長岡市医師会たより No.528 2024.3


もくじ

 表紙絵 「惑星開花」 福居憲和(福居皮フ科医院)
 「備えなければ憂いあり」 橋本 薫(はしもと眼科クリニック)
 「徒然日記」 中野敦雄(なかの眼科クリニック)
 「第16回中越臨床研修医研究会
 「新年囲碁大会の報告」 齋藤古志(さいとう医院)
 「巻末エッセイ〜遥かなるヤポネシア〜日本人の故郷は南西諸島?」 福本一朗(長岡保養園)



「惑星開花」  福居憲和(福居皮フ科医院)

丸、三角、四角で象徴される物質の花は開花したけれど、次は心の花を美しく咲かせる番です。


備えなければ憂いあり 橋本 薫(はしもと眼科クリニック)

 令和6年が始まったばかりの1月1日の午後4時10分に、能登半島を震源とする大きな地震がありました。新潟市にいた私は幸いなことにコンビニの駐車場にいたため、携帯の不快な警報音が鳴り響く中、揺れる大地の上で茫然と立ち尽くしていました。車のラジオをつければアナウンサーの金切り声が高台への非難を呼び掛け続けています。正月早々、本当に大変な事態となりました。幸いなことにクリニックや自宅の被害はほとんどなく安堵しましたが、被災された方々のことを思うと本当に心が痛みます。
 これまで自分が体験した地震といえば、新潟地震を経験していない私がはっきりと覚えている一つ目は阪神淡路大震災です。当時福井にいた私は朝方に経験したことのない地震に気付いて飛び起きました。他の部屋からは学生達の悲鳴が聞こえました。国試前で睡眠不足だったため、揺れが収まった後はそのまま寝落ちしてしまいました。しかし翌日テレビを点けた時、神戸の街が崩壊しているのを見て驚愕したことを覚えています。学友の家族が被災し、憔悴している彼を皆で励ましていました。次は中越地震です。この時は日赤の勤務を始めて3週間が過ぎた頃でした。身動きできないほどの激しい縦揺れを初めて体験しました。1時間に3回大きな揺れがあり、部屋は半壊しライフラインは全滅です。途方に暮れている時に無慈悲なポケベルが鳴り、そのまま病院へ歩いて向かいました。大手大橋の基部に大きな段差ができていました。翌日の夕方まで働き続けたことを覚えています。住む場所がないため、1週間は医局で寝泊まりしながら過ごしました。シャワーと食事が保証されていたため、本当に助かりました。あの頃の記憶はまだ生々しく、長岡花火のフェニックスを見ると今でも涙が溢れます。3度目は中越沖地震でした。その瞬間は佐渡総合病院で入院患者さんの診察中でした。患者さん達が座ったまま左右に大きく揺れている姿を見て、椅子から転げ落ちたら大変だと戦慄しました。4度目は東日本大震災です。日赤の手術室で準備をしている時、突然激しいめまいを自覚しメニエール病になったのかと最初は思いました。器具を載せたカートが動き回り、抑えるのが大変でした。揺れが落ち着いた後に予定手術を済ませ、手術室のラウンジのテレビで津波の映像を見てショックを受けました。
 様々な被害をもたらす地震を見聞きし、体験した後は将来の天災に対して備えが必要だと痛感します。報道でも同様に非常時に備えた物資の準備を呼びかけています。情報に流されやすい私はご多分に漏れずペットボトルの水をダースで買い込み、保存食を1週間分は蓄え、その勢いでキャンプ道具までも買い集めました。籠城戦はいつでも対応可能となりました。とりあえずは買い集めた宝を前にご機嫌になり満足します。しかし、しばらく経つとその時の情熱が失われ、いつしか大切なはずの資産は部屋の隅から物置に移動し、その存在は記憶から消えていきます。偶に見かけると集積しているはずのそれらはバラバラになって四散し、何がどこにどれだけあるのかも分からなくなっていました。よく見れば水や食料の消費期限はとうに過ぎていて、処理するのも面倒となりそのままタンスの肥しと化しています。喉元過ぎれば、とは良く言ったもので、私の部屋には飲めない水と食べたら健康を害しそうな怪しい食料に満ち溢れています。誰か助けてください。
 「備え」とは、恐れという感情の維持に他なりません。身近な点で挙げるならAEDやエピペンの準備と同じです。古代中国の杞の人が、天が崩れ落ちるのではないかと心配したという故事がありますが、私たちのそれは杞憂ではなく、きっと必ず起こりうるリスクです。備えあれば憂いなしと言えるような立派な意識を持ち続けたいと思います。とは言え、冷蔵庫を開ければ変色・腐敗し、元の状態を想像することができない物体を前に嘆息するしかない私には、まだまだ届くことのできない高い頂きであることは間違いないようです。非常用の懐中電灯の電池は液漏れを起こし、使い物にならなくなっていました。全くもって危機意識が足りないようですね。
 最後に、今回の震災で被災した皆様が一日でも早く復興し、いつもの何気ない日常が戻ることを切に願っています。

