長岡市医師会たより No.516 2023.3


もくじ

 表紙絵 「興中道(中国・中山)」 木村清治
 「高須先生へのオマージュ」 丸山直樹(田宮病院)
 「ウサギ年に思う」 福本一朗(長岡保養園)
 「マルトリートメント・サバイバー〜鬼の声〜」 齋藤義之(立川綜合病院)
 「第15回中越臨床研修医研究会
 「巻末エッセイ〜子供は誰のもの?−児童虐待を防ぐために」 福本一朗(長岡保養園)



「慶会楼(ソウル)」 木村清治


高須先生へのオマージュ 丸山直樹(田宮病院)

 2月15日の朝、外来診療を始めようとした時に医師会・星事務長から一本の電話ありました。『高須達郎先生が亡くなりました』と。
 病気で闘病されていると聞いたことはあったのですがこの様な連絡をもらうお具合とは知らなかったので驚きました。
 高須先生は愛知県の御出身ですが昭和37年4月に新潟大学医学部に入学したことで新潟県人の一人となられました。そして大学を昭和43年5月に卒業しています。この時代はインターン闘争、国試ボイコット、医局講座制粉砕などから始まり学生運動の嵐が全国の大学医学部を襲い始めヘルメットや角棒を持った学生達が大学構内や街でデモをしている状況が見られていました。昔、先生から『大学5年、6年そして県立に赴任するまで運動漬けだった。』と聞かされましたが、その当時から改革や改善と言った事に情熱がある人なのだと思った覚えがあります。大卒後は県立新発田病院で研修を始め半年後には大学精神科に異動されています。
 昭和49年4月に当時の県立療養所悠久荘(現・県立精神医療センター)に赴任されています。当時の精神科病院はパターナリズムが当たり前で管理主義的な事が当たり前な所でした。先生は学生運動を通して身につけた状況把握の力、つまり大状況、中状況、小状況をそれぞれ把握し分析し有効な方針を立てていく力を発揮して院内の様々な面でのパターナリズムの医療を先頭に立って当時の幹部の先生らと改革されて行きました。当時多く見られていた閉鎖病棟の開放化を行い患者さん自身の自主的な行動・判断を促すようにし更には病棟再編も行なっています。また従来から行なっていた外来の集団療法室をデイケアへと転換させて入院患者さんの社会復帰・定着を図ることも行い更には患者さんの金銭自主管理の実践、患者さんが主体的に運営する院内喫茶の立ち上げと言ったこと等もひとつひとつと実現して行き患者さん主体の医療への方向へと舵取りをして行かれました。また院内の診療・看護業務の見直しといった膨大な量の大変な仕事をスタッフらとのチームをリードしていく様なことも数年かけて実行されていきました。筆者が県立悠久荘に赴任した昭和58年頃にはそれらの仕事も一段落した頃であったと思います。赴任当初には時間の余裕があり院内をあちこちとうろついている際に出会うスタッフや患者さん達から『高須先生が考えて……』、『高須先生と私たちが……』などの話が幾つも出てきて驚き感嘆したことを今更ながらに思い出します。赴任して2年ほど立った頃に医局でむかい合わせの机越しに『先生、どうだろう。デイケアを一緒にやってみない』と誘いの言葉を掛けられたのが先生との繋がりの始まりで筆者を精神科リハビリテーションに関心を持たせてくれたきっかけでした。其の意味では精神科の面白さを教えてくれた先輩でした。当時、先生は病院傍の官舎に住まわれていたので朝、夕には職員と病院のコートで盛んにテニスを興じられていたり(後にはゴルフになった様です)職員らと山登りに行ったりと体を動かすことを盛んにされていました。その一方、仕事中の先生にはのんびりとした空気がただよい時に薫風が一筋吹くと言った風情が見られていました。担当する患者さんは多くいたと思うのですがゆったりと診療をされていました。病棟ではホールのソフアーに座りゆったりと新聞を読んでいたり患者さんと碁を打ったりしている姿が印象的でした。その先生のそばに患者さんが一人二人と集まり出し具合の事であったり病棟への不満であったりと様々な事を話し掛けるのですが嫌な顔もせずに話に応じている先生でした。外来診療でも同様で患者さんや御家族の話をゆったりと聴かれていました。このように患者さんとの関係性や信頼性を大事にして臨床に臨んでいた先生だったと思います。この姿勢には筆者も大きく影響を受けて学ばさせて頂きました。先生はその後副院長を経て県立精神医療センターの院長を務められています。平成18年3月に院長を退かれて5月からは長岡駅前で高須メンタルクリニックを開業。同じ様な臨床姿勢だったと想像します。現在は御子息が継承され先生も御安心だったと思います。
 高須先生へ敬意。
 高須先生 安らかにお休みください。合掌

故高須達郎先生

目次に戻る


ウサギ年に思う 福本一朗(長岡保養園)

