長岡市医師会たより No.522 2023.9


もくじ

 表紙絵 「銀河見聞」 福居憲和(福居皮フ科医院)
 「横山博之先生との思いで」 藤田 繁(藤田皮膚科クリニック)
 「蛍の瓦版〜その78」 理事 児玉伸子(こしじ医院)
 「夏の庭で蚊と戦う」 渡部和成(田宮病院)
 「独り日曜日のお楽しみ」 三上 理(三上医院)
 「少年老い易く(その2)」 三宅 仁(悠遊健康村病院)
 「巻末エッセイ〜兄弟寿しについて」 八百枝 潔(やおえだ眼科)



「銀河見聞」  福居憲和(福居皮フ科医院)

宇宙は愛という調和のエネルギーで満ちあふれていて、それは両極端のものさえ引き寄せ結合させるので、宇宙はさまざまな愛のハーモニーが奏でられているのです。


横山博之先生との思いで 藤田 繁(藤田皮膚科クリニック)

 また、友人が一人逝ってしまった。悲しく、寂しい。

 横山博之先生は昭和58年、新潟大学皮膚科に入局されました。翌年、大学院に進学され、「科学物質塗布によるウサギ耳介の増殖脂腺の立体構造的、電顕的研究」で、昭和63年3月31日に学位を取得されました。
 私は昭和57年に入局して、翌年には細菌学教室に勉強に行かされて(売り飛ばされて)しまったので、その頃はあまり接点がありませんでした。しかし、地方会、運動会、忘年会、新年会などの医局行事で会ったり、新潟大学皮膚科で看護師をしていた後の私の妻を通じて存じてはおりました。私たちが結婚した時には引っ越しを手伝ってもらいました。
 横山先生は平成2年1月に、長岡の厚生連中央綜合病院皮膚科に赴任されました。その後、私が平成5年に立川綜合病院皮膚科に赴任してからは、親しくお付き合いさせていただきました。私の家に招待したり、横山先生のお宅に伺ったりしていました。時々料理上手な奥様がキッシュなどの手の込んだ料理を持ってきてくださることもありました。私たちの子供たちが幼い頃には皮膚科の伊藤 薫先生、清水直也先生や友人も招いて、私の家の庭でよくバーベキューをしましたが、横山先生御一家にはほとんど毎回来ていただきました。
 横山先生のお宅に伺った時に、幼稚園の頃から子供に英語のディズニーアニメを見せておられるのに驚きました。
 その後、平成7年、先生は横山皮膚科医院を開業されました。開業時には色々なトラブル(「ぼん・じゅ〜る」平成8年7月号)があったようですが、医院は盛業でした。
 平成10年に私が開業した時には、カルテやレセコン、看護師、事務員の採用などについて、開業医の先輩として、色々とアドバイスをしていただきました。おかげさまで、大きなトラブルもなく、無事開業して現在に至っています。大変感謝しております。
 平成13年、新築された自宅に招待された時には、趣味の音楽や映画を鑑賞するための、鉄筋コンクリート造りで防音設備が備えられたオーディオ、シアタールームがあり、立派なオーディオ、ビジュアル機器がそろえられているのに驚きました。「猿の惑星」を見せて頂き、大変羨ましく感じました。今でこそ、大型テレビなどが普及して、自宅で映画などを大画面で鑑賞することは珍しくはありませんが、時代を先取りしておられました。ちなみに、先生はその部屋がお気に入りで、よくこもっていたそうです。
 横山先生は無趣味のわたしとは異なり、趣味は多彩で、音楽はロック、ジャズ、クラッシックなんでもこい、映画鑑賞、読書も好きでそれらに関係する雑誌、蔵書も多数所有していました。運動もされていて、「ぼん・じゅ〜る」のメディカルボウリングの記事に先生の名前が載っているのを時々見ておりました。大学では山岳部に所属されていて、その同窓会兼山登りの会が年1回あるのを楽しみにしておられました。
 私の子どもたちも先生の二人のご子息と同じく、附属中学に通っておりましたので、平成17年に、令君が新潟高校に進学するため新潟に引っ越されるまで、家族ぐるみでお付き合いさせていただいておりました。横山先生は医院が長岡駅から近いとはいえ、新潟から長岡への長年の通勤は大変だったと思います。その令先生が立派に医院を継ぎ、さらに発展させておられるのを見て自分が年老いてしまったことを今更ながらに感じるとともに、長岡の皮膚科医療のためにも心強く、帰ってきてくれてうれしく思っております。令先生が結婚され、孫の天凰ちゃんが生まれたことを横山先生はとても喜んでいました。
 横山先生は平成29年から亡くなられるまで、日本臨床皮膚科医会の新潟県支部副支部長をしておられました。平成29年には先生御夫妻と私たち夫婦で、臨床皮膚科医会に参加するのを口実にして神戸に旅行をする話がありましたが、私の娘の結婚式と重なってしまい、行けなかった事が今も心残りです。
 横山先生が病気であることは知っておりました。最後にお目にかかったのは6月4日で、令先生の新しい医院の内覧会に伺った時です。新しい医院を案内してもらいましたが、その出来栄えに横山先生もうれしそうでした。少しの間でしたが談笑することもできました。その後、具合が良く、食欲も回復したと伺っていましたが、8月1日に、昨日亡くなったと電話をいただき、急なことであり、大変驚きました。
 横山博之先生、色々とありがとうございました。そして、お疲れ様でした、安らかにお休みください。

