長岡市医師会たより No.512 2022.11


もくじ

 表紙絵 「拙政園(蘇州)」 木村清治
 「CKD啓発のためのCKDシールご活用のお願い」 忰田亮平(新潟大学医歯学総合病院)
 「6年目の畑道」 太田匡哉(太田こどもとアレルギークリニック)
 「熱闘甲子園」 奥村 仁(おくむら耳鼻科クリニック)
 「ミズの零余子(むかご)」 江部達夫(江部医院)
 「巻末エッセイ〜小さな願い」 江部佑輔(江部医院)



「拙政園(蘇州)」 木村清治


CKD啓発のためのCKDシールご活用のお願い 忰田亮平(新潟大学医歯学総合病院)

【はじめに】
 わが国における腎疾患患者は増加傾向にあり、国民の健康に重大な影響を及ぼしています(厚生労働省腎疾患対策検討会報告書、平成30年7月12日)。特に慢性腎臓病の重症化予防が重要な課題であり、腎臓病に対する普及・啓発、疾患克服、社会貢献を目的として、「特定非営利活動法人(NPO)日本腎臓病協会(Japan Kidney Association:JKA)」が設立されています。「慢性腎臓病(CKD)の普及・啓発」「腎臓病療養指導士制度の運営」「産官学連携のプラットフォームであるKidney Research Initiative?Japan(KRI?J)の運営」「患者会・関係団体との連携」を4つの柱としておりますが、特に同協会の柱の一つである腎臓療養指導士制度について概説するとともに、新潟県内で腎臓病療養指導士に対する理解と医師を繋ぐツールとする「CKDシール」についての利用のお願いできればと考えております。
【腎臓病療養指導士制度】
 「腎臓病療養指導士」は、CKDとその療養指導全般に関する標準的かつ正しい知識を持ち、保存期CKD患者に対し、一人ひとりの生活の質および生命予後の向上を目的として、腎臓専門医や慢性腎臓病に関わる医療チームの他のスタッフと連携をとりながら、CKDの進行抑制と合併症予防を目指した包括的な療養生活と自己管理法の指導を行い、かつ、腎代替治療への円滑な橋渡しを行うことのできる医療従事者です。看護師・保健師、管理栄養士、薬剤師を対象としています。多彩な職種により、腎臓病患者と様々な場面で接触が可能で、日頃、医師の接しない場面での指導が可能であること、また、市民の方々への啓発活動のための市民公開講座においでにならない比較的意識の高くない方々に対しても、アプローチができる可能性があると考えています。新潟では、腎臓病療養指導士が集まる勉強会を定期的に開催し、それぞれの職種がお互いの専門性をもとに交流する場を設けています。今後は、腎臓病療養指導士が主導で行う市民公開講座などの開催を行うなどの活動の場を広げられたらと考えています。
【CKDシール】
 上記の活動の一端として、CKDシールの利用を考えました(図1)。CKDシールを活用することにより、個々の患者に対し、CKD患者であると理解し、医師、薬剤師、看護師・保健師、管理栄養士との相互連携、正しい関わり、有効な指導がより容易になることを期待しています。実際の運用としては、eGFR30未満である患者、その他、CKDとしての留意や関わりが必要と考えられる患者に対し、まず医師の判断により、お薬手帳の左下を目安にCKDシールを発付していただくようお願いいたします。ご協力いただける場合には、下記の連絡先までご一報いただけましたら、送付させていただきます。調剤薬局の薬剤師は、CKDでの服薬指導、処方内容の確認などを行います。具体的には、eGFRの低下に伴い、留意が必要な経口血糖降下薬、NSAIDs等の処方について、薬局で特に注意していきます。また、内科の医師から、整形外科など他科の医師にもCKDとして伝わり、NSAIDsなどを控えていただけるといった効果も期待できると考えております。CKDシールを貼った上で、お薬手帳に?eGFRの値を直接書き入れていただいたり、データを患者に手渡ししていただけましたら、なお一層ありがたいと考えています。管理栄養士では、食事指導の場での活用になりますが、具体的には、eGFRの低下が顕著であれば、カリウム摂取制限などの指導も追加で行うといったことも波及効果として考えられます。また、看護師・保健師では、eGFRの低下による患者ケアを行い、患者本人家族へのフォローも可能になります。また、健康診断の際にも行政が認知できるような効果も期待でき、市町村の保健師の対応にも関わってくるものと考えられます(図2)。
【CKD対策からめざすもの】
 本邦の8人に1人がCKD患者であると推計されています。平成30年7月に新たに取りまとめられた厚生労働省の腎疾患対策検討会対策での達成すべき成果目標では、2028年までに、年間新規透析導入患者数を35,000人以下に減少させる(2016年度は約39,000人)ことが掲げられています。腎臓病療養指導士の活動やCKDシールの活用では、これらを通じて、透析導入患者の減少につながることを期待しています。
 さらに、CKDは、心血管イベントの強力な独立した危険因子であると指摘されています。CKDに対する取り組みは、一見腎臓だけの対策と捉えがちですが、心血管イベントの発症・進展の抑制にも重要な意味をもっています。ホームドクターである開業医の先生方におかれましても、CKD対策といった小さな窓口から、心血管イベントの抑制につながる観点で、CKD対策をとらえていただけたら、幸いであると考えています。
【おわりに】
 CKDシールの作成自体より、これをどのように活用していくかといった運用面がより重要であると考えております。腎臓病療養指導士が活動していく上で、医師、腎臓病療養指導士間を繋げるツールでしかありませんが、これをもとに、積極的な意見交換や診療における相互交流が進むことを願っています。改めて、CKDシールを用いた活動にご理解とご協力、お力添えを賜りましたら幸甚でございます。
【CKDシール配布連絡先】
 新潟大学大学院医歯学総合研究科 腎・膠原病内科学
 〒951?8510 新潟市中央区旭町通1番町757番地
 TEL:025?227?2192  FAX:025?227?0775  komori@med.niigata-u.ac.jp
 (担当:古森)

