長岡市医師会たより No.526 2024.1


もくじ

 表紙絵 「新雪の白馬連峰」 丸岡稔(丸岡医院)
 「新年を迎えて」会長 草間昭夫(草間医院) 
 「新春を詠む」 
 「三条のカラオケ伝道師」 小林康雄(吉田病院)
 「中華料理レストラン?飛鳥」 田辺一彦(田辺医院)
 「我が家のプチ修繕」 平原浩幸(長岡赤十字病院)
 「巻末エッセイ〜ピーター・ルーガー・ステーキハウスについて」 八百枝 潔(やおえだ眼科)



「新雪の白馬連峰」  丸岡 稔(丸岡医院)


新年を迎えて  会長 草間昭夫(草間医院)

 明けましておめでとうございます。みなさまには穏やかに新春を迎えられたことをお喜び申し上げます。そんな矢先に元旦には能登で大きな地震があり多くの建物が倒壊しました。当地でも震度6の揺れがあり中越地震、東北大震災の記憶が蘇りました。現時点(1月2日)では被害の実態を把握できていませんが早い復旧が望まれます。コロナに右往左往させられた災害対策のチームがまたDMATとして出動されることと思います。ご自身の安全に留意されることはもとよりその後の救護、応援につきご教示いただければと思います。翌日には日航機が羽田空港で大惨事の報。乗客の無事が確認されたものの、新潟に物資を運ぶはずのボンバルディア機の乗員のご冥福を祈るばかりです。
 さて、3年に及んだコロナ禍は5類への移行と共に収束するかのように見えましたが、罹患数は下げ止まりです。多くはワクチン未接種者のようですが重症化する症例もあり、病院の先生方にはまだまだご負担をかけているところです。インフルエンザが流行し、子供たちの間では他の感染症も蔓延しているようです。休日、夜間の診療には会員の先生方のご協力を仰いでおりますが、今後も流行の波に応じてご負担をお願いすることもあると思います。よろしくお願い申し上げます。
 新潟県のコロナ対策はオール新潟での対応(早くから適切な情報を流していただき一般診療所でも過度に恐れることなく対応できたこと、PCC(患者受入調整センター)がトリアージに対応したこと、在宅、ホテル療養にきめ細かい観察ができたこと)、勤勉な県民性がワクチン接種率を高く推移できたことにより最も死亡者数の少ない結果となりました。PCRセンターの運営、在宅療養患者へのリモート対応、入院待機ステーションへの執務等、迅速に診療所の先生方に対応いただけたことも大きな勝因であったと思います。この関係性は顔の見える関係、行政との普段からの情報共有があったことが重要だったと思います。第8次医療計画では新興感染症発生時に予め県との契約のもとベッドの確保、診療所の初動に強制力を持たせようとしているように思います。Covid19の勝因はあくまでその都度対応していただいた診療所の先生方、救急病院の先生方の「自分がやらねば誰がやる」という心意気からと感じていました。医療DXを含め、診療報酬上の縛りを作って強制されるのはデジタルに不慣れな高齢化の進んだ診療所への大変負担になります。そもそも複雑な診療報酬体系、税務管理がシンプルになることを望み、しばらくアナログな対応も必要かと地震の停電のもとで感じた次第です。
 訪問診療、僻地診療については、診療報酬よりも自分が楽にできる在宅診療を構築していきたいと思います。フェニックスネットも進化して参ります。その中で診療所の先生方を補完できるような方法を考えていきたいと思っています。
 地域医療構想、病床再編、外来機能届出に加え医師の働き方改革、医師の偏在と問題はつきません。3病院の救急輪番体制には長岡市も含めてその維持に尽力いただいていますが、限りある資源の利用に市民の理解も必要です。長岡市を通じて啓蒙して参りたいと考えております。
 鬱々とした話題が多い中で、昨年3年ぶりの医師会旅行を行うことができました。まずは近いところからと瀬波温泉に計画いたしました。事務的な会議ばかりで飲食を伴う会合も少なかったのですが、バスでゆっくり時間に余裕を持って移動し、会員の先生方と温泉とお酒を堪能しました。病院の先生方にもたくさんご参加いただければと思います。
 医師会は、志を持った医師が、どのようにその力を効率よく社会のために使えるかを示し、お手伝いをすることが仕事と思っております。近隣の市町村も含め、学校医、産業医、警察医の問題、そして地域包括医療とひとつひとつ解決して行かなければと思っております。お願いすることが多くなりますが、会員の先生方には健康に留意しつつ今年もご協力の程お願い申し上げます。