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蛍の瓦版〜その78 理事 児玉伸子(こしじ医院)

 オレオレ詐欺(特殊詐欺)

 1.初めに

 通常の詐欺は特定の相手を対面で騙す手法ですが、特殊詐欺とは被害者に電話を掛ける等して対面することなく信頼させ、不特定多数の者から現金等を騙し取る犯罪の総称です。このような詐欺は古くから行われていましたが、平成16年に警視庁が振り込め詐欺≠ニ命名してから広く認知されるようになりました。令和2年には特殊詐欺は以下の10項目に分類されています。・オレオレ詐欺・預貯金詐欺・架空料金請求詐欺・還付金詐欺・融資保証金詐欺・金融商品詐欺・ギャンブル詐欺・交際あっせん詐欺・キャッシュカード詐欺盗・その他の特殊詐欺です。なかでもオレオレ詐欺と預貯金詐欺及びキャッシュカード詐欺盗の3類型はその手口等に共通点が多いことから、併せてオレオレ型特殊詐欺と総称されています。

 2.特殊詐欺被害認知状況

 特殊詐欺については、ポスターやテレビ広告等にて広く注意喚起が促されていますが、全国の被害総額は令和4年度が370億円で、ここ7年間は3百から4百億円の間でほぼ横ばい状態です。また認知された被害件数も変わらず1万5千件程度あり、そのうち未遂に終わったものは6百件とごく少数でした。検挙件数は7千件弱ですが、被害のほとんどは賠償されていません。新潟県における被害の詳細は新潟県や県警察本部のホームページにも掲載され、令和3年度が116件2億余円あり4年度は194件5億余円でした。
 特殊詐欺の総被害者のうち87%が65歳以上の高齢者であることから、高齢者特有の認知力の低下や社会からの孤立等が問題視されています。しかし詐欺一般の被害については決して高齢者に特有のものではなく、一流企業や現役の経営者が被害者となることも少なくありません。警視庁の調査結果でも、自分は大丈夫と思っていた人の方が被害を心配していた人よりも騙され易いそうです。
 しかし、総じて世情が不安定となり人々の不安感が高まると、詐欺の被害が増加し易くなります。高齢者は将来や健康に不安のある人が多く、また退職金等でまとまった財産があること等から詐欺の標的にされ易くなっています。また一般に高齢者では詐欺に気づいても、周囲への迷惑を考え自分一人で何とかしようと抱え込み、口止めや脅迫に屈して周りの人たちへ相談する機会を失う傾向があり、被害が拡大しがちです。
 特殊詐欺全体では被害者の?が女性で、男性は70歳代が最も多いのに比べ、女性では80歳代が約半数を占めていました。特に詐欺の手口ではオレオレ型特殊詐欺の99%と還付金詐欺の85%で高齢者が餌食となっていました。これらの手口では詐欺の欺罔手段として99%に固定電話が使われており、昼間電話を取る機会の多い高齢女性が被害者になり易いと推測されます。一方、架空料金請求詐欺は欺罔手段として電子メールによるものが半数で、高齢者は被害者の半数程度に過ぎず男女もほぼ同数でした。