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徒然日記 中野敦雄(なかの眼科クリニック)

 以前開業時にも「ぼん・じゅ〜る」への原稿を求められ書いた覚えがありますが、早いもので恐らく12年程時間が経ってしまったようです。
 皆様、初めまして。2011年5月に越路地域に眼科を開業した中野です。元来内向的な性格および下戸などの関係上、人と交わりを持たずに生活を続けている為に私を知っているのは今会報を読む方に殆ど存在しないと思いますが、以後お見知りおきを。
 さて、今回寄稿依頼をいただきましたがテーマは指定がなく、但し楽しい記事との記載。毎日同じ日々を淡々と暮らす我が身においては中々に難しい原稿です。特段書くことも思いつかないのですが、思いつくままに主に趣味とかについて書かせていただきます。まぁ、中には面白いと感じてくれる方が一人でもいらっしゃれば良いのですが…。
 開業してからというもの、それまでは出身校である杏林大学眼科で忙しく暮らしていたのですが急に暇になってしまいました。本当に暇だったので暇つぶしにジグソーパズルをするようになりました。1000ピース程度のディズニーキャラクターものを主に作っていましたが飾るためのクリニックの壁面がすぐに埋まってしまい作る意欲を失ってしまいました。
 次に嵌ったのが幼い頃に好きだったガンダムのプラモデル(ガンプラ)を作る事。昔作られたことがある方はわかると思いますが、子供の頃に作っていたガンプラは関節の可動域は狭く、部品もそれ程色分けされていなかったため作り上げても塗装もできない子供には満足な出来にはならなかったのです。約20年振りに再開したガンプラは違います。関節も昔は90度程度までしか曲がらなかったのですが、現在はモデルによっては正座が出来るのです。足裏を床に付けたまま180度近く開脚出来るのです。恐ろしいほどの技術革新!部品の色分けも完璧で塗装をしなくても格好よく出来上がります。バンダイの技術力に脱帽です。この趣味は今でも続いており、気に入ったモデルが出る度に作製しています。飾る場所に困るのが悩みどころですが…。
 で、現在最も力を入れているのがフィギュア収集でしょうか?これは暇つぶしにはならないのですが、ガンプラを作っているうちに塗装済の完成品フィギュアに興味が出てきてしまいました。元々余暇に映画鑑賞が趣味で色々観るのですが、中でもマーベル作品のアイアンマンというキャラクターが好きでした。ある時ネットで香港のメーカー『ホットトイズ』のアイアンマンを見た時にちょっとビビッときました。運命的な出会いです。ここで少しアイアンマンについて触れますが、ロバート・ダウニーJrが演じるスタークインダストリー社?社長トニー・スタークが自ら設計開発したパワードスーツを身にまとい悪と戦うヒーロー映画のキャラクターです。天才なのですが人間的には完璧には程遠い人間スタークが生身にパワードスーツをまとい戦うところが魅力なキャラクターなのですが、彼の顔が精巧に作りこまれ、とてもフィギュアとは思えない出来の商品を見つけた時には衝撃を受けました。注文し届いた商品をみて大満足です。写真を撮ろうとすると顔認証でちゃんと認識します。それくらいに精巧。きちんとケースを用意して陳列してあげ仕事の合間に院長室で眺めていたのですが、暫くしてスタークが喋るようになりました。「一人では悪と戦えない。仲間が必要だ」と。悪と戦うにはしょうがないと納得しその後も商品を見つける度に購入し徐々に増え続けていきましたが、その当時映画アイアンマンは2作品しか公開されておらず、集めるスーツはそれ程多くはなかったのです。しかしその後シリーズが続くにつれてアイアンマンのバージョンは増え続け最終的に設定上マーク1〜85までバージョンが増える事になり商品化されたスーツもかなりの数になりました。購入したは良いけど、どこで登場しているのかわからないスーツも無きにしも非ず…でしょうか?映画の方で最終的にトニースタークは死亡し、劇場で鑑賞しながら泣いたのですがスーツが増え続けるという苦行からは解放され一安心な部分もあります。現在はアイアンマンの代わりにガンダムが順調に増殖しつつあります。
 さてそろそろ文字数が稼げたようなので終わりです。開業して早12年。これからも長岡の片隅で眼科医療に役立てればと思いますので宜しくお願い致します。