 今年は卯年ですので、アマミノクロウサギに会いに奄美大島まで行ってきました。アマミノクロウサギ(奄美の黒兎、Pentalagus furnessi)は、哺乳綱兎形目ウサギ科アマミノクロウサギ属に分類されるウサギですが、本種のみで独自の属を構成する遺存固有種で奄美大島と徳之島だけに生息しています。猫や車に追い立てられて一時は絶滅が危惧されていましたが、国の特別天然記念物となり、手厚い保護を受けて近年は生息数増加が認められていることは喜ばしい限りです(Fig. 1)。
 ウサギはペットとして飼われるようになってから種類が増えて50種類ほどになっていますが、その生態は大別して地中に複雑な穴を掘って集団生活するアナウサギと、草原を時速60qで疾走するノウサギに分けられます。医学実験に用いられるウサギは、家畜化されたアナウサギですが、筆者も抗原抗体反応の定量的研究のため、ウサギさんの耳から毎日少量採血させていただきお世話になりました。感謝!
 日本では、各地の縄文時代の貝塚からウサギの骨が出土することや、古事記の「因幡の白兎」などに登場すること(Fig. 2)、江戸時代徳川将軍家で正月三ケ日にウサギ汁を食べる風習があったなどからも、古来かなりの数が棲息していたものと考えられます。欧州では氷河期に生きたマンモスなどの大型動物がいなくなったため、ウサギを始めとするすばしこい小型動物が主な獲物となりましたが、ネアンデルタール人はこれら小動物の狩猟方法を考案できなかったため滅んだとの説があるほど、人間にとっても重要な食用動物でした。さらにその毛皮や毛足の長い毛は、古来軍需毛皮・服飾品や装飾品としても利用されてきました。
 ウサギはネコなどと同じく、周年繁殖動物であり、交尾により排卵が誘発される交尾排卵動物で、妊娠期間は多くの種で30〜40日、一度の出産で1〜6頭を出産する多産動物です。
 そのため婚姻や安産の信仰対象となっていて、醍醐天皇の時代を描いた謡曲「竹生島」にも、廷臣が琵琶湖の竹生島に参詣するため船に乗った際、「緑樹影沈んで魚木に登る気色あり 月海上に浮かんでは 兎も波を奔るか 面白の島の景色や」と謡われて子孫繁栄と飛躍の正月縁起物「波兎」の元となりました(Fig. 3)。
 またユダヤ教やキリスト教の教会でも、三羽のウサギが追いかけ合う図柄が、子孫繁栄・平和の象徴として用いられています(Fig. 4)。
 ところでピーターラビットやミッフィーで子供達のアイドルとなった可愛いウサギ達は、世界中の民話・寓話や神話でも主人公になっています。民話「かちかち山」では老婆を斬殺した狸を仲良しウサギが懲らしめ、イソップ寓話「ウサギとカメ」では足の速いウサギと足の遅いカメが競走をし、油断したウサギはカメに負けてしまい、油断大敵・努力勤勉の教訓を与えてくれます。平安時代、鳥羽僧正覚猷が描いた「鳥獣戯画甲巻」ではカエルとウサギがおめでたい相撲など庶民の遊びをしています。またルイス・キャロルの「不思議の国のアリス(1865)」では幼い少女アリスが白ウサギを追いかけて不思議の国に迷い込み、しゃべる動物や動くトランプなどと出会いながらその世界を冒険します。ワーナー・ブラザースのアニメーション作品「ルーニー・テューンズ」では、読書家で頭脳鋭敏のウサギ=バッグズ・バニーが、狩人やコヨーテなどの敵役を大胆不敵に知力で退治し、「どったの先生!(What's Up Doc?)」と笑い飛ばします(Fig. 5)。
 しかし可愛いウサギもその旺盛な繁殖力で、ヒノキやスギなどの若木の枝葉、樹皮への食害、キャベツ、豆類などの露地野菜や果樹への食害など農林業への打撃となることもあります。例えばオーストラリアにはもともとウサギは生息していませんでしたが、1859年に兎狩りのために輸入された24羽のウサギが、1920年には100億羽にまで増殖して植物を食べ尽くし土壌の浸食や水不足を引き起こして、花卉栽培などに数十億ドルの被害を与えました。そのため政府は数千マイルに渡るウサギ除けフェンスを張り、1950年にはウサギだけに罹患する粘液腫ウイルスを保有する蚊とノミが野生に放出されました。そのため今度はオーストラリアのウサギの90〜99%が滅亡してしまい、雑草が生い茂って農地を脅かすとともに、ウサギを食料とする野生動物が激減して生態系に大きな擾乱を与えるようになりました。人間の浅知恵に振り回されたウサギこそ大迷惑ですし、人類は自然に対してもっと謙虚に賢く対処すべきとの教訓を与えてくれたようです。
 ウサギは月の化身であり神聖なシンボルであるという伝承が世界中にあります。道教の神仙思想においては、月は西王母という仙女が治める世界であり、そこでは永久に枯れない月桂樹のもとで不老不死の薬をウサギが作っているとされています。また仏教では天竺にウサギ・キツネ・サルの3匹の獣があり、ともに熱心に仏教の修行に励んでいたところ、飢えた老人に化身した帝釈天が食べ物を求めました。サルは木に登って木の実をとってきたり、里に出て里人の果物や野菜をかすめとっていき、キツネは川原へ行って魚をとってきたり墓に供えてあった餅や飯をかすめてきて老人に与えました。しかし方方駆けずりまわって探しましたが何も見つけられず、手ぶらで帰ってきたウサギは、この身を焼いてお食べください≠ニいうや否や火の中にとびこみました。この様子を見ていた老人は、たちまちにして本来の帝釈天の姿に戻り、すべての生き物たちにこのウサギの姿を見せるために、月の中にウサギを移しました。今でも月には煙のような雲影とウサギの姿があるのはそのためだそうです。
 大人しく賢明で争いを好まず、人懐っこいウサギはペットとしても犬猫に劣りません(Fig. 6)。小心で敏感な彼らは大砲の音で死ぬこともあります。戦火にあるウクライナはじめ、世界中のウサギさん達がこの卯年を幸せに過ごせますように!