 3.最後に

 特殊詐欺以外にも、不要品を売りつける訪問販売や不要な改修工事を勧める点検商法、趣味につけ込む悪質商法、内職副業商法、催眠商法等様々な詐欺の手口があります。世に盗人の種は尽くまじ≠ニのことでしょうか。詐欺の被害者は大切な財産を失った上に家族等から責められ、さらに自分で自分を責め続けることになります。誰もが詐欺の被害者となり得ることを忘れたくないものです。

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夏の庭で蚊と戦う 渡部和成(田宮病院)

 我が家では、いつからか庭の水遣りは私の担当となっている。庭の鉢植えや花壇の草木の半数近くは、私が園芸店で見つけ購入したものであるから、それも致し方ないと思う。自分が気に入って求めたものばかりなので、率先してそれらの命を守り世話をしなければならないのは当然であろうとも思う。
 水が足らないと、庭の草木の葉は、萎れてしょげかえり、いかにも参ったという表情を見せてくる。しかし水遣りの後、水を得た草木は生き生きとした姿を見せてくれる。
 毎年、5月までは、「今日も水撒いてね」と家内に言われれば、気軽に「いいよ」と水遣りを請負う。5月はまだ、日差しは強くないので、毎日水遣りをしなければならないということはなく、水遣りをしても汗にもならないので気楽だ。しかし、6、7月ともなれば、暑く炎天となる日もあり、庭の草木のためには、毎日水遣りをしてやらなければならなくなる。夏の暑い中での水遣りは大変である。水遣りをすると、下着がぐっしょりとなるほど大汗をかき、身体のエネルギーが奪われたのを実感できるから大変だ。また撒く水の量も多くなるので、その分水遣りに要する時間も長くなり大変だ。
 この時期は特に天気予報が気になる。「今日は、明日は、雨が降らないか」と気になる。その理由は、かなりの雨が降ればこの大変な水遣りを休めるからである。
 もう一つ、6、7月の水遣りが大変と感じるわけがある。この時期の庭には忌々しい蚊が姿を見せるようになり、水遣り時の蚊との戦いから身体的心理的ストレスが増すからである。
 ここ3年間の私の蚊との闘い振りを紹介しよう。一昨年は、ただただ蚊に刺されないように(刺すのはメスだけで、オスは刺さない)注意しながら、すなわち蚊のブーンという羽音が聞こえていないか、肌の近くに黒い小さなもの(蚊)が近寄ってきていないかと、刺されないように緊張を高めて水を撒いた。そのような過敏状態に身を置いて水を撒いていると、撒き手の私は疲れ、庭の草木には申し訳ないことだが、どうしても水遣りの時間が短くなりがちとなっていた。しかも、このような対応では、蚊との戦いに勝てるわけがなく、蚊には刺され放題であった。
 そこで、昨年の夏は、秘密兵器≠使うことにした。ホームセンターに行き、何か蚊に効力のあるものはないかと探したところ、腕に装着するタイプの虫除け器を見つけ秘密兵器として購入した。電池式でスイッチを入れると蚊や虫が嫌う香りを発生させるもので、まるで腕時計みたいに小さくて軽く着けやすいところが気に入った。
 「半袖シャツ・短パン・サンダル」の夏の出で立ちで、さっそく虫除け器を手首に巻き、「これで、今年は蚊に刺されずに済むぞ」と意気揚々と水撒き用ホースを手に取り水遣りを始めた。しかし、蚊との戦いは初日から惨敗であった。その虫除けの香りは、左前腕遠位部〜左手首〜左手という極めて狭い範囲にしか届かなかったようである。したがって、その狭い範囲では、蚊は寄り付かず確かに蚊に刺されることはなかったが、その他の露出した肌部分の左上腕、左前腕肘部〜左前腕遠位部、左脚、左足、右上腕、右前腕、右脚、右足、首回りでは容赦なく何カ所も刺されてしまった。有効部分が極めて小さい無残な耳なし芳一¥態となっていたのだ。期待した秘密兵器は、何という効果範囲の狭いものであるものかと嘆くこと頻りであった。
 さて今年の夏は、完全武装≠ナ水遣りに臨むことにした。つまり、夏の出で立ちとは到底考えられないような、「長袖シャツ・長ズボン・スニーカー・両手の軍手」で身を固め、今一つ信用できない腕時計型虫除け器を左手首に装着し、水撒き用ホースのノズルを左手に握ることにした。露出部分は顔と首回りだけである。初日の戦いの結果は、自分の周りに蚊は飛んでくるものの1カ所も蚊に刺されないという完勝であった。その後も連日この完全武装で蚊との戦いに挑み完勝を続けている。この連勝のお蔭で、水遣りは自然と丁寧になり、水遣りに掛ける時間は、暑い上に完全武装で一層暑くなっているにも関わらず、次第に長くなっている。心涼しく水遣りをできている。庭の草木からは感謝の言葉が、そして、蚊たちからは嘆きの声が、聞こえてきそうである。

