画)の視聴」が導入されましたが、視るのは簡単でも、研修動画を作ることの、なんと大変なことか。その場限りの発表であれば適当にごまかせていた(と勝手に思っていた?)部分が、記録媒体に正確に保存再生されるため、録画された映像を見直すと、舌がもつれたり、「あー」とか「えーっと」という余計な言葉や、ちょっとした言い間違いなどが次々に明らかとなり、とても気になってしまう問題が出てきました。「えー」、「あー」の音は、フィラー(filler)と呼ばれ、緊張が強かったり、考えがまとまっていない時や、自信がない時、滑舌をコントロールできていない時に出やすいと言われます。つまり、客観的に自分はプレゼンが下手だったということを突きつけられた感じがして、院内研修のビデオ録画の作成依頼が来るたびに、気が重くなってしまいました。
 誰か代わりに喋ってくれる人がいないかと悩んでいる時に、パソコンのテキスト読み上げ機能を試してみたところ、意外にもスラスラと読み上げてくれることに驚き、これで行こう!と決心したものです。OS標準の機能でも、Windows?ではナレーター機能から、Macではアクセシビリティの設定からテキスト読み上げ機能を使用できます。試しに、約15分の研修の原稿を読み上げさせたところ、なんと約10分で完了し、時短にもなってしまうことが判明したので、ますますパソコンソフトに読み上げさせようという思いを強くしました。
 調べてみると、最近のテキスト読み上げソフトは格段の進歩をとげており、ほぼ人間の会話と遜色ないレベルのものも存在していました。合成音声というと、あからさまに機械らしいロボット音声をイメージしがちですが、今の時代ではAI技術を用いたディープラーニングによって、人間の生の声を大量に解析し、その素片をもとに単語や品詞に合わせた音声を合成することが可能となり、すごく自然な音声に仕上がっているのです。身近なところでは、カーナビの音声、コールセンターの案内、公共機関でのアナウンスにも利用され、既に合成音声は日常生活に溶け込んでいることに気づきます。
 しかし、ビーシュリンプは熱帯魚と同じような管理では繁殖はおろか個体の維持もなかなか難しいのです。ビーシュリンプの飼育にはゴールドスタンダードと言われるようなマニュアルもなく、多くの入門したてのマニアがそれぞれ工夫をして試行錯誤しながら飼育している頃でした。私も頻繁に水替えをしたり、スポンジフィルターの他に底面濾過装置を追加したり、エアレーションを増やしたり、良いと言われている添加剤を使用したりと色々と行いましたがポツリポツリと死んで結局全滅する事の繰り返しでした。こんな時期が何年か続きました。失敗のたびに熱帯魚に比べると周囲の環境つまり水質に極めて敏感で弱い生き物であると痛感させられました。
 院内研修発表に耐える、しかも無料で利用できる合成音声を探した結果、@音読さん、A?Amazon Polly、B?VOICEVOX?の、3つのソフトが候補にあがりました[図1]。いずれも聞き取りやすい声質であり、研修動画のナレーションとして自然な感じで再生され、研修内容に合わせて好みの音声を選んで使い分けることもできそうです。さすがに専門用語は読み上げできないので、カタカナなどで対応する必要がありましたが、既に自分で喋るよりも合成音声ソフトのほうが美しく読み上げてくれています。研修で利用するパワーポイントには、動画や音声ファイルを埋め込むことができるので、ソフトで作成した音声ファイルを保存して、各スライドに貼り付ければ、スライドにあわせて音声を再生することができます。文字や図形など、スライドオブジェクトのアニメーションと音声の再生を連動させることも可能で、どんどん自動化が進みました。いっそのこと全自動にしてしまおうと、パワーポイントの録画機能を使って、全編を動画ファイルに書き出した結果、最終的に私の代わりにパソコンが全部喋ってスライドショーをやってくれるという、ちょっと信じられない夢のような出来事が、あれよあれよと現実のものとなりました。
 研修動画が完成した時点で再生時間が決まるため、視る人も安心です。もはや、ちょっと説明が長くなって時間がおしてしまいました、なんてことは無くなったのです。合成音声のナレーションは、当然ながら単語ひとつひとつ正確に発音し、言い間違いなんてしないので、人間が喋るときに1スライドあたり60秒が必要だったところ、48秒ほどで喋り終えます。なんなら動画を1.2倍速で視聴再生することができれば、いままでの約?の時間で研修できる計算になってしまいました。これぞ新時代の研修システムと言えるのではないでしょうか。
 もちろん、合成音声のデメリットも存在します。発音が難しい単語があったり、箇条書きでの「A、B、C」など単音で発音することが苦手だったり、またアクセントや抑揚などの調声が難しいため、人間の会話とまったく同じにすることはできません。一字一句完璧な朗読原稿の作成が必要であり、合成音声ソフトの読み上げ調声、音声ファイルとスライド画像の統合作業など、あらたな手間と時間がかかっていますが、しかし、それでも自分が喋るよりはるかに正確で、速く、滑舌が良い、こんな専属ナレーターがいたら給料を払ってもいいんじゃないかと思うくらいです。
 この4月には、看護学校から依頼された4回の講義を全て合成音声で読み上げ、90分の動画に編集しました。全編動画で合成音声という初の講義形態にもかかわらず、学生は瞬時に適応して、そこそこ好評でした。動画作成のための事前準備には相当の時間がかかりましたが、講義の当日はパソコンの再生ボタンを押すだけの簡単なお仕事となり、同時にリモートにも対応できるようになって、気分が楽になっています。学校から、動画を再生するだけじゃ給料は払えません、とか言われないと良いのですが…。研修動画の作成経験を活かして、患者さんへの説明も動画にしたら便利で良いのではないかと、あらたなプロジェクトを計画中です。試験的に作成した動画[図2:リンクはQRコード]をご紹介します。ご興味のある方は、ぜひ令和時代の合成音声ソフトのナレーションをお楽しみください。