Fig. 1 アマミノクロウサギ

Fig. 2 鳥取県八頭町福本にある「白兎神社」

Fig. 3 謡曲「竹生島」の波兎

Fig. 4 ドイツ・パーダーボルン大聖堂の三羽ウサギ窓(Dreihasenfenster)

Fig. 5 Bugs Bunny バッグス・バニー

Fig. 6 ウサギと猫は仲良し(ベトナムでは卯年は猫年なんですって!)

目次に戻る


マルトリートメント・サバイバー〜鬼の声〜 齋藤義之(立川綜合病院)

 二〇二三年四月TVアニメ新シリーズ放映開始の漫画「鬼滅の刃」には、人を喰う「鬼」が出てきます。この鬼は、始祖となった鬼の血が体内に入り込むことで変貌した「『元』人間」です。鬼は、人間だった頃に経験した「貧困」「疾病」「大切な人との理不尽な別離」などの不幸により心の中に深い闇を抱えていた者が多く、鬼になることを闇からの救済につながると考えて選択しているのです。しかし、その先にあったのは始祖の鬼による支配・利用であり、より深い闇の中に堕ちていくことになります(『元々人でなし』の鬼もいます)。「主人公が鬼と戦う物語」は昔からありましたが、「鬼滅の刃」は単純な勧善懲悪の話ではなく、丁寧な描写により敵味方両者に感情移入しやすくなっており、「人を食うことを選んだ鬼に理解を示しつつも、それを断固たる悪として指弾する健全さ(東京新聞、二〇二〇年)」があった点なども、幅広い層に受け入れられた要因として挙げられています。
 
 現実の世界に目を移してみますと、「人を喰う鬼」はいませんが(たぶん)、「酷いことをする鬼のような人」はいます。例えば「子どもを虐待する親」。ここからは「酷いことをする鬼のような人」にまつわる話になります。長年「子どもの発達」に関する診療・研究・教育に携われてきた福井大学の友田明美先生は、「虐待への対応」を考えるにあたっては「マルトリートメント」という概念を社会に浸透させることが重要であると訴えています。友田先生はメディアを通じた情報発信もされているので(TV『プロフェッショナル 仕事の流儀』『クローズアップ現代』『世界一受けたい授業』など)既にご存じかもしれませんが、マルトリートメントとは「子どもとの不適切な関わりや養育すべて」を指し、「暴力」などの直接的なものだけでなく「子どもの前での夫婦喧嘩」といった間接的なものも含みます。「マルトリートメントを受けると、その内容に応じて脳の特定部位が変形して発達が阻害され、健全な成長に悪影響が出る」という研究報告があり、子ども時代の過酷な経験は、トラウマという「心の傷」だけでなく脳の発達阻害という「体の傷」をも残すことが明らかになっています(ちなみに『言葉の暴力』の方が『実際の暴力』よりも脳への影響が大きいそうです)。「虐待」は多くの人が「自分とは関係ないもの」と思いたくなる言葉ですが、「マルトリートメント」はかなり広い概念である上にイメージもまだ固定されていないので「自分にも関係ありうるもの」として虐待のある家庭と社会をつなぐ言葉として使いやすいと考えられます。また、「子どもを虐待する親」の多くが「虐待されていた『元』子ども」などの「マルトリートメント・サバイバー」であることが明らかになりつつあり、「『虐待されている子どもへの対応』だけでなく『虐待している親への対応』を考える際の評価項目にもなる」という点からも、「『マルトリートメント』という概念を社会に浸透させることが重要である」のは確かなのではないかと思います。友田先生とお会いした際に「フラッシュバック(何年も前に起きた出来事を、まるで『今』起きているように感じる)」が話題になったのですが、マルトリートメント・サバイバーには「目の前の他人への暴言や暴力」につながる「過去に自分がされた酷いことのフラッシュバック」がみられるそうで、関わる際には難しい対応が求められるようです。
 