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独り日曜日のお楽しみ 三上 理(三上医院)

 7月の日曜日。朝から暑い。夏の日差しが新橋駅のホームに降り注ぐ。緑と青、どちらが早く着くだろう。青がやってきた。新橋から東京方面に向かう日曜の午前の京浜東北線。車内はガラガラ。ゆっくり座っていこう。皇居側の席には直接日が入らない。有楽町を過ぎ東京駅ではトランクを引く人が乗ってくる。これから皆目的地に向かうのだろうか。神田で降りる人がいる。中央線快速への乗り換えはエスカレーターもできたし、東京駅より神田が便利。秋葉原ではこれから趣味の街を目指す若者が降り、千葉方面からの乗り換えの人が乗ってくる。さて、今日の日差しはできるだけ地下から行けるよう御徒町ではなく上野まで乗っていこう。歩く距離はどっちが近いのだろう。冷房が効きすぎる日曜の京浜東北線は意外に冷える。さあ上野だ。不忍口ではなく広小路口をめざしホームを降りる。地下鉄銀座線の乗り場が目印。地下に潜りマルイを目指す。マルイの地下入り口にはカフェがあるがここはスルー。マルイの地階も様相が大分変わった。エスカレーターで1階に上がる。1階はコスメとかが中心だから若い人が多くて浮いてしまうが日差しの中へは出たくない。一番奥の出口へ向かう。さすがにここからは夏の日差しは避けられない。ちょうど11時。ちょっと早かったかな。しかし口開けを逃すとさらに待たなければならない。ここからは日傘の出番。男性用の日傘も種類が増えた。夏の外出には最適のアイテム。パチンコ屋、焼き肉屋を過ぎ、角の飲み屋の前を通るともうすでに路上のテーブルには生ビール片手の人が。さて行列は?まだ一列。第1陣に間に合った。あと20分程か。この後行列はどこまで伸びるだろう。日傘を手にじっと待つ。のれんが出てきた。さあ休日昼のお楽しみタイム!「カウンターへどうぞ」そば打ち台前のなじみの朱色のカウンター。荷物は下の荷物置きに。「いらっしゃいませ」「ビールと板わさ」「瓶でよろしいですか?お待ちください」そしてお手拭きと冷たいそば茶が目の前に。「メニューは置いておきますね」独りのつまみは大体決まっているが季節物を物色。「お待たせしました。瓶ビールと板わさ、お通しの蕎麦味噌です」冷えたグラスにビールを注ぎ先ずは一杯。旨い!板わさにわさびをちょいとのせて囓る。醤油はいらない。爽やかなわさびの辛さが鼻に抜ける。そして一口。最高の幕開けだ。合間に蕎麦味噌をねぶりあっという間に中瓶が空に。いつの間にか店内は一杯で窓の外には2列の待ちが。さてみぞれかな?ここの冷酒は凍らせて出てくる。おもむろに手を上げて店員を呼ぶ。「みぞれ酒を」「かしこまりました」みぞれが出てくるまで次のつまみを考える。鴨焼きか穴子の白焼きか。「お待たせしました、みぞれ酒です」きたきた。「鴨焼きを下さい」「鴨焼きですね。かしこまりました」塗りの升にみぞれ酒を注ぐ。大抵こぼれる。シャリシャリした少し甘めのお酒が心地よい。残りの板わさがなくなる頃鴨焼き登場。鴨肉とネギを焼いただけだが鴨の脂が旨い。先ずは温かいうちに脂身だけを囓る。そしてみぞれ。最高である。次はネギと鴨肉を。この組み合わせを考えた人は天才である。あれ?みぞれがない!「すみません、みぞれ酒をもう一杯」鴨もそろそろ無くなりそうだが蕎麦味噌が残っている。涼しい店内で冷たいお酒。夏の昼間だが体は暑くない。〆はせいろうよりかけだな。あっ、それなら花巻だ。「すみません、花巻を」「はい。空いたお皿片付けますね」目の前にはみぞれの升と蕎麦味噌だけ。「お待たせしました。花巻です」黒い蓋が乗った器が届く。〆のお楽しみ。黒い蓋をゆっくり上げる。と、同時に海苔のいい香りが。器の中には一面を海苔で覆われ蕎麦が見えない。先ずは海苔とつゆを。いい香り。これだけで呑める。温かくても負けない蕎麦と香りの高い海苔。いくら暑い日でも〆には最高。できればつゆを全部飲み干してしまいたいけど我慢。さて冷たいそば茶でリフレッシュし伝票をもつ。「ありがとうございました」「ごちそうさまでした」会計を済ませ外に出ると2列どころか3列の行列が。やはり待ってでも1巡目に入らないとね。日差しがさらに強くなったようだ。急いで日傘をかざし来た道を戻ろう。
 ある夏の日曜日のお楽しみでした。たぶんフィクションです(笑)