図1.シールデザイン

図2.CKDシールの運用

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6年目の畑道 太田匡哉(太田こどもとアレルギークリニック)

 長岡市医師会の諸先輩方お世話になっております。実家の太田クリニックに入り2年目になりました太田匡哉(まさや)です。原稿依頼が届き“ぼん・じゅ〜る”に投稿できることは何かあるだろうかと考えまして、細々と続けている家庭菜園について失敗談も含めて書いてみたいと思います。2022年で畑の経験は市民農園で2年、自宅の庭で4年目の畑シーズンを迎えています。
・“あぐらって長岡”での畑修行
 もともと野菜を育ててみたいと思っていたところ、知人から長岡市の市民農園を勧められました。市営スキー場の麓、東山にあるふるさと体験農業センター『農の駅あぐらって長岡』です。“あぐらって”は市民農園の利用者を毎年募集しており自由区画の他に一畝(ひとうね)オーナーという育てる野菜が決まっていて苗作りや土作りを指導してくれるコースがあります。ここで夏は枝豆、秋はブロッコリーや白菜を育てるコースを2年間続けました。春の土起こしや肥料の使い方、種まきからの枝豆の苗作り、鍬での畝作り、マルチ張りのやり方など多くのことを“あぐらって”のスタッフに教えてもらいました。また畑の近くに小川があってカニがいたり、広い敷地にはトカゲやカエル、そして多くの虫がいて私が農作業中に子どもたちは思い思いに遊んでいました。初めて自分で収穫した枝豆は自画自賛になりますがとてもおいしかったです。
・自宅の庭に畑を作ろう
 夏の枝豆はとても楽な野菜で発芽した苗を植え付けてあとは草刈りくらいでほとんど手間がいりませんでした。しかしその草刈に自宅から往復で50分くらいかかります。2年目になるとだんだん草刈りや成育を確認するために“あぐらって”まで向かうのが億劫になってきました。そのころ自宅を建て始めていたので、庭に畑を作って家庭菜園をすればいいじゃないかと思い建築会社に畑として使えるような庭をお願いしました。具体的には畑のスペースを重機で50pくらい掘ってもらい土を入れました。もともとの土地が瓦礫や石だらけの土だったのでこの重機で掘ってもらったことがとても助かりました。
・1年目の自宅の畑
 1年目はワクワクして雪の残る3月に室内で枝豆の種から苗を作り始めました。野菜は家族の希望でトマトときゅうり、トウモロコシが食べたいといわれて植えて、あとはナスとオクラ、ジャガイモ、知人からもらった食用菊を育てました。枝豆は“あぐらって”で育てていたおつな姫という早生品種を使いうまくいきました。他の野菜もまあ食べられるものが収穫できましたが、トウモロコシは収穫時期が遅れて硬くなってしまいおいしくなかったです。
・連作障害予防のローテーション