アイアンマンの一部

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第16回中越臨床研修医研究会

左肺陰影を契機に経右心カテーテル検査で術前診断され、左肺全摘による根治術を施行し得た肺動脈肉腫の1例  長岡赤十字病院 宮下 翔

 【症例】72歳女性
 【主訴】咳嗽
 【現病歴】X-3年10月に左肺炎像を指摘され当科に受診した。抗菌薬治療で症状及び浸潤影の改善が得られた。X-2年2月に左上下葉に収縮性変化を伴う浸潤影が出現した。気管支肺胞洗浄(BAL)および経気管支肺生検(TBLB)を実施されたが、ともに間質性肺炎や肉芽腫性疾患などを示唆する特異的な所見に乏しく、経過観察の方針とされた。陰影は一部線維化を残しつつ、浸潤影は改善した。その後、経時的に左肺の容積減少や牽引性気管支拡張などの間質性陰影が進行性に悪化したことから、リンパ増殖性疾患の可能性を念頭に造影CTを撮影したところ左肺動脈主幹部から末梢まで造影欠損が認められ、腫瘍性疾患が疑われた。X年1月に経右心カテーテル的左肺動脈腫瘍生検が実施され、病理組織で肺動脈肉腫と診断された。X年4月に当院呼吸器外科において人工心肺下肺動脈パッチ再建術、胸腔鏡補助下左肺全摘術、縦隔リンパ節郭清術が施行された。術後大きな合併症なく第20病日に室内気で自宅退院され、術後病理診断はinitial sarcoma、切除断端陰性であり、 肺炎像を呈した部分は肺梗塞の病理像を示した。
 【考察】肺動脈肉腫は稀で予後不良な悪性疾患であり、手術や剖検で診断されることが多い。手術切除が唯一有効な治療法であり、早期診断のため非典型的な肺陰影を認めた際に肺動脈腫瘍による肺梗塞を鑑別診断に挙げること、また、肺動脈腫瘍の診断における循環器内科と連携した経右心カテーテル生検の有用性を認識することが、本疾患の診断に重要である。

切除不能胆道癌に対するGC/Dur療法の有用性  長岡中央綜合病院 松原志奈

 2022年、切除不能の胆道癌に対して抗PD-1抗体のデュルバルマブが保険適応となり、ゲムシタビン+シスプラチン療法(GC療法)に上乗せで使用されている。今回、当院で導入されたゲムシタビン+シスプラチン+デュルバルマブ療法(GC/Dur療法)の有用性を評価した。
 2023年1月から7月までの間、当院でGC/Dur療法を施行した切除不能胆道癌23例を対象として患者背景、奏効率、有害事象、生存を検討した。また、2019年1月から2021年12月までにGC療法を施行した39例と治療効果、生存期間について比較した。年齢中央値はGC群で73歳(49〜86歳)、GC/Dur群で72歳(43〜84歳)と有意差はなく、男女比、原発巣の部位、転移臓器、原発巣の手術例の割合に関しても2群間に差はなかった。GC/Dur群はDur保険適応後の症例のため、観察期間、治療期間の中央値はGC群と比べてやや短かった。
 治療効果判定はGC群でPR4例、SD16例、PD7例、NE12例で、奏効率10.3%、病態制御率51.3%であった。GC/Dur群ではPR4例、SD10例、PD5例、NE4例で、奏効率17.4%、病態制御率60.9%と、ともにGC/Dur群で高い傾向にあった。また、GC/Dur群23例のうち、GC療法にあとからDurを併用した群と初回からDurを併用した群とで治療効果を比較した。奏効率、病態制御率ともに初回からDurを併用した群のほうで高い結果となった。有害事象で多かったものは胆管炎、好中球減少で2群間の差はなかった。GC/Dur群ではirAEと考えられる肝炎を1例みとめた。観察期間が短いためGC/Dur群では生存期間の中央値に達していないが、生存期間に関してもGC/Dur群で延長が期待された。
 当院の症例に関しても臨床試験と同様に、切除不能胆道癌に対してGC/Dur療法は、GC療法よりも奏効率が高く、生存期間も延長している可能性があると考えられた。禁忌のない治癒切除不能胆道癌症例に対しては、初回治療からGC/Dur療法を導入するべきである。