 地域を問わず、虐待だけでなく、パワハラなど「酷いことをする鬼のような人」の話は「身近なもの」として多く見聞きすると思うのですが、「マルトリートメントの概念が広がることで『鬼(加害者の不幸な背景)に理解を示しつつも、それを断固たる悪として指弾する(加害者を倒す…のではなく、被害者への適切な対応と同時に加害者の更生も図る)健全さ』を社会が獲得できるのではないかなあ…」とか考えたりする今日この頃です。
 
 参考文献
 「親の脳を癒やせば子どもの脳は変わる」(友田明美、NHK出版、二〇一九年)
 「子どもの脳を傷つける親たち」(友田明美、NHK出版、二〇一七年)

目次に戻る


第15回中越臨床研修医研究会

頻回の経口抗菌薬投与によりClostridioides difficile感染症を発症した生来健康な5歳男児の1例  長岡赤十字病院 藤井裕太

 【症例】5歳、男児
 【主訴】腹痛、下痢、血便
 【既往歴】特記事項なし
 【現病歴】入院18日前から下痢が出現し、その数日後から発熱および腹痛が出現した。近医を受診しホスホマイシン5日分を処方された。2日間内服しても症状の改善がなかったため当科を受診した。胃腸炎の診断で治療継続となり、その後症状は改善した。入院4日前から再度下痢および血便が出現したため他院を受診し、便中ノロ・ロタおよびアデノウイルス各抗原検査は全て陰性だった。症状が増悪したため再度当科を受診し活気不良もみられたため入院した。
 【入院時現症】体温37.0℃、脈拍103/分、血圧100/58mmHg、SpO2 97%(室内気)。活気なく表情は乏しかった。左上腹部から側腹部にかけて圧痛および反跳痛を認めた。CRP 2.20mg/dlと軽度の炎症反応上昇を認めたが、それ以外に血液検査の異常所見はなかった。
 【入院後経過】入院日から1日に10回程度の水様便がみられた。症状出現から7日(入院3日目)経過しても下痢、腹痛は改善しなかった。同日、便中Clostridioides difficile(CD)抗原およびCD toxin検査を施行したところ陽性でありCD感染症(CDI)の診断に至った。診断後よりバンコマイシン経口投与による治療を10日間行った。投与開始2〜3日目から腹痛は消失し投与開始5日目から便の回数も1日1〜2回と減少した。投与開始8日目には便は固形便となり、入院15日目に退院した。炎症性腸疾患や免疫不全などの合併は否定的であったが、服薬歴を確認すると年間を通して上気道炎症状に対して複数医から経口抗菌薬の処方を受けていた。
 【考察】CDIは抗菌薬使用による菌交代現象により発症することが多く、炎症性腸疾患や免疫不全もリスク因子とされている。CDIは入院中の高齢者で罹患が多く、小児患者での発症は稀である。しかし欧米を中心に小児の市中感染型CDIの増加が報告されており、わが国においても小児CDIの増加が懸念される。市中感染型CDIのうち約60%は診断の12週間前までに外来で抗菌薬の処方を受けているという報告もあり、経口抗菌薬は市中感染型CDIにおいても重要なリスクファクターと考えられる。抗菌薬曝露による腸内細菌叢の乱れは長期間続き、投与3ケ月後までCDIの発症リスクは高いとされる。入院患者だけでなく外来患者においても抗菌薬の適正使用に注意する必要がある。

COVID-19関連小児多系統炎症性症候群の1例  長岡赤十字病院 大竹笙子

 【はじめに】小児はCOVID-19に罹患後重症化することはまれであるが、英国でCOVID-19罹患後に川崎病を疑わせるような病態を呈する例が報告された。その後、世界各地で同様の報告が相次ぎ、米国で小児多系統炎症性症候群(MIS-C)と命名された。本邦ではまだ報告が少ない。
 【症例】8歳、男児
 【主訴】発熱、結膜充血
 【既往歴】1か月前 COVID-19感染
 【家族歴】なし
 【現病歴】当院受診の4日前から発熱、2日前から下痢が出現し前医を受診、翌日には結膜の充血と眼瞼の発赤が出現した。第4病日に前医を再受診し、精査のため同日当院に紹介され入院した。
 【入院後経過】発熱、下痢、結膜充血は持続しており、血液検査ではCRP 2.01mg/dl、フェリチン527ng/ml、BNP 31.4pg/dl、D-ダイマー2.4?g/mlと上昇を認め、心エコーでは左心機能の低下を認めた(LVEF 46%)。診断アルゴリズムに従いMIS-Cの可能性が高いと判断し、免疫グロブリン2g/kgを投与した。翌日には36℃台に解熱、経口摂取を開始し、結膜充血、下痢は徐々に改善した。第6病日からアスピリン内服を開始、心機能は改善し、冠動脈の拡大は認めず、第10病日退院した。
 【考察】本症例は不全型川崎病との鑑別が重要であるが、川崎病好発年齢(0〜4歳)に比し年長、消化器症状や心機能低下といったMIS-Cに特徴的な症状を呈すること、COVID-19罹患後(2〜6週に好発)であることからMIS-Cの可能性が高いと考え治療を開始した。MIS-Cは他疾患の除外によって診断されるが、50〜80%でショックを呈し、それに伴いICU管理(60%)や人工呼吸器管理(15%)が必要になるなど重症例が多い。とくに重症者はワクチン未接種者に多く、2回のCOVID-19ワクチン接種はMIS-C発症や重症化予防に有効であるとされる。左心機能障害や冠動脈瘤は多くが2週間以内に改善するが、6か月以降も残存した報告もあることから、慎重なフォローが必要である。また、頻度は少ないものの成人例の報告もあり、同様に重症度が高い。
 【結語】依然COVID-19の流行は続いており、COVID-19罹患後に多臓器に及ぶ様々な症状を呈した場合は、小児のみならず成人においてもMIS-Cを念頭に診療にあたる必要がある。