 2年目を迎えるにあたり雪の季節に野菜作りの本を読んで来年育てる野菜を考えていました。同じ品種の苗を毎年同じところに植えると収穫が悪くなる(連作障害)ため、1年目に植えた苗の品種を調べていました。その時知ったのはナス科とアブラナ科の野菜の多さです。ナス科はナス、トマト、ジャガイモ、ピーマンなど。アブラナ科は大根、キャベツ、白菜、ブロッコリー、かぶ、小松菜など。ウリ科のキュウリはいいとしてこれらの野菜が連作にならないように2−3年開けて植える必要があるなんて畑をやる前は野菜を作るのがこんなに大変なんだと知りませんでした。“あぐらって”の貸し出される畑の場所が2年目は違ったわけを知りました。2年目から狭い畑なりに区画を考えローテーションを組んで植え付けを考えるようになりました。
・畑の師匠竹内先生
 連作障害予防でとりあえずのローテーションを考えて2年目の畑に取り掛かった時、ちょうど2回目の長岡中央綜合病院の勤務でした。前回勤務した時に竹内一夫先生(小児科部長)がかなり畑をやりこんでいるのを知っていたいのですが数年経って赴任したら先生の畑が数倍広くなっていました。ジャガイモの収穫に呼んでいただき畑を実際に見学させてもらいましたが家庭菜園の域を超えており驚愕。竹内先生は畑初心者の私にアドバイスをたくさんくれました。悩んだら竹内先生に教えてもらえるという仕事+αの勤務ができて大変ありがたかったです。先生から自分が育てたことのない品種を教えてもらったり苗をいただいたりして知識を深めることができ、何より竹内先生と畑の話を一緒にできたのが楽しかったです。
・畑は基礎研究と似ている?
 数年畑をやっていて自分が面白いと思う点は、まず食べられるものを収穫する喜びがあること、うまくいかないことも多くありなぜ失敗したのかを考え工夫する楽しみがあること、種まきからの発芽期間や収穫時期を逆算して植え付けする計画性が必要なことが面倒なようで面白い点です。この作業が事前に研究ノートでプランを立てて実行し、うまくいかなければ反省点を振り返り再度仮説を立てる基礎研究に似ている気がします。単純に土をいじって汗をかけることも魅力の一つですが、限られた広さでいかに計画的に収穫を目指すかも、やっていて面白いです。
・おいしいと言ってもらえるのが一番うれしい
 そんな試行錯誤も4年目に入り今年の秋の畑は剪定更新したナス、収穫時期が長いピーマンと空心菜、秋植えで芽が出たての春菊、植えっぱなしの里芋やピーナッツ、さつまいもがすくすく育っています。今年は越冬野菜にも手を出してにんにくも植え付けました。家族が採れた野菜を食べておいしいと言ってくれるのが続ける励みになります。これからも無理のない範囲で細々と土や野菜と触れ合っていきたいと思います。家庭菜園トークをしたいのでもし畑をやっている先生がいましたら医師会で声をかけてくれたら嬉しいです。
【太田畑野菜メンバー】
 レギュラー:キュウリ、トマト、ナス、ピーマン、パプリカ、ズッキーニ、ジャガイモ、さつまいも、インゲン、葉ネギ、えごま、ツルムラサキ、オクラ、バジル、パセリ
 サブ:空心菜、ハンダマ、小松菜、アスパラ、里芋、ピーナッツ、モロッコインゲン、枝豆、シカク豆
 引退:トウモロコシ(収穫のタイミングが難しい)、小玉スイカ(おいしいけど難しい)、菊(土が入ってしまう)、スナップエンドウ(うどん粉病に負けた)、オカヒジキ(収穫間に合わず硬くなる)、イチゴ(畑以外の庭スペースに移植して野生化)、ベビーリーフ(あっと言う間にベビーじゃなくなり虫が食う)