胃粘膜下腫瘍の形態を呈し術前診断に難渋したリンパ球浸潤胃癌の1例  長岡中央綜合病院 堀江 篤

 【症例】60歳代男性
 【主訴】なし
 【既往歴】高血圧症
 【現病歴】X-2年2月近医のドック上部消化管内視鏡検査(EGD)にて、胃体下部大弯に10mm弱の胃粘膜下腫瘍(SMT)を指摘された。X-1年2月のドックEGDにて同病変は中央に陥凹を伴う25mm大に増大しており、同年3月当科に精査依頼となった。造影CTでは造影効果をもつ25mm大の腫瘤として描出され、EUSでは内部に高エコーが散在する低エコー腫瘤として描出され、筋層との連続性が疑われた。GISTなどの間葉系腫瘍を疑いEUS-FNBを施行したが、確定診断に至らなかった。3か月後にEGD再検し、前回同様に25mm大のSMTの形態を呈し、中央にわずかに溝状陥凹を認めたが、粘膜面に腫瘍局面は認めなかった。陥凹部から生検を施行したがGroup1であった。同時にEUS-FNBを再施行するも確定診断には至らなかった。同年12月の造影CTでは腫瘍の軽度増大が疑われた。確定診断のために内視鏡的粘膜切開生検も検討提示したが、外科切除を希望され、X年4月にGIST疑いの術前診断で胃部分切除術を施行した。病理結果はcarcinoma with lymphoid stroma,pT3(SS), INFa, ly0, v0, p PM0,pDM0であった。後日、幽門側胃切除+リンパ節郭清(D2)を追加したが、腫瘍の遺残やリンパ節転移は認めず、pStage IIAのリンパ球浸潤胃癌と最終診断した。
 【考察】リンパ球浸潤胃癌は、胃癌全体の1-4%とされ、胃癌取り扱い規約第14版から特殊型胃癌に分類されている。腫瘍間質にリンパ球や形質細胞がびまん性に浸潤し粘膜下層で膨張性に発育することでSMTに類似した形態を呈しやすいとされる。一般的には粘膜面に癌の露出が見られることが多いが、本症例は粘膜に腫瘍の局面を認めず、生検での診断が困難であった。EUS-FNBでも術前の確定診断に至らなかったが、採取された組織を見直すと多数のリンパ球の中にわずかに低分化腺癌が確認された。間葉系腫瘍の他、鑑別疾患としてリンパ球浸潤胃癌も含めた病理医への臨床情報提供が不足していたことが確定診断に至らなかった要因であったと思われた。

ニボルマブ投与後に自己免疫性心筋炎を来しステロイド治療が奏効した進行胃癌の1例  長岡中央綜合病院 中澤 徹

 【症例】82歳、男性
 【主訴】トロポニンI(TpI)上昇
 【現病歴】X-4年 進行胃癌に対し幽門側胃切除が行われた。腹腔洗浄細胞診陽性でStageWであった。1次・2次化学療法は効果不十分で、ニボルマブ(Nivo)が投与された。Nivo 3回目投与前の検査でTpIの上昇有り、免疫チェックポイント阻害剤(ICIs)関連心筋炎(ICIrM)が疑われ、同日当科に紹介された。
 【検査】ECG:洞調律ST-T異常なし、胸部Xp:心拡大・肺うっ血なし。心エコー:壁運動正常、壁肥厚・心嚢液なし。心臓MRI:側壁に遅延造影あり、TpI 301.7 U/L, BNP 354.80 pg/ml、CK 117 U/l, CK-MB 4U/l以下, CA19-9 1199.8 U/ml
 【経過】Nivo投与後のICIrMと診断しステロイド治療を行った。セミパルス療法後にプレドニゾロン1mg/kgで投与開始し、漸減した。TpIは速やかに低下し、ステロイド治療終了後も再上昇はみられなかった。
 【考案】ICIrMは、発症頻度は低いが時に致死的であり、早期発見と迅速な治療が重要なirAEである。本例ではNivo投与前のTpI測定で早期に診断でき、ステロイド治療が奏効した。ICIsの使用拡大に伴いICIrMの増加が危惧されるが、主たる診療者は非循環器内科医であり、スクリーニング検査の整備や連携体制の構築が望まれる。