 

目次に戻る


新春を詠む

もてなしは朝湯の後ののっぺ汁  石川 忍

あらたまの雲外蒼天竜飛んで   郡司哲己

 

目次に戻る


三条のカラオケ伝道師  小林康雄(吉田病院)

 先日、カラオケ伝道師の西けんじさんにお会いする機会がありました。三条にお住まいで、高齢者施設等に出向き歌声を披露しているとのことです。インターネットで「西けんじ」「三条しぐれ」などと検索すると出てくるので見て下さいと言われました。(※)弁護士の「西健司」や漫画家の「そにしけんじ」に飛ぶことがありますが、それは間違いです。
 検索してみると高齢者施設での活動もそうですが、地元の良さを伝える賛歌や全国鉄道駅の写真などもupされています。私は、その後お会いした際「河井継之助」の歌のCDを頂きました(その中に入っていた歌詞が下記の写真です)。北越戦争で河井継之助がやったことが凝縮されていると思います。
 是非皆さまも検索してみて下さい。

目次に戻る


中華料理レストラン?飛鳥  田辺一彦(田辺医院)

 聖マリアンナ医大卒の先生は皆さん知っていると思いますが、飛鳥は聖マリアンナ医大の病院前にある中華料理レストランです。外来患者さんやお見舞いの方、大学職員、学生などでいつも賑わっていたレストランです。大学病院勤務時代は名物の大きいシュウマイと担々?をよく食べていました。長岡に戻り20数年は飛鳥の料理を食べることもなく飛鳥という名前すらすっかり忘れていました。ところが今年の8月に長岡で聖マリアンナ医大感染症学教室の国嶋教授によるコロナ感染に関する講演会があり、その時に国嶋先生から懐かしいでしょうと飛鳥のシュウマイをお土産にいただきました。そして9月にはマリアンナ医大薬理学准教授の木田先生が心不全の講演に来られて、今度はお土産に飛鳥の担々麺をいただきました。どちらも大変懐かしくおいしくいただきました。そこで忘れていた飛鳥での思い出について書かせていただきます。
 学位論文を書き上げて大学院卒業のころS主任教授に呼ばれ4月からは人間ドックを担当する部署に行きなさいと言われました。その頃は生意気であったのか教授に盾突くこともあったのかもしれません。私は完全に干されたと思い、もう循環器班には戻してもらえないかなとも思いました。ちょうどこの頃、循環器班の指導に御高名なM教授が招聘されました。M教授はなぜか私によく声をかけてくださり、研究はどこにいてもできるよと励まして下さいました。M教授へのいくつかの依頼原稿もまわしていただき、勉強しながら執筆させていただきました。またM教授の指示でいくつかの研究も始まりました。そうこうしているうちに出向先の人間ドック部門の忘年会の季節となり前述の飛鳥で開催となりました。この部署の部長でもあるS教授も出席されていました。会が終わった時にS教授に呼ばれ驚きの発言を聞きました。それは「田辺君は4月から循環器班にもどす。君の実力を見誤った。」と(妄想です。すみません)。私も驚きましたが、きっとM教授がいろいろお話下さったのだろうと思います。もう二度と上の先生に盾突くのはやめようと決心しました。この飛鳥での出来事から私の快進撃が始まります(妄想です。すみません)。
 もう一つ飛鳥での思い出。私が20代でバスケ小僧富永≠セった頃(妄想です。すみません)(写真は大学3年当時のものです:白の7番が私です)、友人と飲み屋でバスケの話をしていた時、3席ほど離れた所で飲んでいた40代くらいで紺色のスーツをビシッと着こなし、髪型も七三分けでできるサラリーマン風の男性(N氏)が何故か上から目線で「君たちバスケットが好きなの」と我々の話に入ってきました。こちらからバスケット経験者ですかと尋ねると日本鋼管(NKK)のバスケット部でミュンヘンオリンピックも出場したとのこと。意気投合し飲みながら話しているうちにNKKのOBチームとマリアンナのOBチームで試合をしようということになりました。1か月後の試合当日はバスケ界の伝説の選手である谷口選手(ミュンヘンオリンピックで得点王になった選手です)と諸山選手(お二人は野球界でいえば王、長嶋選手、サッカー界でいえば釜本、杉山選手に相当する)伝説の選手でこのお二人を含め10数名の選手がマリアンナの体育館にきてくれていました。N氏がマリアンナOBチームの指揮を執ってくれることになり、作戦は「NKKチームは年をとっているから走りまくってやれ」と試合前の指示が「走りまくれ」とは、何か明治大学ラクビー部北島監督の試合前の指示「前へ」を彷彿とさせるなぁと感じておりました。実際の試合ではNKKチームにとことん走りまくられ、おまけに数本のダンクシュートをくらうありさまで試合結果は皆様の想像通りでした。試合後日本を代表した多くの名選手たちと飛鳥で楽しく懇親会を開きました。もちろん会計は全額マリアンナOB側で。
 聖マリアンナ医大卒のお二人の先生から懐かしい飛鳥のお土産をいただき、35年前へタイムスリップしてしまいました。古い話で妄想だらけになってしまいました。お許し下さい。