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熱闘甲子園 奥村 仁(おくむら耳鼻科クリニック)

 この原稿の依頼を受けた時は残暑が厳しく、長岡花火や夏の甲子園も終わり、今年も夏が終わったなと感じている時期でした。小さいころから父親が野球好きで、テレビではプロ野球や甲子園を常に見ている環境で育ったため、野球観戦は私個人も昔から好きでした。仕事をするようになってからは忙しい日々でプロ野球は見なくなりましたが、甲子園、特に夏の甲子園は休みの日は終日、仕事の日は熱闘甲子園とスポーツニュースで、子供たちにまた甲子園と嫌がられながら一人で盛り上がって観ています。甲子園を見ている人は皆さんそうだと思いますが、負ければ終了の緊迫感、球児たちの一生懸命な様子に心を打たれるから毎年楽しみにみてしまいます。今年の甲子園でも聖光学園赤堀君の準決勝敗戦後に、命を懸けて頑張ったが優勝には手が届きませんでしたと全身泥だらけの姿、真剣なまなざしで涙を流しながらコメントしており、こちらも熱い思いがこみ上げてきて「甲子園ってやっぱり好き」となってしまいます。ここで、マニアックですがお勧めなのが、大会前から甲子園特集の雑誌やスポーツ新聞を読んで前情報を頭に入れておくと、さらにおもしろ味がアップします。聖光学園は10年以上連続で福島地方大会を制して甲子園出場していた記録が昨年ストップし、赤堀君が新主将となってここまで勝ち進むチームを作ってきました。かなりの努力をチーム一丸となって全てをかけてやってきたんだなぁと、豆知識を入れておくと試合後のコメントの受け取り方にも深みが増します。
 今年の甲子園は当初はスター不在と言われていましたが、高松商業の浅野君などは一躍名をあげる大活躍でした。どの打席も打ってくれる雰囲気があり、特に近江の山田君との対決はワクワクしながら観ていましたが、2塁打、ホームランと山田君の疲労もありましたが、すごいバッターが出てきたと大興奮でした。3回戦の近江対海星も見ごたえのある試合で、日本文理とも試合をした海星のエース宮原君が強力な近江打線を7回まで2失点に抑えて2対1の緊迫した試合の中、満塁で山田君の打席、この1点が大事な場面で満塁ホームランを打つという漫画みたいにドラマティックなホームランでした。
 試合後に放送される熱闘甲子園も好きな番組で、毎年主題歌があり、今年は平井大の「栄光の扉」で映像と一緒に流れると言葉で表せませんがなんともいい感じなのです。試合後の宿舎の様子が特に好きで、優勝した仙台育英と1回戦で戦った鳥取商業の試合後の宿舎で、選手たちが「仙台育英の投手陣豊富すぎでずるいよ〜」と笑顔でコメントしている様子はほっこりとする、だよね〜と思った印象に残る場面でした。
 低レベルなスポーツライターみたいな文章になってしまいましたが、これから始まるドラフト会議も浅野君や山田君がどこに指名されるかなど楽しみです。夏が終わりこれからは駅伝シーズンに入り、駅伝も大好きなので全日本大学駅伝から子供たちに嫌がられながら観戦したいと思います。