抗菌薬治療中に塩類喪失性腎症による低Na血症を来した1例  立川綜合病院 中山 裟枝子

 【症例】50代、男性
 【主訴】発熱、右膝関節痛
 【現病歴】X年X月に右化膿性膝関節炎で整形外科に入院した。感染のコントロールに難渋し、多種類の抗菌薬を使用した。入院10日目から低Na血症と多尿が進行し、入院20日目には血清Na濃度127mEq/L、1日尿量4500mlになったため、腎臓内科が介入した。尿は浸透圧428mOsm/L、1日Na排泄量564mEq、血漿ADHは測定感度以上であり、バソプレシン不適合分泌症候群(SIADH)と塩類喪失性腎症(RSWS)が鑑別に挙がった。口腔内乾燥や血圧低下等の体液量減少所見を認めること、fractional excretion(FE)phosphateが19.1%と上昇していたことから、RSWSと臨床診断した。抗菌薬の影響を疑い、主科に依頼して使用抗菌薬を整理し、尿量およびNa排泄量に合わせた生理食塩水の投与を行い喪失したNaと水を補充した。治療開始後、尿中Na排泄量、尿量の減少に応じて血清Na値は上昇し、治療開始14日後に治療介入を終了した。血清Na値正常化後もFEurateは67.8%と高値であり、血清尿酸値も低値が遷延したことからもRSWSの経過として矛盾しなかった。
 【考察】RSWSとは、尿細管障害によりNaと水の再吸収が阻害されることで、水とNaの尿中排泄量が増加し、細胞外液の減少と低Na血症を来す症候群である。低Na血症、高張尿、多尿、低Na血症にもかかわらずADHが抑制されないなど、SIADHと類似した検査所見を示すが、治療はRSWSが体液補充、SIADHが水制限と異なっており、鑑別が重要である。鑑別点として、RSWSでは体液量が減少しているが、SIADHでは体液量は正常である。
 本症例では、基本的な身体診察に加えて尿中の尿酸やリン排泄を調べることでRSWSと診断し、適切な対応をとることができた。感染症治療は日常診療にありふれたものであり、本症例は実臨床で重要と考えられる。