小腸バルーン内視鏡で虫体を摘出し得た小腸アニサキス症の1例  長岡中央綜合病院 丸山里緒

 消化管アニサキス症は急性腹症の原因としてしばしば経験する疾患だが、その多くは胃アニサキス症である。今回、小腸内視鏡で診断し、虫体を摘出し得た小腸アニサキス症の一例を経験したので報告する。
 症例は60歳女性。来院2日前にイワシの刺身を食べ、1日前から心窩部痛が出現した。症状が改善しないため救急外来を受診した。炎症反応の軽度上昇に加え、CTにて回腸に限局した浮腫状の壁肥厚と口側小腸の液体貯留および腹水を認め、小腸アニサキス症や好酸球性胃腸炎が疑われた。腹痛症状が強く、入院経過観察とした。入院後も腹部症状が続くため、入院第2病日に小腸バルーン内視鏡を施行した。回盲弁から約50cmの回腸に刺入するアニサキス虫体を認め、周囲粘膜は浮腫状を呈していた。把持鉗子にて虫体を摘出し、翌日には腹部症状の改善を認めた。
 腸アニサキス症は、アニサキス症のうち5%未満と比較的稀な疾患であり、症状も腹痛・嘔吐など非特異的であることから虫垂炎やイレウスと誤診され診断に難渋する場合もある。従来保存的治療が行われてきたが、約1割でイレウス、約半数で腸管穿孔や腹膜炎を合併するとの報告もあり、可能であれば可及的速やかに内視鏡下に虫体を摘出すべきである。急性腹症の鑑別においてはアニサキス症の可能性も念頭に置き、原因となりえる食物の摂取の有無について詳細に聴取し、診断に結び付けることが重要である。小腸内視鏡にて腸アニサキス症と診断された症例は多数報告があるが、虫体を摘出し得た症例の報告は10例程度である。本症例では速やかな小腸内視鏡施行により虫体を摘出し得たと考えられる。

集学的治療にて長期生存している膵内分泌腫瘍の1例  長岡中央綜合病院 西畑摩耶

 【はじめに】膵神経内分泌腫瘍(pancreatic neuroendocrine tumor以下pNET)は膵腫瘍の2%の比較的まれな腫瘍であり、診断時切除不能転移を有することも少なくない。近年、さまざまな治療選択肢が増えている。
 【症例】52歳、女性。X年2月検診で多発肝腫瘍を指摘された。5月、肝腫瘤の増大あり、腹部CTおよび肝生検組織診断よりpNETG-2、多発肝転移と診断された。7月、肝外側域切除、膵尾部腫瘍切除を行い、10月より残存する肝転移に対してエベロリムス内服を開始した。X+1年2月よりオクトレオチドを併用、腹腔内腫瘍の再燃のため7月よりスニチニブに変更した。治療開始2週間目の腹部CTで多血性充実性であった腫瘍はのう胞化し、10ケ月後の経過で腫瘍は50%縮小を認め、部分奏効と考えられた。X+7年、徐々に腫瘍が増大したため動脈相で濃染する腫瘍に対して肝動脈化学塞栓療法(以下TACE)を導入した。その後スニチニブの少量投与と併用して、5回のTACEにて腫瘍コントロールしていたがX+9年、TACE不応と判断された。12月よりストレプトゾシンを導入したところ、徐々に腫瘍は縮小した。X+10年、9月時点で部分寛解を維持しながら治療継続中である。
 【考察】pNETの治療の第一選択は外科的切除であり、遠隔転移や再発病変に対しても切除が推奨されている。同時性異時性肝転移は50-80%にみられるとされ、切除例の5年生存率は68%、非切除例は27%と報告されている。切除不能例に対してはソマトスタチンアナログ、分子標的治療薬、細胞障害性抗がん剤に加えてTACEや経皮的ラジオ波焼灼療法(以下RFA)などの局所療法を組み合わせた集学的治療が推奨され、本例はRFA以外の選択肢をすべて導入することで10年以上の長期生存を得ている。現在もPS0、臓器機能も保たれており、今後は新規に保険承認された放射性核種標識ペプチド療法も治療選択肢の一つになると考えられる。
 【結語】pNETに対して、症例の状態に応じた外科的切除、薬物療法、局所療法を組み合わせる適切な集学治療を行うことが長期生存につながる可能性がある。