 編集部注:浅野選手は巨人一位、山田選手は西武五位で指名されました。

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ミズの零余子(むかご) 江部達夫(江部医院)

 広辞苑によると、「零余子」は珠芽(しゅが)と同義。また、特にヤマノイモの葉の付け根に生じる珠芽を指す。
 珠芽とは腋芽(葉のつけ根にできる芽)の変形したもので、ふつう小さな球塊となり、養分を貯蔵し、たやすく植物母体から離れて、無性的に新個体を生じるもの、と書かれている。
 自然界での植物の増え方は種子によるものが大半であるが、地下茎や芋などによるもの、零余子によるものなどがある。
 山菜で零余子と言えばヤマノイモしか思い当たらない方が殆どであろうが、初夏によく食べられているミズにも秋になると零余子が生ずる。
 ミズはウワバミソウとも呼ばれ、湿気のある山中に自生し、群生するので収量も多く、広く親しまれている山菜だ。しかし私はミズを七十年も採っているが、蛇にであったことはない。蛇はワラビ採りや茸狩りでよく出会うので、じめじめした所よりも乾いた所が好きのようである。蛙を捕食するので水辺でもよく見かけるが。
 私がミズを初めて食べたのは中学一年の夏休み(昭和二十四年)だ。長岡市内の蝶々マニアの中学生五人で、旧三国街道に出かけた。湯沢から歩き始め、三国峠までの三十キロメートル、参勤交代で殿さまや武士たちも通った街道、ここは蝶々の宝庫でもあった。
 街道の途中にある二居集落の小学校に泊めてもらい、ここを拠点に四日間街道筋を捕虫網を振りかざして歩き回った。ある日夕食の支度をしていると、村の人から近くの沢で採って来たと云う長さ四十センチほどの、茎に赤みのある山菜をどっさりもらった。ミズと呼び、食べ方まで教えてもらった。
 山菜と云えば昭和二十年の秋、疎開先の田舎でヤマノイモの零余子摘みをしてご飯に混ぜて食べたことくらいであった。
 ミズを食べるのは初めて、教わった通りに茎を三センチほどに折りながら薄皮をむき、味噌汁と油炒めにして食べた。美味しかった。私の山菜研究の出発点であった。
 山菜採りが私の趣味となり七十年、たくさんの山菜を食べてみたが、今では旨いと思う三十種ほどしか採らない。もちろんミズは含まれている。
 ミズはイラクサ科の山野草、雌雄異株の多年草、日本全国の山地の湿り気のある林内、湿崖や沢筋に群生する。春は雪解けとともに芽生え、一カ月で四、五十センチに生長、採取のしごろになる。取る際は茎を強く引っ張って根こそぎ取るのだ。根には鉄分が多く、茎より赤みが強い。
 ミズは春の若芽から初冬に霜が降りて倒れるまで食することができる。こんなに長く食べられる山菜は他にはない。秋になると茎は、葉の付け根の節状の部分が肉芽状に膨れて赤紫色の零余子を作る。一本に七,八個の零余子が数珠に生じ、冬に入る頃には凹凸も出来、短いひげ根も生えてくる。倒れたら雪の下で根を伸ばし、雪解けの春には新芽を出す準備なのだ。
 零余子が栄養分をため込んでおり、冬を越すカモシカも好んで食べている。ミズの群生する沢で二回カモシカと出会っている。採取するのをこちらが遠慮しなくてはならない気がするのだ。
 ミズの零余子は茹でてから塩蔵にし、漬物として食べたり、だし汁に四五日漬け込んで酒の友にしたり、また生で食べるには根と一緒に包丁の背で叩き潰してとろろ状にして食す。酒にも合うし、ご飯にかければとろろ飯だ。工夫しだいでいろいろと調理ができる。今が季節ですよ。

 みず零余子雪に埋もれて春を待つ

 羚羊と仲良く分けて零余子摘む

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巻末エッセイ〜小さな願い 江部佑輔(江部医院)