図1

図2

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巻末エッセイ〜長岡花火と祇園祭〜永遠の一瞬(その1) 福本一朗(長岡保養園)

 2022年8月、三年ぶりに28万人の見物客を迎えて、日本三大花火のひとつ「慰霊と平和の祈り」長岡大花火が開催されました(Fig. 1)。長岡空襲・中越地震・東日本大震災そして今年はウクライナ戦争の犠牲者の冥福と平和を祈って、ウクライナカラーのナイアガラが打ち上げられました。二日間で7・6億円の費用をかけ打ち上げられる2万発の花火は夜空を染めて一瞬で消えていきますが、人々の心に永遠に残る思い出となります。それは京都の祇園祭の山鉾巡幸も同じ刹那の行事でありますが、「刹那無常」世代を越えた町衆の手によって1100年もの間守られてきました。
 ギリシャ神話には時にまつわる神が二柱あり、カイロス(Καιρ??)は一瞬を表す神であり、もう一柱のクロノス(Χρ?νο?)は連続した時を表す神です。ルーマニアの宗教学者エリアーデ(Fig. 3)は、「周期的に営まれる祭儀は本来俗なる時間を中断して神が顕現する、聖なる時間にして可逆的・反復可能なものであり、祭儀を周期的に営むことで、人は聖なる時間へ立ち帰り神々と同一化する」と述べています。つまり瞬間に終わる祭りは毎年周期的に繰り返されることで永遠なものとなります。オーストリアの物理学者マッハは「時間は絶対的なものではなく、物質との相対的な関係で存在するという「相対時間」を提唱し、アインシュタインはそれを「時間は観測者ごとに存在する」という特殊相対性理論(1905)に発展させました。そして古代ローマの詩人ホラティウス(BC.65〜AD.8)は「その日を摘め!(Carpe diem)」、つまり「今日という一日を大切に!」と謳いあげました(Fig. 4)。夜空を染めて消えてゆく花火を見ながら、「来年も平和で!」と願う心こそ、永遠に続く人類の希望と思われます。

Fig. 1 2022長岡大花火フェニックス

Fig. 2 祇園祭山鉾巡幸

Fig. 3 Mircea Eliade(1907〜1986)

Fig. 4 古代ローマの日時計に書かれたCarpe diem

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