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少年老い易く(その2) 三宅 仁(悠遊健康村病院)

 2 医用電子工学から医用工学へ

 「少年老い易く学成り難し」とは良く言ったもので、古希を迎えた筆者は現在の話を書くつもりで少年℃梠繧思い出していたら、懐かしいことが次から次へと思い出され、今回も東大大学院時代の話である。
 渥美先生は医用電子工学研究施設の施設長をされていて、医学部3号館の7階にあった(現在は3号館別棟に移動)。ヤギ小屋は3号館の裏手にあり、裏口≠ノ近いところにあった。大学から見ると不法建築物≠ナあるが、材木で作ったまさに掘立小屋で建前的には実験動物の一時的保管場所という解釈であろう。小動物は今では立派な専用の実験動物管理棟で飼育されるようになったが、大型動物の実験棟の設置は現在でもかなり困難である。パイオニアという存在は常にアナーキーであることを運命付けられている。予算の豊富な東大というイメージがあるが、実際は研究に必要な機材・装置などはほぼ手作り(材料費・部品代だけ)というのが当たり前だった。今でも工学系ではこれが当たり前。
 医用電子工学研究施設は通称医用電子≠ニ呼ばれ、現在日本生体医工学会(Medical and Biological Engineering)の前身の日本エムイー学会はMedical EngineeringではなくMedical Electronicsであった。したがってかなり年配の先生は今でもMEといえば、医用電子機器すなわち心電計・脳波計や超音波装置などを限定的に考えられておられると思うが、現在ME(臨床工学)技士が扱う装置は診断装置以外にも治療装置としての人工心臓、人工心肺(体外循環、ECMOを含む)、人工腎臓(透析装置)などの人工臓器をはじめ、マイクロシリンジポンプやCT、MRおよび医療情報処理システムなどもそのテリトリーとなっている。まさにMedical Engineering?であり、さらには人間工学、福祉工学や遺伝子工学(の応用装置)(Bioengineering)までも幅広く含んでいる。現在は高齢者・障害者を広く含む福祉工学もBMEに含まれるであろう。
 ところで、ニューヨークでの国際学会で発表のため、渥美先生に連れられて米国を旅行したことがあるが、Utah大学のKolff研究室をはじめ、さすがに当時は人工心臓に対する研究資金は豊富で日本の10倍以上のお金が出ていたように思えた。当時1頭1〜2万円の安いヤギを手に入れるため長野の山中に買出しに行った(交渉も運搬も自前―これも楽しかった)が、米国では恐らく1頭10万円は下らない仔牛をふんだんに使っていた。当然、実験スペースはまるで牧場の厩舎のようであった。その時、ある実験室でほぼ実用的な電動人工義手を見せてもらい、これまた仰天した。いつかこの研究をしたいと思い、後年長岡に移ってから人工筋肉の開発を目指すことになった。
 さて、博士課程の大学院生であるので研究テーマを設定して研究せねばならない。渥美先生からはこれをやりなさいという指示はなかった。ただ、人工心臓の研究は教室員全員のいわばインフラテーマであり、その他のテーマをそれも複数やれという。すなわち、最低でも3つのテーマで研究しろというわけである。そもそもMEを志した理由のひとつとして医学におけるコンピュータ応用が頭にあり、人工心臓実験動物のデータ処理をメインテーマとし、医療情報処理およびその応用のひとつの医用画像処理としての医用サーモグラフィの3つを勉強することとした。まずは人工心臓の理解であるがその前に循環生理学の理解が必要であった。当初、ポンプは工学的にはほぼ定常流(常に流れが一定量)のものしかできず、生理学的な拍動流はそのままでは無理である。すなわち、心臓は収縮するので流入側(大静脈あるいは肺静脈)の圧力はほぼゼロに近いが、流出側(大動脈あるいは肺動脈)はかなり高いものとなる。しかも左右の心臓(房、室)を通過する量はほぼ同じである。さらに右心と左心はかなり圧力が異なり、右の心臓は低圧で大流量であり、左は高圧大流量となる。心臓は特に左心室の負荷が高いわけであるが、右心もそれなりの流量を出す必要があり、両者それぞれ微妙に異なる役目がある。これらを人工の拍動型ポンプで再現するとなるとかなり大変なことになる。しかも生理的な心臓の機能曲線(Frank-Staring, Guyton, Sagawa, Sugaなどが有名--あとで知ったSuga先生は岡大および医用電子の先輩)を再現せねばならない。ところが、後年定常流ポンプでも問題なく生存可能であることが分かり、生命の不思議を実感することとなる。因みに現在臨床で使われている補助心臓はすべて定常流である。
  (続く)