目次に戻る


我が家のプチ修繕  平原浩幸(長岡赤十字病院)

 家は旧分水町の農村にあり、昭和22年に曾祖父が建てた。祖父は太平洋戦争で亡くなったので、昭和40年ころ父が相続し修繕を繰り返しながら生活してきた。土間や囲炉裏があり、縁側に板戸、厠は土間横にある細長い玄関先にあり、ほとんど外の様な所。夏こそ風が通って涼しく過ごせたが、冬は家の周りに雪囲いをして、家族全員で一つの部屋にかたまって暖を取る、そんな家だった。中学校に上がる昭和50年ころ、二階を洋風に修繕して初めて自分の部屋をもらった。その後も土間をつぶして台所や風呂トイレの改修、平成3年ころに外壁をサイディングにして初めて壁に断熱材が入り、玄関もアルミ製の4枚建て引き戸になった。平成15年ころ、一・二階の間取りを大幅に変更して、断熱の補強、セントラルヒーティングのガス温水ファンヒーターや床暖房を配置し冬も快適に過ごせるようにした。リフォームは父が主導でやっていたが、父が3年前に亡くなり私が家を相続した。
 父が亡くなったころから玄関引き戸の開きが悪くなってきた。機械油をレールにさして、「騙し騙し」使っていたが、今年の夏、「ガッガッ」と音がして力を入れないと閉まらなくなった。30年以上使っていたので「そろそろ取り換えか?」とリフォーム情報を検索していると、引き戸の料金だけで20〜40万円、それに技術料と廃棄料金がかかるらしい。「自分で何とかならないか」と玄関引き戸を取り外して底を眺めていると、車輪の一つが引っ込んで床面に接触して擦れていることが分かった。車輪を含んだ部品は、ねじ2本で固定されており、容易に取り外せた。車輪を支える金属の一部が断裂して、支えが効かなくなっている。この部品を手に入れれば直せそうだが、部品の名前がわからない。玄関引き戸に立山アルミのロゴがあったが、今は会社がなくなっている様子。「さて困った」が、Google検索を起動して花を撮影すると、いくつか候補を教えてくれたことを思い出した。「Googleさんに聞いてみよう!」と、取り出した車輪をカメラで映して検索すると、いくつか候補が出てきた。図面があり、長さも書いてある、比べてみると同じものが見つかった。「三協サッシ 玄関引き戸 戸車PKH6024」。ヤフオクやアマゾンで、2個5000円位で売っている。注文すると3日後に配達、その日の夜に交換すると、引き戸が力要らずで「スースー」開くようになった。今度は、玄関の鍵穴が合わせにくく手間がかかることが気になってきた。そこで鍵のパーツを取り外し、またもや「Googleさんに聞いてみよう!」。3種類ほど検索に引っかかり、パーツを一つずつ見比べていくと、「立山アルミ 玄関引き戸 召し合わせ内外錠 KH-107」がそれらしい。ヤフーショッピングでは12000円、楽天市場では20000円以上する。安いヤフーショッピングで注文した。5日後に届き、「召し合わせ」を微調整すると、ぴったりと決まった。「戸車と召し合わせ錠。併せて17000円で直せた。」して遣ったり、とその日の晩酌はことさら旨かった。
 「ふすまが破れた」と言って張り替え、「引き戸の滑りが悪い」と言ってカンナをかけていた父の背中を思い出した。家を相続すると、それまで気にも留めていなかった細かなことが気になるらしい。そういえば風呂の栓を抜くとき「ゴボゴボ」音がして、排水が悪い様子。早速Googleで検索して週末に配管掃除に挑戦しよう。