悪性リンパ腫の脾浸潤により生じた脾破裂で出血性ショックをきたした一例  立川綜合病院 沖田直大

 【症例】82歳、男性、身長155.1cm、体重53.9kg
 【主訴】浮腫・尿量減少・呼吸苦
 【既往歴】皮膚T細胞リンパ腫(8年前に市内病院でCHOP療法後)、右脳梗塞、発作性心房細動
 【生活歴】飲酒:日本酒0.5合orビール350ml/day  喫煙:10-12本/day(60年間)
 【転科時】体温36.9℃、血圧112/70mmHg、脈拍89回/分、呼吸24回、SpO2 96%(酸素1L)
 X−4日前に洞不全症候群でペースメーカー留置の適応確認のため循環器内科を受診した際に著明な全身浮腫があり入院し、尿蛋白4+、尿中円柱陽性のため腎臓内科(当科)に紹介された。フロセミド開始するも乏尿が持続し改善なく、次第に尿量減少・Creの上昇があり透析導入・精査目的にX日に当科に転科した。
 下腿浮腫あり。可動性(+)、圧痛(−)の頸部・下顎・鼠経リンパ節を触知した。心エコーでは異常所見なし。腹部単純CTで多発する腹腔内リンパ節の腫大がみられた。可溶性IL-2R 4779U/mlと高値で悪性リンパ腫が疑われた。脳梗塞の既往があるためヘパリン持続静注をしつつ溢水の解除目的に血液透析を開始したが2度目の透析時に脳梗塞を発症し、片麻痺と意識レベル低下が出現した。X+2日に発熱・血尿があり抗菌薬を開始した。X+3日から血小板数が5.2万に低下しHIT抗体0.6、ADAMTS13活性55%だった。X+7日に急激に血圧低下しショック状態となり死亡した。
 病理解剖で2000mlの血性腹水がみられ、直接的な死因は脾破裂による出血性ショックと考えられた。悪性リンパ腫(びまん性大細胞型B細胞リンパ腫)、腎臓の解剖で血栓性微小血管症(thrombotic microangiopathy:TMA)と診断され、急激な腎障害の原因と考えられた。脾臓は腫大し非常に脆く散在性の裂隙がみられ悪性リンパ腫の浸潤があった。
 悪性リンパ腫の脾臓への浸潤は21-57%にみられるが脾破裂に至る症例は稀で、非外傷性脾破裂の中でも血液学的悪性腫瘍に伴う症例は少数である。脾破裂は発症した場合大量の腹腔内出血により出血性ショックになるため早急な止血対応が必要である。
 TMAは溶血性貧血・血小板減少・臓器障害性の血栓症を特徴とする疾患群で全身の微小血管に血小板を中心とした血栓が形成される。代表例に血栓性血小板減少性紫斑病や溶血性尿毒症症候群が挙げられる。本症例ではADAMTS13活性が55%と低下していなかったこと、背景に悪性リンパ腫があったことから、悪性腫瘍を背景とした二次性TMAと考えられた。
 悪性リンパ腫によってさまざまな症状を呈し、急激な経過をした貴重な症例を経験した。

喉頭蓋舌面に生じた静脈瘤破裂により出血性ショックをきたした一例  立川綜合病院 田中秀哉

 症例は34歳男性、肥満あり、未治療高血圧、未治療睡眠時無呼吸の既往があった。喀血の精査目的に近医耳鼻科から紹介となった。喉頭ファイバーで舌根正中やや左側に隆起性の血管病変を認め、一部に静脈壁の破綻を疑う色調変化を認めた。咳嗽で同部位から少量の出血を認めたが活動性はなく、精査の方針となり帰宅となった。翌日夜間に大量喀血あり、救急搬送された。来院時、ショックバイタルであり、喀血を繰り返したため、緊急で局所麻酔下気管切開術を施行したのち、全身麻酔管理、CV挿入、急速大量輸血、咽頭パッキングを行い、脳外科に依頼し両側舌動脈コイル塞栓術を施行した。入院7日目で再出血を認め、その後も出血を繰り返したため入院10日目に全身麻酔下に焼灼止血を行った。責任血管は喉頭蓋舌面に存在した。その後は出血を認めなかった。
 本症例では脳外科による塞栓術により出血のコントロールがついたことで出血点が同定でき耳鼻科による焼灼止血術を可能とした。このような静脈性病変からの出血をきたした症例は国内外含めても数例程度であり、重篤なショック状態に至ったのは本症例が初であった。舌根や喉頭蓋舌面は血流が豊富で、同部位からの出血は制御困難な大量出血を引き起こすことがある。止血困難な場合は、速やかに全身麻酔下の止血術や血管内治療を検討すべきである。貴重な症例であったためここに報告した。