 ほんの小さな願い事でも叶えば幸せになれるものだ。クラスの席替えの時「〇〇ちゃんの隣にならないかな」という願いが叶うと、ちょっと心はときめく。「また隣になったね」なんて話かけられたときには、それこそちむどんどんした。「小さな願い“I say a little prayer”」は1968年 アレサ・フランクリンがシングルのB面でディオンヌ・ワーウィックの曲をカバーし、ヒットした曲である。作曲はバート・バカラックである。バカラックは1928年カンザスシティーで生まれ、その後ニューヨークに移り住んだ。大学で作曲を学び、クラシック音楽の勉強もした。彼をポピュラー音楽の世界に誘ったのがマレーネ・ディートリッヒであった。バカラックの才能を認めたマレーネが、自分のコンサートで指揮やピアノ伴奏を彼にさせたことが、その後の彼のキャリアにつながった。以後、ディオンヌやカーペンターズなどに提供した楽曲の数々が大ヒットした。映画音楽も多く手掛けている。「明日に向かって撃て!」の主題歌「雨にぬれても(Raindrops Keep fallin' On My Head)」も彼の曲である。小学校3年のころ、父がポータブルステレオを買ってきた。父はいつもサイモン&ガーファンクルとカーペンターズを聞いていた。以前ビートルズとの出会いについて書いたことがあるが、私が洋楽に興味を持つようになったきっかけは、結局父であった。我が家にはいつも音楽好きの友人が何人か集まり、カーペンターズ、ビートルズなどを聞きながら、意味もわからないのに語りあった。ある時、カーペンターズの楽曲でなにが一番かという議論になった。「オンリー・イエスタデイ」「スーパースター」「トップ・オブ・ザ・ワールド」などが数々のヒット曲があり選定には難航した。私は父の好きな「イエスタデイ・ワンス・モア」を押した。実際、そのころ一番好きな曲でもあった。しかし、たぶんS君だったと思うが、彼が頑なに拘ったのが「遥かなる影(Close To You)」であった。いい曲だが、当時の自分はさほど興味を持ってもいなかった。大学に入った80年代はマイケル・ジャクソン、ホイットニー・ヒューストンなどがMTVで音楽シーンを沸かしていた時代であった。音楽媒体はレコードからCDへと変わり、ラジオからTVで見聞きするものになっていた。私は下宿にそれまで集めたレコードをもっていっていた。同期のO君は、愛媛の名門進学校で寮生活をしていたため、音楽を自由に楽しめなかった反動なのか、大学に入ると同級生からレコードを借りては音楽テープを編集するのが趣味になっていた。僕のレコードも彼のオリジナルテープに大きく貢献することになった。ある時、彼からテープをもらった。その中にカーペンターズの“Close To You”とインストルメンタルの“I say a little prayer”があった。この時初めてバカラックの曲だと知った。子供のころ意味も分からず聞いていた曲に心がときめいた。“I say a little prayer”はその後、ディオンヌの原曲、そしてアレサのバージョンも聴いた。私はアレサの歌声に心躍った。最近、心がときめく瞬間が減った。アレサは歌っている「朝目覚めたとき お化粧する前に あなたのためにそっと祈るの」“The moment I wake up Before I put on my makeup I say a little prayer for you”愛する人への思いが止まないラブソングである。邦題の「小さな願い」はちょっとニュアンスが異なる気がする。そんな熱い思いではなくても、愛する人、家族のことを思い出し、幸せを感じるときはある。“Close To You”もラブソングで、何気ない日常に心がときめく歌詞である。昔はそんなラブソングが嫌いだったときもあったが、今聞くと日常の幸せを感じる。カレン・カーペンターもアレサももういないが、バカラックは90を過ぎたが今なお健在で、日々の出来事に心ときめく時間を過ごしているのだと思う。庭で小鳥たちがさえずっている。“Why do birds suddenly appear Every time you are near? Just like me, they long to be close to you”しばらくすると小鳥たちは飛び去った。彼らが居たかったのは私の傍ではなかったようである。

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