 

目次に戻る


巻末エッセイ〜ピーター・ルーガー・ステーキハウスについて 八百枝 潔(やおえだ眼科)

 「先生!ピータールーガーに行ったことなかったのですか?」と、グルメな先輩後輩眼科医たちから指摘されてから、20年来ずっと気になっていたお店。昔々、眼科の国際的に有名な学会は毎年マイアミ郊外で行われていたので、トランジットでニューヨークに立ち寄ることがあったのですよね。仕事で海外とは言え、美味しいお店を探すことには余念がないあたくしですので、当時予約最困難な「Union Square Cafe」というアメリカ料理を供するお店に頑張って予約を入れ(今では支店が日本にもあります)、伺ったことがありますが、ピータールーガーはノーマークだったのですよね。「そこまで美味しいと言うのなら、行けばよかったなあ」と残念な気持ちがずっと心の中にありました。開業してしまうと、長期休み取りにくいですし、海外行きそのものが、ずぼらなあたくしにはハードルが高くて。

 何だかんだステーキは大好きなのです。長岡ではフロリダキッチンも大好きですし(ただしポークソテーの方がこのお店では好みです)、新潟市ではドスビーバーが大好きで、味が薄めになっているので、バターの上に醤油をかけると得も言われぬ美味しさ(因みに同じ系列のブロンコの方は少し肉が筋張っていて、ドスビーバーの方が好みです)。高級店にも伺っていて、炭火焼三田牛で有名な?皮(あらがわ)系もよく伺いますし、うかい亭も系列店に何店舗か伺ったことがあり、どこも好きなのですよね。そんな中、「熟成肉ブーム」なるものが数年前にあり、それこそピータールーガーのお弟子さんのお店が、アメリカから日本にも展開されるようになり、喜び勇んで伺ったのですが、何処も「え?」というくらい、「ふつー」という厳しい評価。旨味も特になく、ただ硬いだけの、酷いとチーズ臭いステーキもあるのですよね。「ピータールーガーもきっとこんなものかなあ」と勝手に勘違いしていたのです。

 コロナ真っ盛りの頃、満を持してピータールーガーが東京に支店を出しました。飲食店がどこも集客に困っている中、連日満席な大盛況。「まあ、物は試しに行ってみるかなあ」と上からな態度で、頑張って予約入れて伺いました。アメリカのダウンタウンにありそうな赤?瓦の建物に入ると、高級感あふれる内装。スタッフもフレンドリーで好感が持てます。

 ビックリしました。「なんじゃこりゃあ」と故松田優作氏バリの驚き。美味しすぎでしょ、これ、という感想です。焼き過ぎなんじゃないかくらい焦げている見た目なのに、カリカリな焼き目の肉をかじると、中はジューシーで肉の旨味があふれ出ます。バターも入っているオイリーなソースがまたたまらないのです。デカイ肉の塊、食べきれるかなあ、と思いましたが、全然平気でした。付け合わせのパンやサイドメニューのサラダ、オニオンフライなども美味しいのですよね。高めではありますが、プライベートブランドの赤ワインも大味ではなく、良かったです。

 食べたことがない方は是非是非行ってみてください。ステーキの概念が変わりますよ。あたくし自身がタイミング合わずに行けてはいませんが(笑)。

 目次に戻る