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巻末エッセイ〜兄弟寿しについて 八百枝 潔(やおえだ眼科)

 ?江戸前寿司について

 東京で所謂高級なお寿司を食べた最初の体験は、ドクターになってからだと思います。20年以上前に、宿泊したホテルのルームサービスで頂いたお寿司がやたら美味しくて、調べたらかの「銀座久兵衛」の逸品。赤酢ではあるものの、ほんのり甘みがあり、小振りでシャリが程よく解けて、「東京のお寿司ってこんなに美味しいんだ!」と感動して、本店によく伺うようになりました。その後、東京のお寿司の名店を調べるようになり、いくつか廻ったうえで、気が付いたことが。所謂名店と評価されているお店の多くは、銀座久兵衛のように親しみやすい味わいばかりではなく、シャリがかなり酸っぱいのですよね。確かに小肌なんかにはとてもよく合うけど、白身魚にはシャリがきつ過ぎて全然マッチしておらず、「江戸前寿司って実はネタとシャリとのバランスが合っていないのではないか?」という疑問点が出てきました。そこで先輩ドクターにもアドバイスを受け、伺った「新ばししみず」が、今まで東京で頂いたお寿司屋さんのなかで、一番良かったと思っています。酸味の効いたシャリとネタとのバランスがとても良かった。但し、白身魚が出てこないのですよね。今どきは有名どころは予約困難になり、なかなか東京のお寿司屋さんに行けてないのですが、「江戸前寿司」とはそもそも何だ?という回答が得られていないまま、今に至っています。

 ?兄弟寿しについて

 ミシュランガイド新潟2020特別版で最高位の二つ星を獲得したこちら、古くから古町で飲んでいる方は「深夜までやっていてリーズナブルで美味しいお好みのお店」という記憶があるかと思います。代替わりしてからはおまかせ一本になり、修行先で習得した熟成させたネタを出す本格的なお寿司屋さん、という評価の中、初めて伺ったのは5年前くらいでしょうか。ビックリしました。一貫目は今でも必ず白身魚、主には新潟のアラが使われるのですが、シャリが主張していながらネタとも矛盾がなく、白身魚なのに一貫目からガツンと主張するお寿司だったのです。「青い鳥はここにいたのかあ!」と思った次第でした。その衝撃以来、月一回のペースで伺わせて頂いてますが、店主の本間さん曰く、「進化」ではなく、「深化」していきたいという考えのもと、少しずつお寿司の改良がなされています。例えばこちらの名物の一つに、急速冷凍させて寄生虫対策をする生サバがあります。とっても美味しいネタではあるのですが、結構脂味が強いのですよね。本間さんも最初は食感を楽しんでもらおうと少し厚めに切って、薬味を載せて供していたのですが、最後は絶妙なネタの厚さを習得し、薬味なしで供するようになりました。ネタによって握りの硬さ、大きさを変化させる技術も素晴らしい。なので、白身魚だけではなく、光り物も赤身も、全てのお寿司において、バランスが整っているのです。

 ご存知な方もいるかとは思いますが、こちらは本年7月に本間さんの思いを込めて作った新店に移転し、席数を8席のみに絞って新たな一歩を踏み出しました。更なる深化を期待しつつ、個人的な意見ですが、現状このお寿司屋さんを上回る店は全国にもないかと思っています。

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