CVポート感染から難治性眼内炎を来した侵襲性カンジダ症の1例  立川綜合病院 吉村剛志

 症例は66歳女性。主訴はめまい、頭痛。2週前より頭位非依存性のめまいを自覚し、2週後には頭痛、「視界に砂がかかったよう」と表現される眼症状が出現し、当院救急外来を受診。脳脊髄液検査で細胞数上昇が認められ、髄膜炎疑いで当院内科入院となった。
 既往歴に早期胃癌に対する腹腔鏡下幽門側胃切除術があり、本人希望でCVポートが造設され、在宅自己点滴が行われていた。また、家族歴に祖父の50代での突然死があった。
 入院時身体所見では、軽度項部硬直、後頚部から右肩部にかけての疼痛が認められた。CVポート部には発赤、熱感、腫脹は認められなかった。
 入院時検査所見では、血液検査で白血球16,700/?L, CRP 29.01mg/dL, プロカルシトニン7.1ng/mLの炎症反応高値、BUN 61.1mg/dL, Cr 1.8 mg/dL, 尿酸10.1mg/dLと急性腎障害を示唆する所見、髄液検査では単核球優位の細胞数増多がみられた。心電図、頭部CT、頭部MRI画像では異常所見を指摘されなかった。
 初期治療方針として、血液・尿培養提出の上、セフトリアキソン2g/日で治療開始した。またCVポートから自己中心静脈栄養を行っており、カンジダ感染高リスクと判断し、βDグルカンを提出した。
 第3病日にβDグルカン1,072pg/mLと高値が指摘され、ミカファンギンを追加した。その後反応性に乏しかったため、バンコマイシンを追加した。第5病日にはCVポート周囲の圧痛を認めたため、CVポートが感染源と判断し抜去、血液培養を提出した。その後菌種はCandida albicans, Lactobacillus speciesと判明した。抜去同日眼科診察で真菌性眼内炎を指摘され、移行性を考慮しミカファンギンをフルコナゾールに変更した。
 第22病日に両側硝子体手術が行われた。第28病日、心電図でQT延長が指摘された。突然死の家族歴があり、ハイリスク群と考えフルコナゾールをアムホテリシンBに変更した。その後第63病日にはQT延長は改善し、循環器内科フォローの上で経口のフルコナゾールへ再度変更となり、外来治療可能となり退院となった。
 CVポート感染を疑った際は、皮膚所見がなくともポート周囲の圧痛の確認が必要である。侵襲性カンジダ症の抗真菌薬選択では感染臓器を検索し、臓器移行性に留意する。カンジダ眼内炎は失明率が高く、眼科と密に連携をとること。抗真菌薬にはそれぞれ副作用があり、それらに応じたモニタリングが必要である。

上部消化管内視鏡検査を契機に診断し得た梅毒の1例  長岡赤十字病院 小林 巧

 【症例】40歳代、男性
 【既往】脳梗塞
 【現病・経過】全身性エリテマトーデス、2型糖尿病で通院中。数か月前から上腹部痛と食欲不振を自覚し当院内科を受診した。血液検査では、CRPの軽度高値以外明らかな異常所見は指摘できなかった。身体所見上、上腹部の圧痛、陰茎先端の発赤を認めた。腹部造影CT検査では明らかな異常所見を認めなかった。追加精査のため、上部消化管内視鏡検査(EGD)を施行。穹隆部から体部、幽門前庭部にかけて類円形の扁平隆起性病変を多数認めた。通常観察にて、同病変は辺縁が退色調で、中心部は発赤調を呈し、病変同士の融合が認められた(図1)。上記内視鏡所見は梅毒性胃粘膜疹と考えられ、追加の問診と血液検査を行ったところ、風俗店の利用があり、梅毒抗体検査が陽性であった。以上より梅毒と診断し、アモキシシリン1500mg/dayの4週間内服投与を開始した。症状は速やかに改善し、治療開始4か月後のEGDで病変は瘢痕化していた。後日、生検結果から胃粘膜組織の間質内にT.pallidum抗体陽性の菌体を認めた。
 【考察・結語】特異的な内視鏡所見として、梅毒性胃粘膜疹と呼ばれる梅毒の皮疹に類似した、類円形の中心陥凹を伴った癒合傾向の扁平隆起を認めることがあり、診断に有効である。一方で、不整形の多発潰瘍やびらんが胃体部から幽門前庭部にかけてみられ、非特異的な所見を呈する場合もあり、胃癌や悪性リンパ腫との鑑別に苦慮する。梅毒患者報告数は近年増加傾向である。腹部症状の精査において、EGDで特異的な粘膜疹を認めた場合は詳細な問診や検査を行うべきである。