喉頭蓋病変

焼灼術後

救急外来で発見できた感染性心内膜炎の1例  立川綜合病院 大山真弥

 【症例】91歳、男性
 【主訴】発熱、意識障害
 【既往歴】急性心筋梗塞(X−10年 冠動脈バイパス術後)、慢性心不全、前立腺肥大症、糖尿病、高脂血症
 【現病歴】X−3日から39.0℃台の発熱があった。X日呼びかけに対する反応が鈍くなり救急搬送された。
 【来院時身体所見】血圧93/50mmHg、脈拍79/min、呼吸数32/min、Sp02 96%(室内気)、体温38.0℃、意識レベルJCS2、左大腿大転子部に褥瘡を認めた。
 【来院時検査所見(抜粋)】血液検査所見は白血球 11800/μl、血小板 10.2×10^4/μl、D-ダイマー 68.6μg/ml、BUN 55.1mg/dl、Cre 2.3mg/dl、CRP 20.18mg/dl、プロカルシトニン 12.6ng/ml。12誘導心電図はHR100、RR間隔不整、明らかなST変化なし。胸腹部CTでは心拡大と両側の胸水を認めたが、明らかな感染のフォーカスは認められなかった。経胸壁心エコー(右図)では前壁中隔優位に壁運動の低下を認めた。大動脈弁左冠尖に9mm程の疣贅を認めた。
 【入院後経過】X日、敗血症性ショック、うっ血性心不全、感染性心内膜炎(IE)として入院し、メロペネム0.5g×3で加療開始した。X+3日、血液培養よりG群連鎖球菌が検出された。薬剤感受性より抗生剤をビクシリン2g×4とした。その後抗生剤治療継続しX+41日、炎症反応改善につき抗生剤終了とした。
 【考察】IEの修正Duke診断基準では血液培養所見と心エコー所見の2つが大基準となっている。IEはその2つの他に疾患特異的な検査所見が少なく、救急外来では経胸壁心エコーで疣贅を発見する以外で診断が難しい。また本症例のG群連鎖球菌のようにIEで頻度の低い菌は血液培養単独ではIEを疑いづらい。日本における多施設登録研究ではIE症例の約90%で疣贅が認められており、経胸壁心エコーでの疣贅の特定はIEの早期診断において非常に大きな重要性を占めている。

化膿性膝関節炎をはじめとする多彩な感染症を契機にGood症候群の診断に至った1例  長岡中央綜合病院 有波健太郎

 【症例】72歳、女性
 【主訴】発熱、皮疹、多関節痛
 【現病歴】X年5月15日、左膝関節痛を自覚した。5月24日、化膿性膝関節炎で当院整形外科に入院となった。抗菌薬治療を開始、関節炎掻爬術を施行されるも、発熱の遷延や皮疹、膝関節以外の多関節痛が出現した。6月3日に精査目的に総合診療科に紹介受診となった。
 【既往歴】高血圧、糖尿病、心不全、慢性下痢症
 【身体所見】口腔内に白苔の散在あり、左膝関節に腫脹・圧痛あり、右肩関節・両手関節、手のPIP/MCP関節に腫脹・圧痛あり、左膝関節以遠に圧痕性浮腫あり、胸腹部から両上肢・左下肢に淡い紅斑の散在あり
 【血液検査】WBC:1540/μl、Hb:7.6g/dl、Plt:19.6万/μl、CRP:4.12mg/dl、IgG:505mg/dl、IgA:48mg/dl、IgM:5mg/dl
 【画像所見】胸部X線:上肺野優位に網状影あり、CT:両肺上葉優位に牽引性気管支拡張を伴う網状影、前縦隔に造影を伴う腫瘤、左膝下静脈〜前/後脛骨静脈、右肺動脈上葉枝に血栓あり
 【経過】低γグロブリン血症、前縦隔に胸腺腫を疑う腫瘤、口腔カンジダ症やサイトメガロウイルス感染症など日和見感染の存在から、Good症候群が疑われた。同時に深部静脈血栓症・肺塞栓症の合併を認めた。抗菌薬・抗真菌薬の投与、免疫グロブリン補充、抗凝固療法を行った。膝関節炎は抗菌薬変更で改善したが、手関節主体の関節炎は改善しなかった。感染症や腫瘍に関連した反応性関節炎を疑ってステロイド治療を行い、関節症状の緩和・炎症反応の改善を認めた。全身状態安定後に前縦隔腫瘍切除術を行い、病理結果はtype Aの胸腺腫で、Good症候群と確定診断した。
 【考察】Good症候群は胸腺腫に低γグロブリン血症を合併する稀な病態である。本症例のように多彩な感染症をきたすことが知られており、繰り返す感染症や不明熱症例の精査においては、免疫不全の背景も考慮して鑑別診断を進める必要性がある。定期的なグロブリン補充は感染症の予防に有効であるとの報告はあるが、明確な基準はないため、個々の患者の症状の有無やIgG値をフォローアップしていき、投与量を適宜調整していくことが重要である。