図1:EGD通常観察。類円形の扁平隆起性病変が多発

執念の問診  長岡赤十字病院 橋瑞喜

 クリオピリン関連周期熱症候群(以下CAPS)は自己炎症性疾患の1つで、炎症性サイトカインIL-1βの過剰産生を病態とする。常染色体顕性遺伝疾患で、日本の推定患者数は100人程度と稀である。高頻度に発熱や皮疹・関節炎・感音性難聴がみられ、重症例では慢性無菌性髄膜炎やてんかんなどの中枢神経症状をきたす。今回、発熱と皮疹を欠き認知機能低下が目立った非典型例を経験した。
 54歳男性。主訴は認知機能低下。34歳時からてんかん。52歳から認知機能が急速に低下し、無断欠勤や大金の浪費などの異常行動が出現した。るい痩があり、発熱や皮疹は認めなかった。神経学的所見として、高度の認知機能低下(HDS-R 5/30点)、感音性難聴、パーキンソニズム、体幹失調を認めた。血液検査では白血球 13,270/μL・CRP 16.4mg/dlと上昇があり、髄液検査では、細胞数 53(多核球 18)/μL、蛋白 152mg/dL、IL-6 307pg/mlと高値であった。頭部MRIでは高度な全脳萎縮を認め、Gd造影では軟膜の造影増強効果を認めた。過去の紙カルテから情報収集をしたところ、6歳時に若年性関節リウマチ、15歳頃から感音性難聴、27歳時に無菌性髄膜炎・すでにMRIで脳萎縮があり、慢性無菌性髄膜炎と考えた。家族歴を詳細に聴取し、常染色体顕性遺伝の難聴の家族歴が判明した。NLRP3遺伝子に2つのミスセンス変異が同定されCAPSと診断した。父・弟・母方の叔母・従姉の4人にこの2つの変異を調べたところ、全員にいずれかの変異が検出された(図)。ステロイド治療後HDS-Rが28点へ大幅に改善し、今後IL-1阻害薬を開始する予定である。
 本例はほぼ全例にみられるとされる発熱や皮疹はなく、認知機能低下やてんかんなどの中枢神経症状が前面に出た点が特異であった。疾患関連遺伝子変異の種類によっては稀ながら発熱や皮疹を欠く可能性がある。慢性的な炎症反応高値、慢性無菌性髄膜炎、難聴の家族歴が診断のポイントとなった。IL-1阻害薬が有効であり、家族歴や幼少時から病歴を詳細に聴取して本疾患を疑うことが大切である。

めまい・難聴を主症状とした急性散在性脳脊髄炎(ADEM)疑いの1例  立川綜合病院 森本涼介

 入院4日前の朝から38℃の発熱あり、翌日に頭痛が出現した。入院2日前頃から、めまいや難聴などの症状が出現し、症状が持続し39〜40℃の発熱も持続するため、受診となった。38℃を超える発熱あり、採血では炎症所見の上昇が認められた。MRI検査ではT2強調画像やFLAIRにて脳幹のほぼ対称性の高信号あり、DWIで該当する部分に信号異常はなかった。鑑別疾患として脱髄性疾患、自己免疫性脳炎、感染性脳炎が主に考えられた。
 各種検査実施後にADEMと診断して治療とした。入院時には難聴やめまいなどの症状がみられた。ADEMに対してステロイドパルス療法〔メチルプレドニゾロン〕に加え、ヘルペス脳炎の可能性も考えアシクロビルもPCRで陰性を確認まで併用した。ステロイドパルス療法終了後は後療法としてプレドニゾロン(PSL)を内服し漸減した。十分に解熱しないためステロイドパルス療法を2クール目実施し、終了後はより緩徐にPSLを減量し、症状は軽快し明らかな副作用もなく、画像所見も経時的に改善みられ退院となった。
 ADEMとは、中枢神経系の脱髄性疾患の一つであり、病態機序は不明であり、日本では人口10万人あたり0.4〜1.0人の割合で発症すると考えられている。先行感染やワクチン接種後の発症があることから何らかの感染因子が発症のトリガーになっていると考えられ、先行感染は50〜70%の症例に存在する。本症例においても感染契機の発症と考えられる。複数の病変が同時多発的に生じ、頭痛、悪心・嘔吐などの髄膜刺激徴候、傾眠、意識障害、痙攣などの脳炎様症状や行動異常、片麻痺や失語などをきたしやすい。めまいや難聴の報告は少なく、中枢性を疑わないと見落としやすいと考えられる。めまいや難聴に加えて炎症所見がある場合には積極的な画像検査が必要であると考えられる。本症例では発熱後にめまいや難聴などの症状が出現し、症状の持続あり、MRI検査実施しADEMを疑うに至った。
 (参考文献)
 ・多発性硬化症・視神経脊髄炎診療ガイドライン2017
 ・めまいを伴った突発難聴を初発症状とした急性散在性脳脊髄炎の一症例、八月朔月 泰和,中村 正,小池 修治,那須 隆,長瀬 輝顕,青柳 優.Equilibrium Res Vol. 59(2), 124-129, 2000

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新年囲碁大会の報告 齋藤古志(さいとう医院)

 新型コロナ感染症の影響により、4年ぶりの開催でした。
 今回の参加者は次の7名の先生方でした。(50音順、敬称略)
 太田  裕
 大塚 武司
 齋藤 古志
 新保 俊光
 柳  京三
 山本 和男
 吉田 正弘
 参加人数が奇数でしたので到着が最も遅かった吉田先生が1回戦手空きとなりました。
 私の1回戦は対山本先生、2回戦は柳先生に勝利された新保先生でした。先生は、前回、前々回と連続優勝した強敵です。大石同士の死活が絡んだ難局でしたが、大きなコウ争いが2カ所出現し、私に幸いしました。3回戦は同じく2勝を挙げた太田先生。年の功で辛勝し、久しぶりに優勝できました。尚準優勝は太田先生、3位は新保先生でした。
 長岡市医師会には囲碁を愛好する先生方が大勢おられるのではと思います。10人以上の先生方が参加されて賑やかな会になることを祈念します。
 ●新年囲碁大会の成績
 優 勝 齋藤古志(さいとう医院)
 準優勝 太田 裕(太田こどもとアレルギークリニック)
 3 位 新保俊光(新保内科医院)
 以下省略

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巻末エッセイ〜遥かなるヤポネシア〜日本人の故郷は南西諸島? 福本一朗(長岡保養園)

 「名も知らぬ 遠き島より流れ寄る 椰子の実一つ」。1898年夏愛知県伊良湖岬に滞在していた東京帝国大学生の柳田國男は、黒潮に乗って幾年月の旅の果てたどり着いた椰子の実を見つけて日本民族の故郷は南洋諸島だと確信しました。親友の島崎藤村にその様子を話したため歌曲『椰子の実』の詩が誕生しました。筆者の曾祖叔父柳田國男に習って南太平洋に憧れて南洋諸島を訪れた途中、飛行機から見たポリネシアの海はどこまでも青く澄み渡り、水平線の彼方に珊瑚礁で囲まれた島々が点在していました。モンゴロイドであるポリネシア人の祖先は双胴船カタマラン(Fig. 1)に乗って3000年前に、中国南東部や台湾からフィリピン・ソロモン群島を経由して太平洋の島々にたどり着いたと言われています。この航海術に長けた人々が、黒潮(Fig. 2)に乗って南方のみならず北方へも乗り出し、貴重品であった宝貝を求めて海上に乗り出して島伝いに日本列島にたどり着いたという「日本人南方起源説」が柳田國男によって提唱され、さらに松本清張は「古代史疑義」を著して、日本の稲作伝搬経路が揚子江河口地方から東シナ海を渡り琉球列島を島伝いに南九州に上陸したと主張し、また邪馬台国の所在についても魏志倭人伝「不弥国から水行30日陸行1ケ月」という記載に忠実に従うと南西諸島に至ると結論しました。この偉人達の研究を基に、八重山諸島加計呂麻島で第18震洋特攻隊指揮官であった島尾敏雄は、日本列島をポリネシアに連なる「ヤポネシア文化圏」と考えました。1986年に与那国島南部海底で発見された「与那国島海底地形(Fig. 3)」は、東西約250m、南北約150mに及ぶ巨大な石の神殿様構造であり、古代の巨石遺跡と考える研究者もいます。島尾のヤポネシア論によると、南西諸島から黒潮に乗って日向・紀州・鹿島へ、また対馬海流に乗って出雲から北海道へと稲作を含む文化が大和政権の樹立以前に伝えられたとされます。出雲地方の四隅突出型弥生墳丘墓(Fig. 4)はその名残とされています。「ゆるはらす船や子ぬ方星目当てぃ 我ん生ちぇる親や我んどぅ目当てぃ=夜の海を往く船は北極星が目印、私を生んだ親は私の目印(沖縄民謡てぃんさぐぬ花)」。DNAやピロリ菌種解析を待たずとも、南西諸島の人々は北方遊牧民族系とは起源を異にする海洋民族とされていますが、その「優しさ」や「人生を謳歌する気質」は、我々ヤマトンチューの遺伝子にも受け継がれていると思います。

Fig. 1 双胴船(カタマラン)

Fig. 2 黒潮と対馬海流

Fig. 3 与那国島海底地形

Fig. 4 四隅突出型弥生墳丘墓

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