診断に6年を要した進行する筋硬直の症例  長岡赤十字病院 大河原舜太

 【症例】65歳、男性
 【主訴】両下肢がつっぱり、痛くて歩けない
 【現病歴】X−6年に腰痛や倦怠感、食思不振が出現し、短期間で10kg以上体重が減少した。その後下肢が張り始め、X−3年には歩行障害が進行し杖歩行となった。膠原病内科や整形外科を受診したが、原因不明だった。精神科を紹介受診し、うつ病と診断されたが、その後に治療はドロップアウトした。X−2年には大量の発汗を契機に橋本病と診断され、内分泌代謝内科に紹介され、経過観察の方針となった。X年、駐車場で後退してきた車と衝突し、救急搬送された。体動困難と下肢の痙性について神経筋疾患を疑われ、神経内科紹介となった。
 【経過】神経学的所見では、両下肢は触診で筋硬直が誘発された。股関節・膝関節の伸展に伴い硬直は増強し、腰背部や下肢背面の痛みが誘発された。“大腿直筋”と“大腿二頭筋”で施行した表面筋電図検査では、安静時にも屈筋に活動電位が持続性に出現しており、下肢伸展時には伸筋・屈筋の両筋に同時に持続性の活動電位を認めた。刺激で誘発される有痛性筋痙攣という症候からStiff-person症候群を想定し、Dalakasの診断基準を当てはめると本例は当症候群に該当した。橋本病の合併や、体重減少・認知機能低下・抑うつなど副腎不全を疑う病歴もあり、検査を行うとACTH単独欠損症を認めた。頭部造影MRIで下垂体に器質的異常はなかった。Stiff-person症候群を生じている病態が未検査・未知の自己抗体によるものか、ACTH単独欠損症によるものかを確認するために、免疫抑制療法ではなくホルモン補充療法としてのステロイド投与を選択し、ヒドロコルチゾン15mgを開始した。開始後数日で筋硬直が軽減した。1カ月程度で正常な歩行が可能になった。治療後の表面筋電図では、大腿二頭筋の異常な活動電位は消失した。
 【考察】本症例は、ACTH単独欠損症には、Stiff-person症候群を呈するものがあることの、初めての報告である。副腎機能不全の6-13%に筋骨格系症状を生じ、多くは“flexion contracture”として報告されている。ACTH単独欠損症による“flexion contracture”の既報11例を渉猟すると、下肢の症状は、本例と類似した“刺激で誘発される有痛性筋痙攣”と、“痛みや筋痙攣を伴わない関節拘縮”の症例が含まれ、単一の症状ではない可能性がある。ACTH単独欠損症による筋骨格系症状については、“Stiff-person症候群”と“関節拘縮”が混在して報告されてきた可能性があると考えられる。

 目次に戻る


巻末エッセイ〜子供は誰のもの?−児童虐待を防ぐために 福本一朗(長岡保養園)

 東京都児童相談所が介入していたにもかかわらず、船戸結愛ちゃん(5歳)は2018年3月に全身に170以上の創傷を受け肺炎・敗血症で虐待死されました。体重は標準より6sも軽い12.2sに過ぎず、胸腺も通常の1/5に縮んでいました。この事件を初めとして2021年に児童虐待の疑いで児童相談所に通告された児童は10.8万人、摘発された虐待事件は2,170件、虐待死は78人でいずれも過去最多を更新しました。先進国でも毎年約3,500人の子どもが虐待死していますが、とりわけ我が国は「子供は親のもの」と考え、「しつけ」のためと称して子供に暴力を加えることを容認する風潮が特徴的です。それは「親権者は未成年子の監護及び教育する権利を有し義務を負う(明治民法879条)」という封建時代の「家制度」を基礎とした「親権」概念を現行民法820条も承継していることに起因します。しかし「親権」とは決して親の「権利」などではなく、むしろ親の「義務」です。北欧では「子供は親のものではなく一人の人間として社会全体のものであり、親は社会から子供の養育を委託されているだけ」と考えるため、親の社会的地位や収入にかかわらず、全ての子供に平等の無償教育・無料医療・十分な児童手当を支給し、18歳になれば親元を離れて自活できるだけの奨学金が国から無条件で貸与されます。また医師・看護師・教師・家庭相談員・社会福祉士には児童虐待発見手技習得が免許交付条件となっており、「児童虐待を疑えば即刻、児童を保護隔離して関係機関に通告する」通告保護義務が課せられていて、たとえ錯誤通告であっても何らの譴責を受けません。また子供を取り戻そうと思う親は必ず裁判所に申請しなければなりません。保護された児童は手厚く養護施設に収容され(Fig. 1)、ほとんどの場合は厳しい両親適格性審査に合格した夫婦が里子として引取ります。日本でも「すべて国民は児童が心身ともに健やかに生まれ且つ育成されるよう努めなければならない(児童福祉法第1条)」とある様に、子供を育てることは国民全体の義務です。「子どもより大切な存在なんてあるかしら?(ユニセフ親善大使オードリー・ヘップバーン:Fig. 2)」「銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも(万葉集)」、子供は掛け替えのない人類全体の宝です。

Fig. 1 スウェーデンの児童養護施設

Fig. 2 オードリー・ヘップバーン(1929-1993)

 目